魔法少女リリカルなのは~Nameless Ghost~   作:柳沢紀雪

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第十八話 Naked Emotion

 

 適度な緊張感のある教室は教師の言葉とホワイトボードをたたくペンの音が響き渡り、その板書をする鉛筆やシャープペンシルのこつこつという音に包まれている。

 その中に混じって時々欠伸や寝息など気の抜けるような音も耳にはいるが、この学校ではそれらは自業自得として教師も手厳しく諫めることもしない。

 

 中には優秀すぎるが故に学校での勉強が退屈すぎるために居眠りの常習犯になっているものもいるが、それは希な例であると言えるだろう。

 実際、彼女と同等程度の優秀さを誇る彼は眠たそうな雰囲気の一つも見せず、ただ黙々とノートに文字を走らせているのだから。異邦人でありながら彼のノートに記されている文字の4割強は日本語であることから彼の実直さを伺うことが出来る。

 

 しかし、この時間になってくると午前中にある緊張感も次第に緩んでくるものだ、と少しだけ離れた席で高鼾をかく親友アリサと、ゆるみ始めている教室の空気の中でしっかりとペンを走らせるユーノとを見比べながら向けながらなのははクスッと笑った。

 

 半年前であれば、なのははこうして授業を受けている最中でも魔導師の特性でもあるマルチタスクを利用して様々なイメージ・トレーニングをしていたものだった。

 しかし、それが原因かどうかは分からないが、それをし始めた後になって学校の成績が目に見えて悪化してしまうという事態に直面した。しかも、成績表に『注意力散漫』という注意書きが記載されるようになってからは両親に咎められたこともあり、授業中にマルチタスクを展開することは控えるようになった。

 

 それでも、今ばかりは一つのタスクを使用してまで考えておきたいことがあった。

 

 なのはは、ホワイトボードの文字に集中しながらも横目でそっとユーノの表情を伺った。

 

(最近、ユーノ君がよそよそしい気がする)

 

 それがなのはの最近の悩みの一番を占めている事柄だった。

 何となく、なのははユーノと隔たりを感じる。あるはずのない溝を感じてしまう。少し自分と彼の距離が離れてしまったような気がする。

 それを彼に内緒で友人達に聞いてみたところ友人達、フェイト、アリサ、すずかは「気のせいじゃないか?」と口をそろえるばかりだった。

 確かに、日常的な場面ではユーノは何も変わらないように思える。

 学校にいるときでも、なのは達女子だけのグループの蒼一点であるがために少し居心地の悪そうな、何となく遠慮深そうにして話の輪にも入りにくそうにしている。だが、そのそばで自分たちを見ながら微笑むその表情は変わりなく、それだけならなのはも気のしすぎだと思えたかもしれない。

 

 今日の昼休みにもお決まりのようにアリサから「あんたももう少し会話に入りなさいよ!」と叱られていたほどだ。

 

(うん、いつも通りだった)

 

 しかし、なのははその中にあっても時折ユーノが自分を見つめる目になにがしかの決意を秘める光を感じ取っていた。

 酷く澄んだ、純粋な視線。思わず心臓が高鳴るほどの熱い眼差し。そして、それは同時に何かいい知れない予感を孕んだ眼のように感じられた。彼が、自分をおいてどこか遠くに行ってしまうのではないか、彼のその視線の先に移るのは自分ではなくほかの何かなのではないのか。

 

 教室の雰囲気は弛緩の最高潮にあった。授業を行うクラス担任が少しため息をついてそれを咎めようとする寸前、ホワイトボードの上方に設置されたスピーカーから本日の授業の終わりを示すベルの音が鳴り響き、担任教師はそのまま日直に挨拶をさせ授業を終えた。

 

「終わったぁー」

 

 教室の様々な場所からそんな声がつぶやかれ、あるいは堂々と宣言されながら後はHRを残すばかりとなった。

 

「なのは、今日はどうする?」

 

 チャイムが鳴ると同時にすっぱりと目を覚ましたアリサが口の中で欠伸をかみしめながらアリサはなのはの机に足を組んで座った。

 名家のお嬢様としてそれはいかがなものかとなのはは思うが、それもアリサらしくて小さくほほえみを返した。

 

「アリサ達は、今日は何もない日だよね」

 

 それを聞きつけ、フェイトも少しだけ眠たそうな目をこすりながらゆるゆると会話に混ざった。

 

「そうよ、塾もないし、今日はパパもママも帰ってこないし……すずかの家に泊まりに行こうかしら」

 

 一人だけの食事は美味しい料理も味っ気がなくなってしまう。アリサはそうつぶやきながらすずかに目を向けた。

 

「私はいいよ? その前にちょっとお見舞いに行かないといけないけど……夕方からは時間が空いてるし……。なのはちゃん達もどう?」

 

「お見舞い? 誰か病気?」

 

「うん、ちょっと前に知り合った子で、八神はやてちゃんって言うの」

 

 すずかはそう答えながら新しい友人である八神はやてがどんな子か、どういった経緯で知り合ったのかを笑顔いっぱいに話し始めた。

 

「ふーん、本好きなんだその子。だったら、ユーノ君と気が合うかも知れないね。だけど、私たちと同い年で入院なんて大変なんだねぇ」

 

 なのははそういいながら横目でチラッとユーノの席を伺った。彼は、机の教科書やノート、体操服を鞄にまとめ帰り支度をしながら隣の席や前の席の男子生徒と軽く話をしているようだった。

 

 何となく面白くないとなのはは感じた。

 女子には女子のつきあいがあるように男子には男子のつきあいがある。

 また、この頃になると男子と女子の性差というものを感じられるようになるのか、女子の集団に男子が混じる、男子の集団に女子が混じるとその周囲の雰囲気に少し刺のようなものが生じるようになってくるのだ。

 

 ユーノに気の合う友達が増えるのはなのはとしてもうれしい。しかし、そのせいで何となくユーノと話す時間が減ってしまうのは面白くない。

 

 ジーッとユーノの横顔を見つめるなのはに、アリサとすずかは肩をすくめ苦笑し、フェイトはぽかんとした表情で二人を交互に見る。

 

「な~の~は~!」

 

 アリサはまるで怨嗟のような間延びした声を上げながら、彼女の頭からちょこんと飛び出ているお下げの片方をひっつかみ、結構強い力でぐいっと上に引っ張り上げた。

 

「ふわぁぁぁ!! 痛い、痛いよアリサちゃん。引っ張らないで!」

 

 突然頭が引っ張り上げられる激痛というほどでもない痛みが襲いかかり、なのはは腕を振り回しながらガタガタと椅子を蹴って立ち上がった。

 

「ユーノが気になるのは分かるけど、今はあたしらに集中しなさい!」

 

 学校が終わればいくらでもユーノと話すことが出来る。アリサは眼力でそうなのはに伝え、なのはは頷くしかなかった。

 

『大丈夫? なのは』

 

「!!」

 

 突然届いたユーノからの念話になのはは思わず叫び声を上げそうになり、何とかそれを飲み込んだ。

 

 ユーノからなのはに念話がされたことを把握していたフェイトはともかく、いきなり背筋をビクンとさせて口を押さえるなのはの挙動にアリサとすずかは怪訝な表情を返す。

 

「な、何でもないの」

 

 なのははまだ聞かれてもいない弁明をしながら両手を振りながら愛想笑いを浮かべる。

 

『驚かせてごめん、なのは』

 

 横目で確認したユーノはこっちに目を向けることなく周囲の男子生徒と話をしている。何となくだが、なのははずるいと思った。

 

『……後で、いっぱいお話ししてくれたら許してあげる……』

 

 念話でもユーノにそんなわがままを言うのは恥ずかしい。そう、これはわがままだとなのはは自覚している。思えば、こうやって他人にわがままを言えるようになったのはユーノが最初だ。

 

 ユーノは何というか、強くあろう、他人に迷惑をかけないようにしようと頑なになる心をまるで平気な顔で解きほぐしまう人物だとなのはには感じられる。

 

 なのはは帰宅前のHRで教師の諸連絡を耳から耳に流しながら、やっぱりユーノはずるいと思ってしまう。たった一言でこっちの心を乱し、そばにいるだけで背中を温かくしてくれて、目に見えない所に行かれては寂しさで笑顔を浮かべることが出来なくなってしまう。

 

 存在そのものに心が揺さぶられてしまう。自分がそうでありながら、彼はいつだって平然としてまるで自分を年下の妹みたいに扱って……ずるいと感じながらもそんな関係に安らぎ、いつまでもこうしていたいと思ってしまう。

 

『ユーノ君は、卑怯だ……』

 

 何となく納得できない、対等ではない気がするとなのはは思う。そして、その思考が念話のラインに乗っていたことを彼女は気づくことが出来なかった。

 

『……………』

 

 

********

 

【魔法技術が神秘に端を発しているかどうかは厳密な証拠となる記述はどこからも見つかっていない。しかし、現代魔法においてもベルカに代表される古代魔法においても願い、祈り、求めるという魔法の基本原則から鑑みると、それらは自然界の何らかな超越存在に対して協力を願い、それより力を得るという一種の自然崇拝的な宗教的儀式を思わせるものである】

 

「うーん……」

 

 なのははハラオウン邸、仮設駐屯所のリビングで腰を落ち着けながらアリシアより「訳して読むといいよ」と言われた本を開きながら、辞書を片手にペンを走らせる。

 

【そもそも魔法技術とはそれまで定義が不可能だった超自然的な……】

 

 と、なのははそこまでノートに記してその先の単語を見、眉をひそめた。

 

「えーっと、”in other word”? 違う言葉で……でいいのかな?」

 

 なのはは念のため【ワイズマン出版、現代ミッドチルダ語辞典(日本語訳版)】をパラパラとめくりその言葉の意味を確認しておいた。

 この辞書は、ミッドチルダで出版されたもっともポピュラーな辞典を日本語訳されたものだ。

 元々、これはユーノの所有物で彼が日本に住む際にアリシアからもらったものらしい。

 この辞書の翻訳自体はアリシアが行ったものであるが、出版物の関係から勝手にそんなことをしてもいいのかという疑問に対して彼女は「売り物にしない限りは問題ないはずだ」という実にグレーな回答をもらっている。

 

 それをなぜなのはが持っているのかというと、つい先日、アリシアが『魔法を習得するには身体で覚えるだけではなく体系的な修練も必要だ』とのことを言われ、そのためには本を読むのが一番だということからこのようなことになったのだ。

 

 一日最低でも二ページは翻訳するようになのはは指示され、今のところは何とかそのノルマを達成できていると言うことだ。

 

 二ページ程度なら大したことはないと思うだろうが、多少英語に似ているとはいえ習ったことのない異国の言葉に使われている文体は専門書特有の非常に硬い表現。しかも、小学生であるなのはが両手で抱えなければならない規模の書物で一文字あたりの大きさも小さくそれらがびっしりと敷き詰められた非常に細かい紙面。

 

 ある意味、ミッドチルダ出身者であるフェイトやクロノでさえ『目が痛くなる』というものを翻訳しながら勉強せよと言われているのだ。

 正直良くやっているとユーノやクロノも言葉をそろえる。

 

「えーっと、【言葉を換えると、超越した状態の現象】ああ、超常現象か……【超常現象を確たる……】えっと、【数学的、物理的な論法で書き示すことこそが魔法技術の発祥であると私は解釈する】……あうぅ、難しいよぉ……」

 

 目が痛くなるどころか頭が痛くなる。知恵熱で倒れそうだとなのはは思いながら単語の意味をつなげながらその意味を解釈していく。

 

【しかし、現代魔法に代表されるような、デバイスを用いてその儀式的奇跡をプログラム的に行使する方法論がいつの時代に発案され主流になっていったのか、それを示す記録は未だ発掘されていない。私が十年近くの時間をかけて無限書庫にこもり調べ上げたものであっても、それが1000年近く昔にさかのぼること、そして、その始祖であるデバイスがどうも[トライアル・アーツ]と呼ばれていたらしいということしか分からなかった】

 

《おお、私のことが書かれていますよ、マスター。この著者はなかなか目の付け所がいいですね》

 

 なのはが書き記していく文章の中にかつて自分に付けられていた名前を発見し、レイジングハートはどことなくうれしそうに紅い光を点滅させる。

 

「もう、邪魔しないで、レイジングハート」

 

【このように、我々が今日次元世界で広く使用している魔法技術にはその原初において未知の部分が多く存在する。特にインテリジェント・デバイスに関してはいかにして人間的な知性を機械に与えることが出来たのか、その目的に至るまで数多くの謎が隠されている】

 

「えーっと、【この論文では、インテリジェント・デバイスの自意識やその目的に関しては詳しく追求する予定はないが、それら魔法技術に関していかに未知の部分が多いかを知るきっかけとなっていただければ幸いである】。ふーん、結構分からないことって多いんだね」

 

《人の行うことには時にナンセンスな目的も多く含まれているものですからね。それらすべてに意味を求めることは難しいかと》

 

「分かってなくても使えるんだから、不思議だよねぇ」

 

《技術というものは得てしてそういうものだと思いますよ? マスターも、PCのような中身がどうなっているかよく分からないものでも使い方は分かるでしょう? 語弊はありますが、それと同じようなものかと》

 

「ああ、そっか。わかり易いや。えーっと【魔法技術に関する未知。それらを提示することで本稿の緒言を終えたいと思う】。やっと、見出しが終わったんだ。長かったぁ……」

 

《どうやら、残りの部分は謝辞や参考文献の列挙のみのようですから、とばしてもかまわないでしょう。お疲れ様でした。ノルマ達成です》

 

「ふう……ありがとう、レイジングハート」

 

《それにしても、アリシア嬢も要求が厳しいですね。本人はセーブしているつもりでしょうが、ユーノと同じものを要求するのはいささかマスターには荷が重いかと》

 

「むう……」

 

 なのはにしてみれば、レイジングハートの言葉はまるで自分があまり頭がよろしくないと言われているように感じ、面白くない。

 だが、クラスの秀才やアリサのような天才に肩を並べるほどの知性があるユーノと比べられればなのはは何も言えなくなってしまう。

 

「ただいまぁー」

 

 少しだけ落ち込んでしまうなのはだったがリビングを開くと同時に買い物に行っていたエイミィの帰宅に面を上げた。

 

「あ、お帰りなさい。エイミィさん。それと、フェイトちゃんも一緒だったんだ」

 

 リビングに同時に顔を見せたフェイトは、今度アリシアに会うときに差し入れるお菓子を買いに行っていたのだ。

 なのはは先ほどまでしていた課題があったため、残念ながら一緒は出来なかったが

どうやら途中でエイミィと合流していたらしい。

 

「うん。スーパーでばったりと。なのははもう終わった?」

 

 フェイトはそう言って微笑み、なのはの手元のノートをのぞき込んだ。

 

「なのはちゃん、お勉強してたんだ?」

 

「あ、はい。学校のじゃないんですけど」

 

 エイミィはキッチンとリビングとを隔てる木板のカウンターに近くのスーパーで買ってきた食材や飲料水を置いて、少し肩を回して一息ついた。

 

「ふーん、なんだか難しそうなもの読んでるね。雑学書?」

 

「えーっと、論文です。アリシアちゃんのお薦めで……」

 

 なのははアリシアの本『魔法学概論』と銘打たれた表紙をエイミィに見せた。

 

「うわぁ、これあたしも士官学校でやったよ……懐かしいなぁ」

 

 しかも卒業間近の最終学年の最後の課題で出されたものだとエイミィは溜息を吐き、当時は寮に住む友達や級友達を集めて大勉強会を開催したと呟く。

 

「そんなに難しかったんですか?」

 

「難しいってもんじゃないよ。はっきり言って理解不能。特にあたしなんか魔法が使えないから実感できる部分も少ないし。クロノ君やリンディさんは『ためになった』って言ってたけどねぇ」

 

 なのははこの本をアリシアから渡されるに当たり、「魔導師だったら座右の書にするべきものだよこれは」と言われていたが、それもあながち間違いではないと思い至る。

 

「だけど、なのはちゃんは翻訳しながらだから、私たちより大変かもね」

 

 エイミィは本に熱い視線を注ぎ始めたなのはに少し苦笑をしながらトートバックに詰められていた食材を冷蔵庫へと移し始めた。

 

 フェイトはエイミィの後ろ姿を見ながらなのはのノートを軽くチェックして、赤ペンで小さく丸を付けノートの隅に小さく【合格】とサインを入れた。

 

「ありがとう、フェイトちゃん。どうだった?」

 

 なのはは【合格】と日本語で書かれたサインを嬉しく思い、恒例となったフェイトの評価を聞く。

 

「所々直訳過ぎて意味が通りにくいところがあったけど、大きな間違いはなかった。これならお姉ちゃんも合格にしてくれると思う」

 

 完璧だとは言えなかったが、ミッドチルダ語を本格的に習いだしてまだ一月も経っていない状態でここまで訳せれば上出来だとフェイトは判断した。

 

 普段、なのははミッドチルダの人間と話をする際には翻訳魔法というものを使っている。それは、クロノ達ミッドチルダの者達が地球で生活する際もなのはと逆の理由で翻訳魔法を使っている。

 しかし、翻訳魔法はあくまで相手に対してイメージを伝達してこちらの言いたいことを”相手に”理解させるものであるため、実質的にその言語を理解したとは言えないのだ。

 

 故に、こういった書物や書類などに記されているミッドチルダの言語は翻訳魔法で理解することはできない。

 

 それでは些か(自分がわざわざ翻訳するのが)面倒だろうというアリシアの提案からなのはは彼女の指導でミッドチルダ語を習い始めたのだ。

 

「本当になのははお姉ちゃんとマンツーマンだね。羨ましいなぁ」

 

 訓練にしてもこういったソフト面においても、アリシアは何かとなのはに付き合い、色々なことを直接伝えようとしている。

 なのはとは逆に地球や日本の言葉や文化、歴史を習わなければならないフェイトやユーノ。非常に多忙でなのはに付きっきりになれないクロノやエイミィ、リンディ。

 

 ある意味、地球の文化にある程度精通していて、かつクロノやリンディほど多忙というわけではないアリシアこそこの仕事にうってつけと言えるのだ。

 だが、この半年で若干シスコンの気が生じつつあるフェイトとしては、自分も戦闘訓練や語学に関して、アリシアの手取り足取り教えて欲しいと考えてしまう。

 

「うう、だけどとっても厳しいんだよ?」

 

 なのははその風景を思い出して少し背筋を凍らせる。

 

 なのはの言う厳しいとは、何も鬼のような形相で何処ぞの海兵隊の教官よろしく下ネタだらけの卑猥な言葉を垂れ流すということを言うのではなく、また、少しでも反抗すれば直ぐに折檻をしてくる類のものではない。

 

「そんなに厳しい?」

 

 フェイトも、その様子をいつもとなりでユーノと鍛錬をしながら見ているのでなのはが普段どのような訓練を受けているのかは知っているつもりだったが、それのどこから厳しいという言葉が出てくるのかよく分からなかった。

 

「厳しいよ、だって。容赦ないんだもん」

 

 アリシアは、なのはの訓練を行う際、前述した直接的な厳しさを表に出すことはない。

 どちらかといえば、アリシアは常に笑顔を浮かべて慈しみ深く、そしてまったく遠慮をすることなく相対者の欠点を突き詰め、それを克服するための方法論をその本人に考えさせ、そこから出された答えを容赦なく問い詰める。それも、端から見れば優しい口調と笑顔を浮かべてだ。

 

 それを聞かされてもやはり、フェイトとしては厳しくともアリシアにかまって貰えるなのはを羨ましく思えてしか仕方がないのだった。

 

 それにしても、となのははふと思った。

 

(何でアリシアちゃんは、こんなに私にかまってくれるんだろう?)

 

 フェイトが羨ましいと言って少しばかり嫉妬の混じった視線を送ってくる。アリシアがそれに気がついていないはずがない。

 アリシアは、どちらかといえば身内の事情を優先する。

 

 その優先対象の順位の詳しい所は分からないが、それでも、自分はフェイトやユーノに比べれば低く設定されているという事は確認する必要もなく察することが出来る。

 何せ、自分は最近になってやっと名前で呼び合える仲になったばかりなのだから。

 

 ならば、そんな優先順位の低い自分のために何故彼女はわざわざ自分の時間を削ってまでかまってくれるのだろうか。

 

 なのはは、少しばかりふてくされるフェイトに「今度アリシアちゃんに会ったらお願いしてみるから」と言って宥めながらそんなことを考えていた。

 

「やっぱり人気者だねぇ、アリシアちゃんは!」

 

 エイミィはそんな二人の様子を見ながら肩をすくめた。

 

「うーん。人気者って言えるのかなぁ」

 

《私としては、マスターとバルディッシュのマスターにはあまり関わって貰いたくないと思うのですがね》

 

『毒薬口に甘しです』

 

 と、なのはの世界のことわざをもじるレイジングハートに、それまで電算室に籠もって何かをしていたユーノが同意するように首を縦に振った。

 

「なのはは、あんまりアリシアに深入りしない方がいいと思うな」

 

 それまでずっとデスクワークに明け暮れていたのだろうか、ユーノはそう言いながら肩や首を揉みほぐしながらソファに腰掛ける。

 

 なのはは少し疲れて見える彼に、何か飲物を持ってこようと席を立ち上がるが、それはユーノの「気にしないで」という言葉によって遮られた。

 

「お疲れ様、ユーノ君。メンテの方はうまくいきそう?」

 

 トートバックから人の頭サイズの南瓜を取り出しながら、ようやく姿を見せたユーノにエイミィは声をかける。

 

「何とか、ですね。地球のコンピュータとミッドチルダの端末は似ていますけど全然違いますから。結構マッチングの問題でセキュリティに脆弱性がありましたから」

 

 その際に、この世界とミッドチルダの両方に部品を発注しいと言って彼はエイミィにその見積書を提出した。

 

「なるほど、インテリジェント・デバイスをサーバー間の処理に使うのか……面白い案だね。マリーと話をしてみるよ」

 

 エイミィはユーノが提示した【スカイネット】構想に対して興味を持った様子で了承のサインを記し、それをそのままアースラの主計主任へとメールを送信した。

 

「ユーノは端末をさわってたんだ」

 

 慣れない頭を使ったために急性知恵熱を発症し、「うにゃぁ~~」と情けない声を上げながら机に突っ伏すなのはを半ば放置気味にフェイトはそう言ってユーノに少し砂糖を多めに入れた珈琲を手渡した。

 

「うん、こっちの端末(パソコン)の知識を持ってるのが僕かなのはぐらいだからね。なのはは……こんなだし」

 

 ユーノは笑いながらなのはの小さな頭を撫で、そのとなりに座りつつ彼女がそれまで訳していた本を手に取った。

 

「あ、これ。アリシアの本だね。『魔法学概論』か、懐かしいな。僕もベルディナに勧められて読んだことがあるよ」

 

 あれは、魔法学校を卒業するあたりだったから7,8歳ぐらいだったなぁとユーノは少し遠くを見るように、些か使い古された書物をパラパラとめくり始める。

 

「ユーノ君もこんな難しいの読んだの?」

 

 ようやく熱も収まって来たなのはもフェイトから甘いオレンジジュース(エイミィ秘蔵)をもらい一息ついた。

 

「うん。『魔導師を志すなら、この程度は読んでおけ』って言われたから」

 

「私も、お姉ちゃんに勧められた」

 

 なのははフェイトもアリシアからこの本を薦められた事を知り、自分ももう少し頑張って読もうと心がけた。

 もっとも、フェイトの場合はまだ全部読み切れず自室の本棚に飾られている状態なのだが、やる気を見せるなのはの手前それは言い出せなかった。

 

「あ、そうだ。アリシアから必要機材の要求が来てたんでした」

 

 ユーノは先ほどエイミィに渡した見積書と同じファイルから今度は別の要件の書類を取り出した。

 

「アリシアちゃんから? ふーん。艦長に直接持って行けばいいのに」

 

 アリシアはリンディ提督付きの民間協力者なのだから、わざわざユーノやエイミィを介せずとも要求を伝えることが出来るはずだ。

 しかし、事件によって連日多忙なリンディやクロノに対して遠慮したのか、逆に彼等に直接言っても要求が受理されるのに時間がかかると判断したのか。

 エイミィには判断が付かないことだったが、ひとまずアリシアからの要件の書類に目を通すこととした。

 

「えっと、検索用の簡易デバイスと速読用の簡易デバイス一式を5セット追加発注。低装カートリッジ7マガジン分……いっぱい使ってるなぁ。それと、煙草2カートンにワイン1ケースって。ダメでしょこれは」

 

(代わりにラベンダーの禁煙パイポと無糖の葡萄ジュースだね)

 

 まるで課題の添削のようにマルとペケを付けながらエイミィは呟きつつその案件をマリーへの要求書に転載し送信をチェックする。

 

 それにしても、アリシアのジョーク(本人にしてみれば至って真面目なのだろうが)にそれほど驚かなくなったとエイミィは気がついた。

 元々本人も冗談好きだったこともあり、馴染んでしまったかと思うが、何となくアリシアのあれに慣れてしまうのは自分でもどうかと思ってしまう。

 

「そう言えば、エイミィさん。今日はクロノ君とリンディさんは居ないんですね」

 

 なのははそう言って部屋を見回した。先ほどまで買い物に行っていたエイミィとフェイト。同じ屋根の下に居ながら話が出来なかったユーノと、それ以外の人物がリビングに出現しそうな様子は無い。

 

 通常であれば、本件の責任者と副責任者であるリンディとクロノのどちらかが即応体制を整えておくために仮設駐屯所に詰めて居るはずなのだが、今はその両者とも姿が見えない。

 

「それがねぇ。クロノ君と艦長は二人とも本局なんだよ」

 

 エイミィは少し困った素振りで肩をすませると、少し戯けた仕草でやれやれと口元に笑みを浮かべた。。

 

「何か特別な用事でもあったんですか?」

 

 ユーノの問いにエイミィは「鋭いねぇ」と答えた。

 

「機密に関することだから、あんまり大きな声では言えないんだけど。アースラにアルカンシェルを搭載することになっちゃって。そのために二人は本局の偉い人と話をしてるんだよ」

 

 アルカンシェルと聞いてユーノとフェイトは『うぇ』と声を漏らした。

 

「えーっと、アルカンシェルって、なに?」

 

 未だミッドチルダの固有名詞には慣れないなのはは、口をあんぐりと開ける二人に恐る恐る問いただした。

 

「次元反転消滅砲って言っても……分からないよね」

 

 エイミィの言葉に「うんうん」と肯くなのはに、彼女はどういえばいいのかと説明に困る。

 

「えーっと、その、なのはのスターライト・ブレイカーを何十万倍にもしたような武器、かな?」

 

 なのはの世界の何を例に取ればいいのか分からないフェイトは、とりあえず彼女に想像しやすい表現を選ぶが、なのはは自分のスターライト・ブレイカーがどれほど物騒な魔法なのか自覚がないため、いまいちぴんと来なかったようだ。

 

「なのはの世界のヒロシマって所があるよね? 昔そこに落とされた爆弾の……1000倍ぐらいかな……それぐらいの威力がある兵器だよ。もちろん、魔法技術で出来てるし、放射能とかそう言う毒性は無いんだけどね」

 

 最近自分は驚かされてばかりだとなのはは思う。しかし、自分が今首から提げているレイジングハートの魔導炉が持つ反陽子の総エネルギーがさらにそれの70倍を越えると言われれば、そう言うこともあるのかと思ってしまう。 もう自分はダメかもしれないとなのはは密かに心涙をこぼした。

 

「だけど、そうなると今はエイミィがクロノ達の代理?」

 

 指揮官と責任者が軒並み席を外している以上、この仮設駐屯所の式はそれに準ずるエイミィが執り行っているはずだとフェイトは思う。

 

 エイミィは正にそれこそが問題だと言わんばかりに溜息を吐き、

 

「そうなんだよねぇ。こんな時に敵が来たらって思うとお腹が痛いよ」

 

 アリシアが居ればおそらく、「貴様の胃液はアースラのバリアも融かすのか?」と言っていただろう。

 

 なのは達、三人もエイミィの様子から彼女がそれほど緊張しているようには感じられず、いつものようにおちゃらけて自分たちを安心させ用としているのだろうと判断した。

 

 エイミィ・リミエッタはリンディほどではないが、アースラの知能と呼ばれる人物だ。その彼女のポーカーフェイスぶりは見事なものだった。

 

 だからこそ彼女は思う。自分ではクロノを変えることが出来なかった。彼と付き合って既に数年。

 小さいくせに大人顔負けの理想を持って士官学校に入り、年上から見ても過酷としか言い様のない鍛錬を続けて、最年少と言われる年齢で執務官にまで上り詰めた。

 彼が、それまでに犠牲にしたものは一体どれほどのものになるのだろうか。

 

 彼は、歪んでいる。初めて彼と目を合わせたとき、エイミィが感じたことはそれだった。

 

 自分より小さいくせに、何か思いものを背負って生きている様子。その時は彼が背負っているものが、単に名門ハラオウンであることだけだとエイミィは勘違いしていた。

 

 だが、それは違った。彼は命を背負っている。ある日突然失ってしまった父親。それからまるで火が消えたようになってしまった母親。彼は幼いなりにそれを理解できるほど聡明だったのだ。

 

 せめて、自分が彼の荷物を肩代わりできればと彼女は思った。

 何とかして、自分という存在が彼にとっての宿り木になれればと思った。

 慣れない冗談や、ひんしゅくを買うようなジョークを何度も口にしてそのたびに彼を呆れさせて。それでも側で笑っていてくれればいいと彼女は思った。

 

 だが、最近の彼を見ていると使命を帯びつつも肩の力が抜けている用に思える。

 それは、エイミィが成そうとして今まで出来なかったことだ。

 

(クロノ君を変えたのは、私じゃないんだ。クロノ君を変えたのは……アリシアちゃんなんだ!!)

 

 アリシアと向き合う中で、彼女は何度それを羨み、そしてその感情を笑顔の裏に押し込めただろうか。

 

 だから、今こそ。クロノがいない今こそ、自分が本当の意味で彼を支えることが出来れば、自分はクロノにふさわしい女になれるのではないか。

 そんな感情がエイミィ・リミエッタの脳裏を渦巻く。

 

 一週間分の食材をすべて保冷庫へと押し込み終えたエイミィは「ふう」と溜息を吐き汗もにじんでいない額を拭いながら三人とお茶をしようとソファへ向かおうとする。

 

 しかし、何故こういうときに限ってトラブルが舞い込んでくるのか。

 

 突然に証明が切り替わりリビングに彼等の眼前に出現する『緊急』を示すアラートの表示。

 

 警告を示す赤い照灯にその場にいた者達は全員身を堅くして何かを探し求めるように視線を天井へと向ける。

 

『近距離次元世界にて対象の活動を検知』

 

 機械的なアナウンスに何処か現実を置き忘れてきたような表情のまま、なのは、フェイト、ユーノはエイミィの表情を伺った。

 

「……!! 非常事態宣言。総員即応体制解除! コンソールにて状況確認を!」

 

 エイミィのその宣言を受けて、赤の証明が紫に切り替わる。緊急の赤(クリムゾン)正常の青(グリーン)の中間。

 

 なのは、フェイト、ユーノはエイミィの力強い宣言に応答し、しっかりと頷き返した。

 

 彼等に先行してコンソールルームへと向かうエイミィはその表情をきつく結び、その内心では自らを必死に落ち着かせるように叱咤しながら状況の想定に理性のリソースを振り分ける。

 

(大丈夫、私ならやれる。私は……クロノ君の補佐官なんだから!!)

 

 今まで何度も失態を繰り返してきた。結界の解析が遅れたためにアリシアを負傷させた。敵勢力の走査妨害のためにその追尾を失した。主席管制官としてそれぐらいしか出来ないくせにそれをし損なってきた。

 

 誰も彼も何も追求しない。全員が全員自身の失態だと言って自分を責めない。

 

 それがどうしようもなく悔しくて、今度こそ失敗しないように心がける。

 あのときの状況を想定して、それ以上の状況を仮想して、誰にも内緒で何度も何度も何度もシミュレーションを繰り返した。

 

(今度こそ失敗しない! 今度こそ、捕まえてみせる!!)

 

 多くの意志が交差し合う。

 絶対に譲れないもの。絶対に守りたいもの。それが譲れないからこそ人は争い合うのか。

 

 何故なのか、どうしてなのかと思ってしまう。それは、今は亡きベルディナが300年間もの間思い続けてきたことだった。

 

******

 

 優しい彼女。気丈に振る舞う主。朗らかな笑みに乗せて紡がれる言葉はすべてが祝福であり福音であり黙示録のように彼女には感じられた。

 

 それは、自分たちという家族がいるからこそ彼女の身からあふれ出す喜びという感情なのだろうと思う。

 

 しかし、彼女に喜びを与える自分たちの存在そのものが彼女自身の命を枯渇させるものだと分かったときには、いっそのこと自害してしまいたい感情にとらわれた。

 

 それでも今、自分はここにあり続ける。

 そんな自分が望むべきは、主の平穏、主の無事、主の健康、主の幸せ、主の笑顔、主の日常、主の心、主の命、主の……、主の……。

 

 それ以外に自分の望むものはない。そのはずだった。

 

「どうした? ヴィータ。何か、浮かない様子だが?」

 

 野太い男の声。それでいて落ち着きを持ち、激昂した自分自身を時には苛立たせ、そして冷静にさせてくれる彼の声がヴィータの耳朶を打つ。

 

「っと、ザフィーラ。何かよう?」

 

 奥深い砂原。照りつける三つ子の太陽にさらされ、騎士甲冑に包まれているにも関わらず額にじんわりと浮かび上がる汗雫をさっと拭いながらヴィータは背後を振り向き、無表情にたたずむ大柄の男、ザフィーラに表を向けた。

 

「いや、なにやら動きが止まっていた様子だったのでな。何か問題があったのかと思ったのだが」

 

 ヴィータは少し強力な敵を蒐集した刹那の思案に浸っていたものかと思っていたが、それは思いの外長い間だったようだと気がついた。

 

 ヴィータは少し面白くなさげに鼻を鳴らしながら手持ちの大槌、グラーフ・アイゼンを一振りしてそれにこびりついた血色の汚れを振り払うとそれを一時的に首飾りの形へと戻した。

 

「余韻に浸ってただけだよ。問題ない」

 

 ヴィータの相変わらずのぶっきらぼうないいざまにザフィーラは少し安心を覚えた。

 

「そうか、ならばいい。シャマルより次のターゲットの指定だ。いけるか?」

 

 シャマルまで出張ってきているのかとヴィータは思いながら、ザフィーラに対して了承の意志を示す。

 

 八神はやてが倒れた。

 

 ヴィータはそれを思いやり拳をギュッと握りしめた。

 

 それは、先日と言うには少し前のことになる。

 彼女たちが時空管理局の警戒網に捕まり、強装結界の内部に閉じこめられた数日後、八神はやて――彼女たちが主として添い慕う少女――はある日突然、夕食の準備の最中に倒れた。

 

 心臓を押さえて苦しそうに笑う彼女の表情は絶対に忘れられない。それはすべて自分たちの不手際によって生じたことだった。

 

 せめて、後20頁あればとヴィータは思う。

 

 あのとき、白い少女、イージスと称した少年、黒金の少女、橙の狼と出会ったとき、当初の目的の通りその中で最高位の魔力を持つ彼女を蒐集できていたら、この事態は避けることが出来たはずなのだ。

 

「ヴィータ、もしも負傷したのなら……」

 

 いったん帰投してもいいのだぞと言いかけたザフィーラをヴィータはグラーフ・アイゼンを起動してそれを制した。

 

「はやてのためだから、あたしはいくらでも行けるよ。それで、次は?」

 

 焦っている。その自覚はヴォルケンリッターの全員が持ち合わせている感情だった。

 入院した主、八神はやてが家にいないために今となってはヴォルケンリッター全員がこうして日中でも外に出ることが出来る。

 故に蒐集の効率が上がっていると思いたいが、それでも管理局の監視下において活動するについては制限が多すぎるのも事実だ。

 

 無理は承知。無理に無茶を重ねて至った今でも主の病状は思わしくない。

 

 軽く様子を伺っただけで不調を察する事の出来るヴィータを止められないほどにザフィーラも現状を焦っていたのだ。

 

「そうか……、シグナムのいる世界にとりわけリンカーコアの強い生物がいるようだ。サンドワームといったか。それを蒐集してくるとのことだ」

 

 サンドワーム。その名を聞いてヴィータはにわかに背筋を奮い立たせた。

 

 砂原を縄張りとする胴長の砂中生物。その大きさはまるで砂漠の中を進む要塞のごとくと言い伝えられている。

 

 砂の中の王。それによって壊滅した集落は後を絶たず、時には鉄壁を誇る都でさえ僅か数体の群れを成すそれらに滅ぼされた記録さえある。

 

 それらが数を成して生息する世界。

 

 嫌が負うにも奮い立たされざるを得ない。

 

「うちの参謀も容赦がないね。了解したよザフィーラ。座標をお願い」

 

 ザフィーラは「うむ」と肯きながら彼等の参謀、シャマルより預かったカートリッジの半ダースほどをヴィータへと譲渡し転送のための座標を彼女に告げた。

 

「じゃあ、行ってくるよ」

 

 転送の光に包まれながらヴィータは「ふう」と息を吐きながら呟いた。

 

「抜かるなよ。油断をしていい相手ではない」

 

 後を追うといってザフィーラも指の骨を鳴らしながら次第に輪郭を曖昧にしていくヴィータにエールを送った。

 

「心配性だね、ザフィーラは。じゃあ、後で」

 

 そう言ってヴィータは転送時固有の意識が引っ張られる感触に逆らわず目を閉じてそれに感覚をゆだねた。

 

(もし、イージスが今のあたしを見たら……やっぱり止めてくれるよね……会いたいよ……イージス……)

 

 ヴィータの脳裏に浮かぶ翡翠色の彼の姿。蒐集をするたびに、主のためと誓い、罪もない原生生物を狩るたびにその脳裏に浮かぶ彼の姿。

 

 会えるのではないか、今度こそ決着を付けられるのではないか。

 期待する自分を自覚するたびに彼女は自己嫌悪に陥る。

 

 自分は主のためだけにあるはずだ。それ以外のものなど単なる障害、ノイズとして処理するべきだと彼女の理性は告げる。

 しかし、自分では制御しきれない感情の部分がいつも告げている。あいつと決着を付けろ、あいつを求めて戦え、あいつを手に入れろ。

 

 ヴィータは、自身が振り回される不快であり何処か心地よく感じられるその感情に名前を付けることが出来ないでいた。

 

***

 

 モニターに映ったもの。それを確認して、四つの感情はまったく異なる結果をはじき出した。

 

『こちら近傍観測指定世界警備隊スケアクロウ。現在当エリアにて違法次元転移者を確認』

 

 現地守備隊より送られた音声メールを聞いたとき、エイミィは早鐘を奏でる心音を押さえられず、しかし、それを持ち前のポーカーフェイスで隠しながら指揮官代理の任務を全うする事を心がけた。

 

「こちら第97管理外世界、仮設駐屯所ブランチ・アースラ。それは当方の案件において重要と確認される目標と断定した」

 

 警備隊員、おそらくその隊長なのだろう、彼の姿が映し出されるとなりに先方が違法次元転移者という対象の姿が映し出された。

 

 巨大な芋虫のような、足のないムカデのような、節を持つミミズのような生物。そして、それに相対する紫色の魔力光をたなびかせる麗しい女剣士。

 

 間違いないとエイミィは判断を下した。

 

『了解、ブランチ・アースラ。当方はこのまま監視を継続する。直ちに対応されたし。チーム・スケアクロウ、以上』

 

 辺境に位置する第97管理外世界近傍の観測指定世界はかつて巨大な技術を持っていた世界でもなければ、重要な鉱物資源が発見される世界でもない。

 国土には砂漠が一面に広がるだけであり、現住生物も種類は少ない。

 その中で彼等が監視、管理をしているものが先ほどモニターに出されたサンドワームだ。

 次元世界において殆ど死滅してしまったとされる彼等がここでは彼等の楽園を築いている。それを監視し、管理することが先ほどの警備隊の役割なのだ。

 故に、次元犯罪者に対する対策部隊を持たず、その保有戦力も戦力と言えないほどに低く設定されている。

 

「協力を感謝します。ブランチ・アースラは直ちに作戦行動へ移行。こちらの魔導師を転送します。以上」

 

 故に、こういった場合では彼等は周辺付近に展開する管理局の戦闘部隊に応援を要請することが通例となっている。

 故に、こうしてクロノ達アースラチームはそう言う世界と連携して目標を探索し続けてきた。

 そして、その網にようやく彼等が捕らえられたのだ。

 

 モニターの向こうに移る剣士。フェイトはその姿をしっかりと目に焼き付け、腕に抱く子犬のアルフと頷きあった。

 

「エイミィ、私が出るよ。シグナムとは、決着を付けないといけないから」

 

 エイミィはフェイトからの提案を受け、アースラが現在レンタルしている武装隊の展開状況からそれしか他に手段はないと判断した。

 

「アタシも行くよエイミィ。どうやら、アタシの方にもちょっと因縁がありそうだ」

 

 あの近くには自分の同類がいる。アルフは動物的な直感で自分も決着を預けている蒼の狼の存在を嗅ぎつけた。

 

「……分かったよ二人とも。フェイとちゃんとアルフの即応体制を解除。戦闘態勢への移行を許可します」

 

 エイミィの許可が下りた。アルフは「よっし」と吼え、フェイトの胸元から床へと降り立ち、子犬の姿から成熟した大人の姿へと自身を取り戻した。

 

「じゃあ、私たちも……」

 

 デバイスを起動させ、バリアジャケットを顕現させるフェイトになのはもレイジングハートを握りながら続こうとした。

 

「なのはちゃんとユーノ君は引き続き即応体制を維持。行って、フェイとちゃん、アルフ」

 

 しかし、その出鼻を挫くようにエイミィはなのはの出撃を許可しなかった。

 転送ポートへと走り去るフェイトの背中をただ見送りながらなのはは抗議の意識をエイミィへと向ける。

 

「エイミィさん、どうして!?」

 

 今にもレイジングハートを起動させて詰め寄りそうななのはにエイミィは心音を落ち着ける。

 

「敵はあの人だけじゃないのよ。もしも、フェイとちゃんとなのはちゃんの二人とも出てしまったら、他の対応はどうなるの?」

 

 なのはは「あっ」と声を吐き、自身の浅慮を思い知った。しかし、それでもだ。

 フェイトが戦っていながら自分だけがこうして見ているだけなど我慢が出来ることではない。

 

 もしも、フェイトが戦う相手、シグナム以外の目標がこちらの捜査網に引っ掛からなければ、引っ掛かったとしても対応する前に逃亡してしまったら。

 

 一体、何のために自分がいるのか分からなくなる。

 役立たずで守られるばっかりの自分ではいやなのだ。自分には魔法という力がある。自分にも取り柄が出来た。誇らしく語ることが出来る力を得たのだ。

 

 心の内で焦りながら、なのははシグナムとエンゲージを果たしたフェイトをモニター越しに見守る。

 フェイトはどういう訳かサンドワームの束縛からシグナムを開放してしまい、エイミィから「助けるのではなく捕獲するのが目的なんだから。しっかりして」とのおしかりを受けていた。

 

「なのははそんなに戦いたい?」

 

 なのはのとなりに立つユーノは、まるで何かに取り憑かれたかのようにモニターを睨み付けるなのはに、そっと言葉を贈った。

 

 アリシアと同じ事、同じようなことをユーノからさえも言われた。

 なのはの感情がどこかで決壊した。

 

「何で、ユーノ君までそんなこと言うの……」

 

 まるで呪詛のように紡ぎ出された言葉に、一瞬ユーノは圧倒される。

 

「なのは?」

 

 それはユーノにとって青天の霹靂のようなものだ。ちょっとした皮肉。アリシアが緊張する自分に対して良く皮肉を言って気分を和らげてくれた経験を実行しただけに過ぎない。

 しかし、今のなのはにとってその言葉は激発のトリガーワードだった。

 

「私は、戦いたい訳じゃないのに……ただ、みんなの役に立ちたいだけなのに……助けたいだけなのに……。何で? なんで、アリシアちゃんもユーノ君もそんな事言うの!? 私が、そんなに戦うことが好きに見えるの?」

 

 瞳に涙を浮かべながらユーノに詰め寄る。

 両手を握りしめ、今にもつかみかからんほどの勢いにユーノは一歩後ずさり、彼はただ彼女の変容に目を丸くするしか他がなかった。

 

「なのは、落ち着いて……お願いだから……」

 

 弱々しく掲げられるユーノの両掌をふりほどくようになのはは首を振る。

 

 その様子を背中に感じながらも、エイミィは何か一言伝えたい衝動に駆られるが刻一刻と変化する状況に意識を取られ、終ぞそれに仲裁の手をさしのべることが出来なかった。

 

 この二人が最悪の状況に陥るはずがない、エイミィはどこかでそんな楽観を持っていたのかも知れない。

 

 そして、観測隊が提供する状況モニターにさらなる目標の姿が映し出されたとき、二人のたどる道筋に確固たる行く末が示されてしまった。

 

『状況地至近にて新たな騎影一確認。間違いなく目標朱です!』

 

 目標朱。その言葉を聞いてなのははその視線をユーノからそれが映し出されたモニターへと投射される。

 

「……ヴィータちゃんだ……」

 

 紅いドレスに巨槌を携える幼い剛騎士。なのはは一瞬たりとも逡巡を巡らせることなくレイジングハートをつかみ、エイミィへと言葉を投げはなった。

 

「エイミィさん、私を出してください!」

 

 エイミィは一瞬だけ悩んでしまった。現状、なのはを出さないことには目標を補足することは出来ないことは確定事項だ。フェイトとアルフだけで先の目標の対処を任せたのも、こういった事態を想定してのことのはずだ。

 ならば、その事態が引き起こされてしまった今となっては、なのはをここに置いておく事に何の意味があり、それを納得させる道理があるのか。

 

「分かった、行って、なのはちゃん」

 

 今、なのはを出撃させるのはまずいと思う。しかし、エイミィはそれを押さえつけるだけの建前と余裕を持ち合わせていなかった。

 

「じゃあ、僕も一緒に……」

 

 そして、エイミィにとってもユーノにとってもあの手合いに対して二人で対処することは確認するまでもないことだった。

 

「ユーノ君は……いいよ、ここで待機していて……。私一人でも大丈夫だから……」

 

 しかし、なのはの言葉はそれを超越する。ユーノが味わったもの、かつてヴィータに食らわせられたあらゆる攻撃を凌駕する衝撃に違いない。

 

「なのは、何を言って……」

 

「敵は……まだいるかも知れないんだよ? もう一人、あのときアリシアちゃんを蒐集した人が残ってる……今はクロノ君がいないんだから、ユーノ君が対応するべきだよ」

 

 なのははユーノに背を向け、胸の奥からわき上がる不快感に奥歯を噛みしめ、呪詛のように言葉を紡いだ。

 

「………」

 

 なのはの言うことは、正論に違いなかった。シグナムにはフェイトが、ザフィーラにはアルフが対応している。故に、ヴィータに対してなのはが、シャマルに対してはユーノが対応するという図式には何ら不自然な点は存在しない。

 実際、エイミィもそれを聞かされては頷くしかなく、結局その空白はなのはの行動を抑制するタイミングを逃した。

 

「それじゃあ、行ってきます……」

 

 何も答えないユーノに最後まで顔を合わせることなく、なのはは俯きレイジングハートを握る手を振るわせながらトランスポーターへとかけだした。

 

******

 

 バサリという音をエイミィは背中越しに聞いた。

 

 そして、その気持ちは痛いほどに理解できた。

 

 必要とされたいのに必要とされなかった。助けたい人にいらないと言われた。もしも、自分も彼にその言葉を投げられたら、おそらく自分では立ち上がることは出来ないだろうと思う。

 

「なのは……どうして……僕たちはいつだって一緒に……」

 

 一緒にいたいと思った。そばで守りたいと思った。いつまでもパートナーとして彼女を支えたいとそう思っていた。

 しかし、それは所詮は自分だけだったのだろうか。彼女はあのとき確かに言ってくれた『背中が温かい』と。

 

 自分は所詮ここにいられる人間ではなかったのだろうか。そばで戦うなんて身に余るような行為だったのだろうか。

 

「ユーノ君は、それでいいの?」

 

 レンタル武装隊への指示と現地観測隊への要請の合間にただ一言エイミィはそうつぶやいた。

 

「―――!!」

 

 そして、その声は確かにユーノの元に届いた。

 

***

 

 意識を引きずられるような感触。光の収束とともに閉じたその感触になのはは面を上げ、いつの間にか滲んでいた涙を打ち払い、眼前に立ちふさがる紅い少女にきつい視線を浴びせかけた。

 

「……イージスは、いないのか……」

 

 紅い少女が浮かべる表情、つぶやいた言葉、そのすべてがなのはには不快に感じられた。

 

「ここにいるのは、私だよ……ヴィータちゃん。だから、ユーノ君じゃなくて、私を見てよ……」

 

 なのははそう呟き、レイジングハート・エクセリオンを起動させた。そして、ヴィータは起動したなのはのデバイスが、従来の丸みを帯びた形状ではないことに眉をひそめる。

 

「武器を変えた……訳じゃなさそうだな」

 

 ストライク・モード。長槍の形状にも見えるその姿に、ヴィータは彼女が遠距離から近距離にレンジをシフトさせたのかと思い立つ。それはある意味では間違いであり、本来的にはなのはの戦闘範囲に近距離という選択肢が加わっただけのことだ。しかし、見た目の印象からくる無意識の誘導は強く、ヴィータもある意味でミスリードを余儀なくされてしまう。

 

 それまでのなのはであれば、極力距離を離さず積極的に接近戦を挑めば、魔法弾頭や砲撃を封じることが出来た。しかし、今のなのはの武器からは近接戦闘も油断が出来ないと思うしかない。それがヴィータに常に一定距離を離して戦うべきだという思考を生み出す程度にはアリシアの狙いは当たっているようだった。

 

「投降して、ヴィータちゃん。自首すれば罪を軽くできる、私も一生懸命弁護するから。リンディさんもクロノ君も、絶対にヴィータちゃん達の不利にならないようにしてくれるはずだから。お願い……」

 

 戦闘を行う前に必ず投降を呼びかけろとクロノは前線へ出るメンバーに厳命している。なのははそれに従い、必死に自分の言葉で自分の思いを重ねてヴィータに語りかける。

 

「あのさ、ベルカの古い諺……だったかな? それにこういうのがあるんだよ。『和平の使者は槍を持たない』。そうやって話し合いをしたいんだったら最初から武器なんて持ち込むんじゃねぇ」

 

 正確にはそれは諺ではなく、小話のオチなのだが、なのはもヴィータがいいたいことを理解することは出来た。

 

「だったら、何で……武器を持ってないユーノ君の話も聞いてくれなかったの?」

 

「……イージスは関係ねぇ……」

 

 ヴィータは何度も相対して、ことあるごとに自分に語りかけてくる少年の名を耳にし、痛む心臓をギュッと押さえつけた。

 

「関係、あるよ。ユーノ君はずっとヴィータちゃんと話をしたがってた。言葉で理解し合えればきっと助け合える。それは、私も同じ。ヴィータちゃんの助けになりたい!」

 

 助けを求める人がいて、それを助けられる力があるなら迷ってはいけない。ああそうだ、それが私の源流ではないかとなのははようやく思い出した。

 なぜ、忘れていたのか。そうして自分はユーノを助けようと思ったのではなかったか。だからこそ、自分は何が何でもフェイトを助けようと思ったのではないか。

 

「あたし達は、助けなんていらない!」

 

「だったら何で、ユーノ君がいないって悲しい顔をしたの? ヴィータちゃんはユーノ君に助けてほしかったんじゃないの? ねぇ、答えて、ヴィータちゃん」

 

「妄言も……いい加減にしやがれ! 白い奴!!」

 

 ヴィータは激高した。戦闘中はいかなる場合においても冷静でいられるはずが、今はその冷静という言葉さえも忘れた。

 回路を焼き切らんばかりに加熱する感情思索プログラムが冷徹さを維持するはずの戦術思考プログラムを凌駕してしまう。

 彼女はグラーフ・アイゼンを振りかざし、カートリッジを連続でロードさせる。

 

「私の名前は、高町なのはだよ。ヴィータちゃん」

 

「うるさい、いちいちあたしの名前を呼ぶな! あたしはテメェが気にいらねぇ。いつもいつも分かったふうな顔で見下しやがって!」

 

 羨ましかった。彼女はいつでも彼の隣に立って、時には前を時には後ろを支えてもらえる。まるでそれが当たり前のように手にしていて、そして今はただ一人。彼女はそれを手放してしまったのかと思えばそれさえも気に入らない。自分は、何をどうしようとも絶対に手に入れられないものなのだから。

 

「そんなつもりはないよ!」

 

 なのはは怒りに全身を朱く燃やすヴィータに槍を向けた。

 

《ストライク・フレーム展開。アビオニクス起動、航空情報支援開始、視覚情報モニター異常なし。アクティブレーダー正常。イルミネーター二基順調。魔導炉規定値をマーク。全システム、オール・グリーン》

 

 二股の平行な先端の間から展開された光の刃、ストライク・フレームの輝きが天に浮かぶ双子の太陽を閃き返し美しい光沢を放った。

 そして、なのはの視界に映り込むアビオニクスによる情報支援。敵との相対距離、自身の速度と相手との相対速度、対象へと誘導する赤色の矢印。アクティブレーダーが映し出す周囲の状況の簡略図。イルミネーターを向ければ視界の中央にたたずむヴィータの映像を包み込む円形の中心に十字の光点がまとわりつく。

 レイジングハートはその魔力反応を正確に学習し、イルミネーターの半自動追尾をそれにロックさせる。

 

 この視界に投影する情報支援システムは非常に優秀であることは、すでにフェイトやクロノとの訓練で把握している。アクティブレーダーが習得した情報を元に本来視界では映らないはずの場所でさえその視界に投影する。

 この遮蔽物のない開かれた上空では果たしてそれがどこまで事を有利に運ぶのか。

 

(初めての実戦だよ、アリシアちゃん)

 

 アリシアによってもたらされた新システム。そして、彼女にみっちりとたたき込まれた接近戦での対処方法。大丈夫、練習通りにやれば絶対にうまくいく。なのははそう自分に言い聞かせヴィータとの戦闘に移行した。

 

 

 

 

 

 

************

 

 

 たった一人の戦場。孤独にまみれた闘争。何者も携えず、自らのみを持って戦うその様を彼女はただ美しいと感じる。

 無限書庫の闇の中に浮かぶアリシアは薄いほほえみを浮かべた。

 

「ああ……やっぱり君はそれを選ぶんだね……」

 

 桃色と朱の魔力光が軌跡を描くその戦場を、彼女は酷く楽しげに眺めるばかりだった。

 

「ねぇ、なのは……やっぱりあなたには戦場が似合うよ。今の私では描けない戦場を君は彩ってくれる。あなたの力は叶える力。絶対的な力を持ってすべてを打ち砕き、傅(かしず)かせ、その望みを叶える力なんだ。あなたの先にはいったい何が待つんだろうね? 私は……そのすべてをみたいと思う。あなたがたどるべき戦乱と闘争、そして、あなたが望む平穏が崩されることを私は夢に見たいと思う。なのは、あなたは私の理想なんだと思う。あなたは、その永遠を戦うことに費やされる人間なんだと思う。あなたはきっと否定するだろうね。あなたもまた、私と同じ平穏を望んで愛する人なんだろうと思うよ。だけどあなたの力はそれのことごとくを否定するんだろうと思う。昔の私のようにさ……。だからこそ、あなたがどうしてそれを打ち払い、本当の意味の平穏を得ることが出来るのか、私は見てみたいんだ……」

 

 アリシアは瞑目し胸前に拳を当ててただ一言、「ルーヴィス」と呟いた。

 

 

 

************

 

 

 

【君はどうしてここにいる。こうして守りたいと思った彼女を見守るためだけに君はここにいるのかな】。

 

(違う)

 

【だったらどうして、君はここでただ立ち止まってそれを見上げるしかしないの?】

 

(なのはが必要ないって言ったんだ)

 

【だから君はそうして彼女の思いを尊重するだけで自ら何も行動をしようとしないのか】。

 

(だったら、どうすれば良いんだ。あのとき僕はなのはを立ち直らせてあげられなかった。それどこか、今の今までなのはが何を悩んでいたのか理解さえ出来なかった。僕はなのはを傷つけたんだ)

 

【しかし、彼女が戦いを求めたことは事実だ。見てごらんよ、彼女の表情を。とても充実しているように見えないかい?】

 

(それを導いてしまったのは僕だ。僕がなのはに戦う力を与えてしまったから、なのはは戦わざるを得なくなってしまったんだ)

 

【君はそうやって瞑目して自傷行為にふければそれで良いんだろうけど、結局君は自分が何も出来ないことを彼女のせいにしているだけじゃないかな?】

 

(違う!)

 

【聖王陛下の宣わく、『誇りを持って戦え』。君の誇りはなんだろう? 君はそもそもなぜここにとどまろうと思ったのかな? スクライアであることをやめてまで君がしたかったことはなに? ただの惰性?】

 

(僕は……僕は……)

 

 

 

************

 

 

 

「ユーノ君は、それでいいの?」

 

 耳に届いたその言葉に、ユーノはようやく面を上げた。

 忙しく動かされる手元、めまぐるしく移り変わる戦況を前にして指示を下す彼女の背中。

 閃光に包まれたモニター向こうの情景が彼の目に映し出され、そこにあるのは決して有利とは言えない二人の少女が、それでも賢明に杖を振り自らに襲いかかる暴力を打ち払う姿だった。

 

『お前はただここで見ているだけで良いのか?』

 

 コンソールに座り、何も伝えないエイミィの背中が確かにそう自分に言葉を発しているとユーノは理解した。

 

 なぜ、自分はここにいるのか。ユーノはもう一度それを思索する。

 

 そして、膝をついてしまっていた足を賢明に持ち上げ、少しだけふらつく感覚を鼓舞しそして心に決めた。

 

「エイミィさん。僕を、なのはの所へ。お願いします」

 

 ユーノはもう一度モニターの向こうで戦う二人の少女、かつて自分をパートナーと呼んでくれたなのは、そして、自分をイージスと呼び『また会おう』と言葉を投げかけてくれた少女ヴィータをしっかりと目に映した。

 

(僕は、こんな二人を見たかったんじゃない)

 

 鉄槌と槍。その手に持つ武器を重ね合わせ、火花を飛び散らせながら戦う二人の少女。ある意味、自分が導いてしまったその二者の対立にユーノは拳を握りしめた。

 もう、話し合いの時期を過ぎているのかも知れない。自分たちと彼女たちは決して相容れない存在なのかも知れない。自分の言葉はもう誰にも届かないかも知れない。

 それを思うと足が震える。

 

(それでも、僕はここにいるって決めたんだ)

 

 ガタガタとふるえる腕を押さえつけ、ユーノはエイミィの答えを待った。これは、自分のわがままだ。なのはの言葉通り、自分はさらなる増援を警戒して即応体制を保っておくべきなのかも知れない。なのはとヴィータ、あの二人は見た目互角の戦いをしているように思える。それに自分が介入することは、戦力の偏りと見なされるかも知れない。

 

「分かった、行って、ユーノ君」

 

 レンタル武装隊も出払い、クロノもリンディも本局にいる。戦力の要であるなのはとフェイト、アルフも出撃してしまっている。ここでユーノさえも行かせるということは、この仮設駐屯所の警備を甘くするということだ。仮にユーノが出て行った後、予想される第三勢力によってこの駐屯所が強襲されればなすすべもなくブランチ・アースラは崩壊するだろう。

 それでも、そのリスクを覚悟してまでエイミィはユーノを行かせることを決意した。

 

「ありがとうございます! エイミィさん」

 

 ユーノは勢いよくそう答え、身体の震えを押さえつけるようにコンソールルームを走り去った。

 

「がんばれ、男の子。あたしのぶんも戦ってきてね……」

 

 その言葉はユーノには届くはずがなかった。エイミィは遠くなっていく少年の駆ける音を耳に残しながら、後先を考えずに飛び出せる彼を羨ましく思った。

 

「さってと、エイミィ姉さんは後ろでみんなを支えますかね!」

 

 エイミィはじんわりとわき上がってくるザラッとした感情を打ち払うように両掌で自身の頬を叩き、改めてコンソールと向き合った。

 

 そして、コンソールルームに大規模な警告音とともに照明が敵襲を告げる赤に移り変わった。

 

「うっそ!? 敵襲? どこから!?」

 

 エイミィはその警報に驚き、一瞬我を忘れながらもその手はいかなる奇襲を受けたのかを確認するべく動き回った。

 

 そして、モニター上に示された【Emergency:cord 0004】にエイミィはさらなる驚愕を覚えた。座標0,0,0に対して状況4の襲撃が確認される。座標0,0,0とはまさに仮設駐屯所への直接攻撃、そして状況4が示すものとは、

 

「情報攻撃。まずい、サーバーがクラッキング受けてる!」

 

 それを把握したエイミィはすぐさま電算室の情報端末を呼び出し、外部接続されている全ポートの入出力をモニターに映した。

 そして、敵が侵入している地点を確認しエイミィは舌を打った。それは、先ほどユーノのメンテナンスによって見つかった、地球製の端末とミッド製の端末の双方回線に出現したセキュリティーホールを利用したサイバーアタックだったのだ。

 

(まだ、解決してないのに!)

 

 徐々にノイズが混じり始める戦場を映し出すモニターにエイミィは焦りを覚えるが、今はそれよりも駐屯所のコントロールをなんとしてでも死守することが先決だと判断し、駐屯所のネットワークより独立させてある緊急用の端末を起動させた。

 

 

 

************

 

 

 

 転送光が晴れ渡り、頭上に広がる青空と眼下にたたずむ荒野がユーノの視界に出現した。自分の周囲に何があるのか、すぐさまエリアサーチを飛ばしユーノは状況の収拾を始める。

 

 座標がずいぶんずれているとユーノは理解した。仮設駐屯所の転送装置に入力された位置座標は確かになのは達が戦っている近傍の空間となっていたはずだ。

 しかし、実際に自分が吐き出された座標は、彼女たちが戦っている場所から離れること十数キロメートルの彼方。範囲を拡大したエリアサーチによって彼女たちが戦う場所と方位を知ることが出来た。

 

 このまま個人転送で向かうことは出来る、しかし、駐屯所からの転送の座標がずれてしまった原因が分からない以上、不用意な転送を行うにはリスクが高すぎる。

 

(間に合って!)

 

 ユーノは祈りを捧げるように自ら飛行魔術を展開し、直接その場所へ赴くことを決断した。

 

 足下に展開された魔法陣が円環を描き身体にまとわりつき、そして次の瞬間には翠の魔力光をなびかせた飛翔痕を吹かせ、ユーノはフェイトやなのはのそれにはかなわない速度で飛翔を開始した。

 

 なのは達の姿はまだ視界の中には現れない。どうやらこの世界は比較的小さな惑星の上に成り立っているらしく、わずか十数キロメートルとはいえそこはまだ地平線の向こう側であるようだ。

 

 しかし、彼女たちが奏でる戦場より漂ってくる大規模な魔力の波動をユーノは肌で感じることが出来た。

 

 広い空間を満たす魔法弾頭、それを縫って発射される砲撃の残滓。時折出現するピーキーなエネルギーの反応は、ヴィータがカートリッジを激発させたものだと推測できる。

 

 なのはの使う【Flash Move】やフェイトの【Blitz Action】のように瞬間的に加速力を増すような魔法をユーノは使えない。たとえそれらが永続的に加速度を提供する類の魔法でないにせよ、断続的にそれらを行使すればトータルとしての飛行速度は圧倒的に増加する。

 そして、ユーノの纏うものは防御力を重視するあまりかなりの重装備となってしまっているため、加速減速にどうしても時間がかかってしまい、旋回速度や最小旋回半径もなのはやフェイト、クロノ比べても酷く無駄が多いとしか言えない。

 

 ユーノはそれでももてる魔力の全出力を飛ぶことに費やし、自らの出せる限界推力に額から汗を滲ませる。

 

 一匙でも早く、一刻も早く。本来なら風防として運用される防御障壁さえも構成を甘くし、その脆弱な風防の隙間から流れ込む鋭い風の刃にユーノは瞼を開けていることさえ辛くなってくる。

 

 地球のジェット戦闘機に比べれば圧倒的に遅く、地上を走破するレーシングビークルよりもなお遅い。

 

 水平線の向こう側から、光にまみれた空間が顔を見せた。

 米粒よりもなお小さく見えるそれは、ユーノにははっきりとそれが自分が求める彼女たちの姿だと言うことが分かる。

 桜色と朱色の魔力光が時折ぶつかり合い、圧倒的な光の波動と魔力の波動を周囲にまき散らしている。

 

 本来悲しいはずのその情景に、ユーノは一瞬心を奪われた。なんて綺麗なんだと思ってしまう。それはまるで儚く、一瞬で夜空を彩り消えていく夏空の花火のように感じられる。

 

 そして、美しくも儚く消えていく大火の輪花のように彼女たちの命もまた、儚く空に消えていってしまうのか。

 

(それだけは、だめだ!)

 

 ユーノは打ち払い、その念を消した。

 

(守りたいんだ)

 

 徐々に大きくなっていく彼女たちの姿。

 

(一緒に居たいんだ)

 

 朱の光が突然に停止した。その片方の手にまとわりつく桜色の円環。空中に貼り付ける捕縛魔法【Restrict Lock】。

 

(離れたく……ないんだ!)

 

 荒く息を吐きながら肩を振るわせ、なのははレイジングハートを油断なく捕縛しかけたヴィータへと向ける。そこから発射されるであろう【神聖なる鉄槌(Divine Buster)】。しかし、彼女はそれに集中するあまり、自らに近づくもう一つの影に気がつけない。

 

(僕は……)

 

 ユーノはそれをはっきりと視界に取り込んだ。

 

(僕は……!)

 

 わずかにドレスの裾を焦がすなのはの背後、認識阻害の魔法を纏っているのだろう、あまりにも存在感の薄いその長身の影。ユーノは心に念じた。

 飛んでいては間に合わない。ユーノはリスクの高いと判断した転送魔法の術式を呼び出しそれを加速させる。

 

 他人ならいざ知らず、結界、補助の魔法に一家言を持つ自分が、目に映るその場所に転移する事をし損じるものかとユーノは咆えた。

 

「なのはぁぁ!!」

 

 未だに遙か遠くに感じる彼の猛り。耳障りな風の音に乱され届くはずのない叫び。なのはは確かにそれを耳にした。

 

「えっ?」

 

 突然背後に出現した小さな陰り。自分を包み込むようにたたずみ動かない黒い影。抵抗を止め、片腕を完全に空中に貼り付けられるヴィータの表情。それが自分ではなく、その背後に向けられ驚愕に染まる様子をなのはははっきりと知ることが出来た。

 

 冷たい風が一陣舞い上がる。遙か彼方、青々と広がる海より発生した湿気混じりの冷たい風が頬をさっとなでていく。

 静寂が耳にうるさい。心の空白によって発動をキャンセルされた砲撃を忘れ、壊れたおもちゃの人形のような散漫な動きでなのはは背後へと目を向けた。

 

「………、………、……ゆうの……くん……?」

 

 翡翠の彼の双眸が彼女を映し出す。微笑む彼。なびく外套。消えていく翠の魔力の残滓。冷たい背中が温められる感触。自分が守られていると感じるその瞬間。

 そしてそれは、彼の胸を貫きのばされる彼のものではない何かの腕によって完膚無きまでにたたき壊された。

 

「僕はただ、君のそばに居たかったんだ……」

 

 その呟きが世界を動かした。背中を貫き胸を通り過ぎて伸ばされる掌の先に灯る翠の破片。

 

「君がいらないって言っても、ここにいる理由も誇りも何もなくても、僕は君が行くところに行きたい、君がたどり着きたいと思うところにたどり着きたい」

 

 そっとつかみ取られる翠のリンカーコア。

 

「君がいるから、君が居たから、僕は一人じゃないって思えるんだ。君が居るから心が温かくなるんだ。だから、僕は一生手放したくなかったんだ……」

 

 包み込まれるようにのばされた彼の腕が次第に力を失い、掌握されたリンカーコアはその腕とともに引き抜かれた。

 

「ごめんね、なのは。僕は、君から離れられない。君が居ないと僕はだめなんだ……だから、お願いそばにいさせて……君を守らせて……」

 

 拘束を失ったユーノの体躯が押し出されるようになのはへと向かって倒れてくる。

 

「……さよなら……なのは……」

 

 ユーノ・スクライアはハイライトの失った瞳のままに高町なのはを抱きしめるように意識を失った。

 

「やだ、やだよユーノ君……ねぇ、目を開けてよ。目を、開けて……嫌だ、こんなの嫌、起きて、起きてよユーノ君。ねぇ、こんなの嫌だぁ!!」

 

 静寂は少女の慟哭に満たされ、腕の拘束をようやく解除したヴィータは生気を失った少年と彼に抱きしめられたなのはを見つめることしかできなかった。

 

「さあ、奪え」

 

 ヴィータはその言葉に目を見開き歯を食いしばった。

 

「テメェ……よくもイージスを!」

 

 もう感情がグチャグチャだった。本当なら自分を助けたはずのその仮面をかぶった男に対して憎しみしかわき上がらない。

 本当なら、抜き取られたリンカーコアを早急に蒐集して撤退しなければならないはずが、ヴィータの脳裏にはユーノを奪ったこの男に対する攻撃意志しかわき起こらない。

 

 感情を見失っている。ヴィータの中で唯一冷静な部分がそう警告を発するが、今の彼女はその感情にまかせて暴れることが最良の選択としか判断できない。

 

「見失うな。お前の主を死なせたいのか?」

 

 仮面の男の表情を読むことは出来ない。その口からもたらされる言葉はあまりにも冷たく、そしてあまりにも的確だった。

 

「――――ちくしょう……ちくしょー!!」

 

 ヴィータは瞳に涙を浮かべ、彼から乱暴にそれを奪い取った。翡翠に輝く魔導の根源。掌から感じる暖かな光。そのすべてが自分を断罪しているようで、ヴィータはわき上がる嗚咽を必死に噛みしめ、未だ髪を振り回して慟哭するなのはを一瞥し、撤退を決意した。

 

 ヴィータは転送魔法に仲間達と合流するポイントをたたき込み、三角の魔法陣を加速させた。

 

 そして、最後にそばに控えるように立つ仮面の男をにらみつけ、ヴィータは転送を開始した。

 

『……ごめん……イージス、高町なのは……』

 

 それは呟きではなく、誰かに当てた思念通話でもない。ヴィータは心の内にそう念じながら、転送魔法の光とともに意識を引っ張られる感触に身をゆだねた。

 

 

 

******

 

 

 

 転送が終了し、近傍世界の荒れ地に降り立ったヴィータは空っぽになってしまった心をもてあまし、ただ濁った空を見上げるばかりだった。

 

「ヴィータちゃん」

 

 背後から柔らかな女性の声が響いた。

 

「シャマル……」

 

 ヴィータは振り向いた。

 

「大丈夫?」

 

 緑色に染まるドレスのような甲冑を身に纏い、あの少年と同じ色彩、魔力光、髪の色を持つ女性シャマルは未だ残る転送魔法の残滓を身に纏いながらゆっくりとヴィータのそばに歩み寄った。

 

「うん……」

 

 ヴィータは小さく頷いた。

 

「見てたわ。辛かったわね……」

 

 シャマルは、そっと膝をつき視線をヴィータに合わせて彼女の頬に手を置いた。

 

「……一番辛いのはイージスとあの白い奴だ……」

 

 それに比べれば、自分の胸の痛みなど軽いとヴィータは呟いた。

 

「……シグナムとザフィーラは合流するまでもう少し時間がかかるって言ってたわ」

 

 彼女たちの仲間、シグナムとザフィーラも因縁のある相手とやり合い、そこそこの負傷を被った。追尾を巻くために二人は少し事なる次元世界を経由してこちらに来るとシャマルは報告を受けている。

 

「うん」

 

「だから、泣いても良いのよ? みんなには、内緒にしておくから、ね?」

 

 シャマルは唇を振るわせて耐えるヴィータをそっと包み込むように抱き寄せた。

 優しい温度。ふんわりと頬に当たる彼女のふくよかな乳房。もう、限界だった。

 感情が堰を切ってあふれ出す。涙を止められない。戦慄く唇を開けばもう後には引けない。

 

 それでもヴィータはその一時の感情に身をゆだね―――泣いた―――。

 

 

 

 

 


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