思ったよりもこの章に時間がかかりそうです。
深夜、ハルシュタットの町。
明るい月を見ることのできる空は既に無かった。
先程まで通りを楽しそうに歩き、地元の人間や観光客の区別なく様々な事を楽しそうに語り合っていた人々は雷鳴を響かせる上空の雲に怪訝な目を向けていた。
オーストリアをはじめとした大陸の中にある内陸国では、積乱雲の姿を見ること自体殆ど無いといっていい。雷を発する積乱雲そのものが、海で発生することが大多数を占めるためだ。
そのハルシュタットの町の中、観光客向けと思われるホテルのロビー。そこにはプラチナブロンドの髪を後ろで束ねた少女が外に出ようとしていた。
(んーと、新はいないよね、よし!)
その少女の名はカティ・ルフタサーリ。
フィンランドの魔術結社、『鈴蘭白十字』に所属する魔術師で、弱冠15歳で大騎士の称号を得た天才。
そしてつい数時間前に、新にその命を救われた少女だった。
その彼女はロビーに自分を救ってくれた少年がいないかどうか確かめ、いないとわかるとロビーに自分の部屋のカギを預けて外に飛び出した。
(待っててね、スティーナ!お姉ちゃんが助けてあげるから!)
人通りの少なくなった街道をカティは疾走する。
加速のついたところで、身体強化の魔術を行使しビルの上に飛び上がる。その後立ち並ぶビルの上を跳びながら走り抜ける。
その姿を新が見たならば、何をやっているんだろうとため息をついただろう。
いくら回復魔法の恩恵があるとはいえ、こんな早い段階から彼女が外に飛び出してくるのはさすがに早すぎた。
それはつまり、彼女の傷はまだ完全には癒えていないことを意味する。
が、それでも彼女は今夜城に再突撃しようと決断した。
(この雲……間違いない、ヴォバン侯爵が呼んだものだ)
カティはここ一帯を覆う雷雲が発生した原因を知っていた。
ヴォバン侯爵の権能の一つ、『疾風怒濤』。依然聞いた話では、ヴォバン侯爵の精神が高ぶると自動的に嵐が起こってしまうらしい。迷惑な性質だ。
そしてその話が本当ならば、この現象の説明がつく。まだ雷鳴しか轟いていないのは、まだ本格的に神と戦う精神状態では無いということなのだろう。
しかし、それでも時間がないということに変わりはない。
僅かであっても侯爵が戦闘状態へとシフトしたということは、儀式の開始する時が迫っているという証左となり得るのだから。
(このことを知ったら、新は怒るだろうな)
ビルの上を駆け抜ける最中、思い出されるのは『貪る群狼』から自分を助け、夕食を共にした少年の顔。
大騎士の自分であっても絶対にできそうのない芸当をやってのけた謎の少年。
彼女の中には少年に助けを求め、共に城に向かうという選択肢も可能性としては当然あった。
が。
(カンピオーネと敵対するような行動をとるなんて、そんな危険なことお願いできないよね。少しでも間違ってしまえば死んじゃうのに)
最も、もう既にその少年は、古城に向けて移動してしまっていることにカティは全く気付いていないのだが。
彼女にとって、本来無関係の他人を自分の我が儘につき合わせることはあり得なかった。だから、一瞬でも頼ろうとしたことを否定し、新は巻き込まないと決めた。自分のやろうとしていることは、まさしく天に唾する行為と等しいと思っていたから。
(まあ、そのまま死んじゃうっていうのならまだいい方なんだろうけど)
彼女が思い出すのは侯爵のもう一つの権能。
自分が殺害した人間をリビングデッドとしてこの世に留め置き、自分の下僕として絶対服従させる権能。
確か、その名は『死せる従僕の檻』。
そんなものに束縛されるくらいなら、今すぐ死んでしまった方がまだ幾分かマシだろう。
それでも。
(まあいいや。私がするのはスティーナの救出、あとできれば儀式の妨害。その2つだけ。もしも失敗したなら、そのことはその時に考えればいい)
カティは迷わない。
これまでも修羅場なら幾度も潜り抜けてきたのだ。そのレベルが今までと20~30倍になっただけの話。自分が考えるのは成功する未来だけでいい。
(待っててね、スティーナ)
周囲は完全に闇に包まれ、近くを見通すことも困難になっている。
にもかかわらず、カティの姿は町を離れ、彼女は北西に向けて疾走する。
その姿は、戦場へと赴く戦乙女のように見えた。
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目的地である古城が近くに見えてくる。
先程まで雷鳴のみが響き渡っていた真っ黒な空は、微かながら雷光までもが顔を出すようになっていた。断続的とはいえ、微かながら光源があらわれたというのは新にとって正直ありがたかった。
それと同時に、風も強くなる。それはまるで台風が遠い南の空から接近しているという映像を、コマ送りで体験しているようだった。
もはや何故雨が降り出していないのかが不思議に思えてくる、そんな空だった。今の天候の上、雨まで降られると正直参るからこのままでいいとは思っているのだが。
「―――――という事があの城で起ころうとしているんだよ、分かったか?」
南条新とサルバトーレ・ドニは共に古城へ向かっていた。
互いに名前を教えあった後、新が自分もカンピオーネであると告白したのだ。
またその時、
「へえ、やっぱりそうだったんだ!いや、ラッキーだね!こんな所で僕の同類に出会えるなんて!」
なんて喜ばれたり、
「ねえ新、ちょっと肩慣らしに決闘してみない?」
などという馬鹿な事を言われ、そもそもここに来た目的についてサルバトーレ・ドニを説き伏せようと四苦八苦したり、その過程で
「ねえ新、ちょっとこの剣を受けてみてくれない?」
などと言われ、思いっきり斬りかかられた(ちなみに、新にはこれまでの会話でどうしてそうなってしまったのか全く分からなかった。接続語や話の展開を完全にぶっちぎっていたとしか思えない)。
釣竿ケースを肩にかけていたのは剣を入れるためだったようで、そこから取り出した剣で一片の躊躇や手加減も感じられないまま真剣と思われる剣による斬撃を受ける羽目になった。
とはいえ新もただやられるわけにはいかず、その斬撃を交わした後、剣が振り下ろされた直後の一瞬にも満たない時間を突き、鋼鉄製と思われる剣を思わず完全に折ってしまった。
そしたらいきなり斬りつけてきた張本人は、
「ああッ!!僕の剣があ~~~~」
かなりというか、新が今まで見た中で一番のへこみ様を見せてくれた。
「いきなり斬りかかられて来たんだから、そうするだろ。フツー」
新は完全に冷めた目でサルバトーレ・ドニを見下ろす。
ふと折られた剣を見てみると、鋼鉄製ではあるものの意外にもその剣は真剣ではなく刃が潰れたレプリカのようだった。
その事について今土下座スタイルを貫いている魔王に尋ねてみると、
「へ?ああ、その剣はとっても親切な人に買ってもらったんだよ」
「親切な人?」
「うん。えーと、確か名前はエバラ・ブリリアントだっけ?」
両手と両膝を地面につけたままそういわれた。誰だよそれは。
鰤を焼肉のたれで焼いているような人だな。新はほぼ確実に間違っているであろう名前を聞いてそう思った。
「まあ壊れてしまったんだからしょうがないじゃないか。あの城には剣ぐらいあるだろ」
新はそう言って肩をたたきながらサルバトーレ・ドニを慰める。新にも自覚はあったが、その声には全く反省の色は感じられなかった。
そのようなことがあり、新は剣が折れてから10分後には回復したサルバトーレ・ドニにこの先の城において行われる神の招来の儀式について説明している、というのが現在の状況だった。
「へえ――。あの爺さんはそんな事をしようとしていたんだね」
サルバトーレ・ドニは笑いながら喋っている。
剣を持っていないことに対して居心地が悪いのか、彼は柄だけになった剣を持ったまま歩いていた。この辺り、この人間の性質があらわれている気がする。
「と、言う訳で。俺はこれから何でもいいから儀式に関する物をぶっ壊してあのくそ爺侯爵のやろうとする事を妨害してやろうと思っているんだよ」
「え?なんで?」
「…………なんでって」
その返答は予測してなかった。
「人様に迷惑どころか死人が出るかもしれない被害を強制させておいて、自分は神様と戦おーイヤッホー的な思考回路が気に食わん」
新がそう言うと、サルバトーレ・ドニは不満そうに口を尖らせる。
「え~~。でもさ、折角カンピオーネになったんだし、神様と戦ってみたくならない?」
「ならねーよ。まあ、別に戦うのはいいんだよ。それは各個人の自由だ。でもさ、必要もないのにわざわざ地中に埋まっている爆弾を掘り起こした上に、それに火をつけて爆発させ、人様に迷惑をかけまくるのは何なんだってことさ」
「分からないなあ。強い奴らと戦えるんだし、それに見合うだけの少し位の苦労はやってもいいんじゃない?」
「強い奴と戦うのは苦労じゃないのかよ……」
平行線をたどる話し合い。しかし、サルバトーレ・ドニという人間を知る人たちにとって、理由は様々にせよ途中で会話が理不尽に中断してしまわないこの光景は驚愕以外の何物でもなかった。
その原因としては、やはり彼の剣が失われてしまったことが大きいのだろう。未だ彼は自分の権能を完全に掌握しきっておらず、更に彼の保有する唯一の武具が無くなってしまったことで、彼の関心はすっかり城に到着した後でどれほど早く剣を入手するかという事に占められていた。
ふと新は、疑問に思っていたことを口にする。
「なあ、ちょっと聞きたいんだが……」
「ん、何だい新」
「そんなに強い奴と戦いたいんならさ……ヴォバン侯爵と戦えばいいんじゃねえの?」
「……………!!」
そんなこと全く思っていなかったという風に、サルバトーレは驚愕に目を見開く。
「な、なるほど……。でもさ、やっぱり神様の方とも戦いたいよね」
(ちっ。やっぱりそこがネックになるか)
「馬鹿だな。ヴォバン侯爵ってのはそんじょそこらの神様なんかよりもずっと強いカンピオーネなんだぞ。そんなのと戦って、その後でまたすぐに神様と戦う気かよ」
「むっ……!そうか、そうだね。いくらなんでもそんなことじゃあ疲れるか……じゃあ僕は侯爵で新は神様…、いや、やっぱり神様とも戦ってみたいし……」
サルバトーレは一体誰と戦うか額に指を当てて悩み込んでいた。明るいラテン系の顔にその姿は見事なほどに似合っていない。
新は早くこっちと協力する方向で決まればいいのに、と思う。
どちらにしろ、新は儀式の妨害に向かわなければならないのだ。そのためには障害は必要な限り取り除いておかなければならない。
「いいか、ここで考えるのは自分の優先順位だ。お前は神様から権能を奪い取りたいのか?それとも強い奴と戦いたいのか?」
「む……確かに権能は欲しいけど、ただ新しい権能を獲得するっていうのはちょっと嫌だよねえ」
「そうだろ。と、言うことはだ。お前の目的は強い奴と戦うという事に集約させられるわけだな」
「成程、確かに!」
「それなら、わざわざ神様と戦わなくてもいいだろ。そこにはすでにヴォバン侯爵がいるんだからな!」
「おお!とってもわかりやすいよ!新!」
「だろ!」
「うん!」
「それじゃあさ、あの爺さんに喧嘩を売りに行ってくるか!」
「よし、早く剣を調達して戦おう!」
サルバトーレを適当な言葉で言いくるめる。
この会話を見てみると、案外新には詐欺師の才能があるのではないかと思わなくもないが実際のところはただサルバトーレを騙すのが簡単だってことである。
原因としては、彼の重要な関心事である戦うこと自体を頭ごなしに否定しなかったことだろう。
かくのごとく、彼は剣で戦う以外にはどこか抜けている青年だった。
いつの間にか、雨が降り出し始めた。降雨量はまだ多いとは言えないが、傘も差していない人間には十分鬱陶しい。
また、新たち二人は、今夜儀式が行われるであろう城の少し前に迫っていた。
その城は煉瓦造りのようで、外観から察するに5階建てだろうか?まさしく中世に建てられた典型的な城という姿形をしていた。
電気が通っているのか分からない位に暗い。カンピオーネとしての夜目が効いていなかったら、そこに建造物があるのかどうかわからない位にその周辺は漆黒と雨音に包まれていた。
新は索敵要員として放っておいた数十羽のクロたちから、城の周辺を監視している魔術師たちの情報を読み取る。
城の周辺の魔術師の数は10人。その全てが死んでいた。おそらく、ヴォバン侯爵の権能の一つである『死せる従僕の檻』によって使役された人間たちだろう。
酷いことをするな。そう思う。
死んだ後もなんで自分を殺した奴の言いなりにならにゃならんのか。町を吹き飛ばす嵐も大概だが、このゾンビ軍団のほうが人として酷い気がする。
力は使い様によって人々を救う手段にもなれば、殺戮する手段にもなり得ると誰かが言っていたが、この権能にそんな二者択一は存在するのか?いろいろとありえないだろう。こんな人道性をガン無視した力は。
最も、神様を何柱も殺した上に、生贄を沢山用意して戦う為だけに神様呼ぼうとする奴に人道なんて期待するのが間違っているかもしれないが。
状況の確認を終えた新はここで、サルバトーレに敢えて正面突破によってヴォバン侯爵に突撃するように提案した。それは、ヴォバン侯爵が彼に目を向けている間に儀式場を叩き潰してしまおうという新の作戦だった。
サルバトーレの性格上、下手に策を張り巡らすよりもそこに設置されている罠ごと叩き斬る戦法が得意なのだと思っていたら、新の予想通りに彼は快諾した。
「うん!そもそも最初からそのつもりだったよ?」
「よし、じゃあ先に行っといてくれ。俺はその前にやっておくことがある」
「あ、そう?僕が新の分も仕留めちゃうかもしれないけど」
サルバトーレは新の言葉を全く気にするそぶりもなくそう言った。普通の人間だったら訝しむこともあるかもしれない新の用事について全く関心が無い様だった。
(そんなことになればますます喜ばしい。ぜひやってくれ)
「よし、じゃあここで別れるか。この辺りをうろついている魔術師は基本的に俺たちの敵になりそうもないだろうから、このまま突っ切って進んでも問題ないだろう」
「そう?それじゃ、僕は先に行っているね、新!」
「おう、健闘を祈っているぜ」
「うん!」
サルバトーレは城に向かって駆けていった。
しかし、数秒後すぐに戻ってきた。
「ああ、それと言い忘れていたことがあった」
どうやら、何か言っておくことがあったらしい。どうしたのだろうかと新が思っていると、
「この戦いが終わったら今度は新、僕と一緒に決闘しよう!」
「………………はあ?」
この雨という天気の中においても太陽のような輝く笑顔でなんだか訳の解らないことを言われた気がする。
新が固まっていたら更に畳み掛けるような輝きの笑顔で
「だってさ、この戦いが終わってもただ別れるだけじゃつまらない。やっぱり君とも戦ってみたいじゃないか!新だってそう思ってるよね!?」
そう言われた。
しまった。新は眉間に皺を寄せながらそう思う。
こいつが戦闘狂なのをすっかり忘れていた。ヴォバン侯爵の一件が片付けば、次は自分がターゲットになるという事を何故考えていなかったのか?
この戦いは自分もヴォバン侯爵と戦う可能性が高い。その戦いの後、戦いの負傷から復活した戦闘狂相手にまた戦う羽目になるなんて正直勘弁してもらいたかった。
どう言いくるめるか。考えながら新は口を開く。
「なあ、馬鹿かお前は」
「む?何故さ」
「お前は今から大先輩のカンピオーネであるヴォバン侯爵に喧嘩を売りに行くんだぞ。はっきり言って勝てないかもしれない戦いだ。それなのに、次の事を考えるなんてはっきり言ってヴォバン侯爵を舐めてるとしか思えない」
できるだけ深刻そうに口にする。
「そんなやつが、今からの戦いに勝てると思うか?いや、勝てるわけないだろうが!!」
できるだけ熱血に言う。
すると、サルバトーレは感銘を受けた表情をして
「おお、新、君はなんて良いことを言うんだ!そうだね!今の戦いに余計な考えは不要だ!!」
と言った。
本当に単純な人間だった。
よし、と新は心の中でほくそ笑む。これでとりあえず明日以降の自分の身の安全は大丈夫だ。今日はどうかまだ分かっていないが。
しかし、安心するのはまだ早かった。
「じゃあ新、また明日に誘うと思うからそのときはよろしくね」
「………………!」
ちっ。避けられなかったか。新は落胆する。
が、決闘するという確約がなくなっている以上まだ上出来だろう。
「………わかったよ。疲れてなかったらな」
「うん!!」
新の返答に満足した様子のサルバトーレ・ドニは黒くそびえ立つ城の中に走って行った。
一瞬、この戦いでアイツが死んでしまえば決闘する必要がなくなるんじゃないかと黒い衝動が頭の中を走ったが速攻で却下した。
その事は完全に神の招来の儀式とは関係のないことだし、折角こっちに味方してくれる奴をそんな風に思うのはどうなんだと思ったためだ。
それに、ヴォバン侯爵の目を逸らすための囮としてしまったことに罪悪感がないわけではないのも理由の一つだった。しかし、まあ当人も満足そうだったしその点に関しては問題ないだろう。
新は自分が乗ることのできる位の大きさのクロを呼び出し、空から侵入することに決めた。月が見えないほどの闇と、羽音をかき消すほどの大きさの雨音は侵入するのに気付かれない良い隠れ蓑になる。
クロは新を乗せ、できるだけ音をたてないように滑空する。そしてそこには誰もいないことを確認し、屋上に降り立った。
「ん、ありがとう。クロ」
新はクロにお礼を言い、城に降り立つ。
自分の主人に頭を撫でられたクロは気持ちよさそうに目を細めながら夜の闇に溶けて行った。
深夜の城は光源が見えないため辺りは真っ暗だが、行動するのには支障はない。
新は感覚を張り巡らせる。神の招来などという大規模な儀式を執り行うという都合上、魔術の流れを少しでも探知できればおおよその実施場所は把握できる。そしてカンピオーネの探知能力ならそのくらいは問題ないという自信があった。
1分ほど集中していた新は、この城の大体の魔術の流れを感じとる。そして発見する。明らかに通常ではありえない魔力の溜りができていた。
まず間違いなく、そこが儀式場だ。
新は屋上から屋内に入り、神の招来の儀式場を目指す。
戦いの時は、すぐそこだった。