ソードアート・オンラインを舞台にする必要があるのかと問われると非常に苦しいのですが、一人でも多くの方に「雪の夜の話」を楽しんでいただけたらと思っています。
よろしければ、ご一読ください。
「毎度ー。仕上がってるよ」
「うわぁ…………っ、いい、すごく良いよ!」
クリスマスツリーをモチーフにしたキャミソールドレスは、オーナメント代わりに大きな赤色のリボンをあしらったこだわりの一品であることが、一目でわかった。
期待以上の出来栄えに、自然と声にも色艶が出る。
軽い挨拶とは裏腹に、丁寧な手つきで渡されたそのドレスは、サテンらしい煌びやかな光沢を帯びていた。
「でも、珍しいね。リーファがドレスを縫ってほしい、なんて。≪プライベート・ピクシー≫用ってことは、プレゼントか何か?」
「うん、まぁそんなとこ」
2025年12月某日、世界樹上の首都≪イグドラル・シティ≫の目抜き通りの片隅で、あたし桐ヶ谷直葉ことリーファは、兄であるキリトくんのプライベート・ピクシー……もとい、キリトくんとアスナさんの娘であるユイちゃんへのプレゼントを受け取った。
ALOを始めてから馴染みにしている裁縫職人にフレンドメッセージを飛ばしたのが、もう一ヶ月以上も前になる。
ときどきは着替えることがあっても、ユイちゃんの持つ洋服の種類は少ない。
もう少しバリエーションをもたせてあげたい、という女の子女の子した一方的な欲求を満たすべく、あたしはこの一ヶ月、暇を見つけてはドレスの素材集めに勤しんだ。
その甲斐あって、今受け取ったユイちゃん用の小さなドレスは、とても良い仕上がりを見せている。
「本当にありがとう、オーダーメイド待ちで忙しいところをごめんね」
「気にしない気にしない、リーファには色々な素材を集めてもらうことも多いからね。こんなときくらい還元させてもらえて、わたしも嬉しいよ」
作業着でもあるフレアスカートの裾を正しながら、店長であるクレンが微笑む。
その仕草に揺れるヘッドドレスとショートボブが愛らしく、絵に描いたような可愛い女の子っていうのは、クレンみたいな娘のことを言うんだろうなぁ、などと思ってしまう────お兄ちゃんには、絶対紹介しない。
心にそう刻みながら、アイテムストレージにドレスをしまう。
「そうだリーファ。これ良かったらどう? お土産に」
「お土産? え、あ、これ……マカロン? いいの?」
「うん、わたし一人じゃ食べきれないから。勿体ないし、お裾分けさせて」
「ありがとう、それじゃあ遠慮なくいただきますっ」
透明なギフトパックに入った大小様々なマカロンを両手に、深々と礼をする。
そんなに広くない店内で、別のお客さんからクレンに声がかかった。
これ以上長居をして邪魔をするわけにはいかないと思い、そのまま店を出ることにした。
現在時刻は17時10分。
現実世界とALO世界との時間差がそれほどない状態なため、店の外はすでに夜の帳が落ちてくるようだった。
でも、夜にしては明るい。
それもそのはずだった、空から粉砂糖のような細かい雪が、降り始めていた。
イグシティの各照明に照らし出され、ある種の幻想的な風景がそこに広がっていった。
往来を行く様々な種族のプレイヤーも、足を止めて空を見上げているようだった。
子どものようだと笑われるかもしれないけれど、あたしは雪が好きだ。
体を動かす雪合戦も好きだし、かまくらや雪だるまをつくる造形遊びも好きだ。
中でも好きなのが、雪景色を見ることだ。
幼い頃、家の窓へと張りついて、ガラスの冷たさを頬に感じながら、だんだんと降り積もっていく雪を、飽きもせずに何時間も眺めていた。
まるで、魔法みたい。
覚えていないけれど、あたしが雪のことをそう呼んでいたらしく、この時期になる度にお母さんにからかわれる。
もうそろそろ恥ずかしくなってきたからやめてほしいと思いつつも、子どもながらにうまいことを言ったもんだと感心してしまう自分もいた。
ふっと、背に力を入れて、空へと飛び上がる。
同じように考えていたプレイヤーも多いらしく、地上ではなく空中からの雪景色を楽しんでいる人たちも賑わいを見せていた。
暫し、寒さを忘れて、漂うように飛行する。
剣道の寒稽古に比べれば幾分暖かいこの空が、季節は変わってもあたしのお気に入りとして揺るぐことはなかった。
だんだん、クリスマス前の子どものようにテンションも高まり、曲芸飛行でもするように回転したり急降下したりしながら、お兄ちゃんとアスナさんがイグシティに借りているホームを目指す。
目抜き通りからは離れたところに位置する住宅街の一角でも、雪化粧が始まっていた。
ブーツの踵を鳴らしながら、空から舞い降りる。
その途中、浮かれるあまりマカロンの入った袋を、途中から手放していたことに気づいた。
でも、たぶん、もう遅い。
飛行ルートは覚えているけれど、その途中で落としたのだとすると、すでに拾われたり、トラッシュ扱いされている可能性が、非常に高かった。
あぁ、クレンがせっかくお裾分けしてくれたものだったのに…………あたしの名誉のために自問自答するけれど、別にあたし一人で食べるつもりはなかった。
あたしと同じくらい、甘いものが好きなアスナさんとも、ユイちゃんのプレゼントのことで盛り上がりながら、一緒にマカロンをつまみたかった。
女の子は、甘いお菓子でできている。
甘いお菓子だけじゃなかった気がするけれど、でもあたしたちを形作る上で重要なお菓子が無くなってしまったこと、アスナさんと食べられなくなってしまったことに、あたしは少しへこんでしまった。
お兄ちゃんは≪料理≫スキルを一つも上げていない。
当然といえば当然で、一緒に住んでいるアスナさんがその道のプロなのだから、わざわざ上げる必要なんてないのも、よくわかる。
でも、最近は舌の方も肥えてきたらしく、ときどきは完璧とも思えるアスナさんの料理に、一言物申す姿も見られた。
「お兄ちゃん、そんな細かいこと言うなら自分でスキル上げてやってみれば。すっっっっごい微調整が必要で、絶対アスナさんのこと見直すと思うよ」
「ん、それを言われると痛いんだけど、仕方ない、アスナもこの機会に覚えておいてくれ。俺は料理に関しては自分のことを棚に上げて、一言言ってしまうタイプなんだ。それが俺の、VRMMOにおける誇りなんだ」
悦に浸るようにして、両手を広げながら天を仰ぐ仕草をするお兄ちゃん。
ごめん、全く意味がわからないです。
呆れてものも言えないあたしに、アスナさんは肩を竦めながら苦笑いの表情を見せた。
そうえいば最近は家でも、食事中に手の止まることが増えたっけ。
あれは何か言いたいことがあるってことなのかな、どうなのかな。
ともあれ、そんなお兄ちゃんの悪癖にアスナさんが悩まされてはいけないと、美味しいであろうマカロンをお茶うけに色々と愚痴を言い合おうと思っていたものだから、見つからないと頭の片隅で理解しているのに、わざわざ飛行ルートを戻り始めてしまった。
雪はその間もしんしんと降り積もり、イグシティの目抜き通り傍も、随分と白くなりつつあった。
羽を休め、目抜き通りの外れに降り立つ。
吐く息の白に、空から舞う雪の白が重なって、すごく綺麗なカラーエフェクトを生み出した。
誘われるようにして見れば、空からはたくさんの雪が乱れ狂うように、舞っていた。
万華鏡の中身を零して散りばめたような、そんな綺麗な景色。
現実の世界とは違う、ゲームの世界ならではの美しい雪景色に、あたしはマカロン探しのことをすっかり忘れてしまった。
次いで、妙案が浮かぶ。
この雪景色を、アスナさんにプレゼントしてあげよう。
ひょっとしたら、ユイちゃんへのプレゼントよりも、もっと素晴らしいお土産になるかもしれない。
マカロンなんて食べ物にこだわらなくても、もっと良いものを、届けられるかもしれない。
いつか、お兄ちゃんが教えてくれたこと────人間の眼球は、風景を蓄えることができる。
何を馬鹿な、と思ったけど、そのあと続けて話してくれたエピソードに、あたしは少しばかり、心を揺すられた。
お兄ちゃんの与太話だったかもしれないけれど、なんだか少し、良いお話だった。
旧SAOの世界では≪ディティール・フォーカシング・システム≫という仕組みが採用された世界だった。
目を凝らさない限りは、それが良く見えるようにはならないという、システム負荷軽減のための環境整備だった。
とある層のNPCキャラクター葬儀クエストでのことだ。
湖から発見されたその水死体の眼球を、顕微鏡で詳しく調べるという酔狂なクエストの一つに取り掛かった際、そのNPCキャラクターの眼球に、手漕ぎボートの上で談笑する一家団欒の光景が移されているではないか。
一体どうして、と疑問を追及するうちに、現れたロマンチシズムな医者NPCがこう語ったそうだ。
この若い男は、湖で溺れかけ、死に物狂いであがいているところで、遠くに手漕ぎボートを見つけた。
自然とフォーカスが働くも、その長閑で平和な光景を目の当たりにし、今この場で助けを求めなどすれば、彼らの団欒を壊してしまう。
そう思ったときには、体はもがこうとする動きを止め、ゆっくりと沈み始めた。
最後にはボートが立てた白波に、彼の姿は見えなくなった。
確かにそうだ、この若い男は、この鋼鉄の城で一番優しくて、そして気高い人なのだ、と解釈を下し、それに思わず頷きながら、手厚く水死体を弔ったというクエストのお話だ。
あたしも、このお話を信じたい。
そのフォーカス情報なるものが、NPCのみに適用されているのか、あたしたちプレイヤーに適用されているのかわからないけど、それでも信じたい。
「ねぇ、アスナさん。あたしの眼の中を覗いてみて。まるで、心が洗われるようだよ」
この雪の夜に、ふとお兄ちゃんの話を思い出し、あたしの眼の底にも、この綺麗な雪景色を描き留めて、お兄ちゃんたちのホームへ向かおうと思った。
年末が近づき、忙しくなってきたのか、アスナさんが「この世界では、羽をゆっくり伸ばしたい」とお兄ちゃんに零していたのを聞いたからだ。
お兄ちゃんときたら、「なるほど、妖精の羽にかけているのか」と、頓珍漢もいいところだと思わせる返事をしながら、ホームの壁面に各種族の羽をあしらった壁紙を張り付けた。
そこまではまぁ、うん、悪くはなさそうな感じだったけど、なぜだかやたらにスプリガンの羽だけを大きく見せようとしたため、鈍くさい壁紙になってしまった。
「キーリトくん? 自分の種族だけ贔屓するのは、どうかと思うよー」
眼だけで笑う、というアミュスフィア感情コントロールギリギリのラインを出力するアスナさんの様子に、お兄ちゃんもさすがにふざけが過ぎたと思ったらしく、元通りの壁紙に戻していた。
けど、そうやって自分贔屓な壁紙にしたところで、アスナさんが羽を伸ばせると思ったのだろうか、我が兄ながらもう少し恋する乙女の複雑な回路を勉強した方が良いと思う。
羽をゆっくり伸ばしたい、今でもアスナさんがそう思ってくれているのだとすれば、この雪景色をあたしの眼の底に映して、アスナさんに見せてあげたら、マカロンを食べるよりも、伝説級武器を手に入れるよりも、きっと喜んでくれるに違いない。
……と思う、たぶん、めいびー。
あたしはお兄ちゃんたちのホームがある場所まで、歩いたり飛んだり、色々な雪景色をその目に焼きつけた。
眼球の奥底だけじゃない、胸の奥底にもその純白で、清らかで、無垢な自然の景色を宿したような気持ちだった。
あたしの控えめなノックのあと、中からどうぞという声が聞こえる。
扉を開けると、暖かそうなセーターを身に着けたアスナさんが迎えてくれた。
「あら、リーファちゃん。いらっしゃい」
「こんばんは、アスナさん。あの、アスナさん、お願いがあるんですっ」
「どうしたの? 随分と藪から棒だね」
「えっと、あのっ、あたしの眼を見てください。あたしの眼の中で、とってもきれいな雪景色が、映っているはずなんです」
「あはは、どういうこと?」
笑いながら、アスナさんが両手をあたしの両肩にそっとかけてきた。
「どうしたの、怪我でもした?」
「ううん、そうじゃなくて! ほら、前にお兄ちゃんが話してくれたじゃないですか。フォーカスシステムによって、視覚データが眼の中にバックアップされている可能性がある、って」
「キリトくんの? …………ごめん、忘れちゃった、話の大体が作り話なんだもん」
「あたしも、そう思います。でも、その話だけは本当のことで、あたしも信じたいなって、そう思って。お願いアスナさん、あたしの眼を見て。ここに来る途中、たくさんの雪景色を零さず眺めてきたんだ。ね、見て。きっと、アスナさんの気持ちも和んで、ゆっくりと羽が伸ばせるよ」
アスナさんは困ったような表情を浮かべながら、黙ってあたしの顔を見つめていた。
そのとき、話を聞いていたらしく、リビングの方からお兄ちゃんがのそのそと歩いてくるのがわかった。
「だったらリーファの眼よりも、俺の眼だな。俺の眼のフォーカスバックアップの方が、何倍も効果的だ」
「ちょっと、急に出てきて邪魔しないでよお兄ちゃん」
茶化すようにして会話に交ってきたお兄ちゃんを、鞘で思い切り叩いてやりたい衝動に駆られるも、我慢をする。
「お兄ちゃんの眼なんか見ても、別に何もないでしょう? むしろアスナさんがゆっくり羽を伸ばせなくなっちゃう」
「そんなことないぞ。旧SAOでも、散々雪景色は見てきたからな。特に55層の白竜住まう西の山なんかは、それはもうクリスタルの柱なんかもあって、これぞゲームって感じの綺麗な景色だったんだから。フッ、伊達にSAO生還者はやってないぜ」
にかっと笑って見せるお兄ちゃんに対抗して、あたしは泣いてやろうかと思ったけれど、それよりも早くアスナさんが助け船を出してくれた。
「でも、キリトくんの眼は、リーファちゃんよりも綺麗な景色を見てきたかわりに、他の人も見てきた眼だよねー。えーと、55層の西の山だっけ? 誰と行ったのかなぁー? キーリトくん?」
「ぐ、それは、その……」
「え、お兄ちゃんもしかして、まさか女の人と? うわ、最低、デート風景見せようとしたの」
「ばっ、スグ、ちがっ、なんでそうなるのさ!」
たじろきつつ、お兄ちゃんがリビングへと引っ込んでいく。
その慌てぶりに、あたしとアスナさんは、どちらかともなく、お腹を抱えて笑い出した。
雪は淡く優しく、降り続いていく。