次回の投稿までに時間を空けると言っていましたが、少し早く投稿することにしました。
投稿頻度については、期待しないでください………。
第十一話
サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン侯爵、殺害さる。
この突如として届いてきた一報は、その信じがたい内容により当初世界各地の魔術師の間では誤認情報やデマの類だと扱われていた。が、時間が経過するに従って集まってくる情報によってそれが真実だと判明するや否や、欧州だけではなく世界中の魔術界を揺るがす事態へと発展した。それは、侯爵が最高齢のカンピオーネにして世界中の魔術師やその関連者から非常に畏れられていたからなのだろう。
そして、数多くのの魔術師や魔術結社、及び情報機関が特に収集しようと躍起になったのは次の問いへの回答である。
すなわち、
「一体何者がヴォバン侯爵を殺害したのか?」
という一点だった。
多くの人々が自分達の情報収集能力の全てを使ってそれを調べようとしていた。しかしこの答えは、とあるイタリアの名門魔術結社に所属している騎士の簡潔な報告によって呆気なく判明することとなる。それは、
「ヴォバン侯爵を討ったのは、ほぼ同時期に誕生した2人のカンピオーネによるものである」
という一文だった。
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8月下旬、日本、遠崎市。
朝の天気予報で今日は真夏日を記録するといわれていたように、午前中にもかかわらず上空では巨大な入道雲が目を引き、周囲からは数種類の蝉の鳴き声が聞こえてくる。燦燦と地上を照り付ける日差しは屋外に出ている人々の肌を悉く焼き、木々には多くの生長を促すことだろう。
そして上空の太陽が光り輝くこの街、遠崎市市街の外れには森と形容すべき程の木々に囲まれてひっそりと佇む屋敷の一角、現在は応接室として使用されている和室では、2人の女性が向き合っていた。
「申し訳ありません、橘さん。現在父は京都へ出かけていまして、此処へ帰ってくるのは1週間後の予定になっているんです」
来客と話をしているのだろうか、どこかの学校の制服と思われる服を着込み、ぴんと伸ばした背筋から見える一分の歪みも見られない正座を見せているのは、まだ成人にも至っていないだろう少女だった。
「いえいえ、あなたのお父様には我々もいつも助けられてばかりですし、ただ私の訪問に際して会うことができなかった程度では気分を害するような理由にはなりませんよ………それにね、今日は貴女に用があって来たんですよ。朱東坂七瀬(しゅとうざかななせ)さん」
朱東坂七瀬と呼ばれた少女のテーブルを隔てた対面に据わるのは、橘と呼ばれたその少女よりも10~20歳は年上と思われる、女性だった。スーツを違和感なく完全に着こなす等、見た目は完全に外資系の企業に勤める、やり手のキャリアウーマンにしか見えない服装をしている。
「…………!?私に、ですか?」
「はい、是非とも貴女にお願いしたいことがありまして。何故なら、これはおそらく、貴女にしか出来ない事の筈だからです」
朱東坂七瀬の目が少しだけ驚きによって開かれる。
「私にしか……?それが一体何についてなのかよく判りませんが、私もこの国に仕える身です。私にできることであれば何でも致しましょう。それは朱東坂家の負っている義務でもありますから」
「………!有難う御座います。いや、この事を貴女に拒否されてしまうと私だけでは無く組織全体に大きな悪影響が出てきてしまうような事態になるかもしれません……。ですので、これを請け負って頂けるのでしたら本当に助かります」
「そんなに……!?それは一体どのような事なのでしょうか?」
朱東坂七瀬の問いに、我が意を得たというばかりに橘は自分の脇に置いておいたと思われる茶封筒から数枚の書類を取り出した。ある個人に対する報告書だろうか?それには顔写真が添付され、プロフィールが書き連ねられているようだった。
「南条新……?この少年が何か?」
そこに書かれていたのは今まで見たことも聞いたこともない少年に対する報告書だった。少なくとも、外見だけを見ればそう危険な人物には思えない。
「ええ……………七瀬さんは最近世界中の魔術界でホットな話題になっている出来事をご存知ですか?今から6日ほど前、オーストリアで起こった事です」
「オーストリア………もしかしてあの事でしょうか、東欧の魔王ヴォバン侯爵が何者かに討たれたという……」
「ええ、その事です、その事」
まだその事件の発生から一週間も経過していないが、デヤンスタール・ヴォバン侯爵が未だ賢人議会にも確認されていなかった、新しく誕生したカンピオーネ2人に討たれたという情報は驚きを撒き散らしながら世界中に拡散してしまったと言っていい。七瀬自身もその一報を父の話から耳に入れた時には驚いたし、欧州の魔術界に対する衝撃などは言うに及ばずだろう。
七瀬の反応を見た橘は、更に話を続ける。
「それででしてね、その写真の彼、南条新君。彼こそがヴォバン侯爵を討った2人のカンピオーネの内の1人という事が今朝判明しましてね」
「…………は?」
橘の爆弾発言に一瞬思考停止に陥ってしまう七瀬だったが、その発言をした当の本人はそれに気づかない様子でさらに発言を重ねていく。
「我々としては、現在実在が確認されている、初の日本人カンピオーネに非常に大きな注目を寄せています。そしてあなたへの依頼なのですが朱東坂七瀬さん、貴女に南条新君と我々、正史編纂委員会との橋渡し、いわゆるメッセンジャー役をお願いしたいのです」
「…………」
七瀬は依然唖然としてしまっているが、橘はそれに気をつけている様子はない。
「何故そうなったかというのはですね、南条新君は貴女の高校の1年後輩だからなんですよ―――」
「ええっ!!??」
突如として発せられた七瀬の声に、橘の肩が思わずビクン、と揺れる。
橘にしてみれば、前兆も無しに七瀬がいきなり大声を出したので驚いてしまったようだった。
「後輩!!?ちょ、ちょっと待ってください、じゃあこの人は清海高校の1年生なんですか!?」
「え、ええ。彼は1年8組に所属しているようですね。……うわ凄いな、アッパークラスなんて頭もいいんですね、南条新君って」
新のプロフィールを眺める橘に、驚倒してしまった七瀬は何処からか絞り出すような声で問いかけた。
「………………橘さん、これは私にしか出来ないことなんでしょうか?」
「そうですね……、少なくとも南条新君の周辺で最も自然に接触できるのが七瀬さん、貴女なんですよ。勿論、他の人間でも出来ない訳ではありませんが、様々なことを勘案した結果、七瀬さんが一番南条新君と友好的になることができると我々の中で判断されたのです」
「そんな……私は男の人に話しかけるなんてことは殆どありませんし……」
七瀬は未だ踏ん切りがつけない様だった。単なる後輩ならともかく、話しかける相手が神殺しの王というのは彼女にとってハードルが高すぎるのだろう。
そんな七瀬に、橘は南条新についての報告書が入っていた茶封筒からもう一枚、報告書らしきものを取り出してテーブルの上に置いた。
「この資料をご覧ください。これは今現在、遠崎市に襲いかかろうとしている危機について書かれています。委員会で対処した場合、死傷者が大量に出てしまうことが予測されてしまいますので是非ともカンピオーネである南条君と友好的な関係になり、助力をお願いしたい、と我々は考えています」
「これは……!」
報告書に書かれていたことは確かに、自分たちが下手を打てば死者が大量に出てくるような事態だった。最悪の場合、遠崎市全体に被害が出かねない。
その紙を暫しの間眺めていた七瀬は両目を閉じて、肩の力を抜く。そして数秒後、目を開けておもむろに口を開いた。
「かしこまりました。その役目、果させて戴きましょう」
「………良かったです。七瀬さんならきっと仲良くなれますよ。彼の活躍から察するに悪い子じゃないはずですからね」
ホッとした様子で笑う橘に、七瀬も彼女に微笑みを返す。その百合の様に柔らかな笑顔は橘に対して心配をしないでほしいと言っているように見える。このように、七瀬は他人からの心配を嫌う少女なのだ。
そして橘は、そんな彼女を見つめながら
(実は、七瀬さんが選ばれた本当の理由が彼女なら、いざという時に南条君を誘惑できるから――――なんて理由は言えないなあ。そんな事ができる位場数踏んでないみたいだし、それ以前にホントの事言ったら絶対やってくれ無さそうだし。……全く、上層部の馬鹿共は)
なんてことを考えていた。
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カーテンから漏れた朝日が寝室を照らしている。
タイマーで2時間にセットしていた扇風機は既に停止しており、今ではそこを吹き抜けているのは開けてあった窓からの風だけだった。その窓に面して設置されているのはステンレス製の勉強机で、黒色ボールペンや鋏が転がっているその上にはつい最近ハリウッドで映画化された、人気小説の原作本がアメリカで出版されたままの英語の原書の状態で置いてある。勉強机の横の本棚には漫画とライトノベルと小説と参考書が雑多に詰め込まれていて、上の段はCDラジカセが様々な種類のCDと共に占拠していた。
そしてこの部屋の主はついさっき目を覚ましたかの様子で、勉強机の対面にあるベッドに寝転がって目を擦っている。
「……だるい。もうこんな時間かよ、だるい」
口にするだけでマイナスのテンションを与えるような言葉を吐き続ける少年、南条新はゆっくりと体をベッドから起こして洗面所へと向かう。顔に塗った洗顔フォームを洗い流し、タオルで水気を取った後は朝食の準備を行う。
「そーいえばマヨネーズ切らしてたんだっけか……」
テレビのニュースから聞こえてくるコメンテーターの悪口を適当に聞き流しつつ、油を敷いたフライパンにウインナーと溶いた卵を放り込み、塩胡椒を振りかける。冷凍してあったご飯と作り置きしておいた野菜スープをレンジで温め、その間に冷蔵庫から小分けされてあるヨーグルトを取り出しておく。
「いただきます」
10分もせずに食事を終え、再び洗面所に向かって念入りに歯を磨く。食器の片付けをした後掃除機でざっと掃除をする。その後でクローゼットの中の制服に着替え、机の傍に置いてあった学生鞄とショルダーバッグを持って玄関に向かう。
「いってきます」
そう呟き、ドアの鍵を閉める。
昨日が丁度彼の、夏休みの終わりだった。
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新の通っている高校、県立清海高等学校は遠崎市内においてでは進学校として知られている。その程度は、まあまあの優等生が大して苦労もせずに入ることができる位、という程だろうか。そして体育祭が盛んなこと以外には大して個性のない学校で、強いて言うなら立地が遠崎市街を一望できる高台に面しているために夜景が展望台から望む程度には綺麗だという事か。
そんな学校の教室棟の1階、新の所属している1年8組。1年生の中では生徒玄関から最も遠いため、生徒たちにとっては何となくかったるいと思われているクラス。
「よう、久しぶりだ、いぶき」
「……!わ、おはよう。新」
新は自分の席に着き、隣の“親友”に挨拶する。
「……鬱だ。なんでこの夏真っ盛りに学校に来なければならんのか」
「ふふっ、補習だからね。これからは文化祭や体育祭の準備もあるし今からが一番忙しい時期なのかも」
「去年の今頃はまだ寝てたぞ……高校生になってから夏休みが半減とかあり得ねえ」
「勉強合宿もあったもんね……宿題を心置きなく片づけることができたから丁度良かったけど」
「あ~~、冗談抜きで勉強しかやること無かったあれね。電子辞書を持ち運べなかったのがマジ酷かったな。ジーニアスなんか煉瓦並みの鈍器だろうが」
1週間前の家庭学習記録帳への書き込みの手を止め、新に笑いかけているのは眼鏡をかけたショートヘアの少女だった。流れるような濡羽色の髪を赤紫のヘアピンで留め、見つめられれば吸い込まれそうな深い色の瞳をしている。
環(たまき)いぶき。1年8組所属で、清海高校で初めて出会った新の初めての友人。初めは新の読んでいた本について話を交わしたのがきっかけだったが、妙にウマが合って新の一番の親友になった少女だった。
「そういえば新、先週ヨーロッパへ旅行に行ったんでしょ?」
「ああ。結構楽しかったぞ」
「いいなあ……。私なんてこの国から出たこと無いよ。どこに行ったんだっけ?」
「大体東欧。ギリシャとかオーストリアとかだな」
「わ、マニアックだね。どんなことしたの?」
「ギリシャ人とオーストリア人に謝れっていうツッコミは置いといて………まあいいや、そうだな………大魔王からお姫様達を助けたな、嵐の夜に」
その言葉にいぶきは一瞬目を見開いた後、下手な冗談と思ったのか口元に浮かぶ笑みを深くする。
「……本当?凄いね、かっこいい」
「ああ、凄いだろ。しかもお姫様皆から求婚されたんだ。「世界の半分を君にあげよう」ってさ」
「…………へえ。結婚するの?」
僅かだが、いぶきの視線が剣呑に変化したのだが新は微塵も気づくことは無く、
「ハーレム人生でウハウハっていうことも考えたんだがな。「私にはまだ救わなければならない人たちがいるのです」って言って北の空に飛び立っていったさ」
「…………そっか」
今度は表情が僅かに柔らかくなったが新は感づくことは無かった。
「…………ねえ、新」
「ん、何?」
問いかけるいぶきの表情に躊躇の感情が浮かぶ。新もこの感情には気づき、何だろうかと注意を向けた。
「もしもさ、もしも新が沢山の女の「南条―――――!頼む数学の課題見せてくれ!二次関数の奴!」ひゃっ!!?」
いぶきの問いかけは横からの声によってかき消された。
「……なんだまたか片岡」
「おう!いや悪いけどさ、答え写さしてくれオレンジの奴」
新といぶきの会話に割り込んだのは新の友人の中の1人、片岡百春(かたおかももはる)。新よりも幾分高い背と、ガッチリした体つき。スポーツ刈りよりも少しだけ長い髪に刈り上げたもみ上げ。何だかんだでとても陽気な人間だった。
「答えならもう貰ってるだろ」
「答えだけしか載ってないじゃん!途中式が乗ってないからさ、このままじゃ再提出食らっちゃうだろうが」
「急いで解けばいいだろ。このクラスの半分は今でもそれやってるぞ。それにオレンジは基礎編だ。楽勝」
「それだったら1時間はかかるって!頼むよラグビー部が大変だったんだからさ!合宿が昨日まであったんだぞ!」
そこまで聞き、何かが琴線に触れたのか新は手に顎を乗せて考える姿勢を取る。いぶきが片岡の方を見て引き攣った顔をしていたが、2人ともそれを気をかける様子が無い。
「………そっか。それは大変だったな」
「そうだろ!だから頼む!」
新から肯定的な言葉が出てきたのが嬉しかったのか、片岡の肩が少し下に下がる。新はにっこりと笑みを浮かべた。
「だが断る」
満面の笑みと共に拒絶の言葉を言い放つ。その一瞬後、いぶきが噴出した。
「何でだよ!そこはOKサインを出すところだろ!?なあ環!」
「……死ねばいいのに」
今度は新が噴出した。
結局、問題を写す代償としての新といぶきの毒舌はあと十分程続けられることになる。それが、新にとっての愛すべき日常だった。
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「暑いな全く。クーラーも景気良く設定温度22度位にしてくれればいいのにな」
「うん。制汗剤がすぐ無くなっちゃうもんね」
昼休みが始まり、生徒たちが思い思いに昼食に入る。家からの弁当を広げる者、購買部に走っていく者など様々だ。
そして新、いぶき、片岡もまた、前の時間の合同体育を凌ぎ昼食を楽しもうとしていた。
「ん?なあ片岡、今日は弁当2段重ねなのか?」
「ああ。今日は今までのようじゃ飢えてしまうかもしれないからな」
「私の3倍以上はありそう……」
取り留めもない会話を交わし、席につく。
「なあ新、今更なんだけどさ、お前は弁当を家で作ってきたりしないのか?……まあ、一人暮らしみたいなもんだからできないかもだけどさ」
「ん~~、別にいいさ。面倒くさいし。旨いよ?メンチカツパン」
特に気にした様子もなく、パンを咀嚼する新。その様子を見て、いぶきは数秒思案した後で新に話しかける。
「ね、ねえ新」
「ん~~~……………なんだ?」
頬張っていた分を飲み込み、新はいぶきの方を向き直る。いぶきはせわしなく視線を左右に動かし、ソワソワしている。
「え、ええとね」
「うん」
「もし嫌じゃなかったらでいいんだけど……私が新の分のおべ「南条~~お客さんだ~~」ええっ!?」
新を呼びかける同級生の声に、いぶきの話は彼の意識から引き離されてしまう。突然の事態に対するいぶきの愕然とした顔は、残念ながら扉に顔を向けている新には見えることは無かった。
そして、新への客人は1年8組にさざ波のような衝撃を与えていた。
「………誰だっけ?」
呼ばれた当の本人の新は見たことはある気がする女子生徒の方へ訝しみながら歩いていく。少なくとも高校で知り合った人物ではないはずだったが、席を立たずに無視するという選択肢は無かった。
「朱東坂先輩って………いったい夏休みに何やらかしたんだ、南条は」
片岡は、自分の口が引き攣っていくのがはっきりと認識できる。
2年生にして弓道部のエースの地位に就き、去年に高校生弓道大会個人の部全国優勝という華々しい戦績を収め、清海高校随一の美人にして今年の男子弓道部員急増の原因となった2年生、朱東坂七瀬は何故か緊張している様子で新を見つめていた。
「うわ、羨ましい」
どんな理由にせよ、美人と見つめ合っている新を少しだけ羨ましがりながら片岡は自分の斜め側に座っている異性の友人に目を向ける。
「…………………」
ここぞという機会を悉く邪魔され、肩をがっくりと落とし目に見えて意気消沈しているいぶきに片岡は憐憫の情を思わず向けてしまう。
「気の毒すぎる…………………」