自室に戻って正装に着替えた私は正門の前に他の生徒達と共に整列していた。
やがて、王女の一行が魔法学院の正門をくぐる。
整列した皆が一斉に杖を掲げた。
しゃん!
杖の音が重なる。
馬車が止まると、召使い達が駆け寄り、馬車の扉まで絨毯を敷き詰めた。
「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおな――――り――――!」
呼び出しの衛士が王女登場を告げる。
扉を開き、先に現れたのはマザリーニ枢機卿だった。
彼の姿にそこかしこから鼻を鳴らす音が聞こえる。
それを意に介すこと無く、彼は馬車の横に立ち、続いて降りてくる少女、アンリエッタ姫殿下の手を取った。
彼女の姿を目にした途端、生徒の間から歓声が上がる。
「彼女がトリステインの王女かしら?」
ちらりと隣へと視線を向ければ、自身の使い魔は特に興味を引かれないとでも言うように、つまらなそうに言葉を吐いた。
あまりにも不敬なその態度に後頭部に拳を振り下ろしたくなるのを抑えつつ、私は黙って杖を掲げ続ける。
殿下が目の前を過ぎ去りふと視線を巡らせた時、一人の男性の姿に目を止めた。
見事なグリフォンに跨がる、羽帽子を被った凛々しい貴族。
彼が私に気が付き、薄く笑みを向けた。それだけで顔に火が付いたように血が巡るのが解った。
「ああいうのがルイズの好み? 彼も分の悪い相手がライバルになったものね」
面白そうに笑う隣の声に、向かいに立ち杖を掲げるマリコルヌに視線を向けると、面白くなさそうに表情を歪ませた彼の姿があった。
それに私は僅かばかり息を吐き出したのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「アンリエッタ姫殿下が学院にいらしているのですか?」
夜、自室へ戻ったレミリアの話を聞いたシエスタはティーセットの用意をしながら声を上げた。
「私も拝見したかったです。姫殿下のお姿を目にする機会なんて何かの祭典の時にしかありませんから」
「今日一日は学院に滞在するようだから、機会があれば目にする事もあるわよ」
椅子に腰掛け、本に視線を落としながらレミリアは言葉を紡ぐ。
「ところでルイズ。あなたが熱心に見ていたあの色男は一体誰だったのかしら?」
「なな何の事かしら?」
「マリコルヌがいるくせに、あなたも隅に置けないわね」
くっくと彼女は笑みを浮かべる。
思い出すのは幼い日の記憶。今日と同じように、私に笑みを向けた彼の姿だ。
「マリコルヌは関係無いじゃない」
「あらあら、あれだけ好意を向けられているのに答えを返さないなんて、誠実じゃないのではなくて?」
「彼はただの友達よ。それ以上でも以下でもないわ」
私の結婚相手はとっくに決まっているのだから。
私の言葉に、レミリアは肩を竦めシエスタの差し出したティーカップに口を付けた。
「彼の前途は多難ね。……どうやらこんな時間に来客のようだわ、ルイズ」
彼女がドアの方へと視線を向けると同時に、ドアがノックされた。
始めに長く二回、それから短く三回。
それはかつて取り決めた合い言葉のようなものだった。それを知る者はただ一人だ。
私は素早く自らの衣服の乱れを確認し、ドアを開いた。
そこに立っていたのは、真っ黒な頭巾を被った一人の少女。
彼女は周囲を警戒し、辺りを伺うとそそくさと部屋に足を踏み込むと後ろ手に扉を閉めた。
シエスタを背後に動こうとするレミリアを私が手ぶりで抑えると同時に、頭巾を被った少女は口元に人差し指を立てた。
それから、身に付けていたマントの隙間から杖を取り出して短くルーンを呟くと、光の粉が室内に舞う。
「ディテクトマジック?」
「何処に耳目が光っているか分かりませんからね」
室内に何も異常が無いことを確認すると、彼女は一つ息を吐き出して頭巾を取った。
その顔は朝に見たアンリエッタ王女その人だった。
「姫殿下」
私は膝をつく。それに倣うようにシエスタも慌てて膝をつき、レミリアはただ面白そうに息を吐いた。
「お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ」
部屋を訪れた姫殿下はかつてと同じように涼しげな、心地の良い声で私の名前を紡いだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ルイズ、懐かしいルイズ!」
突然感極まった声と共に姫殿下は膝を付いた私を抱きしめた。
そのまま抱き返したい衝動に抗い、私は姫殿下を押し止める。
「姫殿下、こんな下賤な場所へお越しになられるなんていけません」
私の言葉に、姫殿下の瞳が僅かに寂しげに揺れるのを見た。
「それで、これはどういうことなのかしら、ルイズ?」
更に姫殿下が何かを言おうと口を開くより早く、冷ややかな視線を向けるレミリアが私に声を掛けた。
彼女の後ろでは小さく体を振るわせるシエスタの姿。
そんなレミリアの態度に姫殿下は多少落ち着きを取り戻したのか、小さく咳払いをしてから居住まいを正す。
「姫殿下の幼少のみぎり、恐れ多くもお遊び相手を務めさせていただいたのよ」
「つまりは、幼なじみという事かしら?」
私は首肯を返す。
「ルイズ、そんな堅苦しい行儀は止めてちょうだい」
「ですが」
「あなたにまでそんな態度を取られてしまうと、わたくし悲しくて死んでしまうわ!」
「……わかりました、姫さま」
「そう、その調子よ、ルイズ。それで、ルイズ、こちらの可愛らしいお嬢さんの事を紹介してくれないかしら」
「彼女は私の使い魔です」
「使い魔?」
姫さまは幾度か目を瞬かせて私の言葉を反芻した後、再び私へと顔を向ける。
「人にしか見えませんが……?」
「お初にお目にかかります、アンリエッタ王女。私はそこのルイズにロバ・アル・カリイエより召喚されました。スカーレット家長女、レミリア・スカーレットと申します。以後お見知り置きを」
スカートの裾を摘み、優雅な所作でレミリアは姫殿下へと礼をしてみせた。
「まあ、ロバ・アル・カリイエのしかも貴族ですって!? ルイズ、あなたなんてこと」
「私の意志で召喚されたのだからルイズを責める事は無いわ、アンリエッタ王女。それで、わざわざこんな所まで足を運んできた理由を聞かせてもらえないかしら、まさか本当に幼なじみとの旧交を暖めに来たわけではないのでしょう?」
「ちょっとレミリア、さっきから姫さまに対してなんて口を聴いているのよ!」
「よいのです、ルイズ」
レミリアに詰め寄ろうとした私を、姫さまが止める。
そして、彼女は一つ大きく呼吸をすると、私へと視線を向けた。
その瞳は真剣味を帯びたものだった。
「彼女の言う通り、わたくしはルイズに頼みたいことがあって来たのです」
「姫さまがわざわざ私にですか?」
私の問いに頷き、姫さまは続ける。
「実はわたくし、ゲルマニアの皇帝に嫁ぐことになったのです」
「げ、ゲルマニアですって!?」
結婚の話にも驚いたけれど、更にその相手がよりにもよってゲルマニアであることに思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
野蛮な成り上がりどもの国。それがゲルマニアだ。
「同盟を結ぶ為なのですから、しかたがないのです」
そう言うと、姫さまはハルケギニアの今の政治情勢を説明した。
アルビオンの貴族達の反乱。それにより王室が倒れ掛けていること。そしてその反乱軍が勝利を収めた場合、次にトリステインに進行してくるであろうこと。
そんな現状に対抗するためにトリステインはゲルマニアと同盟を結ぶことになったこと。
同盟の為の条件として、姫さまがゲルマニア皇室に嫁ぐことになったこと。
「そうだったんですか……」
それらの説明に私にはそれ以上の言葉が見つからなかった。
姫さまの口調からその婚姻が望まぬものであることは明らかだ。
けれど、国の決めたことに私が口を出すことなんて出来るはずもない。
何も出来ない自身の無力さにスカートの端を握りしめる。
「よいのです、ルイズ。好きな相手と結婚するなんて、ただの夢物語でしかないことは理解していたのですから」
「姫さま……」
「礼儀知らずのアルビオンの貴族達はトリステインとゲルマニアの同盟を望んでいません」
「同盟を結ばれてしまうと、そのアルビオンはトリステインに簡単には手を出せなくなるということね」
レミリアの言葉に姫さまは頷く。
「その通りです。そのため、彼らはわたくしの婚姻を妨げるための材料を血眼になって探しています」
そこまで言われて、私は嫌な予感が頭をよぎる。
「ま、まさか、姫さまの婚姻を妨げるような材料があると?」
私の問いかけに悲しげに頷く姫さま。
「言ってください、姫さま! それはいったい何なのですか!?」
「……わたくしが以前したためた一通の手紙です」
「手紙?」
「そうです。それが手に渡ってしまえば、彼らはすぐにゲルマニアの皇室に届けるでしょう」
「その手紙の内容は?」
「それは言えません。ですが、それを読んだらゲルマニアの皇室はわたくしを許さないでしょう。婚姻はつぶれ、トリステインとの同盟は反故となり、我が国は一国にてアルビオンに立ち向かわねばならないでしょうね」
思わず姫さまの手を取る。
「いったいその手紙は何処にあるのですか? トリステインに危機をもたらす、その手紙とやらは」
「それが、手元には無いのです。……今はアルビオンにあるのです。あれは、反乱軍と骨肉の争いを繰り広げている、王家のウェールズ皇太子が……」
「プリンス・オブ・ウェールズ?」
世の女達。少なくともこのトリステインに住む女達はかの凛々しい王子さまの名を知らない者はいないだろう。
「ウェールズ皇太子は遅かれ早かれ反乱軍勢に囚われてしまいます! そうしたら、あの手紙の存在も明るみに出てしまう! そうなったら破滅です! 同盟はならず、トリステインは一国でアルビオンと対峙せねばならなくなります!」
「では、姫さま、頼みたい事というのは……」
息を飲み込み、私は言葉を絞り出した。
「ダメ、ダメよルイズ! わたくしがどうかしていたのです! 争いを繰り広げているアルビオンに赴くなんて危険なこと、頼めるわけがないのです!」
「何をおっしゃいます、姫さま! 私は姫さまの御為とあらば、何処なりと向かいますわ! ラ・ヴァリエール公爵家の者として、姫さまとトリステインのこの危機を見過ごすわけには参りません!」
姫さまの為にと一心で私は膝を付き、頭を下げた。
「『土くれ』のフーケを撃退せしめた、このわたくしめに、その一件、是非ともお任せくださいませ」
「ルイズ」
何処までも冷え切った声が、私の名を呼んだ。
反射的に振り向けば、使い魔が私を見据えていた。
「あなた、その言葉。戦地へと赴く意味を理解しているのかしら?」
「当然よ!」
彼女の言葉に、私は高らかに声を返す。
姫さまのお役に立つこと。ただその一心で。
途端、私を見るレミリアの瞳は哀れみを帯びたものへと変わった。
「……好きにしなさい、滑稽で哀れなゴシュジンサマ。結果は後で聞かせてちょうだい」
それだけを呟くと、彼女は興味を無くしたように口を閉ざし部屋を出ていく。それに続いて、シエスタも慌ててこちらに一礼をした後、部屋を出ていった。
残されたのは私と姫さまの二人だけ。
「ルイズ」
「よいのです、姫さま。彼女には後で私からきちんと説明します」
と、その時突然扉が開かれ、何者かが部屋に転がり込んできた。
「いてて、お尻に蹴りを入れるなんてひどいな、レミリア……。と、そうだ! 大丈夫かい、ルイズ!? この部屋に怪しい人影が入っていくのが見えたんだ!」
自らのお尻を押さえて立ち上がったその人物は、すぐさま私へと詰め寄った。
「マリコルヌ、あんた一体何しているのよ……?」
「僕は君を心配して……って、ひ、姫殿下!?」
姫さまの姿に気が付いて、マリコルヌは慌てて膝を付いた。
「えと、あなたは?」
「ぼ、わたくしはマリコルヌ・ド・グランドプレでございます、姫殿下」
「グランドプレ? ……ああ、あの」
「マリコルヌ! あんたまさか今の話聞いていたの?」
「話? 何のことだい?」
彼の首を傾げる様子に私は自らの失態に気づき、内心舌打ちする。
「ルイズ、まさかまた何か危険な事をしようとしているんじゃないかい?」
「あんたには関係の無いことでしょう!」
「ぼくはルイズを心配しているんだ。姫殿下、ぜひわたくしもルイズへの同行をお許しください!」
「ちょっ!」
「わたくしとルイズは共に『土くれ』のフーケを撃退した実績もございます」
「……あなたもわたくしの力になってくれるというのですか?」
私のマリコルヌのやりとりに目を白黒させつつ、姫さまは彼に問いかけた。
「必ずお役に立ってみせます」
しばし考え、姫さまは口を開く。
「任務の同行を許します。どうか、この不幸な姫をお助けください。マリコルヌさん」
「はい、おまかせください」
深く頭を下げるマリコルヌに言ってやりたいことは多いが、今は無視して私は姫さまに向き直る。
「では、明日の朝、アルビオンに向かって出発するといたします」
「ウェールズ皇太子は、アルビオンのニューカッスル付近に陣を構えていると聞き及んでいます。旅は危険に満ちているでしょう。アルビオンの貴族達は、あなたがたの目的を知ったら、どのような手段をもってしても妨害しようとするでしょう」
姫さまは机に座ると、羽ペンと羊皮紙を手にとって、手紙をしたためた。
それから、書き上げた手紙に一度視線を落として、小さく呟く。
「始祖ブリミルよ。どうかこの自分勝手な姫をお許しください」
密書を書き上げた姫さまの表情は、まるで恋文をしたためたそれのようだった。
私は何も言うことはできず、ただ見つめるだけだった。
そして、巻かれた手紙に封蝋と花押が押されると、それを受け取る。
「ウェールズ皇太子にお会いしたら、その手紙を渡してください。すぐに件の手紙を返してくれるでしょう。それと、ルイズ。これを」
姫さまは右手の薬指から指輪を引き抜いて、私に手渡した。
「母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りとして持っていてちょうだい。お金が入り用になったら、売り払って旅の資金に充ててください。この任務にはトリステインの未来がかかっています。あなたがたの旅の無事を祈っております」
『水のルビー』を握りしめ、私は姫さまに深く頭を下げた。
To be next?
やったね青ちゃん! 十万文字突破だよ!
お待たせいたしました。それからリアルの方がまだ落ち着かないため、投稿はまだ遅くなります。スマヌ……スマヌ……。