犬とお姫様   作:DICEK

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実は、例の連中は既に動いていた

 

 

 

 

 

 

 結果だけを言えば、一色いろはは選挙で圧勝した。

 

 対立候補の二年生は自分の学年でこそ健闘したものの、奉仕部一同の事前調査の通りの得票差により勝利となった。裏を返せばその時点からどちらの陣営も票の上積みをできなかったということだが、早い段階で支持者を固めることに成功したと考えれば、勝利したいろはの側の戦略は間違っていなかったということだろう。

 

 対抗馬にこれを切り崩す戦略がないことは解っていたし、目算では文化祭の実績だけで十分だったものの、絶対ということは絶対にない。さらなる票の上積みを目指して八幡が打った手は奉仕部の女子四人をいろはの選挙応援に回したことだった。

 

 人は見た目が九割という。生徒会の仕事は別に顔でする訳ではないが、見た目の印象というのはこういう票の多寡で短期に勝負する場合大きな役割を果たす。効果が短期的でもその間に勝負が終わるのであれば何も問題はない。いろは本人が学校でも一二を争う美少女にも関わらず、選挙応援に立っているのはそれに匹敵する美少女ばかりだ。

 

 一年の中でこれに対抗できるのは三浦優美子くらいしかおらず、学校全体で見ても片手で数えられるほどしかいない。総武高校の美少女を上から五人引っ張ってきたと言っても過言ではないのだ。いつだか姫菜も言っていた見た目の有利だ。

 

 この五人が運営する生徒会の何と華やかなことだろう。主に男子生徒をときめかせた幻想だが選挙活動中、誰もいろは以外の四人が執行部入りするとは一言も発言していない。四人が執行部に入るというのは生徒たちの勝手な思い込みだと本人たちが気づくのは執行部の新顔がお披露目になる頃なのだが、その頃には後の祭りである。

 

 めぐり政権の残留組を全員入れてもまだポストには空きがある。文化祭の時に世話になったお礼も兼ねて、いろはは八幡以外の全員に声をかけたのだが、雪乃と姫菜は生徒会活動そのものに興味がなく、結衣は付き合い優先で手を上げなかった。これ以上時間を取られると優美子と一緒にいる時間が減るという判断らしい。

 

 唯一沙希が主に内申のために興味を示したのだが、家庭教師のバイト、塾、家の手伝いに奉仕部の活動と、少し前よりも時間を取られる環境になった上、更に生徒会活動を加える余裕はないと断念した。

 

 八幡としては一人くらい執行部に顔の利く人間がいても良いと思っていたのだが、本人が無理と言っているものを無理に進める訳にもいかなかったのだ。

 

「サキサキなら八幡先輩が言えば何でもしそうですけどね」

「だから何も言えないんだよな。それで倒れられても困る」

 

 八幡にとって沙希は後輩であると同時に妹小町の教師役であり、ともだちであるけーちゃんのお姉ちゃんだ。言えば大抵のことはしてくれるというのは人手がいくらあっても足りない女王の犬という立場上大変ありがたいのだが、何かあったら頭の上がらない女性二人から総攻撃を受けることになる。

 

 陽乃と出会ってから八幡も大概無理を重ねて生きてきたが、同じことをもう一度やったとして無事で済むとはどうしても思えない。まして沙希は後輩の女子だ。誰もが比企谷八幡のように無理に無茶を重ねても幸運に生きていける訳ではないのだと思うと、物を一つ頼むにも躊躇が生まれる。

 

 それは先輩の男性が後輩の女性に対してする配慮としては一般的な範疇に収まるものだったが、沙希の方からすれば声をかけられないのは信頼されていないのでは、と思う原因にもなる。犬の犬と揶揄される沙希にとって何かを成して八幡に褒められることは何にも代え難い喜びなのだ。もっと頼ってくれても良いのに、と奉仕部で一番歯痒い思いをしているのは沙希だ。

 

 では比企谷八幡が誰にも頼っていないかと言われるとそうでもない。奉仕部に一年女子は四人いるが、各々の環境を差し引いても一人だけ多く配分されているのが海老名姫菜だ。彼女の何が気に入っているかと言えば、控え目に言っても人間が腐っているところだ。多少無茶をさせても全く心が痛まず、沙希や結衣よりもずかずかと踏み込んでいけるために物も頼みやすい。

 

 一応女性ということで沙希と同じような配慮はしているが、精神的な遠慮のなさは行動にも影響が出ている。何より姫菜本人が個人的に陽乃と通じているのが大きいだろう。沙希を八幡の子分とするなら、姫菜は同時に陽乃の子分でもあるのだ。故に今では葉山グループよりも奉仕部にいることの方が多い姫菜である。

 

 姫菜のその判断のあおりを食っているのが結衣だ。彼女は逆に最近は奉仕部よりも葉山グループにいることの方が多い。持前の感性で姫菜が抜けた分の穴を埋めようとしているのだろう。それでは負担にならないかと気になるものの、結衣はむしろ生き生きとしている。二つの集団にしっかりと所属できるのが嬉しいのだ。

 

 八幡からすれば方々に顔を出さねばならないというのはストレスでしかないのだが、コミュ力のある人間というのは違うのだな、と思うばかりだ。真似しようとは全く思わないが心の底から尊敬する。

 

 雪乃は諸々の事情にも特に心動くこともなく平常運転だ。基本的には奉仕部の部室で時間を過ごし、紅茶を飲んでは文庫本を読む日々を送っている。奉仕部で一番優雅な時間の過ごし方だ。沙希からすると暇を持て余していると見えるため、若干態度にもとげとげしさが出るのだが、態度のとげとげしさで言えば雪乃も大差ない。二人で会話をしている時は口論にしか見えない時もあるが、特に遠慮なく物を言える人間というのはお互いにとって貴重であるらしく、結衣のように共に時間を過ごすということはあまりないものの、仲自体は決して悪くない。

 

 生徒会選挙という学校として一つの山場を越え、奉仕部は平常運転で部員の増減もなし。新会長としていろはは中々の粘りを見せたが、それでも全員心が動かないと解ると渋々と手を引いていった。 

 

 そんなこんなでいろは政権は八幡の予定通りに発足し、構成員はめぐり政権の二年にいろはが選んだ一年という構成となった。順当に行けば来年もいろは政権が続くため、今年いろはが選んだ一年は来年の政権の中枢を担う予定である。ともすればその中からいろはの対抗馬が出てくるかもしれないが、それはそれだろう。一年会長をやったにも関わらず、そうでない人間に敗れるのであれば所詮その程度ということだ。常に笑顔を浮かべているいろはも、内心ではやる気に燃えている。

 

 傍にいれば鬱陶しいことこの上ないが、離れてみる分にはかわいいものである。

 

 そんな右に左に走り回るいろはを眺めていると、八幡の胸にも一抹の寂しさが去来する。これで学校行事で大きなイベントはない。後は受験して卒業を待つばかりと思うと、特に学校そのものに思い入れのない八幡でもしんみりした気分になった。

 

 思えば陽乃に出会ったからロクでもないことばかりだったが、一度も退屈はしなかった。過去の自分にオススメできる経験では決してないものの、やり直しの機会を与えられてもこの未来以外はありえないというくらいに八幡は今の生活に満足している。

 

 参考書と格闘しながら自分の高校生活をひっそりと振り返る。それがここ数日の八幡の日課だったのだが――

 

「……それなのにどうしてお前はここにいるんだよ」

「いちゃ悪いんですか?」

 

 にこにこと何が楽しいのか微笑んでいるいろはに対し、八幡は深々とため息を吐いた。平日の放課後。奉仕部の部室である。八幡にとってはホームだが、依頼人でも部員でもないいろはにとってはそうではない。会長となったいろはのホームは執行部室であって、ここではないはずだ。

 

 それでも、いろははかなりの頻度で奉仕部の部室に足を運び続けている。ただ遊びに来ているのかといえばそうでもなく、顔をつなぐという意味でも重要な役割があった。陽乃が卒業した今、総部高校における陽乃閥の勢力は衰えていくばかりだが、今でもまだ一定の勢力を持っている。少なくとも今の三年が卒業するまでは完全に消えることはない。つまりいろは政権の一年目の半分の内は、その勢力が残っているのだ。

 

 めぐりの指名を受けずに当選した以上閥の流れを汲むものではないが、それを言えばめぐりも陽乃から指名を受けていないにも拘わらず当選し、対外的には一味とみなされている。いろはも一味と見るのが総部高校生徒の大多数の意見だろう。

 

 だが八幡とめぐりの認識はそうではない。めぐりにとってはかわいい後輩だろうが、派閥の一員という認識はないはずだ。それはいろは本人にとっても同様である。つまり学校で一定の勢力を持つ集団に属していると思われながら、実際にはその集団の恩恵をあまり受けることができないのだ。特にいろはにとっては大問題だ。

 

 既に当選しリコールの可能性も低い以上、支持者数を維持することに現政権のメンバー――特にめぐり政権から続投する面々にはあまり影響はないが、来年も続投する予定のいろはといろはが引き込んだメンバーにとっては他人事ではない。

 

 何より本人がぼっちと標榜しながらもめぐりがしつこく『お友達』と言い続けている人間だ。めぐり政権続投組はまじめ人間が多く彼ら彼女らは個人的には八幡をあまり好いてはいなかったが、めぐりにはとても世話になったため、その友達ならば無下に扱うこともできない。

 

 色々な事情が絡み合って、いろはの入りびたりは認められている。それでも執行部の仕事に問題はないらしいが……居座られる方としては良い迷惑だ。

 

 能力的なものは比べるべくもない。八幡から見て一色いろはは雪ノ下陽乃の下位互換品である。特に何の用もありませんよという顔をして女王様が近くにいる時、大体厄介ごとが持ち込まれるのだ。いろはが特に何をするでもなく部室にいることは多々あるが、今日はそうではないということを八幡は態度で理解していた。

 

 奉仕部員もフルメンバーではない。いるのは八幡と姫菜のみで残りの三人は全て用事で出払っている。部室のドアを開けて二人しかいないと気づいた時、いろはは一瞬だけにやりと邪悪に笑った。いない三人がいないでいる方が都合が良いのだろう。自分と姫菜だけだと都合が良いこと。考えるだけで気分が滅入って厄介ごとの臭いしかしない。

 

「それでですね先輩。ちょっとお願いがあるんですけど――」

「なんだ言ってみろ」

「…………あれ? 引き受けてくれるんですか?」

「どうせ受けるまで粘るんだろうから抵抗するだけ無駄だ。時間をかけずにサクサク行くぞ」

「引き受けてくれるのは嬉しいですけど、何か扱い雑じゃありませんか?」

「丁寧に扱ってほしかったらそれらしい態度を取ってくれ。俺はお前と違って全方位に愛想を振りまいてる訳じゃない」

「陽乃さん相手にだって愛想振りまいてないじゃないですか……」

 

 楽しそうに姫菜は笑っている。雑に扱われ拗ねているいろはを見るのがたまらなく楽しいのだろう。友人が適度に困っているのを見るのが、この腐った女は大好きらしい。

 

「海浜高校と合同でクリスマス会イベントをやるんですけど、知ってますか?」

「俺たちの前の代からの伝統で俺の時もやった。付き合う相手くらいは選ばせてほしいってのがうちのご主人の言い分だったが……」

 

 一応相手を排除せず最後まで合同という程で進行させたが、あれなら自分たちだけでやった方が良いことができたと陽乃の機嫌が悪かった記憶しかない。

 

 あちらの面々も別に能力が低かったという訳ではない。むしろやる気はあったし行動力もあったのだが、その方向性が見当違いの方にばかり向いていて、物を形にするのには邪魔にしかならなかったというだけだ。八幡が陽乃やめぐりと共にそれをやったのが二年前の話である。こちらに当時のメンバーが残っていないように、あちらにも当時のメンバーは残っていないはずだが、悪しき伝統が今も続いているのだとすればいろはの苦労も頷ける。

 

 政権を立ち上げてすぐのイベントだ。めぐり政権のメンバーも残っているこの状況で、如何に過去の執行部員とは言え他所の人間の手は借りたくないに違いない。それでもやってきたということは、いろはの感覚でこのまま進行してもぐだぐだになるか、最悪空中分解するという確信に近い思いがあるのだろう。

 

 皆まで言われた訳ではないが、手伝ってほしいのだということはすぐに解った。彼らを相手にするコツは相手に好き勝手にさせているように錯覚させて上手くコントロールするか、有無を言わせぬパワープレイを強行するかのどちらかだ。陽乃が行ったのは前者だが、それは陽乃が集団をコントロールするのに長けていたからだ。下位互換であるいろはにそれを求めるのは酷だろう。

 

 ならばパワープレイしかなく、そしてそれを総武高校で実行できるのは比企谷八幡しかいない。なるほど最後の手段にしたかったのだろう。八幡がいろはの立場であれば他人に頼むというのもさることながら、比企谷八幡に頼むのはできる限り遠慮する。

 

 それでもやってきたのは自分のプライドなどよりも、目的の達成を選んだからだ。それは力が及ばないことの証明でもあったが八幡には好感が持てた。自分には無理です助けてくださいとは、普通の感性をしていたら人間中々言えないものである。

 

 まさかそこまで理解して来たんじゃなかろうな……と胡乱な目でいろはを見る。自分が見つめられていることに気づいたいろはは、あざとさ全開の仕草で首を傾げてみせた。態とやっているのが見え見えなのに、それでも男の心に訴えてくるものがあった。

 

 美人を見慣れているはずの自分が心動かされるんだから相当だろうなとゆっくりといろはから視線を逸らした。会長になって自信でもついたのか、以前に見た時よりもあざとさが研ぎ澄まされているように思える。これなら同級生が放っておかないだろうと思うがいろはに浮いた噂はないらしい。

 

 今は仕事が恋人というのを遠まわしに標榜していると聞くが、このあざとさでどこまでそれを維持できるのか見ものである。

 

「次の会合はいつだ?」

「明日です。それで申し訳ないんですが……」

「俺と、誰かは約束できないができるだけもう一人連れていくことにする。それから次はもう少し早めに声をかけてくれ」

 

 顔に喜色が浮かびそうになるのを、いろはは寸前で堪えた。あの八幡が次を想定してくれていることが素直に嬉しかったのだが、それを顔に出すのは負けのような気がしたからだ。ぶっきらぼうで口は悪いが、心根は優しいというか人情家なのか。

 

 見た目からは想像もできないが、こういう所を見るとなるほどめぐりがしつこく友達だと言い続けるのも理解できる。見た目だけで判断するといつ見てもぽややんとしているめぐりとインテリヤクザな八幡は全くと言って良いほどつり合いが取れていないのだが、めぐりが付きまとい、八幡もそれを邪険にしないのは執行部員として一緒に過ごした時間とは別なところで精神的な波長が合うからなのかもしれない。

 

 そういう関係を少しだけうらやましいと思う。

 

「わかりました。まず次がないようにします」

「別にそこまで強要しないが……」

 

 するというのならば止める理由はない。その方が八幡にとって都合が良いのも事実だ。そのままお礼を言っていろはは出ていく。本当にこれを頼みに来ただけらしい。

 

「もう少しゆっくりお茶でも飲んでいけば良いのに」

 

 いろはが去ってしまったのが惜しいという訳ではない。単純に疑問に思ったから口にしただけ。それは八幡も同感だがどちらかと言えばおしゃべりな陽乃と一緒にいた時間が長いせいか、主体的に喋るいろはがいなくなるとどことなく寂しさを覚える。

 

 姫菜がつまらない人間という訳ではないが、いろはは一緒にいて退屈しない人間だ。それでも一緒にいてほしいというレベルではない。八幡にとってそこまで重要な人間というのはあまり(・・・)存在しない。

 

「仕事がある……訳じゃないんだろうが、あっちにいないと不安なんだろ。気持ちは分からないでもない」

「八幡先輩もそうだったんですか?」

「どうだったかな。行って良いと言われない限り近くにいたような気もするが、今となっちゃ良く解らん」

「自分のことなのに?」

「不甲斐ないことにな。今にして思うと良い意味で精神的に常に追い詰められてたんだろうと思うが、もう一度あの環境に放り込まれても無事でいられる自信はないな。入院してるかもしれん」

 

 陽乃も誰彼構わず加虐趣味を発揮する訳ではないのは、普段を見ていれば解る。その尺度で判断するに自分の時は常識の範囲内で全く加減せず、面白半分で追い詰めていたように思える。課題そのものは過酷という言葉で片づけられるものでも、そのプレッシャーのかけ方が尋常ではないのだ。

 

「それならもう一度あの頃に戻れるってなっても戻らないんですか?」

「それはないな。今の自分以上に良い状態になるとは欠片も思えない」

 

 一瞬、姫菜は驚いた表情を浮かべるとすぐに穏やかな苦笑に変わった。瞳の奥には羨望の色が見える。自分に近い性質を持ち、自分と同質の人間とお付き合いをしている人間が、自分には存在しないものを持っているのが溜まらなくうらやましいのだ。

 

「…………陽乃さん、愛されてますね?」

「俺がこういうこと言ってたとか言うなよ。俺がからかわれるだけで良いこと全くないんだからな」

「それは八幡先輩の態度によります」

「何が飲みたい?」

「たまにはコーヒーでも飲みますか? うんと苦いやつ」

「苦いやつなぁ……」

 

 とぶつぶつ言いながらポットのそばに八幡は移動する。その背中を眺めながら、姫菜は目を細めた。

 

 

 

 

 

(まぁ、どういう態度を取ろうと告げ口はするんですけど)

 

 


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