いぬがみっ!   作:ポチ&タマ

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 二話目。
 ようやくここまで来ました……。
 犬神の話を書こうと思った切っ掛けの話になります。


第五十四話「一縷の望みに縋る者」

 

 

 闇が覆う地上を、空に浮かぶ三日月がわずかな月明かりを照らしてくれる夜。分厚い雲が風に乗って流れ、光源の月を覆い隠した。

 西地区の丘にそびえる大邸宅。地平線には山脈が見え、大邸宅から少し離れた場所には小さな湖もある。自然に囲まれ空気も美味しいこの地域は【隠居生活はどこがいい?】というアンケートでもっとも回答数が多かった場所でもある。

 世界有数の建築家が建てたその豪邸は数キロに渡る敷地も含めると数十億円はくだらない。

 そんな豪邸の二階にあるバルコニーから美しい音色の旋律が、風に乗って流れている。

 歌を紡いでいるのは、小学生ないしは中学生のような外見の少女。

 くせのあるウェーブの掛かった黄土色の髪を風に靡かせ、古ぼけたクマのぬいぐるみを抱き締めながら歌っている。

 聞くだけで胸を締め付けられるような歌だ。

 どうしようもない死が、避けようのない死の気配が近づく。戦争で、災害で、事故で。

 深い安らぎをもって巨大な死に皆呑まれていく。薄明るい諦念と共に生の執着を断ち切って。すべては無にかえっていく。

 抗うことができないのであれば、すべて受け入れてしまおう。そうすれば傷つくことがないのだから。

 これは、そういう歌だった。

 抗えない死を受け入れる、そういう歌だった――。

 

 一階の大広間に集められた新堂家のメイドたち。集めた本人はこの屋敷を取り仕切る巨漢の執事だ。

 その執事は階段の上で懐中時計に視線を落とし身動き一つとらない。

 バルコニーから聞こえる歌を耳にしたメイドたちが小さく囁きあう。

 

「……お嬢様の歌、今日も一段と暗いわね」

 

「こういう夜に聞くと結構気が滅入るわ。お嬢様の"死にたい歌"……」

 

 隣にいた同僚の女性が鋭い小声で注意した。

 

「しっ!」

 

 注意された二人は、はっ!と口を押さえ、そろ~っと上目遣いで階段の方を見た。

 執事は時計に目を落としたまま動かない。どうやら耳に入らなかったらしい。

 ほっと安堵の息をつく二人。

 幾ばくかの時間が流れた後、ふと二階のバルコニーから流れていた透明感のある美しい歌声が止んだ。

 それと同時に大広間の柱時計がポーン、ポーンと二回鳴る。

 時刻が二十一時を回った。

 その場にいた十人のメイドと執事が一斉に広間の入り口の方へ振り返る。

 この時間に訪れる予定の客人を待って。

 しかしー―。

 

「は……」

 

 ドアが開く気配はなかった。客人は、来ないのだ。

 意気消沈しガクッと肩を落とす執事。メイドたちが執事になんと声を掛ければいいかと顔を見合わせた。その時――。

 

「私にそのような出迎えは一切不要ですよ」

 

 いきなり執事の背後から澄んだ声が聞こえてきた。

 慌て驚いた執事は階段を転がり落ちそうになる。メイドも目を丸くしていた。

 何時からそこにいたのか。いつの間にか階段の踊り場に白装束に身を包んだ偉丈夫が佇んでいた。

 濃紫色の髪で片目を隠し、もう片方の目は優しい光を浮かべている。この世のものとは思えないほど美しく、どこか妖艶な雰囲気を纏っていた。

 誰も彼の存在に気がつかなかった。まるで虚空から現れたようになんの前触れもなくやってきた偉丈夫は涼しげな目元を和らげ、丁寧な物腰で腰を折る。

 

「夜分遅くに失礼します。私は犬神のはけと申します」

 

「あ、あなたは川平の……。その、使者の方でしょうか?」

 

 ようやく正気に戻った執事が掠れた声で尋ねた。

 その壮絶な美貌と、身を凍らすような冷たい気配に圧倒されていた。

 はけは優雅な足取りで階段を下り、頷く。

 

「はい。宗家のお返事をお持ちしました。返答は"受諾"。お嬢様の一件、我ら川平一族が確かにお受けいたします、とのことです」

 

「お、おお……!」

 

 喜び勇む執事を制するようにはけは言葉を続けた。

 

「ですが、一つだけお聞かせください。なぜ、もっと早くに我らの許を訪れなかったのですか?」

 

「む、それは申し訳ない」

 

 執事は複雑そうな表情を浮かべた。

 

「率直に申し上げると存じ上げなかった、というのが本当のところです。元々私どもは一刀流除霊術の幻斎先生を訪れてこの地に参ったわけですから……。ただ、その幻斎先生が持病の椎間板ヘルニアが悪化したというのと、星の回りが悪いとのことで、今になってどうしても支障が出たと仰られて」

 

 はけの顔に明らかな冷笑が浮かんだ。

 

「ああ、あの『言い訳とハッタリの達人』幻斎らしいですね。ですが、結果的にはよかったかもしれません。何しろ相手が相手ですから」

 

「そ、それで、どなたが来て下さるのですか? 名高い宗主直々に来て頂けるのでしょうか?」

 

 一縷の望みを前に咳き込みながら尋ねる執事に、はけは首を振った。

 

「残念ながら、宗主は事情があり今おられる場を離れるわけには参りません。ですが、ご安心ください。川平が出せるおよそ最良の人材を紹介しましょう」

 

「そ、それは?」

 

「名を川平啓太。私が知る限り、宗主に次ぐ最高の犬神使いです」

 

 そう言ってはけは微笑んだ。

 

 

 

 1

 

 

 

 ある休日の昼下がり。玄関で靴を履き終えて準備が整うと振り返った。

 そこには律儀に見送りに来た犬神のなでしこがいつものメイド服姿で佇んでいた。柔和な笑顔を浮かべている彼女の隣では、同じく犬神のようこが立っていた。ラフなTシャツにスカートという出で立ちだ。

 

「……じゃ、行って来る」

 

「はい。お帰りは何時ごろになりますか?」

 

「……二、三時間くらいしたら戻る。遅くなりそうだった連絡する」

 

「わかりました。気をつけて行ってらっしゃい」

 

「行ってらっしゃーい。お土産よろしくね~」

 

「はいはい」

 

 なでしことようこに見送られて自宅を出る。

 八月も終わりに近づき、まだまだ暑い日々が続く。

 ラフなTシャツに半ズボン姿の俺は手提げかばんを片手に軽く周囲を見回して目的地へ向かう。

 電車に揺られ二十分もすると、目当ての場所に到着した。色々な店舗が混在する大規模な商業施設、ショッピングモール。

 駅から徒歩数分にあるこのショッピングモールは近日オープンしたばかり。そのため多くの来客で賑わっている。今日は休日だからかいつもより多い人混みだ。

 ここに来るのは二度目だ。

 店内マップから目当てのものを扱っているだろう店を探し、そちらに向かった。

 

「……あればいいけど。いいの」

 

 エスカレーターに乗りながらそう独り言ちる。

 いつもならなでしこやようこと一緒に外出することが多い俺が、なぜ独りでここにやってきたかというと、その犬神たちへの贈り物を探すためである。

 以前、薫の家に泊まりへ行ったときにせんだんから聞いた話なのだが、薫が休みの日や誕生日になるとよく一緒に遊びに出かけたり、プレゼントをしてくれているらしい。

 それを聞いた時は神妙な顔で頷き、相槌を打っていたが内心大きなショックを受けていた。

 そういえば俺、出かけには行くし遊ぶけど、プレゼントって全然したことねぇ!

 俺がなでしこたちにプレゼントをした日といえば、クリスマスや誕生日くらいだし……。あれ、もう三年も一緒にいるのに、ろくに贈り物を贈ってないとかヤバイんじゃね!?

 なぜか無性に焦りを覚えた俺は、丁度明日がなでしこたちと契約を結んだ日というのもあり、その記念品として形に残るものを贈ろうと決めたのだ。

 俺も今後は薫を見習って、もうちょっと小まめに贈り物をあげよう。うん、流石に甘えすぎた。なでしこたちに愛想つかされたら俺、生きていける気しないし。

 と、いうこと日頃の感謝の気持ちも込めて何か贈ろうとやってきたわけだが、何を贈ればいいのだろうか?

 なでしことようこが喜びそうなもの……。

 

「……なんでも喜びそう」

 

 なでしこはそれこそ、花やぬいぐるみ、洋服、果ては食べ物でも喜びそうだし。ようこも――ようこはおむすびかチョコレートケーキか? まあ、でも出来れば形に残るものにしたいなぁ。

 取り合えず、二回のアクセサリー売り場にやってきました。女の子が身に着けそうな煌びやかなネックレスや指輪、ブレスレットなんかも置いてある。

 ネックレスだと被っちゃうな。二人とも既に身につけてるし。契約証のやつ。

 なら指輪とかどうだろうと、ショーケースを見てみる。けれど、これもこれで何か違う感じがする。

 色々な光物がついていてやたらとゴテゴテしてそうな指輪や大きい宝石がついた高級指輪などがあるが、どれもようこやなでしこに合わない気がした。

 なでしこはあまり派手なヤツとか好きじゃないしな。どちらかといえばシンプルなやつかな。ようこもあれでファッションやお洒落系の雑誌とか読んでるし、あまり好みからかけ離れていても困るし。

 

「……あ、なでしこ、家事してるから指輪外しそう」

 

 盲点だった。じゃあ、指輪はダメだな。ていうか、なでしこの場合、大切そうに仕舞いそう。

 それもいいけど、できれば身につけていてほしいなぁ。

 結局、それからというものアクセサリー店を見て周り、ぬいぐるみ店を見て回り、洋服店を見て回るなどして二時間かけ、ようやく決めることが出来た。

 

「……喜んでくれるかな」

 

 ちょっと不安だ。

 最終的に選んだのは、なでしこには純白のリボン。ようこには真紅の髪飾りに決めた。

 リボンなら家事をしていても邪魔にならないだろうし、日常的に使ってもらえるだろう。ようこも髪が長いし綺麗だから、髪飾りが似合うと思ってのチョイスだ。

 サプライズという形で渡し、なでしこたちの喜ぶ顔が見たい。

 せっかく綺麗にラッピングしてもらったのだから、外装を傷つけないように注意しないと。

 再び電車に揺られ地元に返ってきた。駅ビルの地下にあるスウィート専門店でチョコレートケーキをホールで買い帰路に就く。

 ようこへのお土産というのもあるが、一日早いお祝いという意味合いの方が大きい。

 

「……んん?」

 

 自宅前に着いた俺であるが、アパートの前に止めてある場違いな車に目を丸くした。

 高級車の中でも知名度の高いリムジンが止めてあるのだ。

 黒塗りの高級車に往来を行く人もチラチラと視線を向けている。

 この辺りは普通の住宅だから、こういう高級車を持ってそうな人はいないと思うけど。資産家の生まれである先輩の家はベンツだし。

 訝しげに見ながらも、まあ俺には関係ないかと思い、階段を上った。

 

「……ただいま」

 

 扉を開けて、ん?と眉をひそめる。

 玄関には見慣れない靴が二足並んでいたのだ。大きなサイズの革靴と、可愛らしいブーツだ。

 誰が来たんだ?

 

「あ、啓太様。おかえりなさい。啓太様にお客様ですよ」

 

 リビングからなでしこが出迎えてくれる。

 俺に客?

 なでしこを連れてリビングに向かうと、テーブルについてお茶を啜るようこがいた。

 そして、ようこと向かい合う形でテーブルについているのが俺の客人だろう。タキシードに身を包んだ筋骨隆々の巨漢と、可愛らしい少女の二人組だ。

 とりあえずケーキを冷蔵庫に入れて彼らの元に向かうと、巨漢が鋭い目を向けてきた。

 

「あなたが、川平啓太さんですかな?」

 

 無言で頷くと、巨漢の彼はぬっと立ち上がった。

 一八〇センチ以上あるだろう。まるで巨大な岩のような圧迫感を感じる。

 

「家主が不在の中お邪魔させていただき申し訳なく。また唐突でぶしつけな訪問をご容赦願いたい」

 

 そう言うとスキンヘッドにちょび髭という彼は胸に手を当てて一礼した。

 

「私の名前はセバスチャン・合田剛太郎。新堂家にお仕えする執事をしております」

 

「川平啓太。……セバスチャン?」

 

 えっ、マジでそんな名前なん?

 セバスチャンは苦笑して首を振った。

 

「いえ、これは執事としての職業名です」

 

 あ、そうなんだ。そうだよね、そんなドキュンな名前付ける親とか、いないよね。

 って、ん? 新堂??

 

「……新堂って、あの新堂? 新堂グループの」

 

「左様です」

 

「まあ……」

 

 なでしこも驚いている。新堂グループといえば日本有数の財閥だ。その知名度は海外でも轟いており、とくに日本の家電製品の顔として広く知られている。○菱と同等もしくはそれ以上の組織といえば何となくわかるだろう。

 そんな化け物企業の直系の人がやってきたのだ。なでしこが驚くのも無理はない。

 

「そして、こちらが新堂ケイ様です」

 

「どうも」

 

 そっけなく言うお嬢様。うん、この子ツンデレやな。

 癖のある黄土色の髪はウェーブが掛かり、瑠璃色の目はどこか眠そうだ。

 水色のブラウスを着た少女の胸元には、いかにも高級っぽいブローチがついていて、服装だけ見たら深窓の令嬢と呼んでも差し支えはないだろう。

 美少女と言える容姿のお嬢様だ。ただ、その薄く閉じた眠たげな目と無気力そうな表情が美少女感を台無しにしていた。

 

「どうぞ、粗茶ですが」

 

「これはどうもかたじけなく」

 

「ありがとう」

 

 なでしこが人数分のお茶を持ってきてくれた。やっぱなでしこが淹れる茶はうめぇや。

 ずずっと啜る俺の後ろに座る。その隣にようこも控えた。

 

「……それで、俺に何か?」

 

 俺の元に来たということは十中八九、霊的案件だろうけど。

 こほんと咳払いしたセバスチャンが背筋を伸ばす。隣ではお嬢様がなにやら不満げな顔をしていた。

 

「……無理よこんなの。わたしの問題はこの子じゃ明らかに荷が重すぎると思うわ」

 

「お嬢様。私はお嬢様がなんと言おうと、この犬神使いさんに賭けているのです。あのはけ殿が最良のお方と紹介してくださったのですから」

 

 はけの紹介か。ということは、そこそこ難易度が高い案件だな。

 はけを通じてお婆ちゃんからちょくちょく依頼を紹介されることがある。そのほとんどが無傷で帰るのは難しいような高難易度の依頼だ。

 恐らく今回の依頼も厄介な類のやつなんだろうなぁ、と推測していると、立ち上がったセバスチャンは何故かその場で服を脱ぎ始めた。

 

「さて、説明をさせていただく前に……申し訳ありませんが少し試させていただきます」

 

「……?」

 

 蝶ネクタイを緩め、上着を脱ぐ。ボタンを外し、シャツまで脱いだ。

 なにが始まるのか分からない俺たちは、頭上にハテナマークを浮かべながらその様子を見ている。ただ一人、お嬢様だけがため息をついていた。

 

「川平さん、失礼ながらそう呼ばせていただきますぞ」

 

 こきんこきん、と野太い首を鳴らしながら鷹のように鋭い目を向けてくる。

 

「自分はこれでも新堂家に仕える前まではプロレスラーをしていましてな。執事となった今でも鍛錬は欠かしていませんし、技のキレも衰えていないと自負しております」

 

 ズボンを脱ぎ、黒のビキニパンツだけを履いた姿になったマッチョのセバスチャン。

 鍛え抜かれた赤銅色の体は岩のようにゴツゴツしている。確かにプロレスやってそうな体格してますもんね。

 なにか非常に嫌な予感がしてきましたよ!

 

「……申し訳ないが」

 

 そして。

 

「一切の手加減なしで、いきますぞ!」

 

 マッチョが跳んだ。

 

 




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