いぬがみっ!   作:ポチ&タマ

81 / 96

 なんとか一月以内に更新。


第七十五話「招待状」

 

 

 静岡のとある山。人が滅多に訪れないそこには古くから化けタヌキたちが住み、暮らしている。地元の住人もその山には霊験あらたかなタヌキが住むと言い伝えられていた。

 そんな山の奥の一角にその洞窟は存在していた。そこには現在、二匹のタヌキが向かい合わせになって座布団に座っている。赤いちゃんちゃんこを着て風呂敷を首に巻いた少年タヌキと、よぼよぼの長老タヌキだ。

 紫色の座布団に座っている長老タヌキが長年ニンゲンに混じって生活を送ってきたため、洞窟の内部もニンゲンの住処と同様に改装してあった。コタツや火鉢、ブラウン管テレビまでも置かれている。

 燕尾色の座布団に座った少年タヌキを見据えながら長老が重い口を開いた。

 

「では、お主も行くのじゃな?」

 

「はいっす! 川平さんにはお世話になっているので是非ご一緒させてほしいっす!」

 

 そう威勢よく返事をする少年タヌキ。彼はかつて川平啓太に命の危機を救ってもらったことがあり、以前その恩返しとして啓太の下に訪れたことがある。しかしその時はタヌキのケアレスミスで結果として啓太に迷惑をかけてしまった。そのため、再び彼に恩返しをするチャンスがやって来たことに意欲を燃やしているのである。

 やる気を漲らせる少年タヌキの姿に小さくうなる長老タヌキ。なんだか空回りしてしまう予感がそことなくしたのだ。

 しかし、若い衆が熱意を持って恩を返そうとしているのに水を差すのも無粋なもの。ここは彼の意思を尊重しようと大きく頷く。

 長老は傍に置いていた白い封筒を手に取り、再びそこに書かれている内容を確認した。

 

「あい、わかった。では我ら化けタヌキからはワシとお主が出席するとしよう。使者殿にもそう伝えるぞい」

 

「はいっす」

 

「うむ。ところで、今度はどのように恩人へ報いるつもりじゃ?」

 

「これっす!」

 

 長老の言葉に待ってましたと、首に巻いていた風呂敷を解く。

 取り出したのは三つの小瓶だった。瓶の中にはそれぞれビー玉のようなものが入っており、赤、黄、青色と色分けされている。

 三つの小瓶を見た長老の目が細められ、少し危惧するような顔になった。

 

「……それを恩人に渡すつもりか? それらの効能はお主もよくわかっておると思うが、もし誤って服用したら大変なことになるぞい。お主はおっちょこちょいなところがあるしのぅ」

 

「大丈夫っす。今度はちゃんと間違えてないですし、この通り説明書もあるっす!」

 

 二枚の紙切れを取り出す少年タヌキ。一枚目には効能、二枚目には注意事項が書かれている。

 しばし黙考していた長老だが、やがて許可を下した。

 

「まあ説明書があるなら大丈夫かの」

 

「長老! 使者の方が来ました!」

 

 入り口から若いタヌキがやって来てそう告げると長老タヌキが腰を上げた。遅れて少年タヌキも立ち上がる。

 

「では行くかの」

 

「はいっす!」

 

 威勢よく返事をする少年タヌキ。急いで小瓶を風呂敷で包み首に巻くと、駆け足で長老の後を追った。

 その場に残ったのは一枚の紙切れ。急いでいたためか、一枚だけ入れ忘れたのだった。それも注意書きが書かれた紙の方だ。

 彼がおっちょこちょいだと言われるのも無理のない話であった。

 

 

 

 1

 

 

 

 先日、初めて貰ったラブレターの送り主がガチムチマッチョ系少女だったという衝撃的事実に愕然とし、傷ついた心を愛する犬神たちから渡された恋文で癒された。まさに地獄と天国を同時に味わった波乱万丈な一日だった。ガチムチマッチョの記憶を頭の彼方に封印したいと切実に思う。

 色々と大変だった日の翌日。麗らかな日差しが差し込むリビングで俺は子供のように駄々を捏ねていた。

 

「――早く、早く……! ハリー、ハリー、ハリー!」

 

 絨毯の上に胡坐で座り自分の両膝をパンパン叩いて催促する。愛する犬神兼恋人の一人であるなでしこは頬に手を当てて困った顔で俺を見下ろしていた。そんな俺たちをソファの背もたれに肘を突きながらようこがむすっとした表情で眺めている。

 一週間ほど前、仮名さんの要請で魔道具シリーズ【月と三人の娘】の一つである【躍動する影人形】を確保するために廃病院へ赴いた。その際、ついに送られてきた【絶望の君】の刺客と軽くバトッたのだが、その時になでしこと約束したのだ。これが終わったら存分にもふらせてくれると!

 色々あって不覚にもそのことを失念してしまっていたが、思い出してしまったからには今こそ約束を果たそうではないか。

 もーふーらーせーてー! 俺は今すぐ化生に戻ったなでしこをもふりたいんじゃ~!

 

「ぶー、いいなぁなでしこ」

 

 なでしこばかりにかまけているからか、ようこがふて腐れてしまっている。そういうけどキミ、本性に戻りたくないんでしょ?

 

「それは……うん」

 

 ならしょうがないじゃん。

 まあ、何を思って本性に戻りたがらないのか分からないが、心配せずとも戻れるようになったら存分にもふるさ。今回はなでしこの番ってことで我慢して頂戴。

 

「私をもふるのは決定事項なんですね……」

 

「……え? ダメ?」

 

 苦笑するなでしこさんだが、俺はその言葉に衝撃を覚えた。え、ダメなの? まさか時効だなんて、そんなご無体なこと言いませんよね!?

 もしそうなら、ア○ゾンで注文した九万のプ○ステVRが実は不良品で、しかも海外に転売していた商品を掴んだものだから保障が利かないと知ったとき以上のショックなんだけど。

 

「いいえ。確かにそう約束しましたからね。ちょっとだけですよ?」

 

「∩(´∀`)∩ワーイ♪」

 

「本当に仕方のない人」

 

 全力で喜ぶ俺に優しい眼差しを向けていたなでしこが目を瞑るように言う。素直に従い目を瞑っていると、パシュッと圧縮空気が抜けるような音ともに霊力の風が吹いた。

 

「もういいですよ」

 

「……おぉ。もふもふがいる」

 

 目を開けると、そこには体長三メートルほどの犬の化生に戻ったなでしこがその四本の逞しい脚で立っていた。艶のある美しい灰色の毛並みをこれから存分に堪能できると思うと、ワクワクが止まらない。アル中の禁断症状のように手が震えているもの。

 伏せの姿勢になったなでしこ。ガラス球のごとく綺麗な翡翠色の瞳で俺を見た。

 

「どうぞ、啓太様♪」

 

「~~っ! もふもふー!」

 

 お預けを食らった犬のようになでしこへ飛び掛る勢いで飛びつく。大きな背中が俺の体を易々と受け止めた。

 ふさふさでありながらサラサラな毛。獣臭はまったくせず、この姿に戻っても普段と同じ心が落ち着くような良い匂いです。なでしこの匂いじゃー。

 抱きつくとほどよい弾力の筋肉が感じられなでしこの体温が伝わってくる。なでしこやようこの尻尾に触れると分かるが、彼女たちのふさふさした毛は酷い中毒性を持つ。ふさふさのサラサラで程よい弾力も感じ、さらには心まで癒すという副次的効果も見込めるのだ。面積の少ない尻尾ですらこれほどの効果を発揮するのに、ケモノの姿に戻ってしまえばどうなることか。全身に広がる豊かで、柔らかな触り心地の毛。これはまさに心の覚醒剤。止められないし止まらない。

 

「け、啓太様、くすぐったいですよ……っ」

 

 笑いを堪えたなでしこの声を黙殺しながら、色々とポジションを変える俺。背中に登って寝そべってみたり、抱きついてみたり。ご機嫌な様子で揺れる尻尾にも抱きついたり、時には比較的筋張っている四肢にも触れてみたりする。うう~む、さすがはなでしこ。どこに触れてもすばらしい感触だ。

 どの部位でも幸福感を味わうことができるが、あえて俺のナンバー一を決めるとするなら、やっぱりここかな。

 

「……ベストポジション」

 

 頭、背中、尻尾、四肢と色々触ってみた結果、なでしこのお腹が一番多幸感を味わえる場所という結論に至った。

 

 ――すりすりもふもふ、すりすりもふもふ、すりすりもふもふ

 

 寝そべるなでしこに寄り添う形で密着し、鬱陶しいくらい顔をこすり付けては全身でもふもふ感を堪能する。この姿になったなでしこは三メートルくらいあるから一六〇センチの俺が抱きつくと丁度お腹にフィットするのだ。傍目からするとかなり見苦しい姿だろうが、今は家族しか見ていないから問題ない。俺は、自重を止める!

 

「……ぉぉ」

 

 体勢を変えて今度はなでしこのお腹に頭を乗せてみる。丁度いい頭の高さで、なんかすごくしっくり来るんだけど。よし、今度からこれをなでしこ枕と呼ぼう。

 気を利かせてくれたなでしこが若干姿勢を変えて少しだけ体を丸め、英語のC文字のようになる。手を伸ばせばなでしこのふさふさした体に触れることができた。寝ながらもふもふを体験できるなんて、ここは夢の国ですか?

 

「ご機嫌だねケイタ」

 

 ソファーの背もたれに肘を乗せたようこが悦に浸る俺を見てそう言う。

 俺はそれに何も返事を返さず、ただビシッと親指を立てて見せた。

 

「くすくすっ、啓太様ったら本当にお好きなんですね♪」

 

「……もふもふは、正義」

 

 なでしこの言葉にもビシッと親指を立てて見せる。これぞ、俺のジャスティス。

 何か知らんが、なでしこもご機嫌なようだ。ふっさふっさと尻尾が揺れている。俺もご満悦です。

 このままなでしこ枕で寝るのもいいけど、この状況をもっと楽しみたい。ゴロンと転がって横向きになり、なでしこのお腹に顔を埋めながらじわじわと近寄ってくる睡魔と闘っていると。

 

「んふふ~、わたしも一緒に寝てあげる」

 

 悪戯っ子のような笑みを浮かべたようこが背中にぴとっと寄り添うように密着していた。こいつ、人が折角睡魔に抗っているというのに眠気を誘うようなことをして。ハッ、もしやそれが狙いの笑みか!

 

「ん~、温いねケイタ♪」

 

「……むぅ……眠い」

 

 段々睡魔に抗うのもきつくなってきた。重い瞼を意志の力でこじ開けていると天使の囁き声が聞こえてきた。

 

「寝てもいいですよ啓太様。ちゃんと起こして差し上げますから」

 

 それと同時に背後から悪魔の囁き声も聞こえてくる。

 

「そうそう、一緒に寝よ啓太。きっと気持ちいいよ♪」

 

 くそ、これしきのことで……!

 

「…………ZZZ……ZZZ……」

 

 ――結局、睡魔の力には勝てなかったよ。

 

 

 

 2

 

 

 

「――失礼します。おや……?」

 

 日も暮れてきた頃。夕日が差し込むリビングにはけが降り立つ。虚空からにじみ出るようにして現れたはけはリビングにいる啓太たちを見て小さな驚きの表情を浮かべた。

 窓際のリビング。そこで三人が一塊になって眠っていたのだ。化生に戻ったなでしこに寄りかかる形で啓太とようこが隣り合わせで寝ている。

 しばし微笑ましそうに仲睦まじく昼寝をしている啓太たちを眺めていた。安らかな表情で眠っている姿を見ていると、啓太が幼少期だった頃を思い出す。

 あの頃は今より少しやんちゃで、無表情なのは変わらないが悪戯をしてはよく宗家やはけ、親戚の者を困らせたものだ。とはいっても小さな悪戯ばかりで、大人を困らせるような真似だけは不思議としなかった。当時のはけは啓太を実の子供のように可愛がり溺愛していたものだ。それこそ祖母である榧以上に可愛がってみせた。

 このまま啓太たちの寝顔を見ていたい気もするが、そういうわけにもいかない。

 

「啓太様、啓太様……。お休みのところ申し訳ありませんが、起きてください」

 

 優しく揺さぶられ啓太たちの目が覚める。

 ぱちぱちと目を瞬かせたなでしこが驚きの声を上げた。

 

「えっ? はけ様? やだ、私ったら寝ていたのね」

 

「あーはけだ~」

 

 寝ぼけ眼のようこがふにゃっと笑った。大きく伸びをした啓太が立ち上がる。

 

「……今日はどうしたの?」

 

 啓太とようこが退きなでしこが服を咥えてリビングから出て行く。それを尻目に啓太が今日の来訪の目的を伺った。

 はけは懐から白い封筒を取り出した。

 

「こちら、招待状です」

 

 それだけですべて察した啓太は小さく頷き封筒を受け取る。いつものメイド服に着替えたなでしこが戻ってきた。

 受け取った封筒を眺め感慨深そうに呟く啓太。

 

「……そっか。そういえば今日だったな」

 

「ええ、主も啓太様とお会いできるのをとても楽しみにしていらっしゃいますよ」

 

 涼やかな微笑を浮かべたはけは小さく一礼して踵を返した。

 

「……もう行く? ゆっくりしてけばいいのに」

 

 振り返ったはけはどこか残念そうな雰囲気を漂わせている啓太を見て頬を緩めると、頭をそっと撫でた。撫でられた啓太は軽く驚いた顔ではけを見上げる。

 啓太が実家にいた頃はよく頭を撫でていたが、成長するにつれてその機会も減ってきた。先ほどまで昔の啓太を思い浮かべていたはけはつい昔のように頭を撫でてしまったのだ。

 子供扱いとも取れる行為だが、啓太は大人しく撫でられた。啓太も懐かしがっているのかもしれない。

 はけは幼い子供にするように諭すような口調で言う。

 

「もう少しお話していたいのはやまやまですが、私はこれから他の方々の元にも向かわないといけません。あちらに着けばいくらでもお話できますから、それまでの我慢ですよ啓太様」

 

「……ん」

 

 小さく頷く啓太に笑みを深めたはけはもう一度頭を一撫ですると、虚空に溶け込むようにして啓太邸を後にした。

 白い封筒を開け手紙を取り出す。気になるのかようことなでしこも隣から覗き込んだ。

 

「招待状?」

 

 ようこの言葉に頷く啓太。手紙には啓太となでしこ、ようこの三人へ向けた招待状であった。目を通したなでしこがなるほどと呟き微笑む。

 

「今日は宗家様のお誕生日だったんですね」

 

「……ん。確かこれで八十八歳」

 

 読み終わった手紙を封筒に仕舞う。

 

 ――誕生日会、か……。面倒だったなぁ。

 

 実家にいた頃は毎年、祖母の誕生日会に参加させられていた啓太。祖母のことは好きだし尊敬もしているため誕生日を祝うのは吝かではないが、問題なのはこういう行事に限って出席する親戚連中である。川平家は裏の世界でも名の知れた一族で、それなりに力のある家柄だ。そのため、毎年当主である祖母の顔色を伺うようにヨイショしては顔を覚えてもらおうと必死になる者も集まるのである。しかも、まだ年端もいかない直系の子供にすら餌に群がるハイエナのように近づいてくるのだ。己の傀儡にして実権を握ろうとする魂胆が丸見えである。

 当然、啓太に群がるハイエナも多くいた。大半が愛想の欠片もない様子に諦めていくが、中には恫喝紛いなことをしたり、己の娘を利用して篭絡しようとする者もいる始末。

 そういう意味ではあまり良い思い出がない啓太であった。

 

「それで何時に集合なの?」

 

「……六時から」

 

「今は二時なので、まだ四時間ありますね。急いで宗家様に渡すプレゼントを用意しましょう」

 

 なでしこの言葉に頷いた啓太は財布を片手に家を出た。

 はけから聞いた話だと宗家は最近パソコンゲームに嵌っているらしい。以前、学校の先輩である河原崎から勧められたソフトを求め街に出た啓太たちは、いくつかの店を回り目当ての物を購入した。

 家に戻ると午後の四時を回ったところだった。祝賀に向けて外行の服に着替える。啓太はイタリアのフランコ・プリィンツィバァリー製の高級黒ジャケットにルイジボレッリのワイシャツ。ソリードのスラックス。サントーニの革靴。総額四十万はするセレクションだ。

 なでしこは祝賀会向けに特注で用意したメイド服姿。見た目はいつものメイド服となんら変わらないが、どうやら使用している生地や糸が高級らしい。

 ようこはエイソス製のカシュクールフレアドレス。こちらも一着数万はする高級ドレスだ。

 以前、新堂ケイから依頼された死神討伐事件以降、新堂家からの数々の仕事を斡旋してもらった。そのほとんどが新堂家と繫がりのある各界の著名人であり一言で言うならば大金持ちである。さらには啓太が運営するオカルト専門サイト【月と太陽】の評判がネット上で話題になり、オカルト関連で悩む人から多くの依頼が寄せられてきている。大半が除霊や占い、といったものが多いが、結果として啓太の懐が潤うのは自明の理だ。

 現在の啓太の資産はかなりのもので、銀行や企業から投資に関する電話が頻繁に寄せられてきている。しかも最近になってなでしこが株を始めたため、これからも資産は右肩上がりに増え続けていく予感が啓太にはあった。なでしこの有能っぷりは疑う余地もないからだ。

 着替え終わった啓太たちは電車とバスを乗り継ぎ静岡の実家へ向かった。

 実家は静岡の北部。緑に囲まれた長閑な土地にある小高い場所に位置している。百段から成る階段を上ると立派な正門が姿を見せる。

 上り慣れているため大して労せずに百段踏破した啓太たち。正門の前で佇む男性を見た啓太は微かに頬を緩めた。

 

「お待ちしておりました啓太様」

 

「……ん。さっきぶり」

 

 恭しく頭を下げる男性――犬神のはけに気軽に手を上げて見せる。

 微笑み返したはけは啓太たちを大広間まで先導し始めた。正面玄関に並んでいる靴を見てようこが呟く。

 

「結構いるね~」

 

「川平家は顔が広いですからね。それに主と交流を持っていらっしゃる方々もお目見えになりますので、毎年このくらいはお越しいただいていますよ」

 

「はけ様も大変ですね……」

 

 はけの説明にしみじみと呟くなでしこ。この人数をもてなさないといけないのだから、いくら使用人や犬神たちが手伝っているとはいえ苦労するだろう。

 はけは労りの視線を向けるなでしこに微笑み返した。

 

「主が健やかに生きてくださるのなら、このくらいわけありませんよ」

 

 健気なはけの姿に心の中で「はけってマジでイケメン!」と叫ぶ啓太。

 

「どうぞ。お時間になるまでお寛ぎください」

 

 磨かれた木目のある廊下を歩き、大広間に通された。

 中はすでに宴会のテンションに包まれていた。明るい笑い声がそこら中から聞こえてくる。三人の使用人が『祝・米寿』と書かれた垂れ幕を天井から吊るしたり、客用の座布団を並べたりと忙しなく動いているなか酒瓶を片手に騒いでいる一団がいる。親戚の中でも分家の者たちだ。

 常識を持つ宗家の人間たちは座布団や料理が盛られた皿を並べたりなど何かしら手伝いをしている中での騒ぎっぷり。それを見た啓太たちは小さく眉を顰め関わり合いにならないように端の方へと移動した。

 

「おい見ろ、人形が来やがったぞ」

 

「ああ、あの落ちこぼれか。そういえばいたな」

 

「いくら直系の人間とはいえあんな落ちこぼれを祝いの場に呼ぶとは、まったく。刀自にも困ったものだ」

 

 啓太を見た親戚の人たちが蔑んだ目を向けてくる。悪意に満ちた言葉を耳にしたようこがキッと眦を吊り上げて睨みつけ、温和な性格のなでしこも能面のような張り付いた笑顔で罵倒の声が聞こえた方向を向いた。

 彼女たちの怒りに触れた親戚の者たちはそそくさと視線を反らした。

 

「……いい。気にするな」

 

 そんな犬神たちを諭すように声を掛ける啓太。その目は真っ直ぐ前を向いており、まるきり歯牙にもかけていない。主のそんな様子になでしこたちは渋々怒りを呑み込んだ。

 

「啓太様~!」

 

 大広間の一角から明るい声とともに啓太の胸に飛び込む影があった。栗色の髪を二つに分けた幼女、ともはねだった。

 輝かんばかりの笑みを浮かべて腰に抱き着き、ぶんぶんと二股の尻尾を振っている。

 

「啓太さん、こっちですよ」

 

「……薫」

 

 視線を上げると、そこには八人の少女たちの一団に紛れ、少年が微笑みを浮かべて座っていた。啓太の従兄弟であり友人の川平薫だ。

 四人ずつで向かい合わせに座っておりそこだけ女子率が高い。よっ、と片手を上げた啓太たちは彼女たちの隣の席に座った。

 

「相変わらず人気者ですね啓太さんは」

 

 涼やかな笑顔を浮かべた薫は隣に座った啓太に挨拶代わりの毒を吐いた。

 ジロッと薫を睥睨する啓太。

 

「……嫌味?」

 

「まさか。大変だなって思っただけですよ」

 

「……なら代わってもいい」

 

「遠慮しておきます、啓太さんとは違って僕だと心が折れちゃいますからね」

 

「……ふ。言うようになったな」

 

「誰かさんに長年鍛えられましたから」

 

「違いない」

 

 笑い合う啓太と薫。二人のやり取りを聞いていた犬神たちは不思議そうな顔でそれぞれの主を眺めていた。啓太も薫も、こんなやり取りをする性格じゃないため意外に思ったのだ。

 やがて時刻は六時を回る。招待状を出した来賓も全員到着し、それぞれの席に着いている。川平家と昔から付き合いのある人もいれば、宗家と直接面識のある知人や友人も多かった。

 政界で精力的に動き回っているベテランの政治家もいれば、よくテレビに出演している大物芸能人もいる。今話題の格闘家もいれば、最近ノーベル物理学賞を受賞した学者も出席している。ここにいる皆が宗家の長寿を祝ってくれる。そのことに改めて胸が熱くなるはけだった。

 飾りつけや料理も見事に並び場が整う。流石に宗家が顔を出すこの時ばかりは静まり返っていた。

 音もなく襖が開き宗家が姿を見せる。八十八になったというのにピンと背筋を伸ばし、老いを感じさせない足取りで上座まで進むと主賓席に腰を下した。

 乾杯の音頭は最前列に座っていた川平宗吾という男が取った。啓太たちの大叔父である宗吾はビールや熱燗の入った器を高々と宙に突き上げる。

 

「刀自! 米寿、おめでとうございます!」

 

 それからは入り乱れての大宴会となった。代わる代わる宗家に挨拶をしては隣同士で酒を飲み交わし合い歓談にふける。あちらこちらで明るい笑い声が立ち上り、宴を楽しんでいった。

 賓客ラッシュも落ち着き祖母へ挨拶をする者が減ってきたところで啓太と薫も腰を上げる。それぞれプレゼントを手にして。

 

「おおっ、啓太に薫や。よう来てくれたの」

 

「ん。誕生日おめでとう」

 

「おめでとうございます、刀自」

 

 啓太は包装紙でラッピングされた薄い板状のものを、薫は細長い筒状のものを、それぞれ包装紙でラッピングされたプレゼントを渡した。

 

「……これ、今話題のゲーム。お婆ちゃんなら嵌る」

 

「お前……仮にも高齢者のワシにそれを渡すのか」

 

 啓太らしいといえばらしいわい、と呆れたような目をしながらもどこか嬉しそうに孫のプレゼントを受け取る宗家。啓太が渡したものは河原崎がお勧めするパソコンゲーム【OUT LAST】。元は海外のゲームだが日本語版で最近発売したらしい。狂気を題材にしたホラーゲームで今ネット上で騒がれている人気作の一つだ。

 

「刀自はタバコを吸われますので、僕からはこれを。従来のタバコよりニコチンなどの有害物質が少ないみたいですよ」

 

「ほぅ、キセルか。これは随分とイカしてるの」

 

 対して薫がプレゼントしたものは煙管だった。銀で出来ているそれはシンプルなデザインながら雅な彫刻が彫られている。ヘビースモーカーというほどではないが、それでも一日十本は吸っている宗家は嬉しそうにキセルを木箱の中に仕舞った。隣ではけが大きなため息をついているが知らん振りをして。主の体を気遣うはけにしてみればどちらも厄介な贈り物だった。

 

「啓太、薫。本当にありがとの」

 

 孫からの贈り物で嬉しくないはずがない。彼らの祖母として相好を崩した祖母は啓太たちの頭を優しく撫でた。

 ぷいっとそっぽを向きながらも大人しく撫でられる啓太。気恥ずかしそうな顔をしながらも微笑み返す薫。対外的な反応を示すこの二人の姿は昔から変わっていない。

 

「……お婆ちゃん、また後で」

 

「では一旦失礼しますね」

 

「うむ。お前たちも楽しんでいくんじゃぞ」

 

 小さく一礼して祖母の前から立ち去る啓太たち。優しい目で宗家はしばし二人の後ろ姿を見つめていた。

 

 

 

 3

 

 

 

「……あら? 啓太様はどちらに行かれたのかしら」

 

 宴もたけなわとなった頃。せんだんたちとガールズトークで花を咲かせていたなでしこは、ふと啓太の姿が見当たらないことに気がついた。

 へべれけになって馬鹿騒ぎをする人たちや、静かに飲み交わす人たち、豪勢な料理を無心に頬張る人たちと宴会場はカオスな場と化しており、宗家も顔を赤くしながら川平宗吾を始めとした親戚たちと酒を片手に談笑している。

 ようこも啓太がいないことに気が付いたようで、キョロキョロと周囲を見回している。

 啓太の場所を尋ねようと席を立つなでしこ。その時、再び悪意のある囁き声がどこからか聞こえてきた。

 

「おい聞いたか? 知人から聞いた話なんだが……なんでもあの川平啓太、相当な実力を身に着けているらしいぞ」

 

「あの人形が? ありえないだろ。あいつ、基礎霊力測定試験ではわずか百だと聞いたぞ。同世代の中でも最低レベル。川平直系の人間の平均値は五百前後なのだぞ?」

 

「しかし実際仕事は成功しているらしいぞ。聞いた話だと相当な額を稼いでいるとか」

 

「どうせイカサマでもしているのだろう」

 

 聞くに堪えない会話。囁き声にしてはやけに大きく、当然周囲にいた人たちも彼らの会話が聞こえた。

 宗家と宗吾は顔をしかめ、薫たちも気分を害したように険しい顔つきになった。出席者の人たちも顔をしかめて声が聞こえたほうを見る。祝いの席に似つかわしくない会話を交わす二人組み。剣呑な空気が漂う中、なでしこは強くメイド服の裾を握り締め、それまで楽しそうにせんだんたちと一緒に談笑していたようこもスッと目を細めた。

 自分の尊敬する、大好きな主を罵られて黙っていられるほど寛容な心は持ち合わせていない。これまでのようこなら激昂し直接的な手段に出ていただろうが、彼女はここ数年で見間違えるほど精神的に成長した。ギリッと歯を食いしばり、爪が皮膚を破り血が滴り落ちるほど強く拳を握り締める。なでしこも肩を震わせながらも必死に自分を律した。今すぐ無礼者な二人組みを懲らしめてやりたいが、自分は啓太の犬神である。勝手な真似をして啓太に迷惑をかけたくなかった。

 主を想ってこそ耐え忍ぶ少女たち。そんな彼女たちの姿に感心する。特に昔のようこを知る者たちは驚きの顔を隠せないでいた。

 

「ま、どうせ宗家やはけの計らいで仕事を貰ってるのであろう。あんな落ちこぼれに仕事がこなせるほど世の中甘くはない」

 

 空気が読めない分家の二人。我慢の限界に来た薫が席を立つよりも早く、二人に近づく影があった。

 

「よぅ、楽しんでるかお前さんら」

 

「こ、これは宗吾殿」

 

 ビール瓶を片手に近づいてきたのは宗家たちと談笑していた大叔父、川平宗吾であった。

 空いたコップにビールを注ぐ宗吾に流石の二人も恐縮した様子を見せる。

 

「祝いの席なんだからよ、そういう話はなしにしようぜ。な?」

 

「は、はい」

 

「ところでお前さんら。この前、筑摩神社からの仕事を請けたって聞いたぜ。ご苦労さん」

 

 不自然なほどにこやかに話す宗吾。その話を聞いた途端二人の顔色が変わった。

 

「――! い、いえ……!」

 

「まあ、簡単な除霊の仕事だかんな。苦労するほどの内容じゃねぇか。はっはっはっ」

 

「は、はは……」

 

「そ、そうですよ。俺たちが、あんな雑魚に」

 

「――ところでよ。神社の神主さんからクレームがうちに来たんだが、どういうこった? 除霊をお願いした二人が逆に返り討ちにあって逃げ帰ったって聞いたぜ? その後、他の霊媒師が来て除霊してくれたって話だけどよ」

 

 それまでのにこやかな笑顔から一転して真顔になる宗吾。引きつった笑いを浮かべていた二人の笑顔が固まった。

 すっと目を細める。

 

「まさかテメェら、のこのこ尻尾巻いて逃げて、他の霊媒者に押し付けたんじゃあるめぇ……」

 

 厳しい目で詰問する宗吾に冷や汗をだらだら流す二人組。話を聞いていた周りの人たちが顔を寄せて囁き合う。

 異様な空気にようやく気が付いたのか、それとも威圧感満載で問い詰める宗吾から逃れたかったのか。二人は急用を思い出したとベタな言い訳を述べてそそくさと退散した。

 まるで悪党を成敗したかのような拍手が宗吾に送られる。小さくため息をついた宗吾はなでしことようこに向き合うと頭を下げた。

 

「分家の人間とはいえ、うちの者がすまねぇ。二人には不快な思いをさせちまった」

 

 宗家の中でも強い発言力を持つ宗吾が一介の犬神に頭を下げる。川平と犬神たちとの関係性をあまり知らない余所の人たちは大きく息を呑んだ。彼らからすれば大手企業の専務が下っ端のアルバイトに頭を下げるような認識だ。実際は盟約により彼らの立場は対等だが、それを知るのは川平の人間くらいである。最近ではそのことを忘れている分家の人間もいるが。

 なでしこは慌てて頭を上げるように言った。

 

「いえ、そんな! 頭を上げてください宗吾様! あなたが頭を下げる必要はないんですから!」

 

「そうだよ! おじちゃんが言い負かしてくれてスカッとしたもん」

 

 なでしことようこの言葉に頭を上げた宗吾は小さく「ありがとな」と感謝の言葉を口にした。そして穏やかな目をようこに向ける。

 

「しかしよく耐えたな。お前さんが啓太の犬神になると聞いたときは、正直考えものだと思っていたが。なかなかどうして、良い犬神してんじゃねぇか」

 

 これからも啓太のこと頼むぜ、そう言いようこの頭を撫でた。

 きょとんとした顔で宗吾を見上げていたようこだが、何を言われたのか理解が追いつくと太陽のような明るい笑顔を見せた。

 

「うんっ!」

 

 





 Fate/Grand Orderの短編を投稿しました。そちらもよろしければご覧ください。
 感想や評価お願いします。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。