2096年1月14日
深夜――渋谷のファストフード店/千葉警部、稲垣巡査部長両名との待ち合わせ。
捜査方針の転換――大腿骨部から現れた薬の出所の調査。薬物間での殺人。
13日の捜査/歌舞伎町方面の売人を当たる――それらしい売人は折らず/薬物は有らず。薬の刻印を頼りに探す。
刻印=『血浓于水』――意味『血は水よりも濃い』/血縁者の絆は他人との関係よりも深く強い。または血は争えない。
組織ぐるみの薬物販売/思考の発展――一族ぐるみの違法薬物製造。
根拠のない妄想/堅実に売人たちを当たる――若者の街、渋谷に潜む廃人製造機たち。
犯人の目星――想定される最悪手の敵=ヴェルミ・チェッリ。別の犯人――予想としてメトロの住人。
侵入経路――屋上/『六道ビル』周辺を巡回した航空機無し/ヘリ無し。地下――二センチの水路からの逃走不可能。
限定される逃走経路――正面玄関/エントランスホール=監視カメラ映像の提出を警備局に申請中。
ビジョン――犯行現場の馬鹿でかい刀傷/ヴェルミの少女が憫笑する姿。
犯人への期待/復讐の機会を窺う獣のようなナナ。気持ちは高ぶらない――波打たない心。
都市と一体化する意識。微かな不安/期待――身体的変化。
定期検診/想定もしない速度で
それ以前に脳の頭蓋にすら繊維は伸び始めている/脳を飲み込まれれば自身であり続けられるかどうかは分からない。
聞かされたときの心境――恐怖の一つも感じない。過去に感じている恐怖が消えてしまう。
無感動/無感情――夜間に訪れる無間の虚無。虚無と一体化する感覚。
眠気がこない/
服用しても眠気はこない――捜査に戻る。
手がかりは限られている――小さな砂粒を砂漠から探し当てる気分。
夜街を闊歩する若者。いったいこの中にどれだけ人間が『血浓于水』の薬を服用しているのか。
揺らがない虚無を抱えたままナナは時計を見る――午後十一時三十二分。
目眩くビジョン――研究所の光景。
遊戯室。兄は今どこで何をしているのか――ありもしない光景。
電灯の落とされた中で兄がハンプティー・ダンプティーの絵本を読んでいる姿。
膝に頭を乗せる私は兄の顔を見る――視界は夢のように脈絡も無く兄の視線に。
膝の上にいる私――姿は崩れあの人形の姿に。無機質でたどたどしい――限りなく人間に近い雛形。
(たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて )
旧式機械のように連呼する言葉――同一の存在/ナナ自身を投射してしまう。
変化――些細な事に気づく。
ビジョンの質が変わってきている――より鮮明にしっかり見える。現実であるかのように。
人形の姿が揺らめく――現実に戻る。
耳に嵌めているイヤホンから流れる警察無線/事件の内容が聞える。
『六道ビル』の事件とは関係のない無線/巷を騒がす事件の一つ――吸血鬼事件。
同時になる携帯端末――メールの着信。相手=千葉警部。
吸血鬼事件で人手が足りない事を伝えている――個人で捜査すると書き送信。
行動――ファストフード店を出る。
歩く。あてもなく――暗い街の中に融ける。誘惑の街灯の群れ。
売人を探す?――あまりにも無用心すぎる。いくら機械化してウフコックが居ようと女性一人で売人を探すのは危険すぎる。かえって逃げられる。
ふと思い出す――薬/危険な仕事/その手に関してよく知っている人物。
ふらふらと裏路地の奥に――人気も徐々に減り、露になる都市の裏側。五濁悪世の巣窟へ。
湿ったカビとごみの臭い/ゲロの饐えた臭い――人の放つ強烈な異臭。
ポツリとあるピンク色のネオンの看板=”エンジェルダンサーズ“。
入り口に立つ用心棒で在ろう男――久しぶりに見たという表情/CADを投げて渡す。
店に入る――地下に続く階段/この世とあの世の境界のようだ。
店内――変わらない人で埋め尽くされていた/嬌声がステージで上がり、店内のあちこちで立ち籠める汗と精液と愛液の性臭。生板ショーの真っ最中。
両性の性獣がナナを見つける。「幾久しく見ない子が来たじゃないか」
「まだこんなショーがあったのね」薄暗い中ミラーボールの反射が目に刺さる。「政府は許可したの」
「黙認ってとだね。自分のモノに自信の持てない男共。モノを咥えることしか頭にない女共を押し集めたに過ぎないよ。それに犯罪すれすれのスリルが興奮を引き立てる素材なんだよ」
ジョエルは楽しげにステージの下で囃し立てる客を見る――恰幅のいい男性/上半身裸/パンツ一丁。見覚えのある顔。
「警察省にどこぞの社長。お偉いさんを抱え込んで黙らしてるのね」
「人は本来の
「私が乱れる事はそれを見せるに値する人間の前だけよ」
けたたましい笑い声――店内の喧騒に消えていく。
ジョエルはバーテンダーに酒を頼む/隣の椅子を引き叩く――座れという号令。素直に座る。
「今度は何の用だい。メトロの仕事はウチは扱ってないよ」
「違う。この薬について訊きたいだけだ」
写真を出す/コピーの薬剤データを渡す。
写真を見たジョエル――先程を越えるぐらいの声で笑う。「あんた、これがなんだか分からないのかい」
「知らないから訊いている」突き出された刻印――『血浓于水』
「頭のない子だね。少しは頭を使わないか」ジョエル――ホケットの中から取り出す薬。テーブルに放り出す。
カプセル型錠剤――薬の刻印/マルドゥック市福祉局。
驚愕/その薬剤=純粋な――マルドゥック市で製造される、タイムズスクェアの横流し品ではない純粋な
「どこでこれを」
「知人が関税局の局員でね。流してもらってんだよ。正式な手順を踏んでる叩こうものなら痛い目を見るのはあんただよ」
「
「から? だから驚いたと。カルタヘナの天使もこれじゃ形無しだね」
バーテンダーが酒を持ってくる――
ほんの一瞬見せる幸せな表情/すぐに淫乱な表情に戻る。
「その薬ね、近頃メトロで作られてる。製造者は誰だかは分からない。碌でもな奴なのは間違いないがね」
「
「造り方なんていくらでもある。ものさえあれば大抵のものは造りだせる」
「それでも、それの製法はUSNAが危険性を指摘するぐらいのものだ。早々出回る事はない」
「あんたのその頭は飾りかい。この手の仕事はどこでも国よりも先に発展すんだよ。」
ジョエルはタバコに火を点ける――深く肺に煙を吸い込む/吐く紫煙はタバコとは思えないぐらい甘ったるい。
「一つ訊くけど。この薬があんたと何の枝が繋がってんだい」
「なぜ訊く必要が」
垂れた目元が細まる/他人の
「なにさ、
「踊り子たちに飲ましてるのか?」
「ヤりすぎて普通のプレイじゃ感じれないくなった困った子達だよ」
「あなたも他人を心配はするのね」大まかに話す。「去年の12月24日。逓信省の次官が殺された事件知ってる」
「......ああ。知ってるさ。惨い殺され方をしたんだろ」
「その被害者の大腿骨部にこの薬が『埋め込まれてた』。今は殺された原因としてこの薬を調べいる」
「難民の恨みかそれか内輪てことだろよ。逓信は顔が利きすぎる」
前からの疑問――逓信省/難民の恨み。いかなる理由で恨みを持たれるのかが分からない。
恨みの理由。ジョエルは包み隠さず話す。
「近頃よく広告ホログラムに出てるだろ。“プロファイラー法案”」
「ああ。日本の住基ネット化法案のことでしょう。それがどうしたの」
「テレビも雑誌も見ないのかい? ......まあいい。その“プロファイラー法案”てのは簡単に結うならアンタの国。USNAが採用する監視承認社会に移行するものだよ。いやあれの場合はもっと酷いね。USNAの監視承認社会てのは一定区画に設置されたチェックポイントにどこどこの誰が通過したとし通過承認されたか、どの店に何時に入店の承認をしていつまで居たか、どの店でどこの通販サイトで何を買って承認されたかを調べ管理しるモノだね。購入履歴からの商品宣伝の経済操作なんてのも出来るそうじゃないか」
「経済操作なんて大仰ことは出来ない。よくて客層を操作するぐらい。それに計画的犯罪の未然防止の役割を果たしている」
「そうさ。そういった社会に逓信は作り変え――縛りをタイトにしたいんだよ」
「なぜそこまで反発されるのかが分からない。なぜ――」
「実施する土地が悪いんだよ。難民政策もろくにしていない日本で監視承認社会は縛りがタイトすぎるんだよ。監視承認社会には国籍と戸籍が必要だ。今の難民の国籍申請に戸籍申請がどれだけの時間が掛かるか知ってるかい?」
「よくて5ヶ月?」
「十二年はかかるねこの調子だと」
「まさか」
ジョエルの目には遊びがない――真実を語る目。紫煙が店の中に漂う。
「難民も人間だ。忍耐てのもある。ある程度なら耐えられる、だが一定数のストレスは犯罪の引き金になっちまう。どこの国も日本みたいにお行儀良く待つ事はできないんだよ」
タバコの火を揉み消す――ジョエルは立ち上がる。「ここは長話をするには騒がしいね。場所を変えるよ」
ジョエルの後に続きカウッターの裏に。倉庫のさらに置く――機械の群れ
冬場なのに冷房が付いている/複数のモニターに囲まれた子供。
「ウチの経理兼サイバー方面の営業担当よ」
子供――中学三年生ぐらい/不健康な白い肌/露出を抑えたボンテージスーツ/華奢な身体を最大限に水商売ように着飾っている。炯炯と輝く左目/右目は眼帯で隠されている――目の周囲にプラグが刺さっている。
忙しなく動く指――手の甲に光るコインサイズのモノ。
「ハッカーたちのお洒落ってやつだよ。皮膚の下にLEDライトを埋め込んで、全身いたるところをピカピカ光らして楽しんでるんよ」
「理解しがたいな」
「人それぞれだよ」ジョエルはモニターに囲まれる子供を抱き上げる「
「その目は?」
「居住区に居るときに突き破られちまった。汚いペニスでね」
キーボードを弾こうと指を伸ばし続けている
「それで。どこまで話したお嬢ちゃん」
「“プロファイラー法案”の概要と難民の反感まで聞いた。その構造は?」
「“プロファイラー法案”の実現の下地構造かい? ふざけた計画だよ。全国民に相互通信機能を持ったナノマシンを投与することさ。ナノマシンは市民間で通信を行いメッシュネットワークを構成する。あとはトントン拍子さ、市民間で構築されたメッシュネットワークの上位構造体が市民の現在位置を管理する。基本的には市民同士が監視しあうんだ。大戦前に携帯ゲーム機で《すれ違い通信》てのがあったろ、それに近いね」
「市民同士で監視ですか。確かにたちが悪いですね」
「大まかには理解したようだね。次の疑問は――その次官を殺した相手でも聞くかい」
「犯人が分かるのか」
「さあね。難民ぐらいしかいないんじゃなかい。事件の起きたビルはエントランスぐらいしか出入り口はないんだ。カメラ見ればイチコロだろうさ」
「カメラ映像は申請中です。別に聞きたいことが一つある」
「なんだい? 薬の売人の居場所じゃないだろうね」
嘲りにも似た口調――メトロとの係わり合い避けるジョエル/知らないと踏む。
「このガイノイドについて知っていることを」
型番とホログラム写真――幼い少女のガイノイド/“キリエ”
ジョエルは目を細める。「ああ、このガイノイドかい。ついこの間までウチでも使っていたよ」
「実物があるの?」
「無いよ。製品不良だ何やらで回収が来たばかりだ。今頃はスクラップにでもなってるだろうよ」
「このガイノイドに製品不良?」
「性交機構が付いたセクサロイドなのはあんたも知ってるだろう。その機能で機能障害が出てるて話だよ。客の逸物を捥ぎ取る前に渡せてよかったよ」
「設計のミスで起こったこと?」
「
ジョエルは部屋の隅に置かれたアルコール飲料とエナジードリンクを割って飲む。
にわかに鳴るタイマー――腕時計が午前三時を知らせた。
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