魔法少女リリカルなのは~Nameless Ghost~   作:柳沢紀雪

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終話 君の名前は……

 人は何を持って自分を自分と認識するのだろうか? 私が私であるというその根拠は、いったいどこに存在するのだろうか?

 

****

 

 結果的に、なのはとフェイトの面会は制限が付きつつも許可が下りた。当然ながら、なのは達に連絡を入れることも地球へ転送するのも状況からして先のことになると言われたが、それでもフェイトの喜びようはアルフも呆れるほどのことだった。

 

「なのはと会ったら何を話そうかな。何かお土産でも持って行った方が良いかな。どう思う? お姉ちゃん」

 

 最近になって日課になりつつあるフェイトとアルフとを交えたお茶会に、ここ最近のフェイトの話題はそればかりだとアリシアは密かにため息をついた。

 

「お土産っていっても、アースラの備品は持ち出せないよ。私も最近監視が厳しいし」

 

 以前、数週間にわたって繰り広げられたリンディ、エイミィの二人とアリシアとの静かな戦争はアースラ艦内の風紀を乱しに乱しまくっていた。

 結局あの戦争は、いい加減我慢の限界を突破したクロノによって終戦を迎え、リンディには始末書と三週間の糖分摂取の禁止命令、エイミィには事態の収拾と糖分の禁断症状を引き起こす艦長の世話が言い渡され、アリシアには二週間の外出禁止が課せられた。

 当然、そこで儲けた金も没収となりそれらはアースラの維持費の一部に分配された。

 ついでに言うと、アリシアがそれまでに武装隊から巻き上げたギャンブルの金も一緒に没収されてしまった。

 つまり言えば、一文無し。アースラを降りた後の当面の生活費と考えていた予算は文字通りご破算となったわけだ。

 

 その一部始終を知らないフェイトは、どうして監視されるんだろうねと不思議そうな顔をしていたが、その一部始終に巻き込まれた(というよりはフェイトを守るために自ら矢面に立った)アルフは、自業自得だよといってアリシアの頭を小突いた。

 

「アルフ、お姉ちゃんを叩いちゃ駄目」

 

 フェイトは、ことアリシアに関しては非常に過保護になる。アリシアはアルフからの恨みがましい視線を見ないふりしながらそれを考えていた。

 確かに、プレシアのいない今となっては唯一の肉親であるアリシアを大切に思う気持ちはよく分かる。しかし、クロノから聞かされた事が少し脳裏をよぎった。

 

『フェイトは僕達の要求に良く応えてくれる、とても従順だ。だが、それだけなんだ。必要以外の会話なんて殆ど皆無だよ』

 

 フェイトは周りを見ていない、ようやく明るくなったといっても、それはアリシアとアルフの前だけだ。

 

(結局、心を閉ざしてるって事なんだよね。わかりにくい分、今までより状況は悪いか)

 

「ねえ、聞いてるの? お姉ちゃん」

 

 おっと、とアリシアは少し思案に沈んでいた意識を持ち上げ、少し頬を膨らましているフェイトに気がついた。

 

「ごめん、ごめん。少し考え事をしてた」

 

「そう、お姉ちゃんは私の話なんて面白くなかったんだね……」

 

 先ほどまでの高揚がまるで嘘のように反転するフェイトにアリシアは苦く思いながら、不器用な笑みを浮かべフェイトの髪を撫でた。

 とても柔らかで艶やかな金の髪はよく手入れが行き届いている。アルフが手入れをしているのだろうか、そうであれば良い仕事をしているとアリシアは思う。

 

「悪かったよ、お願いだから機嫌を直して、フェイト」

 

「あ、う、うん。ありがとうお姉ちゃん」

 

 そして、すぐに機嫌を直し頬を赤く染めるフェイト。

 拙いなぁとアリシアは思う。

 起伏が激しすぎる。ふとしたことで、躁状態と鬱状態が入れ替わり、余裕がない。というより、アリシアとのふれあいを何とか良い雰囲気にしようと必死になっているということが分かりすぎる。

 おそらく、と、アリシアは頬に笑みを浮かべながらも胸の内でため息をつく。おそらく、フェイトの心は既に悲鳴を上げている状態なのだろう。

 見捨てられたくない、見放されたくない、自分を必要として欲しい。酷いほどの依存。それを奪われればおそらく、フェイトはもう立ち直れない。今は自分たちがいるから何とか保っていられるが、本局の保護となり、アリシアと切り離されればその後どうなるか分からない。

 

 問題は山積みだ。しかし、フェイトとなのはが会えるということはその中にあっても良い影響になるはずだとアリシアは考えていた。

 

「そう言えばさ、アリシア。最近、チビ助(クロノ)と何かやってるみたいだけど、何してんだい?」

 

 半ば引きこもりのフェイトと違い、アルフは暇を見てはアースラを歩き回りそこそこの情報収集を行っている様子だった。

 その中でアルフはたびたびクロノとアリシアが何か打ち合わせのような、報告のようなものをしていることに気がついていた。

 

「ああ、なのはとユーノへの私なりのプレゼントの準備といったとこかな。ちなみに内容は秘密」

 

 なのはへのプレゼントというフレーズに目を輝かせたフェイトだったが、アリシアが秘密と言った事に気を落とした。

 

「お姉ちゃんはちゃんと考えてるんだね。私は、どうしようかな」

 

「まあ、フェイトなりによく考えてみるといいよ。まだ時間はあるんだから」

 

 フェイトがなのはと会えるのは、後二週間後。あの事件が一応の終結をみて、一ヶ月後の事だった。

 

*****

 

「これが最後の書類だ」

 

 なのは達との面会を明日に控えた夕食後、クロノはそう言ってアリシアに一枚の書面を手渡した。

 

「ありがとう、これで何とか間に合いそうだよ。ごめん、手を煩わせてしまって」

 

 その内容に不備がないことを確認し、アリシアは深く頭を下げた。クロノはそんな彼女の行動に目を丸くして驚いていたが、頭を上げたアリシアの悪戯好きな眼差しを見て、すぐに仏頂面に腕を組むと、

 

「別に、艦長が認めたことだ。それに、僕も艦長も君の提案をよしとした。君が気にすることではない」

 

「律儀だね、クロノは」

 

「君もたいがい過保護だな、アリシア」

 

 この二人の関係を言葉にするのは難しい。本来なら保護する側と保護される側であるはずが、いつの間にかアリシアはクロノ、リンディと何処か対等な関係を取るようになっている。

 それは、その二人がアリシアをベルディナと認めた事に起因するのかも知れないが、二人のハラオウンはアリシアをフェイトの姉として認識している部分が大きい。

 信頼関係というには浅く、友人関係というには年が離れすぎている。しかし、この三者は誰もが今の関係に何かしらの安息を与えられているのも確かなことだった。

 

「今は家族とはいえないけど、身内に対しては誰でもこんなものだと思うよ。クロノはそうではない?」

 

「ノーコメントとさせてもらおう」

 

 仏頂面ながら何処か機嫌の良いクロノはそう言いつつもにやりと笑みを浮かべていた。

 先日、フェイトの処遇が決定した。本局帰還後、フェイトは直ちに拘束され、そのままアースラの保護下に置かれる。

 その後、フェイトは嘱託魔導師(正規局員ではないが、高い権限を持たされる外部協力者)の試験を受けることとなる。それは、将来管理局に忠誠を誓う予定だとアピールすることで裁判をより有利にするための配慮だとアリシアは説明された。

 

 そして、アリシアは、一時期は自分も嘱託試験を受けようかとも思ったが、その魔法適正からは到底受かるはずもないとリンディ、クロノ両名から却下を食らった。

 元々管理局に忠誠を誓うつもりがさらさら無いアリシアだったが、役立たずの穀潰しが出来ることは足手まといにならないことだけだとあきらめた。

 アリシアの処遇はこれから追々決めていくということとなり、少なくとも本局にいるまではアースラに乗艦していることになりそうだ。

 アースラに乗艦して以来、リハビリを続けてきたアリシアは今となっては既に自分の足で歩き回れる程度には回復して来ているため、日常生活には問題はない。

 しかし、それでフェイトと離ればなれになる事は、どうも不可解な不安を感じていたのだ。

 どうして、とアリシアは考える。

 それまでの自分なら、フェイトのことなどさておいて自分自身の回復に死力を尽くすはずだ。

 ユーノに関する配慮は、言葉は悪いがベルディナであった頃の惰性と考えることも出来る。しかし、ベルディナであった頃の事を引きずっているなら、フェイトの関しては何の感情も浮かばないはずだった。

 

 他人に対しては一切関知せず。それがどのような人生を歩もうとも自分の利益には何の関係もないし興味もない。

 しかし、それを思い浮かべるたびにアリシアは頭の奥に鈍痛を感じるようになったのだ。

 何かの後遺症なのかとアリシアは考えていたが、医者の意見では脳には何の障害も見受けられない、どころか健康者よりも随分健康者然としているというのが、随分な皮肉のこもった見解だった。

 

 ともあれ別れの時は近い。ならば、今を愉快にやれればそれで良いとアリシアは実にベルディナらしい考え方で次の日を迎えた。

 

****

 

 なのはは、数日前に入った連絡に落ち着かない様子でその日を待ちわびていた。

 そして、興奮と期待、僅かな不安を抱きその日はあっけなく寝坊してしまった。

 

「何で起こしてくれなかったのーーー!!!」

 

 必死になって慣れないランニングを余儀なくされたなのはだったが、その首筋に捕まるユーノは振り落とされまいと必死で答える余裕がなかった。

 

《私の目覚ましは禁止されていましたので》

 

 と、なのはの平たい胸元の赤い石ころは皮肉混じりにそう答えた。

 

「あんなの聞いて一日を始めるのはいやなのぉーー!!」

 

 ピー音だらけのモーニングコールが頭の中に響き渡るその目覚ましは、幼いなのはであっても一生の心傷になるほどえげつないものだった。

 側にいて巻き添えを食らったユーノにしてもその日は一日中嘔吐いていたほどといえば、その凄まじさが予想できるかもしれない。

 

 ともあれ、夏も近く朝の穏やかに涼んだ霧の中、海鳴市海浜公園と呼ばれる海沿いの広場に到着したなのはは、そこにたたずむ二人の少女と一人の女性、そして一人の少年の前に足を止めた。

 

 何を話して良いのか分からない。会う前なら色々話したかったこと、聞きたかったこと、言っておきたかったこなど覚えるのも億劫なほどあったというのに、実際にそうして面と向かってしまえばその言葉もすべて頭の中から消え去ってしまった。

 ああ、そうか。となのはは納得した。そんないつでも考えられるような事なんて、最初から意味がなかったんだと、彼女は笑みを浮かべた。

 ただ会えるだけでいい。会って、お互いにお互いを確認し合い、そして笑いかけ合えばそれだけで良いんだとなのはは心が透き通っていくような思いだった。

 

「ひさし、ぶり、だね。フェイトちゃん」

 

 はにかむようになのはは眼前でうつむくフェイトに何とか声をかけた。

 何か気恥ずかしい。自分はこんなにも人見知りだっただろうかと思ってしまう。

 今思うと、寝ぼけて焦っていつもの習慣で着て来てしまった学校の制服が恨めしい。

 フェイトは、白いブラウスに白いシンプルな短いスカートを身につけ、まるでそれは等身大の人形を思わせるほど見目麗しい。黒い戦闘服を愛用する彼女だったが、白色に包まれたその姿は純真無垢な彼女の性質を現すようで、まぶしいほどに輝いて見えた。

 

「うん……。ひさし、ぶりだ」

 

 フェイトはいつまでたっても視線をあげようとしない。なのははそれでもこうしていられることに幸福を感じていた。

 

「元気だった?」

 

「うん。お姉ちゃんがいてくれたし、アルフもいるから」

 

 海からの優しい風が二人の間を通り抜けていった。

 

「前に、君は言ってくれたよね」

 

 フェイトは面を上げた。

 

「私と、友達になりたいって」

 

 なのはは、静かに頷いた。あのとき誓ったこと。悲しみの瞳に沈んだ少女を助けたい、そして友達になって一緒にそれをわかり合いたい。

 その気持ちは一切変わっていないとなのはは自信を持って答えた。

 

「私、今まで友達とかいなかったから、どうしたら友達になれるかとか分からないんだ」

 

 フェイトは悲しそうに呟いた。

 

「簡単だよ」

 

 なのはの言葉にフェイトは目を上げる。

 

「友達になるの、すごく簡単」

 

 なのははフェイトの両手を取り、そして熱を伝え合うようにそれを包み込んだ。

 

「名前を、呼んで。初めはそれだけで良いの」

 

 名前を呼ぶ。それは、相手を相手と認め合うこと。ただそれだけで、お互いの心には相手がいる。

 

「な、なの、は…」

 

「うん、フェイトちゃん」

 

「な、の、は」

 

「フェイトちゃん」

 

「なのは。私と、友達になって、くれますか?」

 

「喜んで、だよ。フェイトちゃん!」

 

 二人はいつしか頬に涙を浮かべ、お互いにお互いの熱を確かめ合うように抱きしめあった。

 

*****

 

「すっかり蚊帳の外なってしまったね、ユーノ」

 

 少しけだるそうな様子でフェンスにもたれかかるアリシアは、いつの間にか人間の形態に戻って側に立っていたユーノに声をかけた。

 

「フェイトォー、フェイトぉー。良かったよぉーー」

 

 その隣では、フェイトがなのはと手を取り合って笑っている事に感動するあまり、頬をぐしゃぐしゃにしているアルフも立っていた。

 

「良かった。本当に良かった。なのははずっと気にしてたから」

 

 久しぶりに本来の姿に戻れたことに開放感を感じていたのか、ユーノは居心地が良さそうな雰囲気でしきりに頷いていた。

 

「やっぱり、その姿の方が落ち着く?」

 

 アリシアの皮肉混じりの言葉に苦笑いを返しながらも、ユーノは頷いた。

 

「うん。だけど、なのはと一緒にいるためにはそうするしかないから」

 

《役得な部分もありますがね、ユーノ。先日もマスターと湯殿を共にした上に同衾までされておりました》

 

 いつの間にかなのはの平らな胸元からユーノの貧相な胸板に移動していたレイジングハートは、しれっとそんなことを宣っていた。

 

「言わないでよレイジングハート。僕だって、何とかして欲しいんだから」

 

 ユーノは焦るが、レイジングハートは我関せずと光を明滅させるばかりだった。

 久しぶりのテンポの良い会話にアリシアは懐かしさを感じながらも、ユーノに確認した。

 

「だったら、人の姿でこの世界にいたい?」

 

「そうしたいのは山々だけど、無理だから」

 

「ふーん……だったら、OKかな?」

 

 クロノから、ユーノはなのはの世界で生きたいと聞いていた。しかし、アリシアはそれを直接ユーノの口から聞かない限り、それを行わないと考えていた。

 そして、今、ユーノは確かにそう答えた。

 人としてなのはの側にいたい。

 ならば、と、アリシアはユーノに脇に抱えていた書類一式を投げ渡した。

 

「なにこれ?」

 

 それは、ミッドチルダの共用語で書かれたものではなかった。ユーノにとっては異国の、最近になって身近になった言葉、日本語で書かれた書類一式だった。

 

「それが、私から……正確には私とリンディ提督、クロノ執務官からの餞別だよ」

 

 そして、それを読んだユーノは驚愕に言葉を失った。

 

「日本生まれ、日本育ちのギリシャ人。両親を失って現在一人で生活し、最近になって海鳴に引っ越してきた。国籍は日本。住所は海鳴市。住民票から何からすべて正式のものだよ。いろいろと裏技を使ってはいるけどね」

 

 随分面倒な手続きだったし、リンディとクロノにはでかい借りを作ってしまったとアリシアは愚痴るように呟いた。そして、アリシアは最後の仕上げとして、懐から一枚のカードを取り出しユーノに手渡した。

 

「そして、これがベルディナからの最後の餞別。一〇〇万ミッドガルド相当の口座カード。これからこの国で生活するためのものだよ。十数年間、ユーノが成人するまでの生活費、家賃、教育費、授業料、その他込みと考えてあるから大切に使ってね」

 

 それは、日本の主要都市銀行の口座のキャッシュカードだった。ベルディナの餞別と言ったのは、かつてベルディナが所有していた個人資産のなかで、何とか回収できたものの全てだった。そして、それは文字通りベルディナからユーノへの最後の贈り物でもある。

 

「こ、これって……アリシア!」

 

「ユーノは、ずっとそうだった。スクライアに居たとき、君は周りばっかり気にしていて、自分のことを度外視してたよね」

 

「そ、それは……」

 

「だから、君が高町なのはのところにいたいって聞いたとき、私は嬉しかったよ。どんな形ででも、ユーノが初めて我が儘を言ってくれたんだ。それを後押しするのは家族としての義務」

 

「……アリシア……」

 

「結局ベルディナは君の父親の代わりにもなれなかったから。だから、これが、あの人が君にしてあげられる最後の、父親らしい事なんだ。受け取ってもらえるかな?」

 

「ありがとう、アリシア。僕は、僕は、ベルディナのことを本当にお父さんだって思ってた」

 

「それを聞いたら、きっとベルディナも喜ぶよ。彼はもう、いないけどね」

 

「アリシア……」

 

「幸せなってユーノ。それがベルディナが望んでやまなかったことだから。あの人の代わりに私……アリシアがユーノに伝えるよ」

 

《アリシア嬢、貴方は……》

 

「レイジングハートも、今のマスターと一緒に元気で」

 

《私は、ベルディナが所有者であったこと、その彼と40年間共にあったことを誇りに思います》

 

「じゃあ、行って。なのはが呼んでるから」

 

「うん、アリシアも元気で」

 

《また、お会いしましょう》

 

「その機会があればね」

 

 巣立ちを見守るのは親の努め。そうして、アリシアは愛するものの元へと旅立っていく子供達を眺めながら、ベルディナとして残っていた最後の願いが朝の霧と共に消え去っていく事を、じっくりとかみしめていた。

 

「それにしても、地球は結構良さそうなところだね。次はプライベートで遊びに来たいなぁ」

 

 澄み切った蒼穹に彼女の朗らかな声が歌となって響き渡った。

 

 


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