残され島での実習を開始したトワたち。一行はまず祖父オルバスのもとへ向かうべく、島の反対側の海岸へと歩いていた。
島は自然のままに残っている部分が多い。中心部ならともかく、そこから離れると足場も悪くなってくる。住人なら慣れたものだが、来訪者なら注意した方がいい。なるべくよそ見しないで歩くべきなのだが……クロウたちの目は、無意識の内に強烈な存在感を放つ物体へと向けられていた。
「なんつうか、こう……マジかよって感想しか出てこねえな」
「現実感が湧いてこないよね……」
島の西側の景色を埋め尽くすテラの威容。馬鹿馬鹿しいほどの大きさを誇るそれを目にして、三人はしばし顎を落としたまま固まっていたものだ。再起動を果たした今でも、正直なところ現実の光景か疑っている部分がある。
「だが、紛れもなく現実だ……島一つ形作るのがごく一部とは、よく言ったものだよ」
どれだけ現実離れした光景であろうと、波濤がそのまま凍り付いた氷壁に打ち付ける波は本物に違いない。幻や騙し絵の類ではないことは明らかだ。
それに、むしろ納得する部分があることも事実。残され島を形成した遺跡がテラのごく一部という話も、あれだけのスケールを誇る実物を前にしては頷く他にない。途轍もないことには変わりないし、知らぬ人が聞けば与太話にしか思われないだろうけれど。
「今からそんな調子だと先が思いやられるの。まだテラの中に踏み入ってもいないのに」
「……そういや、あの中に行くのか。もう十分に驚かされているんだがな」
クロウがげんなりとした表情を浮かべる。時代が逆行したような帆船に始まり、まさに女神のごとしクレハの美貌、そして超弩級遺跡との遭遇と、既に腹一杯になった気分だ。それがまだ序の口のようなことを仄めかされれば、気が遠くなる心地にもなろう。
いったいテラの中では何が待ち受けているのか――いや、そもそもどうやって中に入るのだろうか。船で近付くことは出来るだろうが、周囲は氷壁に覆われていて侵入できる隙間があるか分からない。もしやトワの力で空から行くのか、或いは別の方法があるのか……
気になるところではあるものの、それは後回しになる。第一の依頼人が待ち受ける海岸が近付きつつあった。
「皆、そろそろお祖父ちゃんの家だよ」
トワの言葉に無意識の内に気が引き締まる。風に聞く《剣豪》その人との対面だ。否応なしに緊張してしまうものがある。
反してトワの足取りは軽いものだ。剣の師匠として尊敬は勿論ある。けれど、それ以上に厳しくも真摯に接してくれる祖父であるからこそ再会が楽しみだった。
足元が砂浜に変わる。所々に遺跡の残骸らしきものが突き立つ海辺。潮騒が響く波打ち際、遥か先の水平線を見つめ、その人は立っていた。
「滄海洋々、寄せる波は無限なりや」
朗々とした声。それは独り言のようでいて、確かにトワたちのことを捉えていた。
「しかして、移ろわぬものはなし。万物は流れ変わりゆく――」
遥かなる海を、流れゆく刻を見つめていた眼が振り返る。刻まれた皺と真っ白に染まった髪は老境の証。それでも東方風の衣服に身を包んだ立ち姿には芯が通り、古傷による隻眼なれども瞳の奥に宿る力に一切の陰りはない。
靭く、しなやかに聳える古木――《剣豪》オルバス・アルハゼンは言うなればそのような人だった。
「久しいな、トワ」
「えへへ……ただいま、お祖父ちゃん」
破顔するトワに「ああ、おかえり」と厳めしい表情も幾分か穏やかなものになる。どこの誰であっても、祖父というのは孫に対して甘い部分が出るものなのだろうか。
「見ないうちに、いい目をするようになった。外では波乱尽くしと聞いていたが、その分実りも多かったようだな」
「半分くらいは自分から首を突っ込んでいたけどね」
「ちょ、ちょっと! ノイは余計なこと言わないの!」
お目付け役としては胃が痛い展開も多々あった試験実習である。苦言の一つや二つくらい出てきても仕方がない。それは承知の上であっても祖父の手前だ。あまり無茶無謀を公にされて怒られては困るトワは慌てて遮った。
二人のやり取りにオルバスは肩を竦める。その顔には苦笑のようなものが浮かんでいた。
「血は争えないということか……まあ、それはいい」
含みのある言葉を漏らしつつ、隻眼がクロウたち三人の方へ向けられる。改めて相対すると、その身から感じられる気迫に驚かされる。既に齢八十を超えているという話だが、まるで衰えの気配が見られない。ヴァンダイク学院長といい、自分たちの周囲のご老人は元気が有り余っているようだ。
「君たちがトワの学友か。私はオルバス。孫が世話になっている」
「いえ、そこら辺についてはお互い様みたいなものなので」
「それより名高き《剣豪》にお会いできて光栄です」
「所詮は隠居して久しい老骨だ。畏まることはない」
それだけの風格を纏っていて老骨というのは無理があるような。
内心で頬を引き攣らせながらも、それぞれ自己紹介していく。おおよそのことはトワからの手紙を通じて知っていたのだろう。伝聞の情報とすり合わせたらしいオルバスは一つ頷き、その目をアンゼリカへと向けた。
「お嬢さんは確か泰斗流の使い手だったか。それが巡り巡ってトワと友誼を結ぶことになるとは、不思議な縁もあるものだ」
「といいますと、泰斗流と何か縁が?」
不意の発言だった。思いもしない言葉にアンゼリカは反射的に問いかける。トワも心当たりがないようで、興味深げな目を祖父に向けていた。
「泰斗のリュウガ殿とはかつて共に研鑽を積んだ仲。彼は亡くなって久しいと聞くが……君に教えを授けた娘は、どうやら壮健なようだな」
果たして何十年前の話なのだろうか。遠く古い記憶を辿るように目を細めるオルバスの声には、どこか懐かしむ色合いがあった。剣と拳。振るうものは違えど、同じ東方の地で紡がれた友誼があったのかもしれない。
片や、クロウなどは一つの納得を覚えていた。剣を得物としているのに、時にはそれを差し置いて殴る蹴るに関節技まで何でもござれのトワ。徒手格闘までこなす彼女がどんな教えを受けてきたのか不思議なものだったが、その源流に泰斗の流れが交わっているのなら頷けるものがある。
「師匠の御父上と……つまり私とトワは運命で結ばれているも同然……!?」
「それは流石に飛躍しすぎだろ……」
ただ、この色ボケ貴族のすっ呆け具合は流石にどうかと思う。精々が遠縁の親戚のようなもの。まるで一大事のように目を見開くアンゼリカは誇大妄想が過ぎた。
「――では、実習の話だが」
オルバスが話を区切る。アンゼリカの突飛な発言などなかったかのようだ。人生経験が長いだけに、こういう時の流し方もよく心得ているらしい。
冗談はともあれ依頼の件である。文面的には腕試しを意図したもののように受け取れたが、実際に何をやるかまでは知らされていない。面々はやや緊張の面持ちで続く言葉に耳を傾ける。
「こうして足を運んでもらったのだ。全員の面倒を見てやりたいところだが……トワよ」
「っ、はい」
「その姿――迷いは晴れたのだな?」
嘘偽りの通じない見透かす目が射抜いてくる。それにトワは真紅の瞳を逸らさずに頷いて見せた。
もう恐れることも、迷う必要もない。恐怖の先に自らを受け入れてくれる友を知ったから。自分が本当の意味で振るうべきものを掴み取れたから。ミトスの民の力を厭う理由はもはや存在しなかった。
見つめ返してくる真っ直ぐな目にオルバスは「そうか」とわずかに口角を上げる。しかし、それも一瞬のこと。厳格な師としての顔で彼は告げた。
「ならばその剣、試させてもらおう」
オルバスが距離を取る。腰に佩いた刀が抜き放たれ、鋭い眼光が対面にトワを促した。一対一、実戦形式での手合わせだ。
クロウたちに「行ってくるね」と一言告げ、トワは師の待ち構える勝負の場へと上がる。一礼し、自らも得物の刀を抜いて構えた。
「お願いします」
「来なさい」
八相に構えるトワをオルバスは無形で待ち受ける。先手は弟子の側に。しかし、彼女もおいそれと仕掛けることはせず、じりじりと間合いを図る。
肌が焼けつくような空気だった。高く昇り始めた陽光を遮るものは無く、夏の日差しは浜辺を満遍なく照らす。だが、これは自然に拠るものではない。張り詰めた緊張感が、両者より放たれる鋭い剣気が、クロウたちに無言を強いるほどに場を支配しているのだ。
誰かが息を呑む。滴った汗が砂に落ちる。皮切りは分からぬほどに些細だった。
足元の砂を弾き飛ばし、トワが宙を跳んで刃を閃かせる。疾風怒濤、身軽さを活かしたトワお得意の強襲。猛烈な勢いで迫るそれをオルバスは柳に風と受け止めた。最低限の動作、最小限の力。動に対する静。縦横無尽に動くトワに、自然体のままに彼は剣を捌いていく。
まるで通じる気配のない攻勢。それでもトワに焦りはない。確かに自分は前よりも強くなったかもしれない。だが、それよりも師である祖父が遥か高みにいるのは分かり切ったことなのだから。今はただ、高き頂にどこまで届くか手を伸ばすだけだ。
刃をぶつけ合うこと幾度か。攻撃を弾いたオルバスの剣が僅かに後ろへ引く。瞬間、爆発的に生じた危機感がトワの背筋を粟立たせた。
脳裏に蘇る過去の鍛錬の光景。ほぼノーモーションから繰り出される神速の突き。何度となく首筋に突き付けられ、辛うじて防ぐのが精一杯だったそれが来ることを直感する。
刹那のうちに迫られる対応。取れる手段は多くない。躱すか、防ぐか――否。
臆すな、退くな。ただ只管に、前へ。
胴に目掛けて突き込まれる一閃。その刃にトワは踏み込む。咄嗟に見切った剣筋、疾駆するオルバスの剣の峰を踏み下して強引に剣先を逸らさせた。
「ぬっ」
微かに驚きの声を漏れ聞こえる。だが、それを斟酌している猶予はない。一時を凌いだ安堵よりも、反撃の糸口へと思考を回し身体をひた走らせる。
振り払われるよりも先に剣を足場にそのまま跳躍。空中で身を翻してオルバスの背後を取ったトワが斬撃を見舞う。剣で防ぐには間に合わないタイミング。それでも師を捉えるには至らない。背中に目でも付いているかのようにオルバスは僅かに身を反らして空からの攻撃を躱す。
着地し、更に攻めかかるトワ。向き直り、真っ向から受け止めるオルバス。甲高い音を立てて剣と剣がぶつかり合い、鍔迫り合いの火花が散る。その向こうで祖父が静かな笑みを浮かべていた。
「殻を破ったようだな」
「色々なことがあったから……色々な人に出会えたから。それだけ強くなれたんだと思う」
困難を乗り越えてきただけではない。人々との出会いの中で己を見つめ直し、トワ・ハーシェル・ウル・オルディーンとして確かな芯を得たからこそ今がある。迷いの先に見出した答えは彼女の剣にも如実に表れていた。
「縁に恵まれたが故、か。お前らしい……喝っ!」
「っ!」
鍔迫り合いが解かれたところに肩からの当身が。体勢を崩されたところに立て続けて掌底が迫る。咄嗟に後ろへ跳んで衝撃を殺すトワ。派手に吹っ飛ばされるが、ダメージは大したことはない。くるりと一回転して危なげなく着地する。
だが、距離が離れたその先に見た師の剣気に表情が強張った。
「されど、力の扱いは一朝一夕にはなるまい。この場で試してやるとしよう」
腰だめの構え、荒れ狂う乱気流がその手の剣に集う。踏み込みと共に一閃、トワは転がるように慌ててその場から逃れた。
放たれるは神風。トワのそれとは比較にならない真空の刃が飛来する。砂地を裂き、遺跡の残骸を断ち砕き、海を分かつ。舞い散る砂塵と海飛沫。一帯は突如として嵐の渦中と化す。
一撃では収まらない。続く真空波が反射的に身を伏せたトワの頭上を薙ぎ払っていく。目を上げた先、嵐の中心で師は尚も追撃の構えを取り、そして強い眼で彼女に促していた。
遠慮はいらない、自身の全てをぶつけてくるがいい。
剣に力を籠める。金色の光を刃に纏わせ、身を起こした勢いのままに地を踏みしめてトワは戦技を放つ。オルバスが剣を振るったのもほぼ同時。光の大太刀と神風の刃、研ぎ澄まされた力が衝突し拡散する。余りある衝撃波は爆発でも起きたかの如く砂煙を巻き起こした。
「あーあ、張り切っちゃって」
「……おかしいな。さっきまで普通の鍛錬だったのに……」
呆れ顔のノイの隣でジョルジュは白目を剥きそうだ。剣の稽古を見ていたと思ったら、途端に怪獣大決戦が始まれば無理もあるまい。クロウとアンゼリカも気持ちは同じである。濛々と砂煙が立ち込める様を見つめる顔は頬が引き攣っていた。
外野の心情など鑑みることもなく激しさを増した応酬は続く。砂塵の中より数多の光弾がオルバス目掛けて飛来する。必要最低限を打ち払った彼は、それが牽制だと見切っている。頭上からの急襲も難なく対応し、返しの一手がトワの毛先を掠めた。
ならば、とトワは自身を加速させる。星の力を解放した彼女の身体能力は常人の比ではない。先ほどまでよりも格段に速さを増し、残像すら発生させる勢いで縦横に斬りかかる。
だが、それすらもオルバスにとっては危なげなく捌ける範疇だ。いかなる角度から襲い来ようと確実に防ぎ切る。無駄のない足運び、極限にまで高められた剣の冴え、あらゆる感覚を駆使して実現する未来が見えているかのような読み。老躯に刻まれた経験と鍛錬が不可侵の結界を成し、超常の力さえも悉く跳ね返す。
末恐ろしいほどの先読みはついに先の先を制す。振り抜くよりも先に剣を捉えられたトワは動きを抑え込まれ、その高速機動を止めざるを得なくなる。弾かれて僅かに体勢が崩れた瞬間、宙に軌跡を描くオルバスの剣。トワは遮二無二に自身を覆う障壁を展開した。
避けるより防ぐことを選んだのは正しかった。一拍を置いて吹き荒れる斬撃の嵐。星の力の守りは嵐をトワへと通さなかったが、それは決して絶対の守護ではない。斬撃が収まるや否や繰り出されるオルバスの居合一閃。障壁は砕け散り、吹っ飛ばされたトワは砂浜を転がる。
「力に身を任せては読まれ易くなる。自らの動きの中に力を取り込むのだ」
「はいっ!」
ミトスの民の力は強大だ。並大抵の相手なら容易く薙ぎ払えるほどに。だが、それは格下に対しての話。自身を上回るもの、それこそ達人クラスの相手になると単なる力押しでは通じなくなる。
ただ力に頼るだけでは頭打ちになる。力を己のうちに取り込み、使いこなす。それがトワ・ハーシェルという剣士が成長するために必要なことだ。
転がる勢いのままに跳ね起きたトワは果敢に立ち向かう。受けた教えを咀嚼し、試行を繰り返しては絶えず自身に修正をかけていく。オルバスはそんな弟子の剣に揺らぐことなく応え続けた。
「帰って早々に騒がしいと思ったら、派手にやってんなぁ」
激しさを増す鍛錬を茫洋と眺めていたクロウたち、その背中から聞こえた声に彼らは肩を震わせた。振り返った先、岩に埋もれた形の遺跡の入り口からしばらくぶりに見る顔が覗いていた。
「お帰りなの、シグナ」
「おう、お前もな。実習班の連中も久しぶりだ」
「お、お久し振りです……そういえば、今日明日の内に帰ってくるって聞いたような」
帝都実習以来の対面となる遊撃士にしてトワの伯父、シグナが相変わらず飄々とした調子で再会の挨拶をしてくる。朝食時にアーサが彼も近いうちに帰郷すると話していたことを思い出しながらも、三人も慌てて挨拶を返した。
それにしても心臓に悪い登場の仕方をしてくる人である。帝都での時でもそうだったが、人を驚かせたがる悪癖でもあるのだろうか。
「聞いていたより早いお帰りですが……うん? というか船も無しにどうやってお帰りに?」
「それもそうだが、どうして遺跡から出てくるんだよ。実は先に帰ってきていたのか?」
残され島への経路はクロウたちも乗ってきた連絡船のみ。それが今朝に到着して未だ停泊中であるのに、シグナが今しがた帰ってきたというのは理屈が通らなかった。その道理を無視したところで、どうして遺跡の中からひょっこり現れたのか疑問が募る。
「この遺跡は俺と師匠の家でもあるんだが――ま、帰り方については裏技みたいなもんだ」
ひょいと肩を竦めるシグナ。そうやって疑問を躱した彼は熾烈な鍛錬風景へと目を向けた。
「お前たちはあれに混ざらなくていいのか? 待ち惚けも暇だろう」
「まあ最初はトワをって感じだったけど、クロウたちの相手もしてくれると思うの」
ジョルジュが顔を青く染め、クロウは目に見えて嫌そうな表情を浮かべる。砂塵舞い散り爆音響く師弟のぶつかり合い。そんなところに誰が進んで立ち入りたいと思うだろうか。無理とは言わずともできる限り遠慮願いたい。
厳しい鍛錬も苦とはしないアンゼリカではあるが、今ばかりは男子二人に同調する。実習はまだまだこれから――というより、始まって間もない。目に見えて苦労が先に待ち受けているというのに、初っ端から体力を消耗しようとするほど彼女も考え無しではなかった。
「お気遣いはありがたいのですが、実習も先が長いので――」
「そう遠慮するな。少し揉んでやるくらい済ませるからよ」
しかし、大変余計なお世話なことに目の前の中年オヤジは勝手に話を進めてしまう。緋色の大剣を抜き放つや「ふんっ!」と唐竹に振り下ろす。先ほどのオルバスの神風にも劣らぬ紅蓮の一撃が砂浜を断ち割り、斬り結んでいた二人を分かって視線をこちらに向けさせた。
「シグナか」
「伯父さん、お帰りなさい。でも普通に声掛けてくれてもよかったんじゃないの?」
「はは、悪い悪い。それよりお仲間を待ち惚けさせるのも酷だろう」
随分なご挨拶に対して姪っ子から白い眼が向けられるが、それをものともせずに話を続ける。
「この老骨に全員を相手にするのは厳しいのだがな」
仏頂面のままにそんなことを宣うオルバス。白い眼が今度はそちらに向けられる。
老骨などどの口が言っているのやら。ご老人というのはあれだけの大立回りをしておいて息一つ切らさずにいるような輩を指す言葉ではない。
「じゃあ俺も加わろう。二対四、丁度いいじゃないか」
「え」
「ふむ……私は構わん」
構う、凄く構う。何やらあっさりととんでもないことを言い出されてトワは慌てふためいた。《剣豪》に《星伐》、明確に格上の二人を相手にする? どう考えても肩慣らし気分で臨める試合ではない。
仲間に目を配れば、三人そろって猛烈な勢いで首を横に振っている。絶対に断れ。そんな強い想いが滲み出ていた。
「えっと、流石に伯父さんは遠慮してほしいなぁ、なんて」
「つれないことを言うなよ。師匠一人じゃ俺が退屈になるだろうが」
駄目だ、このオッサン。こちらの都合なんて考えていやしない。色々と言葉を弄してはいるが、結局は自分も混ざりたいだけだ。
止めない祖父も祖父だ。差し詰め、絶望的な状況でどこまで抵抗できるか見極めようとでもしているのだろう。スパルタすぎて涙が出てきそうな思いである。
これはもう思い留まってもらえるような雰囲気ではない。クロウたちには悪いが、諦めてどうにか頑張ってもらうしかないか――と考えていたところで、砂浜に降りてきた人影に気付いた。
「あら兄さん、お帰りなさい」
柔らかい、しかし、底冷えするような声だった。
びくりと身動ぎしたシグナがぎこちない所作で振り返る。他ならない彼の実妹が笑みを湛えてそこに立っていた。
「よ、ようクレハ。こんなところまでどうしたんだ?」
「兄さんが珍しく早めに帰ってきたようだから、トワたちの様子を見るついでに迎えに来たの」
誰もが見惚れるような微笑であることは朝食時と変わりない。なのに、どうしたことだろう。温かだった先ほどとは異なり、今は身も心も凍り付きそうなほどに寒気がする。クロウたちは訳も分からずに硬直し、トワやノイ、オルバスは冷や汗を垂れ流した。
「――それで、何をしようとしていたの?」
問い掛けの形を取っているが、彼女は間違いなく状況を把握していた。オルバスと並び剣を抜いた兄、顔色の悪い仲間を背に困り顔の娘。これだけで凡そのことは分かる。どうせまたシグナが無茶を言ったのだろうと。
圧力のある笑顔の妹を前にシグナは目を泳がせる。こうなってしまうと彼は弱い立場だ。娘ができてからというものの、母親として色々と強くなったクレハには頭が上がらない。
「ま、まあ何だ。どれくらい成長したもんか確かめようとだな。はは……」
「そう、わざわざ二人がかりで」
「……おや、雲行きが」
笑って誤魔化そうとするシグナ。更に笑みを深めるクレハ。アンゼリカがふと空を見上げると、快晴だった空に黒い雲が立ち込めゴロゴロと雷鳴を響かせていた。
「お義父さん?」
「いや、うむ……興が乗りすぎた。済まん」
威厳のある姿はどこに行ったのやら。娘の一睨みでオルバスは縮こまった。《剣豪》の名もこんな時はまるで役に立たない。
完全に場を制したクレハがトワたちの方へと目を向ける。そこに兄へ向けていた圧迫感はなかったが、頭上の雷雲を思えばトワ以外の三人が緊迫の面持ちになるのも無理はない。彼女は申し訳なさそうに眉根を下げた。
「兄が迷惑をかけてごめんなさいね。トワ、ここはいいからライラのところに行ってあげて」
「うん……程々にね」
「それは兄さん次第よ」
「ご尤も、なの」
せめてもの情けに手加減するように言ってみるが、その返答は至極当たり前のすげないものだった。反論の余地もなく、ノイは神妙に頷くのだった。
ここでの用件は済んだ。巻き込まれないうちに村の方へと戻るとしよう。トワがそう促せば、全員がすたこらさっさと遁走を開始する。何も言わずとも理解していたのだ。いち早くここを離れることが最善の選択なのだと。
去り際、助けを求める伯父と目が合う。だが、こうなってしまってはどうしようもない。ただ手を合わせて謝意と無事の祈念とし、彼女も仲間たちの後を駆け足で追う。
「なあ、勘弁してくれよ。これでもトワたちのことも考えてだな――」
「人のことを考えるなら、あれこれ無茶を言うのをやめなさい!!」
背より怒声が響き、轟音が空気を引き裂く。雷が落ちたのだ、色々な意味で。
母は強し。振り返りもせずに足を動かすクロウたちの胸にはその言葉が克明に刻まれるのだった。
「うわ……あの砂浜の辺りだけ空が黒い」
「おっかねえ。美人を怒らせると怖いってのは本当だな」
建物が集まる島の中心部まで戻ってきた試験実習班。ここまで来たところでようやく振り返り、青々とした空にぽっかりと浮かぶ黒雲に顔が引き攣る。あの下では女神の怒りに触れたシグナがこっ酷くやられているのだろう。
明らかな異常事態ではあるが、島の人々にとってはよくあることらしい。気付いて立ち止まりはするものの、何が起こっているか分かるや「またか」と苦笑い。それだけで済ませて日常に戻っていく。稲光が迸ろうと知らぬ顔である。
「あの調子だとお説教も長引きそうだね」
「自業自得なの。まったくシグナも懲りないんだから」
やれやれと言わんばかりに首を振るノイ。確かにシグナ自身の招いた事態であるが、なんとも薄情なことである。彼の家庭内におけるヒエラルキーが推し量れた。
怒りの雷に見舞われることになったシグナはさておき、次なる依頼主のもとへとトワたちは向かう。宿酒場からの頼みという話だが、いったいどんな依頼になるのやら。
「そういや、こんな田舎で宿酒場なんてやっていけてんのか?」
道中の長閑な光景を眺めていたら気になったのか、クロウがそんなことを尋ねてくる。帝国本土から遠く離れた残され島。ただでさえ隔絶されているうえに、諸々の秘密が隠されていることから人の往来は少ない。宿酒場として経営が成り立っているのかという懸念は尤もだ。
「島の皆で集まったりもするから経営にはそんなに困っていないけど……宿としては昔に比べて寂しくなっちゃったみたいだね」
稀少な星の欠片の産地として商人が訪れたり、遺跡が降ってくるという噂に惹かれた観光客も以前はそれなりにいた。島唯一の宿屋としてそれらの客人を迎え入れ、相応に繁盛もしていたと聞いている。
ただ、それは《流星の異変》よりも前のこと。テラが落着し、秘蹟が暴かれることを望まない教会の意向によって残され島は世間から隠されるようになった。ごく稀に風聞を耳にした物好きが訪れることもあるが、客人の数が明確に減ったのは間違いない。
日々の食事や時折集まっての酒宴など、今では島における食事処といった性格が強い。宿屋としては閑古鳥が鳴いて久しいのが事実であった。
「でも別の意味で賑やかになったから、むしろ今の方が忙しいかも」
「ほう、謎かけかな?」
「あはは、そういうものじゃないけれど」
別にトワは言葉の綾か何かで口にしたわけではない。その通りの意味で賑やかになっているからこそ、昔よりも多忙ではないかと思うのだ。
それが何を指すかを説明する必要はあるまい。話をしている間に目的地には到着していた。《月見亭》、年季の入った看板が傍に立つ建物が件の宿酒場だ。勝手知った様子で扉を開けて中へと入っていくトワにクロウたちも続く。
「おはようございまーす」
「へえ、なかなか良い雰囲気……」
目に入ってくるキッチンにカウンター、奥に並ぶ客席。これといった特徴らしいものは無いが、落ち着いた調度の素朴で温かな雰囲気だった。
しげしげと観察しながらも奥へと進もうとする。その時、不意に幼い声があがった。
「あっ、トワねーちゃんだ!」
「本当だ! お帰り、おねーちゃん!」
最初の声を皮切りに奥の部屋から子供たちが飛び出してくる。トワは瞬く間に元気盛りな子たちに取り囲まれ、終いには飛びついてきた一人を受け止めてぐるりと一回転、勢いを殺して床に降ろす。賑やかな出迎えに彼女は自然と顔がほころんでいた。
「ただいま。みんな元気そうだね」
「なあなあ、ねーちゃん。学校ってどんな感じだった? 楽しい?」
「この前に砂浜で綺麗な形の星の欠片を見つけたんだ! 後で見せてあげる!」
「クレハさんと同じ色の髪! やっぱりおねーちゃんそっちの方が綺麗よ!」
「ああもう、元気なのは分かったから」
片手で収まらない数の子供にもみくちゃにされるトワ。四方八方から押し寄せる声に苦笑いを浮かべながらも、どうにかこうにか対応している。これだけ殺到されては彼女にとっても骨が折れる様子だった。
片や大人気の一方、クロウたちは突然のことに置いてけぼり。目を瞬かせて子供たちの濁流にあっぷあっぷしている友人を眺める他にない。
この宿酒場で暮らしているのだろうか。とんでもない子沢山の大家族――にしては、顔立ちや髪色がばらついている。島の子供たちが集まるところなのか、それとも別の理由があってのことなのか。
「あー、すんません。騒がしくしちゃって。トワ姉の友達っすよね?」
内心で首を傾げていると、横合いから声が掛けられる。十三か十四歳くらいの黒髪の少年が申し訳なさげに頬を掻いていた。見た目からして東方系らしき彼は、子供たちの中でも年長的な存在と察せられた。
「子供は元気なのが一番さ。それより、ここは宿酒場じゃなかったのかい?」
「まあ、そうなんすけどね。身寄りのない子供を引き取ったりもしているんすよ。客がいなくて部屋も余っているからって」
「つまり孤児院というわけか……なるほど、これは忙しいや」
今の方が忙しいかもと言っていた意味を理解する。下手な客の相手よりも子供たちの面倒を見る方がよほど大変だろう。今まさにてんてこ舞いになっているトワを見れば、それがよく分かる。
「帰ってきた途端に騒々しいわねぇ。ほらほらチビッ子たち、いい加減にねーちゃんを離してやんなさい」
遅ればせる形で宿酒場の主人らしき女性が姿を現した。年齢としてはナユタと同年代くらい。ショートカットにした赤毛が印象的な彼女は、久方ぶりの姉貴分との再会に湧く子供たちに対して手を叩く。
しかしながら、子供というのは聞き分けがいいとは限らない。よほどトワに懐いているのだろう。総じて「えー」と不平不満の声を漏らす彼ら彼女らはそう簡単に納得しそうになかった。
「皆、これから洗濯物を干したりする予定だったでしょ。サボりはいけないんだからね」
「うっ……」
「そ、それはそうだけど」
そこに奥からひょっこりと顔を覗かせた黒髪の少女が窘める。少年と同じく東方系らしい彼女は子供たちのまとめ役なのかもしれない。幼い瞳に迷いが浮かぶ。
「今日の用事が終わったら、いっぱいお話してあげるから。シオリちゃんと一緒にお手伝い頑張って」
トワの説得も重なって子供たちはようやく包囲網を解いた。名残惜しそうにしながらも文句は零さないあたり、根は良い子ばかりであることが分かる。シオリと呼ばれた少女に続いて家事の手伝いへと向かっていった。
ふう、とトワが息を一つ。それを見て黒髪の少年がニヤリと笑みを浮かべた。
「安請け合いしちまったな。後が大変だぜ、トワ姉」
「むっ……仕方ないじゃない。コー君は手伝いに行かなくていいの?」
「朝飯の当番だったから今は空き時間だよ。強いて言えば、この場でもてなすのが仕事」
そのやり取りから気の置けない関係であることが分かる。しっかり者の姉と可愛げのない弟といったところか。比較的歳が近い分、他の子たちよりも気安さのようなものがあるのかもしれない。口元をへの字に曲げるトワはなかなか珍しかった。
「じゃれ合っていないで向こうの席にでも座りなさい。友達を突っ立たせるもんじゃないわよ」
もてなすというのならしっかりもてなせ。赤毛の女性からのお言葉に二人揃って「はーい」と粛々と従う。肝っ玉母さんといった印象の彼女には逆らわない方がいいのだろうな、とクロウたちにも何となく想像がついた。
そんな彼女から「ああ、そうそう」と声が掛かる。友人たちを適当な席に案内していたトワが振り返ると、ニカッと溌溂な笑みが向けられていた。
「お帰り、トワ。元気そうで安心したわ」
「――うん。ただいま、ライラさん」
宿酒場《月見亭》、またの名を《バートン孤児院》。どこぞの中年オヤジが仕事先で考え無しに拾ってきた子供を引き取ったのがその始まりだ。ナユタの幼馴染にして女将のライラ・バートンは昔から面倒見のいい性格である。引き取ったのは宿として暇を持て余していたのもあったが、何より身寄りのない子を放っておけなかったのが一番だろう。
子供のたちの『家』となることはもとより、将来的な自立の助けとなるべく手を尽くしている。残され島は辺鄙な離島であるが、幸いにして人材には事欠いていない。身を守る武術は老剣士が手ほどきし、進む道を拓く学問は変わり者な博士が教鞭をとった。子供の未来のために労苦を惜しまない島の人々の善意でそれは成り立っている。
そうして幾人かの子供たちを迎え、巣立ちを見送ること二十数年。今日もライラは手のかかる子たちの成長を見守っている。無論、それにはトワも含まれていた。
「しっかしまあ、濃い面子ね。名門校だっていうから生真面目な坊ちゃん嬢ちゃんばかりかと思っていたけど」
「いやはや、そう言われると面映ゆいものがありますね」
「アン、たぶん褒められてないよ」
生まれた瞬間から世話を焼いてきたその子が連れてきた友人に、ライラは半ば呆れ眼を向けていた。二、三の言葉を交わしただけで分かる癖の強さ。都会の学校で上手くやれているのかと気を揉んでいたところに現れたのがこれである。手紙で知っていたとはいえ、実物を目にすると何とも言えない気持ちになる。
こう言ってしまうとトールズが変人の巣窟のように聞こえてしまうが、試験実習班はその中でも際物の集まりである。生徒全員が一癖も二癖もある人物というわけではない。
「そこはほら、トワだから仕方ないの」
「あー……トワ姉だからなぁ」
「類は友を呼ぶということね」
「凄い失礼なことを言われている気がするんだけど……」
物言いたげな目を向けるトワであるが、自分もその際物の一人であることは自覚しなければならないだろう。小さな見た目に反して優れた剣の腕前、呆れ返るほどのお人好し具合、極めつけに超常の力を振るうミトスの民である。むしろ彼女が頭一つ飛び抜けているのではないか。
単なる偶然か、それとも集まるべくして集まったのか。個性が豊かすぎる試験実習班の面々。一見ちぐはぐのようで、どこか息があっている。そんな彼女らを見てライラはふっと頬を緩めた。
「ま、楽しくやれているのなら何よりよ。いい友達なんでしょ?」
「――うん。みんな大切な友達だよ」
「ったく、こっ恥ずかしいこと言いやがって」
そうやって面と言われるとこそばゆいものがある。表裏なく自分の気持ちを素直に口にできるトワにはたまに困らせられるが――悪い気はしない。
「いいなぁ。素敵な学院生活を送れているんだね、トワ姉さん」
「みししっ」
談笑の中に新たな声が混じる。先ほど子供たちをまとめていたシオリという少女だ。洗濯物は一段落着いたから顔でも出したのだろうか。周りに他の子供がいないことを認めると、トワに『コー君』と呼ばれていた少年が問い掛けた。
「チビたちは?」
「今は部屋の掃除をしてもらっているとこ。コウちゃんは皿洗いやったの?」
「今はいいだろ。トワ姉たちが行ったらやる」
「みし~」
どうやら少年――コウは仕事を後回しにしてこの場に同席していたらしい。そんなことだろうと思っていたのか、シオリは「もう、コウちゃんってば」と文句を零しながらも苦笑い一つで済ませている。大らかなことだ。
これが二人の間だけで済むのならよかったのだが、コウにとって不幸だったのは里帰りしてきた姉貴分がいたことだろう。聞き咎めたトワはムッと眉を吊り上げた。
「いいですか、コー君。そうやって後回しにしているとサボり癖がついちゃうんだからね」
「はいはい、以後気を付けます」
「『はい』は一回でいいの!」
「みし、みししっ」
「『まったく、やれやれね』とのことなの」
「いつものことじゃない。あれこれ言う気にもならないわ」
賑やかしくも微笑ましい光景。いつもならクロウがお姉さんぶるトワを弄ったりアンゼリカが悶えたりするところだが、この時は別の方へ意識が向いていた。先ほどから珍妙な鳴き声をあげている生き物。シオリが抱きかかえてきたそれにジョルジュも含め、三人は目を奪われていた。
「あの、その猫っぽい生き物は……?」
大きさは小型犬くらい。白と灰色の毛並み、丸っぽい頭には妙に気の抜ける感じの顔がくっついている。みしみしと鳴くそれをジョルジュは猫っぽいと評したが、明らかに猫とは異なる生物だ。
その珍獣はどこかで見たような覚えがある造形をしていた。既に心当たりはついている。ただ、その心当たりと目の前の光景が現実に反しているだけに、三人は奇怪なものを見る目とならざるを得なかった。
「この子? 『みっしぃ』のみしーっていうんだけど」
「みししっ」
そんな彼らの心中など露知らず、トワは「可愛いでしょ?」と小首をかしげる。対するクロウは鈍い頭痛を感じて眉間を抑えた。
「なんでマスコットのリアルバージョンがこんな島にいるんだよ……」
エレボニア帝国の東部に位置するクロスベル自治州、そこで人気のマスコットキャラが『みっしぃ』だ。クロスベルは帝国でも人気の観光地、ツアー旅行の広告などでその姿を目にすることはしばしばある。
その同名のマスコットと珍獣は瓜二つだった。ウザ可愛い感じが特に。架空のキャラクターだと思っていた存在を目の当たりにして生じる得も言われぬ感情。頭が痛くなるのも仕方がない。
「なんでって言われてもね。いつの間にか島に居ついていたのが、いつの間にか繁殖していて……」
「気が付いたら島のみんなのペット的なポジションに収まっていたんだよな、こいつら」
とはいえ、島の人々にとって本土を挟んで遠く東の自治州のことなど与り知らぬこと。どこか謎めいたところのある生物だが、人に害をなすでもなし、大人しいうえに賢いこともあってなし崩し的に可愛がっているようだった。
「島の固有種というわけでもないし、クロスベルでも知っている人がモデルにしたんじゃないかな」
「あなたたちも知らぬ間に有名になったものなの……『あたしの知ったことじゃないわよ』って? そりゃそうなの」
ノイとみしみし鳴きながらやり取りしている様を見て、クロウたちはみっしぃについて深く考えることをやめた。下手に関わり合いになると頭がどうにかなりそうだ。これはそういうものだと受け入れるのが精神衛生上一番である。
そうやって目を背けようとしたというのに、今日の空の女神は意地が悪いらしい。シオリが次いで口にした言葉は彼らを逃がさないものだった。
「実は、トワ姉さんたちにお願いしたいのはみっしぃたちについてなの」
「そういえば、みしーるがいないね」
「……そのみっしぃとやらは他にもいるのかい?」
話の中で薄々察してはいたが、みっしぃは一匹だけではないようだ。依頼主であるライラが「まあね」と頷く。
「そこのみしーと、みしーるっていうもう一匹がいるんだけどね。そっちの方がここ数日ばかり姿を見せていないのよ」
普段は二匹で残され島をうろついているというみしーとみしーる。その片割れがこのところ見かけない日々が続いていた。ニ、三日ほどならふらっとどこかにいなくなるのも珍しくはないのだが、それが一週間近くともなると心配な気持ちも湧いてくる。
行方が分からないみしーるの捜索、それがトワたちへの依頼だ。クロウたちには生憎だが、この珍妙な生き物と今しばらく付き合う必要があるようだった。
「島の方は俺が一通り探したけど見つからなかったから、たぶんテラの方にいるんだと思う。トワ姉たちはそっちを頼む。こっちももう一回洗い直してみるからよ」
「分かった。ねえみしー、みしーるがどこに行ったか知らない?」
「みし、みししっし」
「うーん、そっか。私も無事でいるとは思うけどね」
ごく自然にみしーと言葉を交わすトワに何とも言えない視線を注いでしまう。賢い生き物とは相応に意思疎通ができるとは知っているが、その絵面はシュール極まりないものだ。
「……あれ、何て言っているのかな?」
「『知らない。生き汚い奴だし、無事ではいるんじゃない』だって」
「さっきから思っていたが、見た目の割にキツイ性格してんな……」
ノイの通訳を聞いて頬が引き攣る。マスコット的な見た目に反して中身はなかなか刺々しいようだった。
色々と精神的に疲れる内容であるが、依頼自体は承った。テラのどこかにいるであろうもう一匹のみっしぃを探し出すこと。手伝いを頼みたいというナユタもそちらにいるということだし、依頼に対応していく流れとしては悪くない。
「それじゃあライラさん、行ってきますね。あっ、コー君はちゃんと皿洗いを終わらせてから行くんだよ」
「分かってるっての。トワ姉もうっかりこけたりするなよ」
「もう二人とも……クロウさんたちも気を付けてくださいね。トワ姉さんとノイさんがいれば平気だと思いますけど」
「怪我しないでちゃんと帰ってきなさいよ。今晩はウチを貸し切りにしてあげるってアーサさんと約束してあるんだから」
少しばかり不安を煽られたり、夕食を期待させられる言葉に見送られ、先導するトワに続いて三人も《月見亭》をひとまず後にする。
向かう先はテラ。トワやノイのルーツが秘められた巨大遺跡、謎に包まれたそこへいよいよ立ち入る時が来ていた。