いぬがみっ!   作:ポチ&タマ

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 二話目。


第五十九話「希望の光」

 

 

 夜の帳が下り、暗闇が辺りを支配する。

 ひっそりと静まり返った大邸宅は半壊しているのも相まって、不気味な雰囲気を醸し出していた。

 なでしことようこは所々罅が入った廊下を歩いていた。二人の間に会話はなく、どちらも沈んだ表情を浮かべている。

 啓太は新堂ケイの後を追った。しばらく二人にしてほしいとのことなので、宛もなくぶらついていると、大柄な執事が立っているのに気が付いた。

 

「セバスチャン?」

 

「おお、お二人とも。良い月が出ていますな」

 

 セバスチャンは上着を脱いだ状態で額に汗を浮かべていた。汗でシャツも張り付いている。

 

「なにしてたの?」

 

「いえ、日課のトレーニングを少々。一日でも休めば取り戻すのに十日は掛かりますからな」

 

 そう言って笑うセバスチャンだが、空元気なのは誰の目から見ても明らかだった。痛々しくも見えるその姿に辛そうに顔を伏せるなでしこ。

 純粋な疑問を感じたようこはタオルで汗を拭うセバスチャンに尋ねた。

 

「なんでそんなに頑張るの?あいつはあなたじゃ勝てない。それなのになんでそこまでするの?」

 

 勝てないと分かっているのに挑もうとする人間。ようこからすれば命を差し出すような、ある種の自殺のようにも見えた。

 なんでそこまでして戦うの? 死ぬかもしれないのに、なんでそこまで出来るの?

 

「ようこさんっ」

 

 遠慮のない質問になでしこが注意しようするが、セバスチャンは悲しそうな目で微笑んだ。

 

「いいのです。ようこさんの仰る通り、私程度の実力ではあの死神の足元にも及ばない。例え命を捨てたとしてもきっと勝てないでしょう」

 

 セバスチャンは分かっていた。自分の力では絶対に死神を打倒することができないのを。二十年前のあの日から身に染みて感じていた。

 変えようのない現実に気付いている、理解している。なでしことようこが小さく目を見開いた。

 

「では、なぜ……?」

 

 なでしこの問いにセバスチャンは静かな口調で言った。

 

「……自分は逃げたくないのです。臆病者になりたくないのですよ」

 

「セバスチャンは逃げてないよ?」

 

「いいえ、逃げたのです。今から二十年前、奥様の前から」

 

 それから語られたのは、懺悔の話だった。

 取り返しのつかない過ちを犯してしまった、後悔しても後悔しきれない当時の話。

 

「今から二十年前、当時レスラーだった私は他の武道家や霊能者とともに奥様の誕生日に集った者の一人でした。破格の報酬に惹かれた私は、死神なんてわけの分からない奴は俺がぶっ飛ばしてやるぜ!と息巻いていました。呼ばれてもないのにのこのこと、勝手に押しかけて……本当にバカでした。真っ向からプロレス技を仕掛けた私をまったく同じ技で返してきて、しかも私よりキレのある技の数々で手足を折られ、自信を砕かれました。恐怖と絶望を頭に流されて、震える私にやつが言って来たのです」

 

『勇猛と無謀は違うぞ小さき者よ。キミも新堂ユキを守る者か? であるならばその命、絶望に染めて摘み取ろう。否と言うのであれば尻尾を巻いて逃げるがよい』

 

 セバスチャンの背中が大きく震える。

 

「私は……その時、私は……っ!」

 

「セバスチャンさん、もういいですよ」

 

 なでしこの声が聞こえていないのか、わなわなと震える自分の手をみつめ、顔を覆った。

 一八〇センチを超える巨体が小さく見える。

 自身を責めるように、悲痛な声で叫んだ。

 

「自分は! 奴に懇願したのですッ!! 許してくれと! 見逃してくれとッ!!」

 

「もういいんですよっ」

 

「裏切ったのですッ!!」

 

「セバスチャンさん!」

 

 なでしこの声にセバスチャンは大きく息を吸い、ゆっくり吐いた。

 そして、これまでの口調と一転して静かに喋りだす。

 

「レスラーとして、なにより男としての矜持も捨て、みっとも無く惨めに懇願しました。ですが奥様は、そんな私を笑って許してくれたのです。まだ二十歳の少女なのに、『いいんですよ』と笑って……。ごく普通の青年だった旦那様は勇敢に戦われていたのに、他の皆は歯を食い縛って立ち上がっていたのに、自分だけ隅のほうで震えていました……。

 私は、そんな自分が許せない。悔しくて惨めで、卑怯な自分が何よりも許せないのです」

 

 いつの間にか大粒の涙が零れ落ちていた。

 小刻みに震えているのは怒りと羞恥、屈辱によるものだろうか。

 ようこがそっとセバスチャンの背を撫でた。

 

「悔しくて……体を鍛え直して何度挑戦しても勝てなくて、勝てなくて……。体を鍛えて、心を鍛えてきたはずなのに、奴に一太刀も浴びせられないのが悔しい! なにより、お嬢様を守れないのが悔しいっ!」

 

 歯を食いしばり、大粒の涙を零すセバスチャン。

 強く握り締めた手から血が流れ落ちた。

 

「私はっ、ただお嬢様を守れればそれでいい! それでいいんですっ! もうそれだけでいいのに……ッ!!」

 

「セバスチャンさん……」

 

「セバスチャン……」

 

 痛ましい表情でかける言葉を失うなでしこ。

 言葉にならない嗚咽を漏らしながら啜り泣くセバスチャンを見て、ようこが小さく頷いた。

 

「そっか、ようやく分かったよ」

 

 優しい目でセバスチャンを見つめながら、小さく震える彼の頭を撫る。

 

「あなたも、ご主人様のことが大切なんだね……。でもね、きっと大丈夫だよ」

 

 そして、自慢げに胸を張る。

 まるで我がことのように誇る小さな子供のように。

 

「ケイタがきっとなんとかしてくれるから。ケイタはね、やる時はやる、すっご~い人なんだから!」

 

 もちろん、わたしもいるしね!

 そう言ったようこは不安など微塵も感じていない笑顔で、にっと歯を見せた。

 そんなようこの姿をなでしこが不安気な顔で見つめていると――。

 

『どうやってよ! 頭おかしいんじゃないの!? わたしは覚悟を決めたの! もう死にたいのよ!』

 

 どこからともなく、悲痛な叫び声が聞こえてきた。

 それはセバスチャンが仕える新堂ケイのもので、声の出所は廊下の先を行ったバルコニーからだった。

 ハッとセバスチャンが勢いよく振り向いた。なでしこたちも一斉にバルコニーのほうへ顔を向ける。

 

『もう死にたいのに! わたしなんかもう死んでいいのに! 死にたいのにいぃぃぃ!!』

 

「お嬢様ぁっ!」

 

 悲痛な叫び声を聞き、すぐに反応を示したセバスチャンが駆ける。なでしこたちも慌てて後に続いた。

 バルコニーに出ると、無気力で自分の生死にすら無関心であったあの新堂ケイが感情をむき出しにしていた。

 自分たちの主である啓太に詰め寄り、大きく顔を歪めていた。

 

「お嬢様っ、お願いですから、そのような悲しいことを仰いますな……っ!」

 

「セバスチャンまでなによ! あなたもわかってるでしょ? わたしはもう、死ぬしかないってこと!」

 

 腰を下ろし、新堂ケイの肩に手を置いたセバスチャンは悲しそうな目で語った。

 

「……あなたのお母様が、二十年前に何をなさったか分かりますか? 戦ったのです。あの死神を相手に剣を取り、旦那様と一緒に戦ったのです。その奥様の娘であるあなたが、そのような悲しいことを仰いますな」

 

 当事のことを思い出したのか再び涙を流すセバスチャン。

 それを聞いた新堂ケイも一瞬言葉を詰まらせたが、必死で手を振るった。

 

「……っ、でも無駄だったじゃない……! 戦っても、結局は死んじゃったじゃない! なら無駄だったってことでしょ!?」

 

 悲痛な叫びが夜空を駆ける。

 心の底からの叫びを上げながら、新堂ケイはセバスチャンの胸倉を掴んだ。

 透明な雫が目から溢れてくる。

 

「ねえ答えてよセバスチャン!どれだけ抵抗してもお母様は殺された! お母様に恋をしたお父様も死んじゃった! 生まれて来たわたしも明日死ぬ! ねえなんでわたし生まれて来たの!? 全部無駄だったのに、どうして生まれて来たの!? 結局すべてが無駄になるのにっ! ねえ答えてよセバスチャンっ!!」

 

 十九歳の少女が上げるとは思えない叫び声。否、本来は上げてはいけない叫び声。

 なぜ生まれてきたのか、存在意義を問う主にうまく言葉が出なかった。

 なでしこもようこも、少女が抱える重い十字架にかける言葉が見つからない。

 無言の空白が、生まれるその時――。

 

「……無駄なんかじゃない」

 

 ぽつりと呟き声が聞こえた。

 全員そちらを見る。

 啓太が静かな眼差しを新堂ケイに向けていた。

 

 

 

 1

 

 

 

 お嬢様の――ケイの慟哭を聞いて思わず声に出てしまっていた。

 しかし、抱いた思いは紛れもなく本心。

 悲観に暮れて希望を見出せない少女を正面から見据え、言ってやった。

 

「……生まれてくる命は皆、祝福されるべき。意味のない人生なんて、きっとない」

 

 人は皆いつか死ぬ。命ある限り、それは誰もが背負う宿命だ。

 だけど、生まれてくる命が定めを背負って生きるなんて、そんなの悲しいだろ。

 死神なんてわけの分からん奴に狂わされた人生を歩むなんて、悔しいだろ。

 生まれたことを後悔しながら生きる人生なんて、虚しいだろ。

 俺のこの気持ちは単なるエゴかもしれない。いや、無関係の立場なんだから間違いなくエゴだろう。

 だが……ああ、まったく気に入らない。まったくもって気に入らないね!

 

「……ケイのお母さんは、命を繋いだ。自分の代は無理でも、娘の代ならきっと死神に勝てる。勝てる人が出る。そう思ってケイに託した。そう思う」

 

 娘の不幸を望む親なんていないだろ。いるとすればきっと糞みたいな奴だけだ。

 しかし、ケイの母親は違う。聞いてる限り、きっと優しく芯の強い女性だったのだろうと想像できる。

 ならば、そんな母親が娘に望むとしたら、希望を託すこと。

 自分は無理でもきっと娘なら、この呪縛から解放される。そう信じて。

 

「……だから、天国にいるお母さん安心させる。俺がきっちり、ぶっ飛ばしてあげるから」

 

 根拠もない自信に満ちた顔でそう言いきると、セバスチャンが小さく息を呑んだ。

 ケイが口元に手を押し当てた。

 

「どうして……? なんで、そこまで……」

 

 不幸になると分かってる女の子を見捨てられるわけがない。危険なのは百も承知だし、あいつの実力を考えると勝率は一割にも満たないかもしれないけれど。

 やっぱ男としては、ここで叶えてあげないといけないだろ?

 そういい照れくさそうに笑うと、ケイは一瞬思考が麻痺したように表情を無くした。

 そして、大粒の涙がケイの目から溢れ――。

 

「う、うぁぁ……うぁぁあ…………うわああぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁ――――――っ!」

 

 堪えてきた感情が一気に溢れ出した。

 ずっと固く閉じ込めていた心が露になり、むき出しの感情が迸る。

 まるで、生まれたばかりの赤子のようにケイは大声を上げて泣いた。

 

「……今まで、よく頑張った。後は俺たちに任せる」

 

「うわあああぁぁぁぁぁあぁあああああ――――――っ! あああぁぁぁああああ――――! ああああぁぁぁぁぁ――――――っ!!」

 

 今まで溜め込んできた想いを涙と叫び声とともに解き放っていく。

 その声が、俺にはどこか『生きている』『生きたい』と訴えているように感じた。

 遠くからポーン、ポーンと時計の鳴る音が聞こえた。

 

「……誕生日、おめでとう。ケイ」

 

 涙を隠すようにそっと抱き寄せ、その背中を優しく撫でる。

 ケイの泣き声がいつまでも夜空に響いた。

 

「うぅ……ケイ、よかったねぇ……っ」

 

「ええ、本当によかったですね……」

 

 もらい泣きしたようこがハンカチで目元を押さえる。隣ではなでしこも目元を潤わせていた。

 そんな二人よりもさらに目から涙を流しているのが、セバスチャンである。

 

「お嬢様ぁぁぁぁぁぁ! うおぉぉぉおおおん!!」

 

 まさに大号泣といった有様で男泣きしていた。

 その姿に苦笑していると、大泣きして幾分か落ち着きを取り戻したお嬢様が、腕の中で小さく身動ぎをした。

 泣き顔を見られた恥ずかしさからか、はたまた今の状況に羞恥を覚えているのか。お嬢様は顔を朱に染めていた。

 

「あの、川平くん? その、もう大丈夫だから……」

 

「ん」

 

 素直に解放する。恥ずかしがってるお嬢様には失礼だけど、見た目は小中学生の女の子だから抱擁程度は問題なくできる。これが歳相応の見た目だったら難しいだろうけど。

 でも、ちゃんと泣けてよかったよかった。泣けないというのは心が麻痺しているようなものだからな。

 

 

 

 2

 

 

 

 死神と戦った屋上に上がった俺は景色を一望しながら夜風に当たっていた。

 泣き疲れてしまったのか、お嬢様はあの後すぐに眠ってしまい、セバスチャンはそんな主に付き添った。

 ようことなでしこは俺の少し後ろに控えている。

 冷たい夜風に当たりながらなんの気もなしに空を見上げた。

 光化学スモック一つない綺麗な夜空。千切れ雲がぽつぽつと浮かび、その向こうには星々が散りばめられている。

 

「……いい夜。そう思わない?」

 

「――ええ、本当によい夜ですね」

 

 俺の言葉を返す声。

 振り返ると虚空からにじみ出るようにして姿を現したはけがすとん、と傍に降り立つところだった。

 その表情はいつもの柔和なものでなく、どことなく厳しいものだった。

 

「啓太様、申し訳ありません。まさかこれほどの力を持つ死神だとは。私がもっと詳しく調べていれば……。これは、私が想定していた実力を大きく上回っています」

 

「ん」

 

 傷跡を残す景色を見て、顔を顰めるはけ。

 難しそうな顔で、こう続けた。

 

「これほどの爆発的な霊力を持つ者は数名ですがおります。私とようこの条件が揃えばあるいは……。そして、犬神でも一人だけ、心当たりがおります」

 

 ちらっと、なでしこたちのほうに視線を向けるはけ。

 しかしそれも一瞬で、すぐに視線を元に戻した。

 

「ですが……啓太様たちを無傷で、手加減してとなると――」

 

「……」

 

「……それでも、引かないおつもりですか?」

 

 真剣な声で聞いてくるはけ。やはりはけの目から見ても、あの死神――【絶望の君】の力は段違いなのだろう。

 しかし、それでも……逃げるわけにはいかない。

 ここで引いてしまったら、俺が俺である大切なものを失う気がするから。

 

「……はけ。俺ね、初めて負けたんだ」

 

 師匠以外に敗北したのは生まれて初めて。しかも、仕事というガチの戦いで敗北。

 

「……うん。生まれて初めて負けた」

 

 すまし顔で見下している死神の顔を思い浮かべると、ムカムカする。

 ああ、本当に……こんな気分になったのは初めてだよ。

 

「……俺。こう見えて、負けず嫌いみたい」

 

 振り返り、ギラギラした目で笑う俺にはけが大きく息を呑んだ。

 見るとようことなでしこも驚いた顔をしている。えっ、なに? 負けず嫌いなのがそんなに意外ですか?

 はけは何やら懐かしそうに目を細めていた。微かに震える体を抑えている。

 

「その目……やはり血は争えませんね。若かりし頃の宗主と同じ目をされています」

 

 え? 若い頃のお婆ちゃん?

 

「ケイタもそんな目できるんだね。獲物を前にしたケモノっぽいっていうか、すっごい格好いいよ!」

 

 それは褒めているんですかようこさん?

 

「ワイルドな啓太様もステキだと思います」

 

 うん、ありがとう。でも素直に喜べないのはなんでだろうね?

 はけは沸き起こる震えを押し殺すようにして、努めて冷静に呟いた。

 

「いえ、どうかご命令を。そう申したかっただけです、啓太様」

 

 そう言って片膝をつく。まるで主に忠誠を誓う従者のような真摯さが感じられた。

 はけの隣に俺の犬神であるなでしことようこが並ぶ。

 

「……これは俺のわがまま。俺のせいで、なでしこたちを危険に晒すことになる。それでも、三人の命……俺にくれる?」

 

 傲慢な俺の問いかけに三人は一瞬の躊躇いなく即答した。

 

「ええ、この命。啓太様に捧げましょう」

 

 そう言っていつもの柔和な微笑を浮かべるはけ。

 

「もちろん。一緒にあの死神をぎゃふんって言わせようっ」

 

 ようこは悪戯っ子が浮かべるような笑みを浮かべ、力強いことを言ってくれる。

 

「はい。どこまでも、あなた様とともに」

 

 見るものを安心させるような優しい微笑を浮かべたなでしこ。

 俺の我侭のために命を預けてくれる三人。もし、俺が負けるとしても、お嬢様たちとこいつらだけは守らないと。

 そのためには万全の状態で迎えないといけない。

 人生を左右する戦いに備えるために、はけに家からとある物を持ってくるようにお願いしたのだった。

 

 




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