魔法少女リリカルなのは~Nameless Ghost~   作:柳沢紀雪

23 / 59
第十二話 Introduction

 本日二度目の入浴を終え、暖まった身体の熱を心地よく思いながらタオルで髪を拭きながらアリシアはハラオウン邸のリビングに姿を現した。

 

「湯加減はどうだった? アリシアさん」

 

 扉を開いたアリシアに真っ先に声をかけたリンディはそのままアリシアをソファへと呼び寄せた。

 

「少し熱かったですが、すっきりしましたよリンディ提督」

 

 アリシアはほっこりとそう微笑むと、冷蔵庫を我が家のように開き風呂上がりのビールに手を伸ばした。

 

「そう、それは良かったわ」

 

 リンディはアリシアの手をペチっとはたき、無理矢理彼女を抱き上げるとソファに腰を下ろした。

 これ以上いらないことをしないようにとの配慮なのか、アリシアはリンディに抱きかかえられれたまま彼女の膝の上に座ることになってしまった。

 

 アリシアは「ビールぐらい良いじゃない」と呟くが、リンディの有無を言わさない笑顔に負け、すごすごと口を閉じた。

 実際アリシアの発達途上の味覚ではビールの苦さはむしろ不快に感じられるのだが、こういうのが雰囲気が大切だと彼女は考えていた。それを封殺されては面白くない。いっそのこと、ハラオウン邸に用意されている自室に自前の冷蔵を入れようかなどと考えているが、将来のプランの一つとして今は考えないことにしておいた。

 

「さて、ユーノ君とアリシアさんは食べながらで良いから少し話しをしておきましょうか」

 

 実は、アリシアとユーノは夕食を取らないまま戦闘に乗り出していた。それを聞いたリンディは二人のために少し豪華な夜食を用意して待っていたようだ。

 その殆どがミッドチルダで言う家庭料理というらしいが、それらはこの国では洋食と呼ばれる類のものらしい。

 鶏の香草焼きにスマッシュポテトのフライ、生ハムとレタスのサラダに自家製パン。ラインナップを見ると、ランチとディナーの中程といったことろで、腹ごしらえにはもってこいだ。

 アリシアとユーノは早速フォークを掴み取りほぼ3日ぶりになるかもしれないまともな食事をかきこみ始めた。

 

 なのはとフェイト、アルフも軽くそれらを摘みながらクロノとエイミィが示したモニターに目をやる。

 

 部屋の照明が若干落とされたリビングに浮かぶモニターには先ほどの戦闘と一週間前の戦闘の両方の映像が映し出されている。

 

「(モグモグ)結局(ゴックン)、あの連中の(ムシャムシャ)目的は判明したの? 美味しいなこのポテト。ねぇユーノ、もう少し肉を食べた方がいいよ(バリバリ)ただでさえ細いんだから。アルフは肉ばっかり食べてないで野菜も食べなさい」

 

 アリシアは口に肉を頬張りながらフォークで画面を指し示す。

 

「(ゴックン)そんなに肉ばっかり食べられないよ。(モグモグ)僕がヴィータから感じたことだけど(ムグムグ)、彼女たちは主のためって良く口にしてたから、裏であの人達を操ってる人がいるんじゃないかな?」

 

 

 アリシアが指し示した巨槌の紅騎士(ヴィータ)を見てユーノもそう言葉を放つ。

 ユーノとしては、紅い少女はなかなか感情と行動が直結しているようであっても自分の分をわきまえているという印象があった。

 彼女がことあるごとに呟く『主』と言う言葉がどう考えてもこの件の主幹になっていることは明らかだ。

 

「狼が野菜なんて食べらんないよ(ガツガツ)。アタシも(ガツガツ)ユーノと同じだね。あの蒼い犬もなんかそんなこと言ってたからねぇ(ガツガツ)。ちょいとアリシア、アタシが取っといた肉食わないでおれよ!」

 

 アルフが犬と称する盾の守護獣(ザフィーラ)に結局勝てなかったアルフは、少し悔しそうな表情を浮かべながら骨付きの羊肉を何本も口に頬張りながら腹いせにお茶(ノンシュガー)を飲み干した。

 

「早い者勝ちだよ、欲しかったら唾でも付けといて。そう考えると、あの人達は望まない蒐集をしているってことになるけど。私は自分から進んで蒐集しているって感じたよ」

 

 彼らが何者かによる精神操作が行われている様子はないとアリシアは断言する。彼らは彼らの思惑があり、それに従い行動しているのだ。

 

「それは(パク)、私も思った(モグモグ)。あの、剣士も『これは私たちが選び、そして背負うと決めたことだ』(ゴクリ)って言ってたから」

 

 フェイトの言葉になのはも首肯で答えた。フェイトはアリシアとユーノ、アルフに釣られてだろうが、両親の躾の行き届いているなのはは彼らと違い口にものを入れたまま喋ろうとはしないようだ。

 

 それとも、ミッドチルダでは別段マナーに違反することではないのだろうかと一瞬なのはは考えるが、リンディとクロノ、ついでにエイミィまで三人に多少冷めた視線を送っているところそのあたりに関してはミッドも地球も変わりがないようだとなのはは思う。

 

「(ゴックン)ねえ、フェイトちゃん、アルフさん、ユーノ君にアリシアちゃんも。食べながら話すのはお行儀が悪いと思うよ?」

 

 なのははそう四人に注意し、アリシア以外の三人は思わず口を押さえ恥ずかしそうに口の中のものを咀嚼し「ゴメン」とわびを入れた。

 アリシアは「良いじゃないか、細かいことは」といって聞かないが、リンディの一睨みで口を閉じ二人に習って口の中を空にした。

 

 クロノはため息を吐き、温かいお茶(ノンシュガー)を一口飲んで気を落ち着けた。

 

「彼らに関してはまず結論から言おう……と思ったが、ひとまずアリシアとユーノは食事を済ませてくれ。話しはそれから改めてしよう」

 

 クロノはそう言って一応母リンディの顔を伺うが、リンディもまた温かいお茶(フルシュガー=りんでぃ・すぺしゃる)で喉を潤しながらゆっくりと頷いた。

 

 アリシアはとりあえず「ありがとうございます」と礼を言ってユーノと本格的な食事(第何次食卓戦争)を繰り広げる事とした。

 ちなみに、お預けを喰らったアルフは恨みがマシそうにクロノを見るがフェイトに「そんな目で見ちゃダメ」と言われると犬らしくすごすごと引っ込み、不機嫌をアピールするためか子犬モードに変身しソファーのすみにうずくまり丸くなってしまった。

 

「ああ、そうだ。リミエッタ管制主任。今のうちにフェイトとなのはにデバイスのことを話しておいた方が良いんじゃないかな?」

 

 最後のミートボールを巡ってユーノとフォークでチャンバラを繰り広げながらアリシアはエイミィにそう提案した。

 

「あ、そうだね。時間ももったいないし」

 

 アリシアとユーノの勝負の行方を動画で取りつつトトカルチョなどをしながらのんびりしていたエイミィは映像を取る手はそのままでなのはとフェイトを呼ぶことにした。

 ちなみに言えば、トトカルチョは4対2でユーノ有利だ。金品を賭けなければ別段、賭自体は禁止されていない。

 

「頑張ってお姉ちゃん!」

 

「勝つのはユーノ君だよ!」

 

 共に贔屓にする身内に声援を送りつつ、フェイトとなのはは明日の朝の食事当番の行方を賭けて手に汗を握っていた。

 それをどこか遠目で眺めるクロノは『体格的にユーノの勝ちは確実だ』と考え、その隣でまだお茶(フルシュガー=りんでぃ・すぺしゃる)を飲むリンディはユーノに賭けながらも『それでも勝つのはアリシアさんでしょうね』と細く微笑んでいた。

 

「なのはちゃん、フェイトちゃん、ちょっと良いかな?」

 

 勝負の行く末を見守れないのは残念だが、証拠となる動画はそのまま二人にフォーカスしたまま置いてあるので、エイミィは安心して二人に話しかけた。

 

「あ、はい。なんですか?」

「なに? エイミィ」

 

 呼ばれた二人は仲良く振り向き、その手に自身のパートナーであるデバイスが手渡された。

 

「レイジングハート! メンテナンスは終わったの?」

 

《終わったからここにいるのですよ、私の小さなレディ。私がいないといって泣いていませんでしたか?》

 

「な、泣いてなんかいないもん」

 

《そうですか、マスターは私がいなくても大丈夫なのですね? ああ、マスターの成長を喜ぶべきか、頼りにされないことを悲しむべきか。バルディッシュ、今夜は一杯付き合ってください。オトナになったマスターのために乾杯をしましょう》

 

 大げさに声を上げるレイジングハートに呆れるバルディッシュは金色のエンブレムの表面を一瞬光らせる。

 

《我々には酒を飲む口は存在しないはずですが? レイジングハート卿》

 

《ノリの悪いデバイスですね、貴方は》

 

《私にノリという機能は搭載されておりません》

 

 しきりに表面を点灯させながら会話をする二機のデバイスにフェイトは少し驚いた。

 

「バルディッシュ、良く喋るようになったんだね」

 

 これも改造された影響なのだろうかとフェイトは思う。正直なところ、フェイトはなのはとレイジングハートが互いに気が置けない友人のように会話を交わすのを少し羨ましく思っていたため、バルディッシュのこの変化を嬉しく思っていた。

 

《申し訳ありません、サー》

 

 フェイトへの返答は今までと変わりのないものだったが、フェイトはバルディッシュの表面を慈しむようになで、

 

「いいんだよ、バルディッシュ。これからいっぱいお話ししよう。私はバルディッシュがもっといろんな事を話してくれると嬉しい」

 

 と暖かな笑みを浮かべる。

 

《善処します》

 

「うん」

 

 エイミィはそんなフェイト達を見て、「いいなぁ」と頬を緩めた。すぐ側でバカみたいな熱戦を繰り広げているまるで可愛げのない年下の姉に比べれば、フェイトの浮かべる笑みがどれほど子供らしい暖かなものか。

 

(やっぱり、フェイトちゃんがリンディ提督の養子になるのはすっごくいいね)

 

 この空気がハラオウン家に満ちあふれ、クロノも同じように笑っていてくれるならそれはなんと幸せな世界なんだろうかとエイミィはそんな未来を幻視し、そんな中に自分も一緒にいられればと希望を持った。断じてそこにいるのは、姉の方に弄り倒されてハンカチを涙で染める自分ではない。

 エイミィは「よし! 頑張ろう」とガッツを入れて二人に話を続けた。

 

「まずはフェイトちゃんのバルディッシュから」

 

「はい」

 

《Sir》

 

「基本フォームはアサルトで、接近戦特化のハーケン、そしてフルドライブのザンバーの三つね。一番の変更点は、もう知ってると思うけどカートリッジシステムって呼ばれるもの。本当だったらインテリジェントデバイスに組み込むようなものじゃないけど、バルディッシュの要求で取り付けることになったんだ」

 

「そうなの? バルディッシュ」

 

《その通りです、サー。貴女があの者達に勝つためには私も強くならなければならないと判断しました。そのために求めた力です》

 

「そういうこと。だけど、カートリッジはまだまだ不安定で危険がない訳じゃないんだ。だから、あんまり乱発しないように。これだけは約束してね」

 

「分かりました」

 

 フェイトは決意を新たにバルディッシュをキュッと握りしめた。フェイトの小さな手の平の中でバルディッシュも誇らしげに輝く。

 

「あの、レイジングハートはどうなっちゃったんですか?」

 

 フェイトの話しが一段落したのを見計らい、なのははそうおずおずと口を開いた。

 

《失敬な。それではまるで、私がおかしくなったようではありませんかマスター》

 

「そ、そんなこと、………ないよ?」

 

 アリシアならさしずめ「おかしいのは元からだから気にしなくてもいいよ」と言いそうだなとなのはは予想しつつレイジングハートを宥めた。

 

《間の空白が気になりますが、まあ良いでしょう。リミエッタ管制主任。説明をお願いします》

 

「あ、そうだね。えーっと、レイジングハートに関しては実際手がけた人に聞くのが良いんだけど……」

 

 「やりにくいなぁ」と感じながらエイミィはふとソファに目をやるが、そこでは未だアリシアとユーノがデットヒートを繰り広げている最中だった。

 

 まだ勝負が付いていなかったのかとエイミィはため息を吐き、

 

「あのー、二人とも。そろそろ決めてくれない?」

 

 と声を掛けた。

 

「だったら、奥の手だ!」

 

 というアリシアの雄叫び。

 その瞬間、均衡を保っていたフォークははじけ飛び、その隙を狙ってアリシアはテーブルの下に潜めていたナイフを一閃させ宙に浮いたミートボールめがけて一直線に王手を掛けようとする。

 

「それぐらい予想の範囲内だよ!」

 

 返す刀とまでは言わないが、ユーノも空いた手になのはが使っていたフォークを掴み、アリシアの一閃に滑り込ませるようにそれを振るった。

 

 ギィンという鉄のこすれる不愉快な音が部屋に響き、一瞬背筋が氷るような感覚に面々は息を潜め勝負の決着をその目で確かめた。

 

 アリシアが振り抜いたナイフの先、ユーノが刺し通したフォークの先、それにはそれぞれ半分に引き裂かれたミートボールが突き刺さっていた。

 

「えっと……ドロー?」

 

 その結果に思考が付いていかないフェイトは小首を傾げながら呟くが、チッチッチと舌を鳴らしつつエイミィは指を降り固まる面々の視線を集めた。

 

「ドローは親の総取りだよ。つまり、私の一人勝ちってことだね」

 

 誇らしく宣言するエイミィにアリシアとユーノ以外の面々は共に言葉を無くしてしまった。

 

「なるほど、上澄みをかすめ取るというのはそう言うことだね」

 

 というアリシアの朗らかな笑みがとても印象的だとクロノはぼんやりと感じていた。

 

******

 

 決着の興奮も冷めないままアリシアとユーノは食後の祈りを聖王へと捧げ、なのはにレイジングハートの説明を行った。

 途中、ハラオウンの面々から「ナイフを使うのは違反じゃないか?」という異議申し立てがあったが、そもそもルールなど定めていなかったことを理由にアリシアはエイミィと共にその異議を棄却した。

 

 レイジングハートの説明を聞いたなのはは端的に言えば驚いていた。

 

 それもそうだとアリシアは思う。

 何せ、今まで自分が使用していたデバイスが現在のデバイスの源流を生み出した最古のデバイスだと聞かされたのだ。

 

 そして、驚愕はさらに続く。

 個人装備のアクティブ・レーダーによる高精度索敵機能。イルミネーターによる自動弾頭誘導。今までと違い、魔法弾頭をいちいち自前で誘導しなくても、さらに高性能な誘導装置がレイジングハートに備わり自分はただ狙いを付けて撃つだけになった。

 その方式のヒントになったのが、自分の住む国の兵器だと聞かされてさらに驚愕。

 

 しかし、最も驚愕したものは新たに限定を解除された人工魔導炉の存在だった。

 最大400MWの出力を持つ魔導炉は確かに瞬間的なエネルギー供給としてはカートリッジに遙かに劣る。しかし、時間割合に対する供給量はカートリッジなど問題にならないほど膨大なものとなるのだ。

 400MWと聞いてピンと来ないなのはだったが、アリシアが「なのはの国で言う中規模の原子炉一発分に匹敵する出力だよ(※参考:美浜原発2号機=500MW)」と言ったところ彼女の表情は引きつった。

 流石に小学生であっても原子力の凄まじさを学校の授業で勉強済みの彼女には効果はてきめんだったようだ。

 

 さらに、その魔導炉のエネルギー源となっているものが魔導炉内部の対消滅エンジンであるとアリシアが説明したとき、今度はミッドチルダの面々の表情が凍り付くこととなった。

 

 僅か0.7グラムの対消滅物質でこの国に投下された”小さな少年”の核爆弾(15ktクラス)に相当するエネルギーを持つと聞かされては流石のなのはも思わずレイジングハートを手から落としてしまう程だった。

 

「うわぁ!」

 

 と叫ぶ面々に、「ギリギリセーフ!!!」とスライディングでレイジングハートを受け止めるエイミィにアリシアは肩をすくめ。

 

「いや、ジェットコースターの何倍も安全だと思うよ? 計算上は安全率100を超えてるからね」

 

 冷や汗を流す面々を笑い飛ばしアリシアはひとまずの説明を終えた。

 

「まったく、心臓に悪いな! なのは、後でレイジングハートを預けてくれ。念入りに調査する」

 

 バリケードのつもりだったのか、ソファの裏側から顔を出したクロノはフゥと息を吐き、ソファに腰を下ろしバリアジャケットを解除し、S2Uを待機状態へと戻した。

 

「一応、管理局の規定には触れないように調整はしてあるから問題は見つからないだろうけどね」

 

 アリシアもそれに習って床に臥せるユーノやフェイトを踏んづけながらソファに腰を下ろした。

 

 アリシアが軽いせいか、それほどのダメージを受けなかった二人もおそるおそる面を上げ、どうにもなっていない身体を見つけホッと一息吐いて同じくソファの席に着いた。

 

 アリシアの言葉に「それでもだ!」と答えながらクロノは再び部屋の照明を落とし、モニターを起動させた。

 

「さて、話しを戻しましょうか」

 

 リンディはそう言いながらお茶(フルシュガー)をテーブルに置き居住まいを正した。先ほどの騒ぎでも振る舞いを乱さなかった彼女だが、湯飲みを置く手が僅かに震えていたことから冷静ではいられなかった様子だった。

 アリシアはそれを追求せず、口を噤みモニターに傾注した。

 

「彼らに関して結論から言おう」

 

 クロノはそう言って一度深呼吸を付いた。

 彼らに関しては流石のクロノであっても冷静であれない。それでも執務官として、現場を掌握しなければならない立場として冷静を貫いた。

 

「彼らは人間でも使い魔でもない。闇の書に併せて魔法技術で作り出された疑似人格。本来なら彼らは人間らしい感情も持たないはずなんだ」

 

 フェイトは隣に座るアリシアの手をキュッと握りしめる。

 

「疑似人格というと……私みたいな?」

 

 フェイトの漏らした言葉にクロノとリンディは過剰とも言えるほどの反応を示した。

 

「フェイトさん、それは違うわ!」

 

 リンディの言葉にフェイトはビクッと肩を震わせた。

 

「フェイト、君は生まれが少し特殊なだけで人間と何も変わらない。検査でもそう出ただろう?」

 

 クロノは静かに憤りを示し、少しばかり厳しい目でフェイトを睨んだ。

 アリシアは、自分が特に何も言わなくてもきっとこの二人が諫めてくれるだろうと思い特に何も言わなかったが、クロノとリンディの厳しい視線が『テメェも何か言いやがれ』と言っているように思えて「仕方がない」と瞑目し、一生懸命腕を伸ばし両手の平でフェイトの両頬を包み込んで自分の方を向かせた。

 

「ねえ、フェイト。気付いてる? 貴女の言葉はクロノやリンディ提督を侮辱したんだよ? 二人は貴女を一度でも普通じゃない存在として扱ったことがあった? もしもそうだったら言って。私がこの二人を殴るから」

 

 フェイトは驚き目を見開き、必死になって首を横に振って否定した。

 

「だったらなのはが? それともユーノかな? アースラの人? プレシア母さんだったらゴメン。母さんにそうさせたのは私だから。謝っても謝りきれないけど、フェイトが望むのなら私はフェイトに殴られてもいい。殺したいと思うのならそうして欲しい」

 

「ち、違う……そんなんじゃない」

 

 アリシアの問答無用とも言える物言いにフェイトは涙を浮かべる。なのははそんなフェイトの様子に「やめてあげて」と言いそうになるが、それはリンディの手によって防がれた。

 

『フェイトさんにとっては重要な事よ。今は、アリシアさんに任せましょう』

 

 リンディからもたらされた念話を前にすれば、姉妹の間にはいることの出来ないなのはは口を噤むしかなかった。

 

『なのは。大丈夫だよ、アリシアなら大丈夫』

 

 ユーノの声。

 

『アリシアなら何とかなるだろう。悪魔みたいに口も頭も回る奴だからな』

 

 こんな時にでも皮肉が口から出るのはクロノなりの信頼の証なのだろうかとなのはは思う。そう言えば、アースラに逗留していたころはユーノに対しても何かと彼は皮肉っていたなとなのはは思い出しながら事の推移を見守った。

 

「違うっていうなら、貴女はいったい何者? ねえ、フェイト。貴女は いったい 何者 なの?」

 

 アリシアの強い口調にフェイトはギュッと瞼を瞑り、スゥと息を吸い込んだ。

 

「私は、フェイト・テスタロッサ。私はアリシア・テスタロッサの妹で。人間、人間だよ! お姉ちゃん!」

 

 アリシアはフェイトの宣言ににっこりと笑い、彼女の頬から手を離し、一生懸命背を伸ばして腕を伸ばしフェイトの頭を優しくゆっくりと撫で付けた。

 

「よく言えたね、フェイト。それが真実だよ」

 

 結局、他人がどれだけフェイトが人間だと言っても本人がそれを認識しなければ意味がない。だからこそ、アリシアは無理矢理に近い手段を講じてフェイトからその言葉を言わせた。

 

 これで安心だな、とクロノは頷き、やはりフェイトにはアリシアがいなければ駄目だと思い知った。いくらその関係が歪であっても血の繋がりとはやはりそれだけ重いのだ。

 リンディは半年前の一時期、アリシアを手放して他の権威ある家へ養子にやることも考えていた。しかし、今のこの状況を鑑みてやはりフェイト共々アリシアも守りきろうと決めたことは正しかったと考えていた。

 

 もしも、今この場にアリシアがいなければ。かつて計じた案をそのまま実行してしまっていたら、フェイトはどうなっていたか。考えたくもない事だった。

 

「あの、ごめんなさいみんな。変なこと言っちゃって」

 

 フェイトはまだ鼻をグスグスいわせていたが、その顔に浮かべられた表情からはなんの陰りも感じられない。

 

「良いのよ、フェイトさん。じゃあ、話を続けましょう。エイミィ」

 

 リンディは、この件はあっさりと終わらせた方が得策だと判断し、エイミィに事の説明を求めた。

 

「了解しました。あの騎士達は本来、人間らしい感情を持つことは無いはずなんだよ。少なくとも過去の情報からそれが確認された記録はない。だけど、今回の騎士達はどう考えても人としての感情を持っているね。このあたりはもう少し調べないといけないんだけど……」

 

 エイミィはモニターを操作しながら、撤退する騎士達の一人が持っていたものを拡大させ、横目でチラッとクロノの表情を伺った。

 

「問題は、彼らが持つもの。あれは、闇の書と呼ばれる大規模災害級ロストロギアだ」

 

 クロノは苦々しい表情を隠すことなく立ち上がり、モニターの前に立ちそれを見上げた。

 騎士の一人。妙齢の女性が胸に抱く書物のようなもの。大人の女性であっても一抱えほどの大きさとその表紙には剣を十字架にアレンジしたような紋章が埋め込まれている。

 

「魔導師、魔法生物の持つリンカーコアの魔力を蒐集することによりページを埋め。それが666ページになれば発動する古代のデバイス。それが発動した際、その場にあるすべてを破壊し尽くすまで止まらない。きわめて危険なロストロギアだ」

 

 クロノの独白のような説明にアリシアは耳を傾け、

 

「666ページか。意味深な数字だね」

 

 と呟いた。

 

「うん? アリシア、意味深とはどういう事だ?」

 

 アリシアの声は非常に小さなものだったが、クロノの説明の間隙を縫って撃たれた言葉に、その場の全員がアリシアに視線を向けた。

 

「たいした事ではないんだけど。666といえば、確か地球ではデビルナンバーっていわれてたよね?」

 

 アリシアはそういいながら確認のためになのはに目を向けた。

 

「え? そうなの?」

 

 しかし、なのははそう言ったこと、特に国民の大半が無神論者であるこの国出身のためか、アリシアにそれを聞かれても答えようがなかった。

 

「確か、この世界の一神教では6という数字が不吉っていわれてるね。特に666は悪魔の数字っていわれていたと思うよ」

 

 なのはの代わりにユーノが答え、アリシアは頷きを返した。

 

『凄いね、ユーノ君』

 

 自分より地球のことをよく知っているのではないかと思うなのははそっとユーノに念話を送った。

 

『色々調べたからね。地球にも興味深い事がたくさんあるよ』

 

 それはスクライアの(さが)なのか。とにかく何かしらの情報があればそれを収集して自らの血肉としたくなるのは自分の持病みたいなものだとユーノは笑う。

 

『私も勉強しないとなぁ。本当だったら、ユーノ君に地球のことを色々教えてあげないといけないのに』

 

 なのははそう伝えながら、よく考えればユーノは自分から地球の事、特にその歴史や文化とまでは行かず、土着のルールやこの国の人々の価値観などを教えるまでもなく、実に自然にとけ込んでいたことを思い出した。

 それが、次元世界を旅する部族の環境適応能力なのかと思い知り、そう言えばいつの間にかユーノとは翻訳魔法を使用せずに会話をしていた事も思い出す。つまり、ユーノは出会った半年足らずでこの国の言語をネイティブ並に理解してしまったということなのだ。

 

(遺伝子は意地悪だ)

 

 国語や社会の成績が悪い自分に比べればなんと高性能な頭なのだろうかとなのはは少し自分の至らなさを情け無く思ってしまう。しかも最近では得意分野であるはずの算数や理科などの成績もユーノに僅差で負けがちになってしまっている。実際、ユーノは既にミッドチルダの学問所を卒業しており、スクライアでさらに高度な学を修めているため、本来なら普通の小学生であるなのはでは学問の面では何を持っても太刀打ちできないはずなのだが。

 算術や理学に関してはなのはもそれなりに他者より優れるものを持つということだ。

 

 閑話休題。

 

 アリシアはユーノの情報を得て、再び話しを始める。

 

「地球ではそうなんだね。だけど、ここで少し面白い話しがあるんだ」

 

 アリシアはピッと人差し指を指し示した。全員の視線が否応なくその指先に集まり、アリシアはわざとそれを回転させ、それに釣られてくるくると面々の首や眼球を回させた。

 

「宗教的なことになってしまうけど、ベルカ領、聖王教会では6というのは縁起の良い数字とされているんだよ」

 

 クロノは「なるほど、それは興味深いな」と呟きながらアリシアに先を促した。

 

「そもそも聖王教会では3という数字が安定の意味合いを持つ神聖な数字とされているんだよね」

 

 アリシアはそう言いながら、説明のため机の上に指を二本立てた。

 

「この状態では系は左右に揺すぶられ不安定になる。だけど、もしもここに三本目の概念を持ち込めば……」

 

 そして、アリシアは指をもう一本追加し、その三本で支えられた手、つまり系は初めて安定することを示した。

 

「このように系を安定させるには3という数字が重要になってくるというのは分かるかな? ベルカ式魔法も発動の魔法陣は基本三角形をしているのもベルカが3というものを重要視していたということの証明とも言われているんだ。実際それが本当なのかは諸説あるけどね。ちなみにミッドチルダの魔法陣が円形なのは、円というものが完璧な図形だという概念かららしい。安定を求めるベルカ、完璧を求めるミッドチルダ。数秘学的、象徴学的にもこれはとても面白いよ」

 

 アリシアは学者が浮かべる悪戯っぽい笑みを頬に宿しながら手を膝の上に戻し、話しを続けた。

 

「その最初の倍数である6もその次ぐらいに神聖な数字なんだ。そして、その6の数字が3つ。666。特にこの数字はセイクリッド・ナンバーと言われていて、特に聖王陛下関連の象徴図にはそれを連想させるものが数多く含まれている。それどころか、古代ベルカでは666の数字は聖王陛下もしくはそれに近しいものを表記する以外では使用してはいけないっていう不文律のようなものまで存在していたから。闇の書のページ数、666ページというのはとても意味深なんだ。ひょっとすれば、元々は古代ベルカ、特に聖王陛下にちなんだアーティファクトなんじゃないかってね。ごめん、話しを続けて?」

 

 つい長く話しすぎたとアリシアは反省し、クロノに話しの続きを促した。

 

「いや、とても有意義だったよアリシア。闇の書に関しては実際はこれくらいなんだ。むしろ、アリシアの話しは管理局もつかんでいないような新事実かもしれない。ともかく、闇の書はとても危険なもので下手をすれば、世界一つを滅ぼすだけの力を持つということ。今後は、闇の書の騎士達が主と呼んでいる人物の捜査と騎士達の蒐集の妨害。主にはこの二つ。フェイト、なのは、ユーノには特に騎士達の妨害と逮捕をメインに動いて貰うことになる。それで良いんだな、三人とも」

 

 クロノは少し言葉を鋭角に研ぎ澄まし、横一列に並ぶ三人にサッと視線を這わせた。

 

「うん。今更後には引けないよ、クロノ」

 

 フェイト、

 

「私も、あの人達がどうしてあんな事をするのか知りたい。知った上で止めたい、と思う」

 

 なのは、

 

「僕も二人と同意見だよ。それに、ヴィータは決着を付けたがってた。僕もそうしたいと思う」

 

 ユーノ。三人の決意表明にクロノは「ふう」と肩を落とした。

 

「まあ、君たちが下りないことは予想していたよ。分かった、だけど絶対に無茶はするな。そして、絶対に僕たちの指示に従うこと。この二つが最低限守れなかったらその場ですぐに下りて貰うからな。半年前の洋上のようには行かないから注意しろ。特になのは、ユーノ。独断専行は二度とゴメンだ」

 

 本来なら民間人が捜査に協力することは非常に厄介な問題を孕む。基本的に民間人は法執行機関の指揮下には入れない、故にもしも彼らが勝手な行動により負傷をしたり命を落とすことがあっても組織はそれに責任が持てないのだ。

 それでも、責任あるものが責任を取るのは世の当然であり、場合によっては不要な足枷を背負わなければならない場合もある。

 つまり、管理局にとって民間人を戦闘に徴用することは殆ど最終手段に近いものであるということだ。それでもクロノとリンディ、件の責任者である二人はそれを背負い込むことを覚悟した。

 フェイト達三人はまだその重みを理解できていないだろう。しかし、アリシアは心の内にクロノ達に感謝と謝罪を述べ、そっと頭を垂らした。

 

「さてと、話しはこれくらいかしらね」

 

 リンディは面々の方向性が定まったことを見計らいそう言いつつ時計を見上げた。

 

「あ、もうこんな時間なんだ。そろそろ帰らないと」

 

 その時計の針が深夜にさしかかっている事を確認したユーノは少し慌てて帰り支度に取りかかろうとするが、リンディがやんわりとそれを征した。

 

「これから帰るっていってももう遅いわ。この国の治安は冗談みたいに良いらしいけど。それでも夜道は危ないから、今日は家で止まっていきなさいなユーノ君。なのはさんも今日はお泊まりだし、ちょうど良いんじゃないかしら?」

 

「え? でも、寝室は埋まってるんじゃ?」

 

 ユーノはそう言って遠慮しようとする。実際ハラオウン邸には来客用の客間があるのだが、家族と同居人達の寝床を確保するために、その部屋の調整を後回しにしてしまい、未だベッドさえ置かれていない状態なのだ。確かに寝袋なり毛布があれば寝られないこともないが、それでは気を遣わせてしまうのではないかとユーノは思う。

 

「ああ、それなら私の部屋を使えばいいよ。あのベッドは私一人では大きすぎるから、二人で寝ればちょうど良いよ」

 

 ほんの数時間前には一緒に風呂に入ったんだから、同衾/添い寝ぐらいは問題ないだろうとアリシアは判断した。

 

「だめーー!! それだけは、絶対に、駄目、なの!!」

 

 アリシアとユーノがベッドを共にすると耳にしたなのはは条件反射よろしく叫びまくり、思わずその場にいた面々全員が耳をふさいだ。ちなみに、至近距離でそれを喰らったフェイトは呆然として目を白黒させている。

 

「だけどね、なのは。ユーノを床で寝させるわけには行かないでしょう。ただでさえ部屋が足りないんだから、我が儘は言わない方が良いよ」

 

 端から見れば、5歳児に説得されている9歳児という何ともシュールな光景なのだが、どういう訳かアリシアがそれをしている様子はなんの違和感もないのが不思議だった。

 

(アリシアちゃんって、生粋のお姉ちゃんだねぇ)

 

 アリシアの事情を聞かされていないエイミィはそうほっこりと思いながら、リンディと今後の打ち合わせをするために共にリビングを後にして電算室へ姿を消した。

 

「だったら、私がユーノ君と一緒に寝る! アリシアちゃんはフェイトちゃんと一緒に寝て! ほら、姉妹水入らずで夜通し語り合えるよ。とっても良いんじゃないかな!?」

 

「なのは。貴女はその年で親御さんに孫の顔を見させるつもり? 子供は我が儘を言わず大人しく寝てなさい」

 

「アリシアちゃんも子供でしょう!?」

 

「少なくとも貴女より大人だよ」

 

 収集が付かなくなった状況を眺め、ユーノは横目でクロノに目をやった。

 クロノは「仕方がない」とため息を吐き、二人のいがみ合いに割り込みをかける。

 

「そこまでだ、二人とも。どうせお互い納得出来ないなら、いっそのこと全員一緒に寝たらどうだ?」

 

「え? それって、お姉ちゃんとなのはとユーノ三人一緒って事?」

 

 それって何かおかしくないかと思いながらフェイトはクロノにそう聞き返すが、クロノは面を振って否定した。

 

「全員といったらフェイト、お前も入るに決まってる。ちょうどアリシアの部屋のベッドはちょっとした手違いでダブルサイズのベッドだから、ちょうど良いだろう」

 

 つまり、クロノはアリシア達に川の字どころか冊の字になって寝ろとそう言っているのだ。

 

 クロノのあまりにも意外すぎる提案にアリシア、フェイト、ユーノは一瞬沈黙してしまうが、なのはは手を叩いてそれを絶賛した。

 

「それ、いい! クロノ君、良いよそれ、四人一緒なんて最高! そうしよう、ね?」

 

 よく考えれば二人にこだわる必要はなかったのだ。ただ、なのはは何となくアリシアとユーノが一緒に寝るということが気にくわなかっただけで自分がいて二人っきりじゃなかったらそれで良かったのだ。それにフェイトも加わって一夜を共にする。

 最高の提案だとなのはは思った。

 

「じゃあ、私はフェイトちゃんの部屋で準備してくるから。後でね!」

 

 と、実にすがすがしい朗らかな笑みを浮かべつつフェイトの自室に走っていくなのはに、クロノ、アリシア以下、ユーノとフェイトさえも呆然とそれを見守ってしまった。

 

「クロノ……この落とし前、どう付けるつもりだったの? 流石に無茶だ」

 

 ユーノは恨みがましくクロノを睨むが、クロノはクロノで実にバツが悪そうに目をそらし、

 

「いや、ああいっておけば流石に黙るだろうと思ったんだが。ついでにフェイトからも反対意見が出れば諦めざるを得ないだろうと思ってだなぁ。僕だって、こんな事になるなんて予想できるか!!」

 

 半ば逆ギレよろしくクロノはそう喚いてソファーにドスンと腰を下ろした。

 

「えっと、やっぱり……四人一緒? 流石に恥ずかしいな」

 

 フェイトは苦笑混じりにアリシアの顔見るが、アリシアもまたフェイトと同じような苦笑を浮かべつつ諦め混じりのため息を吐き、

 

「まあ、こんな事が出来るのも今のうちと思っておけば良いんじゃないかな? とにかく、フェイトも用意してきなさい」

 

 そう言ってアリシアはポンポンとフェイトの背中を叩き、一旦自室へ戻ることを促した。

 フェイトは最後にため息を吐き、いつの間にか子犬モードですやすやと寝息を立てていたアルフを胸に抱き上げる。

 

「うん、分かったよお姉ちゃん。じゃあ、後で」

 

 ソファに腰を下ろし、俯き加減でヒラヒラと手を振るアリシアに手を振り替えしフェイトはリビングを出た。

 

「はあ……、一応話しがまとまったようだな、アリシア。すまないが一つ頼み事を聞いてくれるか? 本当なら母さんの方から言うべきなんだろうけど。君に提督付きの民間協力者として依頼したい」

 

 依頼と聞いてアリシアはだらしなく伸ばした足を引っ込め、若干乱れた髪と服の裾を直し、表情も真剣なものになって居住まいを改めた。

 

「いや、そこまで改まらなくてもいい」

 

 急に人が変わったのように振る舞うアリシアにクロノは少しだけ気押しされ、アリシアの対面の席に腰を下ろした。

 

「いえ、依頼の話しとなればこれぐらいは妥当でしょう。ハラオウン執務官」

 

 フェイトとユーノは本局にいたときからアリシアのその振る舞いを見慣れていたためその対応も素早かった。

 ユーノは少し長くなりそうだなと察し、アリシアに先に部屋に行っていると伝えリビングを後にした。

 

「まずは、契約書と今回の依頼書だ。契約書には変更はない。依頼書もその契約書の範囲内に収まるように作られている。母……いや、ハラオウン提督のサインも入っているからとりあえず確認してくれ」

 

 アリシアは、無言で頷き、クロノから渡された契約書の書類一式と今回の依頼書という一枚の紙に目を通し始める。

 細かい字を読むときに掛けるようになった眼鏡を見て、クロノはただそれだけでも見るものに与える印象が随分変わるのだなと改めて感じる。

 

 何度も言うようだが、アリシアはリンディによって雇われた民間協力者だ。つまり、彼女の給料はリンディ提督の私財から出されている。先日、アリシアはその状況を省みて「小遣いを貰う口実のようなもの」と言っていたが、リンディとは契約書を交わしている間柄であることからそれは正当な労働の報酬といっても実は全く問題がないのだ。

 

 まあ最も、社会的にはなんの身分も地位も持たない未成年と交わす契約書など法的になんの力も発揮しないと言われればそうなのだが、そこはリンディとクロノの人柄のおかげが、今のところその契約違反になるような依頼はアリシアにもたらされていない。

 

「無限書庫での資料探索ですか……闇の書の。確かに、契約の範囲内のことですね」

 

 アリシアの確認にクロノは「ああ」と頷いた。

 

「提督とも話し合ったが、これは君に頼むのが一番いいと判断した。無限書庫にいてくれれば、今回のような無茶をされる心配もない。一石二鳥の案だとエイミィも絶賛していたよ」

 

「こういうことはユーノの方が得意だと思いますが?」

 

 アリシアは一度書類をテーブルに置き、眼鏡を外してクロノに向き合った。

 

「分かっている。しかし、色々と面倒な理由があってね。最初は僕もそうした方が良いんじゃないかと提案した」

 

「やはり、ユーノが管理外世界の人間だからですか?」

 

「そうだ。元ミッドチルダ人だといっても、あいつの戸籍は地球だからな。流石に、局員でも嘱託魔導師でもない管理外世界の人間に管理局の施設を自由に出入りされるのは面白くないということのようだ」

 

「確かに、役所にとって前例のないことを行うのはかなりの労力がいりますからね。そんなものに力を使っているぐらいなら多少質は落ちても素早くかかれる私ということですか」

 

「君を甘く見ている訳ではないことは保証する。実際僕たちは君とユーノはこの手のことに関しては殆ど同等と考えている」

 

「ありがとうございます。それで、明日から早速ですか?」

 

「ああ、その前に会って貰いたい人がいる。具体的に二人。君もよく知っている提督の使い魔だ」

 

 提督に使い魔と聞いてアリシアは「ああ」と閃くものがあった。

 

「あの猫姉妹かこの間送ったプレゼントの感想を聞いてなかったな」

 

 その瞬間、アリシアの瞳が醜悪な悪戯心に輝いた事をクロノは見逃さなかった。

 明日はどうなる事やらと、クロノは来る嵐を予感しつつ苦笑いを浮かべるしか方法を見いだせなかった。

 

 

******

 

 

 クロノと明日に関する事の打ち合わせを終え、契約書と依頼書になんの不備もないことを確認し合った頃には時計の針はそろそろ日付を変更しそうな時間となっていた。

 

 アリシアはクロノにお休みを良い、自室に引っ込むと、そこには既に二人仲良くベッドでお休みなっているなのはとフェイトと、広いベッドの端に腰を下ろしなにやら難しい顔で俯いているユーノがいた。

 互いに抱き合いながら実に幸せそうに眠るなのはとフェイトにアリシアはつい頬を緩めるが、ユーノの様子から少し真剣な雰囲気を感じ取った。

 

「どうしたの? ユーノ。何か考え事?」

 

 アリシアは今にも落ちてしまいそうな瞼を擦りながらクローゼットを開いて寝間着に着替え始めた。

 時折背後から「うーん、ユーノくぅーん」というなのはの声や、「おねえちゃーん」というフェイトの声を左から右に聞き流しながらアリシアは服のボタンを一つずつ外し始める。

 

「ちょっとね、気になることがあって」

 

 アリシアは「ふーん」と呟き、下着と同色のシンプルで地味なパジャマのズボンを履き、上着のボタンを止め鏡台(ドレッサー)に腰を下ろした。

 

 風呂上がりには適当で済ませてしまったスキンケアをやり直すため、アリシアはUVカット素材の入ったジェル状の化粧水を手に乗せ顔や腕など露出している部分に塗り始める。化粧水といってもこれは立派な医薬品で、それなりに値段のするものなのだがアリシアはそんなことお構いなしにたっぷりと肌に塗りつけた。

 

 美容のためではなく生きるための手段としてやらなければならない対策に、当初は嫌々だったものの最近は随分慣れてしまったなとアリシアはぼんやりと思う。

 

「さっきアリシアが言った3の数字のことで引っかかってね」

 

「ああ、そのこと」

 

 化粧水が乾くのを待ちながらアリシアは医者から処方された眼薬を差しながらユーノの言葉に耳を傾ける。

 

「どうして、ヴィータ達は4人なのかなって思って」

 

「………確かに、そうだね……古代ベルカ、闇の書の666ページだと、4人は確かにおかしいな。これだけ凝るんだったら本当なら3人か6人というのが妥当か……」

 

 既に電源が落とされた暖房のせいで次第に冷涼になっていく部屋の空気にアリシアは若干眠気を奪われ、その分ユーノの言葉に集中することが出来た。

 

「安定を好むなら中途半端は嫌うと思うんだ。ひょっとすれば、そこまで神聖な数字でそろえるのを聖王に対して遠慮したとも考えられるけど。それなら最初からそこまでそろえないはずだと思う。そもそも666なんて数字を出さない」

 

 アリシアは「難しいな」と呟きながら、寝るときには邪魔になる長い髪を丁寧に一つにまとめ上げ始める。眼鏡を外した視界には鏡に映る自分の姿が若干ぼやけて見える。

 

(あれのせいでまた視力が落ちたか……嫌だな)

 

 いつか失明してしまうのではないかとアリシアは僅かに恐怖を感じながら、ユーノの提示した課題に思考を走らせる。

 

「だから、こう考えられないかな? 後二人いるって」

 

「二人? 主の他にまだ一人いるって事?」

 

 ヴォルケンリッター達4人に主を含めると5人という数字が浮かび上がってくる。古代ベルカ的に言えば何となく5は避けたくなる数字だ。悪魔の数字とまでは言わないが、何となく締まりのない感覚がするといったもの。騎士団を名乗る集団がそのような数字を採用するとはとうてい思えないというのがユーノとアリシアの双方は意見を一致させる。

 

「ヴィータ、シグナム、ザフィーラ、アリシアを収集した――たぶんシャマルって名前だと思う人。それに、闇の書の主。そして、後一人。僕は、6人目がまだどこかにいるんじゃないかって思うんだ。まだ誰の前にも現れていないだけで。そして、それがこの事件のものすごい重要なキーパーソンになるんじゃないかって。そう思えて仕方がないんだ」

 

 時折なのはとフェイトがもぞもぞと身体を動かす衣擦れの音が静かな部屋の中で妙にはっきりと響き渡る。

 

「後一人か……ひょっとすれば、それは闇の書そのものかもしれないね。闇の書が意識を持っていて、人の形になれるならだけど」

 

 アリシアはそう言いながらまとめ上げた髪がほどけないか確認すると、そのままのそのそとした足取りでユーノが腰を下ろすベッドに潜り込んだ。

 隣で眠るなのはとフェイトの体温で暖められたシーツがとても心地よく、冷気で奪われていた眠気が一気にアリシアに襲いかかる。

 

「僕の考えすぎだとは思うけどね。照明、消すよ?」

 

 ユーノは立ち上がり、蛍光灯のスイッチを切り、自分も布団をかぶって横になった。

 側で感じるアリシアやなのは、フェイトの吐息や鼓動がどこか心地が良い。確かに、恥ずかしいという感覚はあるが、これはこれでなにやら得難いものを身に受けているのではないかと思えてしまう。

 なのはの幸せそうな寝顔、フェイトの安らかな寝息に当てられ、ユーノも次第に感覚が冗長的になってくる事を感じた。

 

「お休み、ユーノ。明日は早いから……出来れば起こしてね」

 

「うん、お休みアリシア。なのは、フェイト……」

 

 ストンと落ちていくような感覚に二人は抗うことなく身をゆだね、部屋に訪れた暗闇に心地よく身体が溶けていくような感覚に襲われる。どこかそれは自分というものがなくなってしまうのではないかという恐怖を一瞬だけ与えるものだった。しかし、今自分は一人ではなく孤独でもないと思えて、ユーノはむしろこのままみんなと一緒に溶けていけるのなら、それはそれで良いかもしれないと薄れていく感覚の中でそう思い浮かべていた。

 

 カーテンの向こうから差し込む月明かりが四人を包み込み、部屋には安息の静けさが満ちた。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。