可愛い妹のわがままをできるだけ聞いてあげたくないですか?
仲の良い姉妹でも久しぶりに会うと何話していいかわからなくなりませんか?
でも、やっぱり妹は可愛いんですよね。

祥鳳と瑞鳳って姉妹艦なんですよね。
絡む台詞無いし、ギリギリ他人みたいじゃないですか?
でも、やっぱり姉妹艦なんですよね。

そこら辺をこじらせた話。

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祥鳳と瑞鳳って姉妹艦なんですよね、そんな感じあんまりしないのに

「提督!意見具申求めます!」

 瑞鳳はそう怒鳴って目下の机を手のひらで思いっきり叩いた。

静謐な執務室の中を高音域の怒号と鈍い打撃音は一瞬だけ響いて、すぐに消えていった。静かな執務室に戻ってから少しの間が経った。机を挟んで椅子に座り瑞鳳に正対している女性は驚きを表情から追い出して、ゆっくりと口を開いた。

「この後、演習の指揮があるからあまり時間はないけど、いいかしら。瑞鳳、まずはあなたが怒っている理由を聞かせて?」

 柔らかい声で問いかけたその女性——瑞鳳の所属する艦隊の提督——が今朝の朝礼で発表したこの作戦自体は何も特別な案ではない。全三艦隊をもってして敵の主力を叩く作戦である。敵主力艦隊と交戦する主要打撃艦隊。それの道中交戦を支援する艦隊。さらに敵主力艦隊と交戦する際に、別動でなるべく交戦を避けて、戦力温存した決戦支援艦隊。

 作戦自体が分の悪い賭けで、外せば艦隊の全滅は必至、といったものでない。むしろ、なるべく艦娘を命の危険に晒さない戦術を道中と決戦の共に用いろうとしているくらいだ。

 艦隊の最小構成単位である艦娘は、使い潰しても替えのきくものではなく、使い潰すような作戦の立案は鎮守府、警備府、泊地いずれの司令部の間で等しく無能の証とされている。だが、彼女の立案は自己の保身を母体にして生まれたのではない。艦娘も彼女と同じ人間である。1人の人間の背景を思えば、命が減る事を避けたいと思うのが人情ではないだろうか。

 ただ、彼女がいくら安全な作戦を立案すれども、実行の結果として艦娘が轟沈という形で死をむかえる可能性は拭いきる事はできない。

 提督は瑞鳳の憤りの理由が、戦術ではなく、艦隊の人選と出撃海域であることにおおよその見当がついていた。作戦を人的損害無しに成功させようとすると、おそらく瑞鳳がある種の意見具申をしてくるだろうと想定はしていた。ただ、ここまでの感情の爆発は意外だったが。

「なんで祥鳳を珊瑚海に出撃させるんですか!」

 瑞鳳が感情をぶつけるように言い立ててきた。

「彼女が艦隊最古参の軽空母で、実力と人望を兼ね備えているからよ。珊瑚海の敵戦力は強大である事が確認されているわ。そうなると、打撃部隊には相応の実力とその面々を束ねる人望が必要になります。そう判断したから彼女を選んだの」

提督は祥鳳を起用するにあたった理由を喋り連ねた。ただ、ひとつだけ瑞鳳に隠している理由があった。

「祥鳳の代わりにもう一人、空母じゃ駄目なんですか!」

「私たちの艦隊の正規空母は翔鶴と瑞鶴の二人しかいないじゃない。他の司令部から貸してもらうってわけにもいかないのよ」

「じゃあ、祥鳳の代わりに私を主要艦隊に配属してください!それが駄目なら支援艦隊にいれてください!」

瑞鳳の語気は荒い。それでも、その懇望を提督は一蹴する。

「それも一考したけど、艦載機を操る技巧を考えると、あなたには……少し荷が重いと判断しました」

艦隊全員を無事に帰還させる事を考えたからこそ。情に捕われて、実力の伴わない者を選ぶわけにはいかない。演習ならともかく、実戦ならば部隊の熟練水準はなるべく高い方がいい。

「じゃあ、作戦開始までに上達すれば選んでもらえますか!?」

瑞鳳は食い下がる。

「もし仮に、艦隊の面々に匹敵するほどの技量を身につけたとしても、あなたを選びません。確かに技量は必要です。しかしそれだけではないわ。連携だって必要になります。艦隊参加者達は今日から連携を主にした演習と訓練をはじめます。あなたは技術の差を埋めて、それでなお、連携をとれるようになれますか。それが並の努力でどうにかなると思いますか」

提督の口調から少しずつ温和さが駆逐されつつあった。温和が占めていた処は冷徹が住処にしていた。

「でもっ……それでもっ……」

 言葉は発せなくとも、瑞鳳に引き下がる気はなかった。 いくら提督が理屈を並べて説得しようとしても、もう理屈の次元に瑞鳳の意識はなかった。

 姉を出撃させたくない。その衝動だけが瑞鳳を突き動かしていた。

 柔らかさと優しさが帰ってきた声で、提督は瑞鳳に話し合いの終わりを告げる。

「瑞鳳、ごめんなさいね。そろそろ演習にいかなきゃいけないの。また後で連絡を入れますから、その時はよろしくお願いね」

 瑞鳳は眉を寄せた悔しさをにじませた表情をうかべ、小さく頷くと、提督に背を向けて、重い足取りで部屋を出て行った。扉が低い音を響かせて閉まった。音の無い執務室が戻ってきた。

 提督は瑞鳳を理論武装で納得させることができないと踏んだ。そもそも、瑞鳳を無理に納得させる必要はどこにもない。だが、最近配属されてきたばかりである瑞鳳の意欲を下げる事は避ける必要がある。だが、感情に訴えるにはもう少しばかり信頼関係が足らない。さて、と。提督はそう呟いてから机上の電話に手をかけた。この時間なら鳳翔はまだ自室にいるだろう。祥鳳はこの後の演習の時に伝える事にすればいいだろう。

 

 

 艦娘達は基本的に姉妹艦との相部屋となっている。これは瑞鳳と祥鳳も例外ではない。

 瑞鳳が自室に戻ると、祥鳳はいなかった。午後の演習に行ったのだろう。きっと夕食前、十八時くらいには戻ってくるだろう。戻ってくるまでの時間を計らざるを得なかった。瑞鳳は人気の無い部屋を見回してそら恐ろしさを感じた。

うす暗い部屋に満ちた冷えた空気。その中を響くのは自分の生む生活音だけ。

こんな部屋に帰る日々が来る事なんて考えたくない。

 考える事を避けようとしても、恐怖が瑞鳳を霧のように覆いはじめた。服のかかっていないハンガー。畳まれた布団。消えた電灯。目の前にあるもの全てが、独りになった自分を想像させる材料になっていった。

すこし寝れば気持ちも落ち着くだろうと決めつけて、寝る事にした。

 部屋の隅に三つ折りになっている敷き布団を広げて、体を横たえる。ぬくもりのない布団の上で、体を小さく、小さく丸めて、目をきつく閉じた。

 瑞鳳の意識はゆっくりと暗闇の中に溶けていった。

 

 

 自分を呼びかける声とゆりかごのような心地よい揺れで目が覚めた。瑞鳳はゆっくりとまぶたを開ける。目の前にはちょこんと正座する祥鳳の姿があった。

「しょー……ほう?」

「瑞鳳、大丈夫?あなたかなりうなされていたわよ、何かあったの?」

「ん、なんでもない……。ちょっといやな夢を見てただけ……」

 祥鳳が還ってこなくなって、独りの部屋で過ごす夢をみた。不吉すぎてそんなことを本人に言えるわけがなかった。

「そうだ、今日の夕食は鳳翔さんのところに食べに行きましょう。しばらく忙しくなるから、今ある食材を使い切るのに協力してくれって頼まれちゃった」

「でも、この後提督に呼び出されるかもしれないの」

 瑞鳳は沈痛な面持ちを浮かべて断ろうとしたが、何かあったら私が責任をとるから、どうしても行こうと言われて、あっさり押し切られてしまった。

「久しぶりにふたりでご飯ね」

 そう言って、明るい笑顔を向けてくる祥鳳をみると、瑞鳳の胸はきりりと痛くなる。まだ心の中で不安の霧は晴れていなかった。

 何も提督を説得しなくてもいい、祥鳳を行かないように説得してみよう。そう決めて瑞鳳は祥鳳と部屋を出て行った。寮の廊下から見える海は星を冠にして、すっかり眠りについたような暗さだった。

 

 鎮守府の敷地内には艦娘の寮、執務室の入っている庁舎、工廠、船渠などか開設されている。

 鳳翔の小料理屋は、敷地のはずれにある空き倉庫を改装して使っている。

 元々、雑品の保管に用いられていたが、狭さと港からの遠さを理由に、新しい倉庫を港の近くに建てることになった。その際に建物は打ち壊されず、ずっと放置されてきた。それを見つけた鳳翔がかねてからの夢であった小料理屋を、酒保の一環としてやれないかと提督に尋ねた。すると翌朝、提督は工厰兵を集めて建築班を結成し、現場監督に鳳翔を指名した。まさか、自分の要求がかなうと思っていなかった鳳翔は、頭の中にすら設計図をもたぬまま現場に担ぎ出され、なしくずしに改装がはじまった。しばらく日にちが経ち、途中紆余曲折あったものの、ある程度理想にかなう小料理屋が完成するにいたった。

寮からこの小料理屋に向かう道中、瑞鳳と祥鳳は、終始口数が少なかった。というのも、祥鳳がいくら話題をふっても、説得の方法ばかり考えている瑞鳳の返事はいずれも上の空で、祥鳳が少しめげてしまったから。瑞鳳には目の前の祥鳳の姿がきちんとみえていなかった。二人は無言のまま、のれんをくぐった。

 店内は座ると肩が触れそうなカウンター6席の正面に厨房があり、それで手狭になる程度の広さしかなかった。厨房には割烹着を着た鳳翔が料理をしながら二人を迎えてくれた。

 「おふたりとも、よくいらしてくれました。カウンターの真ん中のほうにどうぞ。今日は貸し切りにしてありますから、広々お使いくださいね。……そんなに広くありませんけど」瑞鳳と目が合ってから、そうおどけて穏やかな笑みをうかべる鳳翔だったが、瑞鳳は苦笑いを返すことしかできなかった。店内に視線を移すと祥鳳はすでに席について、瑞鳳を手招いていた。招きにのって、席に着く事にした。

 

 二人の前に次々と料理が出される。白身魚の刺身、鯖の一夜干し、炙った烏賊の干物、桜えびのかき揚げ。そして、日本酒で満ちた徳利が二本。もちろん猪口も二つ。鎮守府が海沿いにあるだけあって、出てくる料理はほとんどが海鮮物だった。鳳翔が言うには、ここからそう遠くないところに市場があり、そこで鮮魚を仕入れているそうだ。干物は鮮魚を捌いて自分で干しているとの事。

 互いの猪口に注ぎ合ってから、祥鳳が乾杯の音頭をとった。二人して、猪口を目の高さまで挙げてから、くっと飲み干す。少し品のない所作であったかもしれないが、流石になみなみと注いである猪口を大きく動かすことはためらわれた。

 最初のうち、二人はあまり言葉を交わさなかったが、猪口を乾かす度に、徳利が軽くなる度に、言葉がでてくるようになった。両親はどうしているか、飼い犬は元気か、軽空母選抜訓練はどうだったか、家を出てからどんな暮らしをしていたか。話題は主に、祥鳳が艦娘になるために家を出た五年前から、二人が再会した一ヶ月前の間の事だった。

 空にした徳利の本数が両手で足りなくなった頃、酔いも手伝って不意に会話が途切れた。霞んだ理性の中で瑞鳳は説得のため口を開こうとしたが、それを制するように祥鳳が会話の糸口を開いた。

「ねぇ瑞鳳、ちいさいときの事覚えてる?えっと、家族みんなで海に行ったときのこと」

「おぼえてる……ちょっとだけ」

語尾が萎んでいく。瑞鳳は本当にちょっとだけしか覚えてなかった。

まだ祥鳳が十かそこらで、瑞鳳が五つか六つかの頃だ。

白い砂浜の渚を祥鳳と手をつなぎ歩いている自分。逆光でまぶしかったが、姉の顔を見上げていた。自慢の姉の顔を見ていたかった。優しくて、可愛くて、強くて、綺麗で、そんな姉の事を妹は大好きだった。

「じゃあ、足を切ったことは覚えてる?」

「足?私が!?」

「そう、あなたが」すっぱり断言してから、微笑んで祥鳳は続ける。

「瑞鳳が遠くに行ってみたいって駄々こねて、お父さんとお母さんがどう説得しても、行くんだー、行くんだーって。それで私と一緒に波打ち際を素足でずっと歩いていったの。そうしたら、あなたったら珊瑚のかけらを踏んじゃって、こう、スパッとね」

祥鳳が喋っている間も瑞鳳は記憶の糸をたどっていった。そして、やっと遠い記憶のかけらを手のひらに納めた。

「もしかして、その後おんぶして帰ってくれた?」

 痛みで泣く自分をおぶって渚を歩く姉。姉の励ます声と波の音を鮮明に思い出した。

「そうそう、けっこう覚えてるのね。それで、その海がどこだったか、これは……どう?」一瞬、祥鳳の表情に陰りが浮かんだように見えた。

「んー、おぼえてないなぁ……」

「そっか……、そこがね、珊瑚海の近くなの。今回の作戦命令が大本営から下りたとき、私は秘書官をやっていたわ。作戦命令の読み上げを終えた後、提督に艦隊に参加させてもらえるように頼んだの」

コールタールのような沈黙が二人の間に流れた。沈黙が明けても、心に何かがこびり付いて離れないようなそんな感覚があった。

「それなら、私も戦いに行きたかったよ……。祥鳳に行かせたくないよ……」

無理矢理口を開けば、その澱みとも別れられると思ったが増々、瑞鳳の心に絡んできた。

「珊瑚海は、祥鳳の沈んだ場所だから……。おねえちゃんが選ばれたって、聞いた時から、ずっと……ずっと怖いの。還ってこなくなっちゃうんじゃないかって……。おねえちゃん……、いっちゃやだ……。やっとおねえちゃんに追いついたんだよ。やっと一緒に艦娘になれたんだよ……」

涙声の瑞鳳を祥鳳はやさしく抱き寄せた。

「大丈夫よ、大丈夫。ちゃんと帰ってくるわ……。あの海を取り返してくるわ、そうしたらまた一緒に渚を歩きましょう」

 いっしょに過ごしていた頃と同じ、優しい声。足を切った痛みで泣いたあの時も、この声で励ましてくれた。姉の声は瑞鳳をいつも安心させる。

 抑えていた涙が堰を切ったように流れ出してきた。瑞鳳は姉の胸にもたれて、大きな声で泣いた。

 ひとしきり声を上げて泣いた後、そのまま、瑞鳳は静かに寝息を立てていた。酔いと暖かな安心感が心を楽にさせていた。

 眠った瑞鳳を起こさないように、ゆっくりと机に伏せたあと、祥鳳は鳳翔に礼を言った。

「お気になさらないでください、あなたと私の仲です。それに提督からの頼み事でもありますから」この夕食会は提督の発案で行われた。提督は発案だけで、そこからはほぼ丸投げだったが。柔和な微笑みを浮かべている鳳翔は続ける。

「瑞鳳さん、このままここで寝かせておいてあげますか?毛布ならありますから、寒くはないでしょうし。私も構いませんよ」祥鳳はかぶりを振って答える。

「せっかくだから、おぶって帰ります。やっと会えたから、姉らしいことをしてあげたくて」

「わかりました。……もう少し呑んでいかれますか?」鳳翔の微笑みが一段と柔らかくなったようだった。

「ありがとうございます。でも、続きはみんな無事還ってきてから、でどうですか」

「そうですね、このまま呑んでいたら、隼鷹さんが拗ねてしまうかもしれません。なんでアタシをまぜなかったーって」雰囲気に似合わず鳳翔はおどけたり、からかったりするのが好きだ。それでも、誰かを傷つけるような事は言わなかったが。

 鳳翔の冗談にうなずきながらくすくす笑ったあと、祥鳳は改めて今日の礼とそろそろ、いとまする主を伝えた。そこまではいいものを祥鳳一人では、眠りこけた瑞鳳をおぶる事はできずに、厨房からでてきた鳳翔の手伝いでやっとおぶる事ができた。

 瑞鳳を背負って店から出ると、夜風が火照った体に心地よかった。

 祥鳳は店の前で一言二言の挨拶を交わし、鳳翔と別れた。

 春が近づいていたが、それでも、夜風は未だ冷たく、体の表面を走り抜けていった。背にかかる重みと温かさが心地よかった。

 幼い瑞鳳を背負って歩いたあの時に比べれば、少しは大人になったと思う。

 それは瑞鳳も同じだった。同じ時間を過ごす事はできなかったが、同じように時間は流れていた。

 しばらく歩くと、背中の瑞鳳がもぞもぞ動いた。瑞鳳が目を覚ましたようだ。

「おねー……ちゃん」くちごもった声でよびかけた。

「うん?起きた?」

「……まだ起きてない」

「そっか、じゃあ、まだこうしていようか」

 あの頃の渚と同じように、波の音がふたりの間を流れていた。

 

 

 二週間後、珊瑚海攻略出撃当日の朝、朝食から招集までのわずかな間、姉妹は二人水入らずの時間を過ごす事にした。

 この二週間、二人は同室であったが、疲れや夜戦の訓練のためにゆっくり会話をする機会すらとれなかった。

 肩を並べて、海辺を歩く。波の音に紛れて海猫や鴎の鳴き声が聞こえる。

 鳳翔の店にむかった時のように、会話はあまりはずんでいなかった。

 いくら、祥鳳が出撃すること納得しても、不安を拭い切れたわけではなかった。心の底に沈殿した澱は、きっと、祥鳳が還ってくるまで消えないだろう。

 「ね、瑞鳳、ちょっと止まって」少し後ろから祥鳳に呼びかけられて歩みを止めた。不意に両肩に祥鳳の両手が添えられた。驚いて少し体が跳ねた。祥鳳の両手は、体ごと海の方向を見るように促してきた。促さられるままに海の方に体をむける。目の前には青く静かに揺れる海と晴れ渡る空があった。

 肩から祥鳳の手が離れると、いきなり空がよく見えなくなった。それと同じくして額が少し涼しくなった。額を触るとそこにあった鉢巻がなくなっていた。それに抑えられていた髪が瑞鳳の視野に入っていた。

 振り向くと、瑞鳳の鉢巻は向かい合った祥鳳の額にあった。

「鉢巻、ちょっと借りて行くわね。これでむこうでも一緒よ」

「……いいけど」額をさすりなが答えた。ここしばらく着けて過ごしたから無くなると少し落ち着かなかった。

「落ち着かない?」

「ちょっとだけスースーする……。それにおねえちゃんは私と一緒にいれるかもしれないけど、私はおねえちゃんと一緒じゃないのはなんだかズルい」姉のしている赤い髪留めを借りられればいいな、と淡い下心がなかったわけではなかった。でも、直接ねだるほど素直に甘えられなかった。

「そうねぇ……それじゃあ、ちょっと失礼して」細く白い指で瑞鳳の額にかかった髪をすくい上げた。そして、あらわになった瑞鳳の白く、なめらかな額にそっと口づけをした。突然の姉の予想をこえた行いに、瑞鳳は目をまるくした。顔中に血が集まって熱くなるのがよくわかった。それは姉も一緒だった。祥鳳は耳まで真っ赤にしている。顔から首までの白くきめ細やかな肌が朱に染まっていた。

「これで私も瑞鳳といっしょにいるって事でどう?それに、これでおでこ、寒くないでしょ?」

「うん、寒くない……。っていうより、ものすごく熱い……」

「私も、ものすごく熱い」

 視線が合ったらなんだか急に可笑しくなって、二人して声を上げて笑った。ひとしきり笑った後、清々しい沈黙に包まれた。

「それじゃあ、留守の間はよろしくね」

「おねえちゃんも、鉢巻よろしくね。ちゃんと返してよ?」

「もちろん。それじゃ、そろそろ港に行きましょう。もう、みんな集まってると思うわ」

 

 

 港には打撃部隊、支援艦隊の面々とその見送りが集まっていた。鎮守府にいる全ての艦娘が揃っているのではないかと思うほどだった。支援艦隊の中には鳳翔の姿を見受けられた。いつも穏やかなその表情も、今日は少し強張っていた。祥鳳も打撃部隊の列に加わると緊張の面持ちを浮かべた。

 出撃部隊が横一列に並び、その正面に見送りにきた艦娘が横一列に並んだ。

 その間に、出撃部隊を見据えた提督が立って号令をかけた。

「一同、作戦の無事成功を祈って敬礼!」

 出撃部隊の全員が返礼をして、それを解くと祥鳳を先頭にして次々と桟橋海へ向かい海に降りて行った。

 外洋へ向かって行く部隊の姿はどんどん小さくなってゆき、終いには、見えなくなった。それでも瑞鳳はその場から離れられなかった。

 

 

 

 

 

 十日後の早朝、鎮守府の通信室に一本の電文が入った。電文はそのままそこで印刷されて、封をされて執務室に届けられる。その電文は珊瑚海近くの泊地から祥鳳の名で送られてきた。

「作戦成功。小破一隻」

 秘書官の瑞鳳から受け取った封筒のなかの通信文を読んだ提督は胸を撫で下ろした。とりあえず、これで肩の荷が少しは軽くなったように感じた。読み終えた通信文を机の向こうに立っている瑞鳳に手渡した。

 瑞鳳は受け取った通信文を見た瞬間短いため息を吐いて、紙の隅から隅まで視線をやってから提督に礼をして紙を返した。表情はいつもの端正な顔つきのままだった。ついこの間の激情が嘘のようだった。怒鳴られた分のお返しでもしようかと意地の悪い事を思いついてからかってみる事にした。

「あら、これ読んだら思わず泣いちゃうと思ったのだけれども」

「ちょっと前だったら……泣いちゃったかも。でも、ちゃんと鉢巻を返すって約束してくれたから大丈夫。提督こそ、泣かないんですか?」

 ある種の意趣返しみたいなものだろうか。冗談を言い合えるくらいの仲にはなれたと思って少し気が緩んだ。

「私は……まぁ、あなたほどでもないけど、長い付き合いだから。待つ事しかできないのも慣れてきたわ。あとはみんな帰ってくるのを待ちましょう、祝勝会の準備をしながらね。あと三日くらいで戻ってくると思うわ」

「それじゃあ、食事とお酒の手配でもしてこようかな。ついでに演習もこなしてこようかしら。それじゃあ、提督、失礼します」瑞鳳はクスクス笑いながら執務室をでていった。本人に言う事は無いだろうけど、クスクス笑う時の祥鳳と瑞鳳はすごくよく似ている。できる限り笑うのを堪えたあと、吹き出すように笑うところや手の甲を口にもっていくところ。瑞鳳を秘書官にしてから彼女に接する時間が大分増えた。色々なところに祥鳳の面影がみてとれた。好きな味付け、書類仕事が手持ち無沙汰になったときの表情。ここしばらく、提督の楽しみのひとつに祥鳳と瑞鳳の共通点をさがす事があったくらいだ。

 瑞鳳が去ってから、けれん味のない彼女らしい通信文を落ち着いて もう一度見渡すと思わず笑みが漏れた。

 もし、これが鳳翔だったら「被害軽微。樽酒の用意を忘れずに。祝い酒が楽しみです」とでも送ってきただろう。他の面々だったらどうしただろうか。演習の指揮に向かうまでの短い間、心を空想の世界に浮かせる事にした。瑞鳳ならどうするのだろうか。

 

 

 遠くに鎮守府が見える。真上からの陽光を反射してキラキラしている海上を浜風を裂くように走る。冷たい風と顔に当たる水しぶきが心地よかった。遠くの鎮守府がどんどん近くなってくる。桟橋の向こうに人だかりがあるのがわかった。帰還の日時を送ってないのに、まさかここまでの迎えがあるとは思わなかった。人だかりに目を凝らして妹の姿を探した。白と赤を基調にした巫女装束を着た艦娘がいた。だが、その瑞鳳のものにしては大きな袴だった。その艦娘は隼鷹だった。別に出迎えてくれる事を期待してはいなかったが、実際にいないとなるとどこか淋しかった。

 桟橋までついてもう一度、妹の姿を探した、今度は長く綺麗な銀髪を目印にして。光を受けて水面のように輝く銀髪を見つけた。その銀髪の持ち主は紺色の帽子を被った、妹よりもさらに小柄な響だった。

 全員が上陸して横一列に並び、人だかりを前にした。

「艦隊敬礼!出迎え感謝いたします!作戦は無事成功、艦隊帰投しました!」

 提督を最前に置いた人だかりも敬礼を返した。

「お疲れさまでした。出撃した艦はまず、被害の大きい順に入渠してください。補給は支援艦隊、決戦支援艦隊、打撃部隊の順で行ってください。それから三日は休日です。それと報告書は五日後に出してください。こちらからの連絡事項は以上です、解散!」

 艦隊の中で、最も被害の小さかった祥鳳の入渠は早くて明日の朝になるだろうし、補給するのも、最後に回されているからそれまでの時間は早めの休日になる。自室に戻って報告書の草案でもつくろうかと思案していたら、人だかりを背にした提督に呼び止められた。

「どうかしましたか?」

「そのままちょーっと待っててね」提督の向こうの人だかりが少しずつはけてゆく。隼鷹が、響が人だかりから離れてゆく。人の山がゆっくりと小さくなってゆくと、中から見慣れた髪の色が見えた。綺麗な銀髪。しかし、その衣服は初めてみるものだった。渋いよもぎ色の上着と袴。それを着た少女と目が合うと、少女は子供の頃と同じ屈託のない明るい満面の笑みで人だかりの中からこちらに向かってきた。少女は祥鳳のすぐ目の前で立ち止まった。

「おかえり、おねえちゃん」

「ただいま、瑞鳳」

「この服、どう?ちょーっと渋くない?」そう言ってその場でくるっと回ってみせた。縛られた長い後ろ髪と抑えの無い前髪が自由に空を舞っている。

「ちょっと渋いけど、どうしたの?その服」

「頑張って改造してもらったの、そしたらこの服だよ?悪くないけど、渋すぎるよねぇ。それに鉢巻はもらえなかったし。まぁ、そっちはいいんだけど」軽く不満げな表情を浮かべた。それでも、どこか楽しそうに見えたのはなぜだろうか。

「そうだ、おねえちゃん、ちょっと海の方見てもらっていい?」妹に促されるままに海の方を向いた。日光の照り返しがまぶしかった。するりと鉢巻の外れる感覚があった。振り返ると鉢巻は瑞鳳の額に帰っていた。

「やっぱり、鉢巻あると落ち着くね」妹は満足そうな顔をしていた。

「確かに瑞鳳の言った通り、鉢巻無くなると何かスースーするわね」

「でしょ?だからねー」そこで言葉を切った瑞鳳は半歩前にでて、少し背伸びして祥鳳の額に優しい口づけをした。祥鳳は自分の顔が一息に赤くなるのがわかった。確かにこれはスースーしなくなる。背伸びを終えた瑞鳳はそのまま胸の中に飛び込んできた。姉は妹の体をきつく抱きしめる。

 もう二度と離れることないように。もう二度と不安にさせることないように。

 

 

 

「おかえり、おねえちゃん」

「ただいま、瑞鳳」

 



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