今回は蒼天航路から鮑信さん登場。
演義とかではあれな扱いですが、蒼天航路では中々のいい人です。
この作品を読んで、恋姫だけでなく蒼天航路にも興味を持って頂けたら望外の喜びです。
視界一面が人で埋め尽くされていた。
前後左右、何処を見ても人だらけ。平野部が、隙間なく人で埋め尽くされている。
群集に揉まれて脱落しないように、一刀は馬にしがみついた。あの張遼が傍に付いているとはいえ、一瞬たりとも気を抜くことができない。それは他の兵も同様だ。顔を引きつらせながら、必死に武器を振り回している。よく訓練され、精強を誇る曹操軍の兵も、少なからず恐怖を覚えているようだ。無理もない、と一刀は思う。
ここは、黄巾軍三十万のど真ん中なのだから。
「おらおらー!命が惜しかったらどかんかーい!!」
一人元気なのは、一刀より馬体1つ分先を往く霞だ。明け方に横っ腹から奇襲をかけたとはいえ、群集の真っ只中をまるで無人の野を往くが如く進んでいく。まるで水を得た魚のようだ。
霞曰く、騎馬隊で大軍を真っ二つに切り裂く快感は何物にも変え難い、らしい。
霞が先導してくれているおかげで、後方を往く馬は自然とそれについて行く形になる。僅かな方向転換も馬が自分で行うし、脚の速さも同様だ。マラソンや駅伝、自転車競技等のペースメーカーとその集団が近いだろうか。霞は、一刀が期待した役割をしっかりこなしてくれていた。
馬に脚が命じるままに駆けさせ、一刀は自分の役割に集中する。全体を俯瞰し、黄巾一人一人を見つめる。感覚を研ぎ澄ませ、士気や空気といったものを感じ取る。特異な点は決して見逃さないように。少しでも正確な情報を多く集めることが、一刀の役割だ。
そして、思う。
この群集は、異常すぎる、と。
それも全員が、だ。一人として例外はない。先ほどから襲い掛かってくる相手を切り伏せ続けている霞は、今頃不気味に感じているかもしれない。
――この中に長くいるのは危険だ。
そう判断を下し、先を往く霞に向かって声を張り上げた。
「霞!行軍速度を少しずつ上げてくれ!
集団を抜き終わったら、速度を緩めずそのまま撤退する!」
一刀の叫びに、霞は青龍偃月刀をぐるぐると回した。了解の合図だ。
さらに速度を上げた霞の馬についてゆけるように、手綱をしっかりと握りしめた。
黄巾軍を突っ切って暫く後。
追跡を完全に振り切ったことを確認してから停止、降馬の許可を出す。
兵は皆、どう、と音を立てて座り込んだ。冷や汗をかいている者もいる。
そんな中、霞は未だに馬に乗ったままだった。
「霞」
声を掛けても反応がない。
どうすべきか迷っていると、こちらに顔を向けないまま霞がぽつりと呟いた。
「一刀」
「霞?」
「なんや、あれ」
振り向いた霞の顔には、恐怖が浮かんでいた。
「うち、最初はええ気分やってん。
数だけは多いけど、所詮は賊や。簡単に切り崩せとる、って」
その通りではある。実際、兵の練度は高くはなかった。
「せやけど、あいつら皆同じ顔やねん。、
うちにどんだけ仲間殺られても、どんな怪我しても、顔色一つ変えんと突っ込んできよる。
みーんな同じ無表情のまんまや。
あれは、やばいで。鮑信のおっさんの言うた通りや」
「……ああ」
うなずきを返す。
確かに、以前の黄巾党とは明らかに違う。
反乱初期の彼らには、様々なタイプがいた。
漢朝への不満、恨みを爆発させる者。
食うに困り、自暴自棄になって反乱に参加した者。
全てを諦め、絶望を目に宿した者。
だが今回の黄巾は、その何れとも異なっている。
彼らの目には、感情というものが一切映っていなかった。何も映していない、完璧な無だ。
まるでそうプログラミングされた機械のように、ただ進軍して目の前の敵を屠っていく。
何かに操られているようなあの状態は、まるで――。
「催眠術?」
「なんやて?」
思わず口に出してしまっていた。
霞に催眠術などと言ってもわからないだろう。
「まるで、噂に聞く五胡の妖術みたいだな、ってね」
場を和ませるように軽く言ったが、予想に反して霞は真剣な顔のままだった。
「……それ、当たりかもしれへん」
「え?」
思いがけない言葉に霞の顔をまじまじと見ると、顔をぷいっと逸らされてしまった。僅かに見える頬が赤い。
「洛陽におる時にな。黄巾の親玉が旅芸人らしい、って王允の爺ちゃんが言うとったやろ。
そんで、その親玉が芸を見せる時に妖術も使うらしいってことも聞いたことあんねん。
あの顔は、どう見ても普通やない。
一刀の言うとうり、妖術使っとるんなら、むしろ納得や」
なるほど、しかし――。
「自分で言っておいてなんだけど、あんなに大勢の人を操る妖術なんてあるのか?」
「それはわからへん。
うちが聞いたのは、妖術で遠くまで歌が聞こえるようにしとった、っていうだけや」
声を遠くまで届ける妖術。そのようなものがあれば、集団に催眠をかけることも可能かもしれない。
旅芸人の芸を実際に見たことはないが、話を聞く分には現代のライヴのようなものだろうか。それならば、一度行ったことがある。あの独特な熱狂、興奮。ライヴ中は、会場全体がトランス状態を共有しているようなものだ。その熱狂は、コンサートの主が方向性を与えてやれば、容易く暴動へと変化してもおかしくない。それは、ある種宗教の教祖と、狂信的に付き従う信者の関係に似ているのではないだろうか。
史実の黄巾の乱は、確か太平道という宗教団体による反乱だったはずだ。
この世界では、中々張角達の実像が見えてこなかったが、思わぬところで符号しているのかもしれない。
「霞、戻ろう。
一刻も早く、このことを皆に伝えないと」
「了解や!
全員乗馬!全速力で城に戻るで!」
霞と並んで駆けだすと、後方で兵が慌てて乗馬していた。
「一刀、ええ顔しとるな」
「そうか?」
自分では、特に変わっているつもりはないのだが。
「そや。虎牢関で、一人で袁紹に啖呵切った時と同じ顔しとる。
……かっこええで」
「え?最後聞こえなかったぞ?何て言ったんだ?」
「何でもあれへーん!」
霞は楽しそうに笑っていた。
「――では、今この城に攻め寄せようとしている三十万の大軍は、全て操られているというの?」
曹操の声は訝し気だ。
「北郷殿の言う通りやもしれませんぞ、曹操殿。
ひたすらに敵を屠るあの残虐性、手足が捥がれようが一顧だにせず進軍を続けるあの不気味さ。どちらも常人ではあり得ませぬ。むしろ、妖術か何かで操られていると言われて今更ながら納得しております」
鮑信が顎鬚を撫でながら唸った。
立派であっただろう髭には白いものが混じり始めている。劉岱が死して以降、敗残兵を一人で取りまとめ、救援が来るまで撤退戦を繰り返していたのだ。その苦労が現れている。
「実際に黄巾の兵を間近で見てきた貴方達がそう言うのなら信じましょう。
けれど、そうすると奇襲戦は悪手になりそうね」
曹操が当初予定していたのは、相手の兵力を減らすことを目的とするのではなく、隊をいくつかに分け奇襲を繰り返すことで戦意と士気を下げる作戦だった。明確な指揮系統がない軍や、飢民農民の寄せ集めである黄巾軍には効果的ではある。しかし、あの軍に対して心理的、精神的な作戦がどれ程の意味があるかは疑問だ。
「おそらく、黄巾の兵があのような状態になった原因は本拠地である青州にあります。あの軍はできる限り相手にせず、その原因を取り除くのが良策かと」
「ならば……桂花!」
曹操の声に、桂花は間髪入れずに応える。
「はい!まずは斥候を。城にはうなるほど食糧が蓄えられているとの流言飛語を青州方面に向かって放ちます。その流言が効果を表すまで、この城で籠城を。
さらに華琳様のお許しを頂ければ、伝令を二つほど発したいのですが」
曹操の口角が上がる。
「冀州の麗羽、徐州の陶謙にね?」
桂花もまたにやっと嗤った。
「文面は、百三十万の賊軍全て制圧の場を御検分されたし、で如何でしょうか?」
「それでいいわ。早速やりなさい」
「御意!」
こちらに一瞬だけ視線を向け、桂花は部屋を出て行った。
次に発言したのは、腕を組んで話を聞いていた陳宮だ。
「伝令によって袁紹、陶謙が動いてもよし。あるいは動かずともよし。
つまりは伝令そのものに意味がある、と。その伝令を黄巾の本隊が知れば動かずにはいられないのです」
「その通りよ。北郷の言う通り、戦術以外の才能もあるみたいね」
「ふん!」
曹操が褒めるも、陳宮は鼻を鳴らしてこちらを睨むだけだった。本来ならば不敬もいいところではあるが、見た目も相まって皆苦笑いするだけだ。
「し、しかし仮に操られている原因が取り除かれたとしても大軍は大軍のままです!一体どのように鎮圧するおつもりか!?」
鮑信が話の流れについてゆけずに狼狽えている。
「鎮圧する必要はありません」
「何!?」
「黄巾の民百三十万。その全てを、受け入れます」
そう言った一刀の顔を、霞が楽しそうに見つめていた。
同時刻、黄巾本隊。
眼鏡をかけた少女が、頭部全体を黄巾で覆った人物と話している。声からすると、男だ。
「……本当に、姉さんは無事なんでしょうね」
「ああ、安心しろ。約束通り、俺は指一本触れていない。
そのかわり、食事も与えていないがな。早く城を攻め落とさないと、餓死してしまうかもしれないぞ?」
どうする?北郷一刀。
男は、頭巾の中だけでそう呟いた。
如何でしたでしょうか?
最後のシーンであの人がようやく登場。頭巾のイメージは信長協奏曲の明智光秀君です。
彼は今回ルール違反すれすれのことをやってます。顔を隠していて、なおかつ直接傷つけてはいませんが害は与えるという……。
次は三十万の黄巾との戦闘シーンです。
感想お待ちしております。