つい最近、東亰ザナドゥの情報が公開されましたけど、一ファンとしてはそちらでも味のあるキャラクターがたくさん登場することを期待したいです。
あと注意書きを一つ。私の書く関西弁は凄く適当なので突っ込まないでください。
「ったく、骨の折れる依頼だったぜ。落とした奴があっちこっち動き回るもんだから振り回される羽目になっちまった」
「まあまあ、流石に財布を落としたら冷静ではいられないさ。旅行者なら尚更だよ」
「そうは言っても、付き合わされる側としては勘弁願いたいぜ……」
「あはは……二人とも、お疲れ様」
多くの人で賑わうケルディックの大市。昼を過ぎて夕刻に差し掛かろうかという時になり、客の波も一先ずは落ち着いているようだ。もっとも、夕方になればセールを行う店もあるので、そうなればまた一波あるのだろうが。
その入り口近くで集合したトワたちは、それぞれがこなしてきた依頼の結果を報告し合っていた。どうやらクロウとジョルジュは大市以外のところも歩き回ってきたらしく、少し疲れ気味な様子だった。
トワも先ほどの出来事で精神的に疲れているところがあったが、表向きはそれを出さずに振舞っていた。アンゼリカが見逃してくれたのに、必要以上にそれを気にしていては参ってしまう。今は実習に集中する事にしていた。
「さて、これで依頼は全て完了というわけだね。もう宿に戻るのかい?」
「ううん。それもいいけど、もうちょっと町を回ってからにしよう。何かあるかもしれないし」
何はともあれ、女将から渡された依頼は完遂した。今日はもう報告用のレポートを書くだけなのだが、トワは首を横に振る。まだ戻るには早い時間だと思ったからだ。
それにクロウは「うへぇ」と嫌そうな顔をする。あからさまに面倒臭そうだ。
「観光なら勝手に行ってくれよ。こちとらクタクタなんだ。女子のショッピングに付き合うような余力はねえぞ」
「じゃあ大丈夫、観光じゃないから。これも実習の延長線上だよ」
「……実習でやるのは依頼だけじゃないのかい?」
クロウの文句をあっさりと切り捨てたトワに、ジョルジュが渋い表情で問う。彼も疲労が溜まっている事には変わらないのだろう。しかし、疲れているからといって手を抜いていいわけではない。
「最初にこの実習、遊撃士の仕事に似ているって言ったでしょ? 仕事っていうのは、ただ依頼をこなすだけじゃないんだ。依頼されるまで待つだけじゃなくて、自分の方から問題を発見して解決できなきゃいけないの」
依頼というのは困った末に誰かに頼ろうとして出されるものだ。人がそこまで思い立つには、問題の質にもよるだろうが、結構な時間が掛かるものである。解決を依頼される問題よりも、時間の経過によって妥協したり諦めたりしてしまう問題の方が多いだろう。
だが、よく目を配っていれば依頼とならずに立ち消えていく問題も見えてくる。相談に乗って、より良い結果へと導いていける。街を見て回ろうという提案の理由はそこにある。
回されてくる依頼を達成しているだけでは一流の遊撃士にはなれない。それと同じように、自分たちも自主的に動いていくべきではないかとトワは思うのだ。
「ケルディックについてもっと詳しく知れるかもしれないし、実習の評価も上がるかも――」
「あー、分かった分かった。行けばいいんだろうが、行けば」
「初めからそう言っていれば良いのさ、まったく」
色々と説明している内にクロウが「もういい」と話を遮る。憎まれ口を叩くアンゼリカに言い返す気力も無いようだった。
トワとしては本当に疲れているのなら先に休んでもらっていても良かったのだが、遮られた以上、口に出さない事にする。嫌々ながらも行く気になってくれているのだし、今更になって言うのもどうかというものだ。
「それで? 町を回るつってもどこに行くんだよ?」
「そうだねぇ。まずは人通りの多いところから回っていって……」
――どうすんねん、おとん。もういつもの時間からだいぶ過ぎとるで。
――かと言って、今から店を開ける訳にもいかんしなぁ。どないしたもんか……
「……ああいう声を拾っていければ上々かな」
ちょうど入り口近くの屋台から、それらしい話し声が聞こえてきた。いいタイミングである。
早速とばかりに足を進めるトワ。楽しげで、面倒臭げで、仕方なさげな面々がその後に続いた。
声が聞こえてきた屋台は、なかなか立派な店構えだった。この大市で長い間やっているのだろう。手馴れた感じに商品が陳列されており、道行く人々の目を引く工夫がなされていた。
その店先に立つのは中年の男性と、トワたちとそう変わらない歳に見える少女。親子と思しきその二人にトワは「こんにちは」と声を掛けた。
「おお、らっしゃい。なんか入り用かい……って、んん?」
「誰かと思えばルーチェさんとこで売り子しとった学生さんやないか。ここからも見えとったで」
「あはは、それはどうも」
なんやかんやと話し合っていた特徴的な口調の親子は、トワたちの姿を認めるなり少し驚いた様子を見せた。少女の方は先ほどこなした依頼の様子も見ていたらしく、店奥からやや前のめりになって話し掛けてくる。快活そうな子、というのが第一印象である。
「へえ、お前ら売り子なんてやってたのかよ」
「私の主な仕事は裏手の在庫整理だったさ。売り子はトワの方。女性客ならともかく、男性客を口説く自信は無いからね」
「そもそも口説くっていう表現でいいのかな、それは」
後ろではクロウがからかうような口調でいたが、アンゼリカに軽く流されていた。ジョルジュとしては引っ掛かる口ぶりだったようで、ささやかながら疑問を呈していたが。
一連の流れを見て、店主の男性は呵々大笑する。「いやぁ、面白い子たちやな」というのは褒め言葉なのだろう。
「ワシはライモンっちゅうもんや。話は聞いとるで。トールズ士官学院っちゅうところから実習に来とるんやろ?」
「はい。さっきの売り子の仕事も実習の一環でして……まあ、社会勉強みたいなものですね」
「はぁ~、最近の学生さんは大変なんやなぁ」
「みんながみんなそうと言う訳じゃないけどね。この実習も私たち四人だけだし」
店主ライモンは誰かしらから実習について聞き及んでいたようで、興味深そうに話を聞いてくる。それにトワが答えれば、隣の少女が感心したように声を漏らした。これが一般的と思われても困るので、注釈を入れるのも忘れない。
和気藹々と話す最中、背中にクロウからの視線が刺さる。おおかた、聞き出すことがあるのなら早く用件を切り出せ、といったところだろうか。
だが、その返答は一瞥して「任しておいて」と言外に告げるのみである。急に何か困っていないかと聞いても、赤の他人にそう易々と相談するものではない。まずは焦らず、会話の中で情報を引き出していくことが大事なのだ。
「何を他人事のように言うとるんや、ベッキー。高等学校に行く気があるのなら無関係と言う訳でもないやろ」
「そらそうやけど……ウチは別に、このまま店の手伝いしとってもええとも思ってるんよ。まだ学校に行くと決めた訳とちゃう」
そんなやり取りをするうちに、親子は親子で何やら揉めていた。話を聞く限り、高等学校への進学を迷っているようだが。
「えっと、娘さんを学校に行かせたいんですか?」
「まあ、そんなところや。勉強の他にも見識を広めて欲しくて前々から勧めとるんやが……」
「でもおとん、ウチだって銭の数え方と客の捕まえ方くらいは分っとるつもりやで。学校に行くよりも、ここで修業した方がためになるんとちゃうんか」
納得いかなそうに反駁してくる娘に、ライモンは「こんな調子なんや」と肩をすくめる。なるほど、とトワも苦笑を浮かべた。
娘は商人の街で商人の子として生まれ育ち、そこで学べることで十分と思ってしまっている。対して父親としてはケルディック以外についても広く知る事で、商人として大成して欲しいと思っている。商売については店番の手伝いくらいしかやったことがないが、そんなところだろうとトワは察した。
「それとちっこい姉ちゃん、娘さんやなくてベッキーでいいで。そないな呼ばれ方したら背中がむずむずするわ」
「え……あ、うん。それじゃあ私もトワでいいけど」
そんな父親の苦悩を余所に、娘ことベッキーは「よっしゃ、トワ姉ちゃんやな」と名を確かめると身を乗り出してきた。
「ウチのことは置いておくとして、ここは商いの話といこうやないか。しばらくしたら夕方のセールなんや。まだ早い時間やけど、今なら特別にお安くしとくで?」
「あはは……なんというか、商魂逞しいね」
「当たり前やないか。これでもケルディック商人の端くれやで。ほら、後ろのちゃらい兄さんも見てきい。今だったらワインがチーズ付きで二割引きやで」
「お、マジか。そりゃあ買わなきゃ損……」
「クロウ、学生の飲酒は御法度だよ」
呆れ顔で窘めるジョルジュに、クロウは「分かってるっつうの」と未練がましい表情で返す。勧めた側も父親に「学生さんに酒を売りつけるなや」と頭を小突かれていた。へーい、と悪びれた様子を見せないベッキーの様子から見るに、最初から冗談のつもりだったのかもしれないが。
苦笑いを浮かべつつも、陳列された商品を見回す。ワインは無理だが、折角だし何かしら買わせてもらおうかと思っての事だ。食品類を扱っているようで、生鮮食品から加工食品まで様々なものがある。
そこで何となく違和感を覚えたのは、トワが店番といえども商売の経験を有していたからだろうか。ふと疑問に思ったことが口に出た。
「えっと、取り扱いは普段から加工食品の方が多いんですか? 見た限り、そんなに生鮮類は多くないですけど」
商品棚に並んでいるもので、半分以上のスペースを取っているのは加工食品だ。ケルディックは穀倉地帯であり、付近に農家も点在している。ならば生鮮食品の方が主流でもおかしくは無い気がするのだが。
トワとしては些細な疑問だったのだが、それを聞いてライモンは痛いところを突かれたような顔になる。頭の後ろを掻きながら困ったような笑みを浮かべた。
「結構、鋭い嬢ちゃんやなぁ……一見変わりないようにしたつもりやったんやけど」
「という事は、何かしら普段とは異なるという事かな?」
「うん、まあなぁ」
こんなこと君たちに話すことじゃないかもしれないが、と前置いてライモンは事情を打ち明けた。
「これでもワシはケルディックの卸売ナンバー1が自慢でな、農家さんとも上手いとこやらせてもろうてん。そんで今日も昼過ぎくらいにポールさんっちゅう人のところから仕入れが来る予定やったんけど……」
「何かトラブルがあったのか、時間になっても来ないんよ。それで生鮮食品がちょいと品薄になっとるわけや」
「品薄もそうなんやけど、ポールさんとこで何かあったんやないかと心配でなぁ。様子を見に行きたいところなんやけど、夕方のセールが近いとなると店を開ける訳にもいかんし……」
「離れるに離れられない、という事ですか」
ジョルジュの言葉に「そういう事や」とライモンが頷く。先ほど遠耳に聞いたライモンとベッキーのやり取りをトワは思い起こす。あの話はこの事に関するものだったのだろう。
悩ましげな顔のライモン。そんな父親にベッキーは胸を張った。
「だからおとん、店はウチに任せて行ってくればいいやん。もう他のとこに負けない客寄せが出来るって分っとるやろ?」
「そうはゆうても、お前の場合は威勢よく値引くもんやから冷や冷やするんや。お母んからカミナリもらうのは、ワシはもう堪忍願いたいで」
「……確かにそれは勘忍やなぁ」
どうやら娘に任せきりにするのも不安が残るようで、悩ましげな顔に渋面が上書きされていた。ベッキーも自覚があるのか、がっくりと肩を落とす。親子は手詰まりに陥っていた。
トワは振り向き、後ろの三人に目配せする。その意図を察した面々は一様に頷いて承諾の意を表す。許可を得たトワは、ライモンとベッキーに向き直って一つの提案をした。
「あの、よかったら私たちが様子を見てきましょうか?」
――――――――――
ところ変わって西ケルディック街道。ライモンから取引先の農家、ポール氏の様子を見てくるよう頼まれたトワたちは、ルナリア自然公園という所の近くにあるという住居を目指して足を進めていた。
日はとうの昔に中天を過ぎ、赤い夕陽となるまでそう時間もないだろう。宿に帰ってからまだレポートも書かなければならない。一行は自然と足早になっていた。
「しかしまあ、あのオッサンも人が良いこった。予定をすっぽかした相手の事を気に掛けてやるなんてよ」
「長期的な利益を重視しているんだろうね。農家さんとの信頼関係を強くすることで、卸先として重用してもらえるようにする。そんなところじゃないかな」
ぼやくように呟くクロウ。それに推測混じりながら返答しつつも、トワは彼の言うことに確かにと思う部分もあった。
商売とは信用の上に成り立つものである。契約通りに履行することが大前提であるし、もし意図的にそれに反したとなれば詐欺などと訴えられることになるだろう。この件に関しても契約が正しく履行されていないのだから、ライモンは商人として怒ってもよかった筈だ。
だが、彼は怒るどころか心配すらしていた。悪く言えば商人としては甘い。良く言えば人情派といったところだろうか。ただ確かなのは、そんな彼だからトワは好感を持ったし、ポール氏の様子を見てくることも提案したという事だ。
「実際のところ、昨今の都会では見かけないタイプの商人だろうね。農家とも客とも距離が近い、大市が開かれているこの町で商売をしているからこそと言ったところか」
「都会じゃ客はともかく農家との距離は遠くなってしまうからね。より大規模な商売を目指そうとすれば、効率化の前で人情は邪魔になりかねないし……」
「ま、だからと言って効率化が悪いって訳でもねえだろ。今やRFみたいな大企業が国境超えて商売しているような時代だ。人情だけじゃやってけねえこともあるさ」
ルーレという都会から出てきたアンゼリカとジョルジュは人情派の商人にあまり縁が無かったらしく、どこか感心したような様子でいた。それにクロウは待ったを掛ける。人情だけでは出来なこともあると。
「要は規模の問題なんだろ。こういう個人間の取引なら人情も大事だが、桁違いのミラが動くようなものじゃ効率が重視されるって具合にな」
「そうだね。大きな会社だと、勝手な判断でちょっとオマケしたりなんて出来ないだろうし……ふふっ」
その意見には概ね同意のトワだったが、思わずと言った感じに笑みが漏れてしまう。やり取りの流れからして笑みの対象が自分だと分かったクロウは「……んだよ?」と疑問を投げかけた。
何事かと問われたトワは漏れ出たものを残しながらも「ごめんごめん」と言う。笑みの理由はごく単純な事だった。
「クロウ君ってば、いつも勉強は面倒くさそうなのに言っている事はすごく真面目なんだもん。少し可笑しくなっちゃって」
「ああ、それは確かに。チャランポランな外見の癖に一丁前の口をきくものだ」
「はは……まあ、確かに普段のイメージとは違ったかな」
「……ったく、普段の俺はどんだけアホに見えてんだっつうの」
それは日ごろの行いのせいじゃないかなぁ、とトワは思ったが、憮然とした彼の顔を見て心の内に留めておいた。これ以上言ったら拗ねかねない。
普段のイメージはともかくとして、今の言動からクロウもただ勉強嫌いな不良学生と言う訳ではないようだ。成績は振るわなくとも、世間に対する知見は養われているように窺える。色々と遊び歩いている中で学んできたのだろうか。
まだ見ぬクロウの一面を発見したようでトワは少し嬉しい気分になる。そんな彼女の心の内とは裏腹に、彼はますます眉間に皺を寄せていった。
「そんなしかめっ面にならなくてもいいじゃないか。第一、普段の君が不真面目という事は否定できないと……」
「おい」
宥めようと言葉を発するジョルジュ。しかし、それは短い声で遮られた。
「――向こうから何か来るぞ」
眉間の皺は不機嫌さからくるものではなかった。遠くを見据え、静かに目に映した事物をトワたちに告げる。三人も表情を引き締め、同じ方向に視線を移した。
「魔獣かい? 街道のど真ん中でやってくるのは珍しいが」
「……ううん。あれは……」
「人、みてえだな」
街道の向こうからやって来る影、それは紛うことなき人間だった。距離が縮まるにつれて、その姿も鮮明に見えてくる。二十代前半くらいの若い男だ。ただ、何故か酷く慌てている。息も絶え絶えで何かから逃げているかのようだった。
一体どうしたのだろうか。不思議に思っていると、相手もこちらに気付いたらしい。青年は最後の力を振り絞るような必死の形相で駆け寄ってきた。
「た、助けてくれえっ!!」
「ふええっ!? お、落ち着いてください!」
「おいおい兄ちゃん、ただ助けてくれっつわれても何の事か分からねえよ」
「お、親父が……親父が……」
青年は助けを求める叫び声を上げながら、トワたちの目の前に転がり込んできた。突然の出来事に慌てつつも、全力疾走してきたらしい青年の背中を擦るトワ。対して落ち着きを払った様子でクロウは事情を聞こうとする。
膝をついて荒い息を吐いていた青年だったが、トワが背中を擦っていたことで少しばかりは話せるようになったようだ。いまだ冷静とは言えない様相だが、途切れ途切れながら言葉を紡ごうとする。
「親父が、魔物に襲われているんだ!」
そしてやっとの思いで紡ぎ出したものは、四人の間に緊張を走らせるには十分なものだった。
「いつも通りに進んでいたら突然襲われて……お、俺は親父に逃げろって言われて、ここまで必死こいて走って来て……早くしねえと親父が……」
「――分かりました。お父さんの事は任せて下さい」
息も絶え絶えに細事を話す青年。そこまで聞いたところで、トワの行動を決定づけるには十分だった。
成年の目を真っ直ぐに見据え、静かに、だが力強く告げる。強い意志を秘めたその瞳から、その判断が翻ることは無いと他の面々も察した。無論、最初から見捨てるなどという後味の悪い真似をするような考えは持っていなかったが。
あまりの即答に目を瞬かせていた青年にジョルジュが歩み寄り、手を貸して立ち上がらせた。
「ケルディックまでは一人で行けそうですか? 怪我をした様子はありませんけど」
「あ、ああ……なんとか」
「それなら貴方は領邦軍に救援を求めてきて欲しい。なに、休憩してからゆっくり行っても構わないよ」
「んじゃま、行きますかね」
クロウのその一言が合図となった。トワたちは全速力で青年が来た道をひた走る。
迅速な判断と適切な行動。そして一片の迷いもなく駆けていった学生服の男女の後姿を、しばし呆然と見つめていた青年だが、はっとして急ぎケルディックへの道を行くのだった。
――――――――――
「このっ! あっちに行きやがれ!」
広々とした街道で、野太い男性の大声が響いた。両手で持った鍬を振り回す。がむしゃらに振るわれるその先にいるのは、大きな角を持った昆虫型の魔獣。俗に『ブレードホーン』と呼ばれるものだ。
面倒な事になってしまった、と男性――ポールは顔を歪める。
得意先に農作物を卸そうと荷車を牽いて出発し、街道の中程に着いた頃にこれである。魔獣除けの導力灯がある道から外れた訳でもないのに襲われる目に会ったとなれば、恨み言を漏らしたい気分にもなるものだった。
「ふーっ、ふーっ、早く助けを呼んできてくれよ、ロビン……」
なんとか逃がした息子が上手くやっている事を願いつつ、じりじりと距離を詰めようとする魔獣と睨み合う。
身の安全を第一にするのなら、息子と一緒に逃げてしまえば良かった。農作物を載せた荷車を置いて走れば、なんとか逃げ切ることは出来るだろう。そも、魔獣が襲ってきた理由も食料となり得るそれにあると考えられる以上、尻尾を巻いて逃げるのが最善の判断だった筈だ。
だが、ポールにそれは出来なかった。得意先の店主は自分を待っているだろう。その期待を裏切る訳にはいかない。何より、手塩にかけて育てた作物を魔獣に喰われるのは我慢ならない。
だからポールは荷車を守るように魔獣たちの前に立ち塞がる。内心、早く助けが来てほしいと絶叫を上げつつも。娘が嫁に行く前に死ぬのは勘弁願いたかった。
瞬間、ブレードホーンが一斉に動き出す。
「むおっ!?」
ポールは農家だ。武術の心得などない。
咄嗟に振るった鍬がブレードホーンの角とぶつかり合い、衝撃で手から弾き飛ばされてしまう。自衛の道具を失い焦る彼を前に、理性なき魔獣たちは悠長に待ちなどしない。
万事休すか。半ば諦めかけるポール。
「そらよっ!!」
「はっ!」
そんな彼の目に飛び込んできたのは、自身と魔獣の間に着弾した水塊と、その後を追うように疾駆してきた白い影だった。水塊――アクアブリードで動きを鈍らせた直近のブレードホーンに強烈な蹴りが叩き込まれる。勢いよく吹き飛んだそれは地に墜ち、それでも衝撃は死なずに転がって土に塗れる。
唖然として白い制服の背中を見つめるばかりのポール。首だけ動かし後ろに目を向けたアンゼリカは優美に微笑んだ。
「間一髪だったようだね。怪我は無いかな、御主人?」
「あ、ああ……助かったよ」
「それは重畳。後は任せて荷車の後ろにでも隠れていてくれたまえ」
どうやら待ち望んだ救援が来たらしい。ホッとしたポールはアンゼリカの指示に従おうとし、そして目に入った彼女に横合いから襲い掛かろうとする魔獣を見て肝を冷やした。
危ない。そう叫ぶのも間に合わないと思われた。
「えいやっ!」
が、その危惧は杞憂に終わる。襲い来る魔獣の直上から刃が突き立てられ、甲殻の間を正確に狙った一撃は相手を地面に磔にし、寸分の差を置いて死に至らしめる。亡骸から得物を引き抜き、血を払ったトワは「もう」と頬を膨らませる。
「先走り過ぎだよ、アンちゃん。クロウ君のアーツに巻き込まれたらどうするつもりだったの」
「フッ、あんなノロマな駆動のアーツに巻き込まれるほど落ちぶれちゃいないさ」
「んだとこんチクショウが!」
「ど、どうでもいいけど、全力で走ってきた割に元気だね、君たち……」
後方からアーツを放ったクロウ、若干息を切らしたジョルジュも追いついてくる。傍から見れば緊張感のないやり取りをしながらも、いまだ残るブレードホーンへの警戒も怠っていなかった。
戦術リンクは相変わらず繋がる様子は無い。それならそれでいい、とトワは思う。機能しないのなら、今はその事を気にせずに戦えばいいだけの事。簡単な連携なら言葉を交わすことで可能となるのだから。
目線で火花を散らすクロウとアンゼリカに「今はダメっ!」と一言注意すれば、さしもの二人も意識を敵に集中させる。まずは安全確保が優先だ。
「アンちゃんとジョルジュ君は前へ! 私とクロウ君で防衛線を張りながら一気に片を付けるよっ!」
応、という掛け声とともに四人は動き出す。完璧な連携には程遠い、だが、確かに共に戦うものとして。
魔獣を駆逐し安全の確保に成功したのは、その数分後の事であった。
「いや、本当に助かったよ。正直なところ、これで女神のもとに召されるかもしれないと思っていたからね」
「はい。ポールさんがご無事でよかったです」
大部分のブレードホーンを倒し、残り僅かも追い散らした後、ようやく安堵の息を吐いたポールにトワたちは深々と頭を下げて礼を言われていた。自己紹介から彼こそがライモンが言っていた件の農家であると知り、彼女たちもまた心の底から安心していた。様子を見に来て本当に良かった、と。
ポールは切り傷や打撲がある程度で大きな怪我は無かったが、大事を取って彼の息子であるロビンが呼びに言った筈の応援を待つことにした。ポールに簡単な応急処置を施していたクロウは「こんなもんか」と完了を告げた。
「ほらオッサン、もう動いてもいいぜ。これに懲りたらもう無茶はしないこったな」
「はは、耳が痛い……と言っても、こんな事が毎度あったらやっていけないのだけどね」
「それについては同意だね。街道のど真ん中でも襲われるとなったら、人の行き来に支障が出るだろう」
今回、ポールが襲われたのは街道の主要道。それなりに人の行き来がある道であり、魔獣除けの導力灯も設置されている。いつも魔獣の襲来があるとなると、街道の利用者としてはたまったものではない。
導力灯があるからといって魔獣の出没が絶対に無い、と言う訳ではない。稀にそういうケースはある。今回がその「稀」に含まれるかどうか、それが問題だった。
しばしすると、街道の周りを調べていたジョルジュが戻ってくる。一同の視線を浴び、彼は肩をすくめて報告した。
「導力灯を一通り調べてみたけど、故障しているものは見当たらなかったよ。そちらの線を原因と考えるのは難しいだろうね」
「そっか……それじゃあ魔獣側に何かあったと考えた方がいいのかな」
「魔獣側の何かつってもなぁ。何かってなんだよ?」
「それは、調べてみないと分からないけど」
ジョルジュの話から導力灯の故障の線が無くなると、後は推測でしかものを語れなくなる。うーん、と首を傾げるトワだったが、これといって思い当たるものは浮かんでこない。強いて言えば、妙に魔獣が興奮しているように見えたくらいか。
「しかし立派なものだね。士官学院の学生さんという話だけど、こうして人の助けになれるのは大事な事だと思うよ。君たちみたいな子がいるのなら、帝国の未来も明るいかな」
「……そういう御主人も随分と胆力があるみたいだがね。襲われておいて大した落ち着き様じゃないか」
褒めちぎってくるポールに苦笑で返すのはアンゼリカだ。彼女の言うことに同意見な三人もうんうんと頷く。今度はポールが苦笑する番だった。
「そんな大層な事じゃないよ。襲われはしたが、こうして命拾いしている。別に不作な訳でも戦争がある訳でもないし、天変地異が起こっている訳でもない。三十年くらい前の大災厄に比べれば――」
ポールの言葉が続いたのはそこまでだった。
「親父ぃ!!」と大声が遠くから響いてくる。聞こえてきた方を向けば、ロビンが大急ぎで駆け寄ってくるところだった。父親の下に辿り着くや否や、彼はペタペタと全身を触っていく。
「い、生きているんだよな。怪我とかしてないよな?」
「ああ、ぴんぴんしているとも。彼女たちのおかげでね」
そうして無事を確認して、ロビンは「はああぁぁ……」と息を漏らしながらへたり込む。きっと緊張しっぱなしだったのだろう。
「……君たち、本当にありがとう。親父の命の恩人に感謝してもしきれないよ」
「いえいえ。当然の事をしたまでですし、そこまで言っていただかなくても」
「そんな事は無いよ。もし親父に何かあったら、姉ちゃんに顔向けできないことになっていた。せめて礼だけでもさせてくれ」
深々と頭を下げるロビンにトワは逆に恐縮してしまうが、それでも彼は頑として譲らない。そこまで言われてしまうと蔑ろにも出来ない。微笑みを浮かべながら「じゃあ、どういたしまして」と返した。
もとより星と女神の巡り合わせという程度に考えていたトワだったが、別にこうして礼を言われるのが嬉しくない訳ではない。頬は自然と緩み、それは他の面々も似たようなものだった。
そんなやり取りも一段落したところで、ポールが息子に向けて問い掛けた。
「それはそうとロビン、領邦軍を呼びに行ったんじゃないのか? 見たところ一人のようだが」
「い、いやまあ確かに呼んできたんだけどさ。あっちの準備が整うのが待てなくて慌てて引き返してきちゃったっていうか……」
恥ずかしげに白状する息子に、ポールは何をやっているんだかという目を向ける。トワとしては親子の絆が見れたようで微笑ましい気持ちになっていたが。
そこでアンゼリカが何かに気付いたように「おや」と声を上げる。視線はロビンが来た方向に向けられていた。
「どうやら噂をすれば影のようだよ」
同じように目を向ければ、そこにはちょうど領邦軍の姿が見える所だった。青い軍服に身を包んだクロイツェン領邦軍の小隊は、武装の小銃を手に駆けてくる。遠目に見てこちらの状況を察したのだろうか。隊長と思しき人物は部下たちに何某か告げると、一人近づいてきた。
「……まったく、助けを求めに来ておいて碌に説明もなく突っ走られては敵わんな。緊急事態だったとはいえ、あまり身勝手な行動はしないよう慎みたまえ」
「はは……す、すみません」
「いやはや、息子がお恥ずかしい真似を仕出かしたようで」
隊長の第一声は自分たちに助けを求めた張本人に対する苦言であった。呆れ顔の彼に親子は頭を下げるばかりである。
次いで意識が向けられることになるのは、当然ながらトワたち四人に対してであった。それで、と隊長は話を続ける。
「我々は魔獣に襲われた領民の救助に来たはずなのだが、事態は既に収拾されていると見える。諸君らの身分に関する事も含め、それについて説明してもらおうか」
「はい。まずは私たちの事なんですけれども――」
若干、高圧的なのは常の事なのだろう。あまり気にせずに促されるままに説明をする。
トールズ士官学院の生徒であり、ケルディックには実習で来ていること。依頼を受けて街道に出た折り、ロビンに出会い助けを求められたこと。急行した先で魔獣を倒してポールの安全を確保し、簡単に調べた結果として導力灯の故障などは無かったこと。
一通り説明し終わる頃には隊長の表情から険も幾分か取れていた。納得したように一つ頷く。
「なるほど。諸君らには我々の手間を省いてもらったようだな。流石は名門トールズと言わせてもらおうか」
「そりゃどうも。で、これから事情聴取とかにでも付き合えばいいんすかね?」
「いや、それには及ばない」
面倒臭そうに詰所に同行する必要はあるのか問うクロウだったが、ほぼ即答で返って来た否定の言葉に眉を顰める。何かしら事件が起きたのなら、当事者の話から調書をとるのは当然の筈だからだ。
「導力灯の故障ではないということは、差し詰め血気に逸った魔獣と出くわしただけだろう。周辺を巡回して安全の確認をするだけで構うまい」
「あの、本当に簡単に調べただけなので、決め付けるには早いんじゃないでしょうか? もう少しちゃんと調べた方がいいんじゃ……」
「このケルディック周辺については治安を守る我々、領邦軍が最も熟知している。心配は無用だ。諸君らは諸君らで早々に町へ戻り、実習とやらに励むといい」
そう言い残すと、隊長は小隊を引き連れてその場を去った。言葉通り、周辺の巡回にだけ向かうのだろう。言いたい事だけを言って行ってしまった態の彼らに、一同は微妙な表情にならざるを得ない。
巡回をするとは言っても、今回の原因も判然としない状況ではあまり効果があるとは思えない。それでも隊長が聞く耳を持たなかったのは何か理由があっての事なのか。
「いつもあんな感じなんだよ、領邦軍って」
脳裏にそんな疑問が渦巻くトワの耳に届いたのは、これまた表現しづらい面持ちのロビンの声であった。
「大市で喧嘩の仲裁とか街道の巡回をしてはいるけど、それだけさ。こっちが何か頼んでも聞き入れちゃくれない。さっき呼んできた時も面倒くさそうな対応だったんだ。巡回っていうのも、きっと形だけ何かしたという事にするためのものだよ」
「えっと、領邦軍は治安維持のための軍隊なんですよね。魔獣被害の調査とかは仕事に含まれないんですか?」
「……まあ正直なところ、彼らがそういった事に精を出してくれたのは本当に数えられるくらいだね。町にも影響が出るようなどうしようもない時くらいさ」
親子二人の話を聞く限り、領邦軍というのは領民のために積極的に動くようなものではないらしい。そういった実態にまで聞き及んだことのなかったトワとしては、どうにも首を傾げてしまう内情である。
もう少し詳しく聞いてみたい。知識欲に似た感情が鎌首をもたげた時だった。
「――領邦軍はあくまで貴族の保有する私兵。ワシらの言葉に耳を傾けないのも仕方あるまいよ」
話の輪の外より、聞き覚えのない声が飛び込んでくる。振り返った先にいたのは身なりの良い白髪の老人だった。見覚えもなかったので思わず首を傾げてしまう。
だが、ポールとロビンはその限りではなかったらしい。老人の姿を認めるや否や素っ頓狂な声を上げた。
「も、元締め!? どうしてこんなところに!?」
「ロビン君が血相を変えて領邦軍に訴えかけているのを見掛けてな。これは何かあったに違いないと思って後を追ってきたのだよ。いや、魔獣に襲われたそうだが、無事でよかった」
心からポールたちの無事を喜ぶ元締めと呼ばれる老人。その目が「それで」とトワたちの方に向けられ、口元ににっこりと笑みを浮かべた。
「君たちがトールズ士官学院の学生さんという訳か。ワシの名前はオットー。大市の元締めを務めておる。よければ、少し時間を貰ってもいいかの?」