いぬがみっ!   作:ポチ&タマ

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第三十五話「暴走する彼女」

 

「ようやく、追いつめた……!」

 

 仮名さんの携帯に表示されたマップアプリで現在地と周辺を確認しつつ、その都度なでしこたちに指示を出してムジナ野郎をスケート場まで誘導する。

 しかしこれ、言うは易く行うは難しだ。前世の謎知識にあった諜報活動のノウハウを活かしてみたけど、ぶっちゃけ上手くことが運んだのは半分以上運だよ。同じことをもう一度やれって言われたらここまで綺麗に事は運ばないだろう。

 ムジナがスケート場に入っていったのを確認した俺たちはその場に留まった。

 間もなくしてなでしこたちと合流する。

 

「ムジナはどうなりましたか?」

 

「予定通りだ。先ほど場内に入ったのを確認した」

 

 仮名さんの言葉に安堵の吐息を零すなでしこ。

 ここまでは順調だ。後は仕上げに掛かるのみ。

 

「仮名捜査官殿!」

 

 仮名さんを呼ぶ声が聞こえた。振り返ると黒いスーツにサングラスを掛けたどこぞのSPのような男がこちらに向かって走って来きている。

 黒服の男は俺たちの前まで来ると敬礼した。

 

「宮間一等捜査員であります。ご要望の品をお持ちいたしました」

 

「おお、助かる」

 

 仮名さんと同じ部署の人なのか、両手で持っていた大型のアタッシュケースを受け取った。

 中にはトリ餅付き三節棍が四つ入っていた。

 

「人数分要請しておいたのだ」

 

 黒服の男は再び敬礼をするとその場を離れた。

 

「では諸君。それぞれトリ餅を持ってくれ」

 

 仮名さんから全員に組み立てた三節棍を手渡される。

 全員に行き渡ったのを確認し、これからの打ち合わせをした。

 

「……少し待つ?」

 

「そうだな。この炎天下の中あれだけ走り回っていたのだ。ムジナ自身そうとう参っているだろう」

 

「で、スケートリングで涼んで気が抜けたところ。捕獲」

 

「そうだな。それでいこう」

 

 頷きあった俺たちはなでしこたちを連れてスケート場に入る。

 民間のスケートリング場は小さな建物の中にあった。床一面に張られた氷は冷気を漂わせ、通路を隔てる壁がリングを囲んでいる。

 無人のリング。そのど真ん中でムジナはきゅうきゅう嬉しそうに鳴きながら氷の床に頬ずりしていた。

 俺たちの気配に気付いた様子はない。完全に油断しきっているようだ。

 トリ餅付き棍を片手に装備しスケートシューズに履き換えた俺は氷の上では邪魔になる竹馬を壁に立てかけた。

 

「……覚悟は出来たか、ムジナ。俺は出来てる」

 

「行くぞ川平。気づかれないようにな」

 

 仮名さんの言葉に頷き、静かに通路を移動し始めた。

 

 

 

 1

 

 

 

「きゅう~! きゅう~! きょろきょろきゅう~~♪」

 

 白い毛並みを持つムジナ――ムジ太郎は氷で覆われた床の上を転がり回っていた。

 執拗に追ってくる忌々しい人間どもから逃げ続け、辿り着いたのがここだった。熱に弱いムジナにとってここは金銀財宝にも勝る場所だ。

 きゅうきゅう鳴いて氷の上を滑りながらふと思う。

 もし、あのまま檻の中を抜け出していなければ。あの建物から逃げ出していなければ、今頃自分はどうしていたのだろうと。

 六年前にも一度、人間たちからの懇願で捕まったことがある。その当時はかなり贅沢な待遇を受けたものだった。

 一日中冷房の効いた小屋の中で過ごし、好きなときに氷を初めとした好物が食べられる。お酒は毎日、有名なブランド物を気前よく振舞ってくれた。

 血を抜かれるといってもほんの数滴だけだし、担当する人間の技術も高いのか痛みはまったく感じない。死ぬほど暑い外に比べればまさに天国のような環境だった。

 しかし――。

 しかしだ。

 それでも一つ、ムジ太郎には許せないことがあった。他者からすればどうでもいいような小さなこと。しかしムジ太郎にとってはどうしても我慢ならなかった。

 故に脱走を図った。定期的に様子を見てきた人間が入室してきた隙を見計らい逃走したのだ。

 

 影から影へ逃げながら、涼しい場所を求めて逃げ回った。すぐに追っ手がやってきたが撒いてやった。所詮は愚鈍な人間。小柄で足も速く、術にも長けているムジ太郎にとって造作もないことだった。

 ムジナは総じてプライドが高い傾向があるが、ムジ太郎は特にそれが顕著だった。

 白い雪のような毛並みにアイドル顔負けの整った顔立ち。駆け足も里の中では速かったし、術の速さも正確さも範囲もムジ太郎が一番だった。単純な腕っ節も強い。

 皆がムジ太郎をちやほやした。生みの親である両親が率先してちやほやした。

 故にムジ太郎には矜持があった。ムジナとしての、エベレストより高くマリアナ海溝より深い矜持が。

 一匹の誇り高きムジナとして、人間如きに捕まるわけにはいかなかった。

 

 その日もムジ太郎は冷気と酒を求め街中をうろうろしていた。そんなムジ太郎を捕まえるため、また懲りずに人間がやってくる。

 しかし、そのやって来た大きな人間は今までの奴らとは少し違っていた。撒いても撒いてもしつこく追いかけてくる。能力を使って物とくっつけても、懲りずに何度も何度も。

 しかもそれだけではない。その大きな人間だけでなく、さらには小さな人間や女たちもやってきたのだ。

 そいつらはしつこかった。すごくしつこかった。何度も撒いても、どうやってか必ず場所を見つけて追いかけてくる。しかもあの忌々しいトリ餅を持って。

 二足歩行できないからって。

 ムジナだからって。

 人間の言葉も大体分かるのに――。

 それを、有無を言わさずにケモノのようにトリ餅で捕まえてくるのだ!

 

 あの人間たちは驚くような行動力を有していた。お互いの体をくっつけてやったのに、それでも執拗に追いかけてきたのだ。しかも片方の人間は棒のようなものに乗っかって。

 カンカンカンッ、と甲高い音を響かせながら猛スピードで追ってくるその姿にムジ太郎は恐怖した。

 どこまでもどこまでも、それこそ地獄の果てまで追ってくるような、そんな気がしたのだ。

 行く先々で女たちが立ち塞がる。ムジ太郎と同じ妖怪なのに、彼女たちは人間に協力しているようだった。

 あの人間たちは妖怪まで操る術を持っているのか!

 人間なら強行突破できるだろうが、妖怪なら話は別だ。同じ妖怪として彼女たちが自分とは比べ物にならないほどの力を有しているのだと本能で感じ取っていた。

 どのくらい走っただろうか。蒸し暑い太陽もムジ太郎を殺す気でいるのだと半ば本気で思った。

 そして、ついに辿り着いたのがこの床一面氷が張られた場所。なんの建物か知らないがそんなことムジ太郎にとってどうでもよかった。

 振り返る。人間たちは追ってこない。どうやらようやく撒けたようだった。

 疲れた体と心を癒すため、ムジ太郎はこうして氷を体全体で堪能して満喫しているのだった。

 

「きょろきょろきゅう~~~~♪」

 

 足を組みながら寝転び、すい~っと氷の上を滑っていく。

 ああ、ここは天国だ……。

 極楽浄土はここにあったのだ。

 だらけきった表情のムジ太郎であったが、急に背筋があわ立った。本能が警報を鳴らしている。

 ムジ太郎は本能に従い、急いでその場を飛びのいた。

 

「……ちっ。勘のいい」

 

 なんと、あの人間たちがそこにいた。

 いつの間にやってきたのか、直ぐそばにあの人間たちが立っていたのだ。靴の中心に鉄の棒が付いた妙なものを履いていた。

 小さい方の人間はあの変な棒に乗っていない。そのためか大きいほうの人間が腰を落とした不恰好な姿勢だった。

 気がつけば右にも左にも、そして後ろにもあの妖怪たちがいる。そして、前には人間たち。

 囲まれていた。

 

「捕まえる。覚悟する」

 

「観念して投降しろ!」

 

 ブンブンブンっと小さい方の人間が片手でトリ餅を回転させながら言う。

 大きいほうの人間が指を差してそう言ってきた。

 大きい人間が肩に、小さい人間が腰に手を回すと、せーのっと声を合わせて氷の上を滑ってきた。

 一瞬、ムジ太郎は呆気に取られた。見たことのない移動方法だった。しかも他の妖怪たちも同じように氷の上を滑って距離を詰めてきている。

 

「きょろきょろきゅう――――――っ!」

 

 ムジ太郎は慌てて逃げ出した。爪を立てているため転ぶことはないが、速度は向こうのほうが圧倒的に上だった。

 

「捕まってください!」

 

「ムジナ捕まえたぁ~!」

 

「えーい!」

 

 妖怪たちも手にしたトリ餅を向けて襲ってくる。

 四方八方から手当たり次第に伸びてくるトリ餅。ムジ太郎はかつてないほどの集中力を発揮しそれら魔の手から逃げる。

 

「あっ、わわわっ……! きゃん!」

 

 子供の妖怪がバランスを崩して壁に激突した。その隙を見計らい、その子の右手と壁を固定する。

 そして出来た隙間を縫うようにして、なんとか包囲網から逃げ出すことに成功した。

 

「逃がさないっ……」

 

「逃がさんぞ!」

 

 あの人間たちが追いかけてくる。

 いい加減、しつこい!

 ムジ太郎の目が怪しく光った。能力から解放された人間たちがバランスを崩す。

 このままもつれ合ってしまえ! そうしたらまたくっつけてやる!

 

「なん……のッ!」

 

 しかし、驚くことにムジ太郎の予想は裏切られた。

 ギラッと小さいほうの人間の目が光る。手の中のトリ餅をクルッと回転させると反対側を大きな人間の服に引っ掛け、投げ飛ばしたのだった。

 しかもムジ太郎に向けて。

 

「うぉぉぉおおおおお!」

 

 投げ飛ばされた大きい人間は放物線を描きながら空中で姿勢を整えて、トリ餅を構える。

 

「食らえぃっ!」

 

「きょろきょろきゅう――!?」

 

 慌てて避ける。ムジ太郎が立っていた場所にトリ餅が勢いよく叩きつけられた。

 パキッ、と乾いた音が鳴った。

 

「あっ」

 

 呆然とした男の声。見れば男が持っていたトリ餅が見事に折れていた。

 

「……仮名さん、なにしてる?」

 

 勢いよく氷の上を転んだ小さい人間が顔を顰めながら立ち上がる。その言葉に大きい人間が頭を掻いた。

 

「いや、面目ない」

 

「……まあいいけど。でも、これでやり易くなった」

 

 調子を確かめるように身体を捻る人間。その言葉にムジ太郎は恐怖した。

 そうだ、ムジ太郎の能力を食らってあれだけの動きを見せたのだ。本調子になったらどうなることだろう。

 私はまだ二段階変身を残していると言われたようなものだった。

 

「うぅぅぅ~~~~っ」

 

 どこからともなく獣の唸り声のような者が聞こえた。

 緑髪の妖怪の女が髪をくしゃくしゃっと掻き毟った。

 

「ううううぅぅぅぅ~~~~っ! ああっもう~っ、イライラする! いい加減捕まれぇぇえええ!」

 

 緑髪の女はウガーッと叫ぶとムジ太郎に向かって突進してきた。

 慌てて避ける。避けられた女はそのまま氷の上を滑っていくが、床に爪を突き立てて半回転した。

 ガガガガッと氷が削れる音がする。

 女は獰猛に牙を剥くと再び襲いかかってきた。

 殺される。

 冗談でもなんでもなく、自分の命を狙ってきている……!

 

「きゅう~~~~っ!」

 

 もう形振り構っていられなかった。

 とにかく逃げなければ。

 ムジ太郎は生き延びることを優先して走り出す。

 

「逃がすかァァァアアアアア!」

 

「待てようこっ!」

 

「ようこさん!」

 

 人間たちの声が聞こえたが、それでも女は止まらなかった。

 逃げなければ。誰の手も届かないような場所へ、逃げなければ……!

 ムジ太郎は遮二無二になって場内を走り回った。後ろから女が追ってくる気配がする。ムジ太郎にとって幸いなことにあの妙な靴は氷の上でないと走りにくいのか、すぐに追いつかれることはないようだった。

 

「きゅう!」

 

 逃げ回っていると少しだけ開いたドアを見つけた。

 重たそうな鉄製の扉には『関係者以外立ち入り禁止』と書かれていた。人間の言葉は理解できるが文字までは分からないムジ太郎にとってどうでもいい情報だった。

 僅かに開いた隙間から滑り込むようにして中へと入り、階段を登る。

 背後でバンッと重たい音が聞こえた。どうやらあの女が力任せに扉を開いたようだった。捕まったら最後という言葉が頭に浮かんだ。

 どこをどう登ったのか覚えていない。気が付けばムジ太郎は天井付近の作業用通路にまで来ていた。

 通路の脇には色々な照明装置が設置されている。幅は狭い。遥か下のリング上では人間たちと、妖怪二人がこちらを見上げていた。何かを叫んでいる様子だがここまで声が届かなかった。

 

「見ぃつけた……」

 

「きゅっ!?」

 

 地獄の底から這い上がるような恐ろしい声が聞こえた。

 振り返れば、あの恐怖の女がそこにいた。もう逃げられないと確信しているのか、勝者の笑みを浮かべている。

 鋭利な爪がキラッと光った。

 

「さあ……観念しなさぁぁぁいっ!」

 

「きょろきょろきゅう~~!」

 

 鋭利な爪を伸ばした女が跳びかかってくる。辛うじて凶刃から逃れることが出来たムジ太郎であったが、その時――不吉な音が耳に入った。

 パキンッと何かが壊れる音。

 

「……え?」

 

「きゅう?」

 

 不思議そうな顔で眺める女の先には、土台が壊され今にも落ちそうになっていた照明装置があった。

 グラッと照明装置が傾き、重力に従い落下する。

 落下したその先には――。

 

「……っ! ともはね!」

 

 女の張りつめた声が響いた。

 

 

 

 2

 

 

 

「う~ん! 取れないよぉ~!」

 

「ともはね大丈夫?」

 

 ムジナさんの力であたしの右手と壁がくっついちゃったよぉ! どれだけ力を入れても手が痛くなるだけで全然取れる気配がなかった。

 ムジナさんは今ようこが追いかけてる。いつまで経っても捕まえられないから痺れを切らしちゃったのか、ウガーって声を上げて。

 あの目、完全に獲物を狙う目だった。ムジナさん大丈夫かなぁ……。

 って、それよりあたしは早く外れるようにしないと。でもこれ、あたしの力だけじゃ到底無理だよぉ~! ムジナさん早く外して~!

 なでしこが心配そうに見てくる。けど、なでしこ自身どうしようもない様子だった。

 

 ――パキンッ。

 

 不意に何かが折れるような乾いた音が聞こえた。そして、ようこがこっちに向かって何かを叫んでいる。

 なんだろうと思って見上げると。

 

「……え?」

 

 大きな照明器具が降ってきた。しかも、このままだとあたしに当たる!

 慌てて逃げようとするけど、アタシの手は壁にくっついたままで離れられない。

 上を見るとすぐそこまで迫ってきていた。

 

(あ、死んだ……)

 

 呆然とそれを眺めながらそんなことを思った。

 薫様の顔や皆の顔が頭に浮かんだ……。

 

「ともはねっ!」

 

 なでしこがあたしを抱きしめる。

 

「ダメ……。ここにいたらなでしこも死んじゃうよ……!」

 

 ここにいたら巻き添えを食らっちゃう。なでしこが危ない……!

 でもなでしこはきつくあたしを抱きしめたまま叫ぶように言葉を叩きつけてきた。

 

「大切な仲間を見捨てられるはずないじゃない!」

 

 あたしたちの頭上を影が覆った、その時――。

 

「――チェェェストオオオオッ!!」

 

 すごい轟音が響いたかと思うと、頭上に迫っていた鉄塊が吹き飛ばされた。

 くるんっと一回転して危なげなく着地したのは――川平啓太。

 通路の方には吹き飛んだ照明装置があった。

 目を凝らして見てみると、側面に小さな丸い凹みが出来ていた。どうやら飛び蹴りで蹴り飛ばしたらしい。

 

「二人とも、無事っ?」

 

 川平啓太が心配そうな目で駆け寄ってきた。

 いつの間にか、壁にくっ付いていた手は解けていた。

 

(た、助かったの……?)

 

 今頃になってようやく助かったんだって理解できた。

 

「……う、うぅ……うぁぁ! うわああぁぁぁああぁああん!」

 

 気づいてたら泣いていた。

 これでもかってくらい泣いていた。

 なでしこに抱きついてその服を涙で濡らす。なでしこは「大丈夫。もう大丈夫だから」と優しく声を掛けながら抱きしめてくれた。

 

「……間に合ってよかった」

 

 川平啓太の安心した声。それを聞いた途端、さらに涙が出た。

 

「ごべんなざいぃぃぃ! びええぇぇぇぇんッ!」

 

 なでしこに頭を撫でられても涙は止まらない。

 今まで川平啓太を――啓太さまを変な目で見てごめんなさい。

 人形みたいで不気味だって思ってごめんさい。

 良くしてくれてたのに警戒しちゃってごめんなさい。

 そして、助けてくれてありがとうございます――!

 

「びえええぇぇぇぇええぇぇええええええん――――――ッッ!!」

 

 




 Q:ムジナが逃げた理由は?
 A:缶ビールがなかったから。

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