八つの房を虚ろの淵に-Fate/Phantasmagoria- 作:広野
太陽が東から顔を出し始めた黎明の頃、すでに聖杯戦争は動き始めていた。
否、昨夜から引き続いてと表現すべきだろう。
冬木教会……本来ならば公正中立に聖杯戦争を運営する責務を担う神の家すら、例外ではなかった。
アサシンのマスター、言峰綺礼が父の璃正と共に魔導通信機によってアーチャーのマスターである遠坂時臣と密議を行っているのだ。
聖堂協会の意向、何より個人的友誼によって遠坂をバックアップする璃正に従い、綺礼は脱落したマスターを装って諜報活動に従事していた。
綺礼が使役しているアサシンのサーヴァント――真名を百の貌のハサン。
恐るべき群体型サーヴァントたるハサン達によって、他陣営を圧倒する情報アドバンテージを得た遠坂陣営は盤上を思うままに操ろうと画策している。
『ついにキャスターも捕捉したか』
今もアサシンが唯一存在を掴めていかなかったキャスターを発見したとの報告を綺礼から受け、時臣は上機嫌でワイングラスに口をつけている。
本拠にして工房である遠坂邸から一歩も動かないまま、聖杯戦争の趨勢を自分の望む方向へ動かしている。気分よく酒も飲めるはずだ。
しかし、報告の続きを言い淀む綺礼を訝しく思った次の瞬間、時臣の優雅さは消し飛ばされることとなった。
「……キャスターとそのマスターは深山町から隣市を股にかけて、就寝中の児童を次々に誘拐しました。夜明けまでに五人。不幸中の幸いであったのは、いずれも家人が寝静まったまま穏便に済んだのと事前に設置されていた使い魔による警戒網によってある程度行動を抑制できた事です」
動揺を隠せない時臣の気配を感じ取りながらも、綺礼は淡々と報告を続けていく。
キャスターは魔術の痕跡を秘匿しようともせず好き勝手に振舞っていること。
マスターは巷を騒がせる連続殺人犯、キャスターの真名は悪名高き『青髭』ジル・ド・レェ。二人は喜々として殺戮に勤しんでいる様子。
マスターとサーヴァント、双方とも常軌を逸した言動を繰り返しており聖杯戦争そのものが眼中にないと推測されるとのこと。
報告を全て聴き終えた時臣は、不愉快な疲労感がべっとりとまとわり付くのを意識せざるを得なかった。
ただでさえ己のサーヴァントたるアーチャー……英雄王ギルガメッシュの扱いに四苦八苦させられているというのに、ここにきて更なる厄介事が舞い込むとは。
思わず深々と溜息をついた後、どう対処したものかと思案していると今度は綺礼ではなく璃正神父が時臣に語りかける。
「これは看過できんでしょう、時臣くん。キャスター達の行動はルールを逸脱しすぎている。今回の聖杯戦争の進行を妨げるであろう事は明白だ」
『無論です。冬木の地のセカンドオーナーとして……何より魔術の秘匿に責任を負う者としても、断じて許せることではない』
苦虫を噛み潰したような表情をしているであろうと用意に想像できる声音の璃正に、時臣は聖杯戦争の参加者ではなく霊脈の管理者として応える。
しかし璃正はその返答に安心せず、先ほどとは違う焦燥を声に乗せた。
「何よりこの事態、かの御仁が放っておくとは思えません。監督役としてオブザーバーの立場を忘れぬよう度々釘を差していますが、こうして実害が出てしまえば何時まで抑えておけるものか……」
その言葉で時臣は思わず息を呑む。そうだ、キャスター達の狼藉によってもう一つ大きな問題が浮上している。
第四次聖杯戦争には、今までとくらべ大きな違いがある。それが外部よりやってきたオブザーバーの存在だ。
そも、聖杯戦争とは遠坂・マキリ・アインツベルンのいわゆる御三家によって立案され実行されてきた悲願の魔術儀式。
今更他所から来た部外者が嘴を突っ込む事柄ではない、というのが三家に共通した認識だった。
しかしながら、立会人に名乗りを上げた人物はこれまでの聖杯戦争における一般人への被害の大きさを指摘。これを見過ごしてきたばかりか、自ら被害を拡大する場合もある御三家を糾弾。
重ねて、形式だけの監督役と成り下がり御三家の行動を放置してきた聖堂教会と魔術協会の対応にも大きな問題があると訴えたのだ。
よって、どの勢力・個人にも属さず一般人への被害を防ぐ役割を担う者が参加する必要があるとも。
これが実力の伴わぬ者ならば、単なる戯れ言と一蹴できたし、如何様にも対処できた。
だが、御三家にとって不運だったのはその人物が紛うことなき第一級の実力者であり、時計塔ですら無視できない威光の持ち主だった事だ。
結果、魔術協会はかの人物の言を受け入れ、オブザーバーとして第四次聖杯戦争に参加させるよう公式に時臣へ伝えてきた。
当然それを拒否しようとした時臣であったが、如何な聖杯戦争開催地のオーナーとはいえ魔術師である以上は魔術協会の決定事項を拒否しきれず、渋々受け入れるはめになったのである。時臣が折れてしまえば、監督役の璃正が口出しできる話ではない。
こうして、異例中の異例として聖杯戦争にオブザーバーが参加する事と相成った。
ここまでの時点で理解できていると思うが、立会人は魔術師とはまるで違う考え方の持ち主だ。
魔術の秘匿さえきちんと行われてさえいれば、一般人が犠牲になろうとも黙認する。これはなにも時臣が特段非情である訳ではなく、魔術師からすればごく一般的な思考だ。
倫理の是非ではなく、神秘が衆目に晒されぬよう細心の注意を払っているか……それだけが争点となる。
だというのに、立会人は倫理の是非こそを重要視する。例えどれだけ完璧に秘匿されようと、無辜の人々を手に掛けた時点で情状酌量の余地は一切なし――まさに正義の執行者といえよう。
綺礼の報告にもあった使い魔による警戒網を敷いたのも件の立会人。であるからして、キャスターの狼藉はすでに周知の事実であろう。
立て続けの問題に頭痛と胃痛が襲ってきた時臣は、こめかみに指を当てながら沈痛な面持ちで首を振った。
「恐らくは、四度の殺人事件以降の児童失踪事件もこの二人の仕業でしょう」
時臣が落ち着いた頃合いを見計らって、綺礼が私見を述べる。
「行方不明の子供たちは、報道されているだけで六人。今朝の再調達も含めれば十人を越えます。今後、彼らが行状を改める可能性は限りなく低いと思われます。父上、早急に手を打つべきかと」
「うむ。すでに警告や罰則では済まされぬし、何より立会人殿が済ませてもくれぬだろう。キャスターとそのマスターは排除するしかあるまいな」
「問題は、サーヴァントにはサーヴァントを以て抗するしか――」
言いかけて、ぴたりと綺礼の口が止まる。自分の言おうとした事が、必ずしも正しくはないと気付いたからだ。
息子の言わんとした事を理解した璃正もまた、目頭を抑え困り切った声を出す。
「普通ならば、な。しかしあの立会人殿ならばサーヴァントとも切り結べるだろう。それどころか、最悪倒してのける可能性すらある」
「ならば、キャスターにはアサシンを差し向けて確実に先手を取りますか?」
「それは最後の手段だ。わざわざ策を弄してまで隠匿したアサシンをこの段階で表舞台に戻すのは、リスクが高すぎる」
璃正はしばし黙考した後、思いついた策を時臣に切り出してみた。
「監督役の権限を持って、若干のルール変更をしましょう。ひとまずは通常の聖杯戦争を保留し、全てのマスターをキャスター討伐に動員します」
『ふむ。妙案がお有りですか、神父』
「戦局を優位に運べる恩賞を用意します。他のマスター達にとって見過ごせないアドバンテージとなるでしょうし、そもそもキャスター一人の暴走で聖杯戦争自体が破綻する結末は是が非でも阻止しようとするはずです」
『ゲームの趣向を変えて狐狩りを競うわけですな。しかし、立会人殿は大人しくしてくれるでしょうか?』
「まだ聖杯戦争の参加者のみで解決できる段階だと私が説得します。とはいえ、これ以上被害が拡大すれば遠からず抑えきれなくなるでしょう。急いて事を仕損じては元も子もありませんが、残された時間も多くありません」
監督役としてオブザーバーを押さえ込めるのにも限度があった。
呑気に手をこまねいていれば、独自に行動されてこちらの思惑が全てご破算になる危険が常につきまとっている。
『討伐の報償によるアドバンテージが他陣営にもたらされれば、後々跳ね返って我々の障害になるやもしれませんが……最悪、受け入れざるを得ないでしょうね』
「情勢をコントロールできなくなるリスクと天秤に掛ければ、必要な代償と言えましょう」
まったく、頭の痛い問題だ。
万全の準備を整えて聖杯を得る算段を付けた所に、どうしてこうも予想外の問題ばかり降って湧くのか。
「もちろん、それは好ましくない展開です。可能な限り、キャスターにとどめを刺すのはアーチャーとなるよう取り計らいましょう」
『お願いします。私もなんとか、英雄王をその気にさせますので』
幸いアサシンの監視で、いつ英雄王に出陣願うか決めるのは簡単だ。
あっちこっちにかき回されては居るが、遠坂陣営の戦術はこれまで通り盤石だ。今のところは、であるが。
「思い立ったがなんとやら、です。早速、他のマスターを招集する準備を整えます」
ようやっと方針が固まり、璃正は素早く実行に移すべく地下室を足早に立ち去った。
残された綺礼も退出しようとしたが、その前に時臣が呼び止めた。
『そういえば綺礼、例の男の動向は掴んでいるかね?』
「はっ、抜かり無く。アサシンを一人貼り付けていますので、動き出せばすぐに分かります」
『相変わらず手抜かりのない見事な仕事ぶりだね、綺礼』
愛弟子の打てば響く反応に満足気に頷いた時臣だったが、すぐに渋い顔へ変わる。
『まったく、理不尽にも程がある。サーヴァントと真正面から戦えるような怪物が、二人も現れるとは……。それも立会人殿ならまだしも、あのような見るからに如何わしい男とはな』
倉庫街で大立ち回りを演じた虎蔵の事は、すでに危険因子として監視対象にしてある。
身元も素性も目的も知れないサーヴァントと戦える部外者。実に危険極まりなく、時臣の立てた戦略を瓦解させかねない存在に対しての当然の措置といえる。
とはいえ、如何わしい、と時臣が言うのは少々お門違いではないかと綺礼は思う。
ギルガメッシュ召喚の触媒となった最古の蛇の抜け殻の入手先からして、怪しげな裏のオークションだったではないか。
しかも主催者の出海とかいう男ともそれなりに親しいらしく、同封されていた便箋にご武運をお祈り致しますだとか何とか書かれてるのを見た際には「出海君も細やかな気配りをするものだ」と笑っていた。
綺礼から言わせれば、あの虎蔵とかいう男もオークショニアの出海も胡散臭さではどっちもどっちだった。
無論、それを面と向かって師に言うつもりは更々なかったので胸の奥にしまいこんだが。
『どうしてこう私の代になってから厄介事が舞い込むのか。いや、これも根源へと至る為の試練と受け取るべきなのだろうな』
「ご心痛、お察しします。父も私も、時臣師の悲願達成に骨身を惜しむつもりはありません。どうかご安心を」
『ありがとう、綺礼。その言葉、心強く思うよ……しかし、君に一つ確認しなければならないことがある』
来たな、と綺礼は予期していた問題に向かい合う時間が訪れたのを直感した。
『君は昨夜、冬木教会の敷地を出て行動を起こしたそうだが』
「申し訳ありません。危険は承知していましたが、小うるさい間諜を処置する為にやむを得ず……」
師に詰問されるのは大きな問題ではあったが、予め予想できている問題ならば対応する準備はしっかりと出来上がっている。
『教会に居る君に対して、間諜?』
「ご心配にはおよびません。曲者の口は封じ、必要な後始末を行いました」
『サーヴァントを使わずにか?』
「それには及ばない些末事と判断しました。また、万が一立会人に見咎められてはそれこそ本末転倒かと思いまして」
厳しい声音で問いただす時臣の追求を、真実と虚言を織り交ぜた言い訳でさらりと往なす。
師に対して嘘をつくことに罪悪感も抵抗も一切感じなかったのを、綺礼自身が一番驚いていた。
だがそれも当然だろう。昨夜の行動は、綺礼のもっとも深い根本の部分に抱えた問題を解決する糸口に繋がるものだ。
例え師以外の誰かから止めるよう言われたものだったとしても、同じように約束を破りこうして嘘をついて誤魔化しただろう。
自分自身ですら抑えられない、魂の欲求。
これまでの人生全てを賭けて追い求め続けた問いへの答え。
これを得られるのならば、何もかも投げ捨てる覚悟が綺礼にはあった。
重苦しい沈黙の後、折れたのは時臣だった。
『たしかに、君ほどの手練ならばアサシンを使わずとも事を収められるだろう。立会人に干渉される口実を減らすのも大事だ。しかし今この局面においては、些か軽率だったのも事実ではないかね?』
「はい、申し訳ありませんでした。以後慎みます」
これもまた、嘘。
これから先も、答えを得られるまで自分は戦場であの男の影を求め続けるだろう。
衛宮切嗣……一足先に答えを得た、自分と同じ求道者と出会える時まで。
渋々ながらも納得したのだろう。時臣もこれ以上口論するつもりはないようで、通信機は沈黙している。
暇を告げると、綺礼は私室に戻ろうと地下室を後にする。
あるいは。
ここで、時臣が綺礼を呼び止めてその真意を問うていれば。
綺礼が胸襟を開き、己の悩みを打ち明けられるほどの信頼を時臣が勝ち取れていれば。
金色の蛇が悩める聖職者を誑かすのを、防ぐことが出来たかもしれない。
すでに賽は投げられた後に言っても、詮ないことだったが。
事はすべてエレガントに運べ、綺礼
中の人的には「凛ちゃん、パパだよ。そしてこれはパンダ。」の方ですが
そういえばパパの声だけじゃなく兄弟の下の子が不幸になるってのも共通してますね