魔法少女リリカルなのは~Nameless Ghost~ 作:柳沢紀雪
(煙草が吸いたい、酒が飲みたい。あと、女も……)
目覚めたアリシアが最初に思い浮かべたのはそんなことだった。その三つにおぼれることでベルディナは戦いから日常に意識を戻すことが出来た。たとえ、どれだけ負傷したとしてもそれだけは三〇〇年間変わらないベルディナの習慣だった。
「ああ、楽しかった。充実した戦場だった……」
見覚えのない柔らかい枕とマットレスの感触を背中に感じ、アリシアは感無量の吐息をついた。
「目覚めたとたんにそれか。変態か? 君は」
病室のベッドに横になるアリシアのその様子に呆れた声で話しかけたのは、若干憮然とした表情を浮かべるクロノだった。
「クロノか。状況は?」
アリシアは上体を起こし、戦場の気迫の冷めないままの視線でクロノに目をやった。
「君が本局に連れ込まれ、およそ二時間が経過したところだ。敵は君が気を失った直後に撤退。なのはの砲撃が結界を破ったのが理由だ」
「戦闘は終了したのだな?」
「ああ、今フェイト達を呼んだ。じきに来るだろう。それまでに、その顔を何とかしておけ。あと、口調もだ。フェイトやなのはが見たら泣くぞ」
「ん、そうか。そうだな……」
さすがにこの身ではベルディナのような手段は使えない。そう考え、アリシアはしばらく目を閉じ瞑想して呼吸を細かく区切り自分のうちからすべての思念を追い出す。
その側のチェアに腰を下ろし、クロノは黙って彼女の様子を見守る。
予想以上だったとクロノは考えた。アリシアが収容された後、戦場にいたデバイス達のレコーダーを回収しその記録を分析していたクロノはアースラでは終始モニターできなかった内部の状況を知り彼らの戦いぶりに驚きの声を上げていた。
当初、戦う力を持たないアリシアを戦域に介入させることはクロノとしては反対だった。おそらくリンディもエイミィもあの場にいた者達なら誰もが反対しただろう。
アリシアはまだバルディッシュ・プレシードを正式起動させたことがない。それは彼女のリンカーコアがまだそこまで成長していないためであるが、デバイスを使用できない人間が魔導師同士の戦いに介入できるはずがないとクロノは考えていたのだ。
だが、結果はどうだ。正直なところ彼女がいなければあそこまで最小限の被害では済まなかったはずだ。確かに、アリシアは敵の攻撃によって気を失い、フェイトのバルディッシュは両断され小破、なのはのレイジングハートはしばらくの使用が禁止される程の被害を受けた。だが、人的な被害は殆ど皆無であり、バルディッシュもレイジングハートも修理さえすれば全く問題ないと診断されている。
自分でもあれだけの戦術指揮が出来たかときかれればそれは否と応えるしかない。
(さすがは三〇〇年生きた魔術士か。どうやら、僕はアリシアのことを甘く見すぎていたようだな)
クロノの背後の扉が開く音がした。
「お姉ちゃん!」
扉が開くと同時に金色の髪を翻し、フェイトが急いでアリシアの元に駆けつけた。
「お姉ちゃん、大丈夫? 怪我は? 身体がだるいとか痛いところがあるとかない?」
ベッドの上で瞑想するアリシアに、フェイトは遠慮なくつかみかかり、ぶんぶんと肩を揺すって姉の容態を確認しようとする。
目を閉じたまま身体を揺さぶられるアリシアだったが、突然目を見開き、グーにした手を振り下ろし縋り付くフェイトの脳天めがけてそれを振り下ろした。
「――――っっ!!??」
頭を突き通る衝撃にフェイトはうずくまり、少し目尻に涙をにじませた。
「落ち着け愚妹。私は平気だ」
「ご、ごめんなさい。お姉ちゃん」
それほど強く殴られた訳ではなかったのか、フェイトはすぐに痛みから立ち直りアリシアに謝った。
「や、心配してくれてありがとう、フェイト。いきなり殴ってごめん」
アリシアは少し落ち込むフェイトの頭を撫でながら優しく笑みを浮かべた。その笑みには、先ほどクロノと相対していた鋭利な雰囲気は存在しない。アリシアは普段を取り戻したとクロノは胸をなで下ろした。
『ねえ、ユーノ君。アリシアちゃんって結構厳しいんだね』
そんな彼らにおいて行かれた形となったなのははちょっと複雑な顔で隣のユーノに念話を送る。
『そうでもないよ。アリシアは基本的に過保護だからね』
ユーノはベルディナと一緒にいたときの記憶と経験からアリシアの傾向を言い当てる。ベルディナは普段は素っ気なく、好きにしろ、勝手にしろと言いながらも最後の最後ではしっかりとフォローをしてくれる人物だった。その傾向は身内に対して特に強く表れがちだ。
レイジングハートがなのはやユーノに対して口うるさい姉のような側面があることも、その影響だと言える。
『なんだか、レイジングハートに似てるね』
『……そうだね』
ユーノはなのはの慧眼に正直舌を巻きながら苦笑を込めそう応えた。
フェイトも落ち着き、アリシアも普段を取り戻した。ひとまず状況が落ち着いたことを感じ、この中では一応の年長者であるクロノは咳払いを一つして医務室にそろったメンバーを見回した。
アリシアも先ほど医者先生から完治を通達され、病人服からアースラより届けられた普段着に着替えている。ちなみに、薄緑を基調とした上着とスカートに着替える際、男の視線があるにも関わらずいきなり服を脱ぎだしたアリシアは、フェイトとなのはをおおいにあわてさせていたのだが、その話は今はおいておこう。ちなみに下は白で上は付けていなかった。何がとは言わない。
クロノの報告は実にシンプルなもので、敵の正体、その目的は不明だがアリシアに対する最後の攻撃は、管理局でも昨今問題になってきた魔導師襲撃事件とその手口が似ているためおそらく同一犯だろうという考察にとどまった。
続いてユーノから報告されたことは、レイジングハートとバルディッシュの修理のことだった。アリシアの予測通り、バルディッシュは小破にとどまり、レイジングハートは中破程度の被害に収まった。
そして、なのはの話を聞く限り彼女とあの赤い鉄槌の少女とは全くの面識はなく、彼女も事情を問いただそうとしても何も応えなかったというらしい。ただ一つ、敵方はこちらの命までもとろうとはしていなかったと言うことだけが分かった。
そうつらつらと会話をしていたところ、リンディからの通信からアリシアの退院手続きがとれたとのことで医者先生からの締め出しを食らってしまったのだった。
「まあ、君が無事で何よりだ。僕たちとしては民間協力者の君が負傷したとあれば何かと管理責任が問われることになるんでね」
医務室から追い出され、エイミィとアルフが待機しているデバイス保管庫に向かう道中、クロノはため息をつきながらそう言葉を発した。
「クロノ、そんな言い方しないで素直に心配だったって言えばいいのに」
なのはとユーノの隣を歩くフェイトはそんなクロノの物言いにクスッと笑う。
「別に心配はしていなかったさ。アリシアの頑丈さというかしぶとさはよく知っているからね」
「あは、それってクロノ君。アリシアちゃんを信頼してたってことだよね」
なのはの曲解、もとい汚れ名のない視線にクロノは少し口を噤んで「むう」といううなり声を上げた。
「へえ、クロノは私を信頼してくれていたんだね。私も信頼しているよ、クロノ」
クロノとなのは達のちょうど真ん中を歩くアリシアは「ほう」と息をつき、ニヤニヤと笑いながらクロノちゃかした。
クロノは下手に返したら墓穴を掘るだけだと経験則からそう判断し、肩をすくめるだけで特に何も返事を返さなかった。
アリシアは少し面白くなさそうに口をとがらせるが、その仕草は後ろを歩く三人の笑いを大いに誘う結果となった。
「それにしても、改めてになるが随分久しぶりだね、高町なのは。まさか、一人であの手合いとやり合えるなんて思ってなかったよ。いっぱい練習したんだね」
突然振り向いて後ろ向きに歩くアリシアに話しかけられたなのはは面食らってしまう。
「え、えっと……」
なのははすぐに答えが返せず、隣のユーノをチラッと見る。
「アリシアがそうやって褒めるなんて珍しいね。僕も同感だけど」
真正面から賞賛されることになれていないなのはの狼狽をユーノは少し面白く感じる。
「私もそう思うよ、なのは。凄いね、ずっと一人で訓練してたの?」
フェイトも横から口を挟む。
「一人じゃないよ、ユーノ君と一緒に。ずっと見てて貰ったんだ。魔法がうまく使えるようになったのはユーノ君のおかげだね」
なのはのその言葉に、ユーノは、
「なのはは優秀だからね。実際、僕は側で見ているだけで、それほど役には立っていなかったよ」
そう言って自身の功績を否定するが、なのはは一生懸命首を振って「そんなことない」と必死になってユーノを讃える事例を取り上げるが、その必死な様子に皆の笑いを誘うことになってしまう。
なのはは恥ずかしそうにしながら、不満に頬をふくらませる。
「さて、惚気話はそこまでにして。功労者達の見舞いと行こうじゃないか、諸君」
アリシアは仰々しくそう宣言し、クロノの開いたデバイス保管庫にメンバーを率いるように立ち入った。
「あ、みんなきたね。ちょっと遅いぞ」
若干照明が暗めに落とされているデバイス保管庫でコンソールを前に負傷したデバイス達の症状を確認していたエイミィは、そう言ってクロノ達を出迎えた。
「ああ、済まなかったなエイミィ。少し話し込みすぎた」
クロノは軽くエイミィに詫びると、エイミィからコンソールを受け取りそれを確認した。
「レイジングハート!」
「バルディッシュ!」
クロノ達の立つコンソールの前のケースに浮かぶ相棒の状況を見て、なのはとフェイトはあわててそれに縋り付いた。
「ごめんね、レイジングハート。私がだらしないせいで」
《気にしないでください。終わりよければすべてよしです。実際、マスターの一撃が戦闘を停止させたのですから》
それはいつかの皮肉だったが、今ではそれは確かな慰めとなる。なのははそんなレイジングハートのデバイスらしからぬユーモアに、目尻に滲みかけた涙をぬぐい声を上げて笑った。
「バルディッシュも。ごめんね、私がもっとうまく扱えていれば……」
《お気になさらずに。あなたは完璧でした》
寡黙な戦斧のデバイスはレイジングハートのようなユーモアは口にしないが、確かな言葉でフェイトの功績をたたえた。何より、あの手合いを前にして自分自身を小破で済ませたフェイトは確かに賞賛されるべきことだ。
「それで、状況はどう? リミエッタ管制」
他のメンバーをそっちのけでデバイス達と健闘を讃え合う二人の少女に安堵しながら、アリシアはエイミィに回収されたデバイス達の状況を確認した。
ユーノもエイミィの隣に立って、コンソールをのぞき込み少し複雑な表情を浮かべた。
「損害はそれほどでもないんだ。ちゃんと修理すれば元に戻る程度で、システムにも負傷した箇所はないから。だけど……」
と、エイミィは浮かない顔をして新しいモニターを起動させ、彼女が危惧している情報を提示した。
そこには、つい数時間前まで彼らが相対していた敵の映像が映し出されていた。正確には、彼女たちが使用していたデバイスに焦点が当てられている。
「結局、こいつらが使ってたデバイスっていったい何なんだい? 魔法自体も何か違ってて、バリア抜きがかなり厄介だったよ。それにあの弾丸みたいなやつは?」
壁に背中を付けて腕を組むアルフが口を開く。彼女は戦闘中は積極的に連中にとりつき、その防御を崩す役割を担っていたため、その防御に使用されている術式の異質さを特に感じていたのだろう。
ユーノも彼女たちが魔法を行使する際に足下に現れる魔法陣がミッドチルダ方式の円形とはかけ離れ、三角形を織り交ぜた形式であったことに疑問を持っていた。
そして、あの形式の魔法にどこか記憶にあるような気もしており、少し感触の悪い気分が続いている状態なのだ。
「ユーノなら、分かるんじゃないかな?」
アリシアはそう言ってユーノに目を向ける。ユーノは、考え事をする時の癖なのか、指で眉間をこつこつと叩きながらしばらく目を閉じ沈黙していたが、漸く合点がいったのか「あ!」という言葉と共に目を見開いた。
「ひょっとしてあれは。ベルカ式?」
ベルカ式と聞かされて頭上に疑問符を浮かべるメンバーだったが、その中で唯一頷いたのがクロノだった。
「さすがに知識だけは豊富だな、フェレットもどき。ユーノの言うとおり、あれはベルカ式と呼ばれる魔法だ。ミッド式とは源流を同じにするだけで全く異なる術方式をもつものだ。特に……」
とクロノは先ほどエイミィが立ち上げた映像を操作し、彼女たちの持つデバイスが独特のアクションを行う場面をピックアップして投影した。
「このベルカ式カートリッジと呼ばれるものが厄介だ」
その言葉になのはもフェイトも深く頷いた。
「そうだね。あの赤い子もこれを使ったと思ったらものすごい力で襲ってきてた」
白煙の中、爆発的に高まる魔力と、それに応じてパワーを増したあのロケットハンマーを思い出し、なのはは包帯が巻かれた腕をわななかせた。
「うん、あの剣士もそうだ。バルディッシュがおられた」
フェイトはその悔しさに拳を震わせる。自分の相棒が傷つけられたことだけではない、彼らはその力で最愛の人たちを傷つけた。特になのはを、姉であるアリシアを。
「このカートリッジがベルカ式の最大の特徴とも言えるんだ。あのカートリッジは魔力が込められていて、激発すると一瞬で爆発的なエネルギーを得ることが出来る」
漸く拾い集められた記憶からユーノはそう説明を続けた。
「だが、その不安定さと危険性から結局ミッド式に競り負けてマイナーになった。今では、ベルカの騎士と呼ばれる者達の一部が使用するだけにとどまってる。とてもじゃないが、デリケートなインテリジェント・デバイスに組み込めるようなものじゃない」
クロノはそう断じて、モニターを閉じた。
「対策が必要だね。少なくとも、あの人達の攻撃に耐えられるぐらいの強化は必要だと思うよ」
アリシアはそう言うと、起きたてで少しだるく感じる身体を壁に寄りかからせ、そのままずるずると床にしゃがみ込んだ。膝を立てて座る彼女の膝の谷間からはむやみに見せるものではない布地を伺うことが出来るが、緊張に包まれた部屋の中にはそれを咎める余裕のある人間はいない。
「ともかく修理を優先に。対策は、その後に考えることにしよう」
クロノはそう言うと、エイミィにデバイスの修理部品の発注を命令し、なのはとフェイトに声をかけた。
「どうしたの? クロノ君」
「君とフェイトには会って貰いたい人がいるんだ。フェイトの保護観察責任者になる提督だ」
「ああ、確かグレアム提督だったね。そう言えば、今日が面接だったかな」
アリシアは、膝頭にあごを預けながら地球での戦闘でうやむやになってしまったスケジュールを思い出した。
フェイトは確かに裁判には無罪となったが、それは数年間の保護観察を置いてのことだった。そして、その処置はこれからその責任者となる管理局の重鎮との最終面接をクリアした後に与えられるものだ。
つまり、先ほどの戦闘がともすればフェイトにとって余り良くない結果を生み出すことにもなりえたのだから、今になってアリシアはフェイトを連れてきたことは失敗だったかと思う。
だが、既にグレアム提督との面識を持つアリシアはあの提督がその程度のことで決定を翻したりはしないとも推測することが出来た。
「それじゃあ、僕たちは行く。後のことは任せたぞ、エイミィ」
「じゃあ、後でねユーノ君、アルフさん、アリシアちゃん。それにレイジングハートとバルディッシュも」
なのははそう言って手を振りながら保管庫をあとにしクロノについて行った。
「それじゃあ、私は修理部品の発注に行ってくるよ。みんなはどうする?」
エイミィは、コンソールから必要部品のリストをメモリーに抜き出し部屋を後にしようとする。
「僕は少し休憩しようかと。アルフは?」
漸く一段落したことにユーノは肩の緊張を抜き、先ほどまでは分からなかった疲労にため息をついた。
「あたしもちょっと休ませて貰おうかな。アリシアも来るだろう?」
アルフは部屋の隅で膝を立ててうずくまるアリシアに目を向けるが、アリシアはひらひらと手を振ってその申し出を断った。
「なんだか身体が怠くて。少しここで休憩させて貰ってもいいかな」
そう言えば話の途中でへたり込んでしまっていたことをユーノは漸く気がつくことが出来、少し心配そうに彼女をのぞき込んだ。
「大丈夫? アリシア。何なら部屋まで運ぶけど」
ユーノはそうアリシアに提案するが、アリシアは「そんな大げさなことじゃないよ」と笑ってその申し出も遠慮した。
見たところ顔色もそんなに悪くなく、医者先生からも問題なしと太鼓判を押されたことからエイミィも出るときにはロックをかけていくように言って、ユーノとアルフと共に部屋を出た。
「何かあったら呼ぶんだよ? あんたに何かあったらフェイトが心配するからさ」
去り際にアルフが心配そうにそう言い残すのにアリシアは「アルフは心配してくれないの?」と悪戯っぽい笑みを送り返し、真っ赤になって憎まれ口を叩くアルフを見送ってしばらくクスクスと笑い声を漏らしていた。
「さて……」
アリシアはそう呟いて、静かになった保管庫を見回した。先ほどまで人の声に満ちていた小さな部屋は今ではダクトが排気する空気の音と、コンピュータの駆動音のみが響く空間となっていた。
アリシアは少し難儀した様子で立ち上がり、服についたほこりを軽く払うとその視線の先に浮き上がる三種のデバイスに目を向けた。
レイジングハート、バルディッシュ、バルディッシュ・プレシード。その三つのデバイスは、まるでアリシアを待っていたかのように一瞬明滅し彼女の行動を見守った。
「なにか、話がありそうな様子だったけど、私の勘違いじゃないよね?」
アリシアは三機が保管されている特殊硬化樹脂ケースに歩み寄り、もう一度その側に腰を下ろした。
彼女がこの部屋にとどまりたかった理由は確かにデバイス達に何か相談事があるのではないかという予測からだったが、実際身体の疲労が限界に達しつつあることも事実だった。
実際、彼女の幼い身体は先ほどから睡眠を要求し、しょぼつく瞼を彼女はこすりつけ何とか彼らの話を聞く用意を調えた。
《お疲れの所申し訳ありません、姉君殿》
バルディッシュのどこか恭しい物言いに、アリシアは薄く笑みを浮かべ、バルディッシュのねぎらいに礼を述べた。
《相談があるのはレイジングハート卿とバルディッシュです。話は二人から聞いていただけますか? ユア・ハイネス》
プレシードはそう言うと、何度か光を明滅させそれ以降沈黙を守った。どうやら、スリープモードに移行した様子だ。主を前にしてそれは少し不義ではないかとバルディッシュは一瞬思うが、自身の兄機が主であるアリシアからまともに魔力供給を受けていないことを思い出し、それは自身の保全には必要なことだということを思い出した。
そう考えれば、自分自身はなんと主に恵まれていることか。バルディッシュは改めて自分がフェイトのデバイスであることを誇りに思い、レイジングハートの言葉を待った。
やはりこういうことは目上に譲るものだ。人間ではないデバイスであってもそういった配慮は存在し、やはり自身も圧倒的な活動年数を誇る主の友人のデバイスを前にすると僅かな気後れを感じるようであるとバルディッシュは自己診断をした。
《私は……いえ、私とバルディッシュは勝てなかった。戦闘には勝利したでしょうが、それはアリシア嬢の勝利だ。我々は敗北したのですよ、アリシア嬢》
普段のテンポの良い会話は、どうやら成り立ちそうにないなとアリシアはどこか悲痛な叫びのように聞こえるレイジングハートの言葉にそう感じ、表情を改めた。
「武器の性能は言い訳にはならない? ただ、フェイトと高町なのはがまだ貴方たちを扱い切れていないって」
デバイス達にとっては屈辱の言葉だろう。アリシアはそれを知りながらも敢えてそう応えた。
《姉君殿、我々はデバイスです。デバイスは等しくマスターのためにあるもの。自身の性能の不足をマスターの責任にすることはすなわち不義。屈辱を賜ります》
レイジングハートも言葉にはしないが、基本的にはバルディッシュに賛成なのだろう。赤い宝石は光を二度明滅させることでアリシアに応えた。
「今以上の力が欲しいってことだね、二機とも。だけど、貴方たちはミッドのデバイスの中ではすごく高性能なんだよ? これ以上何を求めるの?」
自身の強化か、それとも主の強化か。少なくともエイミィは、今回の戦闘データを参考にしたフレーム強化案を具体的に進行中だ。そうなれば、同等とは言えないにせよ少なくとも今回のような敗北は回避される。彼らはそれには不満なのだろう。自身と敵方の性能差をなくし、その上で主達には力と技を競い合う戦いを演じて貰いたい。
そう言ったところではないかとアリシアは予想した。
《レイジングハート卿と話し合いました。あいにく、卿とは意見が食い違いましたが、私は力を求めます》
先に言葉を放ったのはバルディッシュだった。
「具体的には?」
アリシアは上目遣いでバルディッシュの、その黄金に光るレリーフの中心を睨み付けた。
《敵と同等となるには敵と同等の力を得る必要があります。よって、私はCVK792-R、ベルカ式カートリッジシステムのインストールを要求します》
合理的な話だ、実に合理的だとアリシアは思った。しかし、こうも思った。このデバイスは果たして主の意向を正確に理解しているのだろうか、と。おそらくフェイトは今回の戦いの不手際を自分の力不足だと思っているだろう。そして、フェイトは自分自身がさらに経験を積み強くなる必要があると考えるはずだ。そのための方法は今のフェイトには多く用意されている。クロノや自分などの経験豊富な戦闘者を始め、共に研鑽を積むことが出来る親友達。そして、今回のアリシアが証明したように、単体で対処できないのなら群れを作ること、1+1を3にも4にもする方法があるということを彼女は知ったはずだ。
しかし、このデバイスは単独での戦闘力の向上を望んでいる。それも手持ちの武器をより高性能にすることで。つまり、バルディッシュは一騎打ちがしたいのだ。自身が敗れた魔導師とそのデバイスに対して。
「バルディッシュは、本当に正しい騎士のデバイスだね。ううん、バルディッシュこそ騎士と言うべきなのかもしれないね。分かったよ、カートリッジシステムは私の方からお願いしておく」
《ありがとうございます、姉君殿》
バルディッシュに人並みの感情と実態があれば、片膝をついて傅き瞳に涙を浮かべていたかもしれない。少なくともバルディッシュ本人はそうなる予測を立てていた。
「それで、レイジングハート。バルディッシュと意見が食い違ったと聞いたけど。あなたはどうするの? カートリッジはいらない。そういうことで良いのかな」
《私の場合は、新たな力を得ることよりも、本来の機能を取り戻すことを優先するべきと考えました。それに……》
「それに?」
《安易に手に入る力には価値がない。力とは愚直に求め時間をかけて手に入れたものこそ価値があると私は考えます》
「へえ、良いこと言うじゃない。誰の言葉?」
《あなたですよ、元所有者。ベルディナ・アーク・ブルーネスの生まれ変わりであるあなたからいただいた思想です》
アリシアはなるほどねと頷いた。確かにベルディナは愚直だった。才能のない身に残された唯一の方法はただ研鑽と経験を積み上げ、努力に見合わない結果から学びさらに努力を繰り返すことだけ。
そうして、彼は300年の時を経て最強の一翼に君臨した。
「だけど、それは高町なのはに苦渋を強いることじゃないかな。お前はそれをよしとするの? それはデバイスとしての不義に当てはまらないかな」
《戦うと決めた以上避けて通れない道ですよアリシア嬢。私はマスターなのはがその程度の覚悟も持ち合わせてないとは考えてはいません》
「高町なのはがその覚悟を持っていなかったら? もしくは、持つことが出来なかったら、お前はどうする?」
《そのときは、謹んで私を元所有者のものに返還するのみです。覚悟を決められないまま戦わせることの方がよっぽど不義だと私は考えます》
アリシアとレイジングハートは改めて向き合い、お互いの腹を読み合うように視線を交差させた。
《もう一度要請します。元所有者アリシア・アーク・テスタロッサ。ベルディナに拾われた際に解除され、封印された私の本来武装を取り戻させてください。あらゆるデバイスのオリジナル、最古のデバイスと呼ばれたトライアル・アーツの機能を、私に与えてください》
レイジングハートはそう言って一切の反応を閉ざした。光を失い暗転するその宝玉をただ黙って見つめ続けるアリシアは、いよいよこの時が来たかとどこか諦観するように一度ため息をつき、そして再び表情を引き締めた。
「分かったよ、レイジングハート。お前をトライアル・アーツに戻そう。間違えないで、そしておぼれないように。お前も、高町なのはも」
《ありがとうございます。アリシア嬢》
「さて、そうと決まれば行動は速くしないとね。早速リミエッタ管制官に連絡を……っと……あれ?」
心機一転、立ち上がってエイミィの元へと意気込んだアリシアだったが、視界が高くなるにつれてふらつく足腰に違和感を覚え、コンソールに手をついた。
《姉君殿、バイタルが疲労の限界を報告しております》
バルディッシュの奏でる機械音がどこか遠くに感じられる。アリシアは何とか姿勢を維持しようとコンソールの縁をつかむ手に力を入れようとするが、入れたはずの力はどういう訳か弛緩の方向にシフトしていき、いつの間にか視界の中には冷たい感触を伝える床の映像がとらえられる。
「ふぅ……身体に合わないことしちゃったからかな? 少し……疲れた……」
息が途絶えるような唐突さで、アリシアは意識を失う。
レイジングハートはあわててアリシアに呼びかけるが、そのバイタル反応は深い睡眠に陥ったと言うことを告げ一息つき、速やかにエイミィの元の通信を伝えた。
眠りこけるアリシアの口元からは、年相応の幼い寝息が響いてきていた。