今回は短めなのでもう少し早く更新したかったんですが遅れてしまいました。
今回は構想段階から書くと決めていたシーンの一つです。
ではどうぞ~
茂みの中に身を伏せたまま干し肉を齧る。そして一つまみの塩。たったそれだけで、身体の隅々にまで活力が戻ってくるのを実感できた。
塩はなくてはならないもの。頭ではわかっていたが、実際に体験してみるとまるで違う。
調練を繰り返した。最初は何もかもが手探りだった。今までにはない、全く新しいかたちの軍を一から創ろうというのだ。困難は予想以上だった。
ただ穴を掘っては埋めを繰り返す。飲まず食わずで何日も山野で過ごす。命綱なし、身一つで崖を越える。一見無意味に思える調練も、今振り返ってみれば確実に身になっている。でなければ、この監視任務も途中で音を上げていただろう。
それらの調練を考えたあの人は、そもそも飛爪軍などというものを創ろうと考えたあの人は、異質だ。生き方が、価値観が、発想そのものが異質。そういうところは、どこか主に似ている気がする。
その異質な人が言った。
『沮授という男は――同類なのかもしれない』
誰と、とは言わなかった。
沮授。
突如袁紹に仕官し、瞬く間に信を得幹部に成り上がった軍師。
経歴は一切不明。年さえもわからない。
能力はあるのだろう。素性の怪しい成り上がりがと妬む声もあるが、謙虚なその態度に彼に好感を持つ者も少なくないという。
沮授 と荀攸。この二人を、一体何を以って同類とするのか。共に若く有能な軍師ではあるが、そんなありきたりな理由ではないだろう。
気になる点が、ないわけではない。荀攸という男は元々別にいた。流行り病で幼い頃になくなったその名を、一刀が貰い養子となったらしい。荀家に拾われるまでの経歴は、 沮授と同様全くわからない。
二人とも、まるでその時まではこの世に存在しなかったかのように。
馬鹿らしい考えだとは思う。しかし、そうだとすればしっくりくるのだ。
そんなことをつらつら考えていると、ついに動いた。
沮授だ。
真夜中だというのに、護衛の兵の一人もつけずに天幕から出て林の方へと歩いていく。
『袁紹が本陣を動かす前に、必ず誰かと連絡を取るはずだ。沮授は気軽に本陣を離れるわけにはいかないだろうからな。直接か、人や物を介してかはわからない』
読み通りだ。
決して気配を悟られないように、息を殺して移動する。
『相手が下っ端ならいい。それ以外――この白装束を着た男、顔を頭巾で隠した男なら無理はするな。無手で霞と渡り合った手練だ。気づかれないことを最優先に行動すること』
沮授の足取りに迷いはない。一切足を止めずに林の奥深くへと進んでいく。
特に周囲を警戒している様子は無い。油断なのか、それとも余裕なのか。
やがて、薄く月明かりが差し込む開けた場所で立ち止まった。
「待ちましたか?」
沮授が誰も居ない虚空に向かって問いかける。
噂に聞く妖術の類だろうか。張三姉妹は、公演に声を遠くまで届ける妖術を使っていると聞く。そのようなものがあれば、離れた場所にいる仲間と会話もできるかもしれない。
その予想は、すぐに裏切られた。
「ああ、待った。かなり待った。嫌というほど待った。
一体何処で遊んでいたんだお前は」
いつの間にか、沮授の正面にある木の幹に誰かがもたれ掛かっている。
幹から背を離し、沮授に向かってゆっくりと歩き出した。月明かりで顔が見て取れるようになる。
男だ。まだ若い。一刀とそう年は変わらないだろう。沮授と同じく額に刺青がある。模様は微妙に違うが、何処と無く似てはいた。
「いけませんねえ。
そこは『私も今来たところだから気にしないで』というのが逢引きの常識ですよ」
沮授の言葉に、男は心の底から嫌そうな顔をした。
「何が逢引きだ、気色悪い」
「つれませんねえ」
沮授は両の掌を上に向けてやれやれなどと言っている。男のこめかみが引きつっていた。
「お前の戯言に付き合ってる暇はない。
さっさと本題を話せ、干吉」
干吉。
沮授はやはり偽名なのか。本名は、干吉。
干吉の顔が真剣なそれに変わる。
「こちらは予定通りですね。
官渡の戦いはもうすぐそこです」
干吉の言葉に、男はふんと鼻を鳴らした。
「勝てるのか?」
「さて、やってみないことにはわかりませんよ。
まあ、勝てるかどうかは二の次です。重要なのは戦を起こすことですから。そしてそれは苛烈であればあるほど良い。
それだけ――多くの血が流れることになります」
干吉がにやりと嗤う。
それは、沮授として袁紹軍で見せていた愛想の良い笑顔とは全くの別物だった。
人が、あれほど邪悪に嗤うのを初めて見た。
「勝てなくとも良いのです。
戦の果てに、この乱世の果てに多くの血が流れればそれで良い。
人口が減り続ければ、国家としての体を成せないほどに人が死ねば、それはこの外史の崩壊に繋がる」
なんなのだ、それは。
天下の覇者となることでもなく、漢という国を滅ぼし新しい王朝を開くことでもなく。
ただ戦を起こし、ただ人を殺し、この大陸そのものを滅ぼそうというのか。
「……相変わらずの悪趣味だな。
まあ、俺はあいつを殺せればあとはどうでもいいが」
男が眉を潜める。
仲間ではあるのだろうが、干吉の思考はあの男にとっても気分が良いものではないらしい。
「私には貴方も趣味が悪いように思えますけどね、左慈」
「なんだと?」
男――左慈の機嫌がまた悪くなる。
「何かにつけて、北郷一刀、北郷一刀、と。
まるで恋する漢女のようじゃないですか」
「よしわかった。死にたいんだな?
一応は同志の情けだ。せめて楽に殺してやるからそこに座れ」
左慈が干吉の顔へ向けて左足で見事な蹴りを放つ。
干吉はそれをしゃがむことでかわす。が、それでは次の右足の蹴りに対処できない。
――が、追撃の蹴りは干吉の顔面に当たる寸前で止められた。
「……何故避けない」
「貴方を信じていますから」
そう言ってにこにこと笑う顔は、沮授のそれに戻っていた。
「……よく言う」
苦々しげに吐き捨てる左慈だが、沮授の言う通り最初から当てるつもりはなかったのだろう。
……少々殺気がこもり過ぎているようにも感じたが。
「では、私はこれで失礼しますよ。
あまり遅いとさすがに怪しまれますからね」
沮授が優雅に立ち上がる。
「その蹴りは――そこのねずみにでも当ててあげなさい」
「……ああ、そうだな」
ねずみ――自分か!
急いで跳ね起きた瞬間には、既に左慈は恐ろしい速さで此方に迫ってきていた。
「殺!!」
飛び上がり蹴りを放ってくる。側頭部への的確な一撃。
なんとか防ぐ。手甲越しだがかなりの衝撃だ。
体勢を立て直す。
着地したばかりの左慈の顎めがけて左のきざみ突き。
かわされる。すぐにもう一度。続けて右の拳。
「――ちっ」
舌打ちが聞こえた。明らかに苛立っている。
放った拳は全て余裕を持ってかわされた。こちらの腕がどうだというわけではないだろう。
干吉に放ったものと同じような軌跡を描く頭部への蹴り。
先程から執拗に頭を狙ってくる。殺意の表れなのか、それとも昏倒狙いか。
再び左腕で受ける。受けたその足を右手で掴んで捻る。
折る。
完璧に極めたはずの技は、身体を足が捻られる方向に回転させることによってはずされた。
そのまま両手を地面につきまたも頭部への蹴り。頭を引いてかわす。
左足で足元を薙ぎ払う。手だけで後方に跳ねてかわされた。綺麗に両足を揃えて着地する。そのまま再び後方へ跳ぶ。両手を揃えて地面につき、身体を跳ね上げて回転させる。まるで重さなどないかのように両足で着地した。
五歩ほどの距離をおいて睨み合う。
強い。
無手のみならば、間違いなく今までで一番の手練れだ。
暫くお互い無言のまま対峙する。
「……今の技。柔か。
北郷一刀の仕込みだな」
北郷一刀。
字と真名を続けて呼んでいる。そこに、僅かに違和感を覚えた。
一般的には、姓と字を続けて呼ぶものだ。
「荀攸殿の知り合いか?」
沮授の同志というのならば、この男も『同類』なのか。
「ああ、あいつのことはよく知っているさ。
むこうは俺のことなど知らんだろうがな」
左慈や干吉が、一方的に知っている。そういうことだろうか。
「……まあいい。
俺にはやることがあるんでな。お前と遊ぶのはまた今度だ」
そう言うや否や足元の砂を蹴り上げる。目晦ましか!?
「くっ!待て!!」
言ってはみるが、それで待つはずもない。
目を庇った腕を下ろした時には、既にその姿は消えていた。
如何でしたでしょうか?
ずっとやってみたかった凪と左慈の無手格闘シーン。
これから青蓮寺と致死軍の如く彼らと飛爪軍の暗闘が始まっていきます。
表の戦いも裏の戦いも過熱していきますよ。
感想お待ちしております。