「別世界、のう……」
私の言葉に静かに耳を傾けていた老人、オールド・オスマンは話を聞き終えると思案に耽るように自身の白く染まった髭を撫でた。
「妖魔と人間が共存する隔離された世界、ゲンソーキョー。なるほど、面白い話じゃのう」
「そんな話を信じるのですか!?」
「なに、その話に少し思う所があるだけじゃよ。えー、それでミス。なんと言ったかのう」
「レミリア・スカーレットよ、ミスタ・オスマン」
「おお、そうじゃったのう。ミス・スカーレット」
私は今、ここトリステイン魔法学院の学院長、オールド・オスマンと面会していた。
そこで私が知り得た情報は、この世界はハルケギニアと呼ばれる私のいた地球とは異なる世界であるということ。また、私は現在背後にコルベールと共に立っている少女、ルイズの使い魔となるべく喚び出されたということだ。
そして私は幻想郷に関する大まかな説明を、目の前に座るオスマンに語って聞かせていた。
「して、ミス・スカーレット」
私の話を聞き、柔和な笑みを浮かべていた老人はその笑みを引っ込めると、双眸が細められた。
「お主は一体何者じゃ。少なくとも人間では無かろう?」
「流石、一組織の長をしているだけの事はあるわね。わざと翼も出していないのに、身体検査一つせずに私が人外だと分かるなんて」
「ほっほ、煽てても何も出せんよ。実を言えば、この部屋でお主に出会って直ぐにディテクト・マジックーーお主を調べる為の魔法を掛けさせてもらったのじゃよ。失礼な事をして済まなかったのう」
「ああ、入室して杖を向けられていたのはそういうことだったのね。次は無いわよ、人間」
「肝に銘じておくとしよう」
睨みつけるが、彼に動じる様子は無い。
「……まあいいわ。私は紅魔館が主にして誇り高い吸血鬼よ」
「「吸血鬼!?」」
わざと妖気を解放して語る私の言葉に、悲鳴と共に背後の二人の気配が遠ざかる。
けれど、目の前に座るオスマンはただ愉快そうに眼を細めるだけだった。
「オールド・オスマン、離れてください。相手は最悪の妖魔、吸血鬼ですぞ!」
「そう慌てることも無かろう。考えてもみなさい、もし彼女が私達を害するつもりだったのなら、この場でのんびり話なんぞしてられなかったじゃろう。とっくに私達はこの世からおさらばしていたろうからの。そうであろう、ミス」
「本当に食えない男ね、あなた」
「ほっほ、このくらい出来なくては魔法学院の学院長なんぞ勤まらんからの」
オスマンの言葉に、私は大きく息を吐き出して妖気を引っ込めた。
そうして、それを確認した彼は話を続ける。
「それに、ミス・スカーレットは相応の態度を示せば人間にはなかなか寛容なようじゃしの」
「人間の部下や友人がいたからね。礼を弁えないがさつな者も多かったけど」
「ほっほ、吸血鬼相手に豪気なものじゃのう。……さて、ミス・スカーレット。ここからが本題じゃ」
「聞きましょう」
「我がトリステイン魔法学院では、春の進級試験として使い魔召喚の儀式が執り行われておるのは先ほど説明したじゃろう」
「ええ、召喚魔法で呼び出した生き物を使い魔として契約を果たすことを進級の為の課題とする、だったわね」
「その通り、そしてそこのミス・ヴァリエールが呼び出したのがお主なのじゃ、ミス・スカーレット」
「召喚し直すといった措置はしないわけ?」
「サモン・サーヴァントで呼び出されたものがどのようなものであれ、一度喚び出されたものを変更することは出来ぬのじゃよ」
「使い魔としての契約解除の条件は何かしら?」
「使い魔自身、或いは主人の死が契約解除の条件じゃ」
「ーーそれで、つまり私にルイズの使い魔をやれ、とそういうことかしら?」
人間の一生なんて妖怪から見れば一瞬の様なものだ。精々が八十年かそこら付き合う程度どうという事もない。
けれど、そう簡単に人間の小娘の使い魔に成り下がるつもりも無い。
振り向いて背後の少女へと視線を向ければ、怯えたように身を震わせた。
「その通りじゃ。使い魔の契約が出来なければミス・ヴァリエールは進級が出来なくなる。それどころか、このままでは退学にもなりかねん」
「それはそちらの都合で、私には関係の無いことだわ。メリットも無いもの。それに、こちらでは私の種族は妖魔という分類になっているようだけれど、私は悪魔よ。悪魔というものは相手の願いを叶える代わりに、それに応じた対価を頂くの。さて、あなたに長期に渡って私を束縛するに値する対価を用意出来るかしら?」
「お、お金が必要なら私の家から必ず用意させるわ!」
「そんなもの要らないわ。即物的なもので縛れるほど私は安くはないわよ」
「私が代わりに対価を支払うというのは」
「駄目よ。私と契約を交わすのは彼女。だから、私はルイズからしか対価を受け取る気は無いわ」
椅子から立ち上がり彼女の姿を眺めて、私はしばし口を閉ざす。
「わ、私はあんたを召喚して、あんたはそれに応じた。なら、是が非でもあんたは私に従ってもらうわ!」
そうして何を思ったのか、ルイズは言葉を口にした。
「それはつまり対価を支払う気は無い、とそういうことかしら?」
「そ、そそそそそうよ!」
少々の怒気をはらんだ質問に、彼女は上擦った声で宣言した。
「ふふ、言うわね。人間風情が対価も支払わず私を従わせると?」
「いかん!」
「話の最中よ。余計な手出しは己の死期を早めるわよ、ミスタ」
杖を出そうと構えるコルベールを睨みつけその動きを牽制すると、再びルイズへと視線を向けた。
「もう一度問うわ、ルイズ。あなたは、対価も無しに私を従わせる、とそういうことね」
「そうよ!」
私へと睨み返すルイズ。
その瞳を見つめ、私は口を開いた。
そこから出たのは哄笑だ。
「……良いわ。使い魔の契約を受けてあげる」
「ほ、本当!?」
「ただし、あなたの命令を聞く気は無いわ。けれど、私があなたの命令を聞くに値するだけの主だと示すことが出来れば、命令の一つくらいは聞いてあげるわ。それと、主として相応しくないと判断したらその場で八つ裂きにしてあなたの魂を頂くわよ」
「の、のののの望むところよ!」
「まあ、精々私に認められる様に頑張る事ね。それで、契約には何をすればいいのかしら?」
青い顔で震える彼女に、意地の悪い笑みを向けて問いかける。
「何もせずにそこに立っていてちょうだい。直ぐに準備するから」
そう言ってルイズは杖を引き抜いて、朗々と言葉を紡ぐ。
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」
杖を私の額に置いて、彼女は唇を近づける。
そして、柔らかな感触が唇に伝わる。
「これで終わり?」
「ええ、これで完了よ。私の初めてだったんだけど、女の子同士なんだしノーカンよね」
やがて唇を離すと赤く頬を染めた彼女は頷いた。
「身体に何か違和感はない?」
「違和感? って熱い!」
首を傾げた直後、左手に火傷に似た痛みが走る。
見れば左手の甲に何かの文様が浮かび上がるところだった。そして、文様が完全に浮かび上がると同時に、痛みは引いていった。
「無事契約成功ね。それが使い魔のルーンよ」
「女の肌に傷を付けるなんて、随分な事をしてくれるものね」
「ししし仕方ないじゃない! 使い魔のルーンは身体のどこかに現れるものなんだから!」
「こういうものは本来事前に知らせておくべきものよ。説明不十分。上に立つ者としては失格ね」
「えええ!!」
「減点一。良かったわねルイズ。これで私に魂を捧げる権利が近づいたわよ。ちなみにあなたの初期の持ち点は十点だから、後九点であなたの魂は私の物。気を付けなさい」
「あわわわ……」
「やれやれ、一時はどうなることかと思ったわい」
青い顔で震えるルイズから視線を移すと、オスマンは大きく息を吐いた。
「そう言う割には全く動こうとはしなかったわね」
「ほっほ、お主なら何もしないと信じておったからの」
「生徒を一人見捨てたの間違いじゃないかしら。随分な教職者もいたものね」
「さて、何のことかのう?」
「……まあいいわ、私には関係の無いことだし。それで、用件はこれで全部かしら?」
「待ってください。ミス・スカーレット、あなたの使い魔のルーンをスケッチしますので少々失礼しますよ」
呆れた視線をオスマンへ送っても、彼は何処吹く風だ。そうしている間に、コルベールが私に左手のルーンを懐から取り出した紙に書き写していく。
「すまんが後一つ、ミス・スカーレットの生活基盤について考えねばならん。さすがにそこらの使い魔と一緒の扱いというのも、外聞も含めてよろしくないからのう」
「確かにその通りね。私もペットのような扱いをされていたらその時点で首を落としていたかもしれないわね。ルイズの」
「始祖ブリミルよ、感謝いたします!」
「それで、生活基盤というと衣食住の心配はしなくても良いのかしら?」
何かに感謝の祈りを捧げているルイズを放置して話を進める。
「そうだのう。お主の学院内の生活は私の権限を持って保証しよう。だが、他からの要らぬ詮索を避けるための理由が必要じゃの。理由は……東方、ロバ・アル・カリイエから召還された貴族とでもしておこう。吸血鬼などと知られれば学院内で混乱が生じる可能性もあるからの。それから、あえて聞かずにいたが、ミス・スカーレット。お主は貴族ではないかな?」
「ええ、その通りよ。治めるべき民と土地を失って久しいけれど、スカーレット家の当主をしているわ。召喚される前に妹に当主代行を任せてきたけど」
「えええ!?」
「やはりのう。名前とお主の立ち居振る舞いは、そこいらの貴族よりも貴族然としていたからの。しかし、人間以外の者が貴族とは信じられぬ世界じゃのう、ゲンソーキョーは」
驚くルイズとは違い、オスマンとコルベールは予想通りといった様子で頷いてみせた。
「しかし、それならば問題あるまい。よほどの馬鹿でもなければお主をどうこう言う者もおらんだろう。他国の、それも貴族を馬鹿にすれば最悪国家間の戦争に発展しかねんからの。流石にそのくらいは学院内の者も心得ておるじゃろう」
「不自由が無ければ私はそれで構わないわ」
「では、ミス・スカーレット。学院内において、お主はロバ・アル・カリイエにある貴族、スカーレット家の子女としようかの。そのように振る舞ってもらいたい」
「ええ、分かったわ」
「他には何かあるかのう?」
「……この世界のことを知りたいわね。基本的なことくらいは知っていないと下手なことでボロを出しかねないわ」
当然の事ながら、私はこの世界のことを何も知らない。けれど他国とはいえ、この世界の貴族として振る舞う以上、早急にこの世界のことを知る必要があるだろう。
「おお、そうじゃのう。失念しておったわ。学院内にある図書館に歴史について書かれた本も置いているからそこを利用すると良い。何か分からないことがあればミス・ヴァリエールか私に質問すると良いじゃろう。私は大抵この学院長室にいるからの、もし私が居なくても対応出来るように秘書にも伝えておこう」
そう言って、オスマンはぽんと手を叩く。
「では、そろそろ夜も更ける頃合いじゃ。とりあえずの方針は決まったことじゃから、今日の所はこれで解散とするかのう。また後日何かあれば遠慮無く言うと良い。部屋はミス・ヴァリエールと一緒で良いじゃろう。案内は任せたぞ、ミス・ヴァリエール」
「は、はい! それじゃ私に付いてきて、レミリア」
「わかったわ」
そうして、私は先を歩くルイズに付いて、学院長室を後にした。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「月が二つあるなんて、本当に異世界なのね」
学院内の女子寮にあるルイズの部屋で、私は青白い月明かりが差し込む窓から空を眺めていた。
そこには月が二つ並んで夜空を彩っている。
「レミリアのいた所では違うの?」
「ええ、月は一つで、ここまで大きくもなかったわ」
「ふうん。本当におかしな所なのね。でも、月なんて眺めていて楽しいの?」
「あら、私達吸血鬼を含めて幻想郷に住む妖怪は夜の住人よ。だから私が夜にこうして空と月を眺めるのは当然の事よ。夜と月は私達に力を与えてくれる」
「興味の沸くような話だけど、今日はもう駄目。話は明日にしてさっさと寝ましょう。今日は色々あり過ぎて疲れちゃったわ」
大きく欠伸をすると、ルイズはベッドへと向かうとそのまま横になった。
「そのまま寝たら服に皺が寄ってしまうわよ」
「じゃあ脱がしてよ」
「あら、そんな趣味があるの? 私は別に構わないけど」
「そそそそそんな訳ないじゃない! って今の発言身の危険を感じるんだけど!?」
「大丈夫よ。同意の上でもない限りそんなことする気も無いわ」
「服に手をかけるな! そして何でレミリアも脱ごうとしているの!」
「さっき言ったじゃない。そのまま寝たら服が皺になってしまうわ。それと、私は寝る時はいつも裸よ」
さっさとルイズの服を脱がし、私も自身の服を脱ぎ去って揃ってテーブルの上にでも適当に置いておくとベッドへと潜り込む。
「どうして私のベッドに潜り込んでくるのよ!?」
「どうしてって、私に床に寝ろっていうわけ?」
「う、そうじゃないけど。だったら寝てる間に私に何かしたら承知しないわよ!」
「分かっているわよ。そんな事しないわ。ほら、早く寝ないと明日起きれなくなってしまうわよ」
私の言葉に渋々といった様子でルイズもベッドに潜り込む。
「お休み、ルイズ。良い夢を」
一言口にして、眼を閉じる。
「むう、お休みレミリア!」
聞こえてきた言葉と直ぐに聞こえ始めた寝息に笑みを浮かべると、私はそのままゆっくりと意識を手放した。
明日は一体どんな体験が待っているのか、と期待を胸に抱きながら。
To be next?
前回今年中の更新は無しと言ったが、ありゃ嘘だ。
いや本当は更新無しの予定だったんですが、興が乗ってしまったので更新です。
他の用件が押しているので、流石にこれ以上の更新は今年中は無いと思います。たぶん。
お読みいただきありがとうございます。