いぬがみっ!   作:ポチ&タマ

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 なんとか、今月中に間に合った……。



第七十八話「一時の母(中)」

 

 

 午後の五時、そろそろ啓太様が帰宅する時間です。主人を出迎えるのも犬神の務めであり、家を預かる妻の役目。

 玄関口で主人を待ち構えていると、外から愛しい人の気配が近づいてくるのが分かりました。

 

「……ただいま」

 

「おかえりなさい啓太様。学校の方はどうでした?」

 

 学生鞄を受け取り、啓太様の制服の上着を脱がして差し上げる。少し汗を掻いたのか、啓太様の匂いが強く感じて胸がキュンっとしました。

 私の密かな楽しみが、啓太様から聞く学校での出来事です。一日どのように過ごし、どのようなことがあったのか、毎日のように問う私に啓太様は嫌な顔一つせず話してくれます。

 

「んー……。今日は宿題いっぱい出た。あと先輩がやたら絡んできた」

 

 宿題を片付けると、すぐにご自分の部屋へ向かったのを見送った私はキッチンに入りました。

 

 ――ようこさんはリビングで再放送のドラマを見ていますから、行動を起こすなら今ですね。

 

 啓太様に内緒でこっそり霊薬丸を拝借する。私が必要としているのは黄色の霊薬丸。小瓶からそれを一個取り出し、さらに戸棚から乳鉢と乳棒を持ち出して自室へ向かいます。

 

「念のため施錠もして、と」

 

 各部屋の扉には鍵が付けられています。施錠して外からの侵入を防いだ私はキッチンから持ち出した霊薬丸と乳鉢、乳棒をテーブルの上に置きました。

 私の部屋はようこさんと同じ四十平米ほどの広い洋室で、家具は新堂家から寄付された物をそのまま使っています。新しく家具を買うとなるとそれなりに値段がしますからね。啓太様のお金を任されている身として無駄使いはなるべく避けなければなりません。

 元は薄緑でしたが、現在は白い壁紙に張り替えています。啓太様とお揃いですね。

 部屋には机と椅子の他に木製のテーブル、箪笥、ベッド、本棚、ソファ、テレビ、パソコンなどがあります。テレビとパソコンはこちらに引っ越してきた時に新堂家から譲り受けたもので、あまり活用することはないですね。テレビは基本的にリビングの方を使いますし。

 パソコンはたまに使用します。少し前から薫様のところにいるいぐさから株の見方や買い方などを教わりましたし、調べ物をする時にはインターネットを活用しますね。便利な世の中になったものです。

 それと、この家には各部屋に小さなお風呂がついているんです。全部屋に完備されているわけではありませんが、一階の和室と洋室に一つずつ。啓太様、私、ようこさんのお部屋に一つずつ。三階の空き部屋にもありますね。地下にある大浴場だけでもすごいのに、個室にお風呂があるなんて!と当初は驚いたものです。高級住宅というのは皆そういうものなのでしょうか?

 ただ、自分の部屋を見て感じるのはあまり女性的な内装と言えないところでしょうか。ようこさんの部屋にはクマのぬいぐるみや漫画など女の子らしい部屋ですけど、私は古い女なので可愛らしい部屋とは言い難く、どちらかというとシンプルな感じになっています。

 

「では早速、準備をしましょう」

 

 テーブルの上にキッチンから持ってきた乳鉢を置き、その中に黄色い飴玉のような霊薬を入れると乳棒で砕きました。

 何度も乳棒で砕き、細かな破片となった霊薬をゴリゴリとすります。粉になるまですり潰したら次の段階です。

 乳鉢に手を翳して妖力を注ぎ込みます。ここでポイントなのが一気に注ぐのではなく、弱火で炙るようにゆっくりじわじわと時間を掛けて注ぐことです。

 一分ほどかけて妖力を注ぎ続けると、粉状になった霊薬が淡い光を放ちました。光はすぐに消えてしまい、一見すると変化はないように見えますが、これで準備完了です。

 あとはこの粉状の霊薬を――。

 

「ごめんなさい啓太様……」

 

 今から、あなたの意に反することをします。

 それで少しでもあなたの心の闇が晴れるのなら、私は――。

 

「啓太様、よろしいですか?」

 

「ん、いいよ」

 

 諸々の準備を終えた私はお盆を手に啓太様の部屋にお邪魔しました。

 机に座っている啓太様は仰られた通り宿題をされていました。机の上には数学のテキストが開いていて、手にしたシャーペンでガリガリと文字を刻んでいます。

 

「お疲れ様ですね、啓太様」

 

 お盆に乗せた冷たいお茶を置くと、啓太様は大きく伸びをします。

 ふう、と一息して椅子の背もたれに寄りかかりました。

 

「まあ、ね。数学は苦手……。ん……うまうま」

 

 お茶を一息で飲み干した啓太様。次第に眠気が襲ってきたのでしょう。こくりこくり、と船を漕ぎ始めたのを見た私はベッドでお休みになるように言いました。

 

「啓太様、一度お眠りになったらどうですか? その方が頭もスッキリしますよ」

 

「んー……そうする」

 

 小さなあくびを一つ漏らした啓太様はそのまま寝室に向かい、倒れ込むようにしてベッドに身を投げ出しました。

 

「おやすみなさい、啓太様……」

 

 お茶に即効性の睡眠薬を混ぜたため、数秒もしないうちにスヤスヤと安らかな寝息を立て始める。そんな啓太様の頭をそっと撫でた私はその体にタオルケットを掛けてあげました。

 眠る啓太様に一礼して寝室を出た私はお盆を手にしたまま一階へ。キッチンのシンクにコップを置き、乳鉢や乳棒を元の場所に戻して、と。

 

「睡眠薬は軽めに調整したから、大体効果は二時間くらい。啓太様、きっと驚くでしょうね……」

 

 啓太様にお渡ししたお茶には睡眠薬の他に、粉末にした霊薬も入れてあります。あの霊薬には滋養強壮の効能があり、色んな栄養素が凝縮しているため普通に服用すれば何ら問題ない代物なのですが、一定量以上の妖力を注ぐと、とある副作用が出ます。

 滅私奉公でなければならないのに、今回の件については完全に私の独断行為。主人の意に反することをしてしまいました……。

 ですが、もし私の予想通りなのだとしたら、啓太様のお心を少しでも癒すことが出来るかもしれません。

 ――啓太様、どうか、私のわがままを許してください……。

 

「あれ? なでしこ、ケイタは~?」

 

 ドラマを見終わったようこさんがひょこっと顔を覗かせてきました。

 

「啓太様はお部屋でお休み中ですよ」

 

「ふーん。このところお仕事とかたくさんあったから疲れてるのかな?」

 

「そうかもしれませんね……。ところで今晩はハンバーグにしようと思いますが、ようこさんもそれでいいですか?」

 

「ハンバーグ! いいねそれ! わたし大きいのねっ」

 

「ふふ、はいはい分かりました」

 

 それでは今からハンバーグの種を作りますか。啓太様も喜んでくれるといいんですが……。

 

 

 

 1

 

 

 

「――ん、んぅ……? ふあぁ~……んー……っ」

 

 目がさめた。目をこしこしして大きく、んーってする。

 大きなベッドにねてた。お部屋ってこんなに大きかった? 広いお部屋にボク一人だけしかいなくて、なんだかイヤだ……。

 

「ハケ……? ハケ、どこ……?」

 

 ベッドからおきて周りをキョロキョロするけど、いつもそばにいてくれたハケはいない。

 シクシク、シクシク。心がシクシクする……。

 

「おばあちゃん……? ハケ? みんなどこ……? ヤぁ……ひとりは、ヤぁ……っ」

 

 一人、一人ぼっち。

 一人ぼっちは、ヤダ――ッ!

 

「うぁぁぁ……ぁぁぁあああああぁぁぁぁ~~っ!」

 

 なんだか、かなしくなって、気が付いたらないてた。もう三さいになるのに、わんわんないて。

 今までおばあちゃんもハケも、ボクを一人にすることなかったのに、今はだれもいない。だれも、そばにいない。

 それがすごくかなしくて、さみしくて。

 大きなこえでわんわんないた。

 そしたら――。

 

「啓太様!?」

 

「どうしたのケイタ!」

 

 ドアがバーンって開いて、きれいな女の人が二人やってきた。

 ピンク色のかみの毛のお姉さんと、みどり色のかみの毛のお姉さん。見たことない人。

 知らない人がやってきて、ビックリして思わずなき止んじゃった。

 みどりのお姉さんもビックリした顔でかたまってるけど、ピンクのお姉さんは走ってちかよってきた。

 

「どうしました? なにか怖い夢でもみたの?」

 

 しゃがんでボクと目を合わせると、やさしいこえで言ってくる。

 

「ひくっ……、おきたらね、だれも、いないの……ハケも、おばあちゃん、も……みんな、いないの……っ」

 

「そうですか……。寂しかったんですね、よしよし」

 

 お姉さんはボクをギュってすると、よしよしってしてくれた。なんだか、むねの中がポカポカして、ホッてする。ハケやおばあちゃんにギュってされたときよりも。

 お母さんにギュってされたらこんな感じなのかな……。

 

「――? どうしました啓太様?」

 

 お姉さんにギュってされたまま顔を上げる。首をコテンってさせたお姉さんは、すごくやさしい顔をしていて……。

 もしかして――。

 

「……おかあさん?」

 

 

 

 2

 

 

 

「……おかあさん?」

 

 その単語を耳にした途端、今までに経験したことのない類の衝撃が、全身を走り抜けたのを感じました。

 

「――……っ! ええ、そうですよ! 私が啓太様のお母さんです! とは言っても一時の母親ですが、たくさん甘えてくださいねっ」

 

 思わず啓太様を抱きしめる手に力がこもり、スリスリと頬を摺り寄せてしまいますが、これもそれも可愛らしい啓太様がいけません!

 元々、中性的な顔立ちで女性服とウィッグを着用すれば女の子に大変身する啓太様ですが、まさかこれほどの破壊力を秘めているとは!

 啓太様と初対面したあの頃は六歳だったので今よりもう少し大人びていましたが、今の啓太様は正直色々とヤバいです……! 確かハケ様が啓太様のアルバムを作成していたはずですから今度見せてもらいましょう。

 

「――ハッ! ちょっとなでしこ、どういうことなのよこれ……っ」

 

 愛らしい啓太様の姿を目にして意識を飛ばしていたようこさんが正気に戻りました。啓太様のことを考えてか大声を上げないで詰め寄ってきます。

 

「ちょっと待っていてくださいね啓太様」

 

 廊下に出てしまうと啓太様を一人にさせてしまいますので部屋の隅まで移動します。この距離なら啓太様も聞こえないでしょう。

 きょとんとした顔で大人しくベッドの上にいる啓太様をチラッと見て、ようこさんに事情を説明します。

 

「――啓太様がお母様を恋しがっているのは説明しましたね? おそらく啓太様ご自身も気が付いていないことも」

 

「うん、それは聞いた。ケイタのエッチぃ画像とかもなんていうか、包容力がありそうな人ばかりだったもんね」

 

「そうですね……。そのエッチな画像に関しましては後日、改めて伺うとしまして、啓太様は母親を求めていらっしゃいます。しかし、啓太様の実母である佐江様は宗太郎様とともに今も海外。あちらで何をされてるか存じませんし微塵も興味ありませんが、物心つく前から啓太様のお側には母の代わりとなれる方がいらっしゃらなかったというのが重要です」

 

 母の愛というのを知らず育った啓太様。啓太様のお側には祖母の宗家やハケ様がおりましたし、我が子同然のように愛情を注いでいたのも承知しています。ですが、やはり母としてのそれとはまた違った愛情だと思うのです。

 啓太様に初めてお目に掛かったのは彼が六歳の頃だったと記憶しています。その頃から啓太様は感情表現が苦手で、ともすれば"人形"なんて揶揄されるほど表情が乏しく、周囲の人間たちから邪険に扱われていました。宗家様やハケ様、薫様、宗吾様などを初めとした啓太様の味方もいらっしゃいましたが、総体的にその数は少なく、陰口を叩かれるのも珍しくなかったという話です。

 普通なら心が擦れて性格も歪んでしまいます。我々犬神と同じく、人間にとっても幼少期というのは人格が形成される大事な時期なのですから。

 ですが、啓太様はそのような心無い言葉を言われ、無碍に扱われても泰然としていました。啓太様はご存じないでしょうが、ハケ様や宗家様から、あるいはともはねから、薫様から聞いた啓太様の子供の頃の話を聞かせていたりしていたんです。

 正直、愕然としました。あのような扱いをする人間たちにもそうですが、どのような扱いを受けようとも微塵も動じない、啓太様の在り方に。

 

 ――まだ六歳という若さなのに、なんて強い心をしているの……。

 

 両親というのは子供にしてみれば心の拠り所でもあり絶対的守護者です。いくら泰然としていらっしゃる啓太様といえど、その心がまったくの無傷であると断言できるはずがない。癒すことが出来る、安心できる絶対的守護者が側にいないのですから。

 その証拠が今朝、啓太様が呟かれていた寝言であり、あのパソコンにあった大量のエッチな画像です。

 啓太様はご自身が気付いていないだけで、心の奥底では母親という存在を求めていらっしゃるのです。

 

「そこで私は考えました。どうすれば啓太様のお心を癒して差しあげることができるのか。その答えが、これです」

 

 エプロンのポケットから取り出したのは、あの霊薬丸が入った小瓶。

 

「これは霊薬丸と言いまして、普通に服用する分には問題ないですが、妖力を一定以上込めるとある副作用が起こるんです」

 

「副作用?」

 

「はい。それが今の啓太様の状況。一時的な精神退行です」

 

「ちょっと待って……! ていうことは……今ケイタは精神的に子供になっちゃってるってこと!?」

 

「ぴぃっ――!?」

 

「あっ、な、なんでもないよ~」

 

 ようこさんのビックリした声に啓太様が驚いた様子で飛び上がりました。ふり返ったようこさんは少々固い笑顔を浮かべ、ひらひら~と手を振りました。

 私も小さく手を振ると、安心したのか啓太様も小さく笑顔を見せて手を振り返してくれます。

 

「はい。普段の啓太様ですと遠慮されるのは目に見えているので、勝手ながらこの霊薬丸を使い、啓太様の精神年齢を退行させました。今の啓太様の精神状態は子供の頃に戻っていますので、無意識に抑圧していたものとかが出ている状態です」

 

「でも、なんでこんなことを……?」

 

「当然、啓太様のお心を癒すためです。副作用は二日程度で収まりますので、その間、私は啓太様の母親を務めさせてもらいます。うんと啓太様を甘えさせて、また甘えてもらって、そのお心を少しでも癒すのです!」

 

 それに、いずれ啓太様との子を授かりますから、予行練習としても丁度いいですし。

 私の言葉にようこさんは何かしら衝撃を受けたようで、ふらっとよろめきました。

 

「そ、そんな狙いがあっただなんて……! てっきり、なでしこの性癖が前面に押し出て暴走した結果だと思ったのに!」

 

「私にそんな変なものありませんっ」

 

「コホンッ、まあなでしこが啓太を想って行ったってことは分かったわ。その理由もね。ただ、一つだけ気に食わないことがあるわ……」

 

「伺いましょう」

 

 今回に限っては私の独断、エゴによるもの。

 ようこさんはきっと、啓太様の意思を無視したことに怒っているのでしょう。ですが、それは百も承知の上。

 明日は土曜日で学校はお休みで仕事も奇跡的にないです。なので気兼ねなく啓太様を甘えさせることが出来ます。

 副作用が解けて元に戻った啓太様にその間の記憶があるかは分かりませんは、あろうとなかろうとすべて説明し、その上でどのような罰も受けるつもりです。

 腰に手を当てたようこさんはビシッとこちらを指差し――。

 

「アンタだけお母さん呼ばわりされるなんて、ズルい!」

 

「……えっ?」

 

「ズルいズルいズールーいー! 私もケイタのお母さんになりたい! たくさん甘えさせてあげたーいっ!」

 

「だ、駄々っ子ようこさん……!」

 

 駄々をこねる子供のようにわめき散らすその様から啓太様がつけた呼び名。ここに引っ越してくる前はよく見られた光景ですが、ここ最近は精神的に成長したため引っ込んでいたのに!

 こうなってしまったからには何があっても主張を曲げないでしょう。今までの経験上それは明らかです。

 

 ――欲を言えば、啓太様の母親代わりは私だけがよかったのですが……まあ、仕方ありませんか。乙女協定に抵触するかもしれませんし。

 

「はぁ、わかりました。ようこさんも啓太様の母親の役を買って出るのはある意味いいかもしれませんね。甘える対象が増えるということですし。まあ、まずは啓太様にお伺いを立てましょうか。色々確認しないといけないこともありますから」

 

 それに、先ほどから不安そうな顔でこちらに視線を向けている啓太様を、そのまま放っておくわけにはいきませんからね。

 

「お待たせして申し訳ありません啓太様」

 

「う、ううん、へーきだよ……。えっと……」

 

 啓太様が困ったような顔で私とようこさんを見る。微笑みを浮かべながら腰を落として啓太様と目線を合わせると、ようこさんもそれに倣います。

 ベッドの側で啓太様に寄り添うように腰を下ろした私たちは改めて自己紹介をしました。

 

「自己紹介がまだでしたね。私は啓太様の犬神のなでしこと申します」

 

「わたしはようこって言うの。なでしこと同じで、ケイタの犬神だよ!」

 

「……いぬがみ?」

 

 言葉の意味が分からないのでしょう。可愛らしく首を傾げる啓太様に微笑み返した私はそれには答えず、言葉を続けます。

 

「先程も申しましたが、今日から私は啓太様のお母さんです。いっぱい甘えてくれていいですからね」

 

「私もケイタのお母さんだよ! わたしにもいっぱい甘えてね。ううん、甘えさせるから!」

 

 突然の"私が啓太様のお母さんです!"という発言に目を丸くした啓太様の視線が、私とようこさんの顔を行ったり来たり。

 

「おかあさん……?」

 

「はい♪」

 

 首を傾げながら私の顔を指差しての言葉に大きく頷く。

 

「……おかあさん?」

 

「うんっ♪」

 

 次いで、ようこさんの顔を指差し同じ言葉を投げかける。満面の笑顔で頷くようこさんに啓太様はしばらく何かを考え、結果きょとんとした顔で尋ねてきました。

 

「おかーさん……二人??」

 

 その疑問は当然のこと。普通、母と父は一人ずつであり、それは今の啓太様でも分かる常識です。

 ですが、今はその常識に価値はありません。私たちの目的は啓太様のお心を癒すことであり、そのためには母としての役割を担うことが出来る人でないといけません。

 私の啓太様に対する愛には色々な種類の愛情が内包されていて、一言で言い現わすことは難しいです。啓太様の犬神としての主従愛、一人の女として男性に抱く異性愛、どこか放っておけない弟に対する姉の、そして愛しい我が子に対する母として抱く家族愛。それらがすべてない交ぜになったのが私が抱く、啓太様への愛です。

 ようこさんは――本人でないので憶測でしかありませんが、恐らく私と近しいものを抱いていると思います。主従愛と異性愛はまず間違いないでしょう。特に啓太様という人の男性に対しての愛情は深く、その愛情深さは私と同等であると認めざるを得ないほどです。啓太様を巡る唯一の好敵手ですから。その一方で家族愛ですが、恐らく姉としての愛情に近しいものを抱えていると思いますね。啓太様に対して時々、"弟に構ってほしい姉がスキンシップと称して茶々を入れてくる"ような行動が見受けられますし。ですがようこさんでも母としての役割を担うことは出来ると思います。

 ですが、それ以外に啓太様の母親代わりになれる人はいないでしょう。私たち以外で啓太様に近しい女性といえば薫様のところのともはねになりますが、まあ言わずもがなですし。

 それに、一人の女性としての立場を述べさせてもらうと、私たち以外の女性が啓太様の母になるのは、ちょっと――いえ、かなり嫌ですね……。

 私たち三人の関係はいわば不可侵の聖域のようなもので、絶対的なもの。好敵手であり仲間でもあるようこさんとも互いに認め合った仲だからこそ成り立つ関係で、そこに余所の人が割り込むのは――。

 

「なでしこ?」

 

 ――っ! いけないいけない、つい思考にふけってしまったわ……。

 ようこさんの言葉にハッと意識を元に戻しました。見れば不思議そうな顔で啓太様とようこさんがこちらを見ています。

 

「いえ、ごめんなさい。少し考え事をしていました……。啓太様? あまり深く考えなくていいんですよ。私とようこさんが啓太様のお母さんなんです」

 

「そうそう。むしろ他の人よりお母さんがたくさんいてラッキー!ってくらい思わなきゃ」

 

「なんでもしたいことを言ってください、甘えたかったらうんと甘えてください。遠慮する必要はないですよ。だって、私たちは啓太様のお母さんなんですから」

 

「おかあ、さん……」

 

 なにか感じ入るものがあったのでしょうか。俯きながら"お母さん"という単語を口の中で転がすように繰り返すと、やがてバッと顔を上げました。

 そして、キラキラと目を輝かせて抱き着いてきたのです。ベッドの上で体を起こした姿勢のまま、私の胸に顔を埋めて。

 強く、強く、抱き締めてきました。

 

「おかあさん! おかーさんっ!」

 

 それは、暗闇を彷徨っていた子供がようやく母親(安心)を見つけたような。

 あるいは、自分という存在を訴えかける赤子の産声のような。

 胸の内にわだかまっていた寂しさ、悲しみ、不安など、暗い感情をすべて吐き出し、涙とともに洗い流す。そんな心に響く慟哭でした。

 私の胸に顔を埋め、感情を露にして泣き叫ぶ啓太様が愛おしくて仕方ない。本当に啓太様の母になったような、そんな不思議な気分でした。

 見ればようこさんも慈愛の眼差しを啓太様に――いえ、我が子に向けています。

 視線を交えた私たちは互いに笑みを零し、二人で包み込むように優しく、啓太様を抱き締めました。

 

 




 ちなみに幼児退行したこの啓太の精神状態(性格?)ですが、ちゃんと訳があります。その辺りは次回に明かされますのでお楽しみに。

 それと、なるべく早い投稿を心掛けますが、次回の更新は一か月以上遅れるかもしれません。

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