新年一発目の投稿はあの3人がようやく登場します。
「良いか!我らが主、曹孟徳様はこう言った!黄巾三十万、その全てを平らげる、と。
ならばそれは必ず実現する!如何な大軍も恐れることはない!各々しっかりと励め!」
夏侯惇の威勢の良い声が響く。
先程の軍議では一言も発さず、眠っているのではないかと疑うほどだったが、今はまるで別人だ。
「死ぬ気で戦え!だが死ぬなよ!
少なくとも私より先に死ぬな!!何故なら私は決して死なないからだ!!
良いか!!!」
「応!!!!!」
城中の兵が一斉に唱和する。
半数以上の兵が初めて夏侯惇に率いられるはずだが、既に絶大な信頼を寄せられている。
夏侯惇は常に声に迷いが一切ない。それは彼女が主である曹猛徳に寄せる信頼の証だ。
兵は皆指揮官の不安や迷いを敏感に感じ取る。夏侯惇が曹操を一切の迷いなく信頼するが故に、兵も夏侯惇を信じるのだ。この軍は強くなる。そう確信するに足る光景だった。
――同日深夜。
黄巾の兵が、顔から感情というものを完全に落としたまま静かに城壁をよじ登っていく。爪が剥がれようと、膝を擦りむこうと、決して止まることはなかった。
そして、城壁を登りきったところで――下から槍で突き上げられた。血が降り注ぐ。夜襲を待ち構えていた城内の兵により、よじ登って来た黄巾は容赦なく討ち取られていく。次々と登ってくる後続の黄巾の兵にも、矢が一斉に射掛けられた。
暫く膠着状態が続いたところで、ついに黄巾兵一人が防衛線を突破する。鮑信はそれを横目でちらりと見やり、黙って目の前の敵を切り伏せる作業に戻った。
四人目、五人目。並んで登って来た六人目と七人目を顔面を蹴って下に落とす。絡み合いながら落ちていくその男達の片割れと目が合って、ぞっとした。やはり、目に感情がない。今まさに死へと落ちて行くというのに、自分への怒りも、死への恐怖も、何も映っていなかった。他の黄巾も皆同じ。まるで人形と戦っている気分だった。
その時、背後で扉が開く音がした。どうやら先程の男が予め用意していた食料庫に入ったようだ。
男が入った食料庫は、荀彧が敵兵が進入するであろう経路、場所を予想し、城に蓄えられた食料が殊更大量に見えるように見せかけの量を多くしたものの一つだ。青州方面への流言飛語の信憑性を高める為に用意したらしい。
男が戻ってきた。仲間が用意した梯子を降りてゆく。
やがて、攻撃は収まった。
「損害を確認しろ。決して騒ぎ立てるなよ。
編成に問題が出るほどではないだろうが、報告の後再び振り分ける」
兵がうなずいて確認に走る。入れ違いに二人連れが近寄って来た。
「鮑信」
「夏侯惇殿」
一礼する。夏侯惇も、一歩後ろの荀攸共々返礼した。
「上手くいったか?」
「はっ。中に侵入したのは一人。
手はず通り、その者にだけは予め用意しておいた食糧庫を見せ逃がしました。
今頃は報告が届いておるはずです」
「そうか。よくやってくれた。
だが、わかってはいるがもどかしいな。やはり私は敵陣に突っ込んでいく方が性に合っている」
苦笑いしながら腰に提げている得物を軽く叩いている。銘は、確か七星餓狼といったか。
そんな夏侯惇を諌めたのは、同じく苦笑いしている荀攸だ。
「本当に突撃しないでくださいよ?
私が戻ってこれたのは、夜明けと同時に奇襲をかけたことと、霞の騎馬術が優れていたおかげです。あの軍にまともに突っ込めば、貴女とで無事でいられる保証はないんですから」
夏侯惇は唇を尖らせている。案外子どもっぽいところもあるようだ。
「そうは言うがな、北郷
お前や桂花と違って小難しい事を考えるのは苦手なのだ。
こればっかりは生来のものなのだから仕方あるまい」
「では、同じ事をご主君にも直接言ってください。
それでお叱りを受けても、私は助けませんからね」
荀攸の言葉に、夏侯惇は降参とばかりに両手を上げた。
「わかったわかった。
今回は我慢するさ。だが――」
そこで、一瞬餓えた狼のそれに変わる。
「いつか、私を満足させる戦場を用意してくれ。
頼むぞ、北郷」
抑えきれない覇気が滲み出ている。それは、何処か主の曹操を思わせた。
圧倒されて、言葉が出てこない。
「近いうちに、必ず」
「そうか、約束だぞ。
……鮑信、どうした?」
気が付くと、夏侯惇が自分の顔を覗き込んでいた。
「い、いえ。引き続き、警戒に当たります」
「そうか。では、後は任せた」
そう言って振り返る。荀攸も、目礼をして後を追った。
思わず詰まっていた息が漏れる。
緊張で、息をするのを忘れていた。
唸りながら顎鬚を撫でる。驚かされることがあると鬚を撫でるのが、最近すっかり癖になってしまった。
以前は密かな自慢の鬚に白いものが混じり始めて落ち込んでいたが、近頃では少しずつ抜けてしまうのではないかという新しい心配ができてしまった。それほどに、曹操軍は傑物揃いだ。
突然ばしん、と大きな音がした。見ると、荀攸が夏侯惇に背中を叩かれたらしい。手を伸ばして背中を押さえながら苦笑いしている。夏侯惇も笑顔だ。同じく軍師で姪だという荀彧とはそりが合わないようだが、二人の仲は良好らしい。
鮑信が見る限り、荀攸は傑物揃いの曹操軍の中でも異質だった。かといって、何が異質なのかと問われてもはっきりこうだと答えることはできない。
幼い頃から荀彧が指導したというだけあって、智謀は中々のものではある。武のほうも、鮑信からすれば少々物足りないが、決して弱いわけではない。どちらも常識の範囲内だ。
良く言えば智に秀でた知友兼備。悪く言えば器用貧乏。
それが、荀攸に対する凡そ正確な評価だろう。
だが、鮑信は彼がそれだけではない何かを秘めているように感じる。その、彼が内に秘めた『何か』が現れたのが虎牢関での舌戦であり、先の軍議での発言だ。
『黄巾の民百三十万。その全てを、受け入れます』
一体彼以外の誰が百三十万もの賊の全てを受け入れようなどと考えるだろうか。
一体彼以外の誰が皇帝陛下を戦場にお連れし、舌戦に参加させようなどと考えるだろうか。
そんな事を考え、平然と実行する彼の存在それ自体が異質だ。そう思う。
再び唸りながら鬚を撫でる。この癖は、中々直りそうになかった。
「こらー!そこの鬚親父ー!!
戦の最中に考え事してぼーっと突っ立ってるんじゃないのー!!!」
頬を膨らませた于禁に怒鳴られてしまった。
「すまんすまん。
迷いは戦の後におくのが武人であったな」
片手でがしがしと後頭部を掻く。
「わかったのならさっさと兵の再編成するの!
さっきから報告するの待ってる人がいるの!!」
「おお、そうか。それはすまなかったな」
とんでもなく口が悪い今どきの娘だが、何故か多くの兵に慕われていた。
育った村を守るため、幼馴染二人と義勇兵として志願してきた心根の優しい娘だということは、兵の皆が知っている。
どうやら兵の大半が、手のかかる自分の娘のように思っているらしい。それは自分も同様だ。于禁が相手だと、どうしても甘くなってしまう。
この娘が幸せに暮らせる世を創るためにも、賊などに負けてはならない。
曹操軍の面々は、正直理解し難い。だが、わからぬままに信じることのできる将は全土に三人といない。曹孟徳こそその一人だ。この鮑信がそう見極めた。
この国を立て直す英雄は、あの曹操殿をおいておらぬ。
「于禁、再編案と兵の配置の変更案だ。曹操殿に報告してくれ」
気合を入れ直し、鮑信は兵に指示を出し始めた。
個人個人の練度はそこそこ。連携はよし。士気も及第点。
それが、夜襲の後秋蘭を伴って城内を見回った華琳の見立てだ。
三十万の大軍に攻め込まれているにしては、兵に動揺がない。無作為に――女性兵ばかりであったのはあくまでも偶然である――選んだ兵に聞くところによると、自らの威を見せつけようと無謀な出撃を繰り返す劉岱を度々諌めていたのが別の場所で指揮を執っている鮑信であったらしい。その結果劉岱は戦死し、逆に鮑信への兵の信頼は深まったというわけだ。
兵は今、交代で休息を取っている。策が上手くいっていれば、次の攻撃までにはまだ間があるはずだ。束の間の安らかな時間を、皆思い思いに過ごしていた。
そんな兵の中で、一人の少女が華琳の目に留まった。休憩中の兵の輪から距離を置き、無手の型の稽古をしている。
「秋蘭、少し此処で待ってなさい」
「御意」
秋蘭が一歩後ろに下がった。そのまま少女へと近づいていく。
近づくにつれ、よく練りこまれた気が感じられた。気の扱いは感覚的な要素が多く、先天的な才能がないと実践で扱えるほどにはならない。その意味では、この少女はかなりの才能の持ち主だ。おそらく内勁だけでなく、気を放出する外勁も修めているだろう。
五歩の距離で止まる。闇夜に似合う、浅黒い肌をした少女だ。周りの兵に比べて一際小柄だが、強い突きをする。生傷が多く、しかもかなり新しい傷もあった。
「名は?」
「楽進と申します!」
返事と同時に手甲に包まれた拳を突き出す。鋭く空気を切り裂く音がした。
「正規兵の服装ではないわね。義勇兵かしら」
「はい!賊に苦しめられている人々を救うため、幼馴染と共に劉岱殿の下に志願しました」
劉岱の下へ志願したということは、例の無謀な出撃にも従軍したのだろう。
「良く無事だったわね」
「運よく!」
今度は蹴り。脚も同様に脚甲が付いていた。
「では、死んだ者も運かしら?」
動きが一瞬止まる。
「賊に殺されることを、運と呼びたくはありません」
「そう……続けなさい」
型を再開した楽進に向けて手刀を出す。邪魔にはならないが、どうしても目に入る位置だ。
楽進は淀みなく動き続ける。華琳の気を意識しつつも、その動きに動揺は見られない。むしろ表情は集中し、目には澄みわたるものがある。
「外勁は使えるかしら?」
「はい」
「二分の力で、空に向かって放ってみなさい」
表情が引き締まる。大きく息を吸い込んで、気を練り始めた。
そして、吸った息を吐ききったところで――。
「猛虎蹴撃!」
鋭い蹴りが天に向かって放たれた。その先に、放出された気が一筋の直線を描いていく。華琳だけでなく、秋蘭や周りの兵も皆目で追っていた。
「見事ね。ついてきなさい、楽進」
「はい!」
これだけでも、この城に来た価値はあったわね。
自然と笑みが零れていた。
「……まだ痛みますよ。少しは手加減して下さい、元譲殿」
一刀の愚痴に夏侯惇はかんらかんらと笑った。
「そう言うな、北郷。信愛の情というやつだ。
お前を認めているからこそ、思いっきりやったんだぞ?」
嘘だ。少なくとも半分くらいは嘘だ。間違いない。
「それに、私程度でそんな事を言っていては身がもたんぞ。
文烈は季衣に何回も同じことをされている」
思いがけず曹休に対して仲間意識が芽生えた。戦の前に彼が怪我をしないように祈っておく。
「……と。噂をすれば、だ。
おーい!季衣!何をしている!?」
「あ!春蘭様ー!兄ちゃんも!
この人が作ったからくりすごいんだよ!!」
手をぶんぶん振りながら大声で少女が返事をする。本来ならば深夜の休憩時間には歓迎されない行為であるはずだが、兵は皆にこにこしながら少女を見つめていた。どうやら彼女の天真爛漫な性格は、この城の兵にもいい影響を与えているようだった。
夏侯惇と共に少女に近づく。
許チョ。字は仲康。曹操と同じ沛国の出身。『虎痴』の異名を持つ怪力無双の巨漢で、曹操の護衛として史実に名を残した。曹操は彼を我が樊カイと呼び、常に傍においていたという。
だが、目の前にいる少女はとてもそうは見えなかった。背丈は一刀の胸辺りまでしかなく、身体も腕も手荒に扱えば折れてしまいそうなほど細い。しかし彼女はこの細腕で、一刀よりも大きな鉄球を軽々と振り回すのだ。
「からくり?こんな処でそんな物を作っているのか?」
夏侯惇の疑問に、作成者であろう季衣と話していた少女はぶーぶーと文句を言った。
「そんな物って言い方はないでー。きちんと作れば、戦にも役に立つと思うんやけどなあ」
言いながら視線を下に落とす。そこにあったのは、支点を高くした木製のシーソーのような物のミニチュアだった。
「ちょい見といてや」
落ちていた小石を拾って片方の座席の上へ。転がらないようにしっかりと載せた後、もう片方の座席を指で軽く押さえた。すると、小石が勢いよく空へと飛んでいく。
「投石機、か」
「せやせや!李典特性投石機!
兄さんおひとつどうや?今ならお安くしとくで~」
ずいっと一刀に向かって身を乗り出してくる。ビキニスタイルの上半身も相まって迫力が凄い。だが、一刀が気になったのはそこではなかった。
「貴女は李典というのですか?」
「せやけど?」
可愛らしく首を傾げる。特徴的な髪が柔らかく揺れた。
「字は曼成?」
「せ、せや。兄さん、なんでうちの字知っとんの?」
今度は幾分困惑気味だ。
季衣も夏侯惇も不思議そうにこちらを見ている。
「北郷?」
「兄ちゃん?」
二人して顔を覗き込んでくるが、一刀はそんなことはお構いなしに思考を高速で回転させていた。
「――元譲殿」
「お、おう」
「ご主君のもとへ行きましょう。彼女を推挙します」
「へ?うち?」
突然の展開について往けず、李典はぽかんと口を開けていた。
この日、曹操軍の面々によって楽進、于禁、李典の三人が見いだされた。
彼女らは後に魏の三羽烏と称されることになる。
如何でしたでしょうか?
今年もこの作品が皆様の暇つぶしにでもなれば幸いです。
感想お待ちしております。