永久の軌跡   作:お倉坊主

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改めて考えるとヤベー奴しかいない試験実習班とかいう連中。

ミトスの民
テロリスト兼蒼の起動者
地精
変態

これは紛れもなく帝国の多様性を示すⅦ組の前身ですね(白目)


第49話 降魔

 ボリス子爵を追って工場の外に飛び出したトワたち。暗雲立ち込める空に奇怪な音色は響き続けている。普通の音の響き方ではない。少なくとも町の近くではないと思われるが、どちらから聞こえてくるのかも分からない不自然なそれに警戒が募る。

 そこへ町の郊外から走ってくる人影が目に入った。農家の人だろうか。表情は怯え、まるで何かから逃げてきたかのよう。いち早く反応したボリス子爵が彼らのもとに駆け寄る。

 

「君たち、いったい何があったのかね!?」

「こ、工場長! それが、妙な音が聞こえてきたと思ったら急に魔獣が暴れ初めまして……!」

 

 覚えのある現象だ。催眠にかけられたように暴れ狂う魔獣、鳴り響く不穏な音色。かねてからの推測に確信を得るには十分な状況だった。

 

「愚かな……! 何を思ってこんな真似を……」

「……心当たりがあるなら聞きたいところだが、悠長にしている暇はなさそうだ。下がってな!」

 

 街道門の先を睨み据えたクロウが鋭い声をあげる。獣、鳥、虫、雑多な姿かたちの蠢く黒い影たち。パルムの町に魔獣の群れが迫りつつあった。

 逃げ込んできた人々を背に回し、トワたちは得物を構える。町の中にまで入られたら厄介だ。ここで食い止めるべく、押し寄せる魔獣を迎え撃つ。

 

「さっさと片付けんぞ! 足を止めたら一気に斬り込め!」

「うん、任せて!」

 

 狙うは速攻。先手を取ったクロウが広範囲にばら撒くように二丁拳銃を乱射する。張られた弾幕に否応なく足を鈍らせる魔獣。動きを止めた時点で彼らの命運は決した。

 空を切り裂く刃の閃き。一息に距離を詰めて群れの中にトワが飛び込んだ。瞬く間に急所を斬られた数体が倒れ、脅威に感づいた他が意識を向ける頃には逃れ得ぬ一刀が宙を舞う。高速の三次元機動による強襲で魔獣は一挙に混乱状態に陥った。

 浮足立つそこに追撃が襲う。拳と機械槌を振りかぶったアンゼリカとジョルジュが正面から仕掛ける。例え群れようとも、所詮は操られただけの統率のない集団。足並みを崩せば駆逐するのは難しくはない。

 

「――む、もう終わりか。あまり手応えはなかったね」

 

 もはや四人にとって街道の魔獣程度は敵ではなかった。試験実習班の結成よりおよそ五か月。戦術リンクを完成させ、ついには二人でサラ教官を打倒するまでに成長した彼女たちは事もなく群れを一蹴する。

 

「アン、あまりそういうこと言っていると……ほら来た」

「手配魔獣級もいるみたい。皆、気を抜かないでいくよ!」

 

 しかし、この状況における脅威は単体の戦闘力にあらず。数という単純明快な要因にこそ帰結する。

 後続の群れに対して引き続き迎撃の態勢を取るトワたち。間断なく迫りくる数が勝るか、磨き上げてきた質が勝るか。背中にあるパルムの町を守るため、臆することなく彼女たちは戦い抜かんとする。

 

「――いや、それには及ばない」

 

 その緊張は、後ろから聞こえた力強い声により解かれた。

 疾駆する影。振るわれるは旋風を纏いし十字槍。黒き風の一突きは大型魔獣を容易く撃破し、その余波で周囲の雑兵までも吹き飛ばす。

 たった一撃で魔獣の集団を壊滅させた浅黒い肌のその人に安堵の息が漏れる。流石に達人級の背中は安心感が違った。

 

「ヒュウ、さっすが」

「准将閣下、来てくださったんですね!」

「遅れてすまなかった。だが、これで町の守りは盤石にできるだろう」

 

 颯爽と駆けつけたウォレス准将。その背を追うようにサザーラント領邦軍の部隊が現れる。装甲車が一台に随伴の歩兵部隊。魔獣を相手取るには十分な陣容だ。

 

「第二小隊、アグリア旧道方面の防衛線を構築! 決して町に近付けるな!」

「「「了解(イエス・コマンダー)!」」」

 

 展開していく部隊。魔獣がどれだけ押し寄せてくるか分からないが、少なくともこれで町への被害は抑えられるだろう。

 しかし、ウォレス准将の言葉を聞くに部隊は他にも展開しているようだ。つまるところ、魔獣が別の場所にも現れているということ。その推測は程なく肯定された。

 

「パルム間道方面は第一小隊が、サザーラント街道方面はヴァンダールの者たちが当たってくれている。ひとまずはこれで難を凌げるだろう」

「ヴァンダールの方々も……それは心強い」

「ああ、手勢が少なかっただけに助かった」

 

 危急の事態に対応してくれているのはウォレス准将の部下だけではない。この町に暮らすヴァンダールの人々もまた得物を手に取り、その守護の剣を振るっているのだという。この状況においては何よりの助けだった。

 それにしても、まさかパルムに通じる三方向全てから魔獣が襲撃してきているとは。規模は違えども、これまでに経験してきた魔獣事件。その中にはなかった「苛烈さ」とでも言うべきものを感じる。

 今までの事件とは何かが違う。それは間違いないだろう。

 

「おお、ウォレス君。君が来ているとは……何故、と問うのは状況を見るに無粋なのだろうね」

 

 一旦の安全が確保されたのを見てか、ボリス子爵が近付いてくる。同じ州に属しているためか顔見知りであった様子のウォレス准将に対し、彼は申し訳ない様子で眉尻を下げた。

 どうやらボリス子爵も薄々と事情を察したようだ。早すぎる領邦軍の到着、准将と見知った様子のトワたち、そんな彼女らが自分に対して問いを投げかけてきたこと。加えて現状を鑑みれば、おのずと答えは見えてくる。

 

「ええ――どうやら子爵閣下への嫌疑は正しく、そして間違っていたようです。詳しい話は後に。まずはこの調べの根元を断たねば」

 

 睨むように空を見上げるウォレス准将。魔獣を狂わせる元凶と思しき音色は未だに止まる気配はない。これが続く限り、魔獣の襲撃もまた終わることはないと考えるべきだろう。

 酷い話だ。魔獣たちもまた、望んで操られているわけではないというのに。命を使い捨ての道具のように扱う様に、トワが滅多にない嫌悪感を抱くのも無理はなかった。

 一刻も早くこの妖しき調べを止めなければならない。しかし、事はそう簡単に運びそうにないのも確かだ。

 

「でも、この音がどこから響いているのか……これも件の古代遺物の力なのかな?」

「おそらくはそうだろう。私自身、あの()にどのような力が秘められているのか詳しくはないが……」

「ちっ、そりゃまた厄介な」

 

 狙った場所に効力を及ぼす能力でもあるのだろうか。音色はパルム全域に鳴り響き、それに魔獣が惹かれてきているかのようだった。

 根元がどこか分からないこの状況。止めるにしても、まずはそれが判明しなければ動くこともできない。無暗に当たっても時間を浪費するだけだろう。

 

「……ボリスさん、何か心当たりがあるんですよね?」

「…………」

 

 手掛かりが必要だ。これまでの事件を起こしてきた彼の元に続く手掛かりが。

 それを知るものがいるとすれば、今まで共に過ごしてきた人物に他ならない。

沈痛の面持ちで俯くボリス子爵。嘘だと思いたいのだろう。けれど、これは紛れもない現実で。彼の知り得る何かが確信をもってその人を指し示している。

 状況から見て彼が犯人なのは間違いないだろう。しかし、トワたちのその認識はあくまで状況証拠からくるもの。ボリス子爵の知るそれは、きっと彼の凶行を裏付ける何かだ。

 

「易々と話せることではないのかもしれません。けれど、どうか教えてください。このパルムを守るために――彼を止めるために」

 

 真っ直ぐに見つめるトワに、ボリス子爵はやがて俯いていた顔を上げる。目の前の現実を受け入れ、その先への道を見出すために。

 

「……これもまた、私の背負うべき咎か」

 

 静かに呟き、彼は覚悟を決める。これまで胸に秘してきた全てが明らかとなることを。

 

「彼はおそらくパルム間道の先にいるはずだ。君たちも見たという廃道の先……このパルムを取り巻く因果が結実した地に」

「!? 子爵閣下、そこは!」

 

 ウォレス准将が動揺の滲む声をあげる。らしからないそれは、彼もまた真実を知る身であり、その重大性を示唆するものであった。

 本来ならボリス子爵が口にすることは許されないのだろう。だが、それでも彼は咎めるような声に対して首を横に振る。もはや事は起こってしまった。躊躇っている暇などありはしない。

 

「彼女らは既に多くを知っている。事ここに至った以上、もはや隠し立てする意味はないだろう。ウォレス君を単騎で行かせるわけにもいかん」

 

 気付かぬ間に持ち出されていた古代遺物、ボリス子爵が言う《笛》。この空に響く音色の源泉がどこまでの力を持っているか分からない。いくらウォレス准将とは言え、部下を防衛に回した状態で単騎突撃するのは避けた方がいいだろう。

 その点、トワたちなら実力面において不足はない。模擬戦であっても自身に一太刀を浴びせたのだ。ウォレス准将もそこは信頼を置けると考える。

 だが、事は厳重に秘匿された帝国の闇に関わる。事実を知るのはごく一部の人間に限られ、徹底した情報封鎖により今まで隠し通されてきた。徒に知ろうとするなら重罪になりかねないほどのものだ。

 

「それを罪というのなら、私は甘んじて罰を受けよう……十年もの間を共に過ごしながら、彼の内に巣食っていたものに気付けなかった愚か者に相応しい報いだ」

「……承知しました。そこまで覚悟の上ならば」

 

 その上でボリス子爵が彼女たちに託したいと願うならば、ウォレス准将に否という答えはない。想いを汲み、為すべきことを為すまでだ。

 ありがとう、とボリス子爵は礼を告げる。意志は決した、後は動くのみ。トワたちもまた、これまでにない大事に対して臆することはない。例えどんな因果の果てに起こったことであったとしても、目の前で起ころうとしている悲しみを見過ごす理由はないのだから。

 

「これは彼にとっての復讐なのだろう。私か、この国か、それとも世界か。何に対してなのかは分からんが……」

 

 悲し気に瞼を閉じるボリス子爵。開いたそこに決意を宿らせる。彼もまた、領主としてこの事態を看過するわけにはいかないのだから。

 

「それでも、この所業は間違っている。だから頼みたい。どうか彼を――ドミニク君を止めてやってくれ」

「――任せてください。トールズ士官学院試験実習班、必ずパルムを守り通し、ドミニクさんを止めてみせますから」

 

 その言葉を合図として、トワたちはウォレス准将と共に街道へと向けて走り出す。帝国各地で災禍を振りまいてきた魔獣事件に終止符を打つために、このパルムの地を縛る因果の鎖を断ち切るために。

 その背中を見送ったボリス子爵もまた動き出す。領邦軍にヴァンダールの人々が防衛してくれているとはいえ油断はできない。民衆が混乱に陥らないように避難を指示し、不安を和らげる必要もある。

 己の不明が引き起こした事態を若者に託しておいて座して待つわけにはいかない。このパルムを治める領主として、彼もまた戦いの地へと赴くのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 五つの影がパルム間道をひた走る。閉ざされた廃道の入り口を目指し、立ち塞がる魔獣を突っ切って最短距離を行く。

 魔獣の全てを相手している猶予はない。取りこぼしたものはパルムに向かうかもしれないが、それは防衛している方で対処してくれるはず。彼らが持ちこたえてくれている間に、自分たちは一刻も早く笛の音を止めなければ。

 

「降ってきたね……どうも荒れそうだ」

 

 いつしか大粒の雨が地面を叩き始めていた。空を覆う黒雲からは雨音に混じって雷鳴まで聞こえてくる。そんな中においても、変わらず耳に響く笛の調べは不気味の一言だ。

 容赦なく降りつけてくる雨水に身体を濡らしながらも進む。そんな中、先頭に立って魔獣の群れに風穴を空けてきたウォレス准将が呟いた。

 

「しかし、こうしてかつての学び舎の後輩と肩を並べることになるとは。これもまた風と女神の導きということか」

「というと、准将閣下もトールズの?」

 

 笑みを湛えたその言葉に若干の驚きを覚える。まさかウォレス准将と自分たちにそんな繋がりがあるとは思っていなかっただけに。

 

「ああ、十年ほど前の卒業生になる。同じ有角の獅子紋の元に君たちのような若者が育っているのは喜ばしい限りだ」

「そいつはどうも。ってことは、俺たちのことも教官経由で聞いたってわけか」

 

 どうしてウォレス准将がトワたちに接触してきたのか疑問に感じる部分もあったが、それならば納得することが出来る。母校の伝手から試験実習班について聞き及ぶ機会があって興味を持ったのだろう。

 話したのは教官の誰か、或いは学院関係者か。十年前の卒業生とはいえ、何らかのコネクションは持っていて不思議ではない。准将という立場ある人なら尚更に。

 だが、どうしてかウォレス准将は含み笑いを漏らす。意図が分からずにトワは首を傾げた。

 

「実を言うと教えてくれたのは現役生の知り合いでな。学年としては君たちより一つ上になる」

「おや、そうなのですか?」

「彼に曰く、『生粋の人誑し率いる問題児集団』だったか。言い方はともかく、あながち間違っていないのはこの目で見て理解した」

「あ、あはは……」

 

 酷い言われようだが、身に覚えがあるだけに言い返せないのが辛いところ。こんな事態に首を突っ込んでいる時点で問題児と評されても仕方がない。

 それにしても、その当たりが強い物の言いよう。トワとしては耳馴染みがあるというか、割と身近に知っているような。一つ上の先輩となると、関りのある人物はそれなりに限られてくるが――

 

「ともあれ、余談はここまでにしておくとしよう。目指すはすぐそこだ」

 

 表情を引き締めたウォレス准将により、その考えは一先ず打ち切ることになる。昨日にも訪れた廃道の入り口、それが間近に迫ってきていた。

 街道から外れ、パテル・マテルに潰されたコンテナの残骸が転がる坂道を駆けあがる。狭い道筋から開けた場所に。薄暗闇に続く廃道と、その入り口の鉄柵が目に入る。

 何重にも鎖が巻かれ、厳重に封印されていたそれは、見るも無残に破壊されていた。

 

「……オッサンの見立てに間違いはなかったみたいだな。派手なやりようだぜ」

「彼の抱えるものの根の深さが窺い知れるね。そんな因縁の地で何をしようとしているかは分からないが……」

 

 呼び出した魔獣に破壊させたのだろうか。もはや門として用をなさいないほどの有様に、ドミニクの内に宿る激情を感じ取る。

 いったい何が彼を突き動かしているのか。この先に進めば、それも分かるのだろうか。

 

「この先は本来であれば禁足の地。見聞きしたことは他言無用……覚悟はできているな?」

「はい、勿論」

「いいだろう。何が待ち受けているか分からん。十分に警戒して――」

 

 トワたちの揺るがない意思を認めたウォレス准将は廃道を見据える。待ち受けるは帝国の秘された闇。その先に踏み込まんとし――

 

 

 ――――。

 

 

 その時、世界が赤く染まった。

 

「っ、これは……!?」

「上位三属性……幽世の気配か!」

 

 周囲の空気は一変していた。降りしきる雨も、轟く雷鳴も同じはずなのに、そこに先までにない悍ましさが宿る。肌が粟立つこの感覚は、間違いなく上位三属性が強く働いている証だ。

 思い返されるのはバリアハートにおける実習。峡谷道に現れた悪魔の存在が脳裏をよぎる。

 まさか、あの時も――その推測を肯定するかのように、トワの感覚が邪悪な存在を捉えた。

 

「顕れるよ! 皆気を付けて!」

 

 空間を歪ませて顕現するのは二体の悪魔。

 片や、巨大な棺のようなものを有するもの。片や、女性の半身に異形が融合したもの。姿かたちは異なれど、その身から放たれる凄まじい霊圧は共通している。

 先月に遭遇した青黒いものとは段違いだ。明らかに格上の存在、七耀教会の教典にも記される七十二柱の悪魔に連なるものだろうか。

 

「ここを守る門番か。易々とは通してくれそうにないね」

「面倒なものを置きやがって。こいつは少しばかり手間がかかるぞ……!」

 

 まさか件の笛というものがここまでのものを呼び寄せる代物とは思っていなかった。魔獣を操るのみならず、悪魔まで使役するとは。古代遺物の中でも間違いなく強力なものの一つだろう。

 先に進むためには何とかしてこの場を切り抜けなければ。難敵を前に苦戦を予感しつつも、得物を構えて撃破せんとする。

 

「――いや」

 

 そこに、トワたちの前へウォレス准将が一歩踏み出した。十字槍を携え悪魔たちに相対した彼は、油断のない眼を前に向けたまま彼女たちに指示を下す。

 

「ここは俺が引き受けよう。君たちは笛を止めるために先へ進むがいい」

「准将閣下……しかし」

「これが最善の手です、アンゼリカ嬢。全員で足を止められるより、少しでも多くが元凶の元に辿り着いた方がいい」

 

 道理にかなった策だ。確かに、この事態を早急に解決することを目指している以上、ここで歩みを鈍らせるのは避けるに越したことはない。トワたちは否定の材料を持たなかった。

 ただ、現世に在らざる強大な存在を前にしては不安も募る。いくらウォレス准将でも単独で相手をさせるわけには。そう躊躇ってしまう圧力があった。

 

「案ずることはない。彼我の力量を見誤るほど蛮勇ではないつもりだ」

 

 その不安を見透かしたように、ウォレス准将が肩越しに笑う。将という人を率いるものが自然と有する威風がそこにはあった。

 それに、と言葉を繋ぐ。打って変わって猛々しい笑みに頬を吊り上げ、悪魔たちへとその槍を向ける。

 

「幽世の化生……相手にとって不足はない。この《黒旋風》の槍をもって、若き獅子たちの道を切り開かせてもらおう!」

 

 悪魔の重圧にも勝る鮮烈な闘気。紛うことなくウォレス准将の本気の気迫に空気が震え、相対する二体さえも気圧されたように見えた。

 その闘気を身に感じながらも、瞼を閉じて躊躇いを断ち切る。こんなにも勇壮な先立ちが自分たちを送り出してくれるというのだ。どうして逡巡していられよう。

 想いに応える道はただ一つ。進むのだ、先へ。そして終わらせてみせよう、この地の因果が引き起こした異変を。

 

「分かりました――どうか星と女神の加護を!」

「そちらも風と女神の加護を――さあ、行けっ!!」

 

 ウォレス准将の十字槍が暴風を伴い悪魔を薙ぎ払う。先制の一手に怯んだ隙に、トワたちは一気に駆け抜けた。

 背中から響く怒りの雄叫びに破壊の轟音。振り返る暇はない。必要もない。今はただ信じて、前へ。

 足を踏み入れるは禁足の地。受け取った想い胸に、四人は赤い世界の奥へと走るのであった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「アツイ……アツイヨ……」

「ドウシテ……ドウシテワタシタチガ……」

 

 刃に倒れた怨霊が断末魔を残して消えていく。それは怨嗟の声。己の身に降りかかった不幸を嘆き、世界を呪う悪性の言霊だ。

 立ちはだかった敵性霊体を撃破したトワたちだったが、その表情は硬い。未だに油断ならない状況というのもある。ただ、何よりの理由は目の前で消えていった悪霊の怨念であることに違いはなかった。

 

「……あんまりなの」

「先月の奴みたいにしつこくねえのはいいが……こりゃ、気が滅入るぜ」

 

 ノイだけではなくクロウも渋い表情で唸る。流石の彼も堪えるものがあるようだった。

 単なる悪霊というわけではない。悲劇に見舞われ、世を呪って死んでいった人々。その真に迫る想念が確かにあった。でなければ、こんなにも耳に残る怨嗟を放てはしない。

 どうしてそんな存在が顕れるのか。哀しげに悪霊の消えていった先を見つめていたトワは、不確かであれ心当たりを口にする。

 

「……もしかしたら、この地の記憶を写し取ったものなのかもしれない。亡くなった人たちの想念を糧にして顕れたんだと思う」

「それはまた趣味が悪いが……だとすると、これは」

「いったい、ここで何が起こったっていうんだい……?」

 

 理屈は分かる。しかし、あの怨念は生半可なものではなかった。どれだけの惨い目に遭えば、あれだけの負の感情を遺すことになるのだろうか。

 

「行こう。その答えは、たぶんこの先にあるはずだよ」

 

 促すトワに続き、怨霊の顕れた広場より足を進める。廃道もかなり奥まで来た。もうじき終点に辿り着いてもおかしくはない。そこにこの事態を引き起こした彼と、この地の真実も待ち受けているはずだ。

 広場を抜けるところになって、チラリと視界の端に人工物が写った。街道によくある立て看板。木製のそれは随分と古びており、長くにわたって放置されていることが窺い知れる。

 文字も擦り切れてしまっているが、何とか読めないこともない。近くに寄ったアンゼリカが記された名を口の中で転がせた。

 

「ハーメル村……聞いたことはあるかい?」

「いや……地元の人なら知っているのかもしれないけれど」

「もう無くなってしまった村なんだろうけど……あんな封鎖までしてあって、どう考えても普通じゃないの」

 

 道を塞ぐ鉄門、口を噤むパルムの人々。ボリス子爵やウォレス准将の言葉からして、市井の人間には徹底的に伏せられた存在であることは明らかだ。

 この山奥にあるという村に何が起き、どうして消えることになったのか。疑問は増えるばかりで、やはり答えは先へと進まなければ得られないのだろう。

 

「…………」

「……クロウ君?」

「――なんでもねえさ。さっさと拝みに行くとしようぜ、この暗闇に封じられた真実とやらをよ」

 

 先んじて奥へと向かうクロウ。彼がどこか神妙な顔をしているように見えたのはトワの気のせいだろうか。些細な引っ掛かりを覚えつつも、彼に倣って看板の指し示す先へ。

 進むにつれて道は狭まり、視界が悪くなってくる。一帯が赤く染まり、濃密な幽世の気配が満ちる異常事態。何が現れるか分からない中を警戒しながら進んでいく。

 

 ――やがて、鬱蒼とした森林の中に建物の影が見えてきた。おそらくは件のハーメルという村だろう。足を速め、その全貌を目にしたトワたちは……広がる光景に息を呑んだ。

 小さな、長閑な村だったのだろう。家屋の数はそう多くない。

 だが、今やそのどれもが無残に破壊されていた。石垣は崩れ、家屋は焼け落ち、かつてあったはずの生活の気配は悉く失われてしまっている。

 

「……酷いな」

「大規模な火事……いや、これは……」

 

 廃村の惨状に言葉が上手く出てこない。たとえ小さなものであったとしても、人々の温もりがあったはずの場所が跡形もなく壊し尽くされた様は心が痛む。

 何があってこんなことになってしまったのだろう。炎に焼けた跡など見てアンゼリカは山火事などの可能性を思い浮かべるが、それはすぐに否定された。それにしては被害の跡が村の周辺に限定されている。

 それに、見当たった痕跡は火事によるものばかりではなかった。

 

「弾痕、爆破したような跡に……」

「……血痕、か」

 

 所々に穿たれた銃撃の痕、それに火事によるものとは思えない破壊のされ方をしたものもある。何よりも、生繁る雑草に隠れるようにしてあった黒ずんだ地面が、この廃村を襲った凶事を物語っていた。

 武装した集団による襲撃。それによる惨殺――考えたくはないが、目に見える痕跡が指し示す事実はそれに尽きるのだろう。

 

「あの亡霊の様子も無理はないの。こんな目に遭って死んでしまったのなら……」

「しかし、こんな山間の村を襲う理由がどこにあるというんだい? 戦火に巻き込まれたならともかく、この近辺が戦場となった記録はないはずだ」

「さてな……だがまあ、答えを知っていそうな奴は近くにいるんじゃねえか」

 

 目を向けられたトワは頷いて答える。その気配は既に捉えていた。

 

「うん――もう、すぐ先にいるよ」

 

 廃村の奥、高台のようになっている先に人が一人でいるのを感じる。自分たちの他に、この赤く染まった異界にいる人間などもはや分かり切っていた。

 事ここに至って覚悟を問うことなどしない。それぞれの目を見て、万全の状態であることを確かめれば十分だ。

 トワたちは向かう。魔笛が奏でられるその元へ。

 

 高台に上がった先は、鬱蒼とした森とは打って変わって周囲一帯の眺望が開けていた。普段ならば青空の下に広がる豊かな緑に心癒されるのだろうが、今は赤く染まった空と降りしきる雨によりそれも黒く淀んで見える。

 崖先には石碑のようなものが。その前に、彼はいた。手に携えた禍々しい気配を漂わせる笛を奏でながら。

 ふと、旋律が止む。笛を口元から離した彼から出たのは、不自然なくらい落ち着いた声だった。

 

「何となく、君たちが来ると思っていたよ。《黒旋風》ではなく、不思議なことに幾度となく関わることになった君たちが」

 

 彼――秘書ドミニクはそう言って振り返った。声と同じく、その表情は落ち着きを払っている。とてもこんな事態を招いた張本人とは思えないほどに。

 一旦笛の音が止んでも赤い空が元に戻る様子はない。おそらくは使用者の意思か、あの笛自体を破壊することでしか解除できないのだろう。

 

「その奇妙な妖精に覚えはないが……まあいい。どうせ君たちとも、ここでお別れなのだからね」

「勝手なことを言うんじゃないの!」

「……ドミニクさん、止まるつもりはないんですね?」

 

 聞きたいことは色々とある。それでも、まずは彼の意思を確認した。たとえ無意味に等しい可能性であったとしても。

 案の定、彼から返ってきたのは何を今更と言わんばかりの声だった。

 

「当たり前だろう? 私はこれでようやく果たすことが出来るんだ。ずっと胸の内で燻ってきた、この願いを果たすことが……」

 

 うっそりとドミニクが笑う。その様に背筋を冷たいものが撫でた。

 何だ、これは。本当に彼はドミニクなのだろうか。あの礼儀正しく几帳面だった男が、心奪われたように恍惚とする姿に酷い違和感を覚える。

 まるで、本来の彼に何かが上塗りされてしまったような。何とも言えない感覚に囚われていると、隣でクロウが皮肉気に鼻で笑った。

 

「随分と御大層な願いみたいだな。闇雲に魔獣をけしかけるのに何の意味があるのか知らねえが」

「もはや聞くまでもないかもしれないが、それには十年前の領主邸の焼失と、この地で起きた出来事が関係しているのかな」

 

 険しい眼で問い詰められても尚、落ち着きを払っているドミニク。薄い笑みが張り付けられた顔のまま、彼は身構えるトワたちの方へと歩み寄る。そのまま横を通り過ぎると、少し立ち止まってこちらに目だけを向けた。

 

「数奇な巡り合わせだ。話しても構わないが――この場では、君たちにとってもやり辛いだろう?」

「…………」

 

 沈黙は肯定だった。ドミニクを止めるためには力をもって制する他にないだろう。しかし、哀れな魂が眠るこの地で血を流すことは可能な限り避けたい。

 死者の静謐を破り、悪魔と亡霊が蔓延る異界とした口が言うことか。そんな憤りを覚えないと言えば嘘になるが、今はそれを胸にしまい込む。

 

「ついてくるといい。道すがら話してあげよう、この地にまつわる忌々しい昔話をね」

 

 ハーメルはどうして廃村となったのか、ダムマイアー子爵家はどうしてあのような末路を辿ったのか、ドミニクはどうしてこんな真似を仕出かしたのか――その真実を知らなければ、この異変を本当の意味で解決することはできないだろう。

 先を行くドミニクを追う。深い闇のヴェールを取り去る時だ。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「事の発端は百日戦役だ。君たちはあの侵略戦争がどうして起きたか知っているかい?」

「……確か、不幸な誤解から起こってしまった、と」

 

 投げかけられた問いに対するジョルジュの答えは間違っていない。軍事史上では近代戦の先触れとして知られる百日戦役の発端は、教科書上では確かにそう語れている。

 不幸な誤解――では、どんな誤解が起きれば戦争にまで行き着いてしまうというのだろう。それに対する答えをトワたちは知らない。帝国にリベールの殆どの人々がそうであるはずだ。誰も語ることもなければ、どこにも記されていないのだから。

 軍用飛行艇の登場などを前面に押し出している反面、この戦争の政治的意味は取り沙汰されることはない。突発的に起こり、そしてごく短期間で終結した。その事実が端的に語られるのみだ。

 

「そうだろうとも。何せ、これは帝国にとって最大の汚点と言っても過言ではないのだから」

 

 それがもし、語られないのではなく語ることが出来ないのならば。情報を封鎖し、人々が口を噤むような真実があるのなら――この地で見てきた事実の点と点が結びついて描く像に、トワは嫌な予感を抱く。

 

「今でこそ帝国正規軍は七割を革新派――鉄血宰相が掌握しているが、十年前はそれほどでもなくてね。正規軍の中でも貴族派が存在したんだ」

「革新派の台頭以前……それは私も聞いたことがあるが、当時から既に平民将校が数を増して影響力を強めていたはずでは?」

 

 時流によって頭角を現してきた平民将校たち、現役時のヴァンダイク元帥の部下がその筆頭だ。当時は正規軍に属していたオズボーン宰相、そして今は第四機甲師団を率いる《紅毛》のクレイグ中将。宰相が正規軍において強い支持基盤を持つ理由でもある。

 その流れに押される立場にあり、現在においてはほぼ淘汰されてしまった正規軍内における貴族派たち。そんな彼らと百日戦役を結び付けるものがあるとすれば――

 

「軍事的成功による復権……そのための百日戦役ですか?」

「正解だ。追い詰められた貴族派の将校は権益を守るために外征に活路を見出そうとした。その標的となったのがリベールというわけだね」

「で、でもおかしいの。それがどうしてハーメルに繋がるっていうの?」

 

 ドミニクはそこで含み笑いを漏らした。まるで面白い冗談でも聞いたかのように。

 

「もう言わなくても分かっているだろうに。あの村を焼いたのが誰なのか、なんて」

 

 トワたちは黙りこくる。意味するところは理解していた。だが、それが真実であるとは信じたくなかった。まさかそんなことをする人間はいまいと、人がそこまで愚かで罪深い真似をするとは思いたくなかったのだ。

 でも、これまでに見てきたもの、聞いたものが示す答えは一つであって。

 クロウが深く息を吐く。そうして彼は残酷な真実を口にした。

 

「戦争を起こすには相応の理由が必要……自作自演の襲撃事件を仕立て上げ、その生贄に選ばれのがハーメルってわけか」

「…………っ」

 

 いったい誰が思い至るというのだろうか、自らの権益の為だけに自国の民間人を虐殺するなど。人道的観点から論外であるのはもとより、露見したときのリスクを考えれば悪手に過ぎる。倫理と論理のどちらからも外れた行為だ。

 だが、ハーメルの惨状はそれが紛れもない事実だと告げている。本来ならあり得るはずのない愚行が本当に行われたのだと。

 

「……言葉にならないね。あまりの愚かさに怒りを通り越して憐れみを覚えるよ」

「徹底した情報封鎖も納得だ。こんなことが知れ渡ったら国家そのものの危機になってしまう」

 

 国家とは人間が社会を築くうえでの共同体だ。国体は様々であるが、いずれにしても人は統治という庇護が得られるからこそ国民として属していると一面的には言えるだろう。

 その統治が、自国民を躊躇いなく殺めるような残虐極まるものだというのなら。例え一部の者による暴走だったとしても、事実が広まれば国家への不信感は際限なく高まっていくに違いない。混乱が巻き起これば国の崩壊という可能性も否定はできなかった。

 だからこそ、このハーメルが闇に葬られたのは当然の帰結。エレボニアが揺るぎない大国であるために、流された無辜の民の血は無かったことにされたのだ。

 

「まったく同感だよ。早期の停戦にもこれが絡んでいるのだろう。帝国は軍を撤退させる代わりに、リベールはハーメルに関して口を噤む。大方、そんなところじゃないかな」

 

 飛行艇を用いた電撃作戦で巻き返したリベールだったが、依然として厳しい立場だったのは想像に難くない。あくまで国内の敵を各個撃破できただけであり、帝国軍の主力は本国にまだ残っていたのだから。

 そんな中、持ちかけられる停戦交渉。自国の平和と、他国の非道。天秤にかけられたそれらがどちらに傾くかは、国の指導者として考えれば自明だったろう。個人としての想いはともあれ、政治は時に非情な判断を迫られるのだから。

 

「国内では首謀者を秘密裏の軍事裁判にかけて極刑……一方、その関係者も多くが闇に消えることになった。他ならない同じ貴族派の手によってね」

「潔白の証明のための粛清、ですか」

「そうとも。そして、その中の一つがダムマイアー子爵家だった」

 

 貴族派将校の暴走は四大名門ら貴族派の中核にとっても青天の霹靂だったに違いない。その事実を知った時、彼らは顔面蒼白になったことだろう。行われた非道もそうだが、何より同じ貴族派である自分たちに矛先が向くことを危惧して。

 だからこそ身の潔白を証明する必要があった。これは一部の暴走であり、貴族派の総意ではないのだと。ハーメルに関与した者の一切を処断することでその証としたのだ。

 

「貴族社会で落ち目のところを、百日戦役を利用して返り咲こうって腹積もりだったわけか」

「工場長から聞いたようだね。ああ、どんな青写真を描いていたかは知らないが、リベールの技術を足掛かりに復権を企てていたのだろう。そのために貴族派将校に与し、開戦の切っ掛けとなる贄を差し出した」

 

 落ちぶれた現状から脱却するため陰謀に関与したダムマイアー子爵家。狂気の計画に加担するほどまでに、彼らは追い詰められていたというのだろうか。領民が虐殺されるのを良しとするほどまでに、彼らにとって権益は重大なものだったのだろうか。

 トワには理解できない。そしてもう、それを確かめる機会もない。当の本人たちは炎の中に消えてしまったのだから。彼らが生贄としたハーメルの人々と同じように。

 

 ドミニクの後に続いて隘路を抜け、先ほどの広場まで戻ってきたトワたち。ここら辺でいいだろう。無言のうちにそう立ち止まったドミニクはゆっくりと振り返る。

 

「後は君たちも知っての通りだ。子爵邸は焼かれ、体のいい後釜として工場長が子爵に据えられた。そして政府の巧妙な工作でハーメルの記憶は闇に葬られたというわけだ」

 

 勘当同然だったボリス子爵はある意味で都合のいい存在だったのだろう。事件に関与しておらず、妾腹の子とはいえ血も繋がっており領民の信頼も厚い。同じ領内だけにハーメルの記憶も色濃いパルムという土地を治めるのに彼以上は存在しなかった。

 ボリス子爵の悔恨に満ちた姿を思い返す。全てを承知したうえで、その立場を継がざるを得なかったのだろう。帝国の安寧を保つためには、流された民の血と肉親の愚行を隠すほかになかった。そうして彼は今日まで罪の意識を抱えてきたのだ。

 

「……お話は分かりました。けど、どうしてこんなことを? 魔獣を操って、人々を襲うことがどうやってあなたの願いに繋がるんですか」

「傍から見れば、雇い主の家宝を盗って粋がっているようにしか映らねえがな」

 

 ハーメルを滅ぼした陰謀については、大まかながら理解できた。しかし、それだけでは見えてこないものがある。その葬り去られた過去が、どうしてドミニクの凶行に繋がるというのだろうか。

 実際、その笛がどうしてドミニクの手にあるのかも疑問だ。仕舞われていた金庫の錠前が破壊されたような形跡はなく、どうやってか開錠したのは間違いない。ただ、手段については全く思い至るものは無かった。

 笛を手にした後の行動も不可解だ。帝国各地で起こしてきた魔獣事件、そしてバリアハートで遭遇した悪魔についても。それらが彼の手によるものならば、いったい何が狙いだったというのだろうか。その願いが何なのか、トワたちには理解できない。

 

「盗んだ……? 違うな。返ってきたのだよ、本来受け継ぐべき者の手の内にね」

 

 対するドミニクは平然と告げる。これは正当な継承なのだと、この古代遺物の真の所有者は自分であるのだと。

 どす黒い陰の気配が彼を包み込む。紛うことなく、その手にある笛を起点として。

 

あの炎(・・・)を見た日から、ずっと不思議だった――どうして人は、平然と暮らしていられる?  その命は呆気なく摘み取られてしまうのに。祖父と父(・・・・)がハーメルにそうしたように、四大名門が祖父たちにそうしたように」

 

 言葉に熱がこもる。それは狂気の熱だ。燻っていた火種が歪んだ形で燃え上がった、負の想念に満ちた黒い炎。

 

「祖父に父……そうか、あなたもダムマイアー子爵家の」

「ああ、運よく生き残った実孫というわけさ。いい顔をしない家のものなど知らぬと伯父の元へ顔を出していれば――ある日唐突に、私の家は消えてしまった」

 

 ボリス子爵とは違い、正妻から生まれた実子。それが儲けた子がドミニク・ダムマイアーという男だった。

 命を失わずに済んだという点では、彼は運がよかった。家から放逐された妾腹の伯父であるが、少年のドミニクにとっては陰気な屋敷の人間と違って明るく愉快な親戚だ。そんな彼の元に足繁く通っていたからこそ、あの日も難を逃れることが出来たのだろう。

 しかし、それはドミニクの人生をどうしようもなく歪めることになった。生まれを隠すことになったのはいい、子爵位を伯父が継いだのもいいだろう。それらは受け入れられても、何時までも胸の内の残る燻りがあった。

 

 どうしてこの欺瞞に満ちた世界で、人々は暮らしていられるのだろう?

 ただそれだけが、ドミニクの内から離れることがなかった。

 

「消えない疑問が晴れる機会が訪れたのも、また唐突だった。リベールの異変……あの混乱の中で、私はもしやしたらと笛の金庫に手をかけた」

「そうか、導力停止現象! 導力が失われた状態なら、あの錠は機能しない……!」

「ご名答。家宝を手にした私は当然のようにその力を試し、意のままに操れる魔獣を目にして思い至ったのだよ」

 

 ドミニクは頬を歪める。導き出した答えは、その笑みと同じようにどうしようもなく歪んでいた。

 

「人は、世界の欺瞞を知らない。なら教えればいいのだ。自分たちの命が如何に軽く、呆気なく消えるものか! そうして初めて、人は真実を知ることが出来る!!」

 

 その手の笛が妖しい光を宿し、独りでに調べを奏で始める。ドミニクの歪んだ意識に呼応するように、その歪みを増長させるように。

 笛の音色に惹かれるように一つ目の悪魔の群れが顕れる。話はこれまでか。トワたちもまた得物を構え、戦闘態勢に入った。

 

「各地でのことは力を使い慣らすための準備――まずは君たちを斃し、そしてパルムを消すとしよう。この悪魔さえも御する《降魔の笛》の力を以て!」

「ちっ、いい感じに狂ってやがるな……!」

「なんて瘴気……あんなのを持っていたら気が狂って当然なの!」

 

 そうなってしまう背景があったのは間違いない。しかし、ドミニクがこれほどまでに至ってしまったのは彼が手にした力――降魔の笛によるものだろう。そう思わざるを得ない負の波動がその古代遺物からは放たれていた。

 過去からの因果が彼を狂気に駆り立てた。ボリス子爵が悔いていたように、その罪は一人だけのものではないのかもしれない。

 だが、だからといってこんな真似が許されるはずもない。その凶行を食い止めるべく、トワたちは猛る悪魔たちへと刃を向ける。

 

「迎撃準備! 悪魔の手を町にまで伸ばさせるわけにはいかない――ここで止めるよ!」

「「「応!」」」

 

 この世ならざる叫びをあげながら向かい来る悪魔。その口より吐きかけられた溶解液を咄嗟に躱して距離を詰める。返し手の一閃とアンゼリカの拳が叩き込まれ、その存在を悲鳴と共に雲散霧消させた。

 まずは一体。しかし、数が多い。ウォレス准将が相手取ってくれた門番より下位と思われるものの、単純な物量がトワたちを阻む。

 ドミニクを拘束しなければ異変を終息させることは適わない。彼の前にひしめく悪魔の軍勢を倒さなければ、その道筋は掴めないだろう。

 いちいち相手取っていては埒が明かない。人目も気にする必要がない以上、一気に片付けるのが上策だ。

 

「上手く合わせて、ノイ!」

「合点なの!」

 

 群れる悪魔の中へと身を躍らせる。集中する攻撃。それらを卓越した身のこなしで捌き、クロウたちの援護が危うい一撃を逸らした。

 やがて密集していく悪魔たち。あまり高度な思考形態を持っていない種らしい。好都合なことに、狙い通りに動いてくれたのを認めたノイはその手に溜めた力を解き放つ。

 

「それっ!」

 

 放たれるは碧い竜巻*1。可愛らしい声とは裏腹に荒々しい夏の旋風が悪魔を襲う。トワにつられ密集していた悪魔は、多くが巻き込まれ身を裂く風の刃に苦悶の声を漏らす。

 

「まだまだ行くの! ソーンアラウンド*2!」

「ナイスだ! 一気に畳みかけさせてもらう!」

 

 続いて行使された四季魔法が生み出すは茨の縛め。竜巻を喰らって怯んだ悪魔らを逃さぬと、緑の結界が形成され標的を拘束した。

 一纏めにしてしまえば後は容易い。アンゼリカの疾風の蹴りが、クロウの雨霰と撃った銃弾が縛められた悪魔を襲う。どうにか逃れようともがく様子を見せようとも、この状況に持ち込まれた時点で勝負はついている。

 振り上げられる鉄槌。爆音を伴うジョルジュの一撃が叩き込まれた。

 怒涛の連撃に流石の悪魔も耐えきれない。立ち込める爆煙の中に力尽き、この位相から姿を消す。一頻りの手勢を失ったドミニクが「ほう」と声をあげた。

 

「流石と言わせてもらおうか。これまで修羅場を潜ってきただけはある」

「……余裕ですね。まだまだこれからとでも?」

 

 焦りを見せないドミニクにジョルジュが眉を寄せる。降魔の笛がどれだけの力か上限が見えない以上、これで終わりになるとは思っていなかったが、どうやら想像の通りだったようだ。

 出来れば早急にあの笛を破壊したいところだ。とはいえ、それは相手も警戒するところ。トワたちが踏み込む前に再び一つ目の悪魔が道を阻むように出現する。やはり一筋縄ではいかないらしい。

 

「くく……ただ、このままでは時間を浪費するばかりだね。折角だから呼んであげようじゃないか、七十二柱の悪魔に連なる存在を!」

 

 忍び笑いと共に笛を口に宛がうドミニク。その言葉にトワたちの表情に険しさが増す。ウォレス准将が相手取る二体の大悪魔、それと同格の存在をまだ使役できるというのか。

 

「この忌々しい血塗られた地も、悪魔を呼ぶには絶好の触媒となる。さあ、刮目するといい――!」

「単に因縁の土地だからって理由じゃなかったか……よくよく道具の扱い方を知ってやがるぜ」

「気を付けて! この気配、さっきまでの比じゃ――」

 

 邪まな調べが響き、応えるように強大な力が迫るのを感じ取る。止めるのは間に合わない。最大限の警戒を促すため、緊張感に満ちた声を張り上げる。

 

 ――――!

 

 刹那、決定的な何かが起きたことを、その場にいた誰もが知覚した。

 

「う、あ……?」

 

 降魔の笛を奏でていたドミニクが呻き声を漏らした。動悸でも感じたように胸を抑える。しかし、その笛の音が止むことはない。むしろ激しさを増し、禍々しい力の波動を更に強めていく。

 もはや狂気的なまでの調べを響かせる降魔の笛。比例するようにドミニクの様子も変容してする。戸惑った様子を見せていた彼は、次第に湧きあがる何かを抑えきれなくなったかの如く叫び声を上げ始めた。

 

「ぐ、が、ああああああっ!!」

「な、何が……!?」

「不味い……! 離れるんだ!」

 

 只ならぬ気配に距離を取る。溢れ出る何かが臨界を迎えたのはすぐだった。

 ドミニクが笛から溢れる闇に呑まれる。闇は彼という形を取り込み、崩し、そして変容させていく。まるで粘土細工でも作るかのように、容易く人の形は失われ、全く別の何かへと変わっていく様子は見るも悍ましい。

 変わり果てていくその先は、形も質量も異なる異形の姿。見上げる巨躯の中にドミニクの面影など欠片も存在しない。当然だろう。それはもう人という存在ではなく、まさしく悪魔に成り果てた存在なのだから。

 

悪魔化(デモナイズド)……」

「その身に悪魔を降ろす……文字通り降魔の力というわけか……!」

 

 これが降魔の笛の真の力。トワたちは戦慄を隠せなかった。

 魔獣を操り悪魔を呼び寄せるのも、この力の副産物――いや、力に魅入られた代償としてその身を悪魔に奪われる、と言うのが正しいか。狂気に堕ちたが最後、こうして人の形を失い、身も心も魔性へと変質させられてしまうのだ。

 なんて悍ましい力だろう。トワたちに限らず、よほど外れた感性の持ち主でもなければ忌避感を覚えるのが当然だ。

 ――しかし、堕ちるところまで堕ちてしまえば話は別であった。

 

『コレハ……クク、ハハハハッ! 素晴ラシイ! 力ガ満チ溢レテクルヨウダ!!』

 

 悪魔に変じた当のドミニクは哄笑を上げる。望外の宝でも手に入れたかのように、そこには人のみを失ったことへの悲嘆など塵一つない。

 彼はもう、ドミニクであってドミニクではなかった。力に魅入られ、心を歪め、身体さえも変わり果ててしまった彼は既に人間のドミニク・ダムマイアーから外れた存在だ。このままではいずれ魂さえも飲み込まれ、現世に受肉した真の悪魔と化してしまうことだろう。

 

「くそっ、完全に正気を失ってやがる……!」

「放っておいたら大変なことになるの! 早く止めないと――」

『誰ガ、誰ヲ止メルトイウンダイ……?』

 

 瞬間、ドミニクの異形の手より雷光が迸った。咄嗟にギアシールドで四人を守るノイ。洒落にならない威力に歯を食いしばりながらも耐え凌ぐ。

 辛うじて防ぎ切ったが、その一撃で歯車の盾は限界を迎える。少なく見積もっても最上級アーツに等しい。悪魔の名に遜色ない破壊力だ。

 

『ハハハハッ! 足掻ケ足掻ケ!』

「くっ……!? 皆、近くに!」

 

 そんな雷撃が間断なく襲い来る。ジョルジュが機械槌を突き立てて障壁を展開するが、それも長くは持たない。受け止めきれたのは二発まで。立て続けに降り注ぐ閃光が機械仕掛けの盾を貫いた。

 

「ぐあっ!?」

「ちっ、反則的すぎんだろ……!」

 

 間近に飛来した雷の余波がトワたちを吹き飛ばす。何とか受け身を取り、致命的な負傷には至っていない。しかし、このままではなぶり殺しにされるのが目に見えていた。

 活性化した場の霊気を力としているのだろう。そうでもなければ、これだけ強力なアーツを連発することなどできはしない。そして、その活性化の起点となっているのは魔物と化したドミニク自身――正しくは、その身に取り込んだ降魔の笛と思われる。

 

『コレガ降魔ノ笛ノ力! コレコソガ、世界ニ真実ヲ知ラシメル力! ハハ、存分ニ味ワウガイイ!』

 

 無尽蔵に溢れ出る力にドミニクはますます高揚していく。その昂りに呼応するようにして、眷属の魔物が次々と召喚される。先ほどの一つ目のだけではない。バリアハートで戦った青黒いものに、それ以外にも異形の群れが眼前に広がっていく。

 

「これは……少々、分が悪いね」

「強がるなよ。かなりヤバい、の間違いだろ」

 

 クロウにアンゼリカも、口ではまだ軽口を叩きつつも表情は厳しい。ただでさえ強大な相手だというのに、加えて物量まで備えてきているときた。悪い夢のようである。

 試験実習班にとって、かつてない窮地。一時撤退してウォレス准将と合流を図りたいところだが、それを許してくれるとも思えない。ドミニクはこの場でトワたちを消すつもりだ。

 気の昂りと優位からドミニクの口は饒舌だ。異形と化し、不自然に響く声で何かを悟ったように語る。

 

『ソウダ……圧倒的ナ力ノ前ニハ、全テガ無意味! 只人ハ等シク無価値(・・・)デ、大キナ流レニ抗ウ術モナク容易ク消エル! コノ《ハーメル》ノヨウニ!』

 

 ただ、その一言がトワの琴線に酷く響いた。

 

「無価値……?」

『ソウダトモ、力ヲ持タナイ弱者ニ何ガデキル!? 世界ハ何時ダッテ力アルモノガ作リアゲテキタ。人ハソノ元デ、簡単ニ潰エル生ヲ享受シテイルニ過ギナイ!』

 

 彼は人を無価値だという。権力を求める者に蹂躙され、国の思惑により存在を消されたハーメルの人々。貴族派の保身のため炎に消えたダムマイアー家には、何も事情を知らない人もいたかもしれない。

 どれもが呆気なく命を失うことになった。無残に、無慈悲に。国に権力者、どのような形にせよ強大な力を持った相手を前に、人は無力だ。

 そんな死に様を見てきたからこそ、ドミニクは断じるのだ。力なき弱者は価値なき故に、その生を散らせたのだと。

 

『人ノ命ニ価値ナド無キコトヲ、コノ巨イナル力ヲ以テ――』

 

 それは深い闇を目の当たりにし、力に溺れてしまったからこその帰結。力こそが世を支配する原理と信じ、それこそが至上の価値と信じるもの。それ以外を容易く失われる無価値なものと切り捨てる極論だ。

 

 

「――違うよ」

 

 

 そんな暴論を認めるわけにはいかない、認めてなんてやるものか。

 圧倒的な存在に対して真っ向から立ち向かう。自らを否定した小さな存在に、ドミニクは訝し気な様子を見せた。

 

『何……?』

「人は、無価値なんかじゃない。小さくて、弱く儚い命にだって、そこに生きる意味がある」

 

 胸に焔が燈る。心が叫んでいる。そんなのは間違っていると。

 どうしてこんなにも認めたくないのだろう。力に溺れた末の極論だから、というだけではない。この魂の奥底から湧き出る気持ちは、もっと別のものだ。

 

 自問し、そして気付く。

 

 何も難しく考えることなんてない。答えは、いつだってこの胸の内にあったのだと。

 

「私は知っている。人は、誰もが掛け替えのない存在なんだって。だから――!」

 

 金色の燐光がトワを包み込む。それは彼女の本当の姿を露にする予兆。仲間たちは、彼女がその力を畏れるのを知るが故に声を出さずにはいられない。

 

「トワ……!」

「お前、そこまでして……あ」

 

 そんな彼らにトワは微笑みかける。大丈夫、そう伝えるために。

 当たり前のものとしてではなく、必要に駆られてでもなく。恐れを越え、畏れに打ち克って。揺るぎない意志の元に、今こそこの力を揮おう。

 

「だからこそ、この力を以て――あなたを止めてみせる!」

 

 溢れ出る金色の波動が、周囲に満ちる魔の気配を押し退ける。

 響く星の鼓動。解き放たれた力が光となり、周囲を白に染め上げた。

 

*1
夏の四季魔法の一つ、サイクロン。追尾性のある竜巻を放つ。複数の敵にも有効。

*2
夏の四季魔法の一つ。周囲に茨の結界を発生させ、範囲内の敵を同時に攻撃する。


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