Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!!   作:388859

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一日目~再会、決意~

『ああーー安心した』

 

 その声と共に、衛宮切嗣はそれから目を覚ますことは一度も無かった。 眠りは速やかに、しかし何処までも深く。

 二人で座っていた縁側は寒くはないけれど、今思えば、心はその前から冷めていたのだと思う。 そう、俺に人としての心は、初めから欠落していたのだ。

 それから、衛宮士郎は正義の味方として、今日までを生きてきた。 鍛練し、大きな戦いを経て、大事な人を守り通すことも出来た。

 されど、それで良かったのかと聞かれれば……良いわけが、ない。

 

『爺さんの夢は、俺が』

 

 そう言って、過ごした六年。 けれど、その夢が本当の意味で叶えられたことは、一度もない。

 それは俺が未熟だから、という理由ではないだろう。 恐らくこの先どんなに力をつけ、英雄と呼ばれることになろうとも、それは変わることはない。

 何故なら、全てを救うことは出来ない。 九を救うことは出来ても、一は救えない。 救われてしまえば、九の中からまた一が溢れてしまう。

 そうやって救われたから、それがよく分かった。 だからこそ、十であろうと努力するのだ。

 

『そうだ、綺麗だったから憧れた!!』

 

 そう言って、絶望した自分に、衛宮士郎はこう返した。

 間違いなんかじゃない。

 無くしていったモノと、落としていったモノがあって。 例え自分自身を殺したくなるほど恨むことになろうとも、きっと。

 誰かのためになりたいと思ったことは、絶対に、間違いなんかじゃないんだから。

……だから、それだけが頼りだった。

 何度夢半ばで倒れようと、それだけが、夢へ繋がる道だと信じた。

 

『じゃあ、殺すね』

 

 けれど。 ならどうして、俺は彼女を救うことが出来なかったのだろうかーー?

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が、覚醒する。

 

「い、づ……」

 

 耳鳴りが酷い。 まるで鐘を近くで聞いているかのような音は重く、そして何処までも深く響いている。 身体はふわふわしていて、浮いているような感覚すらあるが、目がまだ光になれていない。 十分に慣らしてから、ようやく目を開けてみる。

 

「ぁ……う?」

 

 そこは、見慣れない/見馴れた部屋だった。 カーテンからは朝日が差し込み、勉強机と俺が眠っているベッドを照らしている。 光の具合から朝は七時頃か、辺りを見回してみる。

 ベッドのすぐ近くには何故かある穂群原の制服と、床には投げられた教科書。 倫理と数Ⅱということは、この部屋の主は高校二年生か……それに制服は俺とほぼ同じサイズで、背丈なども同等。 漫画などはあるが、精々数冊程度で、とてもではないが殺風景という言葉に尽きる。

 

「……何処だ、ここ」

 

 掠れた声を発して、身体を起こす。 俺はそのままもう一度、部屋を一通り見たが……さして見知ったモノなどない。

 つまり、ここは俺ーー衛宮士郎の知る場所ではない、ということになる。 しかし何をどうすればそうなったのか、思い出そうとしても中々頭痛のせいでボヤけてしまう。 俺は頭痛に耐えながら、意識を失う前のことを思い出す。

 

「……っ、」

 

 朝……いや朝は何もない。 昼も何もなかった、とすれば何かあったのは夕方。 増してくる鈍痛を押し留め、俺は更に記憶を探る。

 

「あ」

 

 そうだ。 俺は確かあのとき、遠坂の家で魔術の鍛練をしたハズだ。 そうして色々話して、宝石剣の設計図に触れて……。

 

「……触れて、どうなったんだ?」

 

 触れて、魔術が発動したところまでは、何とか思い出せる。 しかしその後、肝心の何があって、どうなったかを全く思い出せない。

 いや、思い出せないのではない。 思い出すことが出来ないのだ。 記憶が無いわけではない。 確かに何かあったハズだが、あのとき魔術が発動したせいか、それがハッキリしないのだ。

 

「……困ったな。 これじゃどうしようもない」

 

 いや、間抜けにもほどがある。 アレほどの魔力からして、あの魔術は遠坂ですら発動するのが困難だ。 とすれば、あの魔術を設計図に組み込んだのは、遠坂の大師父……第二魔法の使い手にして宝石剣の持ち主、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグしか居ない。

 遠坂が触って平気であった事から、あの魔術は遠坂の血縁以外が触れると発動する、トラップのようなモノか。 そう考え、少しぞっとする。 魔法使いのトラップなぞ食らえば、俺なんてひとたまりもないからだ。

 

「……何が起きたのか分からないのが怖いな」

 

 身体にあるのは莫大な疲労と頭痛、あと耳鳴り程度か。 後は、魔術回路ーー?

 

「……待て」

 

 可笑しい。 いつもならすっ、と浮かぶ撃鉄が、中々浮かばない。 苦労して浮かんで、撃鉄を下ろしてみるが……これは、回路が少なくなってる?

 

「……同調(トレース)開始(オン)

 

 一つの線が浮かぶ。 そこから回路が次々と広がるが、その本数はいつもの半分以下。 精々四、五本と言ったところだろう。

 

「……どうなってんだ、本当に」

 

 魔術回路の減少、いや凍結か? 恐らく記憶と同じで、回路はあっても起動出来ないようになっているのだ。

 

「はっ、ふ、ぅ……」

 

 魔術を解く。 解析を使っただけなのに、息切れしかけている。 聖杯戦争序盤を思い出すな、この感じ。

 まぁこれ以上何かしたところで、進展するわけでもなし……大人しく、足場から固めた方が良さそうだ。

 

「よいしょ」

 

 ぐっ、と足に力を込めて立ち上がる。 ふらつきながらもカーテンまで歩き、開けてみるが……そこに映った姿は、想像以上に酷かった。

 上は穂群原の制服。 下はスウェット。 背丈は一年前に戻っており、顔つきも同様だ。 これは……若返った? なして? どうなってんの?

 

「……分からん」

 

 正直、思考が全く追い付いていない。 かろうじてボケることで自分を保てはいるが……ペタペタと顔を触り、そこで。

 

「ん?」

 

 こつん、と肘が何かとぶつかった。

 それは写真立てだった。 この部屋の主が大事にしているのか、それには傷一つない。 勉強机に置いてあるそれに気づかなかった自分も大概間抜けだが、これはチャンスだ。 もしかしたらここが何処か、その手がかりがあるかもしれない。 試しに手に取り、写真を見る。

 

「……え?」

 が。 そこで、心臓が凍りついた。 そこにあった写真が、余りに奇妙だったからだ。

 その写真には数人の男女が、家の前で仲睦まじく笑っていた。 家族で撮ったモノなのだろう。 男が二人に女が四人、笑っている。

 でも。 その写真は、あり得ない。

 何故なら。

 

「なん、だ、これ……」

 

 その写真には、イリヤと切嗣、そして俺が写っていたからだ。

……さながら出来の悪い絵を、遠くから見ているような感覚だった。 この上なく醜く、色褪せた落書き……そのハズの写真は、何故。

 どうして、こんなに幸せそうに見えるのかーー?

 

「……ぶ、っ、つ」

 

 吐き気が込み上げる。 アーチャーの記憶を見たときよりも酷い吐き気に、思わず口元を手で押さえた。

 なんだ、これは。

 俺とイリヤならば、まだ分かる。 切嗣とイリヤなら、まだ分かるだろう。

 けれど俺とイリヤ、切嗣と三人とも並ぶことなど……そんなことはあり得ない。 何故なら切嗣が死んだのは六年前、そのとき俺は中学生ですらない。 なのにこの写真はどう見ても、俺が高校生程度まで成長している。

 それに何より、イリヤと切嗣は既に死んだのだ。 こんな写真はあってはならない。 可能性としてあったとしても、そんなことが現実になるなんて、それでは。

 

「……っ」

 

 それでは、あの戦いは何だったのか。

 誰もが秘めたる願いがあって。

 誰もが生きてて欲しかった、あの戦争で。

 そのせいで死んだ、イリヤと切嗣は、一体何のために。

 

「……ぁ」

 

 怖い。 この写真を認めてしまいそうになるのが、怖い。 幸せに溢れたその写真が、求めたモノなのだと。

 だから、胸が締め付けられる。

 当たり前のようにみんなで笑っている、優しい世界。 その景色の真ん中で、元気に笑う彼女を見殺しにしたのは。

 一体、誰だったのかーー?

 

「……あ、ァっ……」

 

 身体が動かなくなっていく。 脈動し、何かに塗り替えられていく。 奥底に居た誰かが、衛宮士郎の全てを奪おうとしている。

 

「……っ、ァ」

 

 俺の名前はーー衛宮士郎。

 学校はーー穂群原学園■年/穂群原学園高等部、二年。

 将来の夢はーー正義の味■/未定。

 好きな人はーーまだ居ない/遠■■。

 家族はーー親父、義母さん、セラ、リズ、そしてイリヤ。 自由奔放な家族だけど、それが自然体の家族だ。

 

「やめろッ!!」

 

 身体が熱い。 記憶が曖昧になる。 全てが貫かれ、一つになってしまう。 脳裏には知らない記憶が断片として走り抜け、ギチギチと俺を覆い尽くす。

 まるでがらんどうの自分に、本来の中身が入ったかのような。

 

「……づ、あーー」

 

 そうして、沢山の景色を見る。

 名前も知らない誰かと、一緒に走るイリヤ。 それを遠くから見守る切嗣の背中に、おんぶしてもらう自分。

 料理をしてみた自分と、それをダメだしするセ■。 その失敗作を涙ながらに食べるイリヤ。

 家族みんなで手を繋いで、笑ったあの時間。

 

「……、」

 

 ああ、遠い。

 何度も夢見てやまなかった家族の姿は、俺にとって余りに遠い存在だ。 これからどんな人と出会い、守り抜いたとしてーーこれを越える景色など、俺には作り出せない。

 そして同時にそれは、俺が決して味わうことのない、遠き理想郷の世界だった。

 

「……」

 

 膝をついて、俯く。 その幸せに屈服する。

……どうしてこうならなかった。

 どうして、こうしようと思わなかった。

 みんなが笑っている世界。 イリヤが、切嗣が、大事な人が居る世界を、どうして俺は。

 分かっている。 そんなことは無理だということを。 俺が生きたのは、切嗣に救い出されてからだ……四度目の聖杯戦争を防げなければ、この景色は作り出せない。

 だから憧れた、それを夢に見た。 そうじゃなければ、イリヤが余りに救われないから。

 

「……」

 

 けど、それは誰のためだったか。

 本当にイリヤのためで、その景色に俺が居なくても良いと、そういう覚悟を持っていたのか。

 否、断じて否。

……十一年前の火事以降、俺は一度死んだと思って過ごしてきた。 それより前の記憶に蓋をし、前を見て這ってでも生きてきた。 そう生きなければ、立ち止まってしまいそうだった。

 でもーーもしあのときから、全てをやり直せたら。 恐らく死んでいった人達には届かないだろうけど、そう思ったことは何度だってある。

 俺だって、蓋をしたハズの記憶を開けた。 それを頼りに家があった荒野で母を探そうとしたし、いつも自分を迎えに来てくれる父を待とうとして、公園でずっと立ち尽くしたことだってある。

 やがてもう居ないのだと受け止め、そんなときにこう思うのだ。

 

ーーこれからは、あの人達の分まで生きよう。

 

 死んでいった人間は蘇らないから、その人達の全てを背負って、生きようと思った。

 だって、そうでもしなきゃいけないだろう。 そうでもしなければ、自分が壊れてしまうから。

 

ーーお兄ちゃん。

 

 だから。 今度は、守らなければならなかった。

 例え身を粉にしてでも、自分の側に居て欲しかったから。

 そのための六年、そのための魔術。 しかしそれが全て無駄になった今、もうそんなモノに意味はない。

 だから、もしも全てをやり直せるのならば、それはどんなにーー。

 

「……それは」

 

 普通なら突っぱねられる。 まだ望むだけなら、絶対に。

……だが、ここは違う。

 ここはその全てが守られた世界だ。 全てを巻き戻して、全てが終わった世界。 成し遂げられた後になってしまったここにーー俺の居場所はない。

 

「……、ない」

 侵食は既に手足どころか、脳まで及んでいる。 直に俺の意識も、誰かに塗り潰される。 白熱した頭では誰かすら分からないが、それでもこれは俺にとって最上の幸せだ。 きっとこれから先過ごす人生より、幸せに満たされて消えることが出来る。

ーーこの景色は、壊させない。

 

 そんな声が、体の中で木霊する。

 勿論だ。 壊すつもりなんて、微塵もない。 これを壊せる奴も、壊させる奴も絶対に許さない。

 だからこの身を委ねなければならない。 壊す気がないと言うのならば、この身をーー。

 

「……ない」

 

 なのに。

 

 

「ーー要らない。 こんな幸せなら、俺は要らない」

 

 

 俺は、幸せ(それ)を否定した。

 

ーー……。

 

 声が息を呑む。 まるで受け入れることを待っていたかのような、そんな優しい誰かは、俺の答えに声を詰まらせたようだ。

 何も考えられない頭。 鉄のように重くなった手足。 自己が漂白され、懺悔に押し潰される中でーーそれでも、出てきた想いだけは、確固たる意志を持って告げる。

 

「……死者は、生き返らない。 起きてしまったことは、戻せない。 そんなモノで出来た幸せなら、要らない」

 

 否定するだけで、全身を貫かれるような痛みが走る。 やめろと言ってくる身体に、心だけは負けないよう、歯を食い縛る。

 だけど、悔しくて涙が出た。 あの苦しみを思い出すだけで、その涙は止まらなかった。

……ずっと何処かで望んでいた願い。 全ては消えるだけで、済むだろうに。 それでも。

 

「……あぁ」

 

 それは、この上ない裏切りだと知っている。

 今までの自分にも、大切にしてきたモノに対しても、その全てに対する裏切りなのだ。

 何度も涙した。

 何度も絶叫した。

……それでも、得たモノがあって。 その数々を、尊いと思った。 自分が歩んできた道程でなければ、きっと得られない幸せを。

 確かにその道すがらで、溢れてしまったモノもあったけれど。 振り返って、手を伸ばせれば良いのにと、そう思ったこともあったけれど。

 

「そんな可笑しな幸せは、望めない」

 

 だからこそ、決して自分だけは。

 

「置き去りにしたモノのためにも、自分を曲げることだけは、出来ない」

 

 要は、それだけのこと。

 この幸せは、とても眩しかったけれど。

 それでも俺は自分を、曲げられないだけ。

……だから失せろ。

 俺はまだ、こんなところで死んでやることだけは、出来ないんだからーー!!

 

「……I am the born of my sword(体は剣で出来ている)

 

 呪文を紡ぐ。 自己を表す心の言葉は、それだけで白熱していた頭はクリアになった。

 魔術回路は起動したが、今の俺では身体の中に居る誰かを追い出せないだろう。 ならば追い出すのではなく、叩き出すのみ。 誰だか知らないが、俺の幸せを奪うというのならーーそんな奴は身体から、一刻も早く叩き出す。

 

同調(トレース)開始(オン)

 

 一本の線をイメージする。 それはドロドロに溶ける一歩手前まで熱せられた、鉄の棒だ。 それーー擬似的な魔術回路を精製したならば、後は簡単だ。 それを身体に馴染ませれば良い。

 脊髄から何かが入っていく。 無論イメージではあるが、ズブズブと入るそれは俺がさっき作った擬似的な魔術回路だ。

 本来魔術師は、魔術回路を形成すれば、後はオンオフが効くようスイッチのようなモノで制御する。 何故かと言うと、そもそも魔術回路とは本来眠っているモノであり、それを起こすのは命懸けの作業なのである。

 つまり、形成するのは一度きりなのだが、幸か不幸か俺はその作業を教えてもらえなかったので、自力で魔術回路を何度も作っては消すを繰り返したわけだ。

 当然、今やっていることだって命懸け。 ミリでも魔術回路をいれる角度を間違えてしまえば、内蔵はグチャグチャ。 場合によっては心臓すら貫く。

 だがーー最早その工程すらも、俺にとっては手慣れた作業。

 

「……!」

 

 本来十秒で完遂出来る工程を、時間をかけて行う。 いわばこれはチキンレースだ。 俺が消えることが目的なら、この身体は例外。 誰かがこの身体を奪おうと俺の身体に居るのなら、ソイツが逃げるほど危機的な状況に陥れば良い。

 

「……、ッ……」

 

 身体の中から悲鳴が上がる。 俺の目論み通り、俺を消そうとした誰かは身体の中から逃げようとするが、何処から出れば良いのか分からないのだろうか。 一体になりかけていた弊害か、がむしゃらに逃げ回るソイツのせいで、座禅を組んでいる身体が動きそうになる。

 

「ず、っ、……!」

 

 不味い。 このままでは、魔術回路を馴染ませることが出来ず、失敗に終わる。 静止しなければ、ミリ単位の細かい作業など、不器用な俺に出来ようハズもない。

 だがその誰かは、そんなこと知ったことではないのか。 とにかく身体を這いずり回り、そして。

 魔術回路が、背骨から飛び出した。

 

「ぐ、つ……ァ……!?」

 

 何かが破裂する。 それが血管だと気づいたときには、俺は魔術回路の制御を手離していた。

 失敗だ。 口の中までせり上がってくるこの感覚は懐かしいが、そんな感覚に浸ってしまえば、衛宮士郎はこの世から本当に消えてしまう。

 手綱を握る。 飛び出した魔術回路を引き抜けば、血は溢れてしまうが、馴染ませればそんなことは起きない。 致命傷だけは避けるべく、お、れ、はーー。

 

「……!?」

 

 瞬間。

 この身に何が起きたのか、それを理解した。

 

「ぐ、ァ、つ、ぶーー!?」

 

 十七年生きてきた、とある少年の記憶。 普通であるが故に、それが可笑しい少年の全てを、この身に刻み付けられる。

 早送りというより、時間の感覚が引き伸ばされて、実際に自分が生きてきたかのような、不思議なそれは、瞬く間に終わる。

 

「……づ、ぁ、っ……!!」

 

 息を荒くして、びくんと跳ねる。 カーペットに倒れ込んだ身体は、全く動くことが出来ない。 けれど何故か、妙な喪失感が心を満たしていた。

……それは身体の中に居た誰かが、死んだ証。 本来なら魔術回路の暴走で死ぬハズだった俺を、その誰かが庇ったのだ。

 

「……ぁ」

 

 そこで、その誰かの正体が分かった。

……宝石剣のトラップ。 俺はその効果が分からなかったが、手掛かりは確かにあったのだ。

 知らない記憶の断片、身体が誰かに奪われる感覚、着ていた服の不自然さ。 そして何よりーー第二魔法すら起こす宝石剣の、トラップ。

 これを説明するのは簡単だ。 つまり俺は、誰かに拉致されたわけでも、身体を奪われかけたわけでもない。

 俺は、跳ばされたのだ。

 無数にある、平行世界の一つへ。

 しかし、ただ跳ばされたのでは説明がつかないことが多々ある。 だがここに、一つの可能性を入れてみれば、それも解決してしまう。

……トラップは、それだけではなくて。 もし平行世界の自分の身体へ(・・・・・・)対象を跳ばせば、一体どんなことが起こるだろうか?

 

「……あぁ」

 

 本当に、魔法使いとは悪趣味だ。 そんなことをすれば何が起こるのか、分かっているだろうに……わざと第二魔法の失敗をトラップとして仕込むのだから。

 もしそんなことが起きれば、肉体は融合し、魂は二つとなる。 一つの肉体に二つの魂は存在出来ないし、同じ世界に同一人物は存在出来ない……俺とアーチャーの関係と同じだ。 世界とは矛盾を許さない。

 故に。 世界から修正の対象となり、その苦しみはどちらかが居なくなるまで続く。

……今はもう、最初にあった頭痛や吐き気はない。 それはつまり、俺ではなく、この世界のエミヤシロウが死んだのだ。

 恐らく、俺が失敗した魔術のせいで。

 

「……ちきしょう……」

 

 思わず声を漏らした。 そうしなければ、目から何か零れ落ちてしまいそうだった。

 あの映像が間違いなく、今ここに実在するとしたら。 俺は、その中心に居たエミヤシロウを、殺したことになる。

 この幸せな記憶を持っていた、彼を。

 これから先、魔術なんてモノを知らずにずっと生きていって、沢山の人に囲まれて死に行く彼を。

……俺は自分の求めた幸せを、認めないという理由だけで、壊したのだ。

 

「……ぁぁ」

 

 自分のやったことが、間違いだとは思わない。 あの地獄から生還したからには、そこに置いてきた日々を、裏切ることだけは出来ないからだ。

 けれど……余りにその、粉々に壊れた幸せの破片は、俺に深々と突き刺さっていた。

 

「ぁぁ……!!」

 憧れないハズがなかった。

 俺には、あんな幸せなんてなかった……!

 地獄から生還して、切嗣が居なくなってからも、何処かで思っていたのだ。 切嗣と一緒に居られたなら、それはどんなに良かったかと。 自分に母が、姉が居たら、どんなに幸せだっただろうと。

 でも家族どころか、切嗣も居なくなって。 辛くも苦しくもない、歪なその日々で、それでも得たモノは尊いと思った。

 

「……あぁ……」

 

 でも、きっと。

 俺が自分の幸せを守りたかったように。

 彼は自分の幸せを、心の底から守りたかったのだ。

 と、そのとき。

 

「ーーお兄ちゃーん? 今日弓道部の朝練じゃないのー?」

 

 部屋の外から、そんな懐かしい声が、聞こえた。

 

「……イリ、ヤ」

 

 今の声は間違いない。 聞き間違えるハズがない。

 俺の姉である、イリヤの声だ。 エミヤシロウは弓道部に入っていた、朝練も欠かしていなかったし、いつまでも起きてこない俺を心配して来てくれたのだ。

 

「……なんて」

 

 間抜け。 エミヤシロウはもう居ない。 俺のせいでこの世には居ない……とすれば、俺は何て彼女に何と言えば良い?

 君の兄は殺したと? 自分の身の可愛さで、何も知らないエミヤシロウを殺したのだと……そう言うのか?

 

「……」

 

 言えるわけがない。 絶対に、彼女にだけは、この家の住民には知られてはいけない。

 だとしたら、答えは一つ。

 

「……ああ、ちょっと待っててくれ」

 

 なるべく平静を保ちつつ、俺は立ち上がる。 そのまま下のスウェットだけ脱ぎ、近くにあったスラックスを穿く。

 そして、部屋のドアを開けた。

 

「おはよう、お兄ちゃん。 あんまり起きないから、セラがカンカンだったけど、私がフォローしといたからね。 まぁ、怒鳴られるのは確定かもだけど」

 

 そこにはーーもう夢でしか見られない、一つの幻想が立っている。

 さらりと流れる銀の長髪は、まるで雪のようだった。 赤い、ころんとした大きな目は、純粋な色に染まっていて、体の小ささも相まってか、小動物染みている。 

 それは自分の知るイリヤスフィール・フォン・アインツベルンと、とても酷似していた。 

……でも何と無く、分かる。

 この子は、俺の姉ではないことを。 

 自分が会いたかった、一緒に居たいと思った、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンではないと、ハッキリ。 

……なのに、何故だろう。 

 

「あ、あれっ? ど、どうしたのお兄ちゃん? 何で泣いてるの?」 

 

 どうして、こんなにも両目から想いが溢れ落ちるんだろう。 

 涙は、止まることを知らなかった。 しゃくりあげるわけでもなく、ただただ泣き続けるその様は、本当に不気味の筈だ。 玩具のブリキ人形が泣くとしたら、きっとこれ。

……例え、別人でも。 

 ここに、イリヤは居る。 

 そしてそんなイリヤの兄貴を、奪った自分が居る。 

 それで、胸の中のモノを勝手に出た。

 

「ねぇ、お兄ちゃん……ほ、ホントにどうしちゃったの……?」

 

「……ごめんな、イリヤ。 ダメな兄貴で」

 

 イリヤの頭に、ぽんと手を置く。 

触れてはいけないものだとしても、責任だけは果たさなければ。 

 そうでなければーー死んだエミヤシロウが浮かばれない。

 と、ふと思う。 エミヤシロウなら、イリヤを抱き締めるだろうか。 不安な妹を安心させるために、強く。 

……それは俺の役目ではないのかもしれない。 本当は俺ではなく、エミヤシロウしか許されないことだ。 

 兄貴であるお前の代わりは出来ないけど。 それでも、奪った責任だけは、果たし続けよう。

 

「……もう、一人になんかさせないから」 

 

「え?」

 

 頭に置いた手で、イリヤを撫でる。

 その温かさを忘れないためにーー何よりエミヤシロウにそれが伝わるように、俺は告げる。

 

「もう二度と。 お前を、イリヤを、一人ぼっちになんかさせないから……絶対に、俺がイリヤを守るから」

 

 手の平から伝わるのは、動揺だけ。

 不安など、彼女には既にない。 それだけで儲けものな気がして、笑った。

 俺がお前を殺したのは、必然だった。 

だからこそ、代わりにお前の幸せを受け継いでいく。 

 俺の命は、もう俺一人だけのものじゃない。その幸せを受け継いで、お前が守りたかったモノまで、俺が必ず守る。

……いつかは、話さなければならないときが来るとしても。 俺が、元の世界に戻るときが来ても。

 それでも絶対に俺は、正義の味方として、イリヤの兄貴として護り抜く……それを、ここに誓おう。

 

「だから」

 

 また会うときまで、ちょっとだけ待っててくれ、遠坂。

 俺はそれまで、この子を護らなきゃいけないから。

 


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