永久の軌跡   作:お倉坊主

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検索してみたところ「那由多の軌跡」タグが付いているのは拙作だけらしい。
細かいネタが分からない人向けに、後書きで簡単な用語解説とかした方がいいのだろうか……


第5話 生徒会

「帝国における文化的な特徴として、他国と比べて様々な民間伝承が残っている事が挙げられます。精霊、魔女、千の武器を持つ魔人……多様な伝承が各地に伝わってきたのは広大な領土と古い歴史を誇るからこそでしょう。皆さんも少しは耳にしたことがあるのではないでしょうか?」

 

 Ⅳ組の担当教官でもあるトマス教官が受け持つ帝国史の授業。分かり易くて丁寧な説明が評判ではあるが、たまに脱線して興味本位の赴くままマニアックな方向に突っ走ってしまうのが難点だ。

 既にこの授業も数回目、トマス教官のやり方にトワもだいぶ慣れてきた。どうやら今回は文化史方面に足を突っ込むようである。

 

「伝承の内容も地域によって様々、皆さんの知っている話もそれぞれ異なると思われます――そうですね。トワ・ハーシェルさん、何か知っているものはありますか?」

「わ、私ですか?」

 

 急な指名に少し焦る。立ち上がりながら慌ただしく頭が巡る。

 パッと思いついたのは、お目付け役がまさにそれらしい存在だったからだろう。

 

「妖精とかの話なら聞いたことがあります。おとぎ話みたいな感じですけど」

「ふむ……なるほど、割とポピュラーなものですね。まあ妖精と一口に言っても様々なものがありまして――」

 

 トワの答えから更に膨らんでいく脱線話。まだまだ続きそうなそれを耳に収めながら、ホッと息をつく。いきなりの事だったが、どうにかやり過ごせたようである。背中にチクチクとした視線は感じるが。

 ダシに使ったようで悪いとは思うものの、適当なのがそれしか思いつかなかったので勘弁願いたい。悪気は無かったのだ。

 トマス教官が語る色々な――時折おどろおどろしい――妖精像を聞きながら、あとで「私はそんなんじゃないの!」とへそを曲げないといいなぁ、と思う。そもそもノイが妖精ではないという事実を思い出したのは授業が終わる直前だった。

 

 

 

 

 

 4月下旬、ライノの花も満開を過ぎて花弁を散らす頃。

 高等学校に相応しい難解な授業に不慣れな下宿生活。最初は戸惑うばかりだったものの、ここ最近になってようやく身に馴染んできた。もうしばらくすれば余裕も出てくるだろう。

 先月末に発足したARCUS導入試験班だが、あの特別オリエンテーション(仮)以来これといって指示は出されていない。サラ教官に尋ねたところ、今はまだ準備中なのだという。ただまあ件の特別実習というものは月末に行う予定と聞いているので、そろそろ何かしらの知らせが届くのではないかとトワは思っている。

 そんな初々しさが残る新入生にとって、初めての自由行動日が翌日に迫っていた。

 

「うう……もう限界。トマス教官ってなんであんなに話が長いのよ……」

「きっと性分なんじゃないかなぁ。それにエミリーちゃんだって堪え性が無いと思うよ。まだまだ先は長いんだから頑張っていかなきゃっ」

「トワと違って机にお行儀よく座っているのは苦手なのよ、あたしは」

 

 HRも終わって放課後になったⅣ組の教室では、エミリーが疲れ果てた様子でぐったりとしていた。ぶつくさ文句を言う彼女を一念発起させようとするものの、返ってくるのは妙に煤けた笑みだけである。エミリーの座学嫌いは致命的なようだった。

 ここ半月で泣きつかれた回数は既に片手では収まらない。実技では凄く張り切っているのに、とトワは勿体なく思う。ここまで好き嫌いがはっきりしているのも珍しいのではないだろうか。

 隣でそんな事を考えているのを知ってか知らずか、エミリーは机で萎びたままでいる。

 ……と思ったら、何か思い出したかのようにガバリと起き上った。

 

「けど、そんな憂鬱な日々も明日の為にあったと思えば報われるわ。そう、明日は自由行動日! 授業もない、ラクロス部も朝からやり放題。なんて素敵なの!」

「はは……正確には、休みという訳じゃないそうだけどね」

 

 盛り上がるエミリーに補足を加えたのは、近くで雑誌を広げていた男子生徒のハイベルだ。雑誌をたたみ中指で眼鏡をかけ直す。

 

「生徒の自主性を高めるために設けられた日――要するに1日が丸々自習日になっているとも言えるかな。教官も休日ではないと言っていただろう?」

「でも一日中部活出来るって事には変わりないでしょ? なら問題なし! ハイベルも部活やり始めたそうだし言う事ないじゃない」

「それはまあ、そうなんだが」

「もう、エミリーちゃんったら本当に部活の事になると目の色が変わるんだから」

 

 どうやらエミリーにとっては部活が出来れば休日であろうが何であろうが関係ないらしい。あまりの熱心さにハイベル共々苦笑を浮かべてしまう。好きな事に打ち込むのは良い事だとは思うのだが、その炎が燃え盛らんばかりの熱意は真似できそうになかった。

 エミリーはしばらくこの調子だろう。彼女の事は置いておくとして、視線をハイベルの手元に移して話題を変えた。

 

「そういえばハイベル君は何を読んでいたの?」

「『帝国時報』の最新刊だよ。少し気になる見出しがあったから、購買で買ってきたんだ」

 

 何となく気になったので聞いてみれば、答えと共に「読むかい?」と差し出される。折角なのでお言葉に甘え、自分でも目を通すことにした。

 読み始めて間もなく、ハイベルの言う気になる見出しはすぐに分かった。

 

「帝国南部で導力が停止する現象……? オーブメントが動かなくなっているってこと?」

「どうやらそうみたいだ。南のリベールでは同じことが全土で起こっているそうで、そちらの余波が帝国にも及んでいるのではないかという話なんだけど……原因がはっきりしないせいで不安が広がっているらしい」

 

 声を抑え「新兵器じゃないか、とかね」と続けるハイベルの表情は思わしくない。彼なりに、この状況を憂慮しているのかもしれない。

 エレボニア帝国にとってリベール王国といえば、まず11年前の《百日戦役》が思い浮かぶだろう。圧倒的な優位に立っていた筈が、警備飛行艇という新兵器によって瞬く間に状況をひっくり返された近代戦の先駆けとも言われる戦争。その国の名と新兵器という言葉が合わさると、どうしても不安に感じてしまう人もいるのかもしれない。

 だが、最近のリベールと帝国の関係は悪くない。昨年には女王アリシアⅡ世の提唱による帝国と共和国の緊張状態を緩和するための《不戦条約》が締結したのも記憶に新しい。

 それなのにリベールが戦争を臭わすような真似をするとは考えづらい。新兵器という話は流言と判断するのが妥当だろう。

 もっとも、どれだけの人がそう判断できるかは分からないが。

 

「…………」

 

 だが、トワの意識が向けられているのは政治的な方面ではなかった。紙面に未確認の情報と前置いての「ヴァレリア湖上空に現れた浮遊構造物」という記述。思い浮かぶのは故郷の遺跡群だ。

 もし、この構造物というのがアレ(・・)と同じ類なら只事ではない。無事に解決すればいいのだが……トワは自然と難しい顔になっていた。

 

「滅多なことにはならないだろうけど、どうなるか少し心配だな。何事もなく終わってくれるといいんだが」

「……うん、そうだね」

 

 方向性は違っても、二人ともこの状況が心配であるのは変わりない。雰囲気はどうしても暗くなってしまう。

 そこに割って入ってきたのは、少し暑苦しささえ感じる熱血少女の声だった。

 

「ああ、もう! あたしたちに出来る事なんてたかが知れているんだから、そんなに考え込まなくてもいいじゃない。こういう時はドーンって構えていれば良いのよ、ドーンって」

「エミリーちゃん……えへへ、それもそうだね」

「君の場合、もう少し時事にも興味を持った方がいいと思うけどね。またハインリッヒ教官に小言を言われるかもしれないよ」

「むぐっ。そ、それはそれよ! そんな事よりトワ、あなたは部活どこにするか決めたの?」

 

 露骨な話題逸らしに逃げたな、と察する。この前の政経の授業で「君は世の中というものに興味を持っていないのかね」とお説教されていたのだが、あまり反省はしていなさそうだ。

 しかしながら暗い空気を払拭しようとしてくれたのも確か。笑みをこぼしながら、あまり深く追求しないで二人は逸らされた話題に乗る事にする。

 

「実は、まだ決めていないんだ。明日辺りにどこか良い所が無いか探すつもりなんだけど……ハイベル君は吹奏楽部に入ったんだっけ?」

「ああ、ついこの間ね。音楽は昔からヴァイオリンをやっていたし、その腕を鈍らせるのも勿体なかったから」

「音楽ねぇ。あたしにはあまり縁のない領分だわ」

「私も楽器とかの経験は無いけど、歌なら少しやった事があるよ。故郷に凄く歌の上手い人がいて、その人に……ふう」

 

 突然の溜息にエミリーもハイベルも不思議そうな顔をする。が、トワは何でもないと首を振った。

 歌を教えてくれた人――正確には人ではないが――の指導を思い出して自然と零れてしまっただけだ。こちらから頼んで教えてもらったので文句は無いのだが、あの時の大変さはつい遠い目になってしまうくらいのものだった。

 トワの様子から、あまり深く触れるべきではないと判断したのだろう。ハイベルがコホンと仕切り直した。

 

「まあ、うちでは初心者も歓迎だ。よかったら見学にでも来ないかい?」

「ちょっとハイベル! そういう事ならラクロス部だって勧誘させてもらうわ。さあトワ、あたしと一緒に燃え上がりましょう!」

「も、燃え上がる……?」

 

 が、その軌道修正は失敗だったらしい。エミリーが負けん気を発揮して火がついてしまった。

 エミリーの積極的な勧誘にトワはタジタジとなる。助けを求めるようにハイベルに目を遣るも、彼は肩をすくめるばかり。勧誘の話を切り出したのは自分なだけに止めにくいのだろう。

 

「トワ、いるかい……って、何だ?」

 

 どうしたものかと困るトワを助けたのは、教室の外からやって来た大柄な友達だった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「なるほど、部活の勧誘をされていたのか。にじり寄られていたから何事かと思ったよ」

「あはは……エミリーちゃん、熱心になると凄いから。ジョルジュ君が来てくれて助かったよ」

「はは、それはどういたしまして」

 

 校舎裏の中庭を歩きながら談笑するのはトワとジョルジュ。Ⅳ組を訪ねてきた彼がトワに用事があると言うので、それを理由にエミリーの積極的に過ぎる勧誘から逃げてきたのであった。

 その場では、よく分かっていなかったジョルジュも事情を知れば笑みを零す。同時に申し訳なさそうな顔にもなっていたが。

 

「けど、それを抜きにしても急にこんな事を頼んで悪かったね。重くないかい?」

「大丈夫大丈夫。それにARCUSに関係する機材なんでしょ? だったら私だって手伝わないと」

 

 二人の手には、それなりの大きさの荷物があった。ジョルジュによるとARCUSの整備に関する機材らしく、つい先ほど届いたものをサラ教官から引き渡されたそうだ。彼の用事とは、この機材の運搬と設置の手伝いであった。

 トワの言葉にジョルジュは心底ありがたそうな表情をする。理由は単純なものだ。

 

「あの二人も見つけられれば良かったんだけどね。まったく、どこをほっつき歩いているのやら……」

 

 トワに声を掛ける前にクロウとアンゼリカも探したそうなのだが、既に学院を後にしてしまったようで見つからなかったという。二人の性格を考えると、いつまでも学院に留まっているようなタイプとは思えないので納得と言えば納得なのだが。おそらく町の方に繰り出しているのだろう。

 まあ、ぶつくさと文句を言っても仕方がない。居ない以上はこの二人で片付けなければならないのだ。

 呆れ顔のジョルジュを「まあまあ」と宥めながら中庭を通り過ぎ、目的地である建物の前まで来る。基本的に石造りである学院の建物の中で、例から外れて一階建ての小さな木造建築。学院の機械類が集まる技術棟だ。

 中に人の気配はない。どうやら普段は人気が無いらしい。

 

「えっと、鍵が掛かっていそうだけど」

「鍵なら僕が持っているよ。ほら」

 

 ジョルジュが懐から取り出した小さな鍵で錠を外す。サラ教官から預かっていたのだろうか。

 

「失礼しま~す……」

 

 誰もいないのは分かっているが、なんとなく断りを入れてから入室する。

 技術棟の中はそれなりに広々としていた。4人掛けのテーブルに作業台と思しきもの、他には機材が収められている収納の類があるくらいだ。生活感が無いとも言える。

 若干、埃っぽいのは使われる機会が少ないからか。運んできた荷物を作業台に置いた際に舞い上がった埃が鼻をくすぐり、トワはくしゃみした。

 

「あまり人気が無い所みたいだね。普段は使わない所なのかなぁ」

「一応、技術部が管理している事になっているのだけど、最近はあまり活動していないそうでね。部長にも好きに使ってくれて構わないと言われてしまったよ」

「じゃあ、その鍵も?」

「部で管理しているスペアさ。借りるつもりが貰ってしまう事になるとは思っていなかった」

 

 ジョルジュの言葉通りならば、今日から彼が技術棟の管理者という事である。入学から半月ばかりで一城の主とは豪勢な話だ。

 しかしながら本人はあまり嬉しそうではない。笑みは浮かんでいても、それは苦笑い以外の何物でもない。

 まあ、それもそうかとトワは思う。いくら広くて好きな機械いじりに適した空間を手にしたとしても、そこに自分以外に誰もいなければ寂しいものだ。本当は一部員として楽しくやっていきたかったのだろう。

 その事に関してトワが力になれる事は多くない。機械関係について特別な興味を持っている訳でもないし、いい加減な理由で入部するつもりもない。

 

「早速、機材の設置を始めたい所だけど……この様子だと掃除の方が先かな。用務員さんから道具を借りてくるか」

「そうだね。じゃあ、ジョルジュ君が行ってくれてる間に簡単な整理からやっておくねっ」

「はは、分かった。分担して手際良くやっていくとしよう」

 

 だが、こうして一人の友達として手伝いをすることは出来る。今後も時間があれば顔を出す事も出来る。たったそれだけだとしても彼のために出来る事が無いわけではない。

 まずはこの掃除を最後までやり遂げるとしよう。「よーし」とトワは腕をまくって整理に取り掛かった。

 

 

 

 

 

「それじゃあコイツを設置して……よし、こんなところか」

 

 オーブメントの整備に用いる円形の機材。比較的大きめなサイズのそれに、トワにはよく分からない調整を加えていたジョルジュは満足気に頷いた。

 

「これで完了だ。トワ、手伝ってくれてありがとう」

「ジョルジュ君こそお疲れ様。本当なら設置作業も手伝えたら良かったんだけど」

「その代り作業台以外の掃除は全部やってくれたじゃないか。十分だよ」

 

 時刻は6時過ぎ。ようやく仕事を終えたのは日も沈みかける頃だった。

 日常用品ならともかく最新の工房機器の扱いなどトワは門外漢なので、自然とそちらはジョルジュに任せる形になっていた。その間に自分は掃除の方を担当。整理整頓は得意な事もあって、片付けはさほど梃子摺らずに終わらせられた。これで技術棟も快適に利用できるだろう。

 一息ついて綺麗に磨いたテーブルに着く。やはり二人だけでやるには結構な重労働だった。もう少し人手があれば良かったのだが。

 

「やっぱり部長に言われた通り、生徒会にお願いした方が良かったかな」

「生徒会?」

 

 ジョルジュの呟きにオウム返しに尋ねると、「ああ、知らなかったか」と気付いて説明してくれた。

 

「この学院の生徒会は行事の取り仕切りとかの他に、生徒からの要望も受け付けていてね。困った事があったら生徒会に相談するのが定番なんだ。大抵はすぐに対応してくれて、学内に限らずトリスタの人も頼りにしている……って鍵を貰った時に聞いたよ」

 

 つまるところ、生徒会は相談所のような役割を担っているようだ。学内に限らず町の方からも要望を受け付けているとは随分と活動の規模が大きいらしい。

 

「まあ、こんな私的な事で頼っていいか分からなかったから遠慮しておいたんだけど」

「へえ……ねえ、ジョルジュ君。その生徒会ってどこにあるの?」

「え、学生会館の二階って聞いているけど」

 

 困っている人のために助けとなる。トワとしては気を惹かれる活動内容だ。故郷で似たような事をしていただけに親近感のようなものを感じる。行事の仕切りというのも良い経験になるだろう。

 考えるうちに俄然興味が湧いてきた。折り良く明日は自由行動日、これを逃す手は無い。

 その胸の内は分かりやすいくらいに顔に出ていたのだろう。ジョルジュは自分の話が与えた影響を察し、小さく肩をすくめた。

 

「どうやら興味を持たせてしまったみたいだね。訪ねてみるつもりかい?」

「うん。早速、明日に行ってみる」

「そうか……ふう、済し崩しに技術部に入ってくれないかと思っていたんだけどね。これは余計な事を言ってしまったかな」

「えっ」

「ああいや、冗談だよ」

 

 慌てて訂正してくるジョルジュにトワはほっと胸を撫で下ろす。真に受けて申し訳なく感じかねない所だった。昔から冗談が通じないと言われているが、どうにも直せない欠点の一つである。

 だがジョルジュはともかくとして、誘ってくれたエミリーやハイベルの厚意をふいにするのは事実。せめてもの礼儀として、ちゃんと断っておこうと心に留めておいた。

 

「詳しくは知らないけど、良い所だといいね」

「えへへ、ありがと。無事に入れたらジョルジュ君も遠慮なく相談してね。頑張ってお手伝いさせてもらうから」

「じゃあ機会があればお願いしようかな」

 

 まだ決まった訳ではないが、こだわりもなく見て回るだけより明確な当てがあった方が張り切ってくるもの。自由行動日を前に、トワは明日が急に楽しみになり始めていた。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

『それで、ここがその生徒会があるところなの?』

「うん、間違いない筈だよ」

 

 そして翌朝、迷うことなく直行した学生会館の二階、その突き当り。

 扉の上のプレートには「生徒会室」の表示。ジョルジュの言っていた場所に相違ないだろう。

 

『それにしても、わざわざ学院でも同じような事をやらなくていいのに。トワも物好きなの』

「う……いいもん、好きでやっているんだから」

『別に止めはしないけど、人のお手伝いばかりして自分を蔑ろにしちゃダメだからね。たまには友達と遊んだりする事。分かった?』

「はーい……」

 

 昨夜から耳にタコが出来るほど言われた事だが、流石に生まれた時から面倒を見てもらってきた相手の言葉を邪険に出来る筈もなく、渋い顔をしながら頷くしかない。純粋に心配してくれての事なら尚更だ。

 これでも性格的にはしっかりしているつもりなのだが、身内からすればまだまだ危なっかしいようだ。せめて、この小さな姉代わりに余計な心配を掛けないようになりたいものである。

 耳が痛い様子のトワに『じゃあ頑張ってね』と言ったきり口を噤むノイ。安全は確認したが、いつ人が通ってもおかしくない場所である。会話は最小限だった。

 

「さてと……」

 

 そして、ここからが本番だ。いざ、という時に限って少し尻込みしてしまうのも常の事。生徒会室の扉が急に重厚なものに見えてきてトワは緊張から生唾を呑み込む。

 中の気配は一人。ええいと意を決して扉をノックする。

 

『入りたまえ』

 

 返答はすぐにあった。落ち着いた男の声。少し無機質にも感じる。

 トワは腹を括って「失礼します」と扉を開けて中に足を踏み入れた。

 

「…………」

「…………えっと」

 

 応接用のテーブル、資料が整然と並ぶ棚類、窓際のトロフィーや盾は何かで賞を取った時のものだろう。

 そして、ひときわ目立つ大きなデスク。生徒会を統括する生徒会長の座席と思われる場所に、一人の男子生徒が座っていた。

 白い制服からして貴族生徒。ありがちな華美な装いはしておらず、キッチリと締められたネクタイや整った銀髪から貴族というよりは役人という印象が強い。見た目からして生真面目なタイプだ。

 だが、そんな風貌からの情報より遥かに強い印象が彼の纏う雰囲気にあった。

 冷たい。黙々と書類を読み進めるその瞳が、針金が通っているかのように背筋を伸ばすその姿が、精巧に動く機械のように無機質で冷たく感じる。冷淡という言葉がこれほど似合いそうな人もそうはいない。トワはそのあまりにも強烈なインパクトに固まってしまった。

 すると書類に向かっていた目が向けられた。淡い紫の瞳をトワは呆けたように眺める。

 

「用件は?」

「ふえっ?」

「用件は、と聞いている」

 

 唐突に飛び出した言葉は短いものだった。間の抜けた声を上げるトワに彼は繰り返す。

 

「今は他のメンバーが出払っている。依頼ならば私が受け付けるが」

 

 そこまで言われてハッと気付く。どうやら困って相談に来た生徒と間違えられているようだ。トワは慌てて訂正した。

 

「い、いえ。その、生徒会に興味があって訪ねてみたんですけど」

「……つまり生徒会への参加希望者という訳か。予想より早く来たものだ」

「えっと、何か不都合でもありましたか?」

「いや、構わん」

 

 トワの焦りが混じった返答から正確に用件を読み取った男子生徒は、そこで初めて言葉尻に感情を滲ませた。淡々としてはいるが完全に無感情という訳でもなさそうだ。

 貴族らしい洗練された所作で立ち上がった彼は、緊張から気を付けの立ち方になっているトワの近くまでやって来る。やや背は高い。トワの低身長もあって見上げる形になった。

 観察するような視線が頭のてっぺんからつま先まで一往復する。緊張はますます強くなる。

 

「1年Ⅳ組のトワ・ハーシェルだな。今年の首席入学者だという」

「は、はい……よく知っていますね」

「首席の名前くらい興味がある者ならば知っている。加えて、学院長と新任教官が妙な事を始めたという噂もある。それに関わっている生徒が記憶に残っていても不思議ではないだろう」

 

 トワは自分が首席だという事を誰かに告げた覚えはない。特に自慢しようとも思わなかったし、誰にも聞かれなかったからだ。だからこそ当然のように自分の名前と首席という情報を言い当てた彼に驚いた。それに導入試験の事も耳に入っているなんて。

 だが、それだけに留まらず言葉は続く。

 

「それに生徒の名前と顔くらい全員(・・)把握している。別に君だからという訳でもない」

 

 ああ、とトワは察した。この人、物凄く優秀である。それでいて暗に自惚れないようにと言ってくるあたり、自他ともに厳しいタイプと見た。

 

「私は生徒会長を務めているアウグストという者だ。確認しておくがハーシェル、生徒会というものは相応の責任が伴う。それを承知した上で入りたいと言うのだな?」

「はい。困っている生徒やトリスタの人たちの力になるっていう事は、その人たちとちゃんと向き合ってやらなきゃいけませんもんね」

 

 緊張は解けないが、段々とトワも落ち着いてきた。

 手短に名乗ったアウグスト会長から念を押されるように問われるも、志望動機も踏まえてしっかりと答えを返す。責任云々に関しては故郷で仕事の手伝いをしていた時から弁えているつもりだ。

 見定めるように黙って視線を向けてくる会長。おもむろに「よろしい」と頷き、デスクから3枚ほど書類を取るとトワに差し出してきた。

 

「では早速、仕事を頼むとしよう。この依頼を片付けてきてくれたまえ」

「……え?」

 

 流石に想定外だった。差し出された書類と会長の顔の間で何度も見返してしまう。書類が引っ込むことも無かったし、会長の表情筋が一筋たりとも動くことは無かった。

 普通こういうのは順序を踏まえてやっていくものなのではないだろうか。どういう風にやればいいのかとか、注意するべき事とかの説明を全部すっ飛ばしてのコレである。つい呆然となってしまっても仕方がない。

 ――いや、それとも説明していない事に意味があるのか。

 

「どうした、何か疑問点でもあるのか?」

「えっと、疑問点というか……その、いきなり私がやっても大丈夫なんでしょうか? ちゃんとした生徒会の人じゃないとダメとかそういう事は……」

「依頼人に説明すれば問題ないだろう。そこまで堅苦しいものでもない」

 

 会長の腕に付いている青地に金の装飾が施された腕章。たぶん生徒会の証のようなものだろう。それも無しに依頼を受けても良いものかと思っての質問だったが、僅かな迷いもなく即答された。

 ずいと差し出される書類。恐る恐るそれを受け取ると、会長は仁王立ちしたまま無言で佇む。顔には早く行けと書かれていた。

 これ以上、余計な質問を差し挟むことは許してくれなさそうだ。もう行くしかないだろう。心の内でコッソリと嘆息し、トワは覚悟を決めた。

 

「それじゃあ頑張ってきます」

「全て終えたらここに戻ってくるように。では健闘を祈る」

 

 淡々とした激励の言葉を背に生徒会室を後にする。なるべく静かに扉を閉じて会長の目の届かない場所まで来ると、どっと疲れて思わず溜息が零れた。なんだか大変な先輩に会ってしまったのかもしれない。

 すると黙っていたノイの声が聞こえてくる。

 

『……何なの、あの人。貴族だからって横柄なの。エクレアだって子供の頃は可愛げがあったのに』

「エクレアって……ああ、ビクター男爵の事」

『いきなり仕事だけ押し付けて放り出すなんて碌な奴じゃないの。トワ、悪い事は言わないから生徒会は止めておこう。あんな冷たいのにトワを任せてなんておけないの』

 

 どうやらノイは随分と会長の事を嫌ってしまったようだ。今は抑えてはいるが、人目を憚らなければ声を大にして不満を口にしていただろう。

 ちなみに引き合いに出していたエクレアとは、よく故郷を訪ねてくるビクター男爵家の女当主の名前である。昔からの付き合いでノイとは顔を合わせれば親しげに話している方なのだが、小さい頃は手が焼けるお転婆娘だったらしい。

 閑話休題。

 ノイは今からでも遅くないと生徒会入りを引き留めようとしてくるが、生憎とトワにその気持ちは無かった。「ううん」と首を横に振る。

 

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ、ノイ。確かに癖がある会長さんだったけど、悪い人じゃなさそうだったし」

 

 笑みを浮かべて「それに」と続ける。

 

「仕事を任されたからには、ちゃんとやり切らないといけないしね。説明をしなかったのだって、それ相応の理由があると思うんだ」

『うーん……そうだとしても私はあまり好きになれそうにないの』

「あはは、こればっかりは星と女神の導き次第だから」

 

 優秀そうな印象にしてはぞんざいな仕事の振り方。トワの見当違いでなければ、何らかの理由によるものだと考えられるのだが……一先ず、それは置いておくことにしよう。

 人の出会いは一期一会。相性が悪かったとしても、その出会いを受け入れなければならない。ノイには諦めてもらうしかないだろう。

 

「よーし、それじゃあ精一杯やっていこうっ!」

『ふう……仕方ないの。張り切り過ぎて怪我とかしないようにね』

 

 いつものように心配事を口にするノイに「大丈夫だよ」と返しながら動き始める。

 生徒会の初仕事。トワは意気揚々と活動を開始した。

 


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