Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!! 作:388859
ーーinterlude7-1ーー
この世界に迷い込んだとき、わたしの記憶はあらゆるところが抜け落ちていた。
覚えていたのは、年の離れた兄が居ること。その兄は優しくて、わたしのために命を懸けて戦ってくれたこと。だからこれからは、何があっても生きなければならないこと。楽しかったこと、苦しかったこと。それら全てを思い出したくても、それ以上のことはそのとき思い出せなかった。
どうやってここに来たのか。何から逃げればいいかだけは分かっていて。ただ身の内から湧き出る何かに急かされるまま、歩き出した。
凍えるような夏から抜け出したのに、春の夜は震えるほど寒かった。ゴミ捨て場から拾った衣服は採寸なんて合っているわけもなく、隙間から入ってきた風が、肌を撫でて心身を冷やしていく。
森を抜けて、町へと足を踏み入れる。夜はまだ始まったばかりで、親子連れも少なくない。失ったばかりの傷を抉られるのは、とても辛かったけれど。それよりも、たった一人で歩き続ける方がよっぽど辛くて。
こんなにも人は、世界に溢れているのに。
この世界でわたしは今、誰よりもひとりぼっちで。
もう止まりたかった。止まって、泣いて、見知らぬ誰かに助けを求めたかった。一人でいることに耐えられなかった。
でも。
それは、許されない。
ーー美遊がもう、苦しまなくていい世界になりますように。
だって。
兄は、そう願ってくれた。
わたしがーー朔月美遊が苦しまなくてもいいようにと、願ってくれた。
だったら辛くても、それを出しちゃダメだ。
わたしは弱くて、惨めで、情けなくて、お兄ちゃんの妹にふさわしくないかもしれない。
それでも、あの願いを聞き届けたなら、わたしは笑っていなきゃ。笑うことが無理なら、せめて辛い気持ちなんか、表に出しちゃいけない。
だから。
「……、……」
靄がかった景色が、うっすらと晴れていく。頭の奥がガンガンと響き、首元から僅かに痺れが走った。
どうやらソファーに仰向けに寝かせられていたからか、寝違えてしまったのかと分析したところで、腕と足が動かないことに気づいた。
鎖だ。何処から持ってきたのか、四肢をぐるぐる巻きにした鎖が、ソファーにくくりつけられて固定されていた。
「目が覚めましたか」
声に目だけを動かして探す。
声の主ーーバゼットは、ソファーの向こう側で、石の球体を前に何か作業をしているようだった。正確に見えないのは部屋が真っ暗で、間にテーブルを挟んでいるからだ。
地下ではない。月に照らされた内装は一般的な一軒家のそれだ。一つだけ違うことと言えば、割れた姿見があるくらいだろうか。
ここは何処だろう。美遊が目を走らせていると、
「随分冷静ですね。秘密を知られたというのに」
「……っ」
冷静でいられるわけがない。だが冷静を装わないと、出し抜ける相手でないことを、美遊は朧気にだが覚えている。その虚勢も手足に巻いた鎖が音を鳴らしてしまうせいで、全てお見通しだろうが。
「……目的はなに? わたしを拐って、どうするつもりなんですか?」
「どうするもなにもありません。ただこれ以上、現実から目を背けるなと。それだけです」
「……どういう意味ですか」
「さて。私も記憶が定かではありませんから。元の世界の記憶は、士郎くん同様あまり残っていませんので」
……つまり、
「……それは向こうの世界の凛さんの言葉、ということですか?」
「恐らくは」
美遊も士郎に関するおおよその事情は知っている。
彼がこの世界の衛宮士郎ではない、エインズワース達の世界でもなく、第二の並行世界からやってきたこと。美遊も含む並行世界からの来訪者は元の世界の記憶が思い出せないこと。
そして衛宮士郎、バゼット、カレン達は、
「……あなたに助けられたことは、少しですけど覚えてます。そして何より、お兄ちゃんを手助けしてくれたこと。それも感謝はしています。でも、それとこれとは話は別です」
「……」
「どうして!! どうしてお兄ちゃんにあんなことしたんですか!? あなたにとっても、お兄ちゃんは知らない仲じゃないでしょ!? なのになんで襲って、怪我までさせたんですか……!!」
怪我、なんて言葉では生温い。あの傷は下手すれば即死もあり得た。右半身がまるごと切断されても何ら可笑しくない。
衛宮士郎の力はこの状況で必要なハズだ。それを自ら捨てるような真似、何故バゼットがとったのか。美遊には理解出来なかった。
「……確かに士郎くんの魔術師としての力量はともかく、あの能力。何より英霊との戦闘経験は、彼にしかないモノだ。だからこそ、それをこの世界の記憶で塗り潰すような真似だけは絶対に出来ない」
「あの人にイリヤ達との記憶は要らないって言うんですか!?」
そんなの、あんまりだ。彼は兵器じゃない。一緒に笑い、誰かを心配したり、そういう感情を持った人間だ。
なのに、その人間としての彼を塗り潰そうだなんて。
例えその関係に何の根拠もない、偽物だったとしても……それを否定させたりしない。
少なくとも美遊は、そう思っていた。
だから。
「ええ。
それは。
美遊にとって、知らなかった真実だった。
「……え?」
一気呵成の勢いだった激情が、みるみる内に小さくなっていく。代わりにざわり、とまるで小さな虫が沢山手足を這うような気味の悪い感覚が、徐々に体を支配していく。
「……彼は元の世界の聖杯戦争において、イリヤスフィールを失っています。それも目の前で」
「……イリヤを……失ってる……」
つまり。
それなのに彼は、あんなに幸せそうに笑っていたのか?
家族を失って、知らない世界に連れてこられて。助けられなかったモノが全部ある世界で、彼は。
自分と同じ想いをしていたとしたら、それは。
……どんなに、残酷なことだろう。
「だからこそイリヤスフィールから離れなければならないと言ったのです。遅かれ早かれ、彼はここを発たねばならない。ここまで変わってしまった彼なら、ここに残ると言いかねない」
「……」
「何よりイリヤスフィールを人質に取られてしまえば、今の彼が敵に回ってしまうかもしれない。我々は彼と繋がりがある人間が多い。不安要素しかない爆弾など、とっとと解除するに越したことはないでしょう?」
「、……それは……」
事情は分かった。分かりたくはなかったが……そういうことなら仕方ない。
でも、それなら。
「それなら、
何かに突き動かされたように。そうすれば、問題ないではないかと美遊は提案して、暗闇の向こうに居るバゼットを見て、気付いた。
あの鉄仮面を被ったように表情を変えてこなかったバゼットが、初めて。苦悶の表情を浮かべたことを。
這いずり回っていた悪寒が心臓まで行き渡る。見えない手で撫でられるような感覚に、息が荒くなる。
「美遊」
一瞬の葛藤を振り切って。バゼットは真実を口にした。
「この世界の衛宮士郎は、もう何処にも居ません。転移した際、士郎くんと融合し……そして肉体、魂の主導権争いの末、消滅したと我々は踏んでいます」
そして。
「そして士郎くんを転移させたのは、遠坂さんではありません……あなたです、美遊」
現実が、津波のように。
美遊に押し寄せた。
「…………っ、ぁ」
真実が。
理解を越える。
夜なのに、目が真実を拒否して熱くなる。脳から後頭部へ、内部からミチミチミチミチミチ、と嫌な音がして、破裂しそうになる。
殺した? 誰が、だれ、を?
お兄ちゃんが、衛宮、士郎を?
幸せな
誰よりも求めた世界を、誰よりも壊したくない人が、壊した。
そうさせたのはだれだ?
……誰だ?
「嘘……」
「……嘘ではありません」
「嘘!! 嘘……嘘……そんな……っ」
口が独りでに動く。
喉はこんなにカラカラで、何を喋っているかも分からない。ただ、ただ耐えきれなくて、言葉が、心が漏れる。
家族を守れなかった人。
その人はきっと、自分の本当の兄のように迷って、傷ついて。そうして何かを失って、ここに来た。
あんなにイリヤや誰かを気にかけて、守ろうとしたのは、それが彼自身かつて守れなかった誰かだから、今度こそはと思ったのだ。
本物じゃないけれど。
その代わりになんて絶対に、なれるわけがないけれど。
それでも守りたいと思うのが彼だから。
なのに、その彼が得られなかった幸せを壊させていた?
何もかもが移り行く世界で、不変だったハズのそれを壊させて。
あんなに苦しんでいた理由は。
「……そん、な……わ、たし、が……?」
わたしなのか?
こんな幸せな世界に連れ込んで。人を殺させ。本物などもう何処にも居ないのに、自分が代わりにならなければと。そう、思わせたのは。
この、わたしなのか……?
「ちがう……ちがう、違うっ、違う違う違う違う!! わたしじゃっ、わたしじゃない!! わたしはお兄ちゃんを殺してない!! そんな、そんなつもりでわたしはここに来たわけじゃ……!!」
ーー美遊がもう苦しまなくていい世界になりますように。
だけど、その世界を壊したのはわたしだ。
ーーやさしい人たちに出会って。
だけど、その人達を傷つけたのはわたしだ。
ーー笑いあえる友達を作って。
だけど、そんな友達に嫉妬していたのはわたしだ。
ーーあたたかで、ささやかな。
だけど。
だけど。
ーー幸せを、掴めますように。
……だけど。その幸せを苦しみに変えたのは、わたしだ。
兄の願ってくれたこと全て、無意味なモノに変えたのは。
全部、わたしのせいだ。
「ああっ……あああああああああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!! うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
絶叫が世界を覆う。
悲しくて、苦しくて、世界が軋んでいるような気がした。
……もう何も変えられないのに。
それでも叫んで、願って。
夜はずっと消えてくれなくて。
それでようやく全部手遅れだったのだと。
わたしは、やっと、理解した。
ーーinterlude out.
ーーinterlude7-2ーー
作戦を練り、どうにか勝率を五分五分まで誤魔化したところで、ルヴィア、凛、クロ、イリヤの四人は行動を開始した。
サファイアが発見したバゼットの拠点は、新都の方にあるらしい。サファイアがマッピングした記録と、実際の地図を照らし合わせ、四人はいつも乗るリムジンでそこへ向かうことに。
運転をオーギュストに任せ、ルヴィアは、
「こうして夜分に全員で行動するのも、随分と久しぶりですわね」
その言葉に、確かにと三人(クロはイリヤの記憶を通して)は頷く。カード回収が終わり、こうして夜の冬木の町を改めて散策するのは、初めてのことだった。
特にイリヤはプライベートでもこの時間帯に町へ出掛けることがない。代理お母さんセラの教育の賜物と言うべきか。
だが、イリヤは窓越しに冬木の町並みを見て、違和感を感じていた。
深夜の冬木市は、不気味なくらい静かだった。元々他の都市に比べ、新都や深山町も夜になればイベントでも無い限り閑散となるのが常だ。しかし、それ以上に何か、異様な雰囲気が町を包んでいた。
イリヤがぼそりと呟く。
「……なんだか、怖い」
「あら、イリヤったらまーだそういうトシゴロ? 怖いならほら、お姉ちゃんが手を握ってあげてもいいけど?」
対面に座っていたクロが、片手をぶらぶらと振って茶化す。いかにも奮い立たせようとしてる気満々で分かりやすいが、イリヤには効果覿面だ。むっと口を尖らせ、
「そ、そんなんじゃないもん! 夜なんてほら、もうホームグラウンドみたいなもんだし! というか、大体お姉ちゃんはわたしだって言ってるでしょ!?」
「はいはい怖いなら手を握ってあげまちゅよー、お姉ちゃーん」
「こ、この野郎……!!」
思わず右手のグーが振り下ろされる直前までいきそうになる。複雑な家庭環境だと、どちらが姉でどちらが妹なのか問題は、ヒエラルキー的に大事なのだ。ここで徹底せねば、いつの間にやら姉特権で小間使い妹イリヤが誕生しかねない。ちなみに言うまでもないが、圧倒的戦力差でこの戦争はクロ無双である。
「ほら二人とも、喧嘩しないの。アンタ達には今から頑張ってもらわないといけないんだから、こんなところで無駄な体力使ってないで、しっかり休んどきなさいよ?」
「そうですわね。特にクロには、キツい仕事をしてもらわねばいけませんし……休めるときに休んでもらわなくては」
「はーい」
「……はい」
なんやかんや言って、年長者二人には、さしもの姉妹戦争もどんぐりの背比べのようなモノ。百年早いと満足気な表情のクロも、また負けたとしょげているイリヤも、どちらも変わらないのだった。
しかし、本当にイリヤが気になっていたのはそれではなく、
「……でも、本当に冬木市じゃないみたい……これじゃまるで……」
カード回収をしていたときより、空気が重く、澱んでいるではないか。
イリヤの隣に座っていたルヴィアが、ドアウィンドウから目を離し、
「当然ですわ。これは、
「……えぇ!? でもクラスカードはもう全部回収したんじゃ……」
「ま、普通のはね」
普通の? 凛の言葉に首を傾げるイリヤ。
「今のところ、わたし達が持ってるクラスカードは八枚。どれも超高密度の魔力を蓄えられるけど、今回のクラスカードは三ヶ月もの間、魔力を蓄えて、霊脈がズレるほどの歪みを発生させている」
「えぇと……どのくらい凄いのかさっぱりなんだけど……」
魔力や魔術師は、イリヤがDVDで観ているアニメでそれっぽいのが出てくるが、霊脈などの
すかさず、仕事じゃ仕事じゃ、マスコットの仕事じゃとルビーが説明。
「霊脈っていうのは、言わば魔力が出てくる間欠泉みたいなところですよ。で、その間欠泉は地球っていう莫大な海から魔力を通してるわけで、まあ少なくともクラスカード七枚がぽこじゃか吸い上げ始めた当初は、そこまででも無かったんですが」
「ですが?」
「三ヶ月も霊脈から吸い上げた影響で、余程歪みが大きくなったんでしょう。向こうの鏡面界が膨張し、現実世界の霊脈にまでそれが伝わっている。ぶっちゃけ七体の黒化英霊をいっぺんに相手するよりキツい戦いになりそうですね、ハイ」
「そんなに!?」
「そもそも霊脈がズレるほど膨張するなんてことが、規格外なんです。そこまで吸い上げたところで、所詮は英霊の劣化コピー品のクラスカード。普通ならクラスカードそのものが破裂し、鏡界面ごと現実世界へ深刻な歪みを発生させても何ら可笑しくはなかったハズ」
「それはそれで大変な気がするけど……そうはならなかったってことは……」
「ええ。そのクラスカードそのものが、これまでのモノとランクが違う、ウルトラレアのチート仕様だってことです。全くどんなSSRで☆5な怪物が潜んでるのやら」
やれやれとルビーが意味不明に肩を竦めるような仕草をするが、それはとんでもなくヤバイのでは? イリヤの不安に、クロが補足する。
「まあジタバタしたってしょうがないでしょ? まずは美遊を助ける、全部はそれから。あなたはそうやって考えるとウジウジしちゃうんだから。ほら」
「……う、うん」
とりあえずは目の前のことから。魔術に明るくないイリヤでも、それだけは分かる。
その間にも、リムジンは夜の街を走り続ける。景色が流れていくのと同時に、都市部からも段々離れていく。それと同じくして、車内の緊張も高まっていく。
リムジンが止まったのは、教会の程近くにある森林だった。四人は下りると、そのまま森林へ入っていく。
鬱蒼とした木々は、夜ということもあってか、まるで手を頭上に上げて驚かそうとしているようにも見えた。夜風に吹かれてかさかさと揺れ、方向感覚を乱そうとしてくる。
しかし四人は迷うことなく、そこへ辿り着いた。
「……まさか、このような真似をするとは。面の皮が厚いとはまさにこのことですわ」
ルヴィアが忌々しいと言わんばかりに、そこを睨み付けた。
そこだけ木々を伐採したのだろう。お伽噺にでも出てくるような、西洋建築の家が、我が物顔のように建っていた。
「まさか、エーデルフェルト家の土地を拠点にしていたとは……盗人猛々しい……」
「協会に譲渡されてんだから、今更でしょ」
先々代ーーつまりルヴィアの祖母にあたる姉妹が、冬木に来訪したときに建てたのが、この館だった。まあ凛の言う通り、もうエーデルフェルトの所有物ではないのだが。
「それよりここは既に敵地よ、気を引き締めて」
「言われずとも、この森に入ったときからそのつもりですわ」
軽口を叩き合い、四人は屋敷へ近づいていく。既にイリヤは転身し、クロも礼装を纏っている。もし奇襲されても対処出来る、そう思っていた。
そのときだった。
ルヴィアのドレスから、パリン、と何かが砕けた音が聞こえた。
「……!」
「ルヴィア?」
顔色を変えて、ドレスをまさぐるルヴィア。彼女は懐から粉々になったアメジストを取り出すと、歯噛みする。
「……それ、もしかして」
「……これは通信用の術式を組み込んでいますわ。一方が砕けたとき、もう一方も砕け、その危機を知らせる役割が。そしてこの片割れを持っていたのは、森林の入口で待機しているオーギュスト」
「ということは……」
「オーギュストに何かがあった、ということでしょう。間違えて握り潰したり踏み潰せるモノではありませんから」
じゃあ、とイリヤが、
「戻らないと! オーギュストさんが大変なんですよね!? 何より、そのバゼットって人が居るのはあっちです!」
「ま、相手が単独犯かは別として、こうしてくっちゃべってるわたし達を狙ってこないんだから、少なくともバゼットはあっちに居る。ならここは作戦通り、別れるのが得策なんじゃない? リン、ルヴィア?」
魔術師二人が首肯する。
作戦は簡単だ。二人が足止めしている間に、残りの二人が美遊を回収。あとは五人でバゼットを捕縛する、それだけだ。本来ならそう距離が離れないため、足止めの時間もそう長くないのだが。この際だ。先に美遊を救出すれば良い。
が。
その異変に気付いたのは、やはり英霊をその身に降ろしたクロだった。
「……っ、ルヴィア!!」
声に反応し、咄嗟にルヴィアが伏せる。更にクロがその前を飛び越し、投影した干将莫耶を交差して構えた。
瞬間。
ぶわっ、と風が辺りを突き抜け。
ゴギィンッ!!、とその交差した剣のガードをぶち抜き、クロの横顔へ拳が突き刺さる。そのままクロの体は、屋敷の玄関へと殴り飛ばされた。
まるで巨岩が山から転がり落ちてきた勢い。それを放った鋼鉄の拳を持つは、
「バゼット・フラガ・マクレミッツ……ッ!?」
「ええ。そしてさようなら、エーデルフェルト」
伏せていたルヴィアが、ぐるりと転がって退避する。その横を、バゼットの容赦ないストンピングが突き刺さる。めり込んだ足はさながら槌だ。ルヴィアが即座に跳ね起きて距離を取ると、入れ替わりにイリヤが砲撃を、凛が宝石魔術を放つ。
「
「この!!」
一発一発は低くとも、バゼットも面による攻撃には躊躇うらしい。前傾姿勢だった体を起こし、イリヤの砲撃を避け、凛の魔術を拳や足で打ち消していく。
ざ、と攻撃を潜り抜け、バゼットは一旦足を止めた。
「来ないのですか? 仲間を助けにいくのでしょう?」
それは無理だ。バゼットが位置取っているのは、森側。オーギュストが待っている方だ。迂闊に行けば、背中を見せた途端あの打撃に意識を持っていかれるだろう。
だがその前に、ルヴィアは問い質さねばならないことがあった。
「……まさか、あなたに仲間が居たとは。オーギュストを襲ったのは、カレンですか?」
彼女は見たところ、魔術師ですらなさそうだったが、何事にも例外はある。
だがバゼットは首を横に振った。
「いえ、彼女ではありませんよ。流石に彼女を囮に使うなど、そんな危ない橋を渡る気はありません。こと殺し合いで彼女はただ修道女でしかない」
「……では、誰が」
「一人居るでしょう、イリヤスフィールすら上回る聖杯が」
「……まさか」
「ええ、美遊です」
バゼットの言葉に、絶句する四人。
あの美遊が、誰かを傷つけただけじゃなく、裏切った?
イリヤがたまらずそれを否定する。
「そんなわけない! だって、ミユは……!!」
「そんなことをするハズがない、と? では問いで返しますが、イリヤスフィール。あなたは彼女が元の世界でどんな風に暮らしていたか知っていますか?」
「知らない! でも、分かる! ミユは裏切ったりしない! 例え裏切ってるように見えても、何か事情があってそうしてて、苦しんでるんだって!」
何も知らない。たかが三ヶ月の付き合い。
だけど、隠し事はしていても、嘘をつかないことは知っている。嘘をついたとして、その嘘が誰かを不幸にしたりはしない。
そう、何も知らなかった。苦しんでいたことも。無理していることも。何か理由があるんだと分かっていても、話してくれるまで待とうと思っていた。
だけど、もうやめだ。友達なら遠慮しない。踏み込んで、その上で手を繋ぎたい。
「わたしが知ってるミユは、笑ってる顔が可愛くて、ちょっと危ないくらい誰かのために頑張れる子だってこと! それだけ分かれば、何も知らなくたって戦える! わたしにとってミユは、友達だから!」
「……無知もここまで来ると、一つの呪いに近いというのは本当のようだ」
「あら、じゃあ年増もここまで来ると、自分が正しいと思い込んじゃうっていうのも本当かしら?」
「!」
背後からの声に、バゼットが前方へ飛ぶ。そこへ殺到する二翼の剣。迎撃しようと拳を胸の前へ持ってきて、バゼットは目で声の主を探す。
しかし、遅い。
「こっちよ年増さん!」
そのときには瞬間移動していたクロがまた背後を取り、その横顔へ渾身の回し蹴りを撃ち込んでいた。
いくらステータスが落ちているとはいえ、英霊は英霊。余りの威力に回転しながら吹っ飛ぶバゼット。首が取れても可笑しくないハズだが、吹き飛びながらも地に足を無理矢理つけ、たたらを踏んでバゼットは堪えた。
クロがくっ、と顔をしかめ。
「っつぅ……あのタイミングでクロスカウンター気味に殴ってくるとか……撃ち込んだ足の方が痛いってどういうことよ……」
「クロ! 大丈夫!?」
慌てた様子で駆け寄ってくるイリヤに、クロは手を振って答えた。
「大丈夫大丈夫。それより、最初の作戦通り、イリヤとリンは早くミユを助けにいってあげて」
「でも……」
確かに今なら、バゼットとの距離が開いた。クロが足止めすれば、イリヤと凛もオーギュストの元へいけるハズだ。
何かあるには違いないが、それでも美遊が裏切ったことには変わりはない。
それに。
本当に美遊を助けに行きたいのは、きっと。
イリヤの視線がルヴィアへ向けられる。それにルヴィアは、一切の逡巡もなく、いつもの自信に満ち溢れた顔で応えた。
「お願いしますイリヤスフィール。どうか、美遊の助けになってあげてください」
「……はい! いこう、リンさん!」
「ええ! ルヴィア、美遊のためだからって馬鹿な真似すんのだけはダメだからね!?」
「良いから早くお行きなさい!」
イリヤと凛は森へ走る。それをバゼットが阻止しようとするが、その前にクロの刀剣が足元へ射出し、進路を制限する。
変則的な形にはなったが、二手に分かれた。当初の作戦の形には何とかなっている。
「……分断作戦ですか。なるほど、二人でも私を止められると思ったわけだ」
ぴんっ、と跡がついた頬を弾き、バゼットは手袋をはめ直す。
「確かにそちらの少女は中々の脅威だ。型落ちこそしているが、やはり意思があると段違いに難度が上がる。しかし、それだけで勝てるとでも? たかが英霊モドキ風情にやられるほど、私は落ちぶれたつもりはない」
「ええ、存じていますわ。ですが、その
「……なに?」
バゼットが眉を潜める。
そういえばルヴィアはロングレンジではなく、あくまでクロと同じショートレンジに立っている。流石にルヴィアとて、バゼットの殺人的なあの一撃を食らえばひとたまりもない。
だとすれば、それに対抗するだけの力があるということ。
ルヴィアの肩に、サファイアが降りる。ぱたぱたと羽を動かし、悠々と、
「ルヴィア様。正直に申し上げて、未だにあなた様に使われるのは抵抗があります」
「ええ、当然ですわ。自分で言うのもなんですが、私、随分とエレガンスに欠ける振る舞いをしていましたから」
「いえ、そういうわけではなく。お嬢様キャラのあなたより、美遊様のようなちょっと天然の入った少女に使われる方が好みというわけですこの年増」
「もっとオブラートに包もうとかそういう考えはなくて!? 歯に衣着せないのにも限度が!! というか私まだ未成年ですのよ!?」
「ですが」
この方は美遊のために泣いてくれた。
助けたいと。幸せにしたいと。それがエゴなのではないかと、悩んで、悩んで、悩んで。
「私も同じです、ルヴィア様。美遊様の事情を、最初から私は検討がついていました。それを知らぬ存ぜぬと、気付かぬフリをしていました。いつも側で支えておきながら、いざというとき何も出来ず、側に居ることも出来ない……汗顔の至りです」
イリヤは火力不足。ルビーは凛と契約しないため、アテにはならない。
ならもう、これしか手がない。
いやーー例え手があったとしても、サファイアはこれを選んだだろう。
「ルヴィア様。あなたは美遊様が好きですか?」
「ええ、無論」
その言葉が、契約のサイン。
ジャコン、とサファイアの下部から柄が飛び出す。ルヴィアがそれを握ると、その出で立ちが青い魔力光に包まれ、変わった。
青い、露出の多いファンシーな服装はサイズがキツいのか、全体的に縛っているような感じになっている。頭部にある異形の狐耳に、木の葉型の尻尾。
「では」
「ええ、では今回限りーーあなたの力、美遊のために使わせて頂きますわ、サファイア!」
カレイドサファイアとなったルヴィア。その格好こそコスプレしたレイヤーにしか見えないが、魔力は桁違いだ。ルヴィアの周囲の空間が軋み、その軋みすらステッキを振るって掻き消していく。
首をコキコキと鳴らしながら、クロが近付く。
「全く。最初から転身してれば、わたしが殴られることも無かったんじゃないのかしら?」
「うぐっ」
「……ちょっと。図星だとホントにやる気無くすんだけど。ねえサファイア、やっぱ美遊の方が良いでしょ? そんなちょっと衣装がギチギチのドリル女より」
「うぐぐっ」
「はい、勿論です。私はもう美遊様無しでは生きていけませんから」
「わーお、大胆。じゃあわたしも負けてられないな、こりゃあ」
ルヴィアとクロが並び立つ。
対し、バゼットは先と変わらず一人。
睨み合う両者。
「……あなたをぶちのめすことに何の異論もありませんし、口を挟む気もありませんが。戦いの前に一つだけよろしくて、マクレミッツ?」
「どうぞ、エーデルフェルト嬢」
「では一つだけ……美遊に、シェロのことを伝えましたわね?」
それは、問いではなく確認だった。
バゼットも否定せず、レザーの手袋を正しながら、先と何も変わらない口調で、
「ええ……伝えたところ、
「よろしい、実に論理的な答えですわ。それが正しいと私も思いますわ、ええ」
だからこそ、とルヴィアは続けた。
「ええーー本当に、気に食わないですわ」
論理的?クソ食らえだ。
そんなことで美遊が悲しむのならば、そんなクソッタレな法則など何処かに消えてしまえ。
ルヴィアはそう言いかけそうになったが、口をつぐんで堪える。
それを口にしたらもう、ルヴィアゼリッタは魔術師でいられなくなるだろうから。
代わりに、三人の足が同時に動く。
怪物達の戦いは、静かな怒りから始まった。
ーーinterlude end.