Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!! 作:388859
ーーinterlude5-1ーー
さて、時間は昼前、正確に言うとルヴィアが勢いあまって通話を切るところまで戻る。
ルヴィアは組み技を嗜んではいるが、別にそれ一辺倒ではない。いやそもそも魔術師とは、本質的には研究者、探求者であり、まかり間違っても
つまり何が言いたいかと言うと、
「ふんぐぬぬぬぬぬぬ……っ!!」
「ぶ、ぐんんっ……!!」
こうやってギリギリと歯軋りしながら揉み合いになっている二人は、酷く合理性に欠けていると言わざるを得なかった。
士郎からの報告を聞き、さてどうするかと凛が携帯の通話を切ろうとしたときのことだ。ルヴィアがその携帯をかすめ取り、あろうことか首を絞めてきたのである。
携帯をかすめ取るのは、いい。ルヴィアの性格は凛も知っている。それくらいは手遊びのようなもの、カウンターのために拳を握る程度で済む。
しかし携帯を取るだけでなく、技をかけることはないだろう。いくらなんでも問答無用すぎる。というかムカつく。そんなわけで、こんな不毛としか言いようがない事態に二人は発展しているわけだが。
「携帯、借りるのはっ、構わないけど……そのた、めにっ……人の首ぃ……シメる必要、ないでしょうがっ……!」
最もである。
対し、
「お黙り、なさい……っ! なんか、ムカムカしたの、ですから……そこにサンドバッグがあれば、……こう、なるでしょう!?」
「なるかぁ!?」
重ねて言うが、最もである。
初夏も過ぎ、冷房のかかった室内とはいえ、こう全力全開JKプロレスバトルを繰り広げれば、ダラダラとかきたくもない汗をかいてしまうモノ。
早く決着をつけるべく、ばたばたと力の均衡をずらすためにその場でぐるぐると回ってポジショニングし始めた二人は、なおも不毛すぎるバトルを続ける。
「大体サンドバッグってなによサンドバッグって! 馬鹿みたいに肉団子二つぶらさげて! 精肉工場に売り飛ばしてやろうかこのゴールドビーフ!」
「オホホ、鶏ガラの負け惜しみが聞こえますわね! ほら、なんですの? あのらぁめんとやらのダシになるしかあなたの需要はなくてよ?」
「あるわ!! 少なくとも棒々鶏とか何かゆるふわ女子力に満ちた系の奴が!!」
最早何が理由で怒ってるのかすらよく分からないまま、調度品を巻き込んでぐるぐるとカーペットの埃を取るように回る二人。
やがて二人は床の上で、ぜぇぜぇと肩で息を切らしていた。麗しき乙女達は、汗を袖で拭い、
「……つ、つかれましたわ……」
「こっちの台詞よ……ていうか、一発は一発、避けんな……」
「避けますわよ……あなたの一発、そこらの呪いよりよっぽど効きますもの……」
シュッシュッ、と凛の肩パンを回避するルヴィア。それを追う凛はまたもやころころと回り、ルヴィアも距離を取ろうところころ。
埒が明かないと、二人は立ち上がってとりあえず転がっていた椅子を戻して席についた。
「……で? 美遊の話してたけど、どうだったの?」
最近美遊の様子が可笑しい。それは凛も感じ取っていた。先もその話題で携帯をかすめ取りやがったのである。
「特には。ただ、美遊をよろしくお願いしますと、それだけ」
「美遊のことなら私にお任せを、なーんて言ってたアンタがねぇ……」
「な、なんですの? 仕方ないでしょう、美遊はシェロと居た方が楽しそうですし……」
「ふぅーん……だから悩みがないか聞いてくれって? いつからアンタ、人の事情とか推し量れるようになったの?」
凛が首を傾げると、ルヴィアがすかさず噛みつく。
「あ、当たり前でしょう!? あの年齢の少女はこう、抱え込みがちなのです! なら話しやすい相手に……」
「衛宮くんに相談なんてするかしら……むしろ一番話したがらないと思うけど……」
「……」
少しの沈黙。
しかしすぐルヴィアは自分のカールした髪を一本ずつ片手に持ち、きーっと怪鳥のような甲高い声をたてた。
「このルヴィアゼリッタ、一生の不覚ですわ! これならイリヤやクロに相談した方が良かったのでは……ぐぬぬ……!」
「いや自分でやんなさいよ、アンタ」
「いえ、私には話してくれなかったので、他の誰かならと」
ルヴィアはきっぱりと言って、あーだこーだとどうしたら美遊が悩みを話してくれるか作戦を練る。
しかし凛には、少し引っ掛かった。
(……こいつ、あんだけ美遊のことを世話してたのに、悩みを打ち明けてもらえないの、悔しくないのかしら)
問い質すことでもない。
少なくとも、このときはまだ、そう思っていた。
ーーinterlude end.
夜が覆い被さる海浜公園は、とても静かだった。昼間なら見える赤と白に着色されたコンクリートは、まとめて闇に塗り潰され、木々もたまに吹く風によってざわざわと音を立てる大きな魔物のように見える。明かりとなる街灯は経年劣化のせいでぷつぷつと途切れながら、訪れる夜へ抗おうとしている。
そんな原初的な闇を引っくるめても、目の前の彼女には届かない。
「久しぶりですね、士郎くん。三ヶ月ぶりくらいでしょうか」
こっ、と軽やかな足取りとは正反対に、街灯に照らされた女の表情は、夜よりも暗い。さながら彫刻のように鋭利で、無機質だ。
一目見て、思い出した。
バゼット・フラガ・マクレミッツ。
第五次聖杯戦争において、最初のランサーのマスターだった魔術師。
そして魔術師の中でも屈指の武闘派ーー協会の封印指定を行う、執行者。俺などでは逆立ちしても勝てない本物のバケモノ。
……現在俺は元の世界の記憶のほとんどを忘却していると言ったが、本当は少し違う。
例えるなら引き出しの本だ。元の世界に関する記憶は、ほぼ全てその引き出しに仕舞い込んでおり、そのせいで思い出せない。
だが、二つだけ思い出す方法がある。
一つ目は無理矢理記憶を引き出すこと。そして二つ目が、元の世界の人物と出会うこと。
バゼットを見た途端、記憶を思い出したということは、すなわち。
「……ああ。久々だなバゼット。どうやってこっちに?
「いえ、そうでもありませんよ。遠坂さんに少し
力添え、ね……美遊が居る手前、下手に元の世界のことは話せないが、どうやら俺の世界のバゼットで間違いないようだ。
だとしたらなんたる僥倖か。カレンに続いてバゼットまで来てくれたのは助かる。戦力的にも、手掛かりとしても。もしかしたら元の世界へ戻る方法も知っているかもしれない。
助かった。そう、頭では考えているのに。
……何故だろう。
どうして、バゼットを味方として見ることが出来ないのだろうか……?
「で、家に帰ることはないってなんだよ? アンタがホテルにでも泊めてくれるのか?」
「そんなに警戒せずとも、と言っても警戒を解いてはくれないでしょうね」
知らず知らずの内に。歩み寄ってくるバゼットに対し、逃げ腰になりそうな自分を抑える。
しかし、それは余りに浅はかで、魔術師としては決定的に違えた選択だった。
「では」
あと二、三メートルというところで、バゼットの姿が消える。目ですら追えない。身体など間抜けにもまだ紙袋なんて持っている。
だから。
「少し、眠っていてください」
背後から振るわれた鉄拳が、頬に突き刺さり、そのまま横一直線に川へと叩き落とされた。
無駄がない、ただ人を壊すことに特化した拳は、サーヴァントにすら匹敵する。大きな水飛沫をあげて、平たい石のように何度か水面を滑り、最後には水底まで叩きつけられた。
「ごぼ、っ、ぉぐっ、……!」
背中に走る痛烈な痛みを水と共に吐き出す。意識は何とか飛ばずに済んだ。寸前に剣を投影して威力を分散したつもりだったが……折れた剣の柄を見る限り、それもあんまり意味がなかったらしい。でも大した傷はない、色々追い付かないだけだ。
どうやってこっちに来たのか? 何故こちらを襲ってきたのか? そもそもなんでこのタイミングなのか?
疑問は尽きない。ともかく川面に出ないとこのまま窒息死なんてこともーー。
「……!」
地上のことは、音がくぐもって何を言っているのか図ることは出来ないが、目で見れば分かる。
景色が歪んではいるが、あのスーツは間違いない。バゼットが、物凄い勢いでこちらに突貫してくるーー!
「っ!」
極大のインパクトが、川を走り抜ける。水がうねり、生まれたハズの泡が弾け、そして川が二つに分かれて盛り上がる。
自分の目が信じられない。
刹那のことだが……確かにバゼットは、その拳で川を引き裂いたのだーー!
「驚いている場合ですか?」
そしてその刹那、川という障害物が無くなる。とはいえその時間は一秒にも満たない。まばたきすれば二つに分かれた波はまた合わさり、川に戻ろうとするだろう。
しかし、ここに居るのは封印指定の執行者。神秘をもって神秘を踏みつける者。この数瞬を引き寄せるだけの力を、彼女は所有している。
バゼットがしたのは簡単なことだ。
拳で川を割った勢いのまま、泥であるハズの川底を蹴り、俺の手を掴んで投げ飛ばす。
しかしその力が桁違いだ。
「、ぶ、っ」
目眩が衝撃で吹き飛ばされる。
衝撃が意識を無理矢理、ブラックアウトさせようとする。
足掻きようもない。
何かに激突したと思ったときには、既に思考は投げ出されていた。
ーーinterlude5-2ーー
彼女の実力は
川を二つに割ったことも、英霊と打ち合えるあの力量があれば、事前に準備していれば不可能ではない。凛やルヴィアだって、宝石を費やせば可能だろう。
だが驚くべきはその後。バゼットは川が元に戻るその一瞬の間に、兄を対岸まで投げ飛ばし、またこちらへ戻ってきた。しかもスーツに染み一つも無いまま。
これが執行者。
数ある魔術師の中でも、虎の子と呼ばれる一人。その片鱗を、美遊は垣間見た。
「……流石の
サファイアの驚きは最もだ。彼はヘラクレスであろうが、クーフーリンの槍だろうが、その死線を潜り抜けて生き残ってきた。その彼を、バゼットは何の抵抗も許さなかった。
格が違う。
そう思うだけの実力を、見せつけられた。
「どのような魔術師であっても、魔術回路を励起させていなければ意味がない。私に殴られてようやく起動したようですが……咄嗟に脆弱であっても投影魔術を発動出来た辺り、ギリギリ踏み止まっていたようですね」
「踏み止まっていた? どういう意味ですか、それは?」
「説明する必要はない。最初に忠告したつもりですが、まだ何か?」
答える気はないらしい。どちらにしろ、士郎に攻撃した時点で、無事に帰してくれるとは美遊も考えてはいない。
バゼットが攻撃した時には、カレイドサファイアへの転身は完了している。ステッキを正眼に構え、慎重に次に備える。
「……何が目的なんですか。前にもあなたは、クロを止めようとしたわたしを妨害した。お兄ちゃんのためと嘯いて。でもあのときわたしが動けなかったから、あんなことになった。それを忘れたとは言わせない」
「導火線に火がついた爆弾など、いっそ爆発させた方が良いとは?」
「ふざけるな」
ぎり、とサファイアを掴む手が震えるほど力一杯握り込む美遊。
「結果がどうあれ、みんなが傷ついた。痛みがあったから分かり合えたなんて、そんな理屈はどうだっていい。みんなが傷つかない未来があった。ならそれを目指すのが当然、違いますか?」
「確かに。ですが、それは余分だ。そもそも士郎くんがイリヤスフィールやあのクロという少女と関わらなければ、誰も不幸にならずに済んだ。そう考えることも出来る」
……バゼットの言う通りかもしれない。
けれど、それは。
ここで起きた出来事を、全て否定する言葉だ。
「そうは、思わない……!」
面影ばかり探して、重ねては辛くなった。
それが続いていく世界だった。
でも、そんな毎日を変えてくれたのも、この世界で出会った人達で。
それは衛宮士郎も、同じだ。
「わたしはもう、何も失いたくないから……!」
どれだけ言葉を重ねても、目の前の女性に届くなんて美遊は期待していない。バゼットによって、既に賽は投げられているのだから。
なら語ることなどない。
ここから先は、魔によって己を最強と知らしめるだけ。
「そうですか、残念です。子供にこれを振るいたくはないのですが」
守られるだけの子供に用はない。そう言わんばかりの態度に、美遊は別に怒りもしない。事実守られるだけの子供に変わりはないのだから。
だがステッキを持っている間だけは、英霊にすら愚かにも挑むほどの勇気を、美遊は持つことが出来る。
拳に視線を落とすバゼットに、美遊が先んじて動いた。
「!」
バゼットの四肢、首、肩。その座標を確認。術式は拘束。今から演算したのでは間に合わない、演算を
「束縛ですか」
バゼットは体中に巻き付いた青い縄のような魔力の塊を、視認すらせずに、強引に引き千切りにかかる。視線は空中を蹴って走る美遊のままだが、そこで動きが止まる。
縄型の魔力塊から、鋭い刃が飛び出し、バゼットの体に絡み付く。さながら茨のように。
無理矢理引き千切ろうとしたバゼットのスーツは破け、更にその下の肉体に食らい付いた。血が噴き出し、だがそれでも一寸も躊躇いなく茨の縄を無力化しにかかるバゼット。
それも、想定内。
魔法陣を複数展開。三つに重なった砲台を集束、美遊は魔力の塊をバゼット目掛け振り下ろした。
「
夜を内側から裂くような、蒼穹の塊。それは周囲十メートルのコンクリートごとバゼットを呑み込むと、一際光を放ち爆発した。瓦礫の破片が掘り起こされた土と共に、夜の闇へと消えていく。
「……」
障壁を足場に、美遊は空中で待機する。アレで倒れたとは思っていない。次の砲撃を準備し、煙で隠れたバゼットの姿を目視しようと目を皿のようにする。
「サファイア、あの人は!?」
「反応はまだあの煙の中に。ですが美遊様、少し落ち着いてください。ここで焦っては」
「勝てない、でしょ? 分かってる。ここでむやみに突っ込んだりしない」
一見冷静な美遊。だがその手は、何か攻撃を受けたわけでもないのに、カタカタと震えている。
日が完全に稜線に落ち、海浜公園は既に街灯の明かりだけが、視界の範囲を広げてくれる。
どっ、どっ、どっ。
……うるさい。体の奥から聞こえるリズムが、なけなしの平常心を容赦なく崩していく。さりとて落ち着くために深呼吸などしていれば、バゼットはその隙を逃さず狙ってくるだろう。美遊はそう結論づけ、気丈にも戦いへ全精神を向ける。
何故彼女がこうも乱暴で拙速とも言える戦法を取るのか、その理由は二つある。
一つは美遊がこの力をーー凶器を、意志があり、血肉がある人間へ振るうのは……初めてのことだ。
意識はしていない。すればその時点で美遊は戦いを続けられなくなる。だがそれをいくら押し殺しても、必ず何処かで綻びが出てくる。美遊の場合それが今回戦術だった。
そして、二つ目は。
早く決着をつけなければ、兄が起き上がってくるかもしれないからだ。
「!」
ボヒュウ、と土煙から飛び出た影。バゼットだ。スーツは血に濡れ、少し破けてはいるが、そこまでダメージを受けた形跡はない。むしろ子供に傷つけられたことが癪だったのか、バゼットの表情は先程よりも固い。
美遊が遠距離で仕掛けてきたことを鑑み、バゼットはスライディングしながら美遊の真下に滑り込む。射線をずらし、その間にこちらへ跳躍しようという算段か。
自分が焦っているとわかっていながら、美遊はクラスカードをサファイアに添える。カードはセイバー。意表を突いて英霊へと置換する、それが美遊の作戦。
だが、バゼットもただ飛び込もうなどと考えるわけがない。
「ふっ!」
スライディングしながら、右の拳で地面を叩く。すると殴られた地面がシールを剥がすようにめくれ上がっただけではなく、一回転して宙へ。そして真下に着いた途端にバゼットは勢いのままめくれた地面を蹴り上げた。
「! サファイア!」
即席の砲弾。並外れた力技と経験則の融合により生まれたそれを、美遊は障壁を張って凌ぐ。
難なく防ぎ、そこでしまった、と美遊は臍を噛んだ。またも視界が閉ざされた。相手が真下に居ることは分かっている。問題はその隙を、バゼットが逃すハズがなかった。
「強化、相乗」
先程の砕けた砲弾すらも吹き飛ばしながら、バゼットは逆立ちの状態で跳躍。闇の中で四肢に刻まれたルーン文字が発光し、それが極大の凶器となって美遊に襲いかかる。
「ぐ、ぅ!?」
障壁に、バゼットの両足が突き刺さる。豪音と刃物が擦れ合うような金切り音は、ただの蹴りで起こされたモノとは考えられない。美遊の体が足場から引き離され、両足が突き刺さった障壁は既に半壊している。
補強しただけで、耐えられるモノではない。美遊は背後に三枚ほど障壁を新たに作り、少しでも衝撃を和らげようと堪える。
「硬化、三乗」
「! 美遊様!!」
バゼットが伸ばしていた足を折り畳み、手袋に刻んでおいたルーン文字を起動させる。それに気づいたサファイアが忠告するが、もう遅い。
本命はこの一撃。バゼットは組み付いた衝撃の先、美遊の肢体へと拳を解き放つ。
「あ」
障壁など紙よりも容易く。
蹴りによる威力など、拳の威力に比べれば些細なモノだった。
真横に飛んでいた体が、拳によって真下に吹き飛ぶ。景色が止まったと認識したときには、美遊は作られた地面に叩きつけられた。
久しく味わっていなかった激痛と、それに伴って内側から嫌な音が響いてくる。せりあがる胃液が口の端から溢れる。
サファイアが身を呈して直撃を防いでも、これだけの威力。
勝てない。
負ける。
「っ、ぐっ、……!!」
漠然としたイメージを振り払い、それでもと美遊は身を捩って痛みを逃がす。しかしその手にステッキはない。衣服も着飾った私服へと戻ってしまった。今日一日、兄と思い出を刻んだ服が土に汚れてしまう。
「美遊さ、っ!?」
「これで分かったでしょう。子供の児戯にいつまでも付き合っている暇はない」
サファイアを踏みつけ、バゼットが転がる美遊を見下ろす。私情が全く介在しない瞳が、抵抗する気力を削ぎ落としていく。
「遊び、じゃない……!」
「遊びですよ。それもタチの悪い、子供が持つには余りに過ぎた力だ」
「わたし、だって……この力があれば、誰かを守れるかもしれない……!」
「その結果がこれでは、話にならない。私にすら勝てないのでは、この先待ち受ける戦いでは生き残ることすら難しい」
待ち受ける戦い。それが意味する事実を美遊は知っている。
いや、今はなんだっていい。今は、兄がこちらに来る前に、決着をつける。兄に
「そうやって無駄な思考をしながら戦っている間は、私にすら勝てないと言ったハズですが」
「ぐ!?」
美遊の首根っこを掴み、そのままバゼットが持ち上げる。無造作なその動作すら、淀みなく首を絞め上げる行為が付属していた。
ぱくぱくと苦しみから足掻くも、バゼットの並外れた膂力は一向に緩まない。手に忍ばせていたクラスカードが、はらりと地面に落ちる。
「このまま絞め落とせば、どう足掻こうとあなたは抵抗出来ない」
「が、ぁ、ぐ……!?」
息が続かない。
意識が、何処までも落ちそうになる。
頭の奥がじんじんとしていく感覚を追い出そうと、右の拳で自分の頬を殴ろうとするが、それすらままならない。
だが、まだ手はある。
体内の回路を巡回させ、足下に風を起こす。ふわりと舞ったクラスカードを、やっとのことで掴む。
「ステッキなしの英霊化ですか。確かにあなたならば可能でしょうが、それはリスクが高すぎる、あなたも知っているでしょう?」
カレイドステッキなしの英霊化。
それが意味するのは、英霊へのより高度な置換。だが制御するカレイドステッキが無いまま行えば、どうなることか。最悪英霊化したまま人間に戻れなくなるかもしれない。
それは、今の日常を捨てることと同義だ。
「……、」
前の美遊ならば躊躇わなかっただろう。
けれど。今の美遊には、大事なモノが出来すぎた。兄と同じようにーー守りたい、大切なモノが。
イリヤもそう。クロもそう。そしてルヴィアだってそう。
だからここまで来て、自分が崖から落ちるようなことになっても出来ない。
だから。
「あ……」
見慣れた剣の群れが、空からこちらへと落ちてきたとき、美遊は心底ほっとした。
それは天から流れる星にも似ていた。わずかな煌めきの後、殺到した剣に片手を割かれていたバゼットは美遊を手放して後退する。
剣の正確な数は分からないが、倒れ込んだ美遊の数センチほどまで迫ってはいても、どれも彼女を傷つけてはいない。むしろ敵から徹底的に守ろうとして放った、そういう剣だ。
そして、
「悪い、ちょっと寝てた。遅くなってごめん」
ああ……来てしまった。
衛宮士郎。いつの間にか倒れ込んでいた自分を支え、彼はいつものようにただ前だけを見て言った。
ーーinterlude end.
意識が飛んでいたのは、ほんの数秒だっただろう。しかし意識が飛んで、ようやく魔術師としてのスイッチが入ったとは、以前では考えられないほど切り替えがノロマになってしまった。良くも悪くも、自分が変わったからだろうか?
「大丈夫か、美遊?」
「……うん」
急を要したので、乱暴な手を取ってしまったが、どうやら美遊は無事のようだ……バゼットから受けた傷を含めなければ、だが。
「……一時間は意識を飛ばすつもりで投げたのですが」
訝しげに、バゼットは膝辺りに付いた土を払う。
「お前より馬鹿力の奴とは何度かやったことあるからな。それに、頑丈さには自信がある」
まあ、そんなことは、どうだっていい。
俺が聞きたいのは一つだけだ。
「……なんで美遊を襲った? 俺を襲うのも分からないけど、美遊はもっと関係ないだろ」
「いいえ。士郎くんと美遊、あなた方にはそれぞれ接点がありますから」
「接点?」
「それよりも」
バゼットは強引に区切り、
「これで分かったでしょう? あなたは、弱くなった。魔術師として、致命的なまでに」
確かに。戦闘になったときのオンオフだけで言えばそうかもしれない。アレでは、寝たまま歩こうとするようなモノだ。
でも、
「言いたいことが分からないぞバゼット。それならそれで鍛えればいいだけの話だろ。確かに最近瞑想しかしてなかったけど、だからって」
「弱くなったわけではないと? 英霊よりずっと貧弱な私に対し、一蹴されても?」
そこまで辛辣な物言いになれば、流石に異議を唱えたくなるだろう。
だが、次いで出た言葉に冷や水をかけられることになる。
「家族が出来たから、そうなった。そう考えることはありませんか?」
「……何だと?」
知らず知らずの内に、声のトーンが一段と下がる。
「守るモノが出来た。確かにそれは美しい響きだ。私とて一人の人間、それがあなたに出来たのは好ましい」
でも、
「あなたは家族を得て、魔術師としてではなく人間として彼らを愛してしまった。それが、あなたの弱さだと言っているのです」
つまり、こう言いたいのか?
俺が弱くなったのは、人を愛したからだと? イリヤ達を愛してしまったから、美遊の兄でいようとしたからーーその想いが魔術師としての己を弱くしてしまったと。
「……ふざけるなよ。愛がないなら、そんなのただのごっこ遊びだろ。それこそ無意味な関係だ」
「ええ。だから愛し方を変えれば良かった。例えば……そう。前のように、正義の味方として行動するのであれば、イリヤスフィールとクロ、
最後まで言わせるつもりは微塵もなかった。
その前に、ギャリィ!!、と。踏み込み、投影した剣をバゼット目掛けて振り下ろしていた。奴は表情すら変えず、俺の剣を手の甲で受け止めている。全霊の力を込めているにも関わらず。
「俺はどっちも見捨てない。もう誰も見捨てない。だから、そんなこと言うなよバゼット。うっかり見捨てたくなるだろ、お前を」
「失礼。言葉が過ぎたとは思っていますが、それが魔術師だ。今のあなたは、魔術使いですらない。ただ夢を盲信する弱者だ」
「だったらさっさと俺を倒してみろよ、テメェ……!!」
いちいち神経を逆撫でしてくる女だ相変わらず。うっかり、
怒りの余り思考が纏まらない。人間としての思考が出来なくなる。とにかくここでバゼットを止める。そして問い詰める。思考はここまで、片手間に勝てる相手ではない。
しかし意識を切り替える直前に、バゼットに先手を取られる。
「では」
押し出そうと振るわれた剣を、バゼットは逸らして背後へ。力の行き場を失った俺は、前へとつんのめる。無論バゼットがそれを狙っていた。
右の手が鈍器へと変わり、高速の銃弾すら凌ぐ勢いで繰り出される。
「終わり……!?」
だが、銃弾よりも早い風が、バゼットへと襲いかかった。
流石のバゼットも、攻撃モーションに入った状態でそれを防ぐ術はなかった。右肩を斬られ、その衝撃を利用して後方に待避する。
「大丈夫、お兄ちゃん!?」
美遊だ。セイバーのクラスカードを使って、また
「腕は? 足は? 傷はない?」
「あ、ああ……」
捲し立てる彼女に面食らう。興奮している? いや、これは怒っている?
それに何というか……瞳の色が違うような。いつもはブラウンだが、今はどっちかというと青と赤が混じった形になっている。どちらも、見た覚えがある色だ。
しかも、
「美遊様いけません! 私無しで英霊化は!」
「……!」
サファイアが美遊の横に並ぶ。つまり今美遊は、単体で英霊への置換を行ったのだ。
すぐに立ち上がり、止めるよう説得したいが、その前に美遊がバゼットへと吠えた。
「
「士郎くんのためを思ってのことです。誰かを守りたいという彼の志そのものを否定するつもりはない。ですが、それを選ばなければならない現実があることを、彼はまた知っている。その現実に直面したとき、今の士郎くんでは選ぶことが出来ない」
「だからお兄ちゃんを、みんなから引き離すって言うんですか!? イリヤから、私から!」
……なるほど。
つまり、
「……カレンの奴の仕業か。同じこと言ってたし、仕返しするとも言ってたな」
「ええ。ですから家族ごっこも終わりです、士郎くん。あなたにはまだ、魔術師でいてもらわないと」
バゼットの言い分は分かった。
つまるところ、俺のこの醜態が目に余るから、どうにかしようとカレンが考えた結果が……これか。来るべきエインズワースとの決着。そのためにも、固有結界持ちの俺にこんなところで躓かれては困る。そんなところか。
と、そのとき。
「ごっこなんかじゃないっ!!!」
まさに大喝だった。びりびりと、空気が震えるほどの音で、美遊は言葉を連ねる。
「お兄ちゃんとイリヤは、わたしから見ても兄妹そのものだった。クロや、セラさんや、リズさんや、アイリさんや……
「……いいえ。彼は魔術師だ。彼が魔道の道を外れない限り、そのあり方は人とは交わることはない。真似事の範疇から、逃れることはない」
「!……っ、だとしたら!!」
美遊の口調が変わっていく。
知らない誰かへ。毎日聞いていた誰かへ。あるいはそれを置き去りにして、走り去っていった誰かへと。
「彼は誰も家族が居なかった!! 親どころか、兄妹さえ!! そんな彼が再び家族を得た!! わたしもそうだ!! わたしも彼と同じように大切なモノを得た!! それを否定はさせない、させるものか……!!」
……その丁寧な語り、まるでセイバーそのものだ。サファイアも異変を感じたらしく、
「やはり私無しでの
「美遊!!
「いいえ、
鳥肌がたつ。その声は高く、幼いが、紛れもなく俺と遠坂のサーヴァントであるセイバー、アルトリア・ペンドラゴンに違いなかった。
ようやく分かった。
彼女の瞳。変化した青い瞳は、セイバーの色だったのだ。
「ここで決着をつけます。風よ!!」
「ぐっ!?」
美遊が圧縮した竜巻をバゼットへと放つ。吹き上がった風はガードしていた魔術師を空中へ吹き飛ばし、そして幻想が顕現する。
それは、王が持つにふさわしい黄金の剣だった。人の手ではなし得ない精巧な飾り、作り。美と武を両立させた剣は、主の号令に応え、その光を泡のように漂わせる。
それは、湖面に映る月にも似ていた。未だ届かない神域の幻想。今宵少女の姿を借り、今蘇った騎士王は迫る闇を黄金をもって切り開くーー!!
「
だが。バゼットはそれを待っていた。
聖剣の光に差し込まれる形で、空中へと走る何か。それは水晶だ。球体型の水晶。それがバゼットの拳に吸い込まれるように待機し、小さく。だがはっきりと大きな流れを断ち切る強さをもって呟いた。
「ーー
水晶が光を帯びる。光は火花を散らし、バリバリと弾け、水晶が形を変える。
それは、剣だった。水晶の半分が石器染みた剣へと変わり、バゼットがそれを美遊へ向ける。
アンサラー。それはとある剣を別の言語で訳した言葉であり、バゼットが
英霊の宝具を封ずるジョーカー。名を
威力は大したことはない。精々CかDランク程度。脅威なのはその効果。
その宝具の効果は、相対した敵が切り札を使用するという状況のみに発動する。発動した場合、
そして既にーー条件は整っている。
「美遊!!」
迸る光に包まれた美遊に、この声が聞こえるハズがない。無理矢理でも止めなければ。
しかし遅い。光が柱となり、極まり、地に伏せられた剣が天へと昇るように、美遊は聖剣を振り上げる。
「
光が限界まで蓄えられた、そのときだった。
突然、光が無数に飛散。美遊の
止まった……? どうして? 美遊は頭に血が上がっていた、あのままバゼットへ宝具を放つと思っていたが……。
「恐らく……セイバーの英霊が、それを止めたのでしょう。確か以前にも、二枚目のアサシンを倒したときにもありました。まるでクラスカード自体に意思があるように」
となると、セイバーが美遊を引き留めてくれた……と考えて良いのだろうか。こんなことで聖剣を、剣を誰かに振るってはいけない。死に向かってはいけない。そう、守ってくれたのだろうか?
だとしたら、感謝しないと。
しかし、それも後にしなければならなかった。
「
その冷えるような声に、たまらず空を見上げる。
呆然としている美遊の真上。そこに、未だ宝具を起動状態にしたバゼットが落ちてきているーー!
「美遊!!」
「士郎様!?」
考えている場合じゃない。
体内の魔術回路、都合五十四本の回路へ一気に魔力を循環させる。久々だったからか、脳が白熱し、血が沸騰したかのように沸き立つ。体が急激な負荷に追い付けず、あちこちで血管が破裂し、目からも涙のように血が溢れた。
なら確実な方法を取る。
二歩で美遊の背後までたどり着く。あとは簡単だ。
なるべく優しく、美遊を押し出すだけ。
そして。
光が、落ちた。
「あ…………えっ?」
つんのめった美遊が、振り返って呆気に取られている。
当たり前か、それも。
何故なら右肩から踵まで。レーザーと化した
鮮血が飛び散る。いちかばちか、右肩だけ綺麗に突き抜けてくれればまだ良かった、んだが。よりによって、料理下手みたいに、ぐちゃぐちゃに、斬られている。
「ご、」
右半身が、全部痛い。これならまだ、剣で斬られた方がマシだ。
絶叫すらない。叫んだら美遊が、自分を、責める。だから、唇を噛み切ってでも、こらえる。
でも、……立てない、
「お兄ちゃん……? お兄ちゃん!? お兄ちゃん!? ねぇ、お兄ちゃん!!」
頭がうまく、回らない。
まるで、うしろから、スナック菓子の袋を開けるように。肩から踵まで、ぱっくりと空いているのだろうか。傷口が見えない、だけ……まだ、いい。
仰向けなら、美遊が、傷を見ないで済む。でも、痛い。気を抜いてると、何処かに、飛んでいきそうに、なる。
「聞こえているかは知りませんが、分かったでしょう。今のあなたでは美遊を守れない。守ろうとしても、そんな捨て身でしか守れない」
「ふざ、ける……!?」
ご、と背中から飛びだした骨が、地面に触れて擦れる。想像するだけで恐ろしいのに、今はもうそれにすがってでも意識がもっていかれそうになる。
だから、
「ふざけてなど。もういいでしょう、美遊。
そのバゼットの一言のおかげで、意識がはっきりしたのは。皮肉としか言いようがなかった。
「あ……」
「?……まさか、言ってなかったのですか彼に? 自身が、
平行世界の兄。そして小聖杯。それは、つまり、
「美遊は……平行世界の、住人なのか……?」
「……ええ。彼女はエインズワース家が存在する並行世界から、聖杯の力を使ってここに転移した。あなたと同時期に。この言葉の意味、分かりますね?」
うるさい。黙ってろ、そんなことが聞きたいんじゃない。
「……何にせよ、これで身に沁みたでしょう。今のあなたでは守れない。何も」
どうでもいい。そんなことよりも、本当なのか。美遊が、平行世界の住人で。その兄がーー俺ならば。
美遊は、ずっと。誰かの幻影を重ねて、寂しくて、辛くて、元の世界というフィルター越しでしか生きてこれなかったのか。
俺と、同じように。
俺が今なお苦しむ痛みをーーずっと、与え続けてしまったのか。
「……美遊……!」
傷を見せられないなんて言ってられる場合じゃない。体勢を変えて、目の前の妹に、苦しみしかあげられなかった少女に、手を伸ばす。
でも、届かない。右手は動かない。左手も指を動かすだけであちこちから激痛が走り、満足に動くことすらも出来ない。
美遊が顔を逸らす。ああそうだ。その事実が発覚したとき、俺も騙した人達を見ていられなかった。でも、でも。
「美遊、……美遊っ……俺は……!!」
「……ごめんなさい……」
どうして謝る。悪かったのは、俺だ。そうやって甘えさせたのは俺だ。その温もりで罪悪感を抱かせたのは、俺なんだ。
なのに、どうして立ち上がれない。偽善でも、最低でも、なんでもいい。どうして立ち上がって、一言告げようとしない。こんなにも、胸の中は伝えたいことで一杯なのに。美遊が、泣いているのに。
「ーーーーでしょうーーーーきますーーーーしたいのならーーーー」
耳鳴りが酷い。だくだくと、血の流れる音だけが鼓膜を響かせている。目が開かない。何度かまばたきすると、バゼットが美遊を連れていくところが見えた。それだけで、心臓が握り潰されたかと思うほどの痛みが、体に浸透する。
耳鳴りが違うモノに変わる。これは……風を切る、音だ。
背負われている。誰に? のろのろと眼球を動かすと、銀色の短い髪の彼女は言った。
「ーーーーだいじょうぶーーーー士郎はーーーー助けるーーーー」
何を言っているのかは分からない。ただ、また助けられた事実を噛み締め。
どうしていつも、本当に助けてほしい人達を選ばないのかと……神様を呪った。