魔法少女リリカルなのは~Nameless Ghost~ 作:柳沢紀雪
タタタという軽快な足音になのははえもしれない感覚を覚えながら、次第に苦しくなっていく呼吸と鼓動に歯を食いしばりながらそれでもがむしゃらに廊下を駆けた。
何故こんなに心がざわめくのか。居心地の良いはずだったあの場所から逃げ出して自分は一体何処へ向かおうとしているのか。
なのはは荒ぶる吐息と共にいい知れない驚異に心を乱しながらそれでも翔る足をゆるめることはなかった。
そして、その脳裏に響き渡る一つの言葉になのはは立ち止まり頭を抱える。
『なのはは戦うことが好きなんだね』
何の前触れもなくはき出されたその言葉になのはは一瞬心臓を鷲づかみにされた感覚だった。
戦うことが好き。それはどういうことなのだろうか。何故彼女は自分を見てそんなことをったのだろうか。
心当たりはある。自分は、一人の少女を助けたいがために戦った。そして、そのために鍛錬を続けてきた。
それは、自分にとって誇らしいことだった。何の役にも立たないと思っていた自分自身が、こうして人のために何かできると分かったことが何よりもの喜びだった。
そして、その戦いが終わった後も、自分は「いくら何でもやり過ぎじゃないか?」というクロノの言葉を笑い飛ばして鍛錬を続けた。
だったら、それは何のためだったのだろうか。
なのはは、そこに思い当たる。フェイトと対立していたとき、その時は必要あっての事だった。訓練をしないと彼女に言葉を聞いてもらえない、悲しみに沈む彼女を助けられないし、出来たばかりの何処か放っておけない友達のユーノを助ける事も出来なかった。
だったら、その後に自分は何を思って魔法の訓練を続けていたのだろうか。
(分からない。私は、ただみんなと繋がっていられるから。魔法を使うことが楽しいから練習してた)
クロノやアースラの面々に対しては、『有事に備えるため』という理由で管理外世界での魔法行使を黙認して貰っていたのだ。そうしないと、管理外世界での異邦魔法行使で逮捕されちゃうからねと笑うユーノにと一緒に笑いあっていたものだ。
そして、有事は起こった。それまでの訓練が無駄にならないどころか、これからさらなる訓練を積み重ねる必要が生じた。
それは、本来なら来ない方がいい状況だったはずだ。
(だけど、私は……喜んでたのかもしれない)
なのははあの戦闘が終わってからの自分というものを正確に分析を始める。
怖かった、嫌だと思った。いきなり襲いかかってこられて、大怪我寸前の負傷をして、レイジングハートが壊れ、友人達も傷ついた。何よりも、本当なら一番傷つかないはずのアリシアが意識を失うほどの負傷を受けた。
あんな戦いを二度と繰り返しちゃダメだと思った。しかし、それでも心の奥の方で、自分はまた戦えるという喜びを感じていなかったか。
今度は、親友になったフェイトと初めての男友達であるユーノと一緒に戦えると、嬉しく思っていなかったか。
『なのはは戦うことが好きなんだね』
「違う。それは、違う……私は、争うことが好きなんじゃない!」
だったら、何故戦おうとするのか。
この事件が起こったとき、クロノとリンディは確かにこういった。
『なのはは無理に戦う必要はない。確かに、なのは程の魔導師が協力してくれればこちらも大いにありがたいが、今後あれ以上の危険にさらされる可能性も高い。僕達のことを心配しなくても大丈夫だ。そのための訓練は受けているからね』
その時自分はなんと答えたのか。
『大丈夫だよ、クロノ君。私は、私が協力したいから協力するんだよ。だから、心配しないで』
そう、自分は協力したいから協力すると答えた。それはつまり、考えようによっては『戦いたいから戦うんだ』と宣言したようなものではなかったか。
「分からないよ。私は、戦いたくないのに。傷つけたり、傷つけられたりするのはいやなのに」
なのはは俯いて目をギュッと閉じた。
見たくない現実から逃れるためか、それでも心に浮かんだ疑念は晴れない。
このままでは自分は戦えない。
「どうした? なのは」
そんなとき、なのはの耳に一人の男の声が届いた。
「クロノ君……?」
なのはは親しい人の声に面を上げた。
「ああ、僕だが。どうしたんだ? 随分顔が赤いが」
なのはは「ふぇっ!?」っと声を上げ、走ったせいで少し火照った頬に手を当て、少し恥ずかしそうに俯いてしまった。
「本当にどうした? 誰か人でも探しているのか?」
何となく、クロノは居心地が悪かった。いつもなら、朗らかに聞いているこちらが赤面してしまいそうな事を臆面もなく口にして微笑む彼女が、今は全くその逆になってしまっている。
クロノの印象としてのなのはは人見知りしない、物怖じしない、ある意味厚かましいほど優しくて、それでいて押しつけがましい印象を与えない。そして、何より周囲に笑顔を振りまいて、いつの間にか不安も何もかもを和らげてしまう、そんな女の子だった。
ただ、唯一彼女が平静を失う要素をクロノは知っていた。
「ユーノが何かしたか?」
なのはにとってユーノは地雷だと分かっていながらそれを指摘するのは中々勇気のいることだった。しかし、クロノが知る彼女が比較的ネガティブ寄りにならざるを得ないような要素といえば彼の存在しかないのも事実だ。
ユーノという言葉が出てなのはは一瞬惚けたようにまじまじとクロノの顔をのぞき込むが、ハタと自分が何を言われているのかに気がつき、一生懸命首を振ってそれを否定した。
「ユーノ君は関係ないの! ユーノ君じゃなくて、アリシアちゃんに……えっと……」
改めて言うには難しいとなのはは思った。少し冷静になって考えて見れば、アリシアが何気なく言った一言に自分が勝手に狼狽して勝手に悩んでいるだけだととらえることも出来る。
「またアリシアか……あいつの言うことはあまり真に受けないほうが良いぞ。アレはアレで結構行き当たりばったりの適当なことを言う事が多いから、一から十まで気にしていたら負けだ」
クロノは額に手を当てて、あいつはどうしてこう厄介ごとばかり持ち込むのかと本気で呪いを送りたくなってしまった。
「で、でも。とっても重要なことだと思って……」
「あいつがそういう言い方をするからだ。時々あいつなら口先だけで世界がとれるんじゃないかと本気で思うよ。それで、なんて言われたんだ?」
クロノは実際本気でそう思っていたが、それでもその中の一部には本当に重要になるものが含まれている事も理解していた。しかし、そう言うことに限って何気ない風を装って言うものだから、彼女と話しをするときは常に頭を回転させておかないといけないのだ。
端的に言えば、彼女と話すのはとても疲れるのだ。しかし、脳に余裕があるときであればまるで思考ゲームをしているような楽しさがそこにはある。そのため、休日の空いた時間にはリンディを交えて日もすがら会話に花を咲かせていたものだった。
クロノはなのはの様子から、またぞろアリシアのバカみたいに壮大に装った話術になのはがはめられたのだろうと予測した。
しかし、なのはが心根を砕いている事が先ほど述べた全く何気ない風を装って言われた言葉だと知っていればもう少し対応が違ったかもしれない。
結局の所、この時のクロノはなのはを甘く見ていたと言うことだ。
何を言われたのかを聞かれたなのはは少し逡巡して、それを言うべきかどうかを迷った。
『なのはは戦うことが好きなんだね』
言ってしまえばそれだけの言葉なのだ。しかし、もしもそれがアリシアだけではない自身の周囲の共通見解だったらと考えるとなのははやはり怖く感じる。
なにぶんクロノはなのはにとって二人目の指導教官のようなもので、その彼から見た自分というものがいったいどういうものなのか。実直な彼の事だ、おそらく嘘偽りなく客観的な事実を持ってそれを告げるだろう。一人目であるユーノが飴の役目なら彼は鞭の役目を担っているといえばいいのか。
故に、なのははそれには答えず、問いを返すことにした。
「クロノ君は、どうして執務官になったの?」
クロノは、それがアリシアから言われたことかと疑問に思うが、どうやら違うようであると察した。そして、その問いかけがアリシアの言葉とどう関わるのか、推測は出来ないがなのはがこうして面と向かって自分に聞いてくることなのだから、何か重要な意味があるのだろうと察し、真剣に答えることとした。
「そうだな。一番最初の理由はたぶん……強くなりたかったから……弱い自分を否定したかったらだろうな」
こうやって改めて自分のことを話すのは照れくさいと感じながら、クロノはまだ誰にも話したことのない自身のルーツを語り始めた。
淡々と語られる言葉になのはは引き込まれるようにただ黙り込み、時折相づちを槌ながら耳を傾けた。
クロノの父親がかつて、アースラの同型艦の艦長を務める有能な提督だったこと。その指導員がつい先日顔を合わせることとなった老提督グレアムだったこと。
そして、父の指揮する艦が任務中にロストロギア関連の事故に遭い轟沈し、ただ一人残された父のみがその犠牲となったということ。
その葬儀で涙を見せず気丈に振る舞う母リンディを見て。この人を守れるように、二度と悲しい思いをさせないことを心に誓ったこと。
そのために力を欲したこと。
話し終えてクロノが思ったことは、自分はどうしてこんな事を出会ってまだ間もない年下の少女に話しているのだろうかと言うことだった。
ただ一つ、父の殉職の原因となったロストロギアが今自分たちが追っている闇の書だったということをクロノは隠した。
「ありがとう、クロノ君」
昔を思い出したのか、少し感情が少しセンチメンタルに沈むクロノの横顔を見ながら、なのははいつの間にか浮かび上がっていた涙をそっとぬぐい、朗らかな笑顔で彼に礼を述べた。
「いや、少し話しすぎた。とにかく、僕の事情は特殊すぎてあまり参考にはなら無かっただろうけど」
なのはが何を悩んでいるのか分からないクロノは、この話が彼女にとってどういった影響を与えるのかは推測しきれない。
自分に執務官になった理由を聞いてきたと言うことは、おそらく、自分の将来に関する悩みなのだろうと当たりを付け、クロノは言外に「自分を参考にするな」とほのめかすだけで済ませた。
「ううん。とってもためになったよ。ありがとう、クロノ君」
なのははそんなクロノの思惑をカケラも理解せず、ただ自身の悩みの解決の参考になりそうな予感に喜び、ペコリと彼に頭を下げた。
自分の言ったことを真摯に受け止めようとする少女にクロノは少し肩をすくめ、改めて「参考にはするな」と言おうとしたが、彼の鍛えられた聴覚があわただしくこちらに近づいてくる足音を感知した。
クロノは面を上げ、その間の悪い足音の主を視界の捕らえた。
「なのは!」
突然背後から響いた高い声になのはは一瞬肩をビクッと震わせ、名前を呼ばれた方向へとおそるおそる首を向ける。
「ユーノ、くん?」
そこには息を荒くして、何故か自分たちに鋭い視線を向けるユーノの姿があった。
*****
その光景を目にしたとたん、いい知れない不快感が胸に襲いかかってきたことをユーノははっきりと自覚していた。
なのはがラウンジを飛び出して行った折りに一瞬だけ確認できたその表情にユーノは見覚えがあった。
あれは、悩みがあるにもかかわらずそれを自己の内面に押しとどめて平気なフリをする時の顔だった。
ユーノが一番見たくない彼女の笑顔。それを見せられては居ても立ってもいられず、気がついたときには困惑するフェイトを置いてラウンジを飛び出していたのだ。
なのはの支えになりたい、悩みがあるのなら分かち合いたい。それは、命の恩人でありずっとパートナーで居続けると誓ったユーノの心からの望みだった。
そして、がむしゃらになのはを求めて走るその視界の端に映った求める彼女の姿に彼は想わず声を上げた。
そして振り向いた彼女の表情には先ほどの憂いの籠もった笑みは既に無く、何かを吹っ切ったような朗らかな暖かみのある笑顔だった。
これは、どういう事だろうか。ユーノは愕然として彼女の側にいた人物に目をやった。
「ユーノか。どうかしたか?」
その声を聞いたとき、ユーノはビシリと胸の中で何かが割れる音が聞こえた。
「あ、ユーノ君。どうしたの?」
なのはの笑顔はユーノが好きな笑顔に違いはなかった。ならば、この笑顔を取り戻させたのは一体誰なのかとユーノは少し困惑してたたずむ少年、クロノを睨むような視線を送った。
「何があったのかは知らんが、いきなり人を睨むな。不躾だぞ」
半年前の彼なら、ここで一言二言なり嫌味を言って来ていただろうが、久しくあった彼はそんなトゲが取れて随分丸く柔らかくなっていた。
「別に、たいした理由はないよ。なのはがいきなり居なくなったから心肺になっただけ。僕は、なのはの……パートナー、だからね」
「ゆ、ゆーのくん。恥ずかしいよ……」
「だったら、恋敵を見るような目をするな。僕となのははなんでもないんだからな」
「こ、恋敵って。クロノ君!」
「僕はまだ仕事中で忙しいからな。まだ上への報告書と始末書が仕上がってないんだ」
「あ、そ、それは……ごめん」
その始末書を書く原因の一端となったユーノとしてはそう言われてしまえば申し訳なさしか生まれない。
なのはと一緒にいたクロノは気にくわないと思うが、彼も自分の仕事を裂いてなのはの話を聞いてくれていたことには感謝するべきだと思い直す。
見るとユーノの手を取るなのはも少し申し訳なさそうにしているのが分かった。
「君たちが気にすることではないさ。責任者は責任を取るために居るんだからな。それじゃあ、僕は仕事に戻るよ。君たちはもう少しゆっくりしていくといい」
クロノは年上ならではの余裕を持って手を振り、そのまま書類の束を抱えながら廊下を後にした。
「ゴメンね、ユーノ君。わざわざ探しに来てくれたんだ」
「ううん。あまりたいしたことがなさそうだったから安心した。クロノから……何か言われた?」
「えっと、うん。だけど、恥ずかしいから内緒」
「………そう」
「えっと、そうだ! レイジングハートの様子を見に行こうよ。メンテナンスもそろそろ終わってるかもしれないよ」
「うん、分かった」
「じゃあ、行こう?」
なのはは少しホッとした様子でユーノの手を引きレイジングハートが居るメンテナンスルームへと足を向けた。
ユーノは手を引かれるままになのはの後を追い、フェイトに念話で「なのはとメンテ室に行く」とだけ伝え足を進めた。
(なのはを守るのは僕の役目だ。僕じゃないとダメなんだ。僕が、なのはを守るんだ!)
ユーノは軽い足取りでなのはの背を追いながら心の内に誓いを立てた。
*****
デバイスは嘘を吐かず、人を裏切らない。その言葉を聞かされて一体何年経ったのだろうかとマリエル・アテンザは濃いめに入れたコーヒーを口にしながらふとそんなことを思い起こす。
「調子はどうですか? アテンザ主任」
先ほど扉を開いて入ってきた少女は、そう言いながらマリエルに差し入れのクッキーを差しだしながら件の進捗状況を確認するように、マリエルの前のモニターを横目で伺う。
「あ~、まあまあかな。ありがとう、アリシアちゃん」
「アリシアかテスタロッサでいいですよ。ちゃん付けで呼ばれるのは背中が痒くなりますから」
アリシアはそう苦笑しながら隣の席から椅子を拝借し、懐からプレシードを取り出して彼女に渡した。
マリエルはそれにお礼を言いながら受け取り、早速プレシードのコンディションを確かめるべく演算装置にそれを接続し、モニターを呼び起こした。
「やっぱり、調整は難航していますか」
アリシアはレイジングハートとバルディッシュのデータシートが示されたモニターを吟味しながら、そこに示された数値が先日見たものから殆ど変化してないことを確認した。
「そうだねぇ。バルディッシュに関してはプレシードのおかげで何とかなりそうなんだけど」
「問題はレイジングハートですか。まあ、なにぶん古い機構を使用していますからね。今の理論が通用しない部分とか、既にマイナーになったものとかも多いですし」
「それなんだよねぇ。最新のものとかは結構頻繁に確認するから手慣れたものなんだけど。ここまで古いと、それこそ一から勉強し直さないとダメって部分が多くなるからどうしても」
マリエルは額を指で押さえながら、比較的甘みの強いクッキーを頬張りため息を吐いた。やはり、頭を酷使すると脳が糖分を要求するものなのか、上品な味わいのクッキーがことさら舌に快感をもたらす。
こういった不規則な間食は健康を害するものだとは分かってはいるが、そうでもしないと気力を保つことが出来ない。
人間とは完成されているように見えて完成されていないものだという事が身をもって分かる瞬間だった。
「ひとまず、レイジングハートに関するメンテは私がした方がいいですか?」
アリシアはモニター横に置かれた紙のデータを手に取りながら現状の問題をざっと頭に思い浮かべる。
「技術者としては悔しいけど、お願いできる?」
「良いですよ。ちょうど良い気分転換にもなりますから。先ほどの戦闘訓練のデータシートの閲覧に権限は?」
「私が許可するから大丈夫だよ」
「分かりました、主任。では、取りかかります。対面の端末を使用しますね」
アリシアはそう言うと、そこに置かれていた書類データをまとめ、ついでに先ほどの訓練の評価が書かれているであろう記録ディスクを取り上げ指定された端末に着いた。
《お手数を掛けます、アリシア嬢》
「いいよ。やっぱり、レイジングハートは私が面倒を見たいからね」
アリシアはそう言いながらすでに機動状態にあった端末のデバイスメンテナンスツールを起動させ、レイジングハートからの情報を取得させた。
「魔導炉の調子は?」
情報取得を始めた端末はモニターに経過のインジケータが、その作業の経過を報告するが、それがいっぱいまで溜まるまでしばらくの時間を要しそうだ。
アリシアはその間の時間稼ぎとして、この部屋のツールでは取得しきれない情報をレイジングハートから直接聞いておくこととした。
《一切問題ありません。現在は待機状態にして出力も最小にしていますが、不安定性は観測されていません》
ここにもレイジングハートを整備する問題がある。管理局のツールではサポートしきれない諸々の装置に関しては、何らかの専門ツールを開発するか、直接そのAIに報告させるしか方法はない。故に、通常のデバイスであればメンテ中はその機能がシャットダウンされるのだが、レイジングハートに関してはメンテの作業中も逐一様子をうかがわなくてはならない。
つまり、レイジングハートと円滑なコミュニケーションが取れないことには内部をのぞき込むことさえ出来ない。
「燃料の残量は?」
レイジングハートの考えとしては、『信頼の置けない人間に自分の中を弄らせたくない』という見地からそれはかえって有り難いことだというだろうが、安全性信頼性の観点からは承伏できない事柄でもある。
《今までで使用した分で、せいぜい数百μgといったところですね。先の戦闘と訓練においても出力が25%を上回ったことがありませんし。魔導炉の解放以降、平均出力はせいぜい数百kWというところです》
実際、レイジングハートがアースラやマリエルの整備を受けているのは単にレイジングハートのマスター、なのはの言いつけによるものである。主の命令であれば、デバイスである身としては従うしか無く、実際の所レイジングハートはまだマリエルとそこまでの信頼関係を構築し切れていない事もあり、今回無理を言ってアリシアに来させたという事情もある。
「ということは、燃料はまだ2kg以上残ってるって事かな」
とにかく他のデバイスに比べ気位の高いデバイスだとアースラの技術班は口をそろえる。故に、レイジングハートを扱ったアースラの技術チームはこれを扱う際には『注文の多い客』のように扱うようにしているのだ。
《はい。正確には2.4999986kg。将来的に使用する魔力量が増えると予測されても、計算上後200年は補給無しで稼働可能です。反陽子の寿命(およそ10の33乗年)が長い事も助けになりますからね》
さらにいえば、本来の機能を取り戻したレイジングハートは一朝一夕ではその機構や機能を解析しきれないほど膨大なシステムを得ることとなった。
「補給といっても、今の技術じゃあ反陽子燃料を補給する手段は無いけどね」
その最たるものは、対消滅エンジンをエネルギー源とする魔導炉であることはいうまでもないことだろう。
《kg単位の生成も不可能とあれば、この数値が私の寿命ということになります。最も、今の待機状態のまま出力を絞り続ければ計算上は3000万年は稼働していられますが》
精製、ケーシング、輸送。このすべてにおいて反陽子燃料は安全性を確実なものにすることは出来ない。
地球においても近年盛んに研究が進められてはいるが、その生成のためには街一つ分にもなりうる巨大な粒子加速器を用いる必要がある。そのために投じられる国家予算レベルの巨額の資金。その設備を稼働させるために必要な膨大なエネルギー。そして、実験であるが故に発生する多大なリスク。そんなものを背負ってようやく得られる反物質は量にして数mgにも達しない。
動力機関の燃料として運用するにはあまりにもコストがかかりすぎるのだ。
しかも、それは僅か数gの反陽子で街一つを灰にすることができ、さらにその起爆方法は単に通常物質と触れさせるだけという危険性も付いてくる。
それ故、反陽子は強力な質量兵器にも転用可能であるから、現在の管理局法に引っかかる恐れもある。
ただし、現状では反陽子の運用に関する法規制は定められていないため、レイジングハートに関しては実質的に違法でも合法でもなく判断不可というものに落ち着いている。
次元世界広といえ、まともに反陽子を生成できる技術は未だ存在していないのだ。それが、魔法技術の発展により素粒子技術が軒並み衰退してしまった事が原因となっているのだが、ともかく普段よりその手の兵器諸々の事に当たっている執務官や提督ならいざ知らず、反陽子、反物質、対消滅に関する語句を知っている局員というのも思いの外少ないのだ。
故に、今後反陽子に類されるものが次元世界において大規模な問題にならない限り、レイジングハートの所持に関して将来的にも問題はなさそうだとアリシアは個人的な解釈をしている。
「それにしても、3000万年か。それぐらいあれば、補給の問題ぐらいは何とかなりそうだね」
時間は技術的な問題を解決するものだ数年後、十数年後では分からないがそれが数十年、百数十年後とあれば現状で存在する技術の問題はある程度解決は成されていると信じたいものだとアリシアは思う。
実際、数百年前には実用不可能として研究が放棄されてしまったトライアル・アーツが、今となってはその後継機達が次元世界の技術を席巻しているのだから。
《技術革新は凄まじいものですからね。もっとも、3000万年後では確実に人類は滅びているでしょうから、あえてその問題を解決する必要もないとも判断できますが。難しいところです》
自己修復機能を持つインテリジェント・デバイスの対応年数を論じることは実は難しい。日常的に受ける損傷や、戦闘中のハードな損傷であっても自己修復機能をフル活動させてしまえば数日のうちで元の機能を取り戻すことも可能なのだ。
しかし、デバイス全体の平均寿命というものは思いの外短い。それは単に自己修復が不可能なレベルにまで損傷するか、それに関する重要システムが破損してしまう場合が殆どであるが。
そのようなイレギュラー的な損傷では対応年数を決定させる要素にはならない。
アリシアは現状では割とどうでも良いことを思い浮かべながら端末のツールが情報取得を完了した事を確認し、本格的な評価を開始した。
データに上がってきた過去の使用ログが時系列順に並べられ、端末のツールはそれを比較的わかりやすいグラフに示すことで使用者の視覚情報の助けとする。
使用魔力量のログ、使用したシステムのログ、入力者の指令値に対する出力値との誤差。それらを見て、アリシアはまだまだなのははレイジングハートの全機能を十全には使用し切れていないという評価を下した。
「アクセル・シューターをまだ停止状態でしか使用できていない……か……。開発者としては少しがっかりだね」
アクセル・シューターは従来の誘導射撃魔法と異なり、その誘導機能の大半をデバイスに依存することで術者にかかるリソースを大幅に軽減しているのだ。実際、なのはの口頭でのレポートからは『魔法を使っている気がしない』程軽くなっているはずだ。
「だけど、『狙いを付け続けなければならないからどうしても注意がそっちに向いてしまう』か」
人間とはどうしても視覚情報に文字通り”目が向いて”しまいがちになる。人間は外部の情報の大部分を視覚情報から得ているのだ。距離、方位、姿勢、物質の判別に、オプティック・フローによる速度。
イルミネーターを相手に向けて補足するために使用されるものはやはり視覚である以上それに集中するということは同時に外界情報をそれのみに制限しているということのほかならない。
「やっぱり、イルミネーターも自動化するべきかなぁ」
アリシアはそう呟き、煙草代わりの禁煙パイポを加えながらチェアの背もたれに乗っかかった。
《自動化したとしても私の軌道予測システムではまだ限界があります》
レイジングハートはアリシアの独り言にわざわざ意見を述べた。
「分かってるよ、それぐらい……」
アリシアは深く息を吸い込み、パイポから供給された煙ではない白い蒸気を口から吐き出しながら自身の長い金髪をくるくると弄り始めた。
アクセル・シューターに使用されているセミ・アクティブ・ホーミング機能は、イルミネーターから照射される魔力波を相手にぶつけることにより反射してくる魔力波を弾頭が追尾するというものだ。
故に、常に相手を追尾し続けられればきわめて高い着弾性を誇るものだが、反面追尾を振り切られてしまえば弾頭の誘導性は消滅するというリスクがある。
また、魔力波がターゲットを正確に捉えられるようにその有効範囲はきわめて狭いものとなっているため、僅かな照準の狂いが生じてもいけない。
きわめて高い技術を要するものであり、それは熟練の戦闘機乗りでも扱いに困るような代物なのだ。
「やっぱり、なのはにそれを期待するのは少し早すぎたって事かな?」
先の戦闘ではユーノの援護があったからこそなのはは立ち止り、落ち着いて相手をねらい打つことが出来た。もしも、これが単独によるドッグファイトであったのなら、おそらくはまともにそれを扱うことが出来ず、それまで使用していた【Divine Shooter】にシフトしていた事だろう。
【Divine Shooter】は弾頭単独の誘導性が非常に高く、その分移動していても正確に相手を追尾するものだが、その反面使用されるリソースが【Accele Shooter】の数倍にもなり、自動的に同時に制御できる弾数はそれの半分以下ということとなる。また、誘導性を考慮するあまりその弾速は目視で十分追尾できるほどの速度でしかなく、実際先のPT事件のフェイト今回の騎士達ほどの技量持ちであれば回避は比較的容易となる。
弾速と弾数、誘導性そして移動中も使用できる低コスト性。そのすべてを貪欲に追求した結果生まれたものが【Accele Shooter】なのだ。
「半自動化で手を打とうかな。軌道予測システムによるアルゴリズム追尾は全面的にレイジングハートが受け持って、後の細かい調整はなのはがするって事にしたら、随分使いやすくなると思う」
《後は乱数軌道のシステムも付加させていただければ。少なくとも先の戦闘のような無様は晒さないことかと。私の理想としては【Accele Shooter】で目標の行動を制限しつつ【Divine Buster】を確実に当てるという手段をとりたい》
「攻撃に関してはひとまずそんなところかな。防御の面はどう?」
《緊急回避の速度、加速は十分過ぎるほどに。【Protecsion】の方も最適出力の計算は終了しています。ただし、緊急回避にせよ通常回避にせよ口頭による警告では反応速度が劣ると思われます》
レイジングハートはそう進言し、その状況をモニターで示した。
それは、主になのはがヴィータの近接による強襲を受け、慌てて回避をするという状況だった。
アリシアの目から見れば随分と危なっかしく、避けることに意識が採られすぎているため、避けた後の行動に数瞬程度のディレイタイムが存在しているところだった。
「耳からの情報は結構反応が遅れるからね。やっぱり、視覚情報にダイレクトに投影できるようにした方が良いか。航空支援システム(アビオニクス)と視覚投影魔法(EPM:Eye Projection Monitor)をリアルタイムで発動させるのが懸命かな。いや、なのはほどの魔導師が素材だと本当にいろんな事が充実させられるね。弄り甲斐のある高ランク魔導師だよ。やっぱり、なのはは天才だなぁ」
《あまりマスターをおだてないでください、アリシア嬢。私としてはあまりマスターを戦場には出したくないのです。武器の分際で生意気を申しますし、自身の存在意義を否定することに繋がりますが、私や貴方とは違い、本来ならマスターは戦場に近しい存在ではないのです》
「それは、なのはが決めることだろう。一応種はまいてきたから、今後どう芽吹くか楽しみだね」
《まさか、マスターなのはに何か良からぬ事を吹き込んだのでは無いでしょうね?》
「それこそまさかだよ。私が他人のためにわざわざ何か助言すると思う? それに、私の言葉は偏ってるからね。戦いたいのならどんどん戦えばいい。それで戦場で死ねれば儲けものだ。ずっと物言う死人として生き恥をさらしてきた私が、今更”命を大切にしろ”とか”戦うことで得られるものなど虚しさだけだ”なんていっても笑われるだけだよ。それこそ虚しいだけさ」
《あなたはベルディナではない、アリシア嬢》
「うん、確かにそうだね。私はアリシアだ。だけどね、時々私は自分が一体何者なのか分からなくなるときがあるんだよ。私は一体何者? 私はどう生きればいい? ベルディナとして? それともアリシアとして? どっちも正解だしどっちも嘘だ。だったら私は私のやりたいようにやる。それを止めるのなら、レイジングハートが相手でも容赦はしないからね」
アリシアはそう言って赤い宝玉を睨み付けた。マリエルは突然アリシアが声を荒げたことに驚き彼女に目を向けるが、アリシアは「何でもありません。レイジングハートとと少し意見のすれ違いがあっただけです」と笑顔で答え彼女の注意をこちらに向けさせなかった。
アリシアとレイジングハートはミッドチルダの公用語で会話をしてない。それは、アリシアにとって長年慣れ親しんだ言葉、古代ベルカ語でされたものであるから、傍にいるマリエルであってもその会話の内容を理解できていない。
《ですが、アリシア嬢。これだけはいわせてください》
「なに?」
《あなたが自分のしたいことをするのは私も賛成です。あなたの前世はしがらみが多すぎた。それから解放されたとあなたが言うのであれば私はこれ以上の喜びはありません》
「まだ、そうでもないけどね。ありがとう」
《しかし、それでもしあなたが道を外れるようなことがあれば、私はこの身の全力をもってあなたを止める。それだけは宣言させていただきたい》
「そう、それはとても面白そうだよ。もしそうなったら、楽しみにしているね」
アリシアはにっこりと笑い、少し上機嫌になって作業に戻った。
それでも、アリシアは頭の片隅でこれを使用し続けることになる少女のことを思いやった。
(なのはは本当に天才だ。まさに魔法を使うため、魔導の道を歩むために生まれてきた人物だといっても過言ではないぐらい)
アリシアは込み上がってくる歓喜を押しとどめ、ただ機械的に端末を操作し続ける。
(高町なのはか……あの子は一体どういう遺伝子をしてるんだろう)
彼女の指先がまるで精密機械のようにコンソールに舞い、それによって芸術的とも言える制御アルゴリズムがどんどん形を作っていく。
(優しい、慈しみがあり、そして意志が固い。そして、遺伝子に組み込まれた莫大な闘争本能と戦闘に関する絶大な学習能力がその感情を押し流して闘争という手段を執らせてるんだ。そう、そうじゃないと、未知の敵相手に逃げるという手段よりも攻撃する手段を真っ先に選択できるはずがない)
彼女は白い幼子が戦場を飛び回る姿を想像しながら、彼女の思考を忠実に再現し攻撃のタイミング、判断速度とその選択基準をシミュレートしアルゴリズムの制御値を次々に変化させていく。
(本人は自覚していないだろうな……なのはの家庭には、何人か本式で人を殺してきた人がいるんじゃないかな?)
彼女の目の動きは弾頭軌道であり、意識の方向は相手の未来の予測点である。半自動化しさせたイルミネーターの軌道予測アルゴリズムを修正し、それに乱数軌道アルゴリズムを付加させることでそれはまるで敵の背後を執拗に追い求める蛇の牙へと変貌する。
(とにかく、あの子は私の食指を大いに満足させてくれる狂気を身に宿していると言うことだね。うん、見てみたい。完璧な戦闘者として覚醒した彼女が理性を持って狂気を制御する。みんなを安心させる笑顔で戦場を飛び回るその姿を、見てみたいなぁ)
アリシアの瞼の裏側には、数年後、十数年後の彼女の姿がまさに克明に映し出されていた。