永久の軌跡   作:お倉坊主

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皆さん、明けましておめでとうございます。
先日に大きな見せ場を迎えた拙作。多くの方から評価・感想をいただいたことを、この場を借りてお礼申し上げます。
今回でパルム実習も終了し、先輩たちの一年生編も残すところ僅かとなってきました。まずは節目となる学院祭まで頑張って参りたいと思います。

それはそうと、ファルコムメールマガジンで配信中の年賀壁紙はご覧になったでしょうか。旧Ⅶ組も、新Ⅶ組も、先輩たちも……皆揃っています。
こういう時にちゃんと先輩たちも入れてくれるファルコムほんと好き。


第51話 終幕 そして――

「くっ……」

「ど、どうなったんだ……?」

 

 トワとノイが生み出した恒星の一撃により閃光と轟音に包まれたハーメル近辺。規格外の大魔法により目を晦ませていたアンゼリカにジョルジュ、そしてクロウは、ようやく周囲に平静が戻ってきたのを感じ取って薄っすらと目を開ける。

 あまりに強い光を受けたせいか明瞭としない視界。何度か瞬きを繰り返し、どうにか状況を把握しようとする。そうして目に入ってきた光景に、彼らは一様に顎を落とした。

 

 赤く染まった異界も、雷雨が降りしきる黒雲も、ドミニクが変じた暴虐なる悪魔も全てが消え去っていた。彼に呼び出された無数の眷属も例外ではない。直前までの死闘が嘘であったかのように辺りは静まり返っていた。

 そこに残されたのは、地面を抉り取ったかのような太陽の爆心地。最上級アーツを放ったとしてもこうはなるまい。球形にぽっかりと空いたクレーターに、ミトスの民の凄まじさというのを改めて思い知らされた心地だ。

 

「はは……おっかねえ。怒らせたら命が幾つあっても足りねえな」

「――そう思うんだったら、怒らせないように気を付けてよね」

 

 背中からの声に振り返る。そこにはノイと、仰向けになって倒れているトワの姿が。

 随分と疲弊している様子だ。クロウの軽口に突っ込んできたあたり大事はないようだが、吐く息は荒く身体は脱力しきっている。その身に纏っていた濃密な星の力も雲散霧消し、今はただ雨に濡れた白銀の髪が艶めいていた。

 

「えっと、大丈夫なのかい?」

「ミトスの民として全力を出すなんて十年ぶり近いの。慣らし運転もしなかったものだから、身体の方がビックリしちゃった感じなの」

「あはは……そういうことだから、少しゆっくりすれば大丈夫だよ」

 

 今まで碌に動かしてこなかったエンジンを最大稼働させたようなものだ。その場は何とか凌げても、後になって無茶が祟るのが道理というもの。全力全開の代償として、トワはしばしの休息を必要としていた。

 とはいえ、これは一時的なこと。答えを見つけた彼女が力を使うのを躊躇う理由はもうない。これからは自分の意志の元にそれを扱い、使いこなしていく。程なくして身体もそれに適応することだろう。元はそのように出来ているのだから。

 七耀教会との盟約もある。そう好き勝手には振る舞えないが……友達の為に少しばかり力を貸したりするくらいは問題ないだろう、たぶん。

 

「そうとなれば私の膝を貸してあげよう。さあトワ、ゆっくりするといい」

「あ、うん。ありがとうね、アンちゃん」

 

 今回の殊勲者を地面に寝かせるわけにはいかないと、アンゼリカが無駄に素早い動きでトワを膝枕させる。雨に濡れた髪を梳く手も悪いものではない。

 

「うぇへへ……ああ、地上に舞い降りた天使がここに……」

「アン、程々にしておきなよ」

「ったく、欲望に忠実というか何というか……」

 

 悪くはないのだが、どうも手つきが怪しいというか、頬を赤く染めて恍惚とする様が変態的というか、浮かべる笑みが色々とアウトというか。一言で表せばアンゼリカはアンゼリカであった。トワも苦笑いが浮かぼうというものである。

 それはともかく、と一つ咳払い。修羅場を超えたのはいいとして、まずは確かめなければいけないことがあった。

 

「それよりドミニクさん、大丈夫そう? 生きているのは分かるんだけど……」

 

 倒れたままのトワからは彼の様子が窺えない。その星の力を感じられることから死んでないとは判断できるが、それ以上は分からなかった。

 彼女に代わってクロウとジョルジュがクレーターの底を覗き込む。その中央には人間の姿に戻ったドミニクが倒れ伏していた。ピクリとも動く様子が見えないが、トワがそう言うのなら生きてはいるのだろう。

 

「あんな姿になってよく無事で済んだというか……一先ずは大丈夫そうだよ」

「よかった。上手く憑いた悪魔だけを消せたみたい」

「器用なことで。ま、放っておくわけにもいかねえし拾ってやるとするか」

 

 クロウが抉り取られた地面の底に飛び降りる。傾斜を滑るように向かう中、足元で何かが砕ける音が耳に響く。石などが溶解してガラス化したものだろうか。

 倒れたドミニクの元に辿り着き、一応の生存確認を行う。脈もあり、体を起こしてやると「う……」と短く呻く声がした。随分と衰弱しているようだが、命に別状はない程度のものだ。しばらく病院に放り込めば快癒するだろう。

 

(こんな奴でも救おうとするとか、本当に甘いというか……)

 

 悪魔だけ滅したというが、それは相当に神経を張り詰める針に糸を通すかのような離れ業だったのだろう。人と魔を切り離し、魔を葬る太陽の業火から人を守る。あの一瞬の間にどれだけの力を要したのかクロウには分からない。だが、彼女の疲弊ぶりから並大抵のことではないのは確かであった。

 別にドミニクごと燃やし尽くしても、誰も責めやしなかっただろうに。ボリス子爵だって哀しみこそすれ、恨みはしないに決まっている。それでもドミニクを救う形で異変を終わらせたのは、間違いなくトワの意志によるものだ。

 甘く、優しすぎる。そんな綺麗なものじゃないと知っているはずなのに、それでも世界と人を信じると言い切った彼女。クロウから言わせてもらえばとんでもない大馬鹿である。

 

(だがまあ、それに魅せられちまった奴が言えたことじゃねえか)

 

 そんな彼女の魂に魅入ってしまった。その意志の輝きに見惚れてしまった。口で何と言おうとも、それは否定しようのないクロウの真実。アンゼリカも、ジョルジュも、きっと同じことだろう。

 結局のところ、自分たちはトワに骨の髄まで誑し込まれてしまった連中なのである。今更になってへそ曲がりなことを口にはするまい。

 ――その時が来るまでは、星明りを見上げていても構わないだろう。

 

 クレーターの上にまで戻るため、ドミニクを担ぎ上げようとする。その拍子に何かが彼の懐から転がり落ちた。自然と目で追った先に在るものを認め、クロウは動きを止める。

 古めかしい装飾が施された笛。魔獣を操り、魔物を呼び出し、ついにはドミニクの身に魔を降ろさせた元凶。降魔の笛が目の前に転がっていた。

 ドミニクを生かしたことで、結果的に笛も残ることになったのか。周囲に溢れださんばかりだった瘴気は感じられない。凄まじい星の力の奔流に飲み込まれたことで、宿していた力の大半を失った。そう考えるのが妥当に思えるくらいに存在感を減じている。

 

 しばし考え……クロウは笛を拾い上げると、自分の懐に忍ばせた。

 あれだけの異変を起こしてみせた古代遺物だ。七耀教会に引き渡すか、跡形も残さずに破壊してしまうのが妥当な選択肢である。こっそりとくすねるなど論外と断じられても仕方がない。

 だが、生憎とクロウはお行儀のいい模範生でもなければ、真っ当な人生を歩んできたわけでもない。内に秘めた宿願のために使えるものなら何でも使う。たとえ、それが呪われた遺物であろうとも。

 今は古ぼけた笛にしか見えないが、あの魔女にでも見せれば何かしら役立てる方法でも講じてくれることだろう。借りを作るのはあまり気が進まないものの、これの危険性は身を以て体験している。その手に詳しい相手に任せるのが最善だ。

 

「クロウ、こっちまで運んでこれそうかい?」

「――おう、何とかな」

 

 上から聞こえるジョルジュの声。先までの冷たい思考をおくびにも出さず、クロウは平然とその呼びかけに答えた。改めてドミニクを担ぎ上げ、地の底から仲間の元へと戻っていく。

 この日々は偽りだ。それは分かっている。士官学院生クロウ・アームブラストという仮初の自分を演じる日々。いずれは捨て去らなければならないもの。

 それでも、その時までは彼女たちと共に歩もうと思う。碌でもない人生におけるせめてものモラトリアムを、何時か言われた通り全力で楽しむために。

 

「どっこいせっと。そんじゃあどうする。さっさとパルムに戻るか?」

「異界化が解けてウォレス准将の方の悪魔も消えただろうし、そちらとも合流しないとね」

 

 赤く染まっていた世界はすっかり元通りになり、ついでに雷雨を降らせていた雲も吹っ飛んだ。笛の効力が消えたことで魔獣も自ずと退いていくはず。悪魔と相対していたウォレス准将もきっと無事でいることだろう。それより前に倒してしまっているかもしれないが。

 

「本当は早く戻った方がいいんだろうけど……その前にハーメルに立ち寄りたいんだ」

 

 膝枕から起き上がったトワがそう提案する。背中から「ああっ……」と漏れる名残惜しむ声を聞き流し、彼女は辺りに視線を巡らせた。

 ふと、目が留まる。そこにあったのは、ひっそりと咲く山百合の白い花弁。その幾つかを摘み取り、仲間たちにも渡していく。

 

「せめて祈っていこう。この地に生きていた人々に、魂の安らぎがあるように」

「……そうだね、それがいいと思うの」

 

 

 

 

 

 ハーメルの跡地へと戻り、石碑が置かれた高台へ。意識を取り戻す様子のないドミニクは近くに寝かせ、トワたちは理不尽にも命を落とすことになった人々が眠るそこへと改めて訪れる。

 高く広がる空。いつしかそれは青から茜色に変わっていた。黒雲に隠れていた本物の太陽は、既に地平線の先へと姿の半分を落としている。すっかり夕暮れ時になったことを認めて、ジョルジュが嘆息した。

 

「結局、また予定通りに終わらなかったね。慣れたと言えば慣れたけどさ」

「今回はとびっきりだったからなぁ。後始末も面倒なことになりそうだし……世の中、厄介ごとが満載で参っちまうぜ」

 

 パルムを襲った魔獣の群れ、異界化による悪魔の出没、禁足地であるハーメルへの立ち入り、犯人であるドミニクの打倒。一つとっても後も大変になるのは目に見えているというのに、それがより取り見取りだ。今から憂鬱にもなろう。

 特にハーメルの件に関しては、政治的にも厄介な事情が絡んでくる。あれだけウォレス准将が念を押してきたのだ。緘口令を命じられるのはまず間違いない。

 自分たちの立ち入りを押し通し、身内が犯人でもあったボリス子爵がどうなるかも気掛かりだ。悪いことにはならなければいいのだが……今から気にしていても仕方がない。いざとなれば口先で何とか切り抜ける他ないだろう。

 

「これからも色々と大変だろうし、ハーメルの悲しみが消えるわけでもないけれど……少なくとも、この地の平穏を取り戻せたのは確かだよ」

 

 過去を変えることはできない。ハーメルの悲劇も、その波紋が起こしたダムマイアー家の謀殺も。因果を解く術はなく、これからも争いや悲しみが呼び起こされることになるのかもしれない。

 それでも、起きようとしていた悲しみの一つを防ぎ、因果が招いた歪みを正せたのは確かだと思うから。胸を張って生きていこう。また誰かが間違えようとしたならば、それを諭し全力で止めればいい。そうして世界が少しでも良くなることを願いながら。

 

「私たちが出来ることなんて、ほんの小さなことなのかもしれない。けれど、どんな些細なことであっても善くしようとしていくこと。それを積み重ね、繋いでいくことに意味があるんじゃないかな」

「そうしてこの人たちが安らかに眠れる世界を築いていく。それが私たちの責務というわけか」

「うーん……そう言われてしまうと、身に重い話に聞こえてくるというか」

 

 世界とかどうとか、壮大な規模で話されてしまうとジョルジュとしては弱音が零れてしまう。そこでクロウが呆れた様子で口を挟んだ。

 

「別に仰々しい言い方なんざ必要ねえだろ。前向きに生きていこうって、それで済む話だ」

「ざっくり過ぎる気がするけど……まあ、間違ってはいないの」

 

 結局、大事なのは心の持ちようだ。特別でもない人並の良心を持ち、誰かを想い、それを明日へと繋いでいく。当たり前の毎日を明るくできるようにしていくこと。ただ、それだけでいい。

 言うほど簡単なことではないかもしれない。それでも諦めることはないと思う。一人では無理でも、隣にいる人々と支え合って、また前へと進んでいく。人間とは、そういう生き物なのだろうから。

 

 それぞれ石碑へと花を供えていく。傍に突き立てられた折れた剣も、ここに生きた誰かの墓標なのだろうか。くすんでしまった金色の刀身には無数の傷跡が。それだけで苛烈な境遇に身を置いてきたことは察せられた。

 この剣の持ち主がどんな風に生き、どんな最期を迎えたのか。それは分からない。けれど、その眠りが安らかであってほしいと思う。

 それを成せるかどうかは、今を生きる人たち次第だ。亡くなった人々が女神のもとで憂うことの無いよう生きていく。世界が平穏であるよう努めていく。命ある人々がそう在れるようトワは願い、信じたいと思う。

 

「どうか女神のもとで安らかに――そして見守っていてください。人が明日へと歩んでいく姿を」

 

 魂の安息を祈り、未来への希望を願う。

 明日への歩みがこの人たちへの何よりの報いとなる。そう信じ、進み続けていこう。茜色の中に星明りが輝く空の下、トワは墓標を前に誓うのであった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「セレスタン」

 

 とうに日も落ち、夜闇が街を包む時間帯。旧都セントアークの中枢、ハイアームズ侯爵邸の廊下で一人の執事に若い声が掛けられた。

 眼鏡をかけた執事が振り返る。そこには親譲りの橙色の髪を持った少年が。いや、年齢的に見ればそろそろ少年から脱しようとしているのかもしれないが、幼いころから見てきた執事としてはまだまだ子供には違いなかった。

 少年の名はパトリック・T・ハイアームズ。執事はセレスタンという。この屋敷の主、ハイアームズ候の三男坊とそのお守り役である。

 

「これは坊ちゃま、どうかなさいましたか?」

「どうも屋敷が慌ただしい気がしたんだ。何かあったのか?」

 

 もう今日は休もうかと考えていたパトリック。自室に戻ろうとしたところで、彼は妙に屋敷がざわついていることに気付いた。夜半ともなれば、パーティーでもない限り静かなのが常であるというのに。

 こういう時に尋ねる相手は決まっている。セレスタンなら大凡のことは知っていると無条件の信頼があった。

 実際、その信頼は間違っていない。セレスタンは今屋敷で何が起きているかについては正確に把握していた。

 

「急の客人が見えていまして。ウォレス・バルディアス准将閣下にパルムのボリス・ダムマイアー子爵閣下、それにトールズ士官学院の方々が侯爵閣下と面会されているところです」

「ウォレス准将が? それにパルムの領主がこちらに来るのも珍しいというか……いや、それよりその面子の中にどうして学生が混じっているんだ?」

 

 事情を聞いたパトリックは混乱した。こんな夜分遅くに客人が来ることもそうだが、その面子が面子だ。ウォレス准将は領邦軍を取り仕切る関係でよく見るものの、ボリス子爵は社交界にさえ滅多に顔を出さない。名前を聞いたのも久しく思うほどだ。

 何よりも不可解なのは、そこに学生が加わっているということ。トールズ士官学院といえば帝国でも指折りの名門ではある。しかし、責任ある人物たちの面会の場に参加する理由はまるで想像できなかった。

 摩訶不思議な状況に疑問が募る。てっきりその答えも用意されているものかとパトリックは思っていたが、残念ながらセレスタンはその期待には応えられなかった。

 

「申し訳ありませんが、私も用件については聞き及んでおりません。内密な話のようですね」

「そうか……まあ、誰とも知らない学生も混じっているんだ。そう重要なことでもないだろう」

 

 気にはなるものの、仔細が知れないとなると興味を薄くするパトリック。そこには無意識の内に侮りが入っていた。名も知れない学生が立ち入ることなどたかが知れていると。

 セレスタンはそんな彼に憂慮を覚える。自分やそれに類するもの以外を些事と見做す、典型的な悪い意味での貴族的思考。自分も甘やかして育ててきてしまったと自覚があるだけに、その欠点をなかなか分からせることが出来ないでいるのが実情であった。

 もっと広い視点で物事を捉えられるようになってほしい。そう願ってはいるが、別に急いてはいなかった。来年にはパトリックも高等学校へ進学する。新しい環境に身を置けば、自ずと考えを見直す機会も訪れるだろうとセレスタンは期待していた。

 尤も、その進学予定先がトールズなのだから、もう少し気を割いてもいいのではないかと思わずにはいられないが。

 

「僕はもう休む。何か分かったら明日にまた教えてくれ」

「ええ。おやすみなさいませ、坊ちゃま」

 

 そんなお守り役の内心など露知らず、パトリックは気を晴らすと今度こそ自室へと戻っていく。その後ろ姿が見えなくなったところで、セレスタンはひっそりと息をついた。

 

(……しかし、侯爵閣下が私にも事情をお伝えにならないとは)

 

 パトリックの興味はどうあれ、面会の理由自体はセレスタンも気になるところだった。何より、ハイアームズ候の執務室で余人を交えずに行われているという機密性の点において。

 セレスタンはハイアームズ候が最大限の信を置く臣下だ。これは彼の自惚れではなく、自他ともに認める事実である。侯爵の秘書的な業務もこなす彼は主人と多くの情報を共有している。

 そんなセレスタンにも何が起きたのかは知らされていない。これは間違いなく異常な事態であった。自分でも知ることが許されない、そんな異常が起きたのだ。

 

(気にはなりますが……そこは主人の想いを汲んでこその執事というものですね)

 

 自分は執事。主人の意向に沿い、それを支えるのが本懐というもの。ハイアームズ候が伝えることが出来ないというのなら、セレスタンからあれこれ聞こうというのは間違っている。

 内容は分からないものの、あまり明るい話でもないだろう。夜遅い時間も相俟って疲れも出るはず。何かリラックスできるものを用意しておこう。

 ハーブティーあたりが適当だろうか。そんな考えをまとめながら、セレスタンもまたその場を離れて厨房へと足を運んでゆくのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「――ことの経緯は分かった。まずはありがとう、トールズの諸君。君たちのおかげで未然に大きな被害は食い止められた。州を代表するものとして礼を言わせてほしい」

 

 そうトワたちに感謝の意を伝えるのはこの屋敷の主、フェルナン・ハイアームズ侯爵。アンゼリカの父と同じく、四大名門の一人として名を連ねる大貴族だ。

 普通の感性の持ち主ならガチガチに緊張するところだろうが、トワたちは良くも悪くも普通ではない。礼儀は弁えながらも、さして固くなることもなく応対していた。

 

「感謝の言葉、ありがたく受け取らせていただきます。ですが、称賛を受けるべきは私たちに限らないのではないかと」

 

 パルムを襲った魔獣の群れ。あのままドミニクを止めなかったら、そこに悪魔の軍勢までもが加わっていたことだろう。それを阻止したのは確かに試験実習班の功績かもしれない。

 だが、そこに至るまでは到底彼女たちだけの力だけでは成し得なかった。門番の悪魔を引き受けてくれたウォレス准将、襲い来る魔獣から町を守った領邦軍にヴァンダール流の人々、住民の混乱をボリス子爵が抑えてくれなかったら更に大変なことになっていたかもしれない。

 誰かだけの力ではない。そこにいた皆が各々の意志で動き、繋がりあった想いがこの結末をもたらしたのだ。そう思うからこそトワはハイアームズ候の目を真摯に見つめ返す。

 

「ボリスさん、ヴァンダールの方々、准将閣下たち領邦軍――その派兵を決められた侯爵閣下も。皆で掴み取った未来を誇り、喜びを分かち合うべきではないでしょうか」

「……若者というのは、時に思わぬ形で驚かせてくれる。これも教官殿の薫陶あってのことかな?」

 

 笑みを湛えたハイアームズ候の目が部屋の一角へと向かう。聞かれた側の人物はと言えば、何とも答え辛い問いかけに苦笑いを浮かべるばかり。

 

「い、いやー、どうでしょうか。あはは……」

「どう考えてもサラの影響じゃねえだろ。その口からこんな人間のできた台詞聞いたことないぜ」

「確かに。仮にそんなことを言われても、この前のように抱腹絶倒する自信しかないがね」

 

 ピキリ、と引き攣っていた笑みが固まる。火急の知らせにセントアークまですっ飛んできたサラ教官。教え子たちからの心無い言葉に堪忍袋の緒が切れるのは早かった。

 

「あんた達……! 毎度毎度大変なことに首を突っ込んでおいて、少しはその減らず口を直したらどうなの!?」

 

 実習の度に胃を痛めつけられる思いの教官から雷が落ちる。元凶である二人がどこ吹く風でいる隣で、巻き添えのトワとジョルジュは肩を竦めた。

 場に相応しくない騒がしさだが、緊張を緩めるにはちょうど良かったのかもしれない。ハイアームズ候に限らず、ウォレス准将やボリス子爵からの生温かい視線にサラ教官が気付くまで今しばしの時間を要した。

 

 

 

 

 

 身柄を確保したドミニクと共にハーメルを後にしたトワたち。道中でウォレス准将とも合流し――流石と言うべきか、大した怪我もしていなかった――一同はパルムへと帰還した。

 領邦軍とヴァンダール流の尽力により町や住民は無事であり、それぞれに何名かの軽傷者を出す程度で被害は抑えられていた。常軌を逸した事態だったことを考えれば、これだけで済んだのは僥倖という他にない。

 

 異変は終息した。しかし、その事後処理は簡単には終わりそうになかった。

 ドミニクは未だに目を覚まさない。悪魔化の影響で著しく体力を消耗した状態にあるのだろう。そのまま拘束するわけにもいかず、まずは設備の整った病院に収容する必要があった。

 犯人の最も身近にいたボリス子爵にも改めて事情聴取が求められることになる。全ての犯行はドミニクの手により行われたのはウォレス准将も承知のことだが、かけられていた嫌疑を晴らすためにも正式な聴取は不可欠だ。

 そしてトワたちもまた、帝国の禁忌に触れた身としてその裁可を受ける必要があった。喫緊の事態だったとはいえ、こればかりは仕方がない。想定していた通りに彼女たちはセントアークへ戻るウォレス准将に同行することになる。

 

 そうした経緯の末に持たれることになったハイアームズ候との面会の場。ドミニクは既に病院へと送られた。学院側の責任者としてサラ教官も急遽として出張り、この夜分の侯爵邸に異色の面子が揃うことになったのである。

 

「でも、思いもしませんでしたよ。サラ教官がハーメルのことを知っていたなんて」

 

 さて、と仕切り直したところでジョルジュが驚きの念を口にする。当初は自分たちも期せずして知ってしまった機密の関わることにサラ教官を呼んでいいものかと思っていたが、そこは問題なかった。彼女は既に帝国の闇を知り得る身だったのだから。

 先ほどまで騒がしくしていたのと打って変わり神妙な様子のサラ教官。彼女がその事情に通じていたのは前職の関係であった。

 

「ギルドには独自の情報網があってね。百日戦役に関わることも、大まかには把握しているのよ……流石にハーメルのことを知り得ているのは一部の高位遊撃士に限られるけど」

 

 民間人の保護を第一とする遊撃士。戦争勃発ともなればその役目の為に果たすべきことは多くあり、不自然な戦争の発端を探ることもあったのだろう。停戦調停には遊撃士も仲だったと聞くことから、隠された真実を承知していたとしても不思議ではない。

 貴族派将校が引き起こした愚行は、特に遊撃士にとって許されざることだ。だが、国家間で交渉が成立してしまった以上は詳らかにすることは適わなかったのだろう。彼らもまた、公の組織として規則に縛られる身なのだから。

 

「改めてだが、ハーメルについては緘口を約束してもらうことになる。流布した場合、厳罰に処されることは避けられないだろう」

「……欺瞞だと罵ってくれて構わない。その権利が君たちにはある」

「いえ……侯爵閣下のそのお気持ちだけで十分です。私たちは大丈夫ですから」

 

 沈痛の面持ちを浮かべるハイアームズ候。四大名門でも穏健派と聞くのは間違いではないようだ。自分たちの感じた悲しみと憤りを慮ってくれる人に悪いことなど言えようか。

 それに、トワたちもハーメルのことを明かせない理由は承知している。納得している、というのは難しいが、理解はしているつもりだ。政治的なことに対してとやかく言うつもりはない。

 彼女の答えにハイアームズ候は「そうか……」と零す。彼としても思うところはあるようだが、感傷に浸ってばかりもいられない立場だ。気を取り直すと次のことへと目を向ける。

 

「ボリス子爵」

「はい」

 

 常の陽気さなど欠片も残っていないボリス子爵。十年を共に過ごしてきたドミニクが仕出かしてしまったこと、その抱えるものに気付けなかったこと。彼が気落ちするのも無理はなかった。

 元からあった嫌疑に加え、ボリス子爵にはトワたちのハーメルへの立ち入りを押し通した点がある。判断が難しいところだが、本人は既に罰を受け入れる気でいる様子。ハイアームズ候からの呼びかけに返答が震えることはなかった。

 

「トワ君たちが聞いたドミニク氏の証言からも、あなたが襲撃事件に関与していないことは間違いないだろう。これに関しては、この場で無罪放免を約束する」

 

 言葉を区切るハイアームズ候。そして、と肝心の続きが語られる。

 

「ハーメルの件は、危機的状況であったことを鑑みて事後承諾という形で処理したいと思う。少しばかり手古摺るかもしれないが、私の名においてあなたに不利益を被らせはしない」

「…………は」

 

 気の抜けた声が零れ落ちる。要するに罪には問わないということ。これ以上ない寛大な処置だ。言うほど簡単なことでもないだろうに、ハイアームズ候の判断にトワたちも驚きと尊敬の念を覚える。

 しかし、ボリス子爵は違った。そこにあったのは喜びと感謝ではなく、疑念と納得のゆかない気持ち。呆然としていた彼はようやくといった様子で口を開く。

 

「どうして……私は、侯爵閣下の手を煩わせるような、そんな……」

「あまり自分を卑下しないでほしい。私はあなたを欠かすには惜しい人だと思っている。社交界では肩身が狭いかもしれないが、領民を想うあなたは紛れもなく――」

「違うのです……!」

 

 言葉を遮り、ボリス子爵は絞り出すような声で否定する。悲痛に満ちた様子で、彼は自身への肯定を拒絶した。

 

「彼の凶行を見過ごしてしまった、心に刻まれた傷に気付いてやれなかった! 時が癒してくれたと高を括り、隣にいながら何一つできず……そんな男にどうして罪がないというのです!?」

「あたしは話を聞いただけですけど、その秘書さんは古代遺物の影響でああなってしまったのでしょう? 子爵閣下がそんなに気に病むことでは……」

 

 見かねた様子のサラ教官が口を挟む。客観的に見て、彼に非はないように思えたから。

 事実として、一連の出来事の発端は降魔の笛にあるのだろう。悪魔の撃破と共に破壊されたと思われる(・・・・)呪われた遺物。その力に憑かれ、ドミニクが結果的にあのような真似をしてしまったのは間違いではない。

 だが、そうではないのだ。ボリス子爵を苛むのはそんな端的な事実ではない。過去の自分の行いが巡ってドミニクを歪めることになってしまった。そう思うからこそ、彼は自分が許せない。

 

「その根を作ってしまったのは私なのだ。罪も償わず、のうのうと生きるなど……」

 

 切っ掛けは重要ではない。その火種となったもの、ダムマイアー家が炎に消えたあの日の記憶。それを引き起こしたのは前当主の暴走であり、原因である貴族社会での凋落はボリス子爵の行いに起因するものだ。

 罰を受け入れる気でいる、と先ほどは評した。俯く彼の姿を見て、それは誤っていたと気付く。彼は、罰を受けたかったのだ。

 

「――では子爵、聞かせてもらうが」

 

 そんなボリス子爵へ静かに問いかける。ハイアームズ候は温厚な面持ちを厳しさで染め、目の前の彼をひたと見据えた。

 

「あなたが罰を受けたとして、その罪を贖うことが出来ると本当に思っているのか?」

「…………っ!」

 

 鋭く、痛みを伴う言葉だった。その正しさを理解できるだけに、何よりも深く胸に突き刺さる。

 望む通り、罰を受けたとしよう。しかし、それは法と規則が定めたもの。形式的なものに終始し、彼の心を救うことにはならないと思われた。

 

「……同じく領地を預かる身として言わせてもらえば、それは『逃げ』にしかならないでしょう。今回の件で不安の残る民もいるはず。子爵閣下にはそれに向き合う責務があるはずです」

 

 ウォレス准将の道理を説く整然とした言葉が続く。それもまた、確かな事実だ。

 被害こそ小さなもので済んだとはいえ、襲撃を受けた領民の心中には少なからない波紋が残されたことだろう。ハーメルを記憶に残すものならば尚更のこと。加えて領主までも罪に問われようものならば、パルムという町は決定的な打撃を受けることになる。

 

 ボリス子爵も、二人が言うことは正しいと理解している。それでも飲み込むことが出来ない罪悪感があった。己を苛むものに折り合いをつけられない。彼の心はそこまで強くなかった。

 惑うその足を、再び前へと進める助けになれたなら。そう思い、トワは口を開く。

 

「ボリスさん、確かにドミニクさんは間違いを犯してしまいました。それは認めなくてはならないことですし、遡ればあなたにも一因があったのかもしれません」

 

 魔獣を用いた襲撃による帝国各地での騒乱罪。ドミニクの犯した罪は決して軽いものではなく、極刑はなくとも長期の懲役が科されることになる。その人生において大きな傷跡となることは目に見えていた。

 彼らにまつわる過去を知ったトワにも、ボリス子爵を苦しめる罪悪感の一端は理解できる。けれど、そこで彼に安易な道には逃げてほしくなかった。

 

「でも、彼は生きています。その先にまだ道が続いているのなら、間違いを正していくことはできるはずです」

 

 罪を犯したからといって人生が途絶えるわけではない。命がある限り、歩むべき道もまた続いていく。その行く先を決めるのは、これからのドミニク次第だ。

 彼だけでは無理かもしれない。でも、独りで歩んでいく必要もない。支えてくれる人と共に歩むことが出来るなら、犯した過ちに向き合って未来へと進んでいくことも適うだろう。

 

「もう一度、ドミニクさんと向き合ってあげてください。また一緒にいてあげてください。彼と共に生きて、明日へとまた歩み直していく……それが出来るのは、ボリスさんだけなんですから」

「――――」

 

 ボリス子爵は言葉が出なかった。言い知れない感情のさざ波が押し寄せる。奥底から溢れ出てくる気持ちに、眼鏡を外した彼は目頭を押さえた。

 思い返されるのはドミニクと共に在った日々。望まずしてなった子爵として忙殺されながらも、何とか時間を作って世話を焼いた。商談で各地へと連れ回し、辛い過去を忘れさせてやりたかった。成長した彼を秘書として、勝手をしてはどやされながらも笑い合った。

 その日々を無為なものへと帰すか、これからの礎とするか。決めるのは他の誰でもないボリス子爵自身だ。

 

「……君は優しいな、トワ君。穏やかで、慈しみのある……それでいて厳しい子だ」

 

 心のどこかでは分かっていたのかもしれない。分かりつつも、怖くて直視しようとしなかった。ドミニクに巣食うものに気付けず、それを見過ごしてしまった事実に怖気づいてしまっていた。

 だが、トワに目を逸らしていたものを突き付けられてしまった以上は無視することはできない。それは優しさと厳しさが同居する行い。どんな言葉よりボリス子爵の胸を強く穿つ、されど彼にとって必要なものだった。

 目尻を拭ったボリス子爵はハイアームズ候へと向き直る。涙声を少し残しながらも、その面立ちから先までの影は幾分か取り払われていた。

 

「侯爵閣下、この身は人に頼らねば領地運営もままならぬろくでなしの身ですが……そんな私でも、まだ出来ることがあったようです。事後処理の件、よろしくお願い致します」

「――ああ、勿論だ。これからもよろしく頼む、ボリス子爵」

 

 これにて一件落着か。結果的には丸く収まり、トワたちも安堵の念から胸を撫で下ろす。全てが解決できたわけではない。けれど、これで希望を持って先へと進んでいくことはできるだろう。

 面倒事が片付いたと思ったら気も抜ける。クロウが何時にも増して疲れの滲む声を漏らした。

 

「ようやく今回の実習も完了か。さっさとベッドに飛び込みたい気分だぜ」

「……いや、実を言うと問題がまだ一つ残っている」

「へ?」

 

 不意を衝くウォレス准将の言葉。思わぬ発言に揃って間抜け面を晒してしまう。

 しかし、実際のところこれ以上何を話し合う必要があるというのか。確かに細々とした後始末はあるだろうが、それは自分たちの手の及ばないところのこと。この場で話題に出しても仕方ないとはお互いに分かっているはずだ。

 疑問が浮かぶばかりで答えに思い至らないトワたち。そんな彼女たちに告げられたのは、考えもしない――というより、すっかり見落としていた問題だった。

 

「あの異界を崩壊させた最後の一撃。黒雲を打ち払い、天を照らす光に俺も震えを覚えるほどだったが……タイタス門でも観測したそうでな。何だったのか問い合わせが来ている」

「えっ」

「リベール側でもそれは同じだ。対外的にも正規軍にも妙な誤解を与えないよう、正しく事情を説明したいのだが、結局あれは何だったんだ?」

「ええっ!?」

 

 悪魔の渾身の一撃を打ち破り、それを打倒したトワが生み出した疑似太陽(ソル・イレイズ)。ミトスの民の全力を込めた大魔法は、どうやら傍から見て些か派手すぎたらしい。

 自分の行いが知らぬところで派閥問題や外交問題を引き起こしかけていて焦るトワ。冷静に考えてみれば当たり前だ。雷雨を降らせていた雲が跡形もなく吹き飛び、地より空が照らされるなど立派な天変地異。騒ぎにならない方がおかしいだろう。

 かといって正直に説明するわけにもいかない。私が疑似的に太陽を作りました。そんなことを口にしてしまえば、芋づる式に全て明らかにしなければならなくなる。それは流石に不味い。

 

「ええっとですね、あれは何というか、説明しづらいのですけれど……ね、ねえクロウ君!」

「お、おう!? まあ、あれだな、言葉にするのが難しいというか……なあゼリカ!」

「ああ、まあ、そうだね。あれを具体的に何と言うべきか……どうだいジョルジュ?」

 

 上手い言い訳が見つからず、冷や汗を垂らしながら仲間内でたらい回し。あれ、あれ、と不明確な言葉で場を濁しながらリレーを繋ぎ、アンカーのジョルジュへバトンが渡される。彼からの恨みがましい視線に三人は目を逸らした。

 

「あー、そのー、ドミニクさんが変じた悪魔の最後の悪あがきといいますか……僕たちも必死だったのであまり覚えていないんですけど……」

「ふむ……私も目にしたが、あれを間近によく無事だったものだね」

「というか、揃ってボロボロなのは何時ものことだとして……トワ、あんたどうなったらそんな風になるのよ?」

 

 苦しい言い訳を何とか捻り出したと思ったら、今度はサラ教官からの訝しむ目が突き刺さる。標的はトワの姿。悪魔の雷光を真っ向から受け止め、それを無効化した彼女であったが、余波で制服の肘から先は黒焦げて焼け飛んでしまっていた。

 焼け焦げていることから炎に巻かれた、というのならまだ理解できる。だが、その下の剥き出しになった腕に火傷の痕はない。明らかに不自然な有様であった。

 雷を受け止めたら焦げてしまいました? どう考えても面倒なことになる未来しか見えない。逃げ道を模索するトワの目があちらこちらに泳いだ。

 

「これは、そのぅ……少しばかり無茶が祟ったと言いますか……」

 

 言い淀む様子にますます疑念を募らせるように見えるサラ教官。にへら、と誤魔化しの愛想笑いを浮かべる。にこり、と向こうも纏う雰囲気はそのままに笑みを浮かべた。怖い。

 もう駄目かもしれない、と諦めが首をもたげる。いっそのこと洗いざらい話してしまえば楽になれるだろうか。教会も巻き込むことになってしまうけど。

 

「まあ落ち着くといい、バレスタイン教官。彼女たちは想像を絶する戦いを制してきたのだ。今から根掘り葉掘り問い詰めるのは酷というものだろう」

 

 そんな追い詰められたトワに助け舟を出したのはハイアームズ候。彼の温和な笑みを前にして、サラ教官も深追いするわけにはいかなくなる。遊撃士の活動を黙認してもらっている手前、あまり強く出られない立場であった。

 

「古代遺物の関わる異変だ。どの道、事の仔細は七耀教会にも伝えなければならない。リベールに正規軍への説明も、教会に仲立ちしてもらえば荒立つこともないだろう」

「ふむ……承知しました。では、そのように」

 

 若干の気になる様子を見せつつも、ウォレス准将もその言葉に頷く。彼は武人にして臣下だ。内心はともあれ、その槍を捧げる主君に従った形だろう。

 

「人の教育に私が口出しするのも変な話だが……彼女たちに悪意があるわけではないのは確かだ。ここは一つ、大人として見守ってあげるのはどうだろうか?」

「ああ、もう分かりました! まったく、こんなところばかり先生にそっくりなんだから……」

 

 そう言われてしまってはサラ教官も嫌とは言えない。やけくそ気味ながら了承する。ぶつくさと文句を垂れる彼女には、なんだか哀愁が漂っていた。

 察するに、遊撃士時代も似たようなことがあったのだろう。あの破天荒な伯父のことだ。滅茶苦茶なことをやらかしては、問い詰めてくる弟子をのらりくらりと躱す姿が容易に思い浮かぶ。

 同じ扱いをされるのは不本意だが、こればかりは否定のしようもない。申し訳なさもあって、トワは素直に頭を下げた。

 

「その、すみません。色々と込み入った事情があって……」

「あー、はいはい。もういいわよ、あたしの方も色々と諦めがついてきたから」

「それが正解だぜ。こいつのことでいちいち気にしていたら切りがねえ」

「……こっちは、あんたたち全員のことを言っているんだけど」

 

 手厳しい限りである。教官からのお言葉に四人は揃って苦い笑みを浮かべた。

 ともあれ、ハイアームズ候のフォローもあって助かった。立場のある人だけに、単なる親切心とも限らないが……それでも悪い人ではないと信じられる。顔繋ぎに少しばかりの恩を売られたくらいに考えておけばいいだろう。

 

 これにて本当に一件落着。夜分遅くのため、今夜はセントアークで一泊。翌朝にトリスタへ帰り、それでようやく今回の試験実習は終了だ。

 何時にも増して濃密な時間を過ごしたパルムにおける実習。その中に重く、苦しいものがあった。それ以上に多くの糧と実りがあった。一つの壁を乗り越えた、確かな手応えがトワたちの内にある。

 その成果は、内に限らず外にも影響をもたらした。間違いなくその一人であるボリス子爵は、改まった様子で咳払いすると自身の役割を全うするべくトワたちへ声掛ける。

 

「おほん、では実習の現地責任者として場を締めさせていただこう。まずはパルムの領主として、異変の解決に尽力してくれた諸君に改めて感謝を」

 

 そして、とボリス子爵は万感の思いを込めて言葉を続ける。

 

「個人として、ドミニク君の、私たちの過ちを止めてくれたことに、最大限の礼を言わせてもらいたい……ありがとう、トワ君たち。君たちと巡り会えたのは私にとって最大の幸運だ」

「――こちらこそ。ボリスさんたちに出会えたこと、その未来を築く手助けとなれたこと。星と女神の巡り合わせに感謝し、力となれて誇りに思います」

 

 偶然の出会いが縁を作った。繋がった縁が引き寄せ合い、こうして明日へとまた一歩を踏み出す結果へと導いた。それを人は運命か、はたまた因果とでも呼ぶのかもしれない。

 けれど、結局のところはそこに至るまでに人が為すことが肝要なのだとトワは思う。繋がった想いが力となり、力が未来を切り開く助けとなる。

 

「困ったことがあれば訪ねてくれたまえ。今度は私が助けとなれるよう全力を尽くすとしよう――おっと、まずは新しい制服を用意しなくてはね」

 

 そうして人はまた繋いだ縁と共に未来へと進んでいく。きっと、人間とはそういうものなのだ。

 唐突に飛び出したご尤もな提案に、その場の誰もが笑い声をあげるのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「…………これは」

「なんていうか……とんでもないわね」

「やれやれ、霊脈の乱れに何事かと思えば……誰か知らんが随分と派手にやったものだのう」

 

 夜半、試験実習班とドミニクが死闘を繰り広げたハーメルにほど近い場所に、一見して不可思議な人影が姿を見せていた。

 三つ編みの髪に眼鏡をかけた少女、それより小さな紅目の少女、それに人語を話す黒猫。この地にいるだけでも普通ではないというのに、最後の黒猫に至ってはどう考えたものか。常識では測れない彼女たちは、当然ながら尋常な素性ではない。

 かつてエレボニアの地に存在した《焔の至宝(アーク・ルージュ)》を受け継いでいた者たちの末裔、それが彼女たち《魔女の眷属(ヘクセン・ブリード)》。その長に養い子、加えて使い魔というのがこの面子であった。

 

「微かに残る幽世の気配に……それを塗りつぶすようなこれは……」

「霊力じゃない……? でも、本質的には変わらない感じがするわね」

 

 太陽が穿ったクレーターを前に難しい顔をする三つ編みの少女――エマ・ミルスティン。幽世の気配はいい。それは既知のものだから。だが、それ以上に濃厚に漂う謎の力の気配が彼女の困惑を誘っていた。

 エマの使い魔、セリーヌも戸惑いを覚えていた。こんなものは感じたことがない。とはいえ、まるで馴染みのないものにも思えない。そんな奇妙な感覚だ。

 

「ふむ、霊力と存在を同じくしながらも霊力に在らず……差し詰め、コインの表と裏か」

「お婆ちゃん、何か分かったの?」

 

 思わせぶりなことを口にする紅目の少女――ローゼリア・ミルスティンにエマは問いを投げかける。幼げな姿でも八百年の時を生きる魔女の長、自分では分からないことに気付いたのだろうと。

 

「妾たちが扱う霊力が表の面とするならば、これは謂わば裏の面。裏側にしたところで同じコインなのだから、妾たちにも霊脈からその動きが感じ取れた。そんなところじゃろ」

「……? えっと……」

「全然分からないわよ、ロゼ。もっとマシな説明はできないの?」

 

 問いに対して答えはあったが、それはまるで理解を超えたものだった。困惑を深めるエマにセリーヌも同感だったらしく、無遠慮に文句を叩いていた。

 表と裏と言われても、そもそも霊力にそんなものがあるのだろうか。東方に陰陽という概念があるとは聞くが、それはあくまで性質の問題。その存在自体が霊力というものであるのには違いないはずだ。

 得心してもらえなかったロゼは「文句の多い使い魔じゃのう……」と愚痴をこぼす。捨て置くわけにもいかず、仕方なさそうに再び口を開いた。

 

「要は、妾たちとは世界の解釈が違う(・・・・・・・・)のじゃろう。世界が一つである以上、その存在は同一ではあるが、妾たちとは根本的に捉え方を異にしておる」

 

 尚も難解なその説明。どうにかそれを咀嚼し、少なからず理解が及んだところで――エマは驚愕に身を凍らせた。

 今まで自分がただその存在だと思ってきた霊力に違う捉え方がある。このゼムリアという世界を別の何かとして見る存在がいる。魔女として世界の裏側を知るだけに、その事実の異常性が理解できてしまった。

 

「そんなこと……いったい、どんな存在が出来るっていうの……?」

「さてのう。長いこと生きておるが、とんと心当たりがないわい」

「なによ、年寄りのくせに役に立たないわね」

「婆にも分からないことはあるんじゃ! 何でもかんでも聞くでない!」

 

 歳を食っている割には反応が子供っぽいロゼ。緊張を感じていたエマとしては、そんな祖母になんだか気を抜かれてしまう。

 

「んんっ……じゃがまあ、この気配には覚えがある。エマ、お主も《流星の異変》のことは聞いていよう」

 

 仕切り直したロゼの言葉に頷き返す。それならエマの記憶にも色濃く記されている。

 三十年前に起きたという未曽有にして不可思議な異変。いったい何がそれを引き起こしたのか、それに何の意味があったのか。魔女たちは与り知らないが、何が起きたかだけは克明に伝えられている。

 

「ええ。空に突如として現れた巨大な遺跡、それが地へと光を放ち、海へと堕ちていった――そう聞いているわ」

「あの時のことははっきり思い出せる。妾たちも、それが何か途轍もないものとは分かっていても所在は空の向こう。手立てがないうえに、それが突然ピカッと光ってな。ハラハラもんじゃったぞ」

 

 冗談めかして話してはいるが、当時の魔女の里が騒然となったことはエマも聞いている。あの遺跡が害あるものなのか否か、それを確かめようにも不可能な状況。霊脈の繋がらない空の彼方に転移など出来るはずもない。

 すわ大崩壊の再来か、と戦々恐々している内に遺跡が動きを見せた。その結晶状の基部から遠く海の向こうへと光を放ち、収まると共に遺跡も海へと堕ちていったという。不思議なことに、津波の知らせなどは全くなかった。

 打つ手もなく祈るばかりだったのは教会も同じだったらしく、彼らは遺跡が堕ちた先へとすっ飛んでいった。そこで何を目にしたのかは知らない。少なくとも危険はない、出向いたロゼにそれだけを告げ、彼らは口を噤んだという。

 

「あの光と同じものをこの気配には感じる。それが何なのかは、妾にも分からぬが」

 

 結局、あの異変は何だったのか。その本当のところは分からない。あの遺跡のもとに向かえば何かしら知れるのかもしれないが、教会との間には例の遺跡にはお互いに触れないという暗黙の了解がある。それを破ることもないだろう。

 だが、真実は知れなくとも、それがもたらしたと考えられるものは残されている。そこから思うところはロゼにもあった。

 

「今から思えば、あれは祝福だったのかもしれん。霊脈は乱れ、世俗はあわや戦争間近。奈落病という恐ろしい病も蔓延しておった――それが異変を契機に少しずつ好転し、そして世界に新たな地平を開いたのじゃからな」

「……レクセンドリア大陸。世界の果て、嵐の向こうに見つかった原始の大地か」

 

 どんなに手を尽くしても乱れ行くばかりだった霊脈が安定した。極限にまで高まっていた大国間の緊張が緩和した。人の霊気を蝕む恐ろしい病を癒す薬草が奇蹟的に再発見された。

 そして、人は地平線の先に新たな大地を見つけた。人を拒絶する世界の果ての嵐。それが晴れた先に待っていたのは、原始の生命が息づく未踏の大陸だった。

 流星の異変を切っ掛けとして、世の中が緩やかに良い方向へと進み始めたのは間違いない。そのどこまでに異変が関わっているかは分からないが、少なくともあの時のことが『悪しきもの』ではなかったとロゼは思っている。

 

「事の善悪を見誤るでないぞ、エマ。計り知れぬ巨いなるものであろうとも、如何に脅威と思えようとも、そこにある意思が悪とは限らぬ。巡回魔女として外に出るならば、心しておくがよい」

「……はい」

 

 長としての、育ての親としての言葉にエマは素直に頷いた。姿を消した姉の後を追うために、エマは来年には巡回魔女として里を出る。ここに来たのも、その予行演習のようなものだ。旅立ちに向け、祖母の教えを胸に刻みこむ。

 エマは改めて目の前の光景を見た。抉られた大地。想像を絶する高熱によってか、その表面にはガラス化したものが星の明かりで煌いている。エマには、人間には作り出せない光景。

 覚えるのは恐怖だ。絶大な、得体の知れない力の持ち主に対する恐怖。それは人として当たり前の感覚であって、否定されるものではないかもしれない。

 だが、もしその力の持ち主を前にすることがあれば、エマは見定めなければならない。その存在が善か、悪か。己の内の恐怖に打ち克って。

 

「ねえ、お婆ちゃん。この光景を作ったのは、どんな存在だと思う?」

「そうじゃのう」

 

 訪れるかもしれないその時を思い、エマは祖母に問いかける。この外の世界で、自分はいったい何と出会うことになるのだろうかと。

 それに対するロゼの答えは朗々としたものであった。

 

「悪魔か、化け物か、怪物か。或いは……」

 

 ――『神』と呼ばれる存在かもしれんな。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 帝国本土より遥か海の先。水平線の向こうへと一夜を通して進んでいった先に、シエンシア多島海は存在する。その名の通り、有人無人併せて数多の島が浮かぶこの海域に、朽ちた遺跡が積み重なるようにしてできた島がある。

 それこそがトワの故郷《残され島》。ほんの数十人ばかりの小さな村がある、それだけを見れば何の変哲もない長閑な島。

 

 遠く水平線の向こう、同じ星空の下、大陸がある海の先を見つめる女性の姿があった。

 丈の長い白い装束。同じく雪のように白い肌が覗く肩には薄いショールが掛かる。何より、海風に揺蕩う長い白銀の髪と、宝石のように輝く紅い瞳が印象的だった。

 その目にはいったい何を映しているのだろうか。じっと海の先を見つめ続ける女性の表情には、一言では言い表せない複雑な色が浮かんでいる。その心中を余人が知ることは難しいだろう。

 適うとするならば、それは共に苦難を乗り越えて心を交わした人々。まさに今、その一人が彼女の姿を見つけたところだった。

 

「こんなところにいたんだ。探したよ」

 

 碧髪の男性――ナユタは、そう言って彼女の傍による。いつの間にかふらりと姿が見えなくなっていたから、気になっていたこともあって後を追ってきたのだ。

 家から少し離れた崖際。元より島は夜になれば静かなものであって、ただそこには潮騒だけが響く。並び立った彼に向け、女性は少しバツの悪い様子を見せた。

 

「ごめんなさい。気を遣わせてしまったみたいで」

「別に謝ることじゃないけど……夕暮れくらいから、何か気になっているみたいだったから。姉さんもそれとなく気付いていたみたいだし」

 

 そこまで態度に出しているつもりはなかったのだが、やはり長年の付き合いというのは馬鹿にならないらしい。ちょっとした変化も如実に感じ取られていたようだ。それが嬉しくもくすぐったくて、彼女は「そう」と小さく笑みを浮かべた。

 二人で揃って水平線を見つめる。ナユタは自分の方から何か聞こうとはしなかった。ただ傍に寄り添って、彼女が独りでいないようそこにいる。勿論、明かしたい胸の内があるのなら耳を傾けるつもりだ。

 そんな彼の優しさを感じながら、少し間を置いて彼女はぽつりと呟いた。

 

「――あの子を感じたの。以前にも薄っすらとはあったけど、それより遥かに強く」

 

 瞼を閉じて思い返す。遠くの地より世界を通して響いてきた星の鼓動。違えるはずもない。それは疑いようもなく我が子の内より発せられたものだった。

 

「揺るぎなく強く、けれど温かく優しい命の輝き。きっと兄さんも同じように感じたと思う」

「……そうか。思ったよりも、早かったかな」

 

 ナユタもそれを聞いて理解する。あの子は、トワは遂に至ったのだと。恐怖と畏れを乗り越えた先、自らの意志でその力を揮う境地へと。

 親の見ない間に子は成長していくもの。帝都で久しぶりに会った時に実感したものだが、まさかここまでとは彼も想像していなかった。それもやはり、共にある仲間たちの存在があってこそのことなのだろう。

 

 二人の内には、無論のこと喜びがある。不幸な巡り合わせから心に傷を負ってしまうことになったトワ。自分の持つ力の大きさに押し潰されそうになっていた過去を思えば、その成長には感無量の心地となるというもの。

 だが、ただ喜ぶだけでは済ませられない事情があった。乗り越えたその先に待つものがある。受け継ぐべき過去と力がそこにある。来るべきその時に、あの子へ託そう。自分たちはそう決めたのだから。

 果たしてその選択が正しいものなのか、二人もまだ判断をしかねていた。故にこそ、先を見つめる顔には憂いが混じる。

 

「私たちが遺すものは、あの子を幸せにできるの? それとも、更なる苦難を呼び込む種となるだけ? 考えてばかりいても仕方ないとは分かっているけれど……」

 

 それでも考えずにはいられない。親が子を想うが故に、その幸せを願うが為に。内実はどうあれ、彼女の憂慮は母親として当然のものだった。

 気持ちはナユタにも痛いほどに分かる。彼だってその親なのだから。

 

「……未来がどうなるかは分からない。でも、あの子だってそれは承知の上の筈だ」

「あ――」

 

 隣の彼女の手を握る。夜風で冷えていた手がじんわりと温かくなった。

 受け継いだその先に待っているものが幸せとは限らないかもしれない。降りかかる苦難に挫けてしまうこともあるかもしれない。それは否定しかねる未来の予想図だ。

 だが、それでも我が子が前へと歩んでいく決意をしたのなら――ナユタは、その想いを後押ししてあげたいと思う。

 

「トワの幸せは、他でもないあの子が掴むものだ。僕たちがするべきは、その行く先を見守って、支えてあげることなんじゃないかな」

「そう……そうね」

 

 子はいずれ親の手を離れていくもの。言葉では分かっていても、その実は理解できていなかったのかもしれない。或いは、こんなにも早く訪れるとは思っていなかったのもあるだろう。

 いつまでも涙を流して怖がるばかりだった子供ではない。もうトワは自分の意志で歩み、未来へと進み始めている。その道をどうして親が阻むことが出来ようか。

 父の言葉に母も頷く。子のために、為すべき事を成そうと。

 

「その時は直に訪れる――心を決めましょう、ナユタ。あの子の、トワの想いに応えるために」

「……うん。そうだね、クレハ」

 

 手を繋ぐ二人は空を見上げる。

 夜天に星は巡り、時を刻みゆく。来るべきその時は、もうすぐそこにまで迫ってきていた。

 


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