永久の軌跡   作:お倉坊主

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閃の軌跡Ⅳ、クリアしました。ありがとうファルコム! 楽しかった!
ネタバレを含めた感想は活動報告に上げておきましたので、よろしければそちらをご覧ください。

それはともかく、拙作としては大変なことになってしまいました。
設定が食い違うならともかく、まさか設定が噛み合いすぎてぶっ飛んだことになってしまうとは思ってもいなかったと言いますか……決して悪いことではないのですが、バランスを取るのに難儀することになりそうです。


第48話 魔の音色

「さて、勇んできたはいいが、具体的にはどう攻めようか」

 

 ウォレス准将からの依頼を受け、ボリス子爵への疑惑の真偽を見極めんと紡績工場近くまでやってきたトワたち。しかし、その足は道中の路地で止めることになる。

 このまま無策で突っ込んでいって馬鹿正直に「貴方が犯人か」と聞いても、相手を戸惑わせるかしらを切られるだけだ。それでは意味がない。どうにかボリス子爵に判断材料になるだけの情報を口にするよう仕向ける必要があった。

 一口に情報といっても色々ある。どのような情報を引き出そうとするか次第でやり方は変わってくるだろう。まずはそこを考えなければ。

 

「動機、手段、アリバイ。この内のどれかが分かればいいんだけど」

「まあ、順当なところだな」

 

 犯罪捜査には詳しいわけではないが、鍵となる要素くらいは承知している。容疑を固める、或いは嫌疑を晴らすにはそれらを明らかにするのが手っ取り早い。

 とはいえ、そのどれでもいいわけではない。今回の場合を鑑みると、白日の下にさらすのが難しいように思えるものもある。

 

「アリバイに関しては証明するのは不可能に近いんじゃないかな。どうやら魔獣を操るのに相当自由が利くみたいだ。時間差とかも考えだしたら切りがない」

 

 如何なる手段を以てしてか、犯人は巧妙に魔獣を操ることを可能としている。帝都で目にしたのがいい例だろう。限定的であるが、犯罪グループという他人に手綱を渡すという離れ業さえ実現していた。

 考えられる可能性が多ければ多いほど、ボリス子爵のアリバイを立証するのは難しくなる。そもそも魔獣が操られてから襲撃が起こるまでの時間間隔が分からない。この線で考えても思考の迷路に嵌るだけに思われた。

 アリバイの線は無し。ならば、他はどうだろうか。

 

「そもそも何の目的があって魔獣に襲わせているのか判然としないね。いっそのこと愉快犯だったら納得なのだが」

「そりゃ同感だが……あのオッサンが本当にそうなら、大した面の皮の厚さだぜ。ちょっとやそっとじゃ剥がせそうにねえな」

 

 帝国各地で散発している事件は何を狙ってのものなのか不可解だ。どうやら領邦軍の方でもそれは同じらしく、ウォレス准将からそれに類する情報を得ることは叶わなかった。

 何か自分たちには及びもつかない目的があるのか、はたまた事件を起こすそれ自体が目的なのか。面白半分という享楽的な動機の方がまだ筋が通るような状況である。その場合、非常に性質が悪いのは言うまでもないが。

 どちらにせよ、ボリス子爵が胸の内にそんなものを抱えているとは俄かには想像しがたかった。他人の本心など傍目から理解することなどできないといえばそれまでだが、今まで目にしてきたひょうきんな彼が嘘とも思えない。

 帝都から始まり、実習の度に顔を合わせてきたが、その中で気のいいオジサンを崩すことはなかった。もし本当に犯人だったなら、役者として生きていくことを勧めたいくらいだ。そんな相手の魂胆を暴き出すのは困難に違いないだろう。

 

「やっぱり、魔獣を操っている手段から探るのがいいと思う」

 

 そうなると糸口は限られてくる。残されたのは現段階においても比較的情報がある犯行手段、実際に魔獣を操っている絡繰りから解き明かすものだ。

 犯人は魔獣を一種の催眠状態にする手段を有していると思われる。帝都における一件でも推測されたが、広範囲にわたる多数の魔獣を従えるとなると音波を用いたものと考えるのが妥当だろう。ルーレでは人が立ち入るのが難しい山岳方面から魔獣が出没したのもあって、その推測は信憑性が高まっていた。

 しかし、単なる催眠術であれだけの魔獣を操れるわけもない。魔鰐や魔鷲、トワたちを襲った強大な魔獣ともなれば、本来なら通用すらしないはずだ。

 それなら、どうして。疑問を解消し得る答えを求めて、トワは推測を重ねる。

 

「多分だけど、犯人は古代遺物(アーティファクト)を使っているんじゃないかな」

「ふむ……私たちの身近で言うと、ノイがそうだったね」

『個人的には不本意だけど、そうなの』

 

 目には見えずとも、きっと眉をしかめていることだろう。そんなノイの言葉の通り、彼女は便宜上人格を持った古代遺物の一種として扱われている。

 古代ゼムリア文明の産物である多種多様な品々。現代の技術では考えられない現象さえ起こし得るそれらは本来、七耀教会によって管理されるものだが、教会もその全てを把握しきれているわけではない。

 未だ古代の遺跡に眠るもの、そして古くから血族の中で受け継がれてきたもの。そうした類を個人が発見或いは継承することもあり得るだろう。

 

「普通なら無理なことを可能にしているなら、そのための特別な手段が必ずあるはず。ボリスさんがそうしたものを持っているか確かめられたら……」

「犯人かどうか見極める鍵になる、か。確かに有力な手掛かりにはなりそうだ」

 

 当然ながら、そう簡単にボロを出したりはしないだろう。はたまた無関係かもしれないだけに、その判別は難しい。

 しかし、トワたちは取っ掛かりを既に手にしていた。昨日の怪盗紳士ブルブランが起こした騒動。その折に耳にした情報がよい口実になる。

 

「元は勘当同然だったとか陰謀染みた火事やら、あのオッサンも色々とありそうだ。そこから古代遺物に心当たりがないか探っていければ上々ってところか」

 

 本当はそのことについて深く尋ねるつもりはなかった。焼け落ちた屋敷で見せたドミニクの様子や、あの封鎖された廃道について口を噤む町の人々。過去に何か忌まわしい出来事があったと察することくらいはできる。

 だとしても、こうなってしまった以上は話は別だ。そこにボリス子爵の疑惑を解き明かす手掛かりがあるのなら、隠された過去を暴くのを躊躇うべきではないだろう。

 それに、もしかしたら何らかの形で今回の一件と繋がっているのではないか。漠然としたものではあったが、トワにはそんな予感があった。

 

「作戦会議はこんなところか。後は相手の出方次第だね」

『あんまり時間に余裕もないの。すぐに片が付けばいいんだけど……なんだか天気も崩れそうだし』

 

 そびえる紡績工場を仰ぎ見る。その向こうの空には、午前とは一転して薄暗い曇天が広がりつつあった。

 

「さっさと終わらせてさっさと帰るとしようぜ。まあ、降ってきたら我らが天使様に雨雲を払ってもらうとしようかね」

「当てにしてもらって悪いけど、そういう利己的な使い方はしないからね」

「出来はするのか……」

 

 自然は自然の流れに任せるのが一番だ。いくらそれを操る力があるといって、好き勝手にしていたら調和を乱すことになる。残念ながらクロウの目論見はお断りだ。

 そんなやり取りを交わしながら路地を出て、いざ紡績工場へ。これがパルムにおける試験実習の大詰めになるだろう。気を引き締めたトワたちは疑惑の人物の元へと朝来た道を辿るのであった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「おや、早いものだ。もう依頼は片付いたのかね?」

 

 紡績工場の一角、ボリス子爵の執務室を訪ねたトワたちを出迎えたのは部屋の主の意外そうな声だった。他に人影はない。どうやら彼一人のようだ。

 

「はい。思ったよりもスムーズに終わって……ドミニクさんはお出かけですか?」

「少し外回りに行くと言っておったよ。私としてはそこまで熱心に働かなくてもいいと思うのだが」

 

 やれやれとでも言いたげに肩を竦めるボリス子爵。雇い主としてはどうなのだろうかと思うが、そこが彼らしいところでもあるのだろう。

 こんな所作を見ていると、尚更に彼が魔獣事件を起こしている犯人などには考えられなくなってくるが……今はその気持ちに蓋をして、目的を果たすために話を進める。

 

「そうでしたか。帰るまでにご挨拶出来たらいいんですけど」

「まあ、彼もしばらくしたら帰ってくるだろう。時間もあることだ。報告がてら、ゆっくりしていきたまえ」

「そんじゃ、お言葉に甘えさせてもらいますかね」

 

 秘書であるドミニクが不在なのは意外ではあったが、この場合は都合がいい展開とも捉えられる。余計なことを気にせずにボリス子爵から話を聞くことが出来るのだから。

 常に行動を共にしていたドミニクにも事情を聞いてみたいところではあるが、それは後に回しても問題はないだろう。まずは疑惑の中心にいる人物を見定めてからでも遅くはない。

 勧められるままに応接間のソファに腰を下ろし、いそいそとお茶の準備をしてきたボリス子爵が対面に座る。子爵家当主にしては随分と用意に手慣れているが、そこはもう今更だろう。伝え聞いた彼の境遇を考えれば持ち合わせて当然の技術とも言えた。

 

 ともあれ、まずは依頼の報告から入ることにする。目的は別にあれども、それを気取られるわけにはいかない。

 元から頼まれていたものはつつがなく終了し、ヴァンダール流の練武場で試合に誘われたことも報告しておく。あれも一応は依頼の範疇だ。流石にウォレス准将と手合わせする羽目になったとは言わないけれど。

 

「ほう、ヴァンダールのところに。彼らには町の見回りや周辺に魔獣が現れたときに力を貸してもらっていてね。いい勉強になっただろう?」

「ええ、まあ……」

 

 素直に話すわけにもいかないので歯切れが悪くなるのは致し方ない。ある意味において、とても勉強になったのは確かではある。嘘をついていることにはならない……と思う。

 

「仕事が早くて助かるよ、本当に。おかげで溜まっていた案件も片付いた。近頃は遊撃士もとんと姿を見なくなったから、こういう細かなところに手が追い付いていなくてね」

 

 感謝を告げながらも、どこか疲れたような笑みを浮かべるボリス子爵。一見してちゃらんぽらんな彼であるが、領主として色々と考えたりそれなりに苦労はしているようだ。

 その助けとなれたのは嬉しい――だが、今の自分たちの務めはそんな彼を見極めることにある。私情は排し、可能な限り客観的な目で。そうしなければ真実を知ることは叶わない。

 報告も一通り終わった。時期と見たトワは一つの問いかけをボリス子爵に投げかける。

 

「そういえばボリスさん、町で気になる話を聞いたんですけれど」

「ふむ?」

「ボリスさんが昔、労働者の為に子爵家に抗議運動を起こしたって。後学のために、よければ話を聞かせてもらえませんか?」

 

 いきなり本題から入っても相手を構えさせるだけだ。手始めに聞くのは彼の過去、工場の古株から教えてもらった若かりし頃の武勇伝である。

 ボリス子爵は目をパチクリと瞬かせる。まるで予期していなかったのだろう。何度か反芻してようやく意味を理解したのか、今度は深々とため息をついた。

 

「……誰に聞いたのかね?」

「ここの現場監督さんから、少し」

 

 余計なことを、とため息をもう一つ。そこに悪感情があるわけではない。けれども、どこか居た堪れない様子でボリス子爵は身動ぎする。

 

「あー……あれは何と言うか、若気の至りというか……そう自慢できる話でもないのだが……」

「まあまあ、実習としてもパルムの歴史を知るのは有意義なことでありますし」

「オッサンの昔話くらい減るもんでもないだろ? 適当な時間つぶしとでも思ってよ」

 

 渋るボリス子爵をアンゼリカとクロウがそれっぽいことを口にして説得する。話の取っ掛かりを作るため――の筈なのだが、どうも嗜虐心が透けて見えるのは気のせいだろうか。

 うーむ、と唸っていたボリス子爵だが、逃がしてくれる様子のない二人を見て観念したようだ。再三のため息をつくと苦笑を浮かべた。

 

「仕方あるまい。あまり面白い話でもないが、いいかね?」

「はは……ええ、よろしくお願いします」

 

 同じく苦笑い気味のジョルジュが促す。うむ、と一息ついたボリス子爵は話を切り出した。

 

「この紡績工場が操業を開始してから五年ほど経った頃のことだ。初期は手探りだったところもノウハウを身に着け、生産量も安定して増加していっていた――そのまま堅実に経営していればよかったのだが」

 

 導力革命の初期に操業を始めたこの導力式の紡績工場。今でこそ生活に密着した導力だが、その当時はまだまだ馴染みのない新技術だった。その仕組みに慣れるまで現場では苦労することも多かったのだろう。

 それも年数が経てば経験が蓄積されてくる。徐々に生産体制も整い、安定した操業が見込めるようになってきた。

 ここにきて、ようやくダムマイアー子爵家の投資は実りを迎えたのだ。より早く、より均一に。職人の手によるものとは異なり、導力式紡績機は一度軌道に乗れば段違いの生産効率を可能にする。例え初期の導力器であっても、手作業とは雲泥の差があった。

 安くて上質な製品があれば売れないわけがない。複雑な刺繍や染色こそ難しかったが、一般生活レベルの衣類に用いるなら十分なものを安定して供給できるようになったパルム。目ざとい商人から我先にと飛びつき、子爵家は投資に見合う成果を得ることが出来た。

 ただ惜しむらくは、そこで足元を省みずに欲をかいてしまったことだろう。

 

「おおよそは既に聞いたかもしれんが、時の当主……私の父は更なる生産拡大を強引に進め始めた。未成年者などの不当な雇用に、農家には原料の生産の強制。中央からの法の目も行き届いていない時代、領民にそれを拒む術はなかったのだよ」

 

 今でこそ帝国政府の力が強まり法整備も進んだことで、労働関連のモラルは概ね保たれている。しかし、当時は導力革命から間もない頃。地方においては領主が法といっても過言ではない時代だった。

 全てはより多く生産し、より多くのミラを稼ぐために。子供を安い賃金で働かせられる労働力として扱い、拡大し続ける生産に追いつくよう農家に原料の生産を義務付けた。

 子爵家は確かに富んだのだろう。だが、それは民を犠牲とした繁栄だ。間違っても領主として褒められる行いではない。

 

「問題はそこだけに留まらん。その行いは伝統的な染織物を作ってきた職人の尊厳さえも貶めた」

「職人の……安価な商品の席捲、ううん、そもそも原料の供給を断たれてしまって……?」

 

 トワの推測にボリス子爵は重苦しく頷く。それは無言の肯定だった。

 安くて質の良い商品が流通すれば、それに劣るものが淘汰されるのは経済における必然。職人技でしか作れない精緻なものであれば話は別だが、今まで担ってきたものの多くを奪われたのは想像に難くない。

 その職人技さえも、振るう場を失ってしまえば意味をなくす。領主が原料の占有を進めるにつれ、職人たちの仕事は目減りしていく。抗う術も持たず、彼らは鬱憤を抱えて燻るしかなかった。

 

「領民の間近で育った私には、どうしてもそれが正しいことだとは思えなかった……ああ、私の生まれについては聞いたかね?」

「まあな。とんだやんちゃ坊主だったとか」

「はっはっは、そんなところだ」

 

 子爵家の妾腹の子。そんな身の上に生まれたボリス子爵は、貴族としての勉強もそこそこに町の子供たちと泥だらけになって遊ぶ少年だったそうだ。

 そんな彼が近しい人たちの窮状に何もせずにいられるわけもなかった。決心した彼はついに子爵家に反旗を翻す。

 

「領主だからといって民の生命を脅かしていいわけがない。労働者に農家、職人も説得して大規模なストライキ活動に私は乗り出した。彼らの権利を勝ち取るために」

 

 若かりし頃の想いが蘇ったのか、語り口に熱がこもるボリス子爵。そこには確かに民を想い、彼らを守ろうとした貴族としての矜持があった。思わずトワたちの方も聞き入ってしまう。

 

「――といっても、そう簡単に相手が折れないのは分かっていたからね。最初から七耀教会に根回しして、暫くしたら仲裁してくれるよう取り計らっておいたのだよ」

 

 が、次の瞬間にはいつもの惚けた様子で「はっはっは」と笑っていた。直前までの熱の入りようが嘘のような切り替わりに、聞き入っていた側としては肩透かしを食らった気分だ。

 それもボリス子爵らしいといえばその通りだろう。どうやら彼は若い頃からこんな調子だったらしい。惚けているようで強かなところもあり、相手取るには面倒だが味方としては頼もしい人である。

 

「子爵家もセントアークの大司教まで出張ってきては矛を収めざるを得なくなった。喧々諤々の交渉の末、工場の経営権を委任することで決着がついたのだよ……その権利が私に転がり込んでくるとは思わなかったが」

「いや、むしろ妥当だと思いますけど……」

 

 ジョルジュの真っ当な突っ込みに三人も頷いて追随する。事の経緯を考えれば、その結末は必然と言ってもいい。

 紡績工場は子爵家の資産。横暴な経営だったとはいえ、それを領民に「はい、どうぞ」と差し出すわけにもいくまい。家を裏切りはしたものの、血縁があるボリス子爵に委ねた方がまだ面目が立つ。

 一方、領民としてもその決定に異議を持つ者はいなかったはずだ。何せ自分たちの窮状を打破した立役者である。勝ち取った権利を任せるに足る信頼が生まれていたのは何ら不自然なことでもないだろう。

 

「とまあ、そんな経緯で工場長の座に収まり仕事に忙殺される日々を送る羽目になったわけだ。もう少し自由を謳歌していたかったものだが」

 

 実習先で見た限り、今現在においても相当に自由な振る舞いをしているように見えるのは気のせいだろうか。わざとらしい大きなため息にトワは曖昧な笑みを浮かべることしかできない。

 

「なるほど。ちなみに、それ以降の子爵家はどんな様子で?」

「私が家の敷居を跨げなくなったのは当然として、表向きは大人しいものだったよ。適正な業務に見合ったものに落ち着いたとはいえ、工場の利益はちゃんと懐に入っていたわけだからね」

 

 経営権は手放したとはいえ、工場の資産そのものは子爵家のものであることに変わりはない。正当な雇用と報酬が保証されるならば、ボリス子爵や領民側にも事を荒立てる意思はなかった。ただ、目論んでいた利益までは望めなくなったというだけで。

 そうなったのは自業自得とはいえ、家を裏切ったボリス子爵に隔意が出来るのは避けられなかった。以来、彼は本家の敷居を跨ぐことは叶わず、やり取りも仕事上の事務的なものに終始したという。

 

「分からねえもんだな。そんなあんたが、今では子爵家の当主だなんてよ」

 

 そこにクロウが攻める。ボリス子爵の表情に苦いものが浮かんだ。

 本来ならば彼にわたるはずのなかった当主の座。家から遠ざけられた彼は、微妙な距離感を保ちつつも工場長としての職務を全うするだけだった筈だ。

 だが、そうはならなかった。子爵家の人間は彼を除いて不審な火事に消えることになり、空席となった当主をやむなく引き継いで今の彼がある。過去の出来事を知るものであれば、まさかそうなるとは思いもしていなかっただろう。

 

「その……子爵家の方々は火事でお亡くなりになったと聞きましたが」

「ボリスさんの方でも、その原因とかはご存じではないんですか?」

 

 ここからが正念場だ。慎重に言葉を選んで口にする。

 彼が子爵の地位を継ぐことになった原因、領主邸の焼失。古代遺物に繋がる鍵があるとしたら、その暗いヴェールに覆い隠された中だろう。どうにか聞き出せればいいのだが。

 内容が内容だけに、ボリス子爵の面持ちは優れない。殆ど絶縁状態だったとはいえ、自分以外の一家郎党が一夜にして全滅したのだ。情がある人間なら堪えて当然の惨事である。

 

 ――ただ、何だろう。トワの目にはそれだけではないように見えた。悲哀の中に、深い悔恨が同居しているような。

 

「私は何も……いや、もう十年も経ったのだ。少しは吐きだしてもよいのかもな……」

 

 自分に言い聞かせるようにボリス子爵は言葉を零す。ずっと胸の内に閉じ込めてきたもの、その箍が歳月を経て緩んだのかもしれない。或いはトワたちに対して気を許していたこともあったのだろう。彼は大きく息をつくとぽつりぽつりと語りだした。

 

「……私の口から仔細を語ることは適わないが、ダムマイアー家の人間がああなった(・・・・・)のは彼らが許されざる行いをしたからだ。貴族として、人としてあるまじきことを……その遠因となった身が、糾弾する資格などありはしないが」

「……その遠因というのは?」

 

 仔細を語ることは適わない、その言葉通りにボリス子爵は絶対に口を割らないだろうという強い意志を感じた。ダムマイアー家が何を犯したのか、教えることが出来ないというのなら仕方ない。それについて踏み込むのは避けるとしよう。

 ただ、それに関わること。ボリス子爵が自身を遠因と語る何かを聞くことは許されるだろう。トワたちが知りたいのはもとより、彼としても誰かに聞いてほしいのだろうから。

 

「先ほど利益はちゃんと懐に入っていると言ったが……それは、あくまで金銭面でのこと。私が造反を成功させて以来、貴族社会においてダムマイアー家は失墜したと言っていい」

 

 妾腹の子が民衆を束ね、父たる領主から権利を勝ち取った。平民の視点からすれば、勧善懲悪の武勇伝にも聞こえるだろう。

 だが、貴族社会においては違った。それまではかつてない隆盛を謳歌していたというのに、驕り高ぶった末に身内から裏切られ、紡績業における実権を奪われた愚かな領主。隆盛の旨味に与ろうとすり寄ってきていた者たちも瞬く間に離れ、称賛と羨望は冷笑と侮蔑に変わったという。

 

「導力革命の進展によって、帝国内における主流が重工業に移ったことも大きかった。一時の繁栄を味わっただけに、その凋落は尚更に堪えたことだろう」

「それで、貴族社会で力を取り戻すために……」

「うむ……きっと、そうなのであろうな……」

 

 若かりし頃のボリス子爵は自分が正しいと思う行いをした。それは倫理的に見ても間違っていなくて、多くの人が肯定こそすれ否定はしないだろう。

 それでも、その行いが巡ってダムマイアー家が道を誤ることに繋がったのならば。誰も責めなかったとしても、他ならないボリス子爵自身が罪の意識を抱いてしまうのは無理もないことなのかもしれない。

 

「私が別の道を選んでいれば、もしやしたら()も……今になっては栓のないことだがね」

 

 消沈した様子の彼にトワたちはただ耳を傾けることしかできない。これは彼が胸に抱えるもの。事情を半分しか知らない自分たちの言葉で和らぐものではなく、彼自身が気持ちの整理をつけることでしか解決できないのだから。

 そうだとしても、話を聞くことで少しはその手助けができたのだろうか。力のない笑みを浮かべるボリス子爵の顔つきは、先よりも穏やかに見えた。

 

「……ありがとう、トワ君たち。おかげで少し気持ちが楽になったよ」

「いえ……こちらこそ、お話してくれてありがとうございました」

 

 十年以上にわたって抱いてきた罪の意識。重く苦しいそれを吐き出すことで、心に圧し掛かるものを軽くできたのなら良かったと思う。

 この様子なら、直接的に聞いても大丈夫だろう。改めて自分たちにとっての本題を切り出した。

 

「お話ついでに伺いたいのですが、屋敷跡には何か残っていたんですか? 領地運営に必要なものや、少なからない財産があったと思いますけれど」

「ふむ? 残念ながらほぼ完全に燃えてしまってね。役に立つようなものは何も……ああ、あれがあったか」

 

 少し待っていたまえ、とボリス子爵は席を外す。執務室の奥に引っ込んだ彼は、そう時間を置かずして戻ってくる。その手には煤けた鉄製の箱のようなものがあった。

 

「金庫、でしょうか。あまり大きくはありませんが」

「焼け跡にただ一つ残っていたものだ。導力式で、開け方も分からんから仕舞ったままになっていてね……」

 

 屋敷が燃え尽きるような火事の中でも運よく形が残ったのか。落ちない煤に黒ずんではいるものの、その金庫は機能を損なっているようには見えない。おそらくは中身も無事だろう。

 とはいえ、かつて使っていた人間は既にこの世にはいない。キーコードを打ち込む形式のようだが、その正しい答えを知る由もなければ開けることは望めなかった。

 開かない金庫など無用の長物。かといって肉親の遺品を処分するのも躊躇われたのだろう。金庫に目を落とすボリス子爵の瞳には複雑な色が宿っていた。

 

「……どうやら初期型のものみたいだね。これなら開けられるかもしれない」

「お、マジかよ」

「最初期のものは構造が単純だから何とかなると思う。少しコツがいるけどね」

 

 頼もしいジョルジュの言葉に期待の目が集まる。それはボリス子爵も同じ。考えるような素振りを見せた後、彼はジョルジュに頼みを告げる。

 

「私からもお願いしよう。これも女神の巡り合わせかもしれん。過去に折り合いをつけるためにも……頼めるだろうか?」

「ええ、任されました」

 

 手持ちの工具を取り出したジョルジュは早速開錠に取り掛かる。これで上手くいけば子爵家の遺産が明らかになる。そうなれば、一先ずボリス子爵への嫌疑は解いてもいいと思う。

 話を聞いている中で改めて思ったが、彼が魔獣事件を起こすような人間にはどうしても考えられない。嘘を言っている様子もなく、抱えていた罪悪感も本物だ。

 後でウォレス准将とも直に話してもらえるか掛け合ってみよう。きっと悪いようにはならないはずだ。

 

「気が早いかもしれんが……その中身は、七耀教会に処分を任せようと思っている。トワ君たちにもそこまで付き合ってもらえたら嬉しい」

 

 ふと、ボリス子爵がそんなことを口にした。その意図が掴めなくてトワは首を傾げた。

 

「それは構いませんけれど、いいんですか? たった一つの遺品なんじゃ」

「……昔に一度、私はその中身を見たことがある。縁を切られる前のことだ。祖先がオスギリアス盆地で手に入れた家宝だと、父が自慢げに話していたのを覚えているよ」

 

 過去に思いを馳せる彼は遠くを見ている。その目に怯えのような色が見えたのは、きっと気のせいではなかったのだろう。

 

「私にはおぞましいものにしか見えなかった。それを手に嬉々とする父が理解できなくて……思えば、屋敷から遠ざかったのはそれが理由であったのかもしれん」

 

 冗談でも何でもない、深い実感のこもった言葉だった。彼にそこまで言わせるものとは何なのか。自然、トワたちの金庫を見る目は険しいものになる。

 やがて、カチリと錠が開いた音が静まっていた室内に響く。ジョルジュが場所を譲り、ボリス子爵の手によって金庫の扉がゆっくりと開かれた。

 

「ああ、そうだった。こんなケースに入っていて……」

 

 まず目に入るのは、細長い形の重厚なケース。黒塗りの上に細緻な装飾が施されたそれは、高級感と同時にどこか怪しげな雰囲気を漂わせている。

 記憶と重ね合わせるように呟きながらケースに手をかけるボリス子爵。少し躊躇うように動きを止め、そして決心して数十年ぶりにその中身を自らの前に晒す。

 

 

「――――は?」

 

 

 そこには、何もなかった。

 詰められた紫色のクッションには、確かに何かが収められていた跡がある。けれど、その肝心の何かは姿かたちも存在しなかったのだ。

 想定外の事態に困惑する。その中でも最も動揺しているのはボリス子爵だった。消えた過去の遺物に彼は焦燥の色を隠せない。

 

「馬鹿な……い、いったいどこに消えたというのだ……?」

「……ジョルジュ君、他に誰かが開けた可能性は?」

「いや、僕より前に無理矢理開けたような形跡はなかった。火事よりも前に持ち出されたか、それとも……」

 

 この金庫はずっとボリス子爵の執務室に置かれていた。無理に開けた様子もないとなれば、中身が消えたのは火事よりも以前と考えるのが自然だろう。形跡を残さず、正規の手段で開けたというのなら、キーコードを知る人間にしかそれは成し得ないのだから。

 

 ――それとも、形跡すら残さないで開ける手段でもあったのだろうか?

 

「……おい、何か聞こえねえか?」

 

 事態は動く。まるで金庫を開けたのを皮切りとするように。

 クロウの言葉に耳を澄ませる。確かに、何か妙な音が響いてくるのが聞こえた。気になって窓を開け放てば、それはより明瞭となる。

 それは魔性の音色であった。おどろおどろしく、背筋が泡立つような。この世のものとは思えない妖しき調べが空の向こうより響いてくる。

 何かが起きている。何か、善くないことが。

 消えた遺物も気になるが、まずはこの事態を確かめなければ。そう考えて動き始めようとした時だった。

 

「――そうか、そういうことか!!」

「あっ、ボリスさん!?」

 

 途端に何か思い至ったかのように叫ぶや否や、ボリス子爵は走り出してしまう。制止する間もなく、彼は常ならない必死の形相で執務室を飛び出してしまっていった。

 

「ええい、とにかく追うとしよう! 嫌な予感がする!」

「わ、分かった!」

 

 後を追ってトワたちもまた外へと駆け出す。言いようのない胸騒ぎを感じながら。

 依然として魔の音色は響き渡る。先にも増して、その空には暗雲が立ち込めていた。

 





……でも二次創作界隈には超強化されたリィン君とか結構いるわけですし、

マクバーンと神々の闘争を繰り広げるトワがいても問題ないですよね。

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