Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!!   作:388859

52 / 59
夢の片隅で、キミと泣いた最後の日

 めぎめぎめぎめぎ!!、と。

 恐ろしいまで骨格に負荷をかけるような音は、衛宮士郎にはサイレンのように聞こえた。

 頭上。完璧に復元された巨人は、高層ビルよりも太く長い腕を、歓喜に震わせる。

 そう、歓喜だ。

 かつて数多の強者を屠り、その栄光を当然としてきた英雄王ギルガメッシュ。そのギルガメッシュがこれほど力を出した上で、なお生き残った相手は数えるほどしかないだろう。それはギルガメッシュが大英雄を凌ぐ力を有したことの結果だ。

 だが、エアを持ち出して生き残った。

 千年に一度、あるかないかの死力を尽くした戦。

 いくら今は子供と言えど、男である以上ここまで戦えるならばギルガメッシュが昂るのも無理はなかった。

 熱を帯びる体、心臓はようやく高鳴り、沸騰する血が泥に包まれた肉体を駆け回る。

 故に。

 ギルガメッシュは初手から、全力を尽くす。

 財宝ではなく、己の体を使ってその洗礼を受けさせる。

 

「なるほどな」

 

 呟いて、衛宮士郎はそれを見据える。

 袖の通らない外套を、気ままに羽ばたかせて。背後にはギルガメッシュの巨腕に怯えているのか、イリヤがその威容な光景にへたり込んでいた。

 

「最初から手加減とかなさそうだな。流石に慢心とかは期待出来ない、か」

 

「ね、ねえ! 大丈夫なのお兄ちゃん!? あんなスタジアムみたいな腕、落っこちてきたら……!!」

 

「心配するな」

 

「心配するなって言われても……!」

 

「ま、普通なら風圧だけで人間なんて巻き上がって、そのまま天国まで真っ逆さまでしょうねえ。今のイリヤさんならその風圧だけで大気圏までぶっ飛びそうなのがまた」

 

「あれ!? 今すっごい不吉なこと言わなかったねえちょっと!?」

 

 いやあ、とルビーは外套に変化したまま、

 

「今のルビーちゃんは士郎さんの魔力電池みたいなものなんで、ハイ。イリヤさんのフォローは全く出来ないというか。でも大丈夫ですよイリヤさん、何とかなりますって! ほら、こう、魔法少女はそんな惨たらしくは死にゃあしませんってば!」

 

「最近の魔法少女は惨たらしく死ぬからね!? むしろ率先してそんな風にされてるからね!?」

 

 そういやちょっと前にリズが徹夜して観てたアニメがそんな感じだった、とイリヤは思い出す。何か下手なアニメより殺伐としていて、共に観ていたイリヤはびくついたものだ。

 とにかく、確かにイリヤの言う通り、この状況はかなり拙い。

 まず単純に、あの腕を防ぐ方法が衛宮士郎にはない。どれだけ固有結界や投影を使おうと、衛宮士郎の肉体は人間のまま。今は常人より遥かに頑強で回復力も桁外れだが、それでもあの巨人には一歩及ばない。よってアレを受け止めることも、避けることもままならない。

 そして何より衛宮士郎がやり過ごしたとしても、イリヤまで守る術がない。仮にやり過ごせても、そこから先イリヤを守りながら衛宮士郎は戦えるか。

 相手はあのギルガメッシュ。その気になれば再度イリヤを奪い、取り込むことだって出来る。

……無論、当の本人だってそんなこと最初から分かりきっていた。

 

「ああ。このままなら死ぬだろうな、みんなまとめて」

 

 だが。

 それはあくまで、彼が一人のときのみの話。

 今の衛宮士郎にそんな前時代的な理屈は通用しない。

 

 

「来いよ王様、先手は譲ってやる(・・・・・・・・。)

 

 

 故に。

 挑発する。

 首を後ろに振ったその仕草はまるで、ドライブに友人を誘うような気軽さだった。

 イリヤは表情を凍りつかせ、そして状況は決定的に動いた。

 

「……なら、遠慮なく」

 

 躊躇う素振りすらなかった。

 ギルガメッシュは片腕を草原について体を固定。そして、振りかぶった拳を虫のような不届き者向け、全力の一撃が落雷のように空を駆けて地に席巻する。

 瞬間。

 ビッシャアッ!!!!、と鼓膜が潰れかねないほどの大音響。遅れて、暴風。衝撃という名の暴風は草原を揺れさせるどころか、地盤ごと沈下させ、半径百メートルに亀裂が走り、夜空をぶるりと震わせると、雲が真っ二つに割れた。

 ともすれば世界そのものが耐えきれない一撃。

 しかし、

 

「……へえ」

 

 拮抗していた、何かが。

 にわかには信じがたい光景。

 受け止めていたのだ、あの一撃を。

 人でも、ましてや英霊であっても絶命するであろう一撃。

 しかし防いでいた。

 何重にも連なるのは鞘走りにも似た音ーー否、あの巨大な腕を、銀に光る剣の群れが真っ向から押し留めている音だった。

 ギルガメッシュの腕が泥の腕だとするなら、それは剣の腕だった。太さ、長さ、どれを取っても同一。指の感覚まで瓜二つだ。草原に墓標のように刺さっていた剣が重なり、相殺する。

 言葉にすれば簡単だ。

 しかしその数、尋常ではない。千、いや万か? あのスタジアム何個分もの質量がある超巨大な腕と同じ質量をコピーするなんて、普通の人間なら操り切れない。それこそまた脳の一つや二つ、潰れでもしないと。

 が、今の衛宮士郎は少し事情が違う。

 無限の剣製の二重展開。

 それは単純に二倍になるなんて安直なメリットではない。

 それはつまりもう一つ、新たな世界を携えることと同義なのだから。

 

「……凄い」

 

「だから言ったろ、心配するなって」

 

 まるでそよ風を身に受けているように、士郎は答える。

 

「なら、これでどう、かな?」

 

 勿論ギルガメッシュとて、今のは挨拶代わり。それを凌いだところで何ら動じない。

 ここからが本番だ。

 姿勢を固定していたもう片方の腕も加え、巨人は前のめりになって両腕を上から下に炸裂させる。

 最早海すら別つだろう二振りの腕は、単発では済まない。バランスを取るように両拳を何度も振り下ろす。機関銃じみた乱打は、都市一つを容易く破壊するほどの苛烈な戦争兵器だ。

 死者を悼む草原などひとたまりもない。草根を掘り起こして埋めるかのような攻撃。

 しかし。

 

「……、ははッ……!! ここまでとは……!!」

 

 ギルガメッシュが喉を震わせる。

 そう。

 草は舞えど、草原は形を残している。

 それもそのハズ。衛宮士郎が同じように、作り出した一対の剣腕で、巨人の拳を捌いていたからだ。

 やってることは最初から変わらない。

 相手の攻撃に使われる武具を先読みして、世界にあらかじて投影されていたそれを叩きつけ、押し返す。

 今回も同じ。

 だが、その規模が今回は余りに規格外だ。

 単純な物量の押し付け合い。

 なのにその様は、怪獣映画に出てくるような怪獣同士の共食いに近かった。

 剣は砕けている。秒間で失せる数は千を上回るかもしれない。

 しかしこの世にある剣は無限。ならば千などはした数であり、この結果は必然だった。

 

「……本当に。君って奴は、何処までも腹立たしい存在だ、全く!!」

 

「だろうな。俺もいい加減、アンタのそんな言動は聞き飽きたよ。こっちは最初(ハナ)っからアンタの裁定なんてクソ食らえだってんだ」

 

「言ってくれるね」

 

「上から目線で言っといて、何を今更」

 

 ギャリィ!!!、と大きく両者の腕が弾かれる。剣の破片は雪と溶けて、世界に降り注いでいく。

 一拍。

 その間に衛宮士郎は、背後の家族へ告げた。

 

「そこから一歩も動かないでくれ、イリヤ。動けば命の保証が出来ない。だから」

 

「うん、わかってる……気を付けてね、お兄ちゃん」

 

「おう」

 

 それが、最後のボーダーラインだった。

 士郎が一度だけ、軽く微笑む。

 瞬間、衛宮士郎の全方位の空間が揺らいだ。

 王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)

 英雄王が持つ財の全てを、この現世に顕現させる宝具。

 それだけならまだ、悠々と切り抜けられただろう。

 しかしそれに先と同じようにあの巨人の腕と、プラスして別に王の財宝が酸性雨のように襲い掛かってくる。

 ただでさえ士郎には今腕がないのだ。そこにこの逃げ場を無くすどころか同士討ちすら構わぬ怒濤の連撃。いくら今の士郎でも、限度がある。少なくともこの周囲の王の財宝にまで無限の剣製で迎撃するにはどうしても間に合わない。

 

「また力押しか。アンタも馬鹿の一つ覚えだな」

 

 間に合わない、なら?

 

 

「まあーー人のこと、言えないけどさ」

 

 

 (からだ)で、対抗するしかない。

 王の財宝が衛宮士郎の全身を貫く刹那。

 二本の剣が、宙を切り裂いた。

 弾かれ、草原に落ちていく財の数々。その凶刃から衛宮士郎を守ったのは、彼がよく使う夫婦剣こと干将莫耶、そのオーバーエッジ形態だった。

 しかし、可笑しい点が一つだけある。

 それは干将莫耶が外套の下ーーつまり衛宮士郎の肩辺りから、突き破って飛び出していて。

 刀身が返り血に染まっていた(・・・・・・・・)ことだ。

 

「……無茶をする」

 

 巨人が動きを止める。

 

「肩から剣を生やして(・・・・)、どうにかなるレベルじゃないんだけどなあ」

 

「えっ……!?」

 

 ギルガメッシュの考察に、イリヤが驚きの声を上げる。

 無限の剣製は間に合わない。しかし腕がない以上、剣は握れない。ならば、剣を肩に直接刺して振れば(・・・・・・)いい。

 衛宮士郎の考えはつまりこういうことだ。

 傷口と剣を同化させて剣を突き立てれば腕が無かろうと、とりあえず剣は握られる。

 

「ったく……いくら回復出来るとはいえ、痛覚は残ってますし、何より内側から突き破る異物感とか、色々障害はあるもんですが……気合いで全部乗り越えるとか、お兄さんも大概ですよ全く」

 

 うるさいな、とルビーの小言にぼやく士郎。だがやはりその顔は少し引きつり、脂汗にも似た汗が噴き出していた。

 とはいえ、流石に無傷で捌き切ったわけじゃない。無数の切り傷はある。つまりそれだけしたって、一度のミスで死ぬ可能性は十分ある。

 だが、

 

「少なくとも押し通せる……!」

 

 再び起こる財宝の乱舞。しかし衛宮士郎は対応する。一つ一つ、馬鹿正直に、何度も肩の剣が生え変わっていく。それはさながら、鮫の歯のようだった。

 やることはいつ、何時も変わらない。

 この英雄王が相手であれば、衛宮士郎の戦法はひたすら変わらない。

 そして、今それを押し返せるなら。

 攻勢に出るのも簡単だ。

 

「ッ……!」

 

 ばさ、と外套が音を立て、衛宮士郎は駆ける。一対の翼を広げた烏のように、草原を疾駆する。

 

「痴れ者が!!」

 

 対し、ギルガメッシュは怒声を放った。

 すると、ぐばぁ!!、と周囲の空間が裂ける。草原に敷き詰められた砲門の総数、何と三千。まるで一ミリも隙間のない矢衾の矢が、全てミサイルにでもなったかのような、黄金の悪夢。

 

「その程度で我の財を御せたなどと、思い上がりも甚だしいぞ、正義の味方!!」

 

 発射なんて上品なモノではなかった。

 ただすり潰すことだけしか考えていない、無差別爆撃。しかも三千の砲門は一回だけに止まらず続いて第二、第三と財宝を惜しみ無く投入する。

 今度こそ、草原は形を無くした。

 根ごと引き剥がされ、土塊が盛り上がって地鳴りが断続する。その間も上空では巨人の腕による制圧は欠かさない。ギルガメッシュに一切の手加減はない。

 だが。

 

「、らぁッ!!」

 

 抜ける。

 立て続けに起こる死の境界線を、衛宮士郎は乗り越える。

 それはあり得ない光景だった。

 いくら剣があっても、これだけの財宝を衛宮士郎一人では全て捌けない。一番薄い層でも人の肉体を針山と化すだろう。

 しかし、何も全て捌く必要なんてない。

 例えば三千の財宝による一斉放射……と言えば、さぞ死を覚悟してしまいそうだが、その実たった二百メートル四方にそれだけの数が殺到すれば、満員電車のように押しくらまんじゅうになるだろう。

 衛宮士郎に必要なのは、人一人が通り抜けられる安全地帯だ。

 とすれば、一ヶ所を爆発させて、財宝同士の軌道を少しでもずらせば、あとは自動的に一人分の安全地帯を確立出来る。

 しかし、問題があるとすれば、それでもなお、致命傷は避けられない(・・・・・・・・・・)ということ。

 

「ハッ……、!?」

 

 剣を振った衛宮士郎の体が、ぐらりと傾いた。芯が通っていなかったのだろう。音速直前にまで加速していた体は、二回三回地を転がり、そして立て直す。

 

「ルビー!」

 

「わぁってますよ! サファイアちゃん! リジェネばんばんかけちゃってください! この人そうしないとまーたあのサイコホラーみたいな体になっちゃいますよこれ!」

 

「はい、姉さん! 士郎様! 我々が全力でサポートします、だから!!」

 

「ああ! 絶対助け出す、みんなを!!」

 

 砕けた刃が肩からずり落ちて、新しい剣が生える。湿った音は傷口を抉る音か。額に見える僅かな傷すら、煙を浮かばせて治り、代わりに魔術回路が励起する。

 血潮を蒸発させるかのような、魔力の乱回転。サーキットは既に臨界を超え、その先の領域を目指さんと洗練されていく。

 

「うおおおおおおおおおおお!!」

 

「な、に……!?」

 

 止まることなどなかった。

 あれだけ遠かった巨人の胸部へ、衛宮士郎は一息で辿り着く。

 驚愕する英雄王。がそれも一瞬。猛り、巨人の腕で自身が潰れるのも厭わず、その巨腕で振るい落とす。

 しかし遅い。

 たちまち、大蛇のごとく絡まった無数の剣が、巨人そのものを拘束した。ガチガチガチガチィ!!、とまるでトラバサミのようなそれに乗じて、衛宮士郎はギルガメッシュの目前まで迫る。

 届く。

 そう思ったときだった。

 

「よかろう……なら、(オレ)自ら手を下すまで!!」

 

 それはまさに、青天の霹靂とも言うべきか。

 泥の玉座に埋まっていたギルガメッシュが、そこから飛んだのだ(・・・・・)

 剣を振るおうと跳躍していた衛宮士郎に、避ける術はない。

 ぶつかり、二人は全長五百メートルものフリーフォールを開始した。

 

「、ちくしょう!!」

 

「ハハハ、残念だったな正義の味方!! 貴様にくれてやるものは敗北のみに決まっておろうが!!」 

 

 悪態をつく衛宮士郎の眼前には、あの子供だったギルガメッシュは居ない。

 居たのは、士郎と同程度まで成長したギルガメッシュ。ただし黄金の鎧はなく、自身の鍛え抜かれた上半身をさらけ出していた。つまり、先より苛烈で、それでいて慢心などしない本物の英雄王である。

 その成長は宝具によるものか、それとも泥に蓄えた吐き気がするほどの魔力によるものか、それは分からない。しかし分かるのは、目の前に居る英雄はまさしく聖杯戦争に召喚されていたサーヴァントと同一のスペックを持っているということ。

 落下するのも惜しいと、宝物庫から、あるいは肩口から剣を取り出して、

 

「そら!!」

 

「、おぉっ!!」

 

 両者、渾身の一閃。

 鍔迫り合いにすらならなかった。

 ただ筋力によって、剣を折られた衛宮士郎へ、がら空きになった腹に回し蹴りが突き刺さった。

 

「が、ぁ、!?」

 

 くの字に折れた体は、真下に飛び、草原へと叩きつけられる。直前、無意識に投影していたマットに落下した。

 

「えぉ、げ、ぼぉ、……!?」

 

「そう喚くな、見苦しいぞ衛宮士郎」

 

 いかなる宝具を使ったのか、ギルガメッシュはふわりと地に足をつける。

 軽口を言いたくても、呼吸をするだけで肋骨辺りが軋んだ。ヒビが入ったどころじゃない、また折れたか粉々になったか。今はカレイドステッキによって回復するが、たった一度の蹴りでここまで。

 まさしく、一級のサーヴァントだった。士郎自身も忘れていた。かの英雄王は宝具だけではない。そのステータスすら、セイバーに匹敵するかもしれないのだとーー!

 

「斬り合いなど、王のすることではないがな」

 

 そう語るギルガメッシュは、全身から魔力とはまた違った、しかし他者をひれ伏せさせるようなオーラを纏っていた。

 

「ましてやこの我がお前のような雑種と、同じように汗水垂らして剣を振るうなど、馬鹿馬鹿しくてやってられん。が、全力をもってと言った以上、(オレ)が玉座に座ったままでは全力とは言えまい?」

 

……相変わらず傲慢の権化のような物言いに、流石の士郎も白目になりかける。

 

「……つまり、王様もこの野蛮な斬り合いとやらに興味がおありで?」

 

「ふん、たまの気紛れだ。好きに取ればいい。なに、こんな気まぐれは今生では一度だろうよ。喜べ、雑種。この(オレ)手ずから首を落とす名誉をやろう」

 

 ず、とギルガメッシュが財宝から取り出したのは斧だった。黄金で出来た、片刃の大斧。

 

「ごめん被るな、そんなもんは」

 

 咳き込みながら、士郎も構えた。

 巨人同士の戦いを背後に、戦いは単なる剣戟へと移行する。

 無論、彼ら流のやり方で。

 構えた切っ先は優に千を越えた。

 それはまるで、砲弾飛び交う戦場であって、斬り合いをすることと同じ。

 矛盾した光景の中、

 

「さあ。死に物狂いで来るがいい、正義の味方!!」

 

「そっちこそ。慢心なんて捨ててこいよ、英雄王!!」

 

 二人を中心に展開される真作と贋作。

 獰猛な笑みと共に、両雄は誇りと矜持をかけて、再度激突する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、現実世界。

 

「……ぅ、……ぐ」

 

 深山町の一角。

 半壊した家屋から、アイリスフィールが命からがら這い出ようともがいていた。

 半壊した家屋の名は、衛宮。つまり愛する我が家である。

 下半身が何か大きなものに挟まっているのか、身動きが取れない。今のアイリでは、それを確認する気力も、体力も、残っていなかった。

 たった数時間前まで、愛する家族と思い出を沢山刻んできた場所。それが今では、アイリスフィールの命すら脅かす瓦礫へと化している。

 ことは美遊が居なくなったことに気付き、探そうと外に出たときだった。

 アイリスフィールを待ち受けていたのは、聖杯の泥に飲み込まれた深山町だった。

 冥土とは、まさにこのことか。

 神をも殺しかねない呪いに、人の歴史は抗えない。衛宮家も泥にずぶずぶと溶かされ、内部から燃えていく。このままでは美遊を探すどころの騒ぎではなかった。

 そうしてセラやリズを伴い、今後どうするか相談しようとしたときだった。

 新都が赤く光り、その光は一直線に冬木市をぐるりと横断した。

 さながら、巨大な鳥が、地滑りしたかのような光景だった。優に一キロは超える光の横断は、深山町に届いてなお荒れ狂い、後方の円蔵山までも抉る。

 アイリスフィールは知らない。

 それが宝具ーー英霊のシンボルたる概念の昇華であり、人知を超えた力の発現。歴史を変える楔だった。

 そして、全てが別たれた。

 

「……ぅ、……!?」

 

 アイリスフィールの目に入ってきたのは、戦場の跡だった。

 深山町はまるごと宝具に飲み込まれ、軒並み建物や電柱、街路樹など、とにかく立っていたモノ全てが薙ぎ倒されていた。辺りに飛び散っていた聖杯の泥も、息絶える間際の虫のように砕片に染み込んでいく。

 終わっていた、どうしようもなく。

 あれだけ目の前に転がっていた幸せが、こんなにも容易く、砕かれた。

 悔しくて、涙が出る。

 

「ぅ、あ、あああ……ッ!!」

 

 髪の毛を振り乱す。

 どれだけ、どれだけあの人がーー衛宮切嗣が、苦しんで、この場所を選んだと思っている。

 平凡な暮らし、平凡な家族。それを守りたいと願っていても、結局血みどろの手段に頼るしかなく、世界を飛び回り続けた男が、ようやく掴んだ幸せを。

 毎晩毎晩、子供のように過去の犠牲に怯えて、間違ってなんかいないと、幸せになっていいのだと、子守唄のように言い聞かせて眠る彼が築いたこの光景を。

 

「守れ、なかった……!!」

 

 こんな、こんな一瞬で壊されてしまった。

 跡形もなく。

 意味もなく。

 それが、アイリには耐えられない。

 耐えられなくて、不甲斐ない。

 新都からあの嵐が来たなら、そこに向かっていた切嗣は無事なのか? 子供達は? 無機物だけではなく、人だって大勢死んだだろう。だとしたらもう既に、本当の意味で、アイリが守らなければならなかったモノは全て死んでいるのかもしれない。

 けど。

 だけど。

 

「……負ける、もんですか……」

 

 発起する。

 こんなモノで勝手に決めつけて、現実に負けるなと、自分を鼓舞する。

 まだ何も分かってなどいない。

 誰かの死体を見たわけでも、誰かがもう事切れてしまったわけではない。

 

「諦めて、たまるもんですか……!」

 

 見た景色が全てだとしても。

……アイリスフィール・フォン・アインツベルンが、とっくに死んでいたとしても。

 それでも、まだ手を伸ばせる。

 まやかしなどではない。

 箱庭の世界であっても、確かにこの世界でアイリスフィールは勝ち取ったのだ。

 選んで、選ばなかった結末が、この世界なのだ。

 ならアイリに諦めるなんて選択肢はない。

 何故なら。

 

「守るって、誓ったんだから……!!」

 

「ならさっさと、そんなところ出たら良いのでは?」

 

 呆れ半分、見下し半分の声は斜め前。新都方面から聞こえてきた。声の主は手に持っていたマフラーに近い赤い織物で、アイリスフィールを押し潰そうとしていた家屋の成れの果てを撤去していく。さながら器械体操のリボンのように、弧を描いたそれは、実に鮮やかにアイリスフィールを解放した。

 下半身に異常はない。不幸中の幸いか、挟まっていたおかげで、擦り剥き程度で済んだようだ。

 それは修道女だった。ただ、いささか修道女にしては、こう、色々扇情的過ぎた。腰にあるべきスカートがひっぺがされ、丸見えなのである。なのに堂々としている辺り、それが正しい正装なのだろう。

 アイリは一応(かなり嫌々ながら)、礼を述べる。

 

「……ありがとう、助かったわ。まさかあなたに助けられるなんてね」

 

 修道女ーーカレン・オルテンシアは、聖骸布を側に待機させ、

 

「困ったときはお互い様でしょう。隣人の善意を疑うモノではありませんよ、アイリスフィール」

 

「……隣人どころか、ここからあなたの教会まで町一個分離れてなかった?」

 

 いえ、と相変わらず無表情なまま、カレンは答えた。

 

「精神的な話ですよ。私は修道女。祈りを捧げる敬虔な信者の危機とあっては、ええ。カナリアを気取っているつもりはありませんから」

 

……その割には、来るのが遅かったと思うが。そもそも信者じゃないし。アイリはそれを口にせず、

 

「で、どうしてあなたが? 傍観者であることを辞めると言っても、あなた、戦いは不得手なんじゃ?」

 

「ええ、まあ。しかし先も言った通り、私は修道女ですので。手助けくらいは出来るでしょう。町がこうなった今、あなたがやるべきことは一つでは?」

 

 言われなくても。

 遠方。向かうは今も稲光に似た光が迸る、新都。

 間に合うかどうか。

 それはまさに、神のみぞ知ることなのだろうか。

 

「では使用人の二人も助けましょう。あんなところにあなたと二人で行ったところで死ぬだけですし。肉壁は多ければ多いほどいいですからね」

 

 助けてもらった手前、なんだが。

 とりあえず衛宮さん流針金拳骨を二回くらい落とす、アイリママなのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 斜め前。左下。下部に僅かな安全地帯。滑り込んで前宙して回避、返し刀で迫る弾頭を弾く。

 失敗。五メートル先で英雄王の凶刃。肩口に原罪(メロダック)を装備。接触までの二秒で四十パーセントの憑依経験を済ませ、衝突。

 防御に成功。

 

「ちィっ!!」

 

「、はっ!!」

 

 つばぜり合いになどならない。

 そんなことは分かっている。

 折れてもいい。振り抜く。真っ正面から刃を交えるしかない。超至近距離で剣が飛び交う戦場が展開されてる以上、道は一つしかない。

 一刀を振り下ろす度、折れて、肩から激痛が走る。痛みなんて慣れなかった。理性なんてとっくにはち切れて、ハイになった脳は異常なほど熱を帯びていた。

 来る。三百六十度に配置された王の財宝。

 

「チッ、小細工などしおって!!」

 

「フェイント織り交ぜといてよく言いやがる……!!」

 

 血を痰と共に吐き捨て、接近。英雄王の黄金の門の幾つかはフェイクだが、かと言って無視するわけにもいかない。都合五百。同時に伸びる魔の手を、残らず倉庫へ叩き返す。

 が。

 ビギィッ!!!!!、と奥の奥から凄まじい頭痛が迸る。

 

「ず、……ッ!?!?」

 

「士郎さん!?」

 

 歯車が噛み合わない。

 脳から送られた信号が途切れて、一瞬命そのもののブレーカーが落ちる。だがそのために、ルビーとサファイアが居た。

 復旧は一秒にも満たなかっただろう。

 だが、それだけで衛宮士郎の体には八本の剣が突き刺さる。

 

「ぐ、ぅ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお……ッ!!」

 

「ぬ!?」

 

 堪える。

 勢いも痛みも、両足に剣を刺せばそれで殺せる。足の痛みを差し込んで、全身に刺さった剣の存在を脳から弾き出す。

 足の剣を両肩で抜き取る(・・・・)と、銀十字に閃いた。

 鮮血は、英雄王の脇腹から。

 薄皮一枚ではない。さらけ出した腹部には、十字に斬られた痕がありありと残っており、血が垂れていた。

 何か異変を感じ取ったか。ギルガメッシュは即座に距離を離す。

 

「づ、……はっ、はぁ……」

 

 口で体に刺さった剣を噛み、無理矢理引き抜いた。鉄の味が果たして財宝か、それとも血の味なのか、今の俺には分からない。

……ここに来て。俺とギルガメッシュの力は奇しくも拮抗していた。

 勘違いしないでほしいのは、大前提として、俺なんかが英霊、ましてや半神であるギルガメッシュにステータス、宝具において勝てるわけがない。恐らく無限の剣製を展開したところで、その固有結界ごと押し返されるだろう。

 ただギルガメッシュの王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)は、無限の剣製の二重展開によって完璧にアドバンテージを無くした。

 そしてギルガメッシュから分離した泥の巨人も、同時に無限の剣製で押さえ込んでいる。

 そうなれば、あとは個人の話になってくる。しかしその点で言っても、ギルガメッシュは衛宮士郎を優に上回ることはまず間違いない。だからこそ奴自ら剣を取り、斬り合っているのだ。

 だが、そこが唯一ギルガメッシュの計算外になる。

 

「……何故だ……!!」

 

 呻く。

 王としての余裕など欠片もない。贋作を次々と塵芥へと変えながらも、その顔は強張る一方だ。

 

「何故、押し通せん!? 何故打ち勝てん!? 雑種の何処に、こんな力があるというのだ……!?」

 

……それが奴の予想外の出来事だった。

 単純な剣戟。恐らく十合と持たずこの身を八つ裂きに出来たハズの戦い。

 ただ、ギルガメッシュは時間を掛けすぎた。

 無限の剣製が云々の話ではない。

 奴は気づいていない。俺の剣製がこの戦いで飛躍的に精度が上がったことに。その中で、俺の経験値も膨れ上がっていたことに。

 砕ける音で自覚する。

 完璧ではない。

 まだ足りないと。

 一刀一刀が破砕する度、一刀一刀が洗練されていく。

 鑑定、想定、複製、模倣、共感、再現。

 それを繰り返す度に、足りないモノは補強されていく。剣戟が続けば続くほど差が縮まるのは、奇跡でもなんでもない。ただ衛宮士郎という人間が、加速度的に成長しているだけのこと。

 それを起こしたのはあり得ざる二つの固有結界。

 誰かを守ろうとした二人の男の忘れ形見。

 それが今、やっと、花開いた。

 大切な人達を、一人残らず守り切る。

 誰もが願った奇跡を叶えるために、俺は俺自身と力を合わせて、最強の敵を打倒するーー!!

 

「お、のれェ……!!」

 

「どうした、英雄王? 玉座から降りてもこれか?」

 

 奴の手から処刑鎌を弾くと、内側から更に新しい剣を生み出して肉薄する。

 

「だとしたらーー拍子抜けも良いとこだよ、アンタ!!」

 

「……言ってくれるわ、贋作者(フェイカー)が!!」

 

 チリ、と後頭部に火花が散るような感覚。

 気配は真上。即座に大きく飛び退くと、俺の身の丈ほどある大剣が地面を抉り、烈風が吹き荒ぶ。

 ギルガメッシュも接近戦では不利と悟り、後方に下がっていた。

 

「逃がすか!!」

 

 距離は、二百五十メートル。

 今の俺なら、一息で辿り着ける距離。

 だん、と踏み込む。

 目の前に展開される財宝は把握している。奴の癖、好む宝具の種類、弾の軌道。その全てが今嵌まった。

 故に。

 全力で、その全てを走り抜ける。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」

 

 あるときは弾き、あるときは回避し、あるときは隙間を抜け、あるときは飛び越える。最短、最小の消耗で、英雄王の包囲網を潜り抜けていく。

 贋作は砕けず、真作も砕けない。

 本物と偽物の差は単に、どちらが早く生まれ、どちらが真似たかというだけ。

 ともすれば、完璧な贋作に至るなら、ゼロへは還らない。

 無意味になどなりはしない。

 真名解放がないのなら。

 今この世界においてのみ、ついに真贋の差は無くなったのだーー!!

 

「こうも容易く抜けるか……! ならば!!」

 

 だが、流石と言うべきか。

 それ(・・)は、予想出来なかった。

 

 

「満たせ、ニヌルタ(・・・・)!!」

 

 

 開かれた黄金の門は、これまでで一番巨大であり、何より広かった。

 大体百メートルほど。横に展開されたそれを、ギルガメッシュが追い抜いた瞬間に、それは中から出てきた。

 ザバァ!!!!、と門から噴出したのは、海水(・・)だった。いやこの場合海水というより、洪水だろうか。固有結界そのものを満たさんと、大波が壁となって迫ってくる。

 剣などの人為的な恐怖とは別種の、もっと純粋な恐怖。それは生物として刷り込まれた、根源的な自然への恐怖そのもの。生物では抗えぬ、まさに神話の文明を洗い流す大洪水伝説(ウトナピシュティム)の顕現。

 

「ノアの方舟、その原典となり得るエンリルの洪水よ! 貴様にこれを超えられるか、衛宮士郎!!!」

 

「士郎さんこれ不味いですって!? あの金ぴか、普通に神霊どころか最高神クラスの宝具出してきやがりましたよ!?」

 

 ルビーの言う通り。

 エンリルと言えば古き神の時代、神々の王がマルドゥークではない頃の神々の王であり、シュメールとアッカドにおける最高権力者である。

 しかし、流石の金ぴかもそこまでデタラメではないだろう。ニヌルタ、いやニンギルス辺りだろうか。確か洪水のように都市を破壊する戦の神で、その武器が洪水……だった、ような。

 問題はそんなことではなく、

 

「イリヤを巻き込む……!!」

 

 この洪水を消し飛ばさなければ、背後で礼装どころか魔術の心得すらないイリヤまで押し流される。この海流に呑まれれば、成人した男でも一分と持たず溺死するだろう。何せ真エーテルが大量に含まれているのだ、古代ですら人間には猛毒であるとそれは現代の人間にとって、毒沼と何ら変わらない。

 

「一発の火力でアレは対処出来ません! 蒸発させるにしても、士郎さんの型落ちした投影では限度があります! 一番確実なのは剣で防波堤を作ることですが……!!」

 

「こちとら真横で巨人も相手取ってるんだ、定員オーバーだよとっくに!!」

 

 考えろ、考えろ考えろ考えろ考えろ!!

 無限の剣製内からランクの高い宝具を選別、検索する。

 約束された勝利の剣、千山斬り拓く翠の地平、疑似再現(シミュレート)ーー失敗。神装兵器を完璧に投影しても、劣化は免れず洪水は吹き飛ばせない。例え一メートルでも残り、イリヤに接触すれば死は免れず。

 無限の剣製内でこの洪水を突破する宝具は登録されていない、ならば別の方法を探す。

 威力に頼らない、しかし完全無欠に洪水を消し飛ばす方法ーーーー。

 

「……!」

 

 見つけた。

 

投影(トレース)重奏(フラクタル)……!!」

 

 右肩を洪水へ差し出す。形成される刃は全てで九つ。百八十度、等間隔で扇を開くように配置されたのは八つの水晶と、肩から伸びる九つ目の刃。

 

「ーーーー後より出て先に断つ者(アンサラー)

 

 祝詞により、全ての水晶に稲妻が走る。転じ、姿を現したのは逆光剣。

 この世界を満たそうとするのは神威そのものだ。とすれば、それを攻略出来得るのは同じく神業であり、世の理を飛び越えて因果を正すしか道はない。

 弾丸は九発。時空を駆ける九つの剣は、時計の針を九度戻し、その因果を絶対不変の未来(ルート)へと書き換える。

 

 

「ーーーー是、斬り抉る戦神の剣(フラガラックブレイドワークス)!!」

 

 

 拡散した逆光剣が、光を越え、時を越える。因果を辿り、神そのものを刺し穿つ。

 結果は速やかに出た。

 エンリルの洪水が、消える。

 九つの逆光剣は全て、因果の果てへと消えた。一振りだけで消えるか不安だったので九つも放ったが、まさか全て使わされるとは。劣化した投影とはいえ、やはりあの洪水は驚異的な因果強度を誇っていたらしい。

 だが、それで終わりではない。

 九回心臓を穿たれたハズの英雄王が、あのエア(・・)を握り締め、こちらへ接近してくるーー!!

 

「見事だ、正義の味方。あの洪水すら乗り越えるとは大したモノよーーだが!!」

 

 血を吐き、心臓をくまなく絶たれながら。しかし奴は苦悶の声すらあげない。むしろ笑い、歓び、何処までも尊大に英雄王は至宝の財を投じる。

 

「ーー原初の地獄は斬り伏せられるか、雑種!!」

 

 ギュワァ!!!!、と奴の手元が赤く逆巻いた。

 エアの風。十分前に俺の固有結界を跡形もなく切り裂き、冬木市をも壊滅させた絶死の嵐。

 エンリルの洪水とも違う、始まりの終わりにして終わりの始まり。

……が。

 それも、読んでいた(・・・・・)

 

「停止解凍ーー」

 

 あの英雄王ならば、必ず。逆光剣の九連射を受けて、なお生き残ることは分かっていた。

 理屈などではない。剣を合わせ、真贋を競い合った仲だ。人間性だけで言えばまず間違いなくドブ水みたいな男だが、それでも実力だけは本物で、その意志の強さも認めざるを得ない。

 だから、信じた(・・・)

 故に俺は逆光剣を投影した時、こう唱えたのだ。

 投影、重奏と。

 左肩にはもうとっくに、設計図と基本骨子は構築されていたのだ。

 あとは、それを引っ張り出すだけでいい。

 

「全投影ーー待機」

 

 左肩を中心に、円になるように展開されたのは、豪奢な装飾を施された勝利の剣。

 勝利すべき黄金の剣(カリバーン)、それが十三本。

 さながら円卓を取り囲む騎士達のように、砲門と化す十三本の選定の剣。それはまさしく、円卓の騎士(ナイツ・オブ・ラウンズ)そのもの。

 ギルガメッシュもそれにはたまらず笑みを隠し切れない。ここに来て、そんな紛いモノしか出せない男に、ここまで食い下がられているのか、と。

 今更その是非は問わない。

 だからこそ、英雄王も全力で宝具を開帳する。

 

 

「ーーーー死して拝せよ」

 

「ーーーー全投影連結(クリアランス)、疑似真名登録、解放!!」

 

 

 騎士王を守護するは円卓の騎士。

 今宵に蘇るは夢一時の幻なれど、確かな軌跡がここに降り立つ。

 星は眠り、星にて穿つ。

 十三の剣を持って、破壊の嵐を今こそ断たんーー!!

 

 

「ーーーー天地乖離す(エヌマ)開闢の星(エリシュ)!!!!」

 

「ーーーー勝利を願う黄金の剣(エクスカリバーン)!!!!」

 

 

 降り注ぐ極死の暴風雨の名は、乖離剣。次元を裂き、世界を裂く。命にとっては死そのものとも言うべきそれへ、十三の極光流星が真っ向から衝突するーー!!

 衝突、などと言う言葉が生温いほどの、食い合いだった。

 片や原初の地獄の再現。片や、贋作と言えど人々の祈りを束ねた聖剣、それを十三本。

 暴れ、弾け、固有結界が捻れる。

 爆発どころの騒ぎではなかった。

 縮む。互いの存在を許さぬと、極死と極光が混ざり、一つの大きな渦へと変わり果てる。

 ともすれば俺と奴すら、その渦に飲み込まれかねない。

 しかし、

 

「しゃら!!!」

 

「くせえ!!!」

 

 そんなこと知ったことか。

 押し込む。奴は上から、俺は下から。まるで吸い寄せられるように二つの宝具の一撃は、ゴリゴリと削られ、そしてついに剣と剣の距離がゼロになり。

 爆縮。

 

「ヌゥ……ッ!?」

 

「ぐ、がぁ、ああああああああああああああああああああ……!!!??」

 

 音を立てて砕け、弾かれたのは俺の方だ。左肩が鎖骨辺りまで、反動で食い破られる。全身の骨という骨の関節がずれ、刹那の間失神しかけた。

 それでも、比較的重症レベルにまで回復したのはルビーとサファイアが居てくれたおかげだ。じゃなければきっと、俺は一生立つことすら出来ない体になっていただろう。

 

「ぐ、ぅ、……!?」

 

 全身を苛む鈍痛で目が覚める。気を失っていたのは五秒も満たない時間だったかもしれない。見れば、ギルガメッシュから大分距離が離れていた。

 起き上がるにはまだ時間がかかる。

 それは、膝をついてはいないものの、英雄王も同じようだった。

 

「ふ、……本当に、気に食わん男よ。エアを二度も食らってなお、平然と生き永らえているとは。貴様以上に生き汚い人間など、この世界ならば何処を探してもおるまい……」

 

 そう口を尖らせる奴も、相当消耗していた。全身に塗りたくられた赤い液体は、体の入れ墨などではなく、奴自身の出血だろう。見れば先程エアを放った左手が、何度も折れ曲がって、雑巾のように血が搾り出されていた。反動は俺だけではなかったらしい。息も荒く、ともすれば立つことすら難しいハズだ。

……そうさせないのは。プライド、誇り、いや奴自身の鉄をも砕く誓いか。ゴミ箱よりも悪趣味な金ぴかだが、どれだけの傷を負おうと、膝をつかず王として振る舞うその度量だけは敬服せざるを得ない。

 

「インチキばっか、してる……つもりなんだけどな……これでも勝てないか、お前の、それには」

 

 目は俺でも複製出来ない、剣のようなナニかをとらえる。あれがある限り、俺がどんな宝具を投影しようとも勝利はないだろう。

 暗に褒めていることに、ギルガメッシュは鼻で笑った。

 

「たわけ。エアは(オレ)にとって財の一つだが、同時に(オレ)が貴様ら勇者に与えられる最大最後の褒美よ。貴様のように贋作に頼る男に負けるほど、安い宝物ではないわ。それはフェイカーである貴様が一番よく分かってるだろうに」

 

 仰る通りで。

 にしても、膝が笑っちまって仕方がない。一度目ですら、魂ごと押し潰されたかと思ったのだ。二度目も勝利を願う黄金の剣で大部分を削がれていたとは言っても、体には染み付いていた。

 原初の地獄が。

 二度も味わえば分かる。

 勝てない。

 衛宮士郎では、無限の剣製では、あのエアに逆立ちしたって勝てない。

 

「だよな……いや、正直勝てる気がしない」

 

「ハッ、そんな嘘でこの(オレ)の目を騙せると? ぎらつかせた獣のようにエアを値踏みしておいて、な。大方、奥の手(・・・)でもあるのだろう?」

 

……そんなことまで分かるのか、この金ぴか。

 確かに、ある。

 俺が考える限り、もう手はそれしか残されていない。だがそれは、恐らく神装兵器を投影し、真名解放するよりも重い代償を払う羽目になるだろう。

 それこそーールビーやサファイア、俺の記憶を取り戻させてくれた、あのアンリマユですら治癒出来ないほどの損傷を。

 正真正銘、死よりも辛い代償を。

 

「貴様に勝利を譲る気はない。が、先のような半端な幕切れなど(オレ)も興醒めよ。我が死力を尽くして戦いに興じた以上、相応の幕引きがあってこそだ。故に、許そう」

 

 英雄王が、エアを左手から右手に持ち変え、地に突き立てる。

 瞬間。

 世界が、割れた(・・・)

 それを表現するのに、どう言えば良いのか、俺の創造力が足りないだけか、それとも人の言語で表すには余りに規模が違いすぎたのか。

 とにかくエアを突き立てた瞬間。

 固有結界が弾け飛んだ(・・・・・)のだ。

 瞬時に貼り直されたものの、戦慄した。俺が消耗していたとしても、仮にも世界を二つ重ねているのだ。それを、まるでガラスのようにあの風が吹いただけで割れた。

……恐らくこれが、本気。英雄王ギルガメッシュの本気なのだ。

 余波でギルガメッシュの体が浮かぶと、側に待機していた巨人の胸部へ、足をつける。

 ドクン、という脈動。

 それは巨人ではなくギルガメッシュから。

 信じられるものか。

 ギルガメッシュは今、あの巨人から莫大な魔力を吸い上げ、その魔力をそのままエアに送り込んでいる。

 星そのものがエネルギーを与えているような、そんな錯覚に陥る。

 

 

「ーーーーどのような手段、どのような贋作でもよい。全てを救うにたる一撃があるならば、この原初の星々(・・・・・)を乗り越えてみせよ!!」

 

 

 破壊の嵐が形を変えて成したのは、銀河だった。

 それもただの銀河ではない。

 三つ。遥か遠くにある氷海の世界すら見えなくなるほど広大な銀河が、三つも現出し、世界を血の色に染め上げる。

 間違いなく、固有結界だけでは済まない。

 理想の世界ごと、奴は塵一つ残さず消し飛ばすつもりなのだ。

 

「……………………」

 

 切るしかない。切り札を。

 勝てる勝てないなんて簡単な話じゃない。冗談抜きにこれを打倒しなければ、イリヤ達の世界が終わる。

 喉が干上がった。

 やれるか。

 魔術世界において、今から俺がやろうとしていることは、今までの投影なんかとは訳が違う。人間では為し得ないレベルならまだいい。これは、恐らくあの英霊エミヤですら(・・・・・・・・)成し遂げられなかった技だ。

 だが、それを成し遂げてもこれを超えられるかは完全に未知数。

 みんなを救う道はたった一つ。

 道を踏み外すのは簡単だ。そのための方法も分かっている。だけどそれでは、足りない。足りない気がしてならない。

 こんなときに限って、人間としての弱さが邪魔をする。魔術師としての俺なら、何の躊躇いなく対抗出来ただろうに。

 自分の身を犠牲にして、結果何も守れないことが、何より怖い。

 イリヤ達をまた失うかもしれないとーー置いていくかもしれないと思うと、それが怖くて、たまらない。

……どの道、退路はない。

 なら、行くしかない。

 だから。

 なのに。

 

 

 

「ーーううん。それは違うよ、お兄ちゃん」

 

 

 

 後ろから。

 守るべき少女が、俺を抱き締めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 抱き締める。その背中を、広そうに見えても、きっと世界なんて大きなモノは決して背負いきれない人を。

 衛宮士郎とギルガメッシュの、人智を越えた戦争。それはイリヤが見てきた中で、一番苛烈で、一番血が飛び散って、だが一番兄が人間らしく戦っていた。

 みんなを守りたい。

 誰も死なないでほしい。

 根底にあった願いはイリヤだって願い続けることだった。だから、休むことなく、衛宮士郎は戦い続けたのだろう。

 胸は痛む。

 だって、あんなに苦しそうなのだ。もう傷ついてほしくないと何度、見ていて思ったことか。

 けれど助けて、と言ってしまった。

 全てを委ね、戦う力すら彼に預けた。

 なら今のイリヤに出来るのは、見届けることだけだった。

 幸いというべきか、兄が剣で余波から守ってくれたし、あの金色の王もイリヤを直接狙おうとはしなかった。

 戦いは拮抗……とは言わないが、食らいついてはいた。だからイリヤも希望をもって、見届けることが出来たのだ。

 だからあの、赤黒く光る銀河を見たとき。

 イリヤは死んだと、そう思った。

 わたし達みんな、ここで死ぬのだと。

 泣きたかった。やっぱりダメだったと。

 込み上げる涙に身を任せたかった。

 だけど、それ以上に。

 それでもなお、立ち上がる衛宮士郎の姿が、イリヤを奮い起たせた。

 

(……わたしは)

 

 決して、勇敢な姿などではなかった。

 二度も同じ宝具を受けて、その威力を体が覚えているのか。全身は目の前の絶望に震えていて、今にも膝から崩れ落ちてしまいそうだった。

 

(わたしは……!!)

 

 あまりにもちっぽけな、あまりにもこの状況に不相応な役者だ。

 それでも、そんな彼を支えているのは、きっとイリヤが放った四文字の言葉だ。

 

ーー助けて。

 

 それだけの言葉だった。

 浅ましい、誰かの都合や事情などお構い無しに、ただ助かりたいと漏らしただけ。

 見捨てたって良かった。

 やっぱり無理だったと諦めても、イリヤは何ら文句は言わない。

 だって、無理だ。あんな、銀河がドミノみたいに並んだモノ、誰だって諦める。

 だけど、約束した。

 してしまった、助けてくれると。

 だから衛宮士郎は立ち上がった。

 しかしそれは、きっと、よくない何かがまた顔を出しかけている。

 背中しか見えないけれど、きっとそうだ。そうやって、衛宮士郎は両腕を切断された。

 

(わたしは、あなたをそんな道に追い込むために、あんなことを言ったんじゃない!!)

 

 だから、走って、引き止めた。

 同じ過ちを繰り返さないために。

 もう彼を、一人でそんな道に行かせないために。

 

「……イリ、ヤ?」

 

 なんでここに、とでも言いたげな士郎を、イリヤは抱き止める。

 

「ダメだよ、お兄ちゃん。その先はダメ。そんな風に怖いまま、とりあえずなんて絶対に」

 

「……怖くなんてないさ。だから下がってろ、このままじゃお前も……」

 

「じゃあ、なんで震えてるの?」

 

 士郎の歯の根は合っていない。それだけ怖いのだろう。そしてそれはきっと、目の前のあの宝具だけじゃない。

 

「……そんなに。みんなを守れないかもしれないと思うと、怖い?」

 

「…………、」

 

 怖くなんかない。

 そう強がろうともしなかった。

 ただ、衛宮士郎は取り繕うのを止めた。

 

「……うん。そうだ、そうだな。怖いんだよ、俺」

 

 項垂れた彼は、ちっぽけだった。どれだけ人に余る奇跡を起こしても、その姿は信じられないほど矮小で。

 

「イリヤ達を守れないことも、イリヤ達を置いていくことも、全部怖い。本当は最初から、ひたすら怖くてたまらなかった。お前と別れるかもしれないと思うと、それが怖くて、嫌だったから、剣を握ってきた」

 

 背中を抱き締めているから、その顔は分からない。でも飾らない本音だけは、痛いくらい伝わった。

 こんなときなのに。そのことが、イリヤにはとても好ましく思えた。

 だって、怖いことを押し隠せる人間が居たなら、きっとその人は人間じゃないから。

 人間じゃない人に、本当の意味で、誰かを救うことなんてきっと出来ないから。

 みっともなくても、情けなくても、迷ったとしても。

 イリヤにはそんな一生懸命な、正義の味方の方が、よっぽどいい。

 辛くても泣かない人よりよっぽど、そっちの方がいい。

 

「ごめんね」

 

 だから。

 自分は最低だ、とイリヤは改めて思う。

 こんなにも怖がっている彼に、自分はまだ戦ってくれと、そう願っているのだから。

 

「怖いよね、辛いよね……何も出来ないけど。何もしてあげられないけど。でも、側に居るよ。一人じゃないよ、お兄ちゃん」

 

「……イリヤ」

 

「振り返ったらわたしが居る。わたしだけじゃない。お兄ちゃんと同じような願いを、みんなが持ってる。だから、きっと、それは怖くても、一人なんかじゃない」

 

 きっと。

 今逃げるようにあの英霊に挑んだら、絶対に勝てない。そうやって諦めるのはダメだ。

 例えどんな茨の道を進んだとしても。

 イリヤは後悔なんてしてほしくない。

 やっぱりダメだったなんて、そんな模範解答は必要ない。

 欲しいのは、みんなが切り捨てる綺麗事だけ。

 これは、ただそれだけの我が儘。 

 

 

「だからあともうちょっとだけ。最後まで頑張って、お兄ちゃん……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話した。

 短い会話だったけど、誤魔化さないで、話した。

 情けなくて涙が出そうだ。

 守るべき女の子に応援されるなんて、ほんと、涙が出るくらい情けない。

 だけど、それで震えなんか吹き飛んだ。

 恐怖なんか無くなった。

 

「イリヤ」

 

「ん?」

 

「うん、サンキュな。気合い入った」

 

 二本の足で、大地を踏みしめる。

 脳天から踵まで、一本の芯が入る。

 もうブレない。

 もう、臆病風なんかになびかない。

 

「……呆れて物も言えんな。その人形に慰められなければ、死を覚悟して戦うことすら出来ないか、貴様は?」

 

「否定はしないよ、ギルガメッシュ。俺は、弱くなった。精神的にも、魔術師としても。でも」

 

 ああ。

 きっと、俺はそれでいい。

 

「俺は人間だ。人間だから怖いし、情けなくなる。でもだからこそきっと、一人になんてなりたくないから、誰かを助けたいって心の底から思えるんだ」

 

「言葉では何だって言えよう。いざ示すがいい、貴様の正義を」

 

 言われずとも。

 深く、深く息を吸って、吐く。精神を統一する中で。

 ふと、初めてそこで背中へと振り返った。

 そこには、いつものように、泣きべそをかいたイリヤが。 

……ああ、なんだ。

 何も変わりなんてしない。

 イリヤが泣いていて、それを助ける。

 この三ヶ月あまり、ずっとそうしてきた。その輪が広がっていって、色んな人を助けたいと思った。

 間違っていなかった。

 誰もがそこでは笑っていたと、再確認した。

 だから。

 世界へと、告げた。

 

 

剣製(トレース)融解(トレース)

 

 

 瞬間。

 固有結界が、ほどけた。

 それはさながら絵の具を水で洗い流されたかのような、不思議な光景だった。無限の剣製が、崩れ、現実世界の冬木へと戻る。

 固有結界自体が解除された……わけではない(・・・・・・)

 

 

停止解凍(フリーズアウト)

 

 

 変化は左肩から。

 ズバァ!!、と特大の炎が二本、伸びた。それはまるで東方の龍のように空へと伸びると、とぐろを巻いた。

 そう。今まさに肩から飛び出しているのは、溶けて混ざった二つの固有結界そのもの(・・・・・・・・・・・)

 下準備は、していた。

 さっきまで身を置いていた、固有結界の二重展開。その真の役割は二つの世界の境界を(・・・)無くすこと。そう、つまりはこの時のため。二つの固有結界を溶かし、錬成するための下準備に過ぎない。

 俺の根源は確かに鞘なのかもしれない。

 しかしそれはあくまで理想の世界のエミヤシロウのモノ。それに俺と、美遊の兄が加われば、変化が起きるのも当然。

 

 

固有結界(ソードバレル)是正完了(フルセット)

 

 

 二首の炎の龍は絡み、まるで口付けるように融けていく。

 変化が起きたのは俺の体も同様だった。

 臨界を越え、限界を超えた五十四の魔術回路が、熔けて、混ざっていく。一つの魔術回路へとーー否、鉱炉のように、血管などの器官に至るまでが全て自動的に一つの大海原へと変換されていく。

 それはまるで、魔術回路全てから、溶けた鉄が全身へ雪崩れ込み、同化していく感覚。

 そして。

 ついに、真理へ辿り着いた。

 

 

 

 

「ーーーー是正鍛冶場(リミテッド)/魂源無還衆錬(ゼロオーバー)

 

 

 

 それは、左腕の形をした、炎だった。

 世界を塗り替えるほどの超高密度の魔力を、二個。それをたった数十センチの腕の形にまで凝縮したそれは、超々弩級の魔術炉心。

……その名も、是正鍛治場(リミテッド)/魂源無還衆錬(ゼロオーバー)

 衛宮士郎という人間がその魂の全てを投じることで完成する、無限の剣を素材に溶かした、唯一無二の鍛冶場(・・・)である。

 

 

「……ククっ、ク、クハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!! なるほどそうか!!! それが貴様の答えか、衛宮士郎!!!!」

 

 

 天に君臨する英雄王が、原初の星々を従えて高笑いする。しかしそこに奴特有の嫌味や、他人を見下す悪辣さは欠片もない。

 称賛。ただそれだけを口にしながら、ギルガメッシュは何処までも王として右腕のエアを振りかぶる。

 

 

「よいーー極め、至った技。その粋を、この(オレ)に見せるがいい」

 

 

 すぅ、と浅く呼吸。

 左腕を中段に。

 心は火にくべて。

 誰もが笑っている記憶を反芻する。

 八節の段階をもって。

 ここに、新たな幻想を叩き上げる。

 

 

「ーー是正(トレース)錬鉄開始(オーバーロード)

 

 

 通る一本の線。すぐさまその線ははね躍り、一つの設計図を描き終える。

 組み上がった設計図は荒唐無稽。しかしそれを作ってこその刀匠。

 剣の丘に登録された、全ての武具。それが鉄の海となるほど混ざったことで、一つの刀へと収斂されていく。

 願いはたった一つ。

 この世に断てぬモノなどない、最強の自分(つるぎ)

 守る? 救う? そんなことは担い手たる俺に求められること。

 剣に込める願いなどそれだけでいい。 

 人でもなく、正義でもなく、悪でもない。

 この世を斬る。

 宿命を断ち斬る刃。それだけを求める。

 心の奥底から、一定の間隔を保って響き渡るのは、鉄の音。

 かぁん……かぁん……かぁん……と。

 火花を散らし、赤熱し、無窮の果てにて木霊するのは鉄の息吹。

 一気呵成に、幻想は紡がれる。

 刀身を研ぐように、重い音を立て、それは炎の中から産まれた。

 

 

「ーーーーーー、」

 

 

 言葉はない。音も、あの赤い風すらも、その一瞬だけはぱたりと止んだ。

 それは、一本の刀だった。

 鞘も鍔も柄もハバキすらない、刀身しかない、武骨な刀。斬ることにのみ特化したが故に装飾は一切なく、あるのはただ一人の男の熱意。それが刃紋となり、刀の血となって刃に隅々まで広がっていた。

 紅蓮に燃える炎から産まれたそれに、あの英雄王すら言葉を失っている。

 炎と化した左手で、その一刀を握る。

 そこでギルガメッシュは、目を爛々と輝かせ。

 

 銀河が、回転する。

 

 

「原初を語る。地は仰ぎ、天にて開闢は黎明を織り成す。世界を拓くは我が乖離剣ーーーー」

 

 

 三つ並んだ銀河が、英雄王にかしずいた。それすら英雄王にとっては些末なことなのかーー奴は万感の意を込めて、剣を振り下ろす。

 

 

「さあ、夢の果てをさ迷うがいい。

 

ーーーー天地乖離す(エヌマ)開闢の星(エリシュ)!!!!」

 

 

 (ソラ)が、迫る。

 そう形容するしかないほどの桁外れのスケール。縮尺が狂い、視界は既に銀河で何も見えない。

……いや、何ら問題ないか。

 目標が見えずとも関係ない。

 この刀が斬るのは、人にあらず。

 仮初めの左腕を右腰へ。居合いの構え。殺意が剥き出しになった刀を担ぎ、丹田を意識する。

 

 

「一に剣。十に(けん)。百に(けん)。千を越えて、無限の(けん)ーーーー」

 

 

 イメージするのは自身の心象世界。

 人の影すらない、静かな時が流れる剣の草原。無限の剣しかない、侘しい世界。

 

 

「ーーーー燃えゆる鉄世(ヒト)から生まれるは、究極(ソラ)へと至るこの一刀」

 

 

 それは、かつて生きていた人々の願いを集めた世界。

 ならばそれを基にこの世に生まれたこの刀は、今を生きる人々の願いをも束ね、作られた、祈りの一振り。

 

 

「理を断ち、善を絶ち、悪を裁つ。即ち、我は常世総てに仇なす者ーーーー」

 

 

 死者達の願いが、この世に生きるあまねく人々の祈りが、刀へと収斂される。

 故に斬るのは人ではなく、悪でもなく、世界そのもの。

 渺渺たる流れーー運命(Fate)を、断つための宝具。

 其の名はーーーー。

 

 

 

 

「ーーーー無銘、七士(ナナシ)

 

 

 

 

 

 渾身の、一閃。

 左腰から逆袈裟。

 技術も何もないーーただ下から上へ動いただけの上下運動。

 創世神話の具現化たるこの銀河に対し、その一刀の何と頼りないことか。銀光はさながら朧月を反射させたように儚く、薄い可能性そのもの。

 されど、それは願いの具現化。

 人々の祈りのカタチであり。

 この世界は神の支配から抜け出した、人の世である。

 無力を嘆き、亡くしたモノへの後悔で尽きぬ、絶望と不安入り乱れた世界。

 神という名の隷属から独り立ちし、立ち向かうことを選んだ世界。

 故に、収斂される想いは無限。

 無限にて鍛えた、鉄の希望。

 無限の極致ーーそれがこの一刀。

 故に。

 覆る。

 最古の神話に、最も新しいお伽噺が書き足される。

 

 

「な、に?」

 

 

 まさに一瞬。

 斜めに引かれた一文字は、余りに滑らかに頭上へと振り抜かれ。

 そして。

 銀河ごと(・・・・)、常世が、綺麗に斬り捨てられた。

 

 

「…………………………は、」

 

 

 あれだけ難攻不落だった、天地乖離す(エヌマ)開闢の星(エリシュ)

 三度目の正直と、音もせず、真っ二つに裂かれ、落ちていく。それはまるで空そのものが裂けているような、異常な光景だった。魔力へと消えていくのはそれだけではない。

 ギルガメッシュの体。その背後に鎮座していた巨人。それすらも、俺の作り出した刀は斬っていた。

 しかも、それだけのモノを斬りながら、理想の世界の空間は裂傷ひとつない。見事と自賛していい、完璧な斬撃だ。

 残心を、解く。

 と、刀は役目を終えたと言わんばかりに、砕けた。刃先からぼろぼろと崩れ、砂へと帰る様は、まるで時の流れに抗えず風化する場面を早送りするようだ。

 仮初の炎腕も燃え尽き、後に残ったのは勝者と敗者だけ。

 

「……なる、ほど……」

 

 驚くべきことに。ギルガメッシュはまだ、生きていた。背後の巨人と共に、崩れ去りそうになりながらも、奴は自身を打ち破った者の正体を語る。

 

「これは、……そうか。運命……因果、そのもの、を、断ち、斬る……」

 

「……ああ。これは、そういう刀だ。この地獄を覆してほしい(・・・・・・)、そんな願いが込められた、魔剣……いや、妖刀だよ」

 

 宝具『無銘、七士(ナナシ)』。

 この宝具はありとあらゆる人間の、この地獄を覆してほしいという願いの末に作られた宝具だ。

 その斬撃は真名解放すれば、因果を、運命を断ち、覆すほどの切れ味を持つとされる……そんな逸話が今、出来上がった(・・・・・・)

 バセットのフラガラックと似ているが、その本質は全くの逆。あちらは先に因果へ割り込むが、この宝具はその斬撃がエアを、奴自身すらも斬り、そして因果すらも変えた。つまり、単純な(・・・)切れ味だけ(・・・・・)で、あの原初の地獄を斬り伏せ、運命へと届いたのだ。

 それもむべなるかな。

 これは一つの世界だけの力ではない。無限に溜まっていた、人々の想い。それを束ねた故の一撃だ。

……勿論、代償は大きい。

 だがそれでも、勝つことが出来た。

 

「……いや……それだけでは、ない、か……」

 

 と。

 ギルガメッシュは何かを感じたのか。目を瞑り、満足そうに、

 

「……天の理を、否定するか……人よ、世界よ……ならば、よい……特に、ゆるす……」

 

 視線が交錯する。

 死に際だというのに、その視線は些かも衰えがなかった。これが世界最古の英雄、その本領か。

 そしてその視線から目を逸らさない。

 受け止め、

 

「……此度は、認めよう……ふん、貴様の国の言葉では……こう、言うのだったか……まっこと、あっぱれであったわ……」

 

 英雄王は消えた。

 最期の最期まで奴は、奴の矜持に従い、消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここに、雌雄は決せられた。

 

「……は、ぁ、ぐっ……ぁ……」

 

 終わった。そう考えただけで衛宮士郎の膝は折れて、そして倒れた。

 もう動けない。

 細胞の一つ、そのマイクロに渡るまで、全ての力を出し切った。もう魔力なんてすっからかんで、感じ取ることすら、出来ない。

 と。

 びし、ぴしぴしぴし……と何か決定的なモノが破綻していくのが分かった。

 

「士郎さん、動かないでください。呼吸も最低限に。少しでも生きていたいなら言うことを聞いてくださいね?」

 

「……ルビー」

 

 いつになく真剣なルビー。それだけで衛宮士郎の状況が分かるというもの。

……それが、代償だった。

 存在の一ミクロンに至るまで、完全な消滅。

 あの宝具ーー無銘、七士は自身の運命(・・・・・)をも斬ることで、真名解放出来る。だから、これは絶対に覆らない。

 運命とは繊維のように細く、だからこそ決して切れてはいけないモノ。ルビーやサファイア、衛宮士郎を無理矢理にでも生かしていた美遊の力ですら、止められないほどの損傷だった。

 体が急激に凍り付いていくような感覚。触れれば、それだけで、全て瓦解するほど体が、魂が脆くなっていく。

 液体窒素で凍らされた消しゴムを思い出した。あれと同じだ。今の士郎は、恐らく僅かな衝撃でも砕け、消え去る。

 消えることに後悔がない、とは言わない。

 だけどこうするしかないのなら、何度でも士郎はこうするだろう。

 

「サファイアちゃん、目の機能はオフっといてください。それよりも全力で我々が補強してあげないと、この人このままだと……!」

 

「……いいんだ、ルビー」

 

「お兄さん?」

 

 鼓動が小さくなっていくのが、士郎自身分かる。その鼓動が無くなるのが一秒後か、それとも一分後か。時間の感覚すらあやふやな今でも、衛宮士郎は自分の未来がないことは自覚した。

 

「いいさ……もう十分だ、本当に……」

 

「何が十分ですか、馬鹿らしい。いいですか? 我々があなたと仮にでも契約したのは、イリヤさんや美遊さんのためです。あのお二方を悲しませないため。そのためにはあなたに死なれては困るんです。決してあなたのためなんかではないんですからね!?」

 

「姉さん、それは士郎様のためと言っているのと同じです」

 

 ふ、と士郎が笑う。

 未来がないことは自覚した。

 ルビーとサファイアが尽力しているが、恐らく無理だろう。

……そこまで考えたとき。

 そう言えば……と、思い出した。

 あとちょっと、頑張らないといけないな、と。

 

「ふ、ぅ、ぐ、ん……ん、ん、っ!!」

 

「お兄さん!? ちょ、なにしやがってんですかあぁた!?」

 

 ざり、と額を、衛宮士郎が地面に擦りつけた。それだけで額の皮が剥がれ、士郎の輪郭が崩れ落ちていく。

 なおも続け、やがて彼は立ち上がる。

 それだけでも奇跡だった。

 ルビーとサファイアの回復力があったとはいえ、体にかかる反動を考えれば、立っただけで体はバラバラになっていても可笑しくはなかった。

 だが、

 

「お兄さん、人の話聞いてました!? そんな動かれるとですねぇ!?」

 

「ああ、分かってる……けど、まだ、やらなきゃいけないこと……がある……」

 

「はい!?」

 

 歩く。

 酷く遅く、この上なく頼りなく。

 たった一歩で衛宮士郎は、息も絶え絶えだった。二歩目が中々出ないどころか、バランスも取れていない。あわや転倒ーーと言うところで、助けが入った。

 イリヤだった。

 イリヤは士郎を担ぐように懐で、彼の首が自身の肩に来るように背負う。

 

「……大丈夫、お兄ちゃん?」

 

「はは……大丈夫、と言いたいところだけど……ちょっと、ヤバそうだ……」

 

「……そっか」

 

 イリヤも何となく、それは認識していた。

 本来イリヤの力で衛宮士郎の肉体を支えることなんて出来ない。それが出来たのは、それだけ衛宮士郎の肉体が損傷し、体重が軽くなったからだろう。

 それだけで、イリヤはもう手遅れなのだと、悟ってしまった。

 これは、もうダメだった。

 それが分かっていながらも背中を貸したのは、兄の最期の願いを叶えるため。

 

「じゃあ、行こう」

 

「……ああ」

 

 兄妹が力を合わせて、また歩き出す。

 ざっ、ざっ、と。

 砂を踏む度に、衛宮士郎の体が崩れていく。それは僅かではあるものの、確かに衛宮士郎の魂の残り滓だった。

 

「……ダメだなあ……最期まで、ダメな兄貴だ……ほんとに……」

 

「そんなことないよ。お兄ちゃん、頑張ったよ。頑張りすぎたよ。だから、そうなっちゃったんでしょ?」

 

「それは……そうだけど……最期くらいは、お前に頼りっぱなしで……いたくなかったな、って……」

 

「ううん、かっこよかったよ。本当に、かっこよかったんだから。だから、それでいいよ」

 

 そして、たどり着いた。

 実に歩いた距離は、五十メートルもなかっただろう。ただそれでも、二人にとっては時間がかかってしまう距離だった。

 そこに居たのは、美遊と、クロの二人だった。二人とも無事だったようで、若干憔悴しているようにも見えるが、目立った後遺症なども無さそうだ。

 むしろ、士郎の致命傷を見て、二人とも絶句していた。聡い二人だ、間に合わないことも無意識に分かり、それを受け止めきれないのだろう。

 バキン、という音は衛宮士郎の足。ついに音を立てて足首から先が割れて無くなり、美遊とクロの前で倒れかかる。

 

「お兄ちゃん!?」

 

 その言葉は、イリヤも含めた三人とも同じタイミングだった。三人は士郎の体を受け止め、そして改めて悟った。

……お別れのときだ、と。

 

「ーーーーーー」

 

 言葉にしないといけないことは、沢山あるハズだった。どうしてそんなことになるまで戦ったのかとか、いっつもそうやって人の気も知らないでとか、わたし達を置いていかないでとか。

 だけど、言えなかった。

 言ったらその瞬間、衛宮士郎が風に崩れて、消えてしまうかもしれないから。

 だから。

 だから。

 口を開いたのは、衛宮士郎本人だった。

 

「……、とう」

 

「……え?」

 

「ありが、とう」

 

 異変に気付いたのは、士郎の顔の真下で俯いていた、イリヤだった。

 ぽつ、ぽつ、と空から雨が降ってきたのだ。何もこんなときに、とイリヤが顔を上げて。

 そこで気付いた。

 雨ではなかった。

……満足そうに。兄が、静かに泣いていたのだ。

 

 

「ーーーー生きててくれて、ありがとう」

 

 

 一体。

 一体その言葉には、どんな意味が込められていたのだろう。そう、イリヤは考えざるを得なかった。

 全員助けられたという安堵か。

 それとも、この世界で生きていてくれたこと、そのものへの感謝だったのか。

 どちらにせよ、耐えられなかった。

 もう何度涙を溢しただろう。

 何度、悲嘆に暮れただろう。

 それでも、泣くしかなかった。

 こんな、残酷な運命を。

 

「お兄ちゃん……」

 

「……ん、なん、だ?」

 

「あ……う、その……」

 

 名前を呼んだけれど、イリヤには何も言えない。それは先程確認したことだった。

 だけど言わずにはいられなかった。本当に消えてしまったら、この渦巻く感情が何も言えなくなってしまう。そう考えたらもう、何も言わないなんて選択肢は思い付かなかった。

 何を言えば良いだろう?

 とにかく、口に出しながら、考えて。

 そう思った、ときだった。

 頭上。

 不自然なほど近くで、雷鳴の音が、した。

 

 

「、っ、あ、……?」

 

 

 何も出来なかった。

 何か行動を起こす暇すらなかった。

 ただ、目の前が紫に光った瞬間、全身が四方八方に弾け飛ぶような衝撃がイリヤの全身を貫いていた。

 それが頭上の雷雲から落ちた、無数の雷によるショックだと気付いたのは、もう決定的に後のことだった。

 視界がおぼつかない。

 這いつくばり、照明弾が直撃したように目を開けられないイリヤでも、その声は聞こえた。

 

 

「ーーーー夢幻召喚(インストール)

 

 

 どうして、それを。そんなことを言う前に、誰かと誰かが戦い始めた。

 そこからはもう、イリヤには何がなんだか分からなかった。ただ雷のせいで、まともに喋ることすら不可能で、体なんて痺れてしまって痙攣を起こしていた。

 恐らく戦いは一分も満たなかっただろう。

 側に、誰かが転がってくる。

 転がってきたのは、クロだった。しかも傷が酷い。端正な顔は左半分が腫れ上がり、腹は無数の風穴が空いていた。

 視界もはっきりとはしないが、それでも状況程度なら分かる。

 イリヤとクロから離れて、約十メートル。襲撃者は二人。

 

「なんだァ? 夢幻召喚した割りには、コイツ随分弱っちくねェ?」

 

 片方は赤毛の、恐らく凛やルヴィアと同年代の少女だった。しかし目はサディステイックな暴力的なモノで、服装も山賊のように毛皮を羽織っておきなから露出度が高い。何より、腕が可笑しい。毛むくじゃらで少女の胴体ほどもある両腕(・・)は、明らかに人の範疇を越えていた。

 

「所詮はクズカードから派生した英霊だ。こんなモノに遅れを取ったなど、信じたくはないがな」

 

 もう片方は、バゼットのような成人した女性だ。しかし声色にはぞっとするような冷たさしかない。金色に光る深緑の髪(・・・)にはやや下品にも見える黄金の鎧を腰に巻き、全身に刻まれた入れ墨がその肉感的な肢体を浮き立たせる。それでいて、上から透明な羽衣を羽織っており、上品さも漂わせていた。

 夢幻召喚を使う、魔術師。

 まさか、

 

「エインズ、ワース……?」

 

「およ? およよよよ? もしかしてェ、アタシらのこと知っちゃッてるカンジ?」

 

 口の中だけで呟いたハズなのに、赤毛の少女にはイリヤの言葉が聞こえていた。やや不機嫌だった少女は、嬉々として片腕を天に掲げる。

 

「よーッし! ぶッ潰してもいいよなァ? 最近生の人間を潰した覚えがなくてよォ、なァいいだろォ?」

 

「後にしろ。それよりも今は最優先で回収するべき対象が居るだろう」

 

 女性魔術師が視線を真横に投げる。そこには美遊と、倒れたまま動かない兄が居た。

 美遊は二人の存在に気付き、怯えるように表情を変えた。やはり、知っているのだ。だとすればこの二人がエインズワースで間違いない。

 女性魔術師がヒールを鳴らしながら、美遊の側で跪いた。

 

「お迎えに上がりました、美遊様」

 

「……い、や……かえり、たく、ない……!!」

 

兄上のこと(・・・・・)は残念です。ですが、我々の神話に賛同してくだされば、あなたも救われる。ご安心を、我々はあなたも救ってみせましょう」

 

「いや、イリ、……!!」

 

「はいゴッコ遊びはしゅーりょー!」

 

 首を振る美遊にの上に、ゴッ、とのし掛かったのは、赤毛の少女だった。腕の分もあって体重が増しているのか、美遊はそのまま気を失った。

 

「ミ、ユ……ミユ、……ミユ……!!」

 

「少しは丁重に扱え。貴様はいつも手荒すぎる。神稚児であられる美遊様に万が一があれば、どう責任を取るつもりだ?」

 

「へいへい分かッてますよー。ッたく、小姑みてェにうるせェんだから……あン?」

 

 と、赤毛の少女の歩みが止まった。

 主に止まっていたのは踵。本来なら腕も、足すらなかった衛宮士郎が、首と肩を使って、赤毛の少女を引き留めているのだ。

 美遊を助けるために。

 

「ア゛ーーーーーー…………」

 

 しかし。

 それは悪手だった。

 

「なァ。オマエ、アタシらの邪魔を何回すれば気が済むワケ?」

 

「おいベアトリス」

 

「止めンなよアンジェリカさんよォ。これも回収対象だッつんだろォ? だ・け・ど」

 

 ベアトリス、と呼ばれた赤毛の少女が、士郎をあの獣のような腕で掴んだ。

 不味い。そう思っていても、イリヤには体を動かす力すらない。

 

「こんだけ反抗してくるならーーシツケが必要だよなァ!?」

 

 それは、まるでフィギュアを握って、そのまま机に叩きつけるかのような、余りに人道を無視した動きだった。

 握られていた士郎がどうなったかなど考えたくもない。士郎が潰れなかったのはひとえに、ルビーとサファイアのおかげだろう。だがあのルビーとサファイアが、何も喋らない。つまりそれだけ、士郎の治療にかかりきりで機能を割く余裕がないのか。

 

「……ミ、ユ……お兄、ちゃん……お兄ちゃん……!!」

 

 届かない。

 どうしたって届かない。

 体が、言うことを聞いてくれない。

 

「おいアンジェリカァ~。これ、どうすんの? 潰す?」

 

 ベアトリスの視線がイリヤを捉える。

 まるで蛇に睨まれた蛙のように、イリヤはひっ、と喉を鳴らす。

 

「……捨て置け」

 

 対し、アンジェリカと呼ばれた女性は踵を返すと、続いてこう言った。

 

 

「ーー揺り戻し(・・・・)だ」

 

 

 瞬間。

 グワァッ!!、と夜が裂かれた。

 一瞬で深夜が真っ昼間へと変わったのは、空のせいだった。そこから目を焼くほどの眩しい光が降り注ぎ、視界が白熱する。

 何も見えない。

 何も聞こえない。

 

「ミユ……ミユ、ミユ!! お兄ちゃん、ねえお兄ちゃん!! クロ、大丈夫なの!? ねえ誰か、誰か返事してよ!!!!」

 

 光は止まらない。

 やがてその光はドーム状に新都を覆い、それが臨界まで達するとーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嫌な予感がしていた。

 それは新都に近づけば近づくほど、アイリの中で膨らんでいく。

 誰かが既に死んでいるとか、そういう類いのモノではない。そんなことは荒れ果てた深山町を見たときからはっきりと分かっていた。

 だからそれは、ただの勘でしかなかった。それとも虫の報せとも言うべきか。どちらにしろ、アイリのその予想は、当たった。

 

「、あれは……!?」

 

 フロントガラスの向こうで、アイリの目を白い閃光が襲う。思わず目を覆いたくなるが、逆にアイリはアクセルを限界まで踏み倒した。車が急な加速で揺れ始める。

 アレは……良くないモノだ。

 しかし遅かった。

 光はアイリの目の前まで広がったものの、その光のドームに入る前に目映く輝くと。

 光が、消えた。

 

「……そんな」

 

 ドリフトして、アイリは車を急停止させると、外へ飛び出した。

 景色は何も変わらない。廃墟となった新都は人の気配などあるわけがない。

 しかし、それだけではない。

 聖杯の反応(・・・・・)が消えた。

 それが意味することは、つまり。

 何者かが、聖杯を違う場所へ転移させたということ。

 

「……イリヤ達を、探さないと」

 

 不安を押し潰すように、アイリは自身の目標をそう決める。

 しかし無情にもーーアイリにはイリヤどころか、美遊も、クロも、士郎の姿すら見つけられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さてさて。

 ここより皆々様がご覧になられますは、一人の男の浅ましき願い。

 全てを救いたいと豪語するのは、一度は全てを失った男。

 無論男の目の前に立ち塞がるは、かつて過去の英雄達を苦しめてきた試練の数々。

 

ーーああ、全てを救いたい!私は君達も救いたいのだ!

 

 されど、男の声は誰の耳にも届かない。

 何故なら、その体は剣で出来ていた。

 体が剣でできた男を、一体誰が信じられようか。

 そうして死ぬまで、男は自分の願いを叶えられず。

 死後もそんな願いを持ち続けた、自分自身を恨むのでした。

……本来なら、それが大体の筋書き。無難な終わり方だね。うん。

 しかし何の因果か。男の体は、いつしか剣だけではなくなっていた。

 誰かを助けたい。そんな願いの本質を、男はついに理解し始めた。

 しかしそれは今まで以上に辛く、遠く、何より険しい。でもーーだからこそ、それは間違いなく希望に満ちた終わりへと続いている。

 

 

「ま、読者の私がこんなこと言うのもなんだけど。神話だなんだと言っても、結局は物語。むしろ神話の方がつまらないもんさ。何せ後味の良い大団円が一つもない! そういう意味で、期待してたりするのさ」

 

 

 ね、アルトリアのマスターくん。

 君は非常に興味深い。

 相反する理想と現実の中で、君は未だに諦めずに、足掻いている。

 だから是非とも、私にも見せてくれ。

 君の英雄譚を。

 君が紡ぐ大団円(ハッピーエンド)を。

 

「じゃあ。私はのんびりと、君の行く末を見させてもらうとしようーー」

 

 花の相談役、マーリンお兄さんからの言葉はたった一つだけ。

 大団円(ハッピーエンド)の条件は忘れないように。

 え、忘れてない? 

 ならそれでよし、あとは君の頑張り次第さ!

 

 

「さあ、それじゃあ始めてくれたまえ、少年」

 

 

 結末はまだ分からない。

 だがあえて、名付けるのならーー。

 

 

 

「これは、どんな絶望に砕かれてもーーかつて夢見た未来を、掴み取る物語、かな」

 

 

 

 

 

 






是正鍛冶場/魂源無還衆錬(リミテッド・ゼロオーバー)

みんな大好き、FGOのアレ。kaleid nightだと、二つの固有結界を左腕に凝縮、それを規格外の魔術炉心にすることで宝具を作る秘奥中の秘奥。膨大な剣の世界を融合させるには、一度固有結界の二重展開で固有結界同士の境界を融かす段階を踏む必要がある。
要は宝具を作るための鍛冶場なのだが、これを行うには固有結界の二重展開という普通にやれば確実に死ぬ状況に陥るので、現状死なないという前提ありきで理想の世界のみと運用が限られる。あと単純にカレイドステッキのように無制限に魔力を供給するバックドアでもないと、魔力が足りない。


無銘、七士(ナナシ)

ランク:EX
種別:対運命宝具
レンジ:???
最大捕捉:???

固有結界『無限の剣製』二つを混ぜ、炉心と化する秘術、是正鍛冶場/魂源無還衆錬によって生み出された、衛宮士郎だけの自爆宝具。
その創造理念は、この地獄を覆してほしいという願い。『無限の剣製』内の全ての武具の制作者や担い手、つまり死者達の願いの結晶であり、同時に衛宮士郎という生者の祈りが込められた一刀である。
この宝具の能力は、生者の祈りを刀身に集め、力にすることである。死者の願いによって鍛えられた一刀に、生者の祈りによって研がれ、その本領を発揮する。
その本質から、生者の祈りが強ければ強いほど切れ味が増す。人数も関係あるが、ただその祈りが純粋であればあるほど、この地獄を覆してほしいという願いに近ければ近いほど、威力がはね上がる。
故に斬るのは人にあらず、悪にあらず。
斬るはこの世の全て。
つまり、運命である。
最大ではあの天地乖離す開闢の星ごと、ギルガメッシュの因果を断ち切った。
しかしその人の領域を越えた力の代償として、まず自身の運命を切り捨てなければならない。ある意味では、名前のない民衆の願いを叶えるために祭り上げられる生け贄の一種という側面もある。

名前の由来は正義の味方という大衆の代表に名前はないことから。この地獄を覆してほしいという願いを士郎が持ったのが作中だと十一年前=七歳の士郎なので、七士という名前になった。未だに衛宮士郎の前の名前が分かっていないと考えると、結構皮肉だったりする。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。