ようやく二人が出会いました。
洛陽の天気は快晴だった。
空が良く見える。景色が良い。
それもそのはずだ。嘗て豪華絢爛だった――装飾過多ともいう――宮殿はそのほとんどが李儒と共に灰になってしまった。
李儒だけではない。
忠臣王允もまた、壮絶な最後を遂げた。
最期まで付き従おうとした兵によると、王允は先帝陛下のお供は自分の役目だ、誰にも譲りはせぬと言って兵を逃がしたあと、歩いて宮殿の奥深く、炎の中へと消えていったらしい。
古来より、炎は始まりを暗示するという。
宮殿を包んだ炎は、全てを始まりへと還した。
宦官による汚濁も、李儒による地獄も、王允の忠義も。
全てが忘れ去られ、過去のものとなり、歴史と化してゆく。
これから始まるであろう未曾有の大乱世。
数多の群雄が割拠し、敗れ去り消えてゆくだろう。
彼らの記憶は時と共に記録となり、やがて史書に記された文字へと成り下がる。
その史書に、自分の名は、荀攸という名は果たしてどのように記されるのか。
蒼天の下、裸の玉座に座る目の前の少年の名は、どのように記されるのか。
或いは、漢帝国再興の名君として。
或いは、漢帝国最後の愚帝として。
それはまだ誰にもわからない。一刀にさえ。
「――重いな、荀攸よ」
一刀の胸中を知ってか知らずか、少年――劉協は言葉を発した。
「漢朝四百年。
先人達の重みが、この身にずっしりと伸し掛かっておる。
今の朕でさえ、だ。
董卓の治世から、いきなり李儒による地獄へと突き落とされた先帝陛下の重圧は、如何程であったのか」
「……」
一刀は答えられない。
劉協もまた、応えを期待しているわけではないだろう。
四百年、脈々と受け継がれてきた血の重み。
それは高貴であると同時に呪縛でもある。
想像を絶するであろうその重みは、皇帝となった当人にしか本当に理解することはできない。
「ひとまずは落ち着いたわけじゃが、これから世はどうなるのかの」
今度は明確な問いかけだ。
「おそらく、この平穏は長くは続かぬかと。
連合軍に参加していた諸侯は全て領地へと戻り始めましたが、袁紹はこれで諦めるような人物ではありません。
特に、今回は大衆の面前で面子を潰された形ですから」
「ふむ、他にはおるかの」
一刀は1つうなずいて続けた。
「同じ袁家の袁術は邪気のない子どもですが、子ども故にその欲に限りがありません。
幼い頃から甘やかされ続けた影響でしょうが。
さらに傍にいる人間もよくない。
袁術の欲がよろしくない方向に向かえば、それは張勲によって際限なく暴走するでしょう。
次の乱の火種となるのは、おそらくこの二人かと」
「止めることはできぬ、か」
劉協がぽつりと呟く。
「はい。
董承殿を助けるためとはいえ、陛下が董卓の人質となっていたことを、天下に公表する形になりました。
先の黄巾の乱に続き、漢朝に乱を抑えるだけの『威』がないことは既に周知の事実です。
軍閥化を目論む者は、それを躊躇わないでしょう。
これは、私の責任でもあります」
頭を下げると、劉協はよい、と手を振った。
「魔王董卓の親族であるが故に、朕の暗殺を命じられた侍女。
そのような者を見殺しにして、大儀も何もなかろうよ。
ところで、その董承は息災にしておるのか?」
「今頃は文和殿、呂布将軍、張遼将軍、公台殿、と共に。
……華雄将軍を弔う、と」
「……そうか」
それだけ言って、劉協は暫く口を閉ざした。
一刀もまた。
先に沈黙を破ったのは、劉協だった。
「董承らの処遇は?」
「彼女達には、洛陽に残ってもらいます。
董承殿は、引き続き侍女として。
陛下の御身は呂布将軍が。
謀略からは、文和殿が御護りするでしょう。
公台殿は……呂布将軍が了承すれば、連れて行こうかと思います。
一度呂布将軍から離れたほうが、彼女のためにもなるでしょう」
陳宮を連れて行く。
その言葉の意味するところは、つまり。
「往くか、曹操のもとへ」
一刀はしっかりとうなずいた。
「はい。
何かにつけて人を扱き下ろす気の強い姪ですが、あれで打たれ弱いところもありますので。
長い間離れていましたが、傍にいて支えようと思っています」
「そうか。
朕の下に留まる器ではないのはわかっていたが、やはり惜しいの。
王允がよう言うておった。
『荀攸殿は必ずや天下にその名を轟かすようになりましょう』、とな。
これからどのようなことを為してゆくのかが楽しみで仕方ない、とも。
朕も、楽しみにさせてもらうとしよう」
劉協の言葉に、一刀は涼しい顔で問いかけた。
「よろしいのですか?
漢朝を滅ぼすかもしれませんよ?」
劉協は声を上げて笑い出した。
「滅びるか?それもよかろう。
どうせ滅びるならば、精々華麗に滅びればよいのだ」
黄昏の空に、高らかな笑い声が響き渡った。
王允の屋敷の庭を、ゆっくりと歩く。
隅から隅まで、確かめるように。
曰く、人が本当に死ぬのは、人に忘れられた時だという。
王允は、この庭を愛していた。
この庭の全てに、王允との思い出が宿っている。
それらを、心に焼き付けていく。
王允という忠臣を、決して忘れることのないように。
暫く歩いた所で、梅の木を見つけた。
まだ洛陽が平穏だった頃は満開だった花も、今はもう散り始めている。
「手紙を送ったのは、この花が咲き始めるよりも前だった。
最近、時が過ぎるのが速く感じる。
何故なんだろうな、桂花」
「相変わらず生き急いでるからじゃない?
大体の事情は聞いたけど、無茶ばっかりして。
一歩間違えれば死んでたわよ、あんた。
それとも、まだ自殺願望でもあるわけ?」
応えは背後からすぐに返ってきた。
「久しぶりに会ったのに、酷い言い草だな。
ちゃんと勝算があったからやったんだ」
振り返ると、いつも通りのふくれっ面をした姪がいた。
「本当に相変わらずね、あんたは」
「桂花も相変わらずだな。
どこも変わってない。
性格も、背も胸も最後に会った時のまんまだ」
「よーくわかったわ。
やっぱり死にたいのね、あんた。
お望み通り殺してあげるからちょっとこっち来なさい」
げしげしと遠慮なく脛を蹴ってくる。
無性に楽しくなって、思わず笑ってしまった。
「それは辞めてもらえるかしら。
折角に手に入ることになった優秀な人材を、痴話喧嘩で失うなんて笑い話にもならないわ」
いつの間にか曹操が近づいてきていた。
傍らには、夏候姉妹が控えている。
「ち、痴話喧嘩だなんて!
そんなんじゃありません、華琳様!」
桂花がすぐさま声を上げる。
顔が真っ赤に染まっていた。
「いやいや、どこからどう見ても痴話喧嘩以外の何物でもなかったぞ。なあ姉者?」
「ちわげんか?なんだそれは?」
「夫婦喧嘩、といえばわかりやすいか?」
「おお、そういうことか!
うむ!まるで長年連れ添った夫婦のようだったぞ!」
姉妹の感想に、桂花はますます顔を赤らめて黙り込んでしまった。
「ご挨拶が遅れました、曹操殿。
荀攸、字は北郷と申します。
呂布将軍に託した文はお気に召して頂けたでしょうか?」
一刀の言葉に、曹操は実に愉快そうに笑った。
「ええ。中々素敵な恋文だったわ」
すると、黙り込んでいた桂花が大声を上げた。
「こ、恋文!?
見せて頂けないと思ってたら、あんた華琳様にそんなもの送ってたの!?」
「そんなものとは酷いな。
ありったけの想いを込めて書いたっていうのに」
「あ、あんたねえ……!」
そのやり取りをにやにやしながら見ていた曹操が笑い出した。
「大丈夫よ、桂花。
万が一文が誰かの手に渡ってもいいように、恋文ともとれるよう曖昧に書いていただけだから」
「私としては、恋文と捉えて頂いても一向に構わないのですが」
「あら?それもいいわね。
この子ったら、こんなに私を慕ってくれているのに、閨にだけはどんなに誘ってもこないのよ。
貴方を誘えば、桂花も一緒にきてくれるかしら?」
「それはいい案ですね」
桂花はこれ以上ないほど顔を赤くして、わなわなと震えていた。
ひとしきり笑ったあと、曹操に向き直って一礼する。
「改めまして。
曹孟徳殿。貴女の臣下の列の末席に、この荀攸の名を連ねることをお許し頂けましょうか?」
曹操はすぐにうなずいた。
「許す。荀家の麒麟児の能力、私の下で存分に振るいなさい」
この日、曹操の下に二荀が集った。
――同時刻、領地へと帰還中の袁術軍。
「七乃!七乃!
何やらあそこが騒がしいぞえ!」
「本当ですねー。
もうすぐ美羽様のお昼寝の時間だっていうのに。
あれじゃあ美羽様が眠れなくなるじゃないですかー」
「気になるの!見に往くぞ、七乃!」
元気よく走り出す主を張勲は慌てて追いかける。
「わわ、待って下さい美羽様ー!」
騒ぎの中心に近づくと、兵達が輪になって何かを遠巻きに囲んでいた。
どうやら、その何かが騒ぎの原因らしい。
「何があったんですか、皆さん?
そんなにざわざわしてー」
「そ、それが……」
返事をした兵の声は、震えていた。
「我が軍の近くで怪しい動きをしていた孫策軍の兵を捕らえたところ、あのような物が……」
そういって円の中心を指差す。
美羽と一緒になって覗き込むと、何か四角い物が落ちていた。
近づいて拾い上げる。
それは、玉璽だった。
横から、美羽がひょいっと覗き込む。
「それはなんじゃ、七乃?」
「これはですねー。
むかーしむかーし、始皇帝の時代から伝わってる、伝国の玉璽っていうんですよ。
失くした人が国も失くしちゃってー、見つけた人が国を手に入れるって言われてる皇帝の証なんです」
「なんと!?
それでは、見つけた妾が皇帝になれるということかえ!?」
その玉璽の傍らには、人を象った紙が落ちていた。
如何でしたでしょうか。
最後の劉協君の台詞は、銀河帝国皇帝フリードリヒ四世陛下の台詞をいただきました。
一刀君の文の中身は、マスタング大佐の研究レポートのイメージです。
感想よろしくお願いします。