八つの房を虚ろの淵に-Fate/Phantasmagoria-   作:広野

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大変遅くなりましたが生きてます


第五話 烏の鳴かぬ日はあれど

 深夜、夜の帳が街に下りた刻限。

 

 いまだ開発途上である冬木市新都。そこにおける最上級……おそらく他の高級ホテルが出揃ったとしても評判と格を落とすことはないであろう最高のサービスを受けられる場所。

 それこそが冬木ハイアットホテルであり、最上階の三二階スイートルームはその集大成といえよう。

 だが、そんな贅を凝らした空間に陣取る男の顔は、どう贔屓目に見ても喜ばしいものではない。

 

 ランサーのマスター、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは内心に渦巻く鬱屈を少しでも和らげるべく、深く吐息を吐き出した。

 鬱屈の原因は様々だ。例えばそれはホテルの内装への批判的意識であったり、遡って極東の島国への偏見混じりの侮蔑であったりという具合に。

 中でも、取り分け大きな原因は二つ。

 

 己の道具たるサーヴァントの無様な――そう、ケイネスからすれば無様としか形容できない戦いぶり。令呪の一画を使い潰した挙句に、敵の一体も倒せずじまい。『名にし負うロード・エルメロイ』の使い魔とは到底考えられぬ失態だ。

 約束されていたはずの華々しい武勲。埋められるはずだった栄光と祝福に彩られた人生の僅かな欠落が、より一層際立つ結果。

 

 だが、それはいい。

 それは今も霊体化して傍に控える美丈夫を詰問し、叱責し、溜飲を下げればよろしい。

 

 問題は、一流の魔術師達が秘術を尽くす闘いに無遠慮に踏み込んできた闖入者。

 場違いなその乱入者は、神秘の象徴たるサーヴァントによって速やかに駆除される……ケイネスを含めあの場にいた魔術師は誰もがそう思った。

 

 だが、あの男は――。

 ああ、今でも鮮明に思い出せることが忌々しい。

 あの黒尽くめの男の、不遜な笑み。

 

 旋風を纏ってバーサーカーに躍りかかった男は、あろうことか真っ向からサーヴァントと対峙し、渡り合い、ついには一時的にせよ叩きのめした。

 ――あり得ない。

 それが偽らざるケイネスの感想だった。

 時計塔のロードたる自分ですら、真正面からサーヴァントと戦えば赤子の手を撚るように容易く殺されるだろう。

 いやケイネスのみならず、他のロードを含めたどんな魔術師であれ結果は変わるまい。

 真っ当な魔術師であれば、そんな馬鹿げた自殺行為は絶対にしない。だというのに――。

 

 見るからに野卑で粗野で不遜な愚かなる不心得者。ケイネスの道理からすれば見下してしかるべき男が、ケイネスに出来ないことを平然とやってのけた。

 その事実がケイネスの高いプライドをじわじわと蝕むのだ。喉に刺さった小骨の不快感に近い。

 とはいえ、ケイネスもこの程度で自分を見失うほど馬鹿では断じてない。苛々を募らせるのと同時に、男の正体への推理を目まぐるしく展開している。

 

 自分の知らぬ魔術師。ならば時計塔とは十中八九関係ない。

 東洋人の風貌。この国土着の魔術師か?

 あれほどの力。何らかの組織あるいは政府に所属しているのか。

 

 あれこれと考えを巡らし、いくつもの仮定を立ててみるが、どれもしっくりと来ない。

 それがまた、内心の怒りと不快感を強める悪循環となっていた。

 

 だが、まあ、いい。

 男の言葉通り、ただの酔狂な通りすがりならば、思い煩うだけ無駄だ。

 もしも牙を向けてくるならば、その時こそ自慢の秘術を持って堂々と闘い、輝かしい武勲の首級としてやれば良い。むしろそうなった方が望ましい。

 

 区切りのいい所でケイネスは強制的に思考を打ちきった。益体もない思考に耽溺して時間を無駄遣いするのはこれくらいでいいだろう。

 深呼吸を一つ、気持ちを切り替えて沸々と煮立つ暗い感情を一先ずは腹の底へと押し込める事に成功した。

 

 クリアになった頭に、冷静な思考力が戻ってくると、ふとチェックインした時の記憶が浮かび上がってきた。

 何故?

 何か引っかかる。

 意識に引っかかる何かが記憶されているのだ。

 そうだ、ロビーに居た若い男女の二人組……。前にどこかで見たような気がしていたのだ。

 

 女性に見紛うほどの美貌をした眼鏡の男と、長い黒髪をした落ち着いた雰囲気の女。

 

 はて、一体どこで見かけたのか。

 この国に来てからではない。もっと前……そう、ロンドンではなかっただろうか。

 記憶の糸を辿っていく内に、自分が酷く滑稽な真似をしているのに気付いたケイネスは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

(馬鹿馬鹿しい。なにゆえこの私が見ず知らずの他人の顔を懸命に思い出そうとしているのだ)

 

 初めて戦場を経験したせいで、脳が興奮して不要な情報まで引き出しているのか。

 存外、自分で考えていたより神経が細いのかもしれんな。

 自嘲気味に分析すると、今度こそ無駄な思考を完全に停止させる。

 

「出てこい。ランサー」

「は。――お側に」

 

 やるべき事は無為な考え事ではなく、不出来な使い魔に灸を据えることだ。

 どうしても気にかかるならば、暇つぶしの際にでもまた考えれば良い。

 ケイネスは恭しく膝をついて臣下の礼を取る美丈夫の賓を冷めた眼で見やると、手繰り寄せた記憶の糸を思考の海へと放り投げた。

 

 ……しかし、この後の許嫁からの激しい叱責と侮辱、唐突な襲撃、万全の構築をした工房が文字道理に足元から崩れ落ちるといった立て続けの事態に翻弄されて、暫くの間ケイネスはこの奇妙な既視感を思い出すことはなかった。

 次に思い出したのは、自身の身に筆舌に尽くし難い艱難辛苦が降りかかった時。

 その時にこそ、ケイネスはこの疑問の答えを得る。

 

 

 

「ホワン様! いらっしゃいませんか!?」

 

 つい今しがた切嗣に暗示をかけられたホテルのフロント係が、大声を上げて宿泊客を探している。目当ての人物であろう東洋人の男が返事をすると、安堵の溜息をついていた。

 

 その光景を横目にしながら、衛宮切嗣は人目につかない物陰へと歩いて行く。

 取り出した携帯電話で助手である久宇舞弥へと連絡し、異常がないことを確認すると、準備はすべて整った。

 

 セイバーの本当のマスターである衛宮切嗣は、妻であるアイリスフィールに仮初のマスター役を演じさせ、裏では様々な工作に従事している。

 そして幾重にも張り巡らされた謀略の内、一つがまさに実を結ぼうとしていた。

 

 切嗣がスムーズな動作で携帯電話を操作すると、すぐに結果が現れた。

 仕掛けられた爆弾が起爆し、要となる部分を破壊されたことで自重に耐え切れず崩壊する高層ホテル。周囲に破片は一切飛ばず、芸術的とすら言える爆破解体だった。

 見事な手際の良さは、『魔術師殺し』などという外道働きから足を洗ってそちらの仕事に就いた方がよほど良いのでは、とすら思わせたが、残念ながら切嗣本人を含めそんな呑気な感想を持つ者は誰も居なかった。

 

 突然の出来事に泡を食って逃げ出す宿泊客が散り散りに去った後、切嗣は紫煙をくゆらせながら舞弥に戦果のほどを確認する。

 返答は標的の脱出形跡なし……予定通りにケイネス・エルメロイ・アーチボルトは瓦礫の下に埋もれているはずだ。

 思惑通りに事が進み、一先ずは満足できる状況と言えるだろう。

 

 そこまで考えた時、ふと、切嗣の視界があるものを捉えた。

 

 全身に粉塵を浴びてほうほうの体で逃げていく母子。

 その姿を引き金に、自分が無関係な宿泊客を逃がすためにボヤ騒ぎなどという無駄な一手間を加えたのではないかという疑問が浮かび上がってしまう。

 

 今の親子を一瞬だけとはいえ愛する妻子に重ねてしまったことといい――現在の衛宮切嗣は九年前の衛宮切嗣より劣っている。

 家族と過ごす暖かな幸福を味わってしまった代償として、甘さと感傷を無意識の内に押さえ込めなくなっているのだとしたら……それがもたらす不具合は、遠からず戦場での致命傷を呼び込むだろう。

 

 幸い、まだ時間はある。聖杯戦争は序盤も序盤。策謀と血風渦巻く修羅の巷を走り回る内に、かつての悪辣さと冷酷さを取り戻せばいいだけのことだ。

 切嗣は煙草の煙をたっぷりと肺に吸い込み、気分を切り替えると指示を待っている舞弥に撤退を伝えようとした。

 

「舞弥、撤退を――」

 

 その時。

 

 聞こえてきたのは金属の奏でる冷たい音。

 

「どうした舞弥? 何があった?」

 

 焦りを押し殺し、努めて冷静に返事を待つ。

 しかし舞弥からの返事はない。つまり、返事をできない状況にある。

 

 状況を理解した切嗣の行動は素早かった。

 現在地から舞弥の待機していた冬木センタービル三八階フロアに可能な援護行動……脳内で組み立てたいくつかの行動パターンから最適な物を選択し、実行に移す。

 移動しながらコートの内ポケットから分解されたグレネードランチャーを取り出して手早く組み立てると、軍用発煙筒をセットする。

 本来なら手投げ式だが、撃ち出せないわけではない……ただ、難易度がとてつもなく跳ね上がるだけで。

 この程度の不利で泣き言を漏らすようでは、とうの昔にどこかで屍を晒す末路になっていただろう。

 そして事実として、数多の戦場を駆け抜けた魔術師殺しは今もこうして戦場に立っている。

 

 当然の帰結として、撃ちだされた発煙筒は狙い違わず三八階フロアに着弾。濛々とした白い煙が宵闇を侵していく。

 着弾を確認してすぐに、切嗣は離脱を開始した。これ以上の援護は必要ない。この行動で生まれた一瞬の空白で、無事に逃げおおせるだけの実力を舞弥は持ち合わせている。

 

 切嗣の信頼通り、程なくして事前に用意しておいた合流地点の一つであるセーフハウスに舞弥は現れた。

 

「舞弥、損害は?」

「戦闘によりグロッグを損失。突撃銃も回収出来ませんでした。右手の甲に裂傷を負いましたが、軽傷です」

 

 無事で良かった、という情緒的な対応は二人とも不要だった。

 淡々と突然のアクシデントによる損害を確認し、必要な対応を決めていく。

 

「――誰だった?」

 

 故に、問う言葉もまた不必要な装飾を廃し、端的。

 何が起こった、ではなく誰が襲ってきたのかを問う。

 

 切嗣の問いに、僅かに……そう、舞弥としては実に珍しく僅かな躊躇いを見せた。

 それに不吉さを覚えた切嗣は、続く舞弥の答えに自分の直感が正しかったのを知る。

 

「言峰綺礼、でした」

 

 齎されたのは、最悪の回答。

 事前の準備段階において、唯一、『危険』だと……『恐ろしい』と他ならぬ切嗣本人が評した男が、こちらの手の内を見透かすような形で奇襲を仕掛けてきた。

 その事実が、過去と現在の自分の齟齬に軋みを上げる切嗣の精神に追い打ちをかける。

 

「そう、か」

 

 感情の窺い知れない乾いた返事が、半ば自動的に切嗣の口からこぼれ出た。

 衛宮切嗣という戦闘機械を誰よりも理解する舞弥には、こうなることが予期できていたからこそ伝えるのを躊躇ったのだ。

 本調子ではない状態で与えられる過負荷。それは間違いなく、人としても機械としても切嗣の性能を低下させる一因となっている。

 

 自分を案じる舞弥の視線にも気付くことなく、切嗣は視線を下げて床を睨む形で内面の思考へと没頭する。

 

 読まれていた? 行動を。

 何のために?

 狙っていた? 僕を。

 

 瞬間、切嗣は総身に冷や汗をかいた。

 自分が負け、聖杯が――アイリの聖杯が言峰綺礼の手に落ちる事を至極簡単にイメージできたからだ。

 

 足元が崩れていく感覚。

 

 慢心も油断も一切なく、取りうる手段は全て取れるように万全を期した筈だ。

 だというのに、最大の懸念事項が、すでに自分を獲物として狙い定めている。

 ただその一点だけで、全ての用意が無駄だった錯覚に陥る。

 

 愛する女を失うのに、何も得られないかもしれないという予感。

 いや、もっと言えば愛する人を喪う恐怖そのものが、切嗣の心を激しく揺さぶっていた。

 

 これこそが、九年前の衛宮切嗣に現在の衛宮切嗣が劣る最大の理由。

 愛を知ったからこそ覚えた、愛する者を失う恐怖が、切嗣を容赦なく責め苛む。

 

 

 苦悩する切嗣を、しかし舞弥はただ黙って見ているしかできない。

 機械としての衛宮切嗣に必要不可欠な補助機械――それが久宇舞弥。それはつまり人間としての衛宮切嗣にとっては、不要なガラクタに過ぎない。

 切嗣自身はともかく、舞弥本人はそのように堅く信じていた。

 

 だからこそ、かける言葉が見つからない。これは久宇舞弥の役割ではないから。

 人間、衛宮切嗣を癒やし、優しく包み込むのは唯一人。彼を愛し、彼に愛される女であるアイリスフィール・フォン・アインツベルンだけができる役割だから。

 

 ままならぬもどかしさを、決して切嗣に悟られないよう押し殺すと、いつもの鉄面皮で舞弥は只々待ち続ける。

 いつもと変わらずそこに在ることこそが、自分にできる切嗣を安心させられる唯一の方法だと信じて。

 

 舞弥の想いが伝わったのかは定かで無いが、数分の沈黙の後に再び視線を上げた切嗣は、すでに魔術師殺しとしての己を取り戻していた。

 

「……舞弥、例の男の所在は特定できたか?」

「はい。使い魔による尾行は問題なく完了しました。現在も監視を続けていますが、特に目立った動きはありません」

 

 唐突な話題の変更に若干戸惑いながらも、舞弥はすらすらと求められた答えを返す。

 例の男、と言えば今はただ一人を指し示す。

 すなわち、セイバーに助太刀をした謎の黒スーツ男、長谷川虎蔵。

 

 倉庫街での戦いの後、虎蔵は尾行を気にする様子などまるで見せず、悠々と深山町にある屋敷に引き上げて以降全く動きを見せない。

 あの無防備さではセイバー陣営だけでなく、使い魔や何かで尾行した全ての陣営がねぐらを突き止めたことだろう。

 

「夜が明けてから接触する。舞弥、交渉は任せた。万が一も考えて、この段階で僕が直接動くのは好ましくない」

「了解です。ですが、やはり、あのスクリーミングクロウ(・・・・・・・・・・・・・・)なのですか?」

「十中八九、な。背格好もそうだが、あの実力を見せられたら信じざるを得ないよ」

 

 裏社会でまことしやかに囁かれる話がある。

 

 曰く、『ある男』には関わるな。

 

 五行八卦に能く通じ、銃弾魔術の雨霰を苦もなく躱し、何処かより取り出した刃と雷の術にて敵を屠る。

 呼び名は様々。『飛烏龍(フェイ・ウーロン)』、『スクリーミングクロウ』、『エドワード・ロング』……共通しているのは、黒尽くめの格好に眼帯をした隻眼の若い男という点。

 

 ある意味で魔術師殺し以上に知る人ぞ知る話だ。

 時計塔の魔術師が聞けば一笑に付す与太話。

 

 誰が信じるものか。チンピラやマフィアの用心棒風情が、一流の魔術師すら容易く殺してのけるなどと。ジャック・オ・ランタンが実在すると言われた方がまだ信じられる。

 

 だが、確かに実在するのだ。

 疑いようのない事実を、あの夜に見せつけられたではないか。

 

「しかし、信用できるのでしょうか。あの戦闘力では裏切られた場合、対処は困難ですが」

「もちろん、それ相応の対策はするさ。とはいえ、金で動く人種は金さえ与え続ければ飼い主に噛みつきはしない。幸い、僕らの背後にはアインツベルンが付いている。聖杯戦争に勝つためなら、アハト翁は一も二もなく出資してくれるだろうさ」

 

 金銭感覚が普通とは違うからね、と切嗣が苦笑する。

 実際、アインツベルンを率いるユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンは聖杯戦争に勝利する為ならば惜しげなく金を使う。

 六十年に一度使うためだけに、広大な土地を丸ごと買い占めてそこに支城を丸ごと移築して拠点を作るという、一般人からすれば開いた口が塞がらないレベルの金遣いを平然と行う始末。

 そもそもこれに比べれば、用心棒一人追加で雇う程度のはした金を咎め立てよう筈もない。

 莫大な富を湯水の如く浪費しても顔色一つ変えず、機械のごとく第三魔法へと至る道を求める……ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンは只々それだけを欲して動いている。

 

「敵が想定外の動きを見せるなら、こちらも手駒を増やして対抗するだけだ。サーヴァントにも対処できる凄腕の傭兵として……せいぜい利用させてもらうとしよう」

 

 烏の鳴かぬ日はあれど、謀略の動かぬ聖杯戦争の夜は無し。


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