犬とお姫様   作:DICEK

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何が何でも、折本かおりは冒険しない

 

 

 

 

 

 

 

 川崎京華。奉仕部部員川崎沙希の妹で幼稚園児。誰からもけーちゃんと呼ばれることを好み、また誰が相手でもそう呼ばれないと最近は返事もしないらしい。彼女本人の認識では比企谷八幡のだいしんゆーであるということになっている。八幡本人の認識も概ねその通りだ。そういう意味では八幡界隈ではめぐりの最大のライバルと言える。

 

 自他ともに認めるひねくれ者の八幡から見てもとても良い娘なのだが、引っ付き魔でもあった。今もこれでもかというくらいぎゅーと抱きしめられている。幼女らしい体温の高さと程よい力強さ。特殊な趣味のない八幡でも悪い気はしなかった。

 

 聊かスキンシップ過多な気がしないでもないが、幼稚園児ならこんなものだろうと気にしないことにしている。

 

 陽乃が卒業してから広がった人脈の中では一番目に若い――というか幼い人物であり、今回のキーパーソンの一人だ。そんなけーちゃん様は八幡を思う存分抱きしめると、ぐるりと首を動かして姉を見た。

 

「さーちゃんもぎゅー!」

 

 やっぱり私の妹は世界一可愛いと人知れず感動していた姉は、妹様からの急な要請を理解するのに時間を要した。理解すると、途端に頭に血が上ってくる。

 

 八幡の正面から抱き着いている京華が視線で示すのは彼の背中だ。要は衆人環視の中そこに抱き着けと言っているのだ。犬の犬たる沙希の本音を言えば願ったりかなったりではあった。人並程度に触れ合いを欲している沙希だが、相手が相手だけにその欲求はほとんど叶えられたことはない。何か渡す時に手が触れあっただけでも歓喜するくらいだと言えば、犬の犬がどの程度飢えているのかが解るというものである。

 

 注文通りの状況だ。しかし、ここは人目がありすぎる。けーちゃんのお友達は目をきらきらとさせて注目しているし、小学生たちも何だどうしたと興味深々だ。当然高校生や大人たちは事の推移を見守っている。ここで止めてくれれば沙希にとっては残念なことであっても話は穏便に流れるのだが、大人たちの顔にも興味津々と書いてある。男女間のゴシップに興味があるのは、どの年代でも共通のことなのだ。

 

 そんな衆目の中でこういうことをするのは沙希の感性では十分にはしたない行為と言えた。見た目から誤解されがちであるが、川崎沙希は今まで一度も男性とお付き合いをしたことはないし、恋人同士がやるようなことはほとんど全てが未経験である。

 

 だからまぁ、大体の人間が想像しているよりも沙希は恥ずかしい思いをしていた。やりたいけどもやりたくない。できることなら逃げ出したいが、こういう時の妹様が頑固というのは姉だからこそ知っている。やらなければ絶対に収まらないし、やらなければ大泣きするだろう。姉としてはやる以外の選択肢はない。

 

 ただ、覚悟を固めるのに時間はかけられない。京華にとってぎゅーというのは親愛を表すための行為であり、川崎家では主に母と姉相手に行われている。その点を鑑みると男性である八幡にぎゅーしているのは中々どうして深い意味があるような気がしてならない。少なくとも大志や父親が相手だと京華はとても嫌そうな顔をする。

 

 きっと同じ血を引く女だから男の趣味が似ているのだろう。この年でこれだけのことをしているのならば、今の自分と同じ年齢になった頃には何をしているのだろうか。相手の環境を考えると想像するのも恐ろしいが、とりあえず今は目の前のことだ。

 

 親愛を示す行為に付き合ってくれないのは仲良くしたくないという意思表示にも取れる。姉の目から見ても京華は今難しい時期だ。これで話がこじれてしまっても困るのだがそれはあくまで川崎家の事情だ。家庭の事情を楯に恋人のいる男性に抱き着くというのも筋が通らないし何より女王様の復讐が怖い。

 

 それでも妹のことを考えると沙希にやる以外の選択肢はなかった。

 

 そんな後輩の様子をぐりぐり頭を押し付けてくる京華をなだめながら八幡はぼんやりと観察していた。見た目の割に真面目な沙希のことだから難しく考えているのだろう。気にすることはないのだ。いいからさっさとやれと視線を向けると、沙希は一瞬だけむっとした表情を浮かべた。

 

 八幡にとっては気にするようなことでもないのだろう。尊敬できる人だがそれはそれで癪に障る。どきどきしているのはそのままに、沙希は覚悟を固めた。目を閉じて力いっぱい抱き着くと、それを見た小学生幼稚園児の軍団から歓声が上がった。

 

 あまりかいだことのない匂いがする。意外とがっしりしてるなとか。ここで目を開けたらこのまま死にそうとか。余裕のないことばかり考えながら数秒。京華が解放するのを待って、沙希も八幡から離れる。心臓の音がうるさい。かつてないほどの多幸感に本能的に身体が動きそうになるが、

 

「ここで自分の身体の匂いをかぐのは。女子としてどうかと思う」

 

 いろはの指摘でとっさに思いとどまった。気まずい表情を向けてくる沙希に、いろはは人差し指を唇に当てて、小さくウィンクをする。二人の秘密という意図は伝わっただろう。接点のあまりない二人だが、隠しておきたいことの一つや二つ誰にでもある。沙希としては乗らない手はない。

 

 二人の女子高生が密やかに友情を深めるのを他所に、大満足したけーちゃん様はとことこ離れていった。幼稚園児の輪に戻るとすごい! おとなーと大絶賛である。時の人になりご満悦なけーちゃんを横目に見ながら、今度は小学生の集団から代表である少女が八幡の元に歩み出てくる。

 

「今日はよろしくお願いします」

 

 昨今の小学生にしてはカジュアルさの少ない装いは育ちの良さを連想させる。幼稚園児も含めて女子ばかりの中、よく言えば大人っぽい雰囲気のその少女は若干浮いていたが、かつてのようにツマハジきにされている訳でないのは、周囲の少女たちの様子を見れば解る。

 

 よくも悪くも女王様の行いは上手くいっている。それは犬としては喜ぶべきことではあるのだろう。それだけ勢力が広がったことは好ましいことと言えなくもない。八幡自身の感性には合致することでもあるが、当然素直に喜べない部分もあった。

 

 少女の顔を見た八幡は一瞬だけげんなりした表情を浮かべたがすぐに引っ込める。

 

「よろしく。友達を連れてきてくれてありがとう、鶴見さん。詳しい話はあっちの人達が話してくれると思うから、頼めるかな」

「比企谷さんは一緒じゃないの?」

「一緒だけど、俺はお手伝いなんだよな」

「一緒なら安心ね」

 

 にこりと微笑む少女はなるほど確かに見とれる程の美少女ではあるのだが、八幡とその会話を横で聞いていたいろはは、そのやり取りに身の毛もよだつ程の空々しさを感じていた。感性としては普通の人に分類されるいろはも少女から何かを感じ取ったらしい。

 

 珍獣でも見るような顔をしていたいろはに、少女――鶴見留美は視線を向ける。自分と八幡の身体が影になって同級生に顔は見られないことを確信していた少女は、すとんとスイッチが切れたように笑みを消すと先程のいろはを真似て、唇に人差し指を当てて見せた。

 

 やけに様になったその仕草に大体の事情を察したいろはは、小さく頷く。ひと夏の経験を経て、少女が間違いなくロクデナシの道を歩み始めていることに、八幡は深々とため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲストが来てくれるなら、呼ぶために尽力した八幡にすることはない。今年のスタッフはいろはたちである。小学生の集団も幼稚園も引率の先生がついてきているから、詳しい話を詰めるのは彼女らで、しかも二人ともが総武高校のOGであり陽乃の知人である。あえてこちらから話すことは特にない。

 

 児童園児たちの役目は、当日出し物をする場所の確認と、高校生たちに対する演目の簡単な内容確認くらいで、それ以外の時間は暇なのだ。思い思いの場所で思い思いの相手と過ごす少女たちの他所に、留美は八幡の所にやってきていた。にこにことほほ笑んだままだが、内心全く笑っていない少女に、自分の恋人も小学生の時からこんなだったのかと思いを馳せる。

 

「案外楽しそうだな」

「楽しくはないわね。面白くはあるけど」

 

 小さな雪乃といった風だ。陽乃と雪乃と並んでいたら三姉妹に見える程度には容姿に共通点がある。その末妹は次女よりも長女らしく振舞うことには適性があったようで、完全な部外者である八幡の目から見てもその振舞いは堂に入っている。

 

 それだけに心苦しくはある。もっと真っ当に周囲に溶け込む方法はあったはずだ。陽乃の提示した方法が効果的であったことは認めるが、このままではロクデナシ一直線である。同級生に興味はないということはないのだろうが……今学校でつるんでいる同級生を、留美が友人と思っているかには疑問が残る。

 

 もっとも、社交性という点では当時の八幡よりは遥かにある。世の為人の為にどれだけ影響を与えることができるかを人の価値に置き換えるならば、鶴見留美という少女はとても有用であり、人間的に価値のある存在である。

 

「推薦入試受かったんだって? 陽乃さんから聞いたよ」

「おかげさまでな。内申のために部活やってて良かった」

「純真な小学生としては、試験で良い点とった方が簡単なんじゃない? って思うんだけど」

「当日何かあって試験受けられんかもしれないからな。選択肢は多いに越したことはない」

 

 そうでなくとも、活動実績や受賞歴というのはどういうものであれ話の種くらいにはなる。何事も白紙で提出するよりは何かしら書いてあった方が良いものだ。部活を作れと静に言われた時は面倒くさいと思ったものだが、ほとんどが終わって振り返ってみればやって良かったと心底思える。

 

「普段から良い子でいるなら、俺みたいにバタバタする必要はないからな。お前なら楽勝だろ」

「八幡みたいに内申を気にして大学まで行くって決めつけられるのもどうかと思うけど、まだ真っ当な評価をしてくれるようで安心した」

「真っ当じゃない評価ってどういうのだよ」

「近所のおじさんは小学生はみんなユーチューバーが大好きなんだって決めつけてくるわ」

「それは……許してやれよ」

 

 自分は若いものの感性を理解できるという、おじさんなりの精一杯の歩み寄りと見栄なのだと八幡には分かる。留美の立場であれば同じ感想を抱いただろうが、こうして年下の少女に相対しているとおじさんの方に同情が沸いてしまった。

 

「それにしても、小さい子にモテるのね」

 

 留美の視線の先には友達と戯れている京華の姿がある。楽しくおしゃべりしている最中も、ちらと視線を向けてはぶんぶん手を振ってくる少女は確かに、強面と内外に評判の八幡が思わず手を振り返してしまう程に愛らしい。

 

 面白がった留美も、八幡と一緒になって手を振り返すと、京華は嬉しそうに飛び跳ねながら両手で手を振った。アクションが一々大げさで見ていて楽しい。幼稚園で孤立しかけているという話だったが、今日の様子を見るにその心配もなさそうだった。

 

「モテるっつーのとは違う気もするが。あの娘にはあまり怖がられたりはしないな」

「優しい内面ってのを見抜かれてるんじゃない?」

 

 その声音にはからかいの色が強い。世間一般では留美も十分小さい子に分類されるのだが、話しているともっと年上のように感じる。見た目は明らかに小学生であるにも関わらずだ。背伸びしているのとも違う。かといって達観している様子もない。無理なく今の自分でいる。肩肘を張っていたキャンプの時と比べると随分自然体に見えた。

 

「どうだろうな。まぁ、悪くはない」

 

 どうであれ、好かれていると思えるのは心地よいものだ。それがいずれ勘違いと陽乃と出会う前は苦行に思えてた人付き合いも、究極的にはこういう好意を得るために行っているのだと思うと意味も理解できる。要するにその対象がたった一人か不特定多数の違いと思えば、今の自分にも当てはめられる。

 

 他人から見るとそう見えるのだと思うとこそばゆいものだ。それでも、何か不思議な力が働いて過去に戻されたとしても、同じように振舞って同じような選択をするのだと確信が持てる。

 

 八幡の表情に固い意思を感じ取った留美は、小さく手を合わせる。

 

「ごちそうさま。私もそんな恋愛がしてみたいわ」

「他人にオススメはできないな。普通に相手を見つけて普通に青春しろよ」

「そんな顔して言われても説得力ないわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話しあいはびっくりするくらいにスムーズに進んだ。幼稚園、小学校、老人ホームの先生スタッフの方々は誰かさんが作ったらしい当日のスケジュールを持たされており、彼らはそれに沿って運営されるものだと疑っていなかった。

 

 そのスケジュール表が存在することもいろはたちは初耳だったが、大人たちを前に違います知りませんと言える高校生はその場におらず、そのスケジュール表を全面的に採用することで話は決着。表については三方から問題なしという話をいただいたので、本当に当日の流れを確認するだけで終了した。

 

 リハーサルの日程も、幼稚園小学校の先生方に根回しは済んでいたし、当日使用する施設についても話は通っているとのこと。準備根回しというのはこういうことを言うのだなと感心するが、同時にもう少し相談してくれても良いのではと思ういろはだった。

 

 相談を受けていないのは他の面々も同じだが、めぐり政権から続投のメガネーズを除いた新規メンバーと、向こうの海浜高校の面々はむしろ八幡の手腕に感心しきりだった。同じ感動を得たらしいあちらさんたちは高い意識に燃えており、今から来年はこうしたいということを仕切りに話し合っている。

 

 今からこの温度差で大丈夫なのかしらと心配になるものの、修行期間が一年もあるのだと思えば対処可能に思えてくる。なるようになるだろう。適度に肩の力を抜けるのが一色いろはの長所であり強みである。

 

 ともあれ先方とのスケジュールの確認が終われば、他にすることは特にない。あちらさんは意識高い議論をしているし、めつきの悪い先輩は幼女たちに連れ回されてモテモテだ。犬の犬さんはその後をおろおろしながらついて回り、こちらの高校のスタッフは先方と話し込んでいる。

 

 全員がOGであることから、進路などの相談に乗ってもらっているらしい。一年であるいろはたちにはまだ先の話であるが、スタッフの中には二年生も少なくない。聞いておいて損のある話でもないのか、一年のスタッフも一緒に話を聞いている。

 

 幼女と戯れる先輩を目で追っていたいろはは、その全てに乗り遅れた形だ。流石にこれだけ人間がいて話し相手がいないのは寂しい。どこかに自分以外に寂しい人間がいないかと、会議室を見回してみると、隅で気配を消して背景と一体化しようとしている女が目に入った。

 

 自分はここに存在していませんと顔に書いてある人間を見ると、どうにもからかってみたくなる。他に話しかけようという人間もいないようだしと、いろはは笑みを浮かべながらその女に近寄った。

 

「こんにちは。確か先輩の元カノさんですよね?」

「恐ろしいこと言わないでよ!」

 

 鬼気迫った様子の女に、いろはは首を傾げる。照れ隠しという風ではない。純度120%くらいの恐怖が顔に張り付いている。これは本格的にDVですか先輩とわくわくしながら、逃げようとする女の退路を塞ぐ。

 

「まぁまぁそんな逃げないでください。自己紹介はしたと思いますけど、私は一色いろは。総武の一年です」

「折本かおり。海浜の三年。比企谷とは何の関係もないから。私から関わろうとしてないから。というかこれはセーフだからね? 本当、そっちのボスにはちゃんと言っておいてよ」

 

 怯えつつも逃げようとはしない。観念したらしい折本に椅子を進めると、いろははその隣に座った。高校以前の関係者であるなら、いろはが聞きたいことは一つである。

 

「昔の先輩がどうだったとか本人に聞いても教えてくれないんですよね。あんなだから、中学の時からそこそこモテたと思うんですけど」

「いや、全然」

 

 反射的に答えてしまった折本は言った後に気づいて顔をしかめた。折本的にはここは無難にやり過ごす場面である。あちらに関わって良いことはない。いろはは深度はともかく関係者を匂わせているのだから関わらないに越したことはない。

 

 折本は慌てて失敗を取り繕おうとする。場合によっては相手も見逃してくれただろう。何か事情があるのだということは折本の態度を見れば誰でも察せられる。厄介ごとに関わり合いになりたくないのは誰でも同じだ。折本がいろはに期待したのはそういう配慮である。

 

 無言のお願いに、いろはは笑みで応えた。例えるならそれは仕事を始める前に強盗が浮かべる笑みだ。望むものは全て差し出せ。じゃなきゃもっと酷いことをするぞ。その笑みを見て、折本は全てを諦めた。一色いろはというのがやる時はやる女だというのが解ってしまったからだ。

 

「私死にたくないんだけど」

「奇遇ですね。私もです」

「本当に、ほんっとうに。そっちのボスには黙っててよ?」

「解りました。私はこれでも口が堅い方ですから安心してください」

 

 それこそ欠片も安心できる要素のない物言いだと自分でも思ういろはだったが、どういう訳か口の堅さを保障する言葉は大多数の人間に一定の効果があるようで、案の定、眼前の折本も大分ハードルを下げてきた。死にたくないとか言ってる割に危機感なさすぎじゃありません? と思いつつも顔には出さない。

 

 今いろはの成すべきはこの女から先輩の情報を聞き出すことであって、この女の安全について考えることではない。こっちのボス――察するに陽乃のことだと思うが――本人から脅しか何かをかけられているのだろう。

 

 おそらく陽乃と直接面識があるが、あまり接点はない。会ったことがあるのは一度か、多くても二度三度だ。主に八幡と因縁がある。それは折本にとっても八幡にとってもあまり良いものではない。

 

 元カノというのはハズレだったようだが、そこまで的外れという訳ではないようだ。因縁が恋愛がらみであることは間違いないのに彼氏彼女の話がではないのなら、それ以前の問題か。

 

 どちらかの横恋慕か、告白未遂か失敗か。今の八幡と折本を見ていると八幡主体で失点をしたのが折本と考える方が自然であるが、それだと陽乃が脅しをかける理由にならない。そこだけを見るのであれば主客が逆であると見るのが正しいのだろう。

 

 横恋慕にしても告白未遂失敗にしても、失点をしたのは比企谷八幡だ。あまりイメージが湧かないが、高校デビューでキャラが激変するというのは良くある話である。八幡もその口だったのだろうかと思いつつ、折本を見る。

 

 美少女寄りではあるがそこまで尖っていない。クラスで一番かそれに準ずるくらい――勿論、一色いろはには及ばないし、雪ノ下陽乃には言うに及ばない。物の好き嫌いはあるにしても直接対決ならば絶対に負けないという自負がいろはにはある。

 

 対してその当時相手になったらしい八幡だが、陽乃と並んで立てるだけあって、顔の造りは中々悪くない。好みがかなりはっきりと出る強面であるも、美形であるという評価は好き嫌いに関わらず共通する感想だろう。

 

 そして陽乃と釣り合いが取れるだけあって、折本と並ばせると八幡の方が大分勝ってしまう。見えるものだけを見るならこの二人の組み合わせで告白騒ぎがあったとしたら、折本の方が告白をしたと思う。だが実際は、

 

「あいつが告って…………いや、告ってもなかったのかな。私に気があるってことが広まって、皆があいつをからかいだしたの。そういう話が出た翌日にはもう、黒板一面使ってね。あいつ、元からクラスの隅にいるような奴だったんだけど、それで完全に浮いちゃってね。それからは良く知らない。何しろ関わってなかったから」

「…………見栄はってウソついてるとか、そういうことじゃなく?」

「ほんとだよ。あいつ中学の時は相当な陰キャだったの」

 

 はぁ、といろはの口から小さな溜息が漏れた。にわかには信じられない。いろはにとって比企谷八幡というのは口が悪く目つきが悪く、でも自分に自信たっぷりでどんな無理難題でも文句を言いながら解決してのけるデキる男だ。

 

 進んで人の目に留まるような男ではない。陰日向のどちらかを問うのであれば間違いなく陰の方のキャラであるが、間違っても折本の言うような陰キャではない。

 

「高校デビューで大成功したってことですか?」

「し過ぎにも程があるって感じだけどね。デビューっていうか、彼女さんができてから変わったんだと思うけど」

「参考までに聞きますけど、中学の時からああだったら、告白断りました?」

「それを聞く? 私の方から告ってたかもね。好みは分れるだろうけど、今の比企谷はかっこいいもん」

 

 はぁ、と今度は折本の口から小さな溜息が漏れた。女王の手の者に殺されたくはない。それでも、今の八幡を見ていると逃した魚は大きいという気はする。全ては過ぎて、取返しのつかないこと。仮に中学の時に告白を受け入れていたとしても、自分が相手では八幡はああはならなかったという確信がある。

 

「未練とか、あっちゃったりします?」

「むしろ吹っ切れてるかな。ここまで縁がないと思うとむしろすっきりする」

 

 何しろ女王のものだ。ここから何かをしようということは、あれを相手にするということでもある。女として勝てる要素が全く見当たらない。今時分八幡に突撃できるのは、まさに今彼に絡んでいる幼女のように事情を何も知らないか、自殺志願者のどちらかだろう。

 

 そして折本の目には、眼前のいろはが後者に見えている。力不足を自覚しつつも、戦うことを諦めていない女の目。一言で言うなら恋する乙女の雰囲気だ。聞けば本人はそんなことありませんよーと何でもないことのように流すのだろう。

 

 八幡の声が聞こえる度に視線をそちらに向ける。声をかけられる度に思わず笑みを浮かべる。近寄る機会があれば面倒くさそうに追いやられてもぐいぐい近寄る。これで何もないというのであれば相当な悪女だ。相手がつれなくしているというのも勿論理由の一つではあるのだろう。

 

 相手が燃えないからこそ自分が燃えているという向きもある。折本が言えるのは精々火傷しないようにということだけだが、これも、言っても本人はきかないだろう。女王の犬と解って好んで近づいているのだから、折本の目から見ればいろはも十分狂人だ。総武で八幡の所属する部活は変人ばかりと聞いているが、この娘もその一人に違いない。

 

 恋する乙女の顔をしたいろはに、折本は曖昧な笑みを浮かべる。

 

「ま、死なない程度にがんばりなさい。私から言えるのはそれくらいよ」

 

 

 




二年生がさがみんだけなので修学旅行編はなし。
残りのイベントはクリスマス、バレンタインと卒業式の予定です。
来年中には完結するかな……もう少し更新頻度を上げていきます。

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