いぬがみっ!   作:ポチ&タマ

87 / 96

 お待たせしました。
 今年最後の投稿になります。



第八十一話「恐がりたゆね」

 

 

 乙女+αによる怪談話は大いに盛り上がっている。

 ようことなでしこは持ちネタがないため聞き役に徹していたが、皆のホラー話を楽しんでいるようだ。ようこも良い感じに感覚が麻痺しているようで、俺のショッキングな話に比べればとなんとか耐えられている。

 そして、いよいよ最後の一人に順番が回って来た。トリを務めるのは彼女たちのリーダーであるせんだん。

 

「――これは怖い話、というより因縁話になるかしら」

 

 こほん、と咳払いを一つして静かに語り始める。

 

「とある外国の山奥に小さな修道院があるんだけど、まだ年若い見習いシスターがその年に降った大雪で足を滑らせ、井戸の中に転落して死んでしまったようなの。以来、その見習いシスターの幽霊が夜な夜な徘徊しているそうよ。助けて、助けて、と」

 

 そこで一旦紅茶を飲み、一呼吸置く。続きが気になるのか、皆が息を呑んでせんだんを凝視した。

 なでしこの隣で胡坐を掻いた俺もせんだんの話に集中していた。しかし、いくら待っても話の続きをする気配がない。

 これで終わりよと言わんばかりに、涼し気な顔のせんだん。それまでビクビクして話を聞いていたようこが目をパチクリさせた。

 

「……え? もしかして、これで終わり?」

 

 たゆねが乾いた笑い声を上げた。

 

「は、ははは! なんだ、怖くないじゃん、全然!」

 

 ホッと安堵の吐息を漏らすようことたゆねだが、俺はまだ続きがあるのではと勘ぐっている。これで終わりなら確かに拍子抜けだが、あのせんだんがそれで済ませるとは思えない。

 せんだんは八人――八匹? のリーダーを務めるだけあって、冷静沈着で統率力に優れたしっかりした娘だ。きっとトリに相応しい話になるに違いない。

 見ればなでしこも違和感を覚えているのか、不思議そうな顔を友人に向けていた。

 様々な視線を集めているせんだんだが、すっかり気を緩めてしまっている二人を見ると意味ありげな表情を浮かべた。

 

「ところで、その修道院なんだけど。まあ色々あって結局閉鎖してしまったのよ。ただ、歴史的に価値のある美品のいくつかが日本に運ばれたようでね、その中に死んだ見習いシスターの遺品があったそうよ。例えば、シスターがずっと身に着けていたロザリオとか」

 

「ふ、ふぅん」

 

「ところで、うちの敷地も元々修道院だったけど、随分と曰くつきのものがあるらしいわね。色々と」

 

「ま、まさか……?」

 

 たらっと額から汗を流すたゆねに微笑みかけるせんだん。そういえば以前薫に聞いたが、ここは元々修道院だったらしいな。閉鎖した修道院を改修して今の家になったとのことだ。離れには小さな教会が当時の名残としてある。

 

「ここって何で閉鎖されたか知ってる? 出たからよ、その見習いシスターの幽霊が。助けて、助けて、って泣きながら夜な夜な修道院の中に現れるの。こぅ、恨めし気な顔で、青白い手を伸ばして……」

 

「ハ、ハハハ! ば、馬鹿馬鹿しいよそんなの!」

 

 手を伸ばして幽霊の真似をするせんだんを笑い飛ばすたゆねだが、どこか空元気に見える。

 そういえば、といぐさが驚いた顔で言った。

 

「薫様がガラスケースの中にロザリオを保管しているのは見たことがありますよ。もしかして、あのロザリオって、その幽霊さんのじゃ……」

 

 たゆねの笑顔が引き攣った。表情からして嘘を言っているように見えないし、もうこれ確定でしょ。

 悪戯っ子の顔をしたいまりとさよかがたゆねを揶揄う。

 

「きっとそうじゃない? 今もこの家の中を彷徨ってるんだよ」

 

「たゆねちゃん、助けてぇ……寒いよぉ、たゆねちゃん助けてぇ……って」

 

 背後に回って耳元で幽霊の声真似をする双子。たゆねがぶるっと震えた。

 フッ、甘いな。地声の域を出ていないぞ。しかし、その程度の声真似でビビるたゆねって……ようこ以上の逸材だな。

 よろしい、ここは七つの宴会芸を持つこの俺が見本を見せようではないか。真の声真似とはこうやるのだよ!

 再び声門に意識を集中させた俺は、今度は低い女性の声を真似る。

 

『助けて……暗い、寒い……だれか……助けてぇ……』

 

 出所が分からないように超音波ビーム声法で絞った声を地面に向けた。声というのは音による空気の振動、その波が鼓膜を震わせることで感知することができる。通常の発声法だとこの波は広域に渡って拡散するため周囲の人も声を聞くことが可能となる。

 しかし、気道と声門を操ることで空気の振動をごく狭い範囲に限定し、周囲には聞こえない波に変えて発することができるのだ。これを超音波ビーム声法といい、これも身体操法の恩恵の一つだ!

 地を這うような感じを意識した低い女性の声は、まるで地獄の底から手招く亡者のような雰囲気を醸し出せたと思う。いつか尊敬する声優さんのように、七つの声音を自在に使い分けてみせるぜ……!

 

「ちょっ、なになに!?」

 

「い、今の、女の人の声だったよね……?」

 

 もくろみは見事成功した。せんだんを初めとした皆がビックリした顔で周囲を見回している。唯一なでしこだけが勘付いたようで、仕方ないですねとでも言いたげな苦笑を浮かべていた。

 一つ、誤算があるとすれば――。

 

「なに!? 今の声――」

 

「うわあぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 ようこの声を遮ってたゆねが突然立ち上がり、部屋から飛び出したことだ。

 

「ちょっと、たゆね!?」

 

 皆の声を振り切りどこかへ行ってしまったたゆね。うん、やり過ぎた!

 

「啓太様」

 

 なでしこの視線が痛いです。怖がるとは思っていたが、まさか逃げ出すとは思ってもみなかった……。

 こればかりは悪ふざけが過ぎた俺に落ち度があるため、大人しくなでしこの説教を受ける。正座で項垂れる反省のポーズを取る俺に皆の視線が突き刺さる。言葉にしなくても伝わる皆の痛い視線。針の筵とはこのことか。

 神妙になでしこのお説教を聞いていたため、この時いまりとさよかの双子がクスッと笑って互いに目配せを交わし合っていたことに気が付かなかった。

 

 

 

 1

 

 

 

 恐怖に支配された心の赴くがままに走っていたたゆねだったが、不意に足を止めた。自分が離れにある教会まで来ていたのだとようやく気が付いたからだ。

 林の隣にあるその小さな教会は修道院時代に使われていたもので今は使用されていない。月に一度、薫と一緒に皆で大掃除を行っているため、少し埃はあるものの汚れてはいない。材木で建てられた小屋はボロいといった印象はなく、年代を感じさせるアンティークのような雰囲気を漂わせている。まだまだ現役だと建物が訴えているのかもしれない。

 見慣れた教会であるため普段なら特に怖がることもないのだが、この時ばかりは"今にも何かが出てきそう"と怯えきっていた。闇夜を照らす月明りは鬱蒼と茂る木々に阻まれてしまっているため、辺りが薄暗くなっているのも要因の一つかもしれない。

 

「こ、怖くなんかない、怖くなんかないぞ。さ、さっさと戻ればいいんだよ、うん!」

 

 別に教会に入るわけではないし、と自分に言い聞かせて来た道を戻る。

 その道中、林の奥に白い何かが見えた気がした。

 

「な、なに?」

 

 また見えた。今度はハッキリと見える。

 林の奥から白いものがこちらに近づいてきていた。ソレは人ほどの大きさを持ち全身を真っ白い布のようなもので覆っていた。ひらひらと布をはためかせながら確実にソレはたゆねの方へと移動していた。

 まるで、一昔前にテレビで見た"オバケの〇太郎"のような姿だ。

 その布オバケはたゆねの元へ近寄りながら女性の声で「たすけて、たすけてぇ」と救助の言葉を発していた。

 

「ひっ!」

 

 たゆねが目を剥き、息を呑む。そこへ――。

 

「たぁすけてェェェェ!」

 

 いつからいたのだろうか。たゆねの背後に佇んでいたのはもう一体の布オバケだった。悲鳴のような救助の言葉を連呼しながら、布オバケがたゆねの首に手を絡めてくる。布で覆われた真っ白い手は、異様なまでに冷たかった。

 

「ひ――」

 

「ねえ、たすけて?」

 

 油が抜けた人形のようにギシギシとぎこちなく振り返ると。林から抜け出した布オバケがすぐそこにいた。

 二体の布オバケに挟まれ「たすけて」と言われながら体に引っ付かれたたゆねの精神はついに臨界点を超えた。

 プツン、となにかが切れた音が鳴り、たゆねの目がスッと半開きになる。

 

「破邪走行・発露×一。たゆね突撃」

 

 たゆねは後ろの布オバケを背に乗せたまま、ゆっくり前傾した。両手を地面に付け、クラウチングスタートの姿勢を取る。

 

「れでぃ……ごう!」

 

 たゆねの体が青白い妖力に包まれ光り輝くと、掛け声とともに駆け出した。地面を踏み砕き、全力で走り出すたゆねに前の布オバケが慌てて手を振っている。

 

「ちょ、ちょっと! たゆね待って! 待って!」

 

 たゆねのオリジナルである『たゆね突撃』は全妖力を体に溜めて、突進する超荒業である。しかし、その破壊力は折り紙付きで、普通の一軒家程度の家であれば木っ端微塵に砕くほどの威力を秘めている。欠点としては一度走り出すと止まらない点だろう。たゆね自身でもブレーキを掛けることが出来ないのだ。

 列車が猛スピードで向かってきているようなものである。布オバケが慌てるのも当然だ。

 

「きゃあ! きゃあ! たゆね、ストップ! ストォォォォップ!」

 

 後ろの布オバケも懸命に止めようとしていた。しかし暴走列車と化したたゆねは「うぅ~~~~っ!!」と真っ赤な顔で涙目。全く周囲の状況を理解できていない様子だ。

 

「にゃあああああああ――――!」

 

「いやあああああああ――――!」

 

 そして、妖力による爆発が起こり、布オバケをあっという間に空高く吹き飛ばした。

 しかし暴走列車たゆねはまだ止まらない。林に突っ込んだたゆねは木々を薙ぎ倒し、愚直なまでに直線状の物を破壊しながら突き進む。たゆねが通った後には新たな『道』が出来ていた。その様はまるで削岩機のようだ。

 無人の野を駆けるが如く、ひたすら爆走していたたゆねだが、やがて速度を落とし始めた。土埃を巻き上げながら踵でブレーキを掛ける。足を地面にめり込ませながら慣性を殺していき、ようやく止まることができた。

 

「はあ、こわかった……。な、なんだったのかな、あれ?」

 

 額の汗をぬぐい、そう呟く。気が付けば教会まで戻ってきてしまっていた。

 

「……もしかして、いまりとさよかの悪戯かな?」

 

 思いっきり爆走してスッキリしたためか、いささか冷静さを取り戻したようだ。よくよく思い返してみればあの布、シーツのように見えたし、声もいまりたちのそれに近かった。それに、こんなことをするとしたらあの双子以外考えられないだろう。

 そう考えると沸々と怒りが沸いてきた。いまりたちの悪戯は今に始まったことではないが、今回ばかりは許せない。自分がオバケを苦手としているのは知っているだろうに、追い打ちをかけてくるなんて、まさに悪魔の所業である。犬神から小悪魔にジョブチェンジしたらどうだろうか。

 ――こうなったら、戻ってきっちりトドメを刺してやる!

 

「よ、よ~し! 今度こそ確かめてやる!」

 

 そう勢い付き鼻息も荒く腕まくりをするたゆねであったが、視界の端に何かを捉えると、今度こそ完全に彼女の動きが止まった。

 

「……う、うそ」

 

 ギィィ、と教会の古びた扉が独りでに開き、奥から一人のシスターが現れたのだ。

 

「うそぉ……!」

 

 修道服を来たそのシスターは若く、二十代前半のように見える。しかし、その体は半透明で青白く光っており、生きた人間でないのは一目瞭然だった。

 まだあどけなさの残る顔のシスターは驚いた表情でたゆねを見ている。

 胸元には銀色に輝くロザリオが、ハッキリと見えた。

 正真正銘の幽霊が、そこにいた。

 

「ひ……」

 

 腰を抜かしてしまうたゆね。普段は隠している灰色の尻尾が、ドロンと力無く出た。

 これまで散々怯え、膨大な妖力を消費する荒業をつい先ほど使ったばかり。立ち上がろうにも足腰に力が入らない。

 

「ひ……」

 

 半泣き、半笑いのたゆね自身よく分からない表情で呆然と幽霊を見入る。シスターはそんなたゆねの様子に首を傾げ、ふわふわと近寄って来た。

 

『大丈夫?』

 

 たゆねを気遣う思念を送るが、腰を抜かしてしまっている彼女はそれに気が付かない。

 心配そうな表情で地面を滑る様に近づいてくる。

 

『大丈夫?』

 

 イヤイヤとたゆねが精一杯首を振る。心の中で何度も、こないで、こっちにこないで!と叫びながら。

 しかし、その首を振るう動作を「助けが必要」と受け捉えてしまったようだ。シスターは慌てた顔でさらに近寄って来た。

 

『大変! どこか怪我したの?』

 

 たゆねの精神が限界に近付いてきたその時――。

 

「……たゆね?」

 

 林の方から、自分を呼ぶ声が聞こえた。

 

 

 

 2

 

 

 

 たゆねを探しに外へ出た俺は、取りあえず彼女の妖力を頼りに林の方へ向かっていた。道中、なにやらブルドーザーが通った跡のようなものを見つけ、その通路を進むとたゆねを発見。

 何やら座り込んでいる彼女は呆然とあらぬ方向を見ていた。

 

「……たゆね?」

 

 そんなところで何してるん?

 俺の存在に気が付いた彼女は「啓太様ぁぁぁ~~!」と顔を歪めた。ていうか、顔面蒼白じゃねぇか! マジでどうした!?

 尋常じゃない様子に慌ててたゆねの元へ駆け寄ると、俺の足にひしっとしがみついてきた。プルプルと震えるその姿はか弱い少女そのもので、いつもの勝気な態度はすっかりなりを潜めてしまっている。

 

 ――あれか? 怖くて一人で帰れなかったとか? たゆねほどの怖がりさんだとありえない話じゃないから笑えぬ。

 

 取りあえず彼女を落ち着かせなければ。おーよしよし。こわくない、もうこわくないぞー、とたゆねのボーイッシュな髪を撫でる。気分は怯えた子犬を宥める感じだ。

 たゆねの髪はショートヘアーで触ると結構ふわふわしてる。なでしこもふわふわヘアーだけど、あれよりは少し硬い感じかな。たゆねは毛髪が硬いフレンドなんだね!

 味わったことのない触り心地を堪能しながら、彼女の心を落ち着かせるべくナデナデをしているが、なかなか青白い顔に血の気が戻らない。ホント、何があったし。

 うちの犬神には効果抜群のナデナデなんだが、やはりあれはなでしこ&ようこ特攻の効果か。

 

「け、啓太様……! ゆ、ゆゆ幽霊が……ッ」

 

「……幽霊?」

 

 たゆねが指差す先。そちらを見ると、いつから居たのだろうか。青白い半透明のシスターさんがいらっしゃった。教会の扉が開いていることからして、中から出来たのかな。とりあえず、たゆねはモノホンと出会ってしまい、こうなったのだけ理解した。

 修道服に身を包んだそのシスターは金髪に碧眼と欧米っぽい容姿をしており、驚いた顔で俺たちの方を見ていた。

 

 ――とりあえず、悪い気は感じないから悪霊じゃなさそうだな。ていうか、この人って、もしかしなくてもせんだんの話に出てきたシスターその人だよね? あの話、実話だったのか……。

 

 オイラびっくり!と内心小さな驚愕を覚えながら、とりあえずコンタクトを試みる。

 ていうか、外人さんだけどちゃんと伝わるかしら? 自慢じゃないが、俺英語はメッチャ苦手なんやで? 中学の英語の成績が毎年三なのは伊達ではない。

 まずは挨拶だ。えーっと「こんばんは」を英語で言うには確か……。

 

「……Good evening. It's good night」

 

 ついでに「良い夜だね」と繋げてみた。すべてのスキルを駆使して話を繋げないと。

 俺の言葉にシスターは驚愕の表情を浮かべると、なんと日本語で返してきた!

 

『は、はい。こんばんは……あの、わたしが見えるの?』

 

「……ん。日本語、上手」

 

 ネイティブな日本語ですわ。いや、日本語が伝わるならすごい助かるのだけど。

 そう言うとシスターは苦笑を浮かべた。

 

『これでも日本人なの。祖母がアメリカ人だから、少しだけアメリカの血を引いてるけどね』

 

 俗に言うクオーターというやつですな。格好いいと思います。

 

『わたし、道子っていうの。あなたたちのお名前を聞かせてもらえるかしら?』

 

 ネイティブな日本語を披露するシスター道子さん。名前からして本当に日本人のようだ。

 生前はさぞ見た目から誤解を招いたことだろう、と勝手に想像しながら自己紹介。

 

「……川平啓太。ここの主人、薫の従兄弟。こっちはたゆね。怖がり」

 

「こ、ここ怖がりじゃないもんっ!」

 

 たゆねや、俺にしがみついての発言じゃ説得力ないぞ。こうして言葉を交わしてもまだ怖いらしく、ずっと俺にしがみつき、服を掴んで離さないたゆね譲。いい加減立ち上がりなさい。

 

「む、ムリ。力が入らないです……」

 

 はあ、ダメだこりゃ。ちゃっちゃと送ったほうがいいな。

 幽霊というのはこの世に未練を残した者が成仏できず、現世にとどまる剝き出しの魂のことを差す。肉体があれば魂を保護してくれるため死ぬまで変異することはないのだが、剥き出し状態だと周囲の思念の影響をもろに受けるため、放っておくと高確率で悪霊と化す。そのため、霊能者というのは基本的に幽霊に対しては成仏するように働きをかけるのだ。

 悪霊なら問答無用で成仏(物理)させるのだが、道子さんからはそういったモノ特有の霊気を感じない。人格もまだハッキリと残っているし、善霊の部類だろう。そういう幽霊さんにはなるべく穏便な方法で成仏していただくのが俺のやり方だ。

 ということで、何か未練があるのならズパッと解決するよ。出来る範囲でだがな!

 

『うーん、未練は別にないんだけど』

 

 俺の言葉を聞いた道子さんは困った顔で頬に手を当てた。

 

「……なら、なんで幽霊してる?」

 

 そもそも未練がないなら死んだ時点であの世に逝く。未練があるから成仏できずに幽霊やっているんでしょうが。

 それともあれか? 本人もわからない系? 無自覚的なやつか? うわ、それが一番面倒なんだけど。

 しかし、実際の所は俺の予想の斜め上を行くようでして――。

 

『どうやって逝けばいいのか分からないのよ。マニュアルがあるわけじゃないし、逝き方が分からないの』

 

 困ったわ、わたし説明書をじっくり読むタイプなのに。と嘆く道子さん。……この人、もしかしなくてもメッチャ天然?

 俺も色々な霊媒を請け負ってきたけど、この手のタイプは初めてだわ……。ていうか、成仏の仕方が分からないってこともあるのね。世界は広いなぁ……。

 

「……じゃあ、俺が送る。それでもいい?」

 

『川平君が?』

 

 意外そうな顔をする道子シスター。まあ高校生がお坊さん染みたことをするんだから、奇異に映るだろう。

 でも、これでもそこそこ実績あるんで。

 

『それじゃあ、お願いしてもいいかしら?』

 

「ん」

 

 道子さんから了承も得たことだし、さっさとあの世に送ってあげるかね。だからもう少しの辛抱やで、たゆねさんや。

 背中に隠れへばりついているたゆねの頭をポンポンと叩き、もうちょっとだけ我慢してと声をかけると、目に涙を溜めて震えていた彼女は驚いた顔で俺を見上げた。

 さて、浄霊の一般的な手段としては真言だ。真言というのはサンスクリット語のマントラを漢訳したもので、"真実の言葉""秘密の言葉"という意味を持つ。お坊さんが唱える般若心経も代表的な真言の一つだな。

 修業時代を過ごした仙界。俺に魔術を叩き込んでくれた仙人から真言も習ったのだが、ちょっと奥が深すぎて代表的な真言しか習得できなかった。だって経典で違いがある上に同じ真言でも宗派によって違うし、俺に魔術を教えてくれた先生は全部網羅してるって言ってたけど、百以上もある真言を覚えるなんて一般人には無理! 言ってみれば般若心経ほどの真言を百通り覚えるようなものだ。そう考えるとあの先生、うちの師匠並みにパない人だったんだなぁ。

 おっと、ちょっと思考に耽りすぎたな。さっさと送らねば。成人の善霊だし、ここは光明真言でいいか。

 

「……じゃあ、始める」

 

『はい、お願いします』

 

 神妙な顔で頷くシスターに頷き返し、霊力を練り上げながら真言を唱え始める。

 

「……オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」

 

 光明真言の功徳は過去一切の十悪五逆四重諸罪や、一切の罪障を除滅などがあり、浄霊においてこれほど適したな真言は他にないというのが、先生の言葉だ。これまでこの真言で浄霊した人たちは皆、安らかに逝けているから、事実その通りなのだろう。

 真言で導かれる道子さんは穏やかな顔で受け入れている。

 

『あぁ、あたたかい……とっても良い気持ちだわ』

 

 道子さんの魂が天へ昇っていく中、視線を落とした彼女は優しい微笑みを浮かべた。

 

『ありがとう』

 

 青白い霊気を残して、道子さんの魂は天へ昇った。最期まで彼女を見届けた俺は一つ息を吐き、ボーっと呆けているたゆねに視線を落とす。

 ほれ、終わったで。

 

「あ――」

 

 なにを言われたのか理解できないといった顔をしていたたゆねだが、次第に顔を歪めていった。

 

「啓太様ぁぁ~……ふぐっ、うぇぇ」

 

 ようやく緊張が解けたのだろう。俺の腰に顔を埋め、声を上げて泣き始めた。

 

「おー、よしよし……」

 

 ようこにするように頭をポンポンと撫でて心を落ち着かせようとするが、なかなか泣き止まない。困った。女の子の涙ほど苦手なものはない。

 ホント、困った。これ傍から見たら、俺が泣かせたようなようなものじゃね?

 なでしこたちがやってくる前に泣き止んでくださいマジで! 半ば本気で祈りながらたゆねの頭を撫で続ける俺であった。

 

 





 今年も「いぬがみっ!」にお付き合い下さりありがとうございました。
 来年も頑張って書きますので、どうぞよろしくお願いします!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。