犬とお姫様   作:DICEK

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当たり前だが、協力者は外にもいる

 

 

 

 自らをして『あざとい女』という認識のある一色いろはの最大の武器は『戦闘力』を数値化することに長けていることだ。女に限らずおよそ人間社会に生きる者にとって、容姿というのは一番目につく、そして最も有用で使い手のある武器である。

 

 それは老若男女全てに共通する。容姿が優れているということはほとんどの場面においてプラスに働き、物事を自分にとって有利に運ぶことが容易になる。あざとく立ち振る舞うというのは、自分のそれを十全に使いこなして利益を得て、かつ、相手の容姿による利益を封じ込め、相対的に優位に立つ技術に他ならない。

 

 そう、容姿というのは相対的なものなのである。戦闘力の平均が10の集団において、100の戦闘力を持つ人間がいればなるほど、簡単に頂点に立つことができる訳だが、その隣に1000の戦闘力を持つ人間が現れたら、その魅力はかすんでしまう。

 

 つまるところ、自分の属する集団において、自分以上の容姿を持つ者の台頭は可能な限り避けなければならず、そのためには周囲の人間の戦闘力を誰よりも早く、そして正確に把握する必要がある。

 

 その知覚において、いろははそれなりの自負を持っていた。あくまで自分の容姿がものさしの基準であるが、自分の認識と集団の認識がズレていると感じたことは一度もない。

 

 その絶対的な相対的容姿を認識する力によれば、現れた女の戦闘力は自分を100とした場合、おまけして70という所だ。50±10が普通の範疇とすると、美形より。ただし美少女と表現するには難があるレベル。クラスで一番か二番の容姿であるが、学年で、学校でというと疑問符がつく。

 

 単純に戦闘力という点では一色いろはに比肩するものではなかったが、現れたその女の顔を一目見るなり、いろはの顔に浮かんだのは警戒の色だった。

 

 ワンチャンあるかもというのは異性の評価としてプラスに働くものだ。学校一の美少女なら手が届かなくてもクラス一なら、と考えるのは高校生くらいまでの男子なら良くあることだと聞いているが、大抵の場合はそれでも分不相応というのは言わずもがなである。クラス一とつり合いを取るためには、同じくクラス一くらいでないとダメなのだから。

 

 さてそのクラスで二番目の美少女は、八幡を見るなり頽れた。顔見知りと言うのは間違いない。向こうの実行委員にタメ口で話しているのを見るに、学年は二年か三年――おそらく三年だろう。そうなると八幡と同級生ということになる。顔が広くなったのは高校生になってからと聞いているし、あの女王様と恋人になったのは一年生の頃だと言う。

 

 彼女ができてから意味深な反応をする女の知り合いが増えた、というのは彼女的には処刑案件のように思える。そして隠し事を八幡がしていたとして、女王様に看破されないとも思えない。何かあったとしたら高校入学前だろうし、それなら同じ中学であったことは推察できる。

 

 そこから更に推理を続けてみるに――

 

「二年の時に告白してきたものの、先輩のDVが原因で卒業前に別れた中学時代の元カノってところですか?」

「中学時代って所しか合ってないな」

「彼女相手でもDVって言うんですかね?」

「さあな。家庭内の(ドメスティック)なんだから言わん気もするが、大学入試で出てきたら厄介だから調べて答えを教えてくれ」

 

 深々と溜息を吐く間も、いろはは観察を続けていた。あの反応から関係者ということはバレると思ったが、一瞬で中学時代の色恋沙汰という所にまで行きつく辺り、リア充側の観察力も中々捨てたものではない。探られても気にならない痛みしかない腹とは言え、全く問題が起きないという訳でもない。

 

 彼女のいる身で、彼女以外の女のことで起こる問題が面白いはずもないのだ。できることなら何事もなく、平穏無事に過ぎてほしいと思っているのは、何も自分だけではないだろう。ちらと八幡が視線を向けると、折本はその意味を即座に理解した。ぶんぶんと首を縦に振る彼女に、八幡は小さく安堵の溜息を漏らした。

 

「……目と目で通じ合ってませんか?」

「危機意識を共有すると、テレパシーってのは意外と使えるもんだ」

 

 へー、と声を漏らすいろはの疑惑は逆に深まったようだ。元カノ路線もまだ捨てるつもりはないらしい。そうこうしている間に、折本は向こうの代表、玉縄氏の横の席に着席した。何でも向こうの高校の前年の責任者らしく、めぐり政権の時には玉縄氏の席に彼女が座っていたらしい。

 

 めぐり政権にはなるべく手を出さないと陽乃が決めていたから良い様なものの、そうでなければ怖いニアミスをしていた所だ。痛い経験のある女に彼女同伴で会うという経験は、できれば二度としたいものではない。

 

「先輩の元カノ、アドバイザーとか横文字で呼ばれてますけど、遅刻してきて何をアドバイスするんでしょうかね」

「元でもカノでもねーよ。あんまり引っ掻き回してほしくはないもんだけどな。無難な案をさっさとまとめて帰りたいんだが」

「何かあったら文化祭の時みたいに汚い工作で何とかしてくださいよ」

「一番得したお前が汚いとか言うなよ……つっても仕込みもなしに何かやるとか無理だっての」

 

 本物のマジシャンならばギミックなしでも色々な芸ができるというが、犬にできることなどたかが知れている。はったりは既に打ち尽くした。ここで相手の新戦力による問題が起こったら、正直仕切り直しをするより他はない。時間がない現状、ここでの仕切り直しは企画の死を意味し、そして企画の死は比企谷八幡の失敗である。

 

 部下や民の失敗に女王は寛大だ。圧政だけが政治ではない。女王は独裁者であるが、失敗を許すだけの度量がある。実際には失敗も込みで計画を立てているのだから、予定通りと言えば予定通りなのである。

 

 しかし、犬は部下でも民でもない。犬にとって女王は独裁者であり絶対者である。女王にとって犬は犬。芸を覚えれば誉めもするが、覚えた芸をしくじったとなれば何をされるかわからない。

 

 計画は軌道に乗っていた。一番年上の人間が出した案に、これで行こうという言質も取った。八幡がパワポで作成したのは現状からでも無理のない計画であるが、人員が確保できなかったり横槍が入ればその限りではない。最悪、残り全ての時間を使えば八幡一人で処理できなくもないというレベルに設定してあるが、そこまでしてやる義理はないし、それは失敗に等しい。

 

 八幡にとって後からやってきた折本は純粋なイレギュラーだった。ここで昔の遺恨を持ち出して引っ掻き回すようであれば、最悪、陽乃の力を借りてでもアレしなければならなかったのだが、折本に昔のようなふわふわした雰囲気はなかった。

 

 むしろ八幡が目を向けるとびくりと身体を震わせる始末である。事情を知らない人間でも八幡と折本を見て、彼女の反応を見れば、八幡が何かをしたと思うのが自然だろう。事実、向こう側にも折本の反応を不審に思う人間が出てくる。主に女子だ。

 

 彼女らが声を挙げればまた別の問題が持ち上がっていたのだろうが、向こう側で女子は少数派。折本を含めても三人しかいない。残りは全員クリエイティブでアバンギャルドを目指す業界人風の男子ばかりだ。彼らの目には男女問題など首を突っ込んでも手柄にならなそうな問題は目に入らないのである。

 

 

 結局、その日の会合で遅刻した折本は特に何も発言しないままお流れとなった。

 

 

 日が変わってその週末。休日を潰して活動するなど結構なことだが、元々のスケジュールに組み込まれていたことなので文句も言えない。奉仕部の面々が沙希以外休日出勤を強いられる八幡ははっきりと迷惑に感じていたものの、それも契約に含まれると言われればぐうの音も出ない。

 

 今日の総武高校のメンバーはいろはの他にも一色政権のメンバーが勢ぞろいである。城廻政権と異なり引き継ぎの顔合わせはしていないが、二年のメンバーは城廻政権からの引き継ぎのため、知っているメガネが三人ほど存在している。

 

 彼らはめぐりが選んだだけあって地味なメガネであり、特に校内の情報収集においては独自の情報網を持っているらしく仕事が早い。自分とは明らかに違うタイプの人間の情報でも持ってくる辺り、陽乃でさえ一目を置く程であるが、それも全員揃ってこそだ。今の三年のメンバーが欠けた今となっては、彼ら彼女らはただの優秀なメガネとなっていた。

 

 彼らからの八幡の受けは、実の所あまり良くはない。彼らにとってのボスはめぐりだが、八幡とめぐりのボスは陽乃という認識の齟齬からくる問題だ。ボスのボスはまぁボスなりに敬意を払う存在ということで折り合いはついているらしいが、ボスの仲間まではその対象には含まれないというのが当の陽乃の分析である。

 

 もっとも、受けが良い悪いは彼らの個人的なことで、仕事関係で手を抜いたりはしない。その辺りの真面目さは流石にめぐりが選んだだけのことはある。八幡も別に彼らのことは好きではないが、めぐりが選んだのであれば信用はできる。ビジネスライクな付き合いで良いと向こうから言ってくれているのだ。むしろその辺のリア充よりも付き合い易いまである。

 

 遅れ気味のスケジュールだったが、このメガネーズがいればどうにかなるだろう。それなりに緊張しているらしいいろはたち一年の面々と異なり、安心して会場入りしてからの流れは、やはり八幡の予想通りの展開となった。

 

 元より今からでもデキそうなことをプレゼンしたのだから、ベースがあのパワポである限りよほど脱線しない限り大成功はなくとも大失敗は絶対にない。八幡たち総武高校の面々の仕事は脱線しそうになるのを防ぐことだったが、よほど『パワポを使ったプレゼン』というものに心動かされたのか、彼らは杓子定規な程に八幡の提案に従って行動した。遊びの要素は一切ない。

 

 これにはいろはも不思議がっていたが、八幡には理由が解っていた。パワポプレゼンに感動した自分たちはそれに黙って従ったという事実がほしいのだ。つまりは来年以降、自分が主導する立場に収まるためである。学生の時分は縦の関係が強いものだ。職責上位な人間は基本年上。つまり、今年の経験者は来年以降においては先輩にある。

 

 今年が三年であればまた違ったのだろうが、ヘルプできている折本を除いた人間は二年以下。向こうの代表である玉縄氏も二年だ。来年のカオスはここに確定した。

 

 来年も自分がここにいるのであれば全力で修正に走るのだろうが、いろはにも宣言した通り来年のことなど知ったことではない。ヘルプという形でさえ本来二年が主導するべき企画で三年が口を出すのは微妙にルール違反の気配があるのだ。出しゃばりが嫌われるのは古今東西変わるものではない。

 

 自分がされて嫌なことは、他人にもするべきではないのだ。人間関係の超基本であるが、どこかの女王様はそれをご存じないようではあった。

 

 時間をかければ良いものができるというのは完璧ではない。かけるべき時間をかけるべき場所にかけるというのは中々難しいもので、大抵の場合は無駄に時間を浪費するものである。それに時間だけかけても絶対に解決できないものがいくつかある。

 

 その一つが予算だ。文化祭のようにスポンサーを募って集金する手段がない場合、年間を通しての生徒会の予算は生徒総会の際に決定される。これを上回って予算を使うことは――原則的にではあるが――できない。今回のような合同の企画であれば猶更だ。学校も教師陣も生徒会も、なるべくならば相手にだけ出させて自分たちは使いたくはない。

 

 当然、向こうもそう思っているだろうことはお互いに伝わっている。結果、手間をかけることさえできれば見栄えのするものを複数候補に出し、それを絞り込む段階で無駄な時間を使うことになるのだ。企画など何でも良いと割り切ってしまえば楽なのに、よりよくすることに終始して、より悪い方向へと進んでいく。高校生活で学んだことは沢山あるが、こういう時にこそリーダーが必要なのだと体感できたのは大きな収穫である。

 

「小学生と幼稚園児にオファーを出して、老人ホームのご老人方を招待するのは考えましたね……」

 

 小学校と幼稚園の会場にはボランティアに貢献したという実績を与え、ご老人方は子供の出し物を見ることで心癒される。予算がカツカツなのはどこも一緒。というのがミソである。ボランティアとか癒しというのは建て前なのだ。

 

 つまるところ、小学校も幼稚園も総武高校も海浜高校も老人ホームも、ほとんど金を使うことなく実績作りと時間潰しができるという誰も損をしない企画なのだ。あらかじめ小学校と幼稚園に話さえ通しておけば子供たちの時間を押さえることはそう難しいことではないし、演者のスケジュールが抑えられれば老人ホームの予定を押さえるのは更に簡単だ。後は演者の中に孫の一人や二人紛れ込ませておけばパーフェクトである。

 

「小学校にも幼稚園にも老人ホームにも、うちのOBOGがいるのは前から知ってたからな。切っ掛けさえあれば後は楽勝だ。金はかかりませんということがしっかり伝われば、面倒な手続きまで向こうがやってくれる」

「お婆ちゃんたちからしきりに感謝されてましたもんね先輩」

「陽乃なら向こうから次回もよろしくって根回しされたろうがね。俺なんぞまだまだだ」

 

 冷めた目線で大抵のことを客観的に見れるくせに、自己評価だけは不当に低い。増長されるよりは遥かにマシであるが、デキる人間が俺なんて大したことないと言ってしまうと、それ以下の人間は立つ瀬がないのだ。デキる後輩であるつもりの一色いろはとしては毎回対処に困るのである。

 

「で、その触れ合いイベントですけど大丈夫なんですか? 中身はあちらに丸投げするみたいですけど」

「その点は心配ない。この世で二番目に信頼できる人に協力をお願いしたからな」

「陽乃さんですか?」

「あの人はこの世で最も信頼できない」

「そんなこと言っていいんですか? 告げ口しちゃいますよ」

「構わねーよ。あの人も俺に対しては同じこと言うだろうしな」

「…………良く解りませんけど、恋人ってのはそういうのが普通なんですか?」

「多かれ少なかれ不信感は持ってるもんだと思うが、俺らくらいのは少なくとも普通ではないだろうな」

「良くそれで恋人なんてできますね?」

「変人なんだろう。お互いにな」

 

 良く解らない、というのがいろはの正直な感想だった。彼氏などいたことのない人間として、少なからず恋人関係というものには幻想を持っていたのだが、八幡から話を聞く限り甘酸っぱいことなど全くないように思える。しかし聞いた話では二人は仲睦まじく、むしろ陽乃の方から八幡に迫っている風であるという。

 

 本当にお互いに変人なのだろう。これを運命などとは呼びたくないものだが、本人たちが幸せならば他人が文句を言う筋合いもない。

 

「それなら、その二番目さんはどこの誰なんです? 小学校か幼稚園のOGさんですか?」

「OBって可能性はないのな……まぁ、女性には違いないが」

 

 その割に八幡の言葉は歯切れが悪い。まるで女性と表現することに抵抗があるその物言いに、いろははぴんときた。まさか、とそれを口にするよりも早く。ホールの扉が開いた。団体さんのご到着である。スケジュールを合わせると聞いていたから、当日出演してくれる児童と園児のそろい踏みである。

 

 要望した訳では決してないのだが、やってきたのは全員が女の子だった。流石にこれは偏り過ぎである。誰かの意思が介在しないとこうはならないはずで、そして各位にオファーを出すお膳立てをしたのは八幡だ。主導したのはいろはたち現生徒会であっても、コネはそもそも八幡たち前、前々政権のものである。

 

 何か余計な意思を混ぜる可能性は十分に考えられた。じーっと見つめてみると、居心地悪そうに視線を逸らす。

 

「俺が何か言った訳じゃないからな」

「じゃあどうして女の子しかいないんですか」

「この世で四番目くらいに信頼できない女が、そうした方が良いって言ったからだよ」

 

 また女だ。この男は一体どれだけ女の知り合いがいるんだろう。彼女のいる身でだらしがない。これは一度くらいは説教してやるべきかと思って口を開こうとした、その時、

 

「はーちゃんっ!!」

 

 幼稚園児の集団から飛び出してきた幼女が、全速力で八幡に飛びついた。この男はこんな優しい顔もできるのかと戦慄しているいろはを、幼女が見上げた。ふと、同級生の川崎沙希の顔が連想された。面差しが似ている。おそらく彼女の妹だろうその幼女は、八幡をぎゅーっと力いっぱい抱きしめると、いろはに向けて笑みを作った。

 

 かわいらしいはずのその笑顔が、いろはには紛れもなく挑発に見えた。

 




八幡の信頼できない女ランキング

一位 雪ノ下陽乃
二位 相模南
三位 海老名姫菜


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