自分で書いておいてなんですが、本当に話が進みませんね。これ。
新が正面玄関の方角に向かっていくに従って、轟音と剣尖のぶつかり合う音、そして辺りに転がる瓦礫の量が多くなっていっていることがわかった。
この先で、サルバトーレとヴォバン侯爵が激闘を演じているのだろう。二つの巨大な魔力が激突し合っているのが何となくだが、分かる。
(あいつ……完全に劣勢状態とかになってなきゃいいけど)
戦場に向かって走っていく新の視界の隅に、爆風と雷撃によって倒壊していく城の南側が写る。これまでの嵐の威力よりも格段に大きくなっているのが目に見えてわかる。おそらく、儀式場が破壊されてしまったためにそれが傷つかないための手加減をする必要がなくなったという事だろうか。
(しまったな……こんなことなら儀式場の破壊はもっと後のほうがよかったか)
眉を顰めて後悔するが、そんな事をしている場合ではない。
これから行うべきはサルバトーレの援護を行いながらのヴォバン侯爵の撃破。話し合いと交渉による駆け引きも一応考慮に入れているが、おそらくその手段を使うことはあるまい。根っからのバトルジャンキーにそんな事を言っても無駄だろうからだ。
(消耗が少し惜しいがしょうがないか……。加速、2倍速)
瞬間、新の移動速度が倍になった。
実際には新がこの空間の1秒につき2秒分動いていることが原因なのだが、その事はまあ、大した問題ではない。早く到着できればそれでいいのだ。
また、新が内部時間制御を行っている際はその加速、減速時間によって消耗が大きくなる。2倍速程度ならばしばらくの間そのままでも問題はないが、10倍速や20倍速になると長時間の使用は難しくなる。100倍速にもなると、完全に短時間の使用でしか行使できない。
まあ、その制限を差し引いたとしてもこの権能は非常に優れた物なのだが。
新が正面玄関付近に接近したときには、もはや正面玄関と呼べるものは無かった。
強いて言うならば、正面玄関跡というべきだろうか。そこは恐らく、訪れる人々を歓迎するために重厚な扉や様々な美術品によって飾り立てられていたのだろうが、もう推測しかできない程に破壊されていた。
(勿体ないな。画家や彫刻家の人たちが草葉の陰で泣いてるぞ、多分)
この破壊されつくした美術品は全部で一体いくら分の価値があったんだろうか。日本円で億を超えていたら誰かが泣くだろう。製作者のみなさん、是非とも安らかに眠ってくれ。
そんな新の追悼の意に水を差したのは、銀色の光と雷撃の激突による衝撃だった。
「……ッ!」
新は正面玄関ではなく、そこよりも東側にあった、見張り台として建造されたと思われる尖塔付近に目を向ける。
そこは恐らく、この周辺で行われた全破壊行動の中心点なのだろう。
そこにいたのは、さっきまで一緒に行動していたイタリア人のサルバトーレ・ドニだった。ここから見るだけでも全身が傷だらけだ。そして、何やら腕が銀色に輝いている。おそらく、それが彼の権能なのだろう。詳しくは良くわからないが。
そしてもう一人。
いや、それを人として区別するべきなのだろうか?そこにいたのは巨大な灰色の狼で、サルバトーレと相対しているのは間違いないようだ。しかし、ヴォバン侯爵の姿が見えなかった。どこにいるのだろうか?
新が観察していると、ふとサルバトーレが視線に気付いたのかこちらを振り向く。
「おお!待ってたよ、新!思ったよりも時間がかかってたみたいだねえ!」
案の定、こちらに向けて叫ばれた。思わず思う。
(馬鹿野郎。ヴォバン侯爵を奇襲しようと思ってたのに何やってんだよ)
「ほう………貴様が儀式場を破壊した小僧か。やってくれたものだな、私のしばしの慰めの時を台無しにしてしまうとは」
なんと狼が侯爵だったようだ。
成程、自分に向けられる殺気はたかが狼程度が向けられるものではない。
「………!あんたがヴォバン侯爵なのか。ビックリだな、狼にまで変身できるとは思ってなかったよ」
新は右手を水平に掲げ、クロを召喚する。黒色の炎が揺らめきながら、体長3mほどの黒鳥が20羽ほど、新の周りを旋回しながら現れた。
新は手加減する気など毛頭無かった。相手は現存する世界最古の大魔王だ。これからの戦いが援護が中心であったとしても、気と手を抜く要素にはなりえない。
「ほう……それは貴様の眷属か、小僧」
「眷属……どちらかと言えば相棒という方が近いな。俺はあんたみたいに変身はできないけど、信頼できる奴らさ」
新が腕を振ると、クロたちがヴォバン侯爵の周りを旋回し始める。その色から連想されるものなのだろうか?その光景は、根拠は無しに不吉なものも感じさせた。
「この程度のもので、私をどうにかできると思っているのか?少年」
「思っちゃいないさ。でも、俺がこれからするのは援護活動。あんたの気を散らし、行動の妨害を中心にするからね。今の所はこれで十分だろうよ」
「え!?新も一緒に戦わないの!?カンピオーネ同士の三つ巴なんて面白いと思うんだけど」
新とヴォバン侯爵の会話に口を挟んだのは蚊帳の外に置かれかけていたサルバトーレ・ドニだった。そして、何か聞き捨てならない爆弾発言も一緒に投げつけられた気がする。
「…………なあ、ちょっと考えてみようぜ。今そんなバトルロイヤルをしたら決闘とか跡形も残らない程に訳わかんなくなるだろうよ」
「む、そうか……。3人での決闘とかダメかな?」
「決闘とか言ってる時点で無理だろ。戦争してんじゃないんだからさ」
サルバトーレ・ドニは確かにバトルジャンキーだが、根本的な所で騎士という事実には助かった。彼の戦いはあくまで決闘によるもので、ヴォバン侯爵のような狩りは行わない。巻き込まれる人にとっては似たようなものなのかもしれないが、少なくとも決闘という定義に則った戦いを基本としているのが彼の戦い方と言えた。
サルバトーレを何とか丸め込んだ新は心の中で嘆息した。危なかった。バトルロイヤルなんて冗談じゃない。必要もないのに生存率が著しく下がってしまう危険な橋なんて渡りたくはない。
安堵していた新は、ヴォバン侯爵が笑っていることに気付いた。
「クククッ……まさか2人の「王」と同時に戦うことができるとはな。ふいになってしまった儀式もただで破壊されたわけではないという事か。神の招来の儀式が「王」を釣る餌になるとは思ってもみなかったが」
流石バトルジャンキーという事か。1対2で戦うというこの状況においても楽しくて仕方がないらしい。
その笑いを見て、新は気を引き締める。これから死線を潜ることになるだろうから、集中力はいくつあっても足りない。
不意に、新は周囲から突然に無数の殺気を浴びた。
地面の陰から浮かび上がってきたのは100人にもなるだろうか、死せる従僕だった。直感する。この死人たちの1人1人の質はこれまで見てきた死せる従僕たちよりもはるかに高い。おそらく、生前は名を馳せた騎士たちだったのだろう。
(今思うのもあれだが……惨いもんだな)
生きている間は栄光に包まれただろう騎士たちが、今ではゾンビになって魔王に捕えられ、好き勝手戦わされている。
早く楽にしてあげたいもんだ。そう思った。
「なあ、ヴォバン侯爵さんよ。あんたの言葉を返すわけじゃあ無いが、こいつらで俺を倒せると思っているのか?」
しかし、その事は今気にしておく事ではない。新は冷めた目で侯爵を見つめる。が、ヴォバン侯爵はその問いかけに鼻を鳴らした。
「構わんよ。あの剣の小僧を仕留めるまでの時間稼ぎだ。それまでわが精鋭たちで遊んでいるといい」
そう言って侯爵は狼から人間の姿に戻っていく。それに従って戦場の周囲、瓦礫の上や巨大な柱のそば、ここから見える2階への入り口にまで、新の視界全てに大きな灰色狼が次々と現れ出した。
これが『貪る群狼』の全開状態なのだろう。数百頭にも上る狼を使役し、これまでいくつもの町を壊滅させてきたヴォバン侯爵第一の権能。クロたちを最大限に分化させれば同じように壮観な光景が現れるかもしれないが、ここまでの威圧感は出まい。おそらく、接近戦ではサルバトーレを倒すのは難しいと踏んで、ロング・ミドルレンジでの攻撃に専念してきたのだろう。
だとすれば、いかにしてクロスレンジでの戦いに持ち込めるかが鍵になっていくはず。はっきり言って、ヴォバン侯爵は接近戦に強いとは思えないのでそこに持ち込めれば勝機はある。
新はともかくとして、サルバトーレは近距離戦に特化して強いからそこをうまく援護してやらねばならないだろう。
しかし、今の新にはその余裕はない。
新を取り囲むのは数十人にも及ぶ死せる従僕。彼らから発せられる殺気を一身に浴びながら、新は集中するために呼吸を整える。
そして自分に斬りかかってきた従僕達に対して、呼吸を整えていた新は叫んだ。
「加速、20倍速!」
襲い掛かってくる剣や槍、斧に至るまでの武器を躱し続ける。その速さは依然受けた死人たちと比べれば明らかに速い。しかし、それでもその速さは躱せない程ではないため新は攻撃を次々と躱し、加速効果を死人たちの上半身に直接かけることで死人たちを葬っていく。
「減速、10倍速」
「加速、15倍速」
「加速、8倍速」
「減速、10倍速」
「加速、25倍速」
「加速、20倍速」
ここまで急緩をつけながら走り回ったのは体力テストの反復横跳び以来かもしれない。時には死人達の方を減速させながら360度全ての方角から襲い掛かる刃を避け、いなし、さらに時には破壊しながら死人たちの方も仕留めていく。
ちなみに、先程召喚したクロたちは自律的にサルバトーレの援護に回るように指示してある。『貪る群狼』の様に一匹一匹戦闘に強い訳ではないが、クロたちはとても頭がいいのだ。命令をしっかりこなすだけではなく、必要に応じてアドリブを加えることができるほどの頭の良さを持っているところがほかの神獣よりも優れている所だろう。
命令を聞いてただ実行するだけのマニュアル神獣とは違うのだ。流石は、知能に優れた鳥という事だろうか。
「加速、20倍速」
「減速、15倍速」
「加速、20倍速」
「加速、30倍速」
(…………………ぐっ)
もう既に数十人の死人たちを仕留めている筈だったが、新にはいまだ無数の剣の数々が襲い掛かってくる。しかもその攻撃には一つとして単調なものはなかった。フェイントを織り交ぜ、魔術による射撃で牽制をしながら、隠された本命の攻撃は正確に新の急所を撃ち抜かんとしてきた。
流石は生前に強者として名を馳せた騎士たちと言える。その結果か、新には権能の連続使用による負担が重くのしかかり始めていた。
(やばいぞ……頭が朦朧としてきた)
「加速、25倍速」
「加速、15倍速」
「減速、10倍速」
「加速、30倍速」
「減速、20倍速」
(………………ぐっ)
内部時間制御の同時並行使用は新の体に大きな負担がかかる。特に、加速と減速の同時使用はたとえ一時的にしても体が軋みを上げているように感じられてきた。
左側より襲い掛かる両手剣を体を捻って避け、その時の姿勢を狙ったとしか思えない正確さで女騎士が繰り出す槍が、新の頭部を貫かんと高速で突き上げてくる。
それに対して新は槍自体を減速させることで攻撃をやり過ごす。その姿は傍目から見れば、まるで空中に槍が止まっているかのように見えた。
加速している時の客観的な時間はそれぞれ1秒ほどだが、それ以上の時間をかけることはできない。数十倍の時間操作に数秒を費やせば、負担の増大によって回避行動に失敗し、もう既に剣や槍に貫かれていた可能性もある。
「――――――ッ!らあっ!!」
地面に落ちた剣と手に取り、こちらを貫かんとする槍を弾き逆に喉元に突き刺し返す。
それによって行動不可能になったのか、塵になった槍使いの姿を見て新はホッとしてしまったのが痛かった。
その刹那、
「ぐあああっ!!??」
いつの間に接近されたのか、後方から襲い掛かってきた騎士によって腹部に斬撃を受けてしまう。そして苦痛に表情が歪む一瞬が致命的だった。
新の一瞬の隙を突き、全方位から死人たちが襲い掛かる。新の今の体勢からでは10倍や20倍の加速では間に合わない。それ以上の速さの加速でも完全にかわすことができるとは思えなかった。
それを悟った新は内部時間制御を使わなかった。そのまま、目を閉じる。
(暁の炎よ、大いなる翼となりて数多の敵を焼き払え!)
数十の刃が新を刺し貫かんと迫る。正にその瞬間、焔が溢れだした。
黒の焔が新を爆心地として燃え上がり、火炎の爆風となる。
巨大な翼の羽ばたきのようにも見えたその炎は、周囲の死人たちを焼き払い跡形もなく消し飛ばしていく。
「はあっ……はあっ……」
息を荒らげながら膝を落としていた新は立ち上がる。
新の周辺を取り囲み、焔に焼かれた死人たちが死せる従僕の全てだったようで、もはや新に襲い掛からんとする者は存在しないようだった。
(まさか、こいつを使うことになるとは思ってなかったな)
先程、死せる従僕たちを殲滅したのは八咫烏を召喚する権能の応用。クロを召喚する際に顕れる炎を一時的に爆発されることで周囲を焼き払う力。クロの召喚に力を使わないのがポイントだ。
(それで………あっちの戦況はどうなってるんだ?)
サルバトーレの援護に向かわせていたクロたちから報告を受ける。
思っていたよりも、戦況はサルバトーレに不利になっていた。
すでに、放っていたクロたちは20羽から8羽までその数を減らしていた。クロ達が相手の攻撃方法を分析し、上空からのヒットアンドアウェイ戦術に攻撃を徹底していたとはいえ、強風によって地面に叩き付けられたり、雷によって焼き払われたクロたちが相当数いたという事だろう。幸い、狼達によって倒されたクロたちはいない様だったが。
そして、戦闘の再開からさらに傷の増えたサルバトーレの方はヴォバン侯爵に近づくこともできないでいた。押し寄せる風雨雷霆を斬り払うことで精一杯になっている。『貪る群狼』はクロたちが寄せ付けないでいられているが、それだけだ。普通に考えて、剣一本で強風や稲妻を斬り裂け続けられているというだけで驚異的という他無いが今この状況ではそんなことは言っていられない。
(マズいな………)
新は眉をしかめる。
サルバトーレとクロたちの消耗の件もそうだが、それよりも防御に手一杯で、攻撃が行えていないというのが大問題だ。
サルバトーレが楯を持っているのならばまだしも、彼は防具の類は一切付けていない。つまり、攻撃のみに特化した戦闘スタイルを採っているという事だ。それなのに、防御しかできていないならばここから先ジリ貧になるしかない。
攻撃の道具だけで防御し続ければ、必ずどこかで綻びが見えてくる。持ち堪えられる時間はそう多くはない。そう思った新はサルバトーレ援護のため、走り出す。
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自分が数時間前にこの城をから逃げ帰ってきたときとは、城の姿は大きく様変わりしていた。
雷雲の中から溢れ出る稲光、そして爆風。それらが地上を襲いかからんとするとき、銀色の輝きが天を裂く。切り裂かれた稲妻は城壁になだれ込み、炸裂する。砕け散った城壁の崩れ落ちる音がここに聞こえてくる前に、再び輝いた銀色の光が空に踊る。
「何……………これ……」
それは正に神話の世界の戦いだった。
人間ではどうあがいてもこの景色と同じことはできまい。2つの光が溶け合いながら交差する。暗闇の中であってもはっきりと見ることのできる金の雷光と銀の閃光は互いに火花を散らし、全力で戦い合っているようだった。
「………………ッ!」
この戦いの景色を遠目から見ているのは1人の少女。フィンランドの魔術結社『鈴蘭白十字』に所属する大騎士、カティ・ルフタサーリ。
今夜神の招来が行われると分析し、怪我をしている体にもかかわらず妹を助けに来た少女だった。
そして、今この少女に湧き上がっているのは後悔の念。
(もう儀式は始まっちゃってた………遅かったな)
本来の目的では儀式の開始前に城に侵入し、妹のスティーナを助け出す予定だった。しかし、既に儀式は行われヴォバン侯爵と顕現した神との戦いが始まっている。もはや、スティーナをはじめとした巫女たちの中で無事な人間はほとんどいない筈だ。
(でもっ!……スティーナはまだ無事かもしれないし、もしそうならあの戦いから逃げる事はできていないはず)
神の招来の儀式を生き抜くことができていたとしても、儀式においての負担は相当なものになっている筈。それなら、儀式場にへたり込んだままその場が戦場になるのを見ていることになっていてもおかしくはない。
(どちらにしても、早く行かないとダメだ。スティーナの他の巫女の人達もできる限り助けてあげたいし)
これからの方針を決定したカティは降りしきる雨を切って走り出す。身体強化の魔術を行使し、生い茂る木々の間をすり抜けていく。
カティが目指したのは正に戦場となっている表門の方角ではなく、戦いの爪痕は刻まれているとしても未だに戦場とはなっていない側面の方角からだった。
(あんな馬鹿馬鹿しい戦場に潜ってなんか行けない。回り込もう)
舗装された道を逸れ、暗闇の中を跳び駆けていくカティ。
もしも、カティが正面からの突破を敢行していたとすれば新と数時間ぶりの再会を果たしていたかもしれないが、その道を選ばなかった彼女はまだ冷静だったといえる。
(これが終わったら……起きてきた新と一緒に朝ご飯を食べよう。もし大丈夫そうだったらスティーナも一緒に。……うん!頑張ろう!)
拳を握り、気合を入れ直す。
正門の方角で行われている戦いは更に激しさを増し、遠目だが何か黒色の炎が見えるようにもなっていた。その規模はもはや自然災害の域に達している。あんなものに唯の人間が巻き込まれたら怪我だけでは済まないだろう。
(急ごう。あの戦いがスティーナや巫女の人達を巻き込んでしまう前に)
暗闇の中、カティは疾走する。
空の稲光が、僅かに彼女の姿を照らしていた。
今回の戦闘において新の負荷が増大したのは、より速い加速を使ったという要因よりも新自身への加速と死せる従僕たちへの減速を連続で行使し続けたというのが大きいです。
ですので、いつも通りにクロ達が守っている時はともかくとして、新は一対多においての戦闘はあまり向いていません。