朝の陽射しに少々の眩しさを感じながら、俺はこれから生活を行う場、私立陽月学園の体育館にて欠伸をかみ殺しながら立っていた。
勿論、それは進学とセットで恒例になっている入学式。オリエンテーションや生徒会の挨拶が行われる伝統の行事で歓迎されているからである。小学校から一貫性、エスカレーター式の学園で中学三年生から編入してきた自分には真新しさの連続で、逆に冷静になれる。
だが、それとは対照的にエスカレーター式に進学したにも関わらず素直に喜ぶ我が友人、
「凄え、何もかも新鮮だ……おい、見てみろ祐一!あの子のツインテール!」
「ん?おぉ……素晴らしいツインテールだ。形やバランスは勿論、丁寧に思いやりを込めて髪を扱っていることが分かる」
「だろ⁉︎俺本当、この学校で良かったよ…」
「というか、ポニーテール少なくないか?何故だ!」
「ちょっと二人とも、静かにしなさい!これ以上騒ぐとただでさえ怪しいのに余計怪しまれるわよ!」
小声でそれぞれの髪について喚く俺たちに、これまた素晴らしい黒髪のツインテールを持つ少女、
だが、津辺の言う通り、男二人が髪型について密談をしていたというのは少し周りの精神衛生上問題かも知れない。大人しく反省して、進行を続けている生徒会副会長のナレーションを聞きながら俺は次のプログラムを待った。
『続きまして、生徒会長挨拶』
「ほらっ、ツインテールが好きなのは分かったからそーじも直りなさい」
「そ、そうだな。すまん」
仲睦まじいやり取りをしている幼馴染コンビを横目に楽しみながら、俺も本格的に壇上へ意識を向ける。
副会長の声に合わせて登壇したのは、一人の少女。少々背丈の短い、ツインテールの少女だった。
見た目の幼さとは裏腹に、この学園の長を務める彼女の言葉は穏やかながらも、責任を強く受け止めるしなやかな芯を持った声で、新入生へ向ける歓迎のスピーチを滔々と紡いでいった。
『あなたたちには無限の可能性があります。わたくしが、そして陽月学園高等部が、その輝く未来を開花させる道標となることを、約束しますわ』
小学生のような背丈の少女には到底見合わぬ尊大な言葉。だが、それは未来への後押しとなろうとする責任者としての威厳を含んだ純粋な激励であり、細い体躯から洩れる清澄な立ち振る舞いが、その思いを如実に語っていた。
ふと、気になって隣に立つ愛すべき
案の定、観束は神堂会長の演説とツインテールに魅入られていて、それが少しだけ羨ましくなった。
恐らく、育ちの良さを感じさせる金の毛髪や、先端の方でカールが掛かっている事で独自性が織り込まれたツインテールが、演説の度に熱がこもる彼女の感情に呼応するように優雅な動きを見せていることに、ドレスを来た貴婦人や姫のような高貴で優美な美しさを感じているのだろう。あぁ、実にいいツインテールだ。
しかし、あくまで俺の最も大切なものはポニーテール。見識を深める為にツインテールのような他のものにも一定の理解が示せるように鍛錬は欠かさなかったが、ポニーテールにおいて、津辺や神堂会長ほどの完成度を持つものを、俺はまだ見たことが無いのだ。
確かに、今まで見たポニーテールに喜びが、感謝がなかったかといえば嘘になる。だが、こうやって魂を揺さぶられるほどのツインテールを持つ彼女たちのようなポニーテールには、未だ出会ったことが無い。そこに、一抹の虚しさを覚えてしまう。
ポニーテールは、ツインテールと比較すると、よりポピュラーといえるだけの髪型だ。幼い子供なら男女の隔てなく結んでいても違和感はないし、少女から女性となった後においても機能美などもふまえて、ポニーテールを続けてくれる人は数多にいる。
だが、ポニーテールにしている女性の大半は、割と髪型を変える人たちでもあるのだ。より手軽であるからこそ、手放しやすくもある。これは、ポニーテールを語る上で行き着く悲しい事情の一つだ。
……まずい、軽くナーバスになっていた。ポニーテールの事となると感情が昂ぶるこの癖は出来るだけ治したいと思っているのだが、どうもそういう訳にもいかないようだ。
そう反省している内に、つつがなく進行したのか入学式は残すところ終了のプログラムだけとなっており、俺たち新入生は副会長の号令の後、新しい教室での担任との顔合わせや希望部のアンケートなどを処理していった。
「はい、それじゃあ後ろから集めていって下さいね〜」
童顔な担任のほんわかとした声で後ろの席についていた俺はアンケート用紙を前の席に座る男子に渡す。自己紹介の時には更月 画太郎とか言ってたからガッちゃんでいいか。過去のあいつは新生したんだ。
「ふんふん……あれ〜、名前が未記入のものがありますね〜」
「あっ……すいません、多分俺です。慌ててて」
プリントに軽く目を通していた担任の声に、聞き慣れた男の声が反応する。
考えるまでもなく観束だ。あいつ、まさかツインテールを探してて先生の話聞いて無かったのか?
「あ〜、観束君だったんですか〜。……ツインテール部?」
………アカン 。
「ツインテール部なんてありましたっけ?……あ、新設希望ですね〜?」
「えっ、違っ……俺は部活を作りたいんじゃなくて、その!」
「そっか〜、ツインテール部か〜。観束君はツインテールが好きなんですね〜」
「あ、はい、それはもちろん」
テンパって修正しようとする観束に担任の天然ボイスが割り込み、俺たちにとっては致命的な質問を、恐らく無意識に放って観束の条件反射を引き出した。……やるな、あの担任。
それは兎も角……。
「いや、ごめんガッちゃん……本当、上手く伝えられなくてごめんな、ガッちゃん……」
過去の黒歴史を掘り当てられ、俺にも無駄に飛び火していた。
「えっ、ガッちゃんって誰⁉︎」
君じゃないぞ画太郎くん。
勝手に落ち込む俺に目もくれず、天然系の担任は相変わらず間延びした声でその場を仕切る。
「それでは皆さん、HRを終わりますが、最近この近辺で変質者が増えているそうですから注意して下さいね♪」
「それ今このタイミングで言うことか⁉︎なあ先生、待ってくれ!俺は本気なんだ!本気でツインテールが好きなんだ‼︎あっ……違……その‼︎」
浮気が暴露て混乱する妻帯者みたいな事を言ってドツボに嵌る観束を尻目に、俺は俺で落ち込んでいた。
それにしても、先生ちょっと黒くないか……?
「あああああああああああ……」
その後も微妙な空気を引き連れた観束は本人からすれば針の筵の状態の、実質珍獣状態で入学初日を過ごし、俺たち三人組は観束の自宅でもある喫茶店『アドレシェンツァ』で少しばかり遅めの昼食を摂っていた。
今この店には誰もいない。店長である観束の母親がよく気まぐれで閉店するので、稼ぎ時の昼といえど別に珍しい話でもない。
項垂れる観束は、今朝の事を引きずっているのだろう。分からなくもないが、まぁこれは先生の話を聞いていなかったこいつのミスだ。
津辺は昼食として出されたカレーを観束の分まで平らげると、そこそこ満足気な表情で告げる。
「んぐ……ん。おかわり」
「よく食うな津辺……ま、まぁ体は資本だしな」
一瞬、食うなの所で眼光が煌めいたのは見逃さなかったぞ。だから暴力は止めてプリーズ。
身構えかける津辺をどうどうと宥めながら、まぁ……と切り出す。
「やっぱり結論として、上の空だったお前の自爆だしな」
「そりゃそうね。それと、その後のフォローがまずかったのよ。テンパりすぎだって」
「うぐっ……!で、でもテンパってるのが分かってたならお前等がフォローしてくれよ!友達だろ‼︎」
その言葉に津辺は不機嫌そうな顔になり、俺はそんな二人の様子に苦笑を溢す。
その意味を理解できず、不満気な表情で不貞腐れる観束は、歯ぎしりするようにくうっ、と呻いた。
「俺にもっとアドリブ力があれば、もうちょっと上手く丸め込めたかも知れなかったのに……」
「無理だな」
「無理ね」
全くもってそんな事態が想像できん。
津辺も同じ考えに至ったのか、ちくちくと観束をからかい、観束がオーバーなリアクションで叫ぶ。いつも通りのじゃれ合いだ。
その姿に微笑ましく思いながらカウンターに置いていた珈琲七割のカフェオレに口をつける。
その時ふと、奇妙な悪寒が背中を駆け抜けた。
見ると、店内にまだ一人女性客が座っていた。観束も気がついたのか、視線を交わしてこの違和感を確認する。
観束の母である未春さんが店を閉め、間をおかず俺たちがこの喫茶に入った状態で、俺たちが気付かずに女性客が座っているという現状は、どの位の確率で有り得るんだ?
こちらには武術家の孫で、幼い頃に師匠すら下した津辺愛香がいる。
その彼女ですら、気付かないなんてこと、本当にあり得るのか……?
「ん?どうしたの?」
「いや……」
「そこだ、あの新聞紙広げながらちら見して来てる女の人」
俺が小さく指を立てると、津辺も気がついたのか戦慄した表情で愕然としている。
「嘘、どうして……気配を感じなかったわよ……⁉︎」
津辺、お前はどこの超戦士だ。それとも野生か?野生の本能がその体から、想像もできないあのパワーを生み出しているのか…?
そう思考したとき、背中に別種の悪寒、というより殺気が突き抜けたため瞬時に心中で撤回する。日本が思想の自由を認めてくれても、彼女の前では考える事すら規制がかかるらしい。男の意地など彼女の前では意味がないのだ。
津辺関係の話題から避けようと、怪しさ満載の謎の女性客に焦点を合わせる。何故か、ついたて代わりにしていた新聞紙に指で穴を開けて、こちらをくりっとした碧眼が覗いていた。懐かしさすら覚えるスタイルだなおい。
「……もう、目ェ合わせないようにしようぜ」
若干の悲壮さすら醸し出しながら言った観束の台詞に、俺と津辺はにべもなく同意した。
だが、向こうとしてはこの反応が宜しくなかったのか、視線を逸らした俺たちの元につかつかと歩いてくる。
そして、観束の隣に立つと内心戸惑う俺らの事も気にせず、朗らかに女性は微笑みかけた。
「相席、よろしいですか?」
……観束だけをその視界に完全ロックしながら。
「待て待て待て待てぇ‼︎」
流石に我慢の限界が来たのか、初対面にも関わらず怒涛の勢いで出させるボケに全力で突っ込んだ津辺は、女性を睨みつけながら勇ましく指を突きつける。
「誰よ、あなた‼︎」
とんでもなく確信的な問いに、女性はおかまいなく、と答えると上品に手を傾げて観束を示す。
つまり、観束に用があるのだろう。
実際そうだったらしく、全く変わらない笑顔で言ってのけた女性に軽くヒキながら猛る津辺を後ろから羽交い締めにして宥める。というかとんでもなく豪胆かつ強引だな、上品なのは見た目だけか。
__そう、初っ端からボケばかりでその見た目には意識がいかなかったが、改めて見ると女性はかなりの美人、美少女であることが分かる。
さっきおかまいなく、と言った事から、日本語歴は結構長いが、その姿はどう見ても外人のそれだ。
透き通るようで、よく手入れされた純銀に近い髪に、さっきも此方を覗いていた光を溜め込んで輝く碧眼、シャープに整った鼻筋と、今も変わっていない微笑みを湛える桃色の唇。
自己主張の激しい豊満な体を強調する、黒を基調とした薄手の服の上には、コートのような長い裾の白衣を上から羽織っていた。
どこかの女神と言われても違和感がない程、完成に近い容姿だ。体自体のバランスも、そのセンスも非現実的だが、超然とした雰囲気を持つ彼女には、それが何よりもフィットしていることが分かる。
しかし、惜しい。
彼女ほどの人なら、ポニーテールにしても素晴らしいものが見ることができるだろうに、当の本人はその長い髪を無造作に垂らし、腰の辺りで整えている。
これが彼女のスタイルなのだろう、これはこれで一つの美しさがあるため、文句は言えないが、どうにもそのポニーテールを拝んでみたいという欲が晴れることは無い。それほど迄に似合いそうな容姿をしているのだ、彼女は。
俺が少女の姿に感嘆から動けないでいると、いち早く再起動したのか観束が若干腰を引かせながら席の後ろに詰める。
「……えっと、俺たちに何か用があるの?」
「はい、
少女は二人掛けの長椅子に手をつくと観束にすり寄り、獲物を前にした蛇のような怪しさを秘めた瞳で俺の動きを封じ込める。
最初から観束だけを狙ってたんじゃないのか。と、いうよりこの感じは……
少女は対面にいる津辺の事を気にもかけてないのか、眉間に皺を寄せている津辺の様子に気付く事は無い。いや、気付いていても警戒していない、という方が正しいのか。
「私は、トゥアールと申します」
「はぁ、トゥアールさん……」
「ツインテールがお好きなんですね」
「大好きです」
……なんだこの淀みも脈絡も無い会話、ここはいつから五次元に移行したんだ。
俺は顔を微妙に引きつらせながら、二人の会話を黙って聞いておく。それにしてもトゥアールさん、随分日本語が達者だな。殆ど現地の人間と変わらない習熟度だ。
「……では何も言わずに、この腕輪をつけていただけませんか?」
「いきなり話がぶっ飛んだな⁉︎」
今度は俺が耐えきれずに突っ込みを入れる。が、そんなリアクションも何のその。どこ吹く風とトゥアールさんは白衣のポケットから赤いブレスレットを取り出した。
金属光沢と機械特有の美しさを持つそれを流れるような動作で観束の腕に装着しようとして、対面の津辺に止められる。
「何なのよ、あんた!突然絡んで来てこんな事して、失礼じゃない!」
「いえ、決して怪しい者では」
「最早どう言い訳した所で怪しいわよ‼︎」
全くもってその通りである。津辺のこういうズバズバした物言いは場所によっては役にたつ。半分酔っ払いみたいな絡み方をしてきたトゥアールさんにはこれぐらいはっきりした言葉が必要だろう。
しかし彼女も諦めず、オレオレ詐欺を真正面からやらかす暴挙に出たり、セクハラ紛いの行いで挑戦したり、津辺の容赦ない一撃にも屈さず、しまいにはタダとか何でも言うこと聞くとか、後半は若干発情すらしながらブレスレットを観束の腕に付けようとしていた。
そしてキレた津辺とトゥアールという少女の会話の内容もどんどん電波な方向に逸れて来たとき、遂にトゥアールさんが核心を突くような発言をした。
「っていうかそれ以前に、これをつけなければ!世界から、ツインテールが無くなってしまいますっ‼︎」
「___________な、どういうことだッッッ‼︎」
その言葉に激昂し、トゥアールに詰め寄る観束。そりゃそうだ、こいつにとってツインテールは比率にして八割を超える重大要素。それが消えるとなれば、俺だって冷静ではいられないだろう。
「えいっ」
「あ」
その一瞬の隙をつき、彼女はブレスレットを観束の腕に装着し、完全に頭にきていた観束も恍けた声をあげる。
見事なまでにジャストフィットしたそれはもたつく観束や津辺の力も及ばず完全にぴったりと嵌められており、嵌めた本人は一仕事終えたサラリーマンのように安堵した溜息をついた。
「……よかった。これで、奴らがいつ現れても安心です」
そう、意味深な言葉を溢したトゥアールに俺はどうしようもない不安感を覚え、声を掛けられた時の"大事なことを聞きたい"という部分が気になり、問いただそうと口を開いた。
「なぁ、ちょっと聞きたいんだが。結局あの____」
そこまで言った瞬間。
俺たちは纏めて、視界全てを覆う極彩色の光に包まれた。
強烈な閃光の中で俺は抗う術を持たず、その光と共に体の輪郭も薄れ、ほどけていき____完全にその場から消えた。