後半で久しぶりの桃香さん登場。そして始めての鈴々ちゃん視点があります。
ではどうぞ~
許都の農地を歩く。
豊かに育つ作物の中で、農民たちが噂話をしていた。
「おい聞いたか!
あちこちの拠点を全部引き上げてるらしいぞ!」
一人が仲間に向かって話しかけると、皆が次々に口を開く。
「どういうことだ?
こっちが優勢じゃねえんだか?」
「何故かは知らんがどうやら官渡水のあたりに本陣を敷くらしい」
「官渡水といえばここからほんのすぐ北じゃ!」
「じゃあ袁紹の軍団が一気にすぐそこまで来るんじゃねえのか」
拠点を官渡に移すことは特に隠しているわけではないようだ。農民までもが既にそのことを知っている。
「どうするよ!?
へたすりゃここいらまで血の海だぜ!」
「今のうちに逃げるか!?」
「逃げるってどこへ!?」
「おい!
青州兵の見回りの時間だぞ!」
声につられて視線を同じ方に向ける。確かに、一見して農民のようだが手に武器を持った兵が歩いていた。
青州兵。彼らは皆、元は黄巾党だったという。
「いつ見ても気味が悪いやつらだな」
「ああ。
だがよお、敵が来たら農民に化けてるあいつらが護ってくれる仕組みだろ?」
「そう考えりゃなんだか頼もしいな」
気味が悪いというのもうなずける。彼らには、どこか明命の工作部隊と同じ匂いがした。明命の部隊の者は普段はその匂いをうまく隠しているが、彼らはそのままだ。
「どうせこのご時勢どこへ逃げても絶対安全な場所なんてねえんだ」
「ああ、逃げりゃたちまちひもじい流民に逆戻りだ」
「せっかくただで貰って耕した土地を手放すのも惜しいしな」
「ここにいりゃ食いっぱぐれはねえし、それがなによりよ」
曹操が力を入れていた屯田制とはこういうことか。
農民は戦火を怯えつつも土地を離れないから、兵糧は確保される。
三十万もの青州兵を田にしばりつける上にこの屯田の運営も困難を極めるだろう。しかし戦が長引けば後々これが効いてくる。ここにもひとつ、戦場以外での曹操の戦がある。
先ほど会談した二荀を思い出す。大雑把に言えばと前置きされたが、荀彧が朝政、荀攸が農政の担当しているらしい。曹操は先陣に出ていたが、あの二人と語り合うことができただけでも許都に来た価値はあった。
特に荀攸は面白い。雪蓮が色仕掛けでもいいから呉に連れて来いと言っていたが、荀彧がいなければ試してみてもよかったかもしれない。それほどに、最後の問答は印象に残った。
『――では、最後にもうひとつだけ。
天下に王佐の才をうたわれる荀彧殿にとって、王とはいかなる存在だろうか』
『華琳様――曹孟徳という人よ。
考えるまでもないわ』
『では、荀攸殿は?』
『私は王佐の才にはほど遠いのですが……。
敢えて言うならば、王は、この中にいます』
『脳漿に?』
『ええ。
いかなる知をどれだけ補おうとも生まれた時から変わらぬ姿でここに棲む。それが王佐の才と言われるのではないでしょうか。まあ、そんな人はごまんといるでしょうけどね』
『では、荀攸殿の脳漿に棲まう王に最も近いお方が曹操殿なのだろうか』
『それはわかりません。
全く同じ姿に思える時もあれば、まるっきり違う姿の時もあります。
ただ、私はそれほど王の姿にこだわってはいません』
『というと?』
『王をたすけるのが王佐の才です。ですが、ただたすけ続けるるだけでは辛い時もくるでしょう。
私は、王佐の才をたすける、支えられるような者でありたいと思っています』
何事かの報告が飛び込んで来たためにそれで終わってしまったが、その時の荀彧を見つめる眼は忘れられない。あれほど想いに満ちたまなざしは初めてだった。あそこで色仕掛けをするのは無粋というものだろう。
一人の男にあれほど愛されている荀彧への若干の羨望と、その二人の幸せいっぱいの顔を瞬時に真っ黒な笑みに変える報告とは一体何なのかという疑問を胸に、雪蓮の下に帰ることにした。
「うーん。
やっぱり、どうにもうまくないねえ」
目の前で義姉が飯をほおばりながら唸っている。食べ始めた時からずっとだ。
「鈴々の分はとっても美味しいのだ。
桃香お姉ちゃんの分と交換する?」
食べられるものは何でも食べる。それは三姉妹皆同じのはずだ。何か自分の知らない好き嫌いでもあったのか。
そう思って聞いてみると、一瞬きょとんとした後、すぐに苦笑いに変わった。
「うまくないっていうのはご飯のことじゃないの。
紛らわしい言い方しちゃってごめんね?」
そう言うとようやく笑顔で箸を進め始める。身体の調子が良くないというわけでもなさそうで、少し安心する。
「うまくないっていうのは、今の状況――まあ、最近の私たちなんだけど」
義姉がぽつりと呟いたのは、食べ終わってぱちりと箸を置くのと同時だった。
難しいことを考えるのは自分の役目ではないが、一応は首を捻ってみる。目の前の長姉は皇帝陛下や漢王朝の名門の人たちにしょっちゅう呼び出されて大人気であるし、次姉は先陣の将として大活躍だったと聞いている。自分は岩を砕くなどの力仕事以外働いていない気もするが、十分役に立っているとお兄ちゃんは頭を撫でてくれた。
すべてがとてもうまくいっている。自分はそう思うのだけど。
「大人気かあ……それはちょっと違うんだけどね。
陛下の眼は大道芸人さんを見る時のそれみたいだし、孔融さんたちのは役に立たない農具をお母さんに売りつけに来た商人さんに似てるし……」
腕を組んでうーんと唸る。どうにもはっきりしない。
「よくわからないけど、へーかや孔融とかが敵で、桃香お姉ちゃんに酷いことしようとしてるってことなのか?」
ごちゃごちゃと難しいことは自分にはわからない。だから単純に考えてみる。
良いことなのか、悪いことなのか。
今回ならば、その変な目で見てくるのは敵なのか、敵じゃないのか。
敵じゃないなら放っておくし、敵なら倒せばいい。それが自分の役目だ。
そう思ったのだけど、義姉の返事はやっぱりはっきりしない。
「うーん。
陛下は傍から見てるだけな気がするかなあ。敵じゃないけど味方でもない。
孔融さんたちは、絶対何か良からぬことを考えてるね。
けど、悪意はあっても敵意はないかな。敵になるほど力はない、同格だとは思われてないって感じがする。
成り上がりの小物を利用してやろう、ってところだね」
言い方は難しいが、今度はなんとなくわかった。
「……義勇軍の時と同じで、色々使われて手柄だけ取られそう?」
「まあ、似たような感じだね」
よくできましたと拍手してくれるけど、ちっとも嬉しくない。
「具体的にどんな悪いことを考えてるのかはさっぱりわらないんだけどね。
やっぱり愛紗ちゃんと離れるべきじゃなかったかなあ。
でも、『あの関羽が先陣に加わるならばこれほど心強いことはない』ってほとんど勅命だもんなあ……」
少し俯き気味のままぶつぶつ呟いている。普段はあまり悩まない義姉にしては珍しかった。
とはいえ、頭の良くない自分が口を出せることはない。こちらも腕を組んでその姿を見つめることにした。何も言わずとも、一緒にいることが力になることがある。愛紗もそう言っていた。
暫くそうしていると、門の方から声がした。
「劉備殿!
皇帝陛下より関羽殿の戦勝の祝いの酒が下賜されました!」
二人顔を見合わせる。
宮廷の礼儀作法は知らないが、たかだか緒戦に勝ったくらいで皇帝陛下から直接祝い酒が届くのは何かおかしい気がする。
それでも受け取らないと不敬になる。義姉は心なし青ざめた顔で表に出て行った。
持って返ってきたのは、一人で抱えるにはちょっと重たそうな綺麗な甕。よいしょと下ろしたその中には、なみなみと酒が入っている。匂いだけで美味いとわかるような、上等の酒だった。
「……毒とか入ってないよね、これ」
「……鈴々の鼻は大丈夫だって言ってるのだ」
本当にげんなりした、嫌そうな顔。絶対に人には見せられない。
「じゃあ、鈴々ちゃんが全部飲んでいいよ。お酒にも、作った人にも罪はないんだし。
問題は、これだなあ……」
そう言うと、袖を捲り上げて甕の中に突っ込んだ。一呼吸ほどしてから取り出したのは――筒?
小指ほどの長さのそれを二つに割ると、中には上質の紙が入っていた。濡れることなどかまわずそのまま広げて読み始める義姉。
その顔が読み進めるにつれて歪んで、訝しげになって、じと目になって、最後は大きな溜息で終わった。へーかが大道芸人みたいに見ているというのは、案外当たっているかもしれない。
「なんて書いてあったのだ?」
聞いてみると、紙をまるで汚いもののように指の先でつまんだままぷらぷらさせる。
「皇帝陛下からの密勅で、曹操さんを誅殺しなさい、だって」
思わずまん丸になってしまった自分の顔も、義姉には大道芸人のように見えているのかもしれない。そんなことが頭に浮かんだ。
如何でしたでしょうか?
もしかしたら前回と結合したほうが読みやすいかなあ。感想で意見を聞かせてくれると嬉しいです。
次回は今回の勅に関するあれこれになる予定。
感想お待ちしております。