永久の軌跡   作:お倉坊主

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今回は1日の依頼活動を描いたのですが……実際にやるとなるとメチャクチャ忙しいな、これ。人手が足りないというのも頷けます。

あと那由多の軌跡未プレイの方が思ったより多いようなので、後書きで簡単な用語解説みたいなものを始める事にしました。初っ端から原作の過度なネタバレにはならないように注意していきますが、何かご意見がありましたら感想の方にお願いします。


第6話 初活動

 依頼という形で複数の仕事を受ける際、注意しなければいけない事がいくつかある。

 まずは優先順位。緊急を要する場合は即座に動き出さなければならないし、そうでなくても依頼人の都合で時間が合わない可能性もあるため、ミスマッチしないように回る順番を調整しなければならない。誰もが常に手が空いているとは限らないのだ。

 次に並行して仕事を進める事。依頼は基本的に色々な場所を巡って依頼主の要望に応えていく形になるのが多い。複数の依頼がある場合、その巡る場所が重複する事も少なくないため、一度にその場所での用事を済ませておく方が効率的だ。後になってもう一度行く、となると無駄な時間がかかる。

 そして最後に、長時間に渡って拘束されるような仕事――特に書類整理とかは後に回す事。子守とか農作業の手伝いなど時間が決められている場合は適用されないが、単なる書類整理となると後々に回すしかない。一度やり始めたら抜け出す訳にもいかず、その間に他の仕事の機を逃しかねない。それに、この類は大概が後日に関するものだ。最終的に夕方くらいまで掛かっても問題は無いだろう。先に挙げた優先順位の考えからも必然的に後回しになる。

 その3つの経験則から会長から渡された依頼を吟味する。内容は様々。だが、なんとか経験に当てはめられそうだ。

 

「学食の新メニュー考案、商工会の回覧板捜索、サラ教官のお手伝い……本当に色々あるなぁ」

 

 食堂はきっと昼時になると混雑して依頼の話どころではなくなる筈だ。まずはここを初めに訪ね、その後に商工会の依頼があるというトリスタの街に向かうのが妥当な所だろう。

 ……サラ教官からの依頼は申し訳ないが後回しだ。文面からして仕事で手が回らなくなって困っているのだろうが、あまり緊急性はなさそうだ。他のものを片付けるまで頑張ってもらうしかない。

 

『というか、あの教官って新しく入って来た人なんだ。なんだか堂々としていたし前からいる人だと思っていたの』

「うーん……学院長から色々と任されているみたいだし、特科クラスを作るために連れてきたんだろうけど」

 

 会長の言っていた「新任教官」という言葉を思い出し、その割に色々と勝手にやっているなぁ、と苦笑を零す。落とし穴の件は既にトワの中では笑い話になっていた。

 まあサラ教官については考えても仕方がない。本人が気の向いた時に話してくれるのを待つしかないだろう。

 よし、と一息ついて頭を切り替える。回る順番を決めたのなら後は行動あるのみだ。

 

「じゃあ行こっか」

『うん!』

 

 つま先をトントンと整えて動き出す。まずは学生会館一階の食堂である。

 

 

 

 

 

「はあ、そうかい。トワちゃんが生徒会にねぇ……頑張るのもいいけど、ちゃんと休みを取るんだよ? 旦那が文句を言わない程度にはサービスもしてあげるからね」

「あはは、分かりました。ありがとう、サマンサさん」

 

 生徒会室のある二階から降りてくれば、購買と目的の食堂が入っているラウンジはすぐそこだ。カウンターにいる食堂のおばちゃんことサマンサに事情を説明すると、感心と心配が入り混じったような表情で気遣われた。

 どうもトワの事を気に掛けているらしく、こうして何かと世話を焼こうとしてくれる。その理由が自身の容姿にあると思うとトワとしては複雑だ。

 だがまあ、今それは関係ない。コホンと咳払いして話を仕切り直す。

 

「それより依頼を出してくれていたんですよね。新メニューの考案ってありましたけど、具体的には何をすればいいんですか?」

「ああ、それはね――」

「それは自分が説明しよう」

 

 カウンターの奥からぬっとコック帽をかぶった男性が現れる。調理担当のラムゼイである。

 

「おや、仕込みは終わったのかい?」

「うむ、昼時に食べ盛りの学生が押し掛けてきても大丈夫だろう。それで、依頼の件だったな」

「そうですけど……もしかしてラムゼイさんの方が出した依頼だったんですか?」

「切っ掛けはな」

 

 普段は調理場に籠っていて目にすることの少ないラムゼイ。トワはサマンサと初対面の時に、色々と根掘り葉掘り聞かれているところに仲裁に入ってきたので見知ってはいるが、あまり話さない寡黙な性格だと思っていた。そして、依頼を出すにしてもサマンサの提案によるものだろうと。

 だが、実際のところは違ったようだ。トワは彼の話に耳を傾ける。

 

「この食堂は平民生徒は勿論、貴族生徒も利用する。中には味にうるさいのもいるが、その口を黙らせる料理を提供できているつもりだ……が、いつも同じレパートリーでは飽きも来る。だから定期的に新メニューも考えなければならない」

 

 ふんふんと頷く。この食堂は割とよく利用しているし味も満足のいくものだが、それなりの苦労もあるらしい。

 ラムゼイは「そこでだ」と続ける。

 

「普段は私が一から考えているのだが、今回は生徒からの意見を取り入れてみようと思ってな。こうして生徒会に依頼させてもらった次第だ」

「あたしたちもこの道ウン十年と続けているとはいえ、無限に新しいメニューがポンポンと湧いてくるわけじゃないからねぇ。旦那がこう言っている事だし、学生さんからアイデアを貰おうと思ったのさ」

「なるほど」

 

 依頼の経緯は理解出来た。そして、それなりに重要な役目を任されることになる事も。

 自分のアイデアが学食のメニューに載るとなると、やや緊張するものがある。そういった事に関わっていける事に楽しみを覚えなくもないが、今のトワには楽しむほどの余裕が無かった。

 

「それでは早速アイデアを聞いていきたいのだが」

「はい。やっぱり新メニューとなると、目新しい感じがあった方がいいんですよね」

「そうだねぇ。あとウチは食べ盛りの年頃を相手にやっているから、ボリュームもあった方が好まれる傾向があるかね。部活帰りの若い子たちがたらふく食っていくもんさ」

 

 目新しさがあって、ボリュームもあるもの。

 幸い、トワは料理を得意にしている伯母の影響もあってそれなりのレパートリーを持っている。提示された条件に該当しそうなメニューも幾つか思い当たる。

 その中に、まさにピッタリなものがあった。

 

「それだったら『島ロコモコ』がいいかもしれません」

 

 トワの言葉に首を傾げる二人。聞き覚えのない料理だったのだろう。

 実際、故郷で昔に流行っていたというかなりローカルなものだ。いくら熟練の料理人といえども、本土の人間が知らなくても無理はない。

 

「えっと、白米の上にハンバーグと目玉焼きを乗せて野菜を添えた料理なんです。漁師の人たちに人気の料理だったそうで、学生向けにもいいかなって」

「ふむ……聞く限りは中々良さそうだな」

 

 ラムゼイの反応も悪くなさそうだ。思い切ってトワは一つの申し出をしてみた。

 

「よかったら私が実際に作りましょうか?」

「いいのかい? トワちゃんだって他にもお仕事があるだろうに」

「いえ、そこまで多くはありませんし……それに自分の故郷の郷土料理みたいなものでもあるんです。ちゃんとお二人にも食べてもらって、それから決めてもらいたいと思うんです」

 

 島ロコモコは故郷に伝わる名物の一つ。帝国本土から遠く離れた島の文化である。帝国領に属しているとは言っても、やはり本土の人には馴染みが薄い。

 だからこそ、広めるのならちゃんとした形で伝えたい。自分が受け継いだ文化を目にして、口にして、実際のものを知ってから決めてほしい。この一種の異文化交流でトワが望むことだった。

 文化、特に食文化というものはその土地に合わせて変化していくもの。だから本来の島ロコモコと異なるものに結果的になったとしても構わないが、自分が直接伝える事になる二人には少なくとも元の形を知っておいてもらいたいのだ。

 

「……分かった。それでは頼むとしよう。厨房に入ってくるといい」

「はいっ!」

 

 トワの真剣な目に気付いたのだろう。ラムゼイは深く頷くと躊躇なく自分の領域に招き入れた。

 

「食材は好き使って構わない。何か足りないものはあるか?」

「そこまで特別な食材は必要ないから大丈夫だと思いますよ。挽き肉、野菜に白米と……あっ」

 

 張り切って厨房に立ったトワだったが、食材を吟味しているところである勘違いをしていた事に気付いた。故郷と本土では文化が異なる。ならば食材にも微妙な違いがあって然るべきなのだと。

 

「すみません、ヨルド卵ってありますか?」

「ヨルド卵というと海藻を粉末にしたエサで育った鶏が産むアレかい? 残念だけど、ウチだと仕入れていないねぇ」

「それが無いと問題なのか?」

「いえ……普通の卵でも大丈夫だと思うんですけど、ちょっと違いは出ちゃうかもしれません」

 

 故郷で使っていた卵は地元の農家が生産したもの。そして孤島で鶏に与えるエサとなれば自然と海産物を粉末にしたものなる。だからトワの中では卵といえばヨルド卵という認識だったのだが、本土は内陸の方が圧倒的に多い。食堂に置いてないのも仕方のないことだった。

 普通の卵を使っても大きな問題は無いだろう。だが、微妙な風味や栄養価に違いは出てしまいかねない。ちゃんとした形のものを伝えたいと言った手前、トワとしてはこだわりを持って作りたいところだ。

 とはいえ食材が無ければどうしようもない。妥協もやむなしかと思っていたところに、何がしか考え込んでいたラムゼイが「ふむ」と呟いた。

 

「もしかしたら《ブランドン商店》になら置いてあるかもしれん」

「ほ、本当ですか?」

「うむ。あそこは規模の割に品揃えがいいからな。ヨルド卵も取り扱っているのではないだろうか」

 

 トリスタの街にある雑貨屋《ブランドン商店》。食品やその他諸々の雑貨を取り扱っている店で、学生には有り難い良心的な値段で提供してくれている事で有名だ。

 そこならヨルド卵が置いてあるかもしれない。ならばダメもとでも行く価値はあるだろう。

 

「じゃあ、ちょっと行ってきます。お昼までに戻ってくれば大丈夫ですか?」

「そうだね。正午を過ぎたら客が入ってきて余裕がないだろうけど、11時くらいまでに戻ってきてくれたら調理の時間も取れるだろうさ」

「分かりました!」

 

 タイムリミットは11時まで。それまでにヨルド卵を持って食堂に戻ってこなければならない。

 依頼の進捗状況を学生手帳に書き込んだトワは二人に一礼すると学生会館を後にし、トリスタの街に小走りで向かった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「一手間かかる事になっちゃったけど、ちょうど良かったとも言えるかな。商工会の依頼を出してたのも《ブランドン商店》だったし」

『食堂に余裕があるのは11時まで……まだ時間はあるし、先に商工会の依頼をこなしてもいいかもしれないの』

 

 トワもノイと同じことを考えていた。依頼内容の回覧板の捜索というものがどれだけ時間がかかるかにもよるだろうが、ここで機を逃せばもう一度トリスタの方に来なければいけなくなる。サラ教官も待たせている事だし、無駄な手間は省くべきだ。

 算段を立てながら学院からの坂を下り、トリスタの街に降りてきたトワ。目的の《ブランドン商店》は公園に面した様々な店が立ち並ぶ通りの一角にある。

 親の手伝いで店先の掃除に精を出していた少女に「こんにちは」と挨拶すると、不思議そうな顔をされた後に「こ、こんにちは」と戸惑い気味に返された。

 何故だろう。普通に挨拶しただけなのに。

 傍からすればトワも少女もあまり年が変わらないように見える事など露知らず、ささやかな疑問を感じながら《ブランドン商店》の戸を開けた。

 

「おう、らっしゃい。何か入り用かい?」

 

 中に入ると中年の男性が陽気な声で出迎える。店主のブランドンだ。

 学院の生徒を含めて何人か客はいるが、どうやら手は空いているようだ。早速トワは用件を告げる事にした。

 

「入り用と言えば入り用なんですけど、先に別の用件があって。生徒会に依頼された商工会の回覧板の件で伺ったんです」

「ああ、昨日に頼んだあれか。嬢ちゃんが引き受けてくれるのかい?」

「はい。まだ見習いみたいな感じですけど、精一杯やらせてもらいます」

 

 ブランドンからは少し心配するかのような様子が窺える。トワに任していいものかと考えているのだろう。

 新入生のトワは、まだトリスタの人たちと十分な関係を築けていない。だから示せるのは誠心誠意、任された仕事を最後までやり切る事だけだ。

 しっかりと見つめ返すトワに、ブランドンは頷いた。

 

「……うし、分かった。嬢ちゃんに任せるとしよう。依頼の内容を聞いてくれや」

「えっと、商工会の回覧板の捜索と聞きましたけど」

「まあ、そこまで小難しい話じゃねえさ。トリスタの商工会では回覧板を回して色々と情報共有をしているんだが、これがどこかでぱったりと途絶えちまってな。それがどこで止まっているのか探してきてほしいって訳だ」

「なるほど。誰かが次の人に回すのを忘れて、そのまま持ってるかもしれないっていう事ですね」

「そういうこった」

 

 回覧板という、それなりに大事なものを紛失したままというのは些か問題だ。かといって店を持つ身としては探す手間が惜しい。だから生徒会に頼むことにしたのだろう。

 しかし、このトリスタの商工会に属する店はそれなりに多いと思われる。闇雲に探すのは流石に無謀だろう。

 何か捜索の指針になる情報が欲しいところだ。少し考え込み、トワはブランドンに尋ねた。

 

「ブランドンさん、回覧板が回る順番って分かりますか?」

「一応、代表だから知ってはいるが……そんなので何か役に立つのか?」

「順々に辿っていく事で分かる事もありますから」

 

 少なくとも、見落としをしたりすることは無くなるだろう。些細な情報でも何か役に立つときがあるものだ。

 

「それじゃあ順番に言っていくとしよう。最初がウチで次に西口近くの《トリスタ放送》。そこから順に喫茶・宿泊《キルシェ》、ブックストア《ケインズ書房》、ガーデニングショップ《ジェーン》に質屋《ミヒュト》、最後にブティック《ル・サージュ》を回って戻ってくるっていう順番だ」

「《トリスタ放送》から通りに沿っていく感じかな……どこに回覧板が来ていないとかは分かっているんですか?」

「隣の《ル・サージュ》には来ていないそうだが、それ以外は今のところさっぱりだ。すまんな」

 

 申し訳なさ気なブランドンに「いえ」と気にしないように言う。

 それに大まかながら必要な情報は揃った。後は順番に訪ねていくだけで事足りるだろう。

 

「じゃあ一通り回って来てみますね。回覧板が見つかったらどうしましょうか?」

「そうだな、止まっていたところの次に回してくれや。こっちへの報告はその後で頼む」

「分かりました……っと、そうだ」

 

 商工会の依頼については聞き終わった。ならば、もう一つの用件も片付けておかねば。

 

「別の話になっちゃうんですけど、ヨルド卵って置いてありますか?」

「ヨルド卵? それだったら数は少ないが多少は置いてあるぞ」

 

 不思議そうな顔をしたものの、ブランドンはすぐに後ろに引っ込むと手早く所望した品を持って戻ってきた。特徴的な茶色の殻、間違いなくトワの探していたヨルド卵だ。

 もっとも、これは故郷とは別の産物には違いない。地鶏に近い性質の故郷のものとは微妙に風味も異なるだろう。

 それでも普通の卵と比べたら断然いい。お代を払うのに躊躇いは無かった。

 

「えへへ、ありがとうございます。それじゃあ行ってきますね」

「毎度あり。初仕事、頑張れよ!」

「はい!」

 

 激励に元気よく返事をして、トワは再び街に繰り出した。

 

 

 

 

 

「回覧板か? 俺のとこはちゃんと見たぜ。ドリー、その後ケインズさんにも届けたよな?」

「ええ、いつも通り持っていきましたよ」

「そうですか……教えて下さってありがとうございます」

 

 回覧板を探してトリスタの商店を訪ね始め既に二軒目、《キルシェ》も回し忘れている訳ではなさそうだった。店主のフレッドもウェイトレスのドリーも閲覧して次のところに届けたことを記憶していた。

 前の《トリスタ放送》にも問題はなかった。どうやら最初の方はいつも通りに回っていたらしい。となると、いったいどこで滞ってしまったのやら。

 まばらに学生も見える客席に視線を向けながら考えてみるも、はっきりとした答えなど浮かんでくるはずもない。やはり一軒ずつ確かめていく他ないだろう。

 

「うーん、それにしてもトワちゃんは偉いなぁ。こんなに小さいのに生徒会のお仕事を頑張っているなんて。お姉さん、感心しちゃうわ」

 

 そんなトワの内心など知る由もなく、ドリーはうんうんと頷いている。その目は完全に年少者に向けるものである。向けられる側としては苦笑いしか浮かんでこない。

 

「えっと……入学式の日にも言いましたけど、私これでも17ですよ」

「ごめんごめん。知ってはいても見た目とつり合っていないから、ついつい年下扱いみたいになっちゃって。早く慣れたいとは思っているんだけど」

「いえ、別に無理して態度を変えてもらわなくてもいいですよ」

 

 いちいち伝えらなければ年齢が分かってもらえないという煩雑さはあるが、トワは別に自分の容姿にコンプレックスを抱いている訳ではない。ドリーのような態度を取られるのもよくある事だ。とうの昔に慣れているし、嫌な気持ちになる事もない。

 ただ自分も周りの生徒と変わらない歳である事は知っておいて欲しいだけである。それを除けば妙に可愛がられようと、そういうものとして受け入れられる。

 もとより身体の成長については考えても仕方がない事なのだ。自分の容姿が与える印象が原因である事も分かっているし、相手に多くを求めるつもりは無い。

 

「まあ、なんにしてもお疲れさんだな。最初の自由行動日から生徒会の仕事なんて随分と働き者じゃねえか」

「そ、そうですか?」

「そうよ。少なくとも、この目の前の店主よりはね。フレッドさん、いい加減にアレを買い直さなきゃ不味いですよ」

「むぐっ……藪蛇だったか……」

 

 ドリーの指摘にフレッドは渋い顔になる。そういえば店に入った時に何やら話し込んでいた気がするが。

 

「買い直さなきゃって、何か壊れちゃったんですか?」

「あー……実は今朝方、導力ミキサーがお亡くなりになっちまったみたいでな。外側は問題なさそうなんだが、スイッチを入れてもうんともすんとも言わねえんだ」

「おかげさまでジュースの類が作れなくてね。ウチは基本的にコーヒーとか紅茶の方が売れ筋だけど、たまに子供も来るから放っておく訳にもいかないの。だから早く買い直そうって言っているんだけど……」

「いや、でも見た感じは問題なさそうなんだぜ? きっと中の回路の問題なんだ。ちょいと修理すればまだ使えるのに、さっさと買い直すっていうのは……」

「もったいなくて納得できない、と」

 

 情けなさそうな表情でフレッドは力なく頷いた。隣のドリーから注がれる「仕方がない人ですねぇ」とでも言いたげな視線が痛そうだ。

 とはいえフレッドの気持ちも分からないでもない。たかが導力ミキサーといえども大事な商売道具、出来るだけ長く使っていきたいと思うのも間違いではないだろう。それに買い直すにしても経費という問題がある。

 

「そう言うなら早く直してくださいよ。ルーディ君もカイ君も午後になったらきっと来ますよ?」

「ううむ……それはそうなんだが、残念ながら俺はそこまで機械に強くないと言うか……」

 

 直したいとは思っていても技術が追いついていないらしい。この様子だと遠からずフレッドは押し切られる事になりそうだ。

 ドリーはドリーで子供たちに残念な思いをさせたくないという気持ちで買い直しを勧めているのだろう。それは否定するべきものではない。だが、そのためにフレッドの気持ちを切り捨てるのは早計に思える。

 壁に掛けられた時計を見て時刻を確かめ、まだ余裕はあると判断する。サラ教官を更に待たせる事になるのは申し訳ないと思うが。

 

「――あの、よかったらその導力ミキサー、直してきましょうか?」

 

 困っている人を放っておきたくない。

 そんな単純な気持ちでトワは追加の依頼を背負い込むことにした。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「……それで、僕のところに持ち込んできたと」

「うん。ちょっと工具と場所を借りていいかな? そんなに時間は掛からないと思うから」

 

 壊れた導力ミキサーを預かったトワは一度学院に戻り、昨日に訪れた技術棟に再びやって来ていた。目的はもちろん導力ミキサーの修理。作業着らしい黄色のツナギを着たジョルジュに事情を話すと、ちょっと困ったような顔をされた。

 

「それについては別に構わないけど……トワが修理するつもりなのかい?」

「うん、そうだけど。導力灯の修理とかもやった事があるし、あまり難しくないものなら出来ると思うよ」

 

 事情があってトワは母親や伯父から色々と技術関連の事も教わっている。もっとも、それらは一般に流通している導力製品とは異なるものなので、簡単な修理とかにしか応用が利かないのだが。

 それでも導力ミキサー程度なら何とかなるだろう。壊れているのが内部の結晶回路だけなら尚更だ。

 しかし、それでもジョルジュは「そうか……」と呟くだけで表情が晴れない。何か問題がある……いや、どちらかというと何か思うところがあるような様子だ。

 

「……トワ、生徒会の依頼で色々やっているみたいだけど、これの他に仕事とかは残っているのかい?」

「そうだねぇ。修理が終わったら食堂の方に急いで行かないと約束の時間になっちゃうし、その後は修理したのを《キルシェ》に届けて、また回覧板探しを再開して……最後にサラ教官のお手伝いもあったっけ」

「ず、随分とハードスケジュールだね……」

「そうかな? 色々な人の依頼があってやりがいはあると思うけど」

 

 けろっとした顔で大量の依頼を「やりがい」の一言で片付けるトワに、ジョルジュは苦笑いを浮かべる。それに対してトワは首を傾げるだけだ。

 それはさておき、ジョルジュの方も何やら腹を決めたようだ。いまいち調子が上がらなさそうだった表情を改め、トワに一つの提案を持ちかけた。

 

「そんなに忙しいなら、この導力ミキサーの修理は僕に任せてくれないかな? 食堂の方で用事が終わる頃には仕上げておくからさ」

「え、それは助かるけど……いいの?」

 

 あくまで修理できる程度の知識しかないトワがやるより、確かな技術士としての腕前を持っているジョルジュがやった方が良いのは自明の理。加えて修理してもらっている間に食堂の依頼もこなせるのならば手間も随分と省ける。

 だが、それはジョルジュに自分の受けた依頼を肩代わりしてもらうようなものだ。報酬が払える訳でもないし、何よりトワ自身が申し訳なく感じる。

 そんなトワの問い掛けに、ジョルジュは「構わないさ」迷いなく答えた。

 

「正直、一人で機械いじりをしていても面白くないからね。それだったら何か人の役に立てることをしたいと思ったんだけど……駄目かな?」

 

 遠慮がちに聞いてくるジョルジュ。その理由を聞いてトワに否という選択肢は無かった。

 

「そんな事ないよ。むしろ、こっちからお願いするよっ!」

「はは、分かった。任せてくれ」

 

 抱えていた導力ミキサーをジョルジュに引渡し、改めてお願いする。

 これで修理に関しては心配いらないだろう。早速、食堂に行って島ロコモコの実食をしてもらって……

 と、算段を立てているとジョルジュの顔が目に入った。やけに微笑ましそうな目で見てくる彼に、トワはきょとんとしてしまう。

 

「えっと……どうかしたの?」

「いや、大したことじゃないさ」

「それでも、そんな目で見られたら気になるよ」

 

 むっとするトワに「ごめんごめん」と笑いながら謝るジョルジュ。観念して理由を口にする。

 

「すごく真剣で、それでいて楽しそうな表情をしていたからさ。本当に充実した自由行動日を過ごしているんだなって」

 

 予想外の答えに目をパチクリする。が、彼の言う事は決して間違いではなかった。

 依頼を受けて学院やトリスタの街を飛び回って、色々な人を出会って、色々な事を知って……もしかしたら入学してから一番充実していると言えるかもしれない。その事実を彼の言葉から自覚し、口元に自然と笑顔が浮かぶ。

 トワは満面の笑みで「うんっ!」と頷いた。

 

 

 

 

 

 綺麗に焼き上がったハンバーグを皿に盛られた白米の上に丁寧に乗せる。後は前もって作っておいたグレイビーソースをかけ、半熟に仕上げたヨルド卵の目玉焼きと野菜を添えれば完成である。

 

「お待たせしました。こちらが『島ロコモコ』です」

「ふむ……」

「なかなか見栄えもいいじゃないか。これは味が楽しみだねぇ」

 

 ジョルジュに修理を任せ食堂に戻ってきたトワは、早速「島ロコモコ」の調理に取り掛かっていた。

 厨房内のテーブル。そこに着くラムゼイとサマンサに、試食用に作った一皿と取り分け用の小皿二つを渡す。あくまで仕事の合間の試食なので一皿で十分だろうというラムゼイの言葉によるものだ。

 見た目の評価は悪くない。あとは味の問題。トワは緊張の面持ちで、取り分けた分をそれぞれ口に運ぶ二人の様子を見守る。

 

「……うん! 十分においしいよ、トワちゃん。これならそのまま出してもいいくらいさ」

「ほ、本当ですかっ?」

「あたしが料理に関して嘘なんて言うもんか。本当に決まっているだろうに」

 

 まず反応を見せたのはサマンサ。思わぬ高評価にお世辞ではないかと疑うが、清々しい笑顔で一蹴された。ひとまずホッと息をつく。

 

「…………」

 

 そして肝心の依頼人であるラムゼイはというと、腕を組んで黙したまま何か考え込んでいた。その表情は普段と変わらない仏頂面で、何を考えているかは察しがつかない。

 評価待ちのトワとしてはハラハラものである。呆れた様子でサマンサが口を開いた。

 

「あんた、いい加減に感想を言ってやりな。トワちゃんが不安がっているじゃないか」

「む、すまない。少し思うところがあってな」

「えっと、それでどんな感じでしたか?」

「味は文句なしに美味い。ジューシーなハンバーグとそれに絡む半熟の黄身、白米を食べる手も進む。ヨルド卵に加えて野菜もふんだんに使っているから栄養面でも優れているだろう」

 

 ラムゼイは「それと」と付け加える。

 

「ハンバーグをチキンや魚に変えてもイケると思ってな。色々とバリエーションが作れそうだ……学生向けなら丼ものにしてもいいかもしれん」

「勢いよく掻き込んでいく子もいるからねぇ。丼の方が白米も多く盛れるだろうし」

 

 とんとん拍子で新メニューの構想を立てていくのを見て、トワは思わず声を漏らした。

 流石はプロの料理人である。ここらへんが普通の料理が上手な人との違いなのかもしれない。伯母も味についてはプロに見劣りしないが、食べてもらう人に料理を即座に最適化していくような能力は持っていなかったように思う。

 関心の気持ちでやり取りを眺めていると二人がトワに向き直る。その顔はとても満足そうだ。

 

「トワちゃん、ありがとうよ。これなら満足いく新メニューが作れそうだ」

「個人的にも勉強になった。礼を言わせてもらうぞ」

「えへへ、お役に立てたなら嬉しいです。新メニュー、楽しみにしていますね」

「ああ。完成したら是非とも感想を聞かせてくれ」

 

 これにて食堂の依頼は完了である。

 去り際にお礼として色々と食材を貰ったが、無表情なラムゼイがうっすらと浮かべた笑みがトワにとって何よりの報酬だった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「フレッドさん、すごく喜んでくれていたね。やっぱりジョルジュ君に頼んで良かったよ」

『直るどころか新品同然になって返ってきたら誰でも喜ぶの。まあ、おかげでお昼をご馳走してもらえたわけだけど』

「貰ったお菓子も後でジョルジュ君に渡さないとね」

 

 時刻は1時過ぎ。トワは再びトリスタの街に引き返してきていた。

 ジョルジュに修理してもらった導力ミキサーは無事に《キルシェ》に送り届けた。結晶回路の他に細かい不具合も全部直って戻ってきた事にフレッドはいたく感動し、トワとその場に居ないジョルジュに感謝した。

 お礼として昼食をご馳走になり、ジョルジュに渡して欲しいと頼まれたお菓子の包みを預かって《キルシェ》を出たのが30分ほど前。今は回覧板探しを再開して人気の無い裏道を歩いているところである。

 

『それにしても本屋も花屋もハズレだったなんて……これなら逆から探した方が早く辿りつけたの』

「そんなの言ってもしょうがないよ。気にしない気にしない」

 

 人目がないのをいい事にブツブツと文句を零すノイの言う通り、《キルシェ》の後に訪ねたブックストア《ケインズ書房》にもガーデニングショップ《ジェーン》にも回覧板は無かった。となれば残るのは質屋《ミヒュト》のみ。逆回りで探せば一番に訪れた筈であった。

 だが今更そんな事を言っても仕方がない。それに順番に回ったからこそフレッドが困っている事に気付けたのだ。悪い事ばかりではないだろう。

 通りから外れた坂道をしばらく下っていけば、少し陰気な雰囲気が漂う店先が見えてくる。ノイに静かにしてもらい、トワは《ミヒュト》の戸を開けた。

 

「ごめんくださーい」

「あん? 客か……げっ」

 

 挨拶しながら店内に入ると、ものぐさそうな店主ミヒュトの呻くような声が出迎える。その客相手にあるまじき行為にトワは眉尻を下げた。

 

「あの……初めて来た時もそんな感じでしたけど、気付かないうちに何かご迷惑を掛けていましたか?」

 

 トワがこの質屋を訪れるのは二回目。そして初回に訪れた際も似たような反応をされたのを覚えている。まるで厄介な相手がやって来たように、酷くげんなりとした顔をされたものだ。その時はなんだかんだで誤魔化されたが、二回目ともなると偶然ではあるまい。

 しかしながら、トワにそんな反応をされる事をした覚えはない。ならば知らず知らずのうちに不利益を被らせていたのかと思ったのだが、額に手をやり「あー……」と声を漏らすミヒュトの様子を見るにそういう訳でもないらしい。

 

「……いや、別に嬢ちゃんは悪くねえ。だがまあ個人的な事情があってな。そこらへんは突っ込まんでくれ」

「は、はあ」

「そんで、今日は何の用だ? こんな辺鄙な店に来たからには用件があるんだろう」

「はい。それなんですけど――」

 

 口早に話を切り替え、こちらに用件を話すよう促してくるミヒュト。

 なんだか、また誤魔化された気もするが無理に追及する事もないだろう。トワは大人しく回覧板の件を口にする。

 

「回覧板? それが俺のところにあるって言うのか?」

「えっと……無いんですか?」

 

 が、何やら不穏な流れになってきた。

 ここに無いとなると本当にどこに行ったのか分からなくなる。そうなると非常に不味い。依頼を達成できるか怪しくなってくるくらいだ。不安で表情が蒼褪める気がした。

 

「ま、待て。確かに回ってきた回覧板に目を通したところまでは覚えている。そこから先がどうも思い出せなくてな」

「次の《ル・サージュ》には回って来ていないそうなので、たぶんミヒュトさんが持っていると思うんですけど……目を通してから、どこに置いたかは覚えていますか?」

「記憶が定かじゃないが、いつも通りだったら向こうのテーブルに――」

 

 そこまで言って、指差したカウンター奥のテーブルを見た途端にミヒュトは動きを止めた。つられて視線を移したトワも同様である。

 ――物の山。そう言うしかないほどに物が雑多に積み上げられた光景が広がっていた。他は意外と整理が行き届いているのに、そこだけが急いで体裁だけ取り繕ったかのように適当に物を置いたまま放置されている。

 固まる事たっぷり5秒ほど。苦々しい表情になったミヒュトが呟いた。

 

「そういや回覧板に目を通した後に大量の質が流れて来て、面倒でそのままにしてあったんだったな。しばらくしたら片付けようと思っていたが……」

「もしかしなくても、あの山の下ですよね」

「……だろうな」

 

 ふうと大きな溜息を零して、ミヒュトはカウンターの椅子から立ち上がる。物凄く面倒臭そうな彼の様子にトワは苦笑いを浮かべた。

 

「えっと、お手伝いしましょうか?」

「……ああ、頼む」

 

 物の山を片付け、その跡地から回覧板を発見したのはそれから1時間後の事であった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「――それで、あたしは後回しにされたと。およよ……トワにとってあたしはその程度の存在だったわけね……」

「はわわっ! その、決してサラ教官を蔑ろにしたとかそういう訳じゃなくて!」

「やーねぇもう、そのくらい分かっているわよ。アンタは本当に冗談が通じないわね」

「え……あ、はい。よく言われます」

 

 回覧板を無事に回収し、その後の処理と報告も済んで依頼を完遂したトワ。学院に戻ってきてまずはジョルジュに《キルシェ》で頂いたお菓子の包みを渡した後、本日最後の依頼であるサラ教官の手伝いに教官室に赴いていた。

 そこでまず目にしたのは机に突っ伏して真っ白になっているサラ教官。慌てて助け起こしたりコーヒーを淹れたりと介抱し、事情を聞いてみれば慣れない教官としての仕事に四苦八苦した末に燃え尽きていたとの事。やはり会長の言っていた通り彼女は新任らしい。

 次いでトワは何をしに来たのかと問うので、生徒会の依頼をこなしている事を説明した結果が先のやり取りである。後回しにしたのは事実であるため負い目があったのだが、釈明しようとした途端にけろりとした様子で冗談と言われてしまえば拍子抜けしてしまう。それとも自分が鵜呑みにしやすいだけなのか。

 少し呆けるトワを見て、サラ教官は僅かながら笑みを浮かべる。やや苦笑にも見て取れるが。

 彼女は自分にこういう表情を向ける事が多い、と最近トワは気付き始めていた。その理由に関しては、いまだによく分からない。

 

「まあ、アンタが依頼を受けてくれるって言うならありがたい事この上ないわ。普通の事務仕事を手伝ってもらうつもりだったけど、折角だから自分に関係のある仕事をやってもらいましょうか」

「私に関係のある仕事……ですか?」

「ええ。ずばり、特別実習の準備の手伝いをね」

 

 特別実習。気懸かりにしていたその単語が出てきた事で、トワは顕著に反応する。それを見てサラ教官は笑みを深めた。

 

「一口に実習と言っても、それを実施するためには色々と前準備が必要よ。宿泊場所の手配に現地の責任者との打ち合わせ、実習を行う範囲も決めなくちゃいけないし……まあ割とやらなくちゃいけない事が多いって訳」

 

 それは確かにそうだろう。実習先で具体的に何をするのかは知らないが、それを行うための環境を整えるためには綿密な準備が不可欠だ。特に学生が外部で活動するとなると、現地の責任者との打ち合わせは最重要事項とも言える。

 学院長は特科クラスに関する案件について、サラ教官に一任していると言っていた。となると、その諸々の準備もサラ教官の職務の範疇なのだろう。なかなか大変そうである事は察せられた。

 彼女の負担を少しでも和らげるためなら、トワも手伝う事はやぶさかではない。しかし、引き受けるのには懸念もある。

 

「あの……それって私がやっても大丈夫な仕事なんですか?」

「大丈夫大丈夫。宿を取るくらいどうってことないでしょ。はい、これ今度の土日にやる実習の企画書。そこに書いてある宿屋に連絡して4人分の寝床を確保すればいいから」

 

 押し付けるように若干皺の寄った紙を渡される。あまりにも適当な言い分に困り顔になりながらも、トワはひとまず企画書に目を通す。

 

「今度の土日っていう事自体が初耳なんですけど……ケルディック? えっと、ここから東に行った先の鉄道の中継地点でしたっけ?」

「そう、あの大市で有名なケルディックよ。そこの《風見亭》っていうところの女将さんがあたしの顔馴染みでね。用件とあたしの名前を出せば了解してくれるだろうから、よろしくお願いするわ」

「そ、そんなので本当に大丈夫なんですか?」

「心配性ねえ。後であたしもご挨拶がてらに連絡するから、多少はしくじっても問題ないわよ」

 

 図らずしも先立って実習先を知る事になったトワだったが、今はそれどころではない。自分のミスで4人そろって宿無し、という事態になったら流石に洒落にならない。その割に大雑把な事しか言わないサラ教官に戸惑うばかりだ。

 しかし、既に相手は任せる気満々である。お断りするのは難しいだろう。

 

「――バレスタイン教官、生徒に仕事を押し付けるのはやめていただこうか」

 

 一応フォローはしてくれるそうだから、と不安ながらに引き受けようとした矢先だった。窓側の机の方から豪胆な声が響く。

 ぬっと姿を現わしたのは短い金髪の男性。逞しい体躯に、軍服に似たあつらえの服装。軍事学担当のナイトハルト教官である。

 

「あーらナイトハルト教官、何かご用ですか?」

「先程から話が耳に入っていたが、どうも生徒に対して自身の責務を擦り付けようとしていたように窺えたのでな。教官といえども、そのような行為は職権乱用と言わざるを得ない。自粛して頂こうか」

「話を聞いていたなら、この子が生徒会の依頼で手伝いに来てくれたことも知っている筈ですが? それに実習に行く生徒自身が、その準備をするのもいい経験になるでしょう」

「だとしても押し付けがましいと言っている。何より、ものを頼むなら相応の説明をして然るべき。それすら行わないなど放任に過ぎる」

 

 サラ教官とナイトハルト教官の間に火花が散る。突如として始まった睨み合いにトワは手をこまねいてしまう。

 ナイトハルト教官は正規軍の機甲師団から出向している現役の軍人。察するに、帝国軍人らしく質実剛健を地で行く彼としてはいい加減なサラ教官の対応が我慢ならなかったのだろう。引き攣った愛想笑いを浮かべていたり、普段より二割増しくらい眉間に皺を寄せている様子からして、元から反りが合わないようにも思われるが。

 どうしたものか戸惑う内に、睨み合いを中断したナイトハルト教官の視線がトワを射抜く。体格がいい上に厳めしい表情ともなると結構、怖いものがある。

 

「ハーシェル、貴様もだ。生徒会の活動を否定する気は毛頭ないが、依頼を受けるにしても少しは分別を持つがいい。学生といえども軍人の末端に連なる身、人にいい様に使われていては大成できんぞ」

「ええと、その……」

「お言葉ですが、トールズには軍以外の道に進む卒業生も多くいます。それなのに生徒を軍人という型にはめる様な言い方はどうなんですか」

 

 トワが口籠る間にサラ教官が噛みつく。更に増えるナイトハルト教官の眉間の皺。段々と自分の手に負えない事態になってきた事をトワは感じた。

 

「……士官学院生として最低限、守るべき一線があると言っている。そもそも多様な進路も土台となる規範があってこそ。それをサラ教官は理解しているのか、いささか疑問なのだが?」

「新任なのでそこはなんとも。まあ、どこぞの軍人さんよりは柔軟な態度で生徒と接していると思っていますけど?」

 

 教官室に他の人が居ないのは、この場合は良かったのか悪かったのか。止めてくれる人がいない事を嘆くべきか、微妙に低レベルになってきた張り合いを晒さずに済んで胸を撫で下ろすべきか。

 いずれにせよ、ヒートアップを続ける二人の間に立ち入る事は難しいし、出来れば遠慮願いたい。

 

「…………失礼しました」

 

 だからトワは、こっそりと教官室を抜け出した。もはや二人が口論に夢中になっていたことが幸いした。無事に廊下に脱出し、深々と溜息をつく。そして片手にある特別実習の企画書を一瞥し、もう一つ溜息。

 経緯はどうあれ、任されたからにはやるしかないだろう。宿屋の人にどうやって説明しようかと頭を悩ませながら、手近な導力通信機に向かって歩き始めるのであった。

 

 ――ちなみに、大まかながら宿屋への説明と手配を終えて教官室に戻っても、サラ教官とナイトハルト教官はまだネチネチと言い合っていた。さしものトワも呆れ果てたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「トワ・ハーシェルです。ただいま戻りました」

 

 学生会館2階の生徒会室。任された依頼を全て終えて戻ってきたトワは、ノックをして用件を伝える。「入れ」という素っ気無い返事はすぐに来た。

 二度目となる生徒会室は窓から夕日が差し込んでおり、入った時に少し目を細める事になった。目を慣らすように瞬かせながら辺りを見回すが、午前と変わらず他の人はいなかった。きっと、まだ忙しくしているのだろう。

 ただ、デスクで事務作業を続ける会長の姿だけは何も変わっていないようだった。淡々と手を動かし続ける機械染みた様子は、なんとも独特でしばらくは慣れられそうにない気がする。

 そんな様子なものだから話を切り出すにしても、どう切り出せばよいのか分からない。せめて目だけでもこちらに向けてくれないものだろうか、とトワは困り顔になる。

 

「それで?」

「ふえっ?」

 

 突然、会長が口を開く。トワは間の抜けた声を漏らした。

 

「依頼の結果報告に来たのなら勝手に話すがいい。仕事をしながらでも話は聞ける」

「は、はい。えーと、どのくらい詳しく報告したらいいですか?」

「なるべく詳細に、だ。だが余計と思うものは省け」

 

 具体的なようで、その実、要領を得ない指示である。つまるところ個人の裁量に任せるという事だろうか。

 何にせよ報告しろと言われたからには、ただ突っ立っている訳にはいかない。依頼の進捗を書き込んだ生徒手帳を取り出す。会長の視線がチラリと向けられた気がした。

 

「まずは食堂の依頼に向かったんですけれど――」

 

 食堂の新メニュー考案、回覧板の捜索、導力ミキサーの修理、サラ教官の手伝い。

 今日一日でこなしてきた依頼を順々に報告していく。出来るだけ細かく、しかし蛇足にならないように。サラ教官とナイトハルト教官の諍いの下りは省いておいた。依頼人の名誉を尊重するのも大切だろう。

 一通り報告し終わると、会長は今まで動かし続けていた手をようやく止めた。目を瞑り何か考え込む姿は、なかなか絵になっているように思えた。

 

「……ハーシェル。今回の依頼、こなしていく中でどう思った?」

「え」

「簡単でいい。答えろ」

 

 これまた急な指示である。戸惑いながらも、トワは言葉を紡いだ。

 

「その、やっぱり色々な依頼があるんだなって思いました。学院の中だけじゃなくて、トリスタの人たちからの依頼もありましたし。このトールズ士官学院が、トリスタがあってこそのものだと理解できた気がします」

 

 依頼で街を回っている内に気付いた事がある。それは学院生と街の人々の距離の近さであり、そして、それが当たり前の光景になっている事である。

 客商売だけの関係だけではない。雑貨店では買い物に来たおばさんと生徒が楽しそうに談笑し、喫茶店ではマスターや常連のご老人相手に授業の愚痴をこぼす。出身もバラバラな生徒たちが、このトリスタという一つの街でそれぞれの絆を紡いでいる。その光景がトワにはとても尊いものに思えた。

 

「だから、ありがとうございます」

「……? 何の礼だ?」

 

 僅かに怪訝そうな表情を見せる会長。それが妙にわざとらしく感じられて、トワはクスリと笑みを零した。

 

「だって、わざわざそれを感じさせるために用意してあったような依頼でしたもん。お礼の一つくらい言っておかないと」

 

 よくよく考えれば新入りにすぐやらせられる依頼が、生徒会メンバー総出で活動しているにも関わらず都合よく残っている筈が無い。きっと新入りがいつ来ても良いように準備してあったのだろう。

 学院の職員に限らず、トリスタの人々とも広く顔を合わせる事で生徒会の活動の意義を感じさせる。おおかた、そんな目的だろう。

 

「ふう……なるほど、君はそれなりに優秀である事は認めざるを得ないようだ。突発的な依頼への対応などの問題解決能力もさる事ながら、教官の補助を無事にこなした事からも事務処理能力も十分と言えるだろう」

「えへへ、ありがとうございます」

「ただ少しばかり人が良すぎるのが難点か。今回の依頼が適性検査も兼ねている事には気付かなかったようだしな」

「まあ、お人好しとはよく言われますけど……って、適性検査?」

「簡単にどれほど仕事が出来るか見るためのものだがな。依頼人にも事前に伝えてあった事だ」

 

 思わぬ単語が出てきた事で呆けるトワに対し、会長はしれっとした顔で事実を告げる。どうやら根回しもしてあったらしい。

 経験を積ませることを目的にしているとは思っていたが、仕事ぶりを測る事も目的に含まれているとは思っていなかった。人の考えを良い方に捉えるのはトワの美徳だが、時にはその裏にある意図を見逃してしまう事もあるのだ。

 そんな欠点を自覚してトワはちょっぴりへこむ。が、続く会長の言葉に憂鬱な気分は全部吹き飛ばされた。

 

「いずれにせよ、君は十分な能力を示した。生徒会でも即戦力として活動していけるだろう」

 

 会長がデスクの引き出しから小さなものを取り出す。

 金字の装飾が入った青い腕章。生徒会メンバーの証をトワに差し出した。

 

「生徒会を代表して歓迎しよう、トワ・ハーシェル。生徒会メンバーとしてトールズの生徒たちを支え、導いていく事。そして何より、君自身が活動の中で成長していく事を期待する」

「あ……はいっ!」

 

 微動さえしない彼の手からそろそろと受け取り、早速、同じように左腕に通す。真新しいピンで留め、改めて眺めてみると嬉しさに似た感情がこみ上げる。

 これで自分も生徒会のメンバーだ。

 ささやかな緊張感と、言い知れない高揚感。トワは自然と会長に向き直っていた。

 

「会長、これからよろしくお願いします!」

 

 そう挨拶するトワの表情は満面の笑み。それに対し相変わらずの鉄面皮で――しかし、どこか満足気な雰囲気を漂わせながら、会長は鷹揚に頷いた。

 




【島ロコモコ】
残され島の特産品の一つ。地元の野菜をふんだんに使ったもので、一昔前の流行だったという。鍛冶屋のごつい店主の得意料理。

【ヨルド卵】
フィールドでドロップする食材アイテム。おそらくヨード卵をもじったものと思われる。

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