この回は日常回になります。
第十五話
「カンピオーネは覇者である。天上の神々を殺戮し、神を神たらしめる至高の力を奪い取るが故に。
カンピオーネは王者である。神より簒奪した権能を振りかざし、地上の何人からにも支配され得ないが故にっ。
カンピオーネは魔王であるっ。地上に生きる全ての人類が、彼らに抗うほどの力を所持できないが故にっ!!」
「……………何それ」
「えーっとね……そうそう、アルベルト・リガノって人が書いた『魔王』っていう本の中の一節だよ」
既に正午はとうに過ぎてしまっているが、それでも日差しは厳しく街中に降り注いでいる。それは、市街地から少し離れたこの住宅地でも変わりはない。コンクリートをじりじりと焼き、行きかう車のフロントガラスに照り返す日の光は、歩行者の汗と不快感を急激に引き出していった。
「神殺しに初めてカンピオーネっていう名前をつけた人でね、多分ヨーロッパの魔術師ならみんな知っていると思うな。有名だもんこの言葉は」
「へー」
路面電車が行きかう通りの脇にある歩道。自転車が悠々と通ることができる位の幅があるそこに、肩を並べて歩く男女の影。
少女の方はフィンランドの魔術結社『鈴蘭白十字』に所属する大騎士、カティ・ルフタサーリ。プラチナブロンドの髪に青い目をした少女で、一昔前の一般的な白人のイメージそのものを具現化したような少女。
もう一方、少年の名前は南条新。黒髪黒目という平均的な日本人そのものの少年。
しかし、彼は俗に「カンピオーネ」と呼ばれる、人類の中では極めて稀にしか現れない存在だった。その特徴は、並外れた耐久力と生命力。そして権能と呼ばれる超常の力を保有していること。
彼らは先天的には発現することは無く、全てが後天的に誕生する。発現の要素は、「神を殺す事」、一つのみ。故に彼らは、「神殺し」と呼称されるのだ。
カンピオーネはまつろわぬ神と互角に戦いうる力を持ち、世界中の魔術師から畏れ、敬われており自身がトップと務める組織も設立することがある。
今現在、カンピオーネは全世界に6人、それぞれが6か国に存在している。中国、エジプト、イギリス、アメリカ、日本、そしてイタリア。そのうち日本の、または5人目のカンピオーネと呼ばれているのがこの少年、南条新である。
「あっぢい~~~」
「だらけた声を出すなよもっと熱くなるだろ……」
カティのぼやきと同じ位の嫌悪感を込めたツッコミを吐く新。
近年地球温暖化が叫ばれているとはいえ毎年夏の暑さを体験している新はともかく、北欧出身のカティにとっては日本の暑さは耐え難いものがある様だった。
「さ、流石に予想外………サウナの暑さとは一線を画するこれは汗をかいても全く嬉しくない。なんで~~」
「……………」
ツッコミはエネルギーを消費し、更に暑くなる。そう判断した新は無言で歩くことに決めた。
街路樹ですらないこの道では、直射日光を防ぐ手段はまず無い。できるのは、ただ耐えて耐えて歩き続けることのみ。
「う~~~」
どうやらカティも、ぼやけばぼやくほど暑くなるというこの世の真理に気づいたようだった。寒さは紛れるかもしれないが、暑さを相手にするのなら逆効果だろう。
(バス代ケチった結果がこれだよ………)
新に後悔の念がふつふつと湧く。
あの時、待ち合わせまで時間に余裕があったとしても徒歩で向かうという選択肢を取らなければこんなことには。
「…………おっ」
しかしその地獄に変化が訪れる。アスファルトからの熱によって揺らめく空気を通した、遠くに見える交差点。
大手コンビニチェーンの中の一店舗がおろしている影に、2人と待ち合わせを行っている人物が佇んでいた。
「おいカティ、前見ろよ。そこでもう待って「スティーナ――――――――――――――――――――――――――ッ!!」」
新から発せられたカティへの呼びかけは、その直後のカティの心からの叫びによってかき消された。
大声に新が肩をビクつかせた時には、隣からカティの姿は風と共に消失する。そしてその数秒後には彼女はコンビニの前で佇んでいたスティーナを抱擁していた。
「きゃあああ!?――――いやいややめてよお姉ちゃん!暑いからっ!!グニャグニャになっちゃうから私っ!!」
「うわあああ!会いたかったよスティーナっ!この暑い中その為だけに遥々歩いてきたよ!私、スティーナに抱きついていられるなら熱中症で死んでもいいやっ」
(カティの奴、身体強化魔術使いやがった……)
新はコンビニの向かい、赤を示す歩行者用信号の前向かいに立ち、信号が青になるのをゆっくりと待つ。
普通ならイライラしながら待つところだが、この時は姉妹のコミュニケーションを優先させる。スティーナに対しては、心の中で合掌しておくことにした。
しかし、
「暑い………」
この9月の茹だる様な暑さ。あのベタベタしたコミュニケーションはできればもう少し自重してほしいなとも思った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ん~~~♪アンパン美味し~♪」
カティが清海高校へ転校してきた日の昼休み。新とカティの姿は屋上にあった。カティが新と昼食を共にしようと誘ったのだ。
「フィンランドにアンパンは無いのか?」
「ないよ!私甘い豆を食べたの生まれて初めてかも……はむっ」
校内に至る扉の前、屋上に唯一出来た影の下に肩を並べて座り思い思いに購買で購入したパンをパクつく2人。
最も、この二人での食事が円満に始められたかと言えば決してそんなことは無く。
カティが新を昼食に誘った際、クラスの大部分とカティを覗きに来ていた他クラスの生徒から敵意(殺意)の篭った視線を一身に浴びることになった。つまりは、
(((((((何金髪美少女転校生を独占してんだこの野郎)))))))
といった感じのものだ。
更に、昼食を共にできない事をいぶきと百春に言った際には、百春からはジト目で了承を受け、ただ首肯することにより了承を行ったいぶきに至っては目が完全に死んでしまっていた。
親友2人から初めて好意の欠片もない視線を受け、背中から冷や汗が止まらなかった新だったが、カティには色々と聞きたいこともあったため、躊躇しながらにしろカティを連れ立って教室から出ていくことにした。
ちなみにその後。
クラスでは新がいつの間に金髪美少女を誑かしたのか、というかあの二人は以前にあったことがあるんじゃ無いのか、朱東坂七瀬先輩をも誑かした新は、今までにない程のモテ期に入っているんじゃないかといった憶測が、1年8組はおろか学年中に広まることになる。
「……それで?」
「はむはむ……む?」
「いや………何でお前転校してきたんだよ?お蔭でうちのクラスパニックだよ」
手にした明太フランスパンの最後の一欠片を口の中に放り込み、500mlで100円という低価格で買ったカフェオレで喉を潤してから、新は尋ねた。
「ああ、そういえば――モグモグ――話して――ングング―無かったな――パクパク――いやママ――ングング――がさ行って来――ペロペロ」
「食べるか喋るかどっちかにしろよ面倒くさいな」
「…………もぐもぐもぐ」
「食べるほう選びやがった………」
呆れ声を出す新に対して、カティは全く気にした様子が無い。
30秒後、あんパンを食べ終えたカティがミルクティーで口の中のものを流し込み、これまでの顛末を話し出す。
光り輝く空を見上げるその顔はどこか、憂いが秘められている様に見えた。
「そう、あれはハルシュタットで新と別れた翌日……透き通るような空が広がる朝の事」
「そこから!?え、そんな所から始めんの!?」
新自身としてはどうして日本に来ることになったのかという理由が聞ければそれで良かったのだが。
「スティーナを救出するために家を飛び出した私を追って、ママとその仲間の『鈴蘭白十字』の人達がやって来たのよ。5人くらい」
「ほうほう」
「それでね……その時にはもうヴォバン侯爵は新とサルバトーレ卿の2人に討たれて亡くなったってことがあの周辺全域にまで完全に広まっていたらしくてね……」
カティはそこで、ため息を一つ。
「ホテルのラウンジで、私がスティーナと一緒にいる所を見つけたママに顔を思いっきりぶん殴られました……」
「えええ!!?」
「そう!!やっぱり驚くでしょ!?全く!折角スティーナを膝に乗せてイチャイチャしてたのにっ!本当に空気読めないよねママは!」
「カティのお母さんグッジョブ!」
殴られたところまではカティに同情していたのだが。
自分の娘が自殺同然なことをやらかして、にも拘らず殆ど奇跡みたいな形で2人とも生き残ったのだ。そりゃあ普通の親なら安堵で号泣してもおかしくない。
で、心の底から心配に心配を重ねてようやく娘2人を見つけた時、その2人はラウンジでイチャついていたのだ。そりゃあ殴りたくもなるだろう。主にとんでもないことをやらかした元凶のカティを。
「…………で?」
「む?」
「いやその後だよ。別に俺はお前の愚痴を聞きたい訳じゃない。そして俺はカティのお母さんを全面的に擁護する」
「何でさ!?」
「親の心子知らずとはこの事か……俺も自分の親の事をよく考えられるとは思ってないけどさ、お前ほどじゃねーよ」
「な、何だとう!」
それから数分間、カティの母親のやったことが良い事なのか悪い事なのかという議題で2人の話は白熱していったが、結局結論が出ることは無かった。というかハッキリ言って無駄な時間だった。
そして、閑話休題。
「うん、まあそれでね、その後にスティーナとホテルの部屋でママたちに今まで起こった事を話して行ったんだよ。私がやったこと、スティーナ達巫女の子達の事、サルバトーレ卿の事、……そして、新の事も」
「まあ、そうなるだろうな」
あの日、ハルシュタット近郊で起こった事は魔術界の歴史書に未来永劫残ることになったとしてもおかしくない物だった。所謂、その時歴史が動いたという感じだ。
そんなビックイベントにおいて、具体的にどんなことが起こったのか知ろうとするのは当然の事だろう。ましてや、自分たちの組織の人間がその場所に居合わせていたのならば尚更。
「で、私とスティーナの話を聞いたママがね、少し考えた後にこう言ったの。「カティ、あなた日本に言って南条王のお手伝いに行ってきなさい」って」
「はい?」
「いやだからね、新のこれからのお手伝いをしなさいって長期出張に出されたんだよ。通っていた学校に休学届まで出して」
「いやだからなんで」
「そりゃまああれだよ、コネ作りじゃない?カンピオーネと仲良くすることって、魔術団体にとってはとても利益のあることだからね」
「そうなの?」
「そうだよ!今でもカンピオーネがリーダーになっている組織がいくつかあるけど、どれも超有名な所ばっかなんだから!」
「へー、大変そうだー」
「むっ……!凄くどうでもよさそうな声……まあいいか。………それで、私が遥々やって来たってわけ。解った、新?」
「んー。まあ理解はしたかな。世知辛い所だねえ、魔術結社って」
残ったカフェオレを喉に流し込む。
カティのキャラからして、あまり真面目に仕事してないんじゃないかと思っていたが、いくらか見直さなければならないようだ。
あと正直、今までの話は3行でまとめられたんじゃないかと思ったのは秘密だ。
「たった一人でこんな異国に行かないといけないとは、高校生にとって結構ハードじゃないのか?ま、留学と思えば問題ないのかもしれんが」
日本でも、高校生が一人で留学することはある。カティのやっていることをそう考えれば、単なる社会勉強の一環として見られるのかもしれない。それでも、異国の地に一人で過ごすことは新自身が思っているよりも大変の筈だ。
カティが困っていることがあったなら、きっと進んで手を貸してやろう。
新はそう思っていたのだが、
「へ?いや新。スティーナも一緒に来てるよ」
「ん?スティーナもカティと同じこと言われてやって来たのか?」
まさかスティーナもカティと一緒に自分の手伝いに来るよう言われたとは。はっきり言って自分にそんな注目が集まっていたとは思っていなかった。
が、あに図らんやカティの口から出たのはそんな事ではなかった。
「いや?行けって言われたのは私だけだったんだけどね。無理言って……いや無理なことをしてスティーナも一緒に連れて来たんだよ」
「はい?何で?」
思わず眉を顰める新。
そんな新を、カティは「やれやれコイツそんな事もわかんねーのか」という目で見る。ハッキリ言って結構屈辱だ。
「何でってあのね………私はスティーナ分を毎日補充しなきゃ死んじゃうんだよ?離れて暮らせる訳ないでしょ?」
「何当たり前の事のようにアホな事言ってんのお前!?知るわけねーだろバカ!」
疑問に思って損した。
「ば、馬鹿ってちょっと酷過ぎるんじゃない!?白十字の皆と同じ事言わないでよね!私にとってはとても大切な事なんだから!後馬鹿って言った方が馬鹿なんだよ馬鹿ッ!」
「子供かお前は…………」
正直、精神年齢という面から見ればカティよりスティーナの方が高いんじゃないかと思ってしまう。というか、実際にそうだろう。
そして、今のカティの言葉に突っ込みたくなることがもう一つ。
(カティのシスコン、フィンランドの方でも有名なのか……ま、そりゃそうか)
さぞやカティの同僚たちは苦労してきたに違いない。
見た目美少女なのに重篤なシスコンを拗らせている奴なのだ。見た目とのギャップ(言うまでもなく悪い方)に急速に萎えてしまうだろう。
(この残念美少女、ちゃんと嫁に行くことができるんだろうか?)
思わずため息を吐く新に全く気付くことなく、スティーナの愛らしさについて拳を握りながら語り続けるカティ。
異国で知り合い、そして再会した少女に、思わず憂いの念を抱く新だった。
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そして時は元に戻る。
汗が全身に流れながらも、姉妹の過剰スキンシップを堪能したカティはほくほく顔で目的地のスーパーに入っていく。
その様を見ながら、呆れて溜息を吐く新と暑さのせいでゲッソリとしたスティーナがその後に続いて入っていった。
「ご、ごめんなさい新お兄さん。私たちの都合につき合わせてしまって……」
スーパーの冷房を思う存分堪能し、やっと一息ついたスティーナが野菜売り場で新に頭を下げる。それはもう、本当に申し訳なさそうな顔で。
「いやーいーよいーよ。家事、自分たちでやらないといけないんでしょ?じゃあ、この辺りの地理は知っておかないとね」
新は苦笑して、手にしていた買い物かごを掲げる。
「それに俺も、今日買っておかないといけない物あったし」
スティーナがカティと一緒に日本に来るようになった経緯について。
カティがスティーナと別れて日本に行くよう指示された際、当然の如くカティはごねた。曰く、日本に行くのは言いがスティーナと離ればなれになるのはどういう事なのとか、スティーナ分を摂取できなくなった私が死んでしまっても良いのかとか。
そしてカティと両親の交渉(割と身体共に過酷な感じの)の結果、スティーナと一緒に日本に向かう事になったらしい。何でもその交渉の終わった時、カティはまるで某燃え尽きたボクサーの様に真っ白になっていたとか何とか。
しかし、その際の条件として元々カティの世話係として随伴するはずだった使用人の代わりとしてスティーナが行くこととなったために、家事全般をカティたちがすべて行わなければならなくなった様だった。
要約すれば、全てカティのせいである。
「それで?今日は何を買うつもりなの?」
新は自分の分の合挽き肉が入ったパックを自分のカゴの中に入れながら、スティーナに尋ねる。ちなみにカティは初めて来た日本のスーパーに興奮して突撃に行ってしまった(主にお菓子コーナー)。
「あ、はい。そうですね、私たちはまだここに来て日が浅いので今日はパスタで済ませちゃおうかなと。それならあまり時間もかかりませんし」
そう言って、乾麺コーナーへ行きお徳用のスパゲッティの袋を手にとる。スティーナが日本の製麺会社のパッケージを見て、物珍しそうにしているのが印象的だった。
そうやって、新とスティーナは自分の分の買い物を済ませてレジに向かい、会計を済ませる。
新のビニール袋の中は、生鮮食品が少しにカップラーメンやジュースが入っており、スティーナの袋の中は野菜や魚、肉に調味料が沢山入っている。特にスティーナの分は手料理感に溢れそうな陣容だった。これだけで世の男たちの好感度が上がるかもしれない。
「ここで定期的に買い物をするならさ、ポイントカード作った方が良いぞ。200円分買うごとに1ポイント。500ポイントで500円分の買い物券に交換できるからな」
「そうだったんですか?」
「ああ。日本のスーパーの涙ぐましい努力の結果だよ」
新の冷めた言葉にスティーナは苦笑する。その後で、新に人差し指をピンと突きつけて一言。
「もう、そんなこと言ったらダメですよ!新お兄さん。お店の人達に失礼です」
「そんなもんなのかね……俺にはあまりよく分からんが」
「そうなんですよ。やっぱりわた「スティーナ―――――――!!」」
仲良く話す2人の間に、大声をあげながら入り込む少女が一人。その少女は愛しの妹が盗られるかと思ったのかどうなのかまず新の方を向き、眉を顰め、歯ぎしりをしながら新を威嚇する。
その後で、新の「何やってんだコイツ」という視線を軽やかに無視しながらスティーナの方を向いた少女は満面の笑みで腕に抱えていた幾つもの箱を差し出した。
「見て見て!この前テレビで見てからずっと食べてみたかったんだよ!一緒に食べよう!」
割り込んだ張本人、カティがスティーナに差し出したのはキノコ型のお菓子だった。キノコの傘の部分はチョコレートで、柄の部分がクラッカーになっている日本全国で有名なロングセラー菓子だ。
それがざっと20箱。1箱126円と考えれば20箱で2520円。当然スティーナは許可しない。
「だーめ。こんなに要らないよ!1箱は買ってあげてもいいから、他は元の場所に戻してきなさい」
もはや完全にスティーナが母親と化している。そしてカティは子供だ。しかも小学校に入学するかしないかというくらいの精神年齢。以前スティーナの方が姉に見えると思ったことがあったが、それでもまだ足りなかったようだ。
(なんだかなあ。カティってスティーナがかかわると児童退行するのかな………)
駄々をこねるカティと、それを諌めるスティーナを見ながら新は考える。どうもこのようなやり取りはこれまでに何度かあったような感じがする。おそらく、フィンランドでも似たようなやり取りが何度もあったのだろう。カティもスティーナもどことなくこの応酬に慣れた感じがするのは、気のせいではないはずだ。
まあ、そんな事は今の新にとってはどうでもよかった。何故なら、今の彼には何よりもやらなければならないことが一つ、存在していたからだ。
新は冷たい目で後ろを向いたカティの肩をがっしりと掴む。その瞬間カティは「ひゃあ!?」と奇声を上げていくつか抱えていた箱を床に落とした。
「な、何するの新!私は今スティーナと大事な話を――――きゃあっ!?」
新の方を振り向き抗議の声を上げようとしたカティは、新の目を見た瞬間に戦慄の声を上げた。
何故ならその眼は殺気に満ち溢れていたからだ。神の至高の権能を簒奪し、何人にも囚われることなく、地上に生きる全ての人間が太刀打ちできない魔王。今新は正しく、その羅列王と同じ目をしていた。
「…………あ、新」
カティの腕から震えが止まらなくなる。自分は一体何をしてしまったのだろうか。今まで好ましい関係を築けていたのは、もしかしたら幻想だったのだろうか?
スティーナも、新の殺気に体の震えが止まらなくなる。もしかしたら、今ここで死んでしまうかもしれないと本気でそう思った。
「あのさあ、お前ふざけんなよ………」
「……………………(ひ、ひいっ!!)」
低くドスの利いた新の声に、カティ泣きそうになる。その威圧感は、数週間前に七瀬に対して発せられた者とほぼ同一だった。
しかし、それは大好きな妹が後ろにいる為にするわけにはなかった。口をぐっと結び、心だけは何とか屈しないように拳を握りしめる。カティ、唯一の意地。賞賛されるべき妹への愛である。
それから、新はゆっくりと口を開く。その言葉に、カティとスティーナはその口から一体どんな聖句が発せられるのか体を震わせた。最悪、一瞬で体が消し飛ぶこともあり得る。
そして新は荒ぶる心そのままに、声を荒らげて言い放った。
「何でキノコ買ってんだよゴラアッ!!!食べるならキノコじゃなくてタケノコに決まってんだろうが何やってんだ馬鹿野郎があっ!!!!」
「………………………………………………………ひぇい?」
涙目で新の発現の意味が分からず硬直するカティ。
が、新はそんな事を微塵も意に介さずに掴んだカティの肩を思い切り揺らしながら思いの丈を力の限り叩き付ける。
「いいか!!?タケノコはそのサクサクとした香ばしいクッキー生地に二層重ねのチョコレートはミルクチョコレートとビターチョコレートをかけた世にも素晴らしい名作お菓子なんだぞ!!にも拘らずキノコなんかていう細々したちゃちいチョコにパサパサしたクラッカー突き刺しただけの駄作菓子と同一に見たりライバル視する風潮が世の中にはある様だがな―――ハッ!!ちゃんちゃら可笑しいわっ!!大体売上高ではこっちが完全に勝利しているんだ、駄作キノコなんぞ相手にする必要もないってのにあいつ等ねちねちねちねちねちねちねちねちなめこみたいに粘着しやがってよお!あの陽の光に照らされる二層式のチョコレートの輝きとを見やがれってんだよそれだけで心が震えるだろうが洗われるだろうがあ!!それなのにタケノコの素晴らしさを、輝きを理解しようとしないノー〇リンな異教徒共め―――あいつ等はタケノコの波に攫われてあのおぞましいキノコに毒された体を心身ともに浄化して改宗させないといけないだろ!!さもなくば死だ我々はタケノコという高等菓子の繁栄を永遠に邁進させなければならないんだよ絶対になあ!!その為には足元で粘ついてくるキノコとかいう下等菓子の殲滅を果たさなければならなあいっ!!あんな奴らの跳梁にタケノコの繁栄と躍進を微かでも邪魔されることなんぞ体の底から怖気が走るんだからなあっ!!
ジークタケノコ!ジークタケノコッ!!讃えよ、タケノコに約束された久遠の未来を!誓約せよ、タケノコの為に己の全存在を賭けて献身を果たすことをっ!!タケノコの輝きよ、栄光よ永遠なれえっ!!―――カティ、お前はまだ幸いなことにキノコに侵されきってはいない。だから今からでも遅くはない、この俺が手づから調教してやるうああああああああっ!今夜はグッスリ眠ることができると思うなよ指導指導指導指導指導指導指導ォォ――――ッ!!!!」
「嫌ああああああああああああああっ!!」
そうして、新の洗脳が始まった。
最も、その洗脳自体は数秒後に駆け付けた強面の店員によって新がぶん殴られた為にそれで終了してしまったのだが、一連の出来事はカティの胸に深くふかーく刻まれることとなる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「…………………ゴメン、なんかもう本当にゴメン」
スーパーからの帰り道。
新、カティ、スティーナの姿はバス停にあった。3人とも手に購入したものを持ち、バス停の屋根が作り出した陰に隠れて涼んでいる。風の通り道にこのバス停が存在しているのは幸いだった。
「い、いやあ………誰にだって我を忘れる時はあるんだからさ、気にすること無いよ………うん」
「そ、そうですよ。私なんて我を忘れたお姉ちゃんにいつも抱きつかれてるんですから。これでお姉ちゃんも我を忘れた人の事がよく分かるでしょうし、感謝したいくらいですって、ハハハ…………」
新は姉妹に向かって頭を下げていた。それも直角、90度の角度で。謝罪の気持ちがありありと伝わってくる。
これに困ったのはカティとスティーナの方である。まさか、天下のカンピオーネにマジ謝罪されるとは思っていなかった。歴史上の人類の中から見ても、相当珍しい体験をしたのではなかろうか。
「いや、あれだ。まさか自分でもあれ程自分を見失う時があるなんて驚いてるんだよ…………うん、本当にすまんかった。これからはあんな事にならないようにするから」
心の底から謝罪の言葉を口にする新。勿論、カティやスティーナとしても新を許さないなんてことは無い。少し(いや結構だけど)驚いてしまっただけだ。2人にとってもこの事は早く水に流してしまいたかった。
「う、うん!以後、気を付けるようにね!………よし、この話はもうお仕舞い!」
「私としては、もう少しお姉ちゃんに気を付けてほしいんだけどね……」
そうして、新を許した2人はまだ自分がやらかしたことを引きずっている新を慰める。落ち込んでいる新を見てカティは少しだけ、新のために一肌脱いでみようと思った。
「よしよし………それなら歌を歌おう!」
「……歌?」
「そう、歌!この歌は私たち『鈴蘭白十字』のテーマソングみたいな曲だよ!毎朝みんなで歌っていたの!」
「へえ、向こうじゃそんなことしてたのか。知らなかった」
カティが歌うという事に対して関心を持った新に、カティは少し元気になったかと安心しながら旋律を紡ぐ。
「―――Oi, Suomi, katso, sinun päiväs' koittaa」
穏やかで、何処か物悲しさを感じさせるような歌だと思った。新はフィンランド語を学んだことは無いため、その歌の歌詞の意味は分からない。しかし、カティが好きな曲なら、それはきっといい曲なのだろうなと思った。
「「Yön uhka karkoitettu on jo pois,」」
スティーナも、カティと一緒に歌い始める。2人とも何年も歌ってきているのか、目を閉じ、微笑みながら歌詞を紡いでいく。
「「Ja aamun kiuru kirkkaudessa soittaa, Kuin itse taivahan kansi sois'.」」
空から降り注ぐ光が燦々と街路樹を照らし続けていく。
2人の声は綺麗に調和のとれたハーモニーと作り出し、バス停の外にも流れ出していった。
「「Yön vallat aamun valkeus jo voittaa,Sun päiväs' koittaa, oi synnyinmaa」」
きれいな声だ。
ベンチに座り、体中の力を抜いて両足を投げ出す。遠くに流れる雲が少しずつ右側の方に動いているのが何となくわかった。
幸せな時間だ。
新はいつの間にか目を閉じ、2人の作り出す旋律に聴き入っていた。
どうしてこうなった……。
キノコ派の人、ごめんなさい。この回での新の異常なまでのタケノコ推しは、あくまで新個人の主観(暴走時)です。作者の好みは関係ありませんのであしからず。
え、私の好みですか?チョコパイ派ですよ?
そしてカティ、どうしてこうなった……。
初めは、こんなダメ人間キャラになる予定はなかったんだがなあ。これじゃあ、スティーナの方がヒロインに見えてきてしまうじゃないか(妹キャラ)!そんな予定はないのに!
次回から、展開が進んでいきます。
まさか、日常回にここまで字数を割くことになるとは思わなかったなあ。