永久の軌跡   作:お倉坊主

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閃Ⅳが休日にしか進められないからクリアが遠い。(現在Ⅰ部ラクウェル)

巷では既にエンディングを迎えた方々も多くいそうですが、感想欄でのネタバレは勘弁してください。思わせぶりなことを言って私を焦れさせるくらいはセーフです。



第46話 迷子

 陽が傾き、街道に五つの影を伸ばしていく。並んで歩くそれらの中で、先頭を行くのは中でも一回り小さいものだ――まあ、小さい影はもう一つあるのだが。

 レンと名乗った怪しげな少女に導かれて街道を進むことしばらく。南の隣国リベールにはまだまだ遠いものの、パルムからそれなりに歩いたところだ。一見、小柄な女の子であるレンは息を乱している様子もない。揺れる菫色の後ろ髪を眺めながら、やっぱり普通の子じゃないんだな、とトワは思った。

 道中での会話は疎らだ。お互いに様子を見るように一つ、二つくらいの言葉を交わしたくらい。「お姉さんたち、運がないわね。ブルブランに目をつけられちゃって」とは目の前の少女の弁である。怪しさが増して余計に口を開きづらくなったのは否めない。

 ただ、いつまでも黙っていてはいけないだろう。大切な友達から頼まれたこともある。意を決し、トワはその背中に声を掛けた。

 

「ねえ、レンちゃん。エステルちゃんとヨシュア君とは喧嘩でもしているのかな?」

 

 ピタリ、とレンの足が止まる。顔だけ振り返った彼女は警戒する猫のようだった。

 

「……小さいお姉さん、エステルたちと知り合いなのかしら?」

「じゃあ、レンちゃんもエステルちゃんたちとの知り合いなんだね」

 

 そう微笑み返すと嫌な顔をしてそっぽを向かれてしまった。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。歳相応な面もあるようで何よりだ。背中からの「大人気ねぇ」という声は聞かなかったことにしよう。

 彼女がエステルたちから探してほしいと頼まれた件の少女であると察するのは難しいことではなかった。菫色の髪、レンという名前。それらの条件の一致に加えて、この只者ではない雰囲気だ。むしろ彼女がその探し人ではないと思う方が難しい。

 

「ブルブランに絡まれているからって声を掛けるんじゃなかったわ。運が悪いのはレンも同じだったみたい」

「フッ、私としては君のような可憐な子と出会いに女神へ感謝せずにはいられないよ。今だったらそのブルブラン――察するに、怪盗Bのことかな。彼に感謝してもいいね」

「いやぁ、僕はそこまで簡単に手のひら返せないけどね」

 

 今の反応で分かったことがある。少なくとも、レンはつい正直に口を開いてしまうくらいにはエステルたちを意識しているということだ。歳に似合わない知性を有している様子の彼女なら誤魔化すこともできたはず。そうしなかったのは、そういうことだろう。

 ため息交じりにぼやいたレンは、アンゼリカとジョルジュの漫才染みたやり取りに薄い笑みを浮かべた。再び歩みを進めながらも彼女は口を開く。

 

「そっちのお姉さんはブルブランとも仲良くできそうね。それとも、あの旅の音楽家さんとの方が相性がいいかしら?」

「オーケー、取りあえずその二人が変人だってことは理解したぜ」

 

 こいつ(アンゼリカ)と気が合うとそれはイコールである。迷うことなく断定したクロウにレンは考えの読めない笑みを浮かべるばかりだ。

 ともあれ、少しは毒気を抜かれてくれたようだ。不機嫌さを腹の内に収めてくれた彼女は流し目でトワを見る。

 

「それで? エステルたちに私を捕まえるのを手伝ってほしいとでも言われたの?」

「うーん……探してほしいとは頼まれたけど、捕まえる気はないかな」

「ふぅん?」

 

 興味をひかれたようにレンの顔がこちらを向く。本当に猫みたいだ。

 バリアハートの別れ際には、見つけたらエステルたちの元へ送り届けるつもりではあった。素性はどうあれ、まだ幼い子供であることには違いない。当てもなく彷徨うより、ちゃんとした人に保護してもらった方がよいという一般的な見解があった。

 しかし、実際に会ってその考えは変わった。そもそも自分たちに捕まえられるか怪しい。外見上は可憐な少女であっても、そう思わされる底の知れなさがレンにはあった。

 きっと姿を晦まそうと思えば、あっさりと目の前から消えてしまうのだろう。彼女がここにいるのは単純な興味と気紛れに他ならない。今となってエステルとヨシュアの苦労が偲ばれる。

 

「レンちゃんが素直に捕まってくれなさそうっていうのもあるし……たぶん、私たちがするべきことじゃないと思うから」

 

 何より、自分たちが手を出すのは違うような気がした。レンに出会って、仔猫のように気紛れでつかみ所のない彼女を知って――その瞳の奥に感じるところがあったからこそ、トワはそう思うのだ。

 

「人の手で決められるんじゃない。たくさん迷って、その先の答えをレンちゃん自身が見つけることが大事なんだと思う。私からどうこうするつもりはないよ」

「――――」

 

 一目見てその癖の強さを理解すると共に、その奥底に不安と迷いが感じ取れた。それこそ、帰り道が分からなくなってしまった仔猫のような。

 それは直感にすぎない。当てずっぽうな推測を口にするのは相手を不快にするだけだろうし、実際にレンはまた機嫌を損ねて眉をしかめている。

 それでも言わずにはいられなかった。トワ自身にも思うところがあったからこそ、目の前の少女に嫌われても言っておきたかったのだ。

 

「分かったような口を利くのね。レンの何を知っているの?」

「知らないよ。レンちゃんにどんな過去があって、どうして今があるのか何も知らない。でも、あなたが何かに迷っていることは分かると思う」

 

 ――だって、私と同じ目をしていたから。

 人ならざる力から拒絶され、恐怖と迷いを抱いてしまった自分。進むべき道を見失い、生まれ持った力の重さに押し潰されそうになっていた自身の過去と、この少女をトワは重ねていた。

 真っ直ぐに見つめるトワの真摯な目にレンは視線を逸らした。それは、彼女自身に心当たるものがあったからだろうか。

 

「元居た場所に帰るでもなく、受け入れてくれる人たちに身を寄せることもしないで、一人でいるのは心に残されたしこりがあるから。けど、どうしたらいいか分からない――違う?」

「……さあ、どうかしら」

 

 否定はなかった。当たらずとも遠からずということだろう。

 彼女が何に迷っているかまでは分からないし、それを詮索しようとまでは思わない。ただ、その迷いを晴らす一助になれば。そう願い、トワはレンに経験からの助言を送る。

 

「迷ったままでもいいんだ。それでも勇気を出して進んでいった先に答えはあるんだと思う。きっとレンちゃんのことを助けてくれる人がそこにいるはずだよ」

 

 残され島を飛び出した自分が、掛け替えのない仲間たちと出会えたように。レンにもそんな出会いがあることをトワは願い、信じていた。

 レンがチラリと視線を戻して目を覗いてくる。そこから何を感じ取ったのか。彼女は深々と呆れた溜息を吐いた。

 

「エステルと仲良くなれた理由がよく分かったわ。底抜けのお人好し同士、気が合ったんでしょうね」

「全くもってその通り。下手に関わっちまったのが運の尽きだぜ」

「あら、お兄さんとはなんだか話が合いそうね」

 

 クロウが神妙に頷いているのはどういうことなのか。なんだか釈然としないものを感じるが、お人好しなのは自覚するところなので否定できないのが辛いところである。

 妙なシンパシーを感じていた様子のレンが「でも、そうね」と言葉を区切る。手前勝手なことを言ってしまったと思うが、意外と彼女の表情は穏やかだった。

 

「お姉さんの話、参考程度には覚えておくわ。そんな都合のいい出会いがあるかは分からないけれど」

「あはは……そうしてくれたら嬉しいかな」

 

 話半分でも聞いてくれたのであれば上出来だろう。レンがこれからどんな未来を選ぶのか。それは彼女自身の選択と、彼女と関わる人たちが紡ぐもの。自分の言葉が少しでも善き未来への後押しになれたのなら満足だった。

 

「あ、でもレンちゃん。ご飯はちゃんと食べられている? 食事のバランスが悪いと身体に悪いし、ミラだってかかるし……」

「むむ、それは確かに問題だ。どうだいレン君、しばらくは私のもとで養われてみるというのは」

「何か急に俗物的な話に……取りあえずアン、未成年略取は犯罪だからね」

 

 とはいえ、それはそれとして年端もいかない少女の一人旅には心配になる点もあるわけで。話がひと段落すると今度はそちらの懸念が頭をもたげてきた。

 おそらく身を護るという点においては問題ないのだろうが、いくらレンが尋常ならざる子供であっても人間である以上は避けられない事物がある。食事、睡眠などはその最たるものだろう。まだまだこれから成長する年頃。不安定な生活環境に身を置いていては健康状態も心配になるというものだ。

 そういう意味ではアンゼリカの提案は善意からのものだと思うのだが……その怪しげに動く手つきがいけない。ジョルジュが窘めるのも当然であった。

 

「本当に誰かさんに似てお節介というか……気にしなくても、レンは自分のことくらいちゃんとできるわ。それよりほら、お目当ての場所に到着よ」

 

 呆れの色が濃い半目で促された先に視線を向ける。そこには街道から外れる形で脇道が伸びており、しかし、奇妙なことにそれは積み重ねられたコンテナで塞がれていた。不自然な光景にトワたちは首を傾げる。

 

「なんじゃこりゃ。資材置き場か何かか?」

「というより、通れないようにわざわざ置いてあるように見えるがね。レン君、本当にここが……レン君?」

 

 アンゼリカの声に応えるでもなく、自然な足取りでコンテナの山に近付いていくレン。通り抜けられるような隙間も見当たらないというのに、いったい何をするつもりなのか。

 疑問の目を意に介することもなく彼女はトワたちに振り返る。そういえば、と何と無しに言葉が紡がれた。

 

「一つ、訂正するのを忘れていたわ。レンは別に独りじゃないの」

「え?」

「だって、レンには本当のパパとママがいるんだもの」

 

 その意味するところをトワは理解できなかった。彼女に連れ合いがいる様子はなかったし、現に周りに自分たち以外の人の存在は感じない。それに、本当の(・・・)パパとママとは……

 

「――来て、パテル・マテル(パパとママ)

 

 混乱しているうちにレンは手を掲げ、歌うように呼び声を上げる。不意に耳へ届く風を割く音。半ば反射的にトワは空を見上げ――

 

 赤紫色の巨人が、空から降ってきた。

 

「ふええええ!?」

「んなっ……! おいおい、何だよこのデカブツは!?」

 

 轟音と共に降り立った巨人は、途轍もなく大きな機械人形であった。全高は十五アージュを越えているだろう。両腕には巨大なクローが備え付けられ、横にせり出す形の両肩には見るからに高出力なブースターと砲門らしきものが。ジョルジュでなくても分かる。これは明らかに現代の技術レベルから逸脱した存在だ。

 着地の際にあっさりとコンテナを踏み潰し、スクラップに早変わりさせた機械人形が頭部のセンサーを緑色に点滅させながら電子音を発する。それが何を意味するのかは分からないが、まるで意志をもって話しているようにトワには見えた。

 突然に現れた埒外の存在を前に呆然となっているトワたち。それを他所に機械人形は右腕のクローを掌のように広げると、そこにレンが軽々と飛び乗った。

 

「レンの案内はここまで。後は進めばわかるはずよ……思っていたのと違ったけど、お話しできて楽しかったわ。また機会があれば会いましょう、トワ。それにお兄さんたちも」

 

 じゃあね、の一言を合図にバーニアが点火する。各所に設けられたその推力が巨体を持ち上げ、ある程度の高度を得ると推進方向を変更。出力を上げた機械人形――レンが呼ぶに、パテル・マテルはあっという間に空の彼方に飛んで行ってしまった。気紛れな仔猫と共に。

 ポカンとしたまま消えていった先の空を見つめるトワたち。現実離れした光景を目の当たりにして自失していた彼女たちの中で、ようやく絞り出すように言葉を発したのはアンゼリカであった。

 

「ふう……まさか、あんな手強そうな親御さんがいるとはね。あの仔猫ちゃんをものにするのは骨が折れそうだ」

「アンちゃん、あんな人形を見て出てくる感想がそれなの?」

「冗談さ、半分くらい」

 

 半分は本気なのか。変わらずマイペースな彼女に肩が落ちる……が、力は抜けたので良しとしよう。

 

『現代にもあんなものを作れる技術があったんだ。神像とはまた違った感じだったけど』

「どんなジェネレータ積めばあんな高出力を実現できるんだろう……でも、本調子ではなさそうだったね。片脚の動きが悪そうだった」

「お前、んなことよく見てたな……」

 

 レン自身だけでも十分に不可思議であったのに、あんな機械人形まで有しているとなると本格的に彼女が何者か気になってくる。今度、エステルたちに会ったら教えてもらえるだろうか。

 だがまあ、それは今ここで気にしても仕方のないことだ。レンがパテル・マテルと共に飛び去ってしまった以上、彼女について追及することはできない。

 それよりも本来の目的を果たすとしよう。レンは、後は進めばわかると言っていた。パテル・マテルがコンテナを踏み潰してできた道。その先に怪盗Bが書き残していった『封じられし真実』が待ち受けているということだろう。

 

「取りあえず進んでみよう。一応、警戒はしてね」

「だな。まあ、ここまで来たら何があっても驚かねえけどよ」

 

 まったくだ。唐突に巨人が空から降ってくるなど誰が思うだろう。久しぶりに心臓が飛び出るかと思うくらいびっくりさせられた。

 気を取り直し、スクラップに成り果てたコンテナの残骸を踏み越えて奥へ。どうやら街道から山道に続いているようだが――その足取りは思いのほか、すぐに止まることになる。

 

「これはまた、しっかりした門だね」

「何のための門だろう? 妙に物々しい感じがするけど」

 

 坂道を登り切ったところで、トワたちの目に入って来たのは大きな鉄製の門。山道への入り口をしっかりと塞ぐそれは、街道の外れにしては場違いに感じられるほど厳重な誂えであった。

 

「この先、山崩れにより危険。立ち入りを禁ずる――それにしては大袈裟のような」

 

 何重にも鎖が巻き付けられ、重厚な錠前で閉ざされた門に備え付けられた素気のない看板。内容を読み上げたトワはそう独り言ちた。

 山崩れで廃道となり閉鎖されたというのはあり得ない話ではないと思う。自然災害とはいつ何時起こるか分からないものだ。大雨に見舞われて地盤が緩んだことによる結果とでも聞かされれば納得も出来るだろう。

 しかし、それは人伝に聞く限りのこと。ここに辿り着くまでに見聞きしたことが、記された事由が本当のことなのか疑問を抱かせる。

 陰謀めいた火事に消えた領主一家、口を噤む人々、道を閉ざしていたコンテナの山、そして廃道一つに対しては厳重に過ぎる封印――それらがどこに帰結するのかは分からない。ただ確かなことは、この先にある『真実』がよほど後ろ暗いということだろう。

 

「……あっ! 見てみるの、門の上!」

 

 途端、ノイが声をあげる。彼女が指差す先を見上げて、四人も同様に「あっ」と口から漏れ出た。

 鉄門の天辺、そこに夕日に照らされならがはためく美麗な色彩があった。間違いない、怪盗Bに盗まれた染織物だ。

 

「『封じられし真実、その入り口を見上げよ』……なるほど、確かに言葉通りだ」

「レンがいなけりゃさっぱりだったけどな。それにしてもまあ、ろくでもない謎かけだぜ」

 

 これだけひた隠しにされているのだ。少なくとも、パルムの人々にとってはそっとしておきたい場所なのだろう。それをわざわざ指定してくるあたり、怪盗Bの性格の悪さが窺い知れようというものだ。

 ともあれ、ここにいない相手に文句を言っても仕方がない。ノイに染織物を回収してもらい、目的を果たしたトワたちはパルムへと引き返すことにする。

 去り際、振り返って門の奥へと目を向ける。静かな雰囲気だ。まるで、時間から取り残されてしまったような。

 その先にあるものへの疑問を今は胸にしまい込む。急かされないうちにトワは仲間たちの背中を追うのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「いやいや、本当に助かったよ。初日は楽にしようといった手前、苦労させてしまったのは申し訳ないが……」

「そんな、気にしないでください。ボリスさんが悪いわけじゃないんですし」

 

 特筆することもなく無事にパルムへと戻ってきたトワたち。元の場所に戻された染織物を見上げながら、ボリス子爵は彼女たちに礼と謝意を伝える。

 といっても、この件の元凶は怪盗Bだ。ボリス子爵には何の非もない。何を考えてか自分たちに狙いを定めてきた犯人には文句が尽きないが、それをこの気のいい領主に向けるのは筋違いも甚だしいというものである。

 

「うむ……では、その労に報いるのが私の務めなのだろうな。トワ君たち、夕食は楽しみにしておきたまえよ。出来得る限りのご馳走を用意しておくのでな」

 

 気を取り直したボリス子爵はにっかりと笑みを浮かべる。元から張り切ってはいたようだが、おかげで余計に火が付いたようだ。

 それを聞いたせいか、横から「ぐう」と腹の音が。発生源のジョルジュは照れ臭そうに頬を掻いた。

 

「はは、思いのほか動き回ることになっちゃったからね。おかげでペコペコだよ」

「それには同感だ。ま、空腹は最高のスパイスともいう。後は楽しみに待たせてもらおうじゃないか」

 

 もうじき日も沈む。流石に今日はこれ以上活動するつもりはなかった。

 ボリス子爵が歓待してくれるのは顧客との接待にも使うパルム一番の高級店だという。それなりに身だしなみを整えるのが礼儀だろう。宿で汗を流してから向かうとしようか。

 これからの予定を相談していると、そこに「では」と控えめに声が差し挟まれる。何故か少し距離を置いて控えていたドミニクだ。

 

「一件落着したことですし、私は少し席を外させてもらいますよ。遅れた仕事を終わらせなければ」

「ああ、そういえば急なことで引き留めてしまったのだったな……別に急ぎでもないだろう? 明日でもいいのではないかね」

「まあそうですが、収まりも悪いですからね」

 

 どうやらドミニクにはまだ仕事が残っていたらしい。察するに、怪盗Bが事を起こしたせいでそちらに掛かり切りになってしまったのだろう。

 ボリス子爵は当然ながら彼も会食の席に同席するものとばかり思っていたのか。引き留めようとはするものの、ドミニクには肩を竦めて返された。こんな時間からでも終わらせようとするあたり、生真面目もいいところである。

 

「これなら引き留めない方がよかったかもしれんな。結局はトワ君たちに任せきりになってしまったことだし」

「確かに。二人で聞きまわっても何も成果がありませんでしたからね」

 

 そう言って乾いた笑い声をあげる二人。これで染織物が戻ってきていなかったら冗談では済まないが、トワたちの頑張りがあったからこそ笑い話にできるものであった。

 

「……? あの、お二人ともずっと聞き込みしていたんですか?」

 

 しかし、その笑い話には妙に引っ掛かるものがあった。何か根本的な食い違いがあるような。

 怪盗Bの手掛かりを追う中で覚えた些細な違和感がぶり返す。そしてボリス子爵の答えにより、それはより決定的なものへと変わる。

 

「君たちと別れてから、駄目で元々でも一応な。聞いての通り、二人して徒労に終わってしまったわけだが」

 

 大袈裟にがっくりと肩を落とすボリス子爵に曖昧に笑みが浮かぶ――その裏で、仲間たちにひっそりと目線を送る。無言のうちのアイコンタクト。どうやら四人とも考えるところは同じようだった。

 どうにか確かめなければ。そのためには少々、手荒い手段に訴えるのも止むを得ない。

 

「それでは、私はこれで。私の分まで楽しんできてくれ」

「……おっと、待った」

 

 立ち去ろうとしたドミニクの背中をクロウが引き留める。おもむろに掛けられた声に振り返ろうとした彼に――

 

「忘れもんだぜ、ってなぁ!」

 

 半ば殴りかかるようにクロウが飛び掛かった。

 しかし、その手は空を切る。予期していたかのようにひらりと身をかわしたドミニク――いや、ドミニクの姿をした男は、重力を無視するかのように軽々と跳躍し染織物がなびくベランダへと飛び移る。

 どう考えても素人の動きではなかった。トワたちの険しい視線、そして突然の事態に目を白黒させるボリス子爵を前に、その男はくつくつと忍び笑いを漏らす。

 

「はーはっはっは! いやはや、もしやとは思ったが……この私の変装を見破ろうとは」

 

 やがて哄笑へと変わったそれを響かせながら、男はどこからともなく取り出した白いマントをひらめかせる。隠される姿、その一瞬の間に男は隠れ蓑を捨て去っていた。

 

「この怪盗B、感服するばかりだ。後学までに何故気付いたか教えてもらっていいかね?」

「……簡単なことです。私たちは途中でドミニクさんに会っているのに、ずっとボリス子爵と二人でいたなんてどう考えてもおかしいに決まっている」

 

 風に揺れる青い髪、貴族のようでいてどこか芝居がかった風味のある白い装束、そして顔を隠す羽飾りの仮面――パルムを騒がしてくれた怪盗Bは、高笑いと共にその姿をさらけ出した。

 目の前のドミニクが偽物だと気付けたのは偶然の産物だったのだろう。仕事で出かけたドミニクと入れ替わる形でボリス子爵と一緒にいた怪盗Bは、本物のドミニクが領主邸跡を訪れるとは考えていなかったと思われる。もしあそこで彼に出会わなければ、トワたちも気付かずに見過ごしてしまっていたに違いない。

 

「ふむ、下準備を疎かにしたことで粗が出たか。思い付きの余興では流石にクオリティも下がってしまったようだ」

「その思い付きで、こちらは十分に堪能させてもらったがね。いったい何が目的だい?」

 

 アンゼリカが剣呑な視線を差し向けるが、怪盗Bは余裕の態度を崩さない。くくっ、と一つ笑みを零すと何てことのないように語る。

 

「言葉の通り、ただの余興だとも。我が好敵手の企み、その先駆けたちがどれほどのものかと試させてもらったが――なかなか期待できそうだ。かの遊撃士たちと同じくらいにはね」

 

 迂遠な語り口は真意を捉えづらいものの、どうやら本気で深い意図はなかったらしい。愉快犯的な動機というのも、それはそれで頭に来るが。

 「我が好敵手」、それがトワたちに興味を持った切っ掛けか。怪盗Bの言葉に嘘が無いのなら、自分たちに関わりのある人物のようだが、いったい誰のことなのだろう。それに「かの遊撃士」というのも思わせぶりであった。

 

「しかし、諸君の舞台が幕を開けるのはおそらく暫し先のこと。つまみ食いは程々にしておこう。後の楽しみを減らしては損である故」

「ぶ、舞台? いったい何を……」

 

 語りかける態ではあっても、怪盗Bにこちらへ理解させるつもりなどないのだろう。さながら独壇場で好き勝手に言葉を弄し、人を煙に巻く詐欺師だ。

 これまたどこから取り出したのか、ステッキを掲げると怪盗Bの身体は光る渦に包まれる。渦が収まったそこに彼の姿はなく、感じた気配に振り向くと全く別方向の屋根に佇んでいた。

 転移術の類か。窃盗犯というには超人的すぎる技術に眩暈を覚える。

 

「此度はこれでお暇させてもらおう。またの挑戦を心待ちにしておきたまえ」

 

 そういって怪盗Bは「ふはははは!」と高笑いをあげて屋根の向こうへと消えてゆく。当然、あんなふざけた輩を放っておく筋合いなどない。クロウとアンゼリカは後を追うべく足を踏み出しかける。

 

「ま、待って二人とも!」

「っとぉ!? おいおい、見逃せってのか!」

「違うよ! 怪盗Bの気配が反対に離れて行ってるの!」

「ちっ、それはまた猪口才な!」

 

 しかし、慌てて引き留めたトワの言葉によりその足は真逆へと向かうことになる。屋根の向こうに見えなくなった途端、再び転移術を使ったのか。そのまま追っていたら見当違いの方を探すことになっていた。

 人を欺くのは怪盗の得意技と言わんばかり。だが、相手の想定に人外の感覚の持ち主はいなかった。捉えていた星の力の気配が急に消えて別方向に現れれば嫌でも分かる。

 急転直下の事態に呆然としたままのボリス子爵を置いて、トワたちは怪盗Bの気配を追う。こちらの目を欺いて悠々と退散するつもりだったのだろう。追いつけない距離ではない。

 トワの先導により全速力で後を追う。やがて街道も間近になったところで、屋根から屋根へと跳ぶ怪盗Bの背中を視界にとらえる。彼は追跡者の姿に「ほう」と純粋に驚きを口にした。

 

「まさか我が幻影に惑わされずに追いかけてくるとは……ふふ、ますます興味深い」

 

 街道に降り立つ怪盗B。もう少しでその背中に追いつこうというところで、意味ありげに右手が挙げられる。

 

「しかし、終幕を告げた後に蛇足が続くのは私の趣味ではない。諸君の相手はこれで満足してもらおう」

 

 パチン、と指を鳴らす音。トワたちの行く手を塞ぐように転移の渦が巻き起こる。

 そこから現れたのは道化のような意匠をした異形の人形。細い腕から放たれた何かを咄嗟に飛び退いて躱すと、直前の足元に筋状の痕が刻まれる。

 おそらくは鋼糸のようなもの。殺傷力は十分、明らかに戦闘用に作られたものだろう。

 

「ったく、最近の人形は物騒なものがトレンドなのかよ!」

「知らないけど、放置しておくわけにもいかない。町に入られたら厄介だ!」

 

 レンのパテル・マテルといい、常識外れな人形を立て続けに目にする羽目になってクロウが愚痴る。言いたくなる気持ちも分かるが、まずは目の前の人形を破壊することが先決。ここは街道口、まかり間違ってパルムの中に入り込まれたら大混乱になる。

 だから今度こそ去ろうとする怪盗Bを止める術をトワたちは持たない。

 

「堪能させてくれた返礼に改めて名乗ろう。結社《身喰らう蛇》が執行者№Ⅹ《怪盗紳士》ブルブラン。再び見えるその時まで――さらばだ、有角の獅子たちよ!」

 

 高笑いをあげながら転移の渦に消える怪盗B――《怪盗紳士》ブルブラン。謎の人形兵器を相手取りながらも、響くその笑い声は妙に耳に残るものであった。

 余談になるが、なんとか機能を停止させた人形兵器はご丁寧に自爆してくれた。最後の最後での嫌がらせに、ブルブランへの評価が地に堕ちたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「……やっぱり、あなたも来たのね。トワたちとはもう遊び終わったの?」

「ああ、随分と楽しませてもらった。彼女らがどのように花開き、そして散ってゆくのか……今から胸が躍ろうというものだ」

 

 トワたちがブルブランを取り逃した後、星が瞬く空の下でそんな会話が交わされる。山道を抜けた先、周辺一帯を一望できる崖先でのことだ。

 悪趣味なことを恍惚と語るブルブランにレンは肩を竦める。壊れゆく美とかいう彼の感性は理解しがたいが、これまでの付き合いで相手するだけ無駄とも知っていた。

 まあ実際のところ、それはどうでもいいことだ。トワたちに手を貸しこそしたものの、レンの気にするところは別にあった。

 

「余興を満喫できたようで何よりね。それで、やっぱり私を連れ戻しに来たのかしら?」

 

 結社《身喰らう蛇》の執行者、偉大なる盟主より一切の自由を認められた使い手たち。それが自分たちの肩書だ。

 レンは先のリベールの異変の後、結社のもとに戻っていない。執行者の権利に則るのならば、それに関して文句をつけられる筋合いはないが、何らかの形で引き戻そうとする動きがあるかもしれないとは想定していた。

 真っ先に思いつくのは使徒第六柱、《十三工房》の統括者であるF・ノバルティス博士の手によるものだ。彼はゴルディアス級(パテル・マテル)の開発者――正しくは師が開発していたのを途中で横取りした――だけに、レンにご執心だ。結社から離れないように手を打ってくることは十分に考えられた。

 

「そんなことを頼まれたような気もするが……さて、忘れてしまったな。無粋なことはあまり記憶に留めておけないものでね」

 

 てっきりブルブランはそのために現れたのだと思っていたが、わざとらしく惚ける彼に目を瞬かせる。いったいこの男は何を考えているのだろう。

 

「私がここを訪れた目的は君と同じだろう、仔猫(キティ)。これでも親愛なる同僚の死を悼む気持ちくらいは持ち合わせている」

「……そう、それは何よりだわ」

 

 ブルブランの言葉に嘘は感じられなかった。訝しげに背後の彼を見ていたレンは視線を前へと戻す。

 そこには石碑があった。成形されたものではない、元あった石に文字を彫った簡素なもの。その石碑の前には、半ばで折れた一振りの魔剣が墓標のように突き立てられている。

 ここに眠っているのは、かつてこの地に住んでいた人々。そしてリベールの異変において命を落とした、執行者№Ⅱとして《剣帝》と呼ばれていた男だ。

 

「彼女とⅩⅠⅠⅠ……いや、もうヨシュアと呼ぶべきか。あの二人には感謝せねばな。彼も生まれ故郷で眠れるなら魂も安らごう」

 

 金色の刀身を有する魔剣は彼が生前に振るっていた得物。遺体は空中都市《リベル・アーク》の崩落と共に湖の底に沈んでしまったのだろうが、その分身だけでもこの地に帰れたことで魂が安息を得たと願いたい。

 語るまでもないだろうが、レンがここを訪れたのは墓参りの為だ。自分を暗い闇の底から拾い上げ、色々と気に掛けてくれた人の冥福を祈るために。今は顔を合わせたくない相手が近くから離れるのを待っていたことで、少し遅くなってしまったけれど。

 黙祷を捧げる間、静かな時間が流れる。流石のブルブランもこんな時に無駄口を叩かないだけの分別はあったらしい。聞こえてくるのは虫のさざめきくらいのものだった。

 

「……ねえブルブラン、レーヴェが今のレンを見たら何て言うかしら?」

 

 多少は気心の知れた相手が前にいたことで、ふと聞いてみたくなった。

 レンは迷っている。トワに言われた通り、前に進むでもなく、元ある場所に帰るでもなく、ふらふらと迷い猫のように彷徨っている。

 そんな自分を彼が見たらどう思うだろう。自分ではない誰かに聞いてみたかった。

 

「ふむ、私は彼ではないから確かなことは言えないが……何を選ぶにせよ、彼から強要はするまい。君自身が選んだ道を歩むことを望むはずだ」

 

 そこで言葉を区切ったブルブランは「ただ、まあ」と哀愁の混じった笑みを浮かべた。

 

「修羅に身を落としながらも、あれで甘いところがあった彼のことだ。仔猫の行く先を見守っているのではないのかな――たとえ、女神のもとからであろうとも」

 

 その答えは概ねレンと同意見ではあったけれども、最後に付け加えられたのは思いがけないものだった。目をパチクリとさせたレンは、やがてクスリと笑みを漏らす。

 

「ブルブランにしては素敵ね。もしかして、誰かさんが化けているのかしら?」

「おお……これは手厳しい。よもや善意から偽物と疑われようとは」

「ふふ、冗談よ」

 

 相談相手には心許なかったが、普段は悪趣味で変態でも時には良いことも口にするようだ。機嫌を上向きにしたレンは石碑の前から足を動かす。崖の先へと向かって。

 色々と考えることはあるけれど、まずはこの心に残るしこりの元へと向かおうと思う。行った先で何があるかは分からない。ただ、何かは変わるはずだ。そう信じて、前に進もうと心に決める。

 

「行くのかね?」

「ええ。久しぶりにお話しできて楽しかったわ、ブルブラン。今度はゆっくりとお茶でもしましょう」

 

 その言葉を別れに、レンは崖の下へ飛び降りる。ブルブランの視界から彼女が消えたのを皮切りに、静謐な空間を破って轟音が響いた。

 崖下からゆっくりと姿を現すパテル・マテル。夜空にブースターの火を煌かせる巨大な人形。その手に乗ったレンがブルブランに向けて裾をつまんで一礼すると、その巨体は速度を上げて彼方へと消えていった。

 前へ、前へと軌跡を描き、東の空へと。

 

「……察するに、クロスベルか。かの魔都は彼女由縁の地。それにローゼンベルクの翁ならパテル・マテルの修繕もお手の物だろう」

 

 独り言ちたのは特に意味があってのことではない。考えを整理するだけなら心中だけで事足りる。

 ただ、墓標を前にして感傷に浸るものがあったのは否めない。

 

「果たして仔猫の行く先にあるのは女神の微笑みか、はたまた心砕かれし悲嘆か――私個人としてはどちらでも構わないが」

 

 でもなければ、あんなことを口にしたりはしない。詩的な言い回しは好むところだが、流石にあれは臭すぎる――自分で自分が可笑しくなり忍び笑いが漏れる。

 しかし、吐いた唾は元には戻らない。ささやかな心遣いからの方便と言えばそれまでだが、本人の墓前で口にしてしまった手前、放っておくのも気が引ける。

 

「せめて結末を迎えるまでは見届けるとしよう。代理としては心許ないだろうが、まあそれでご容赦願うよ」

 

 それを最後にブルブランもまた渦の中に消える。

 星が瞬く空の下で、金色の魔剣は静かに照らされていた。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 すっかり夜も更け、明かりが疎らになったパルムの夜景。人通りもないそこに宿酒場からふらりと人影が現れる。近くのベンチに腰掛けたトワは、ふうと一息つくと星空を見上げた。

 ブルブランにすっかり振り回されてしまった試験実習班だったが、人形兵器を破壊したことでひとまず騒ぎは収束することになった。彼が去り際に口にした結社《身喰らう蛇》とは何なのか。気になることは多々あるものの、それは一先ず置いておくことになる。

 まんまと騙されていたボリス子爵が、仕事から帰ってきた本物のドミニクを怪しんだりという一幕を挟みつつ、約束通りに夕食をご馳走になって来たのが先刻のこと。満腹になったお腹をさすりながら宿に戻り、明日の段取りを決めて今日はもう休むことになっていた。

 そんな夜半、トワは一人で星空を見上げていた。少し風に当たってくると伝え、同室のアンゼリカにノイも傍には居ない。何も聞くことなく見送ってくれたのは、何かを察してくれたからだろうか。

 

「……?」

 

 そうして瞬く星々をぼんやり眺めていると、自分が出てきた時と同じように宿酒場の戸が開く音が耳に入る。

 誰だろう? 空から視線を下げると、見慣れた銀髪とバンダナが目に入った。

 

「よう、邪魔するぜ」

「クロウ君……どうしたの? こんな遅くに」

 

 よっこらせと隣に腰掛けたクロウに問いかける。まだベッドに入るには早いかもしれないが、かといってわざわざ外に出る用事もないだろうに。それに対する返事は呆れたような目であった。

 

「どうしたもこうしたも、お前がフラフラと出ていくもんだから様子を見に来たんだろうが。帝都だったら一発で補導されてんぞ」

「そっか……ふふ、私のことお人好しとかいうけれど、クロウ君もなんだかんだ面倒見がいいよね」

「さてな。ただの気紛れかもしれないぜ」

 

 素っ気ないように振る舞っているが、トワは知っている。彼がトリスタの子供たちとよく遊んでやったりしていることを。わざわざゲームを教えて一緒に遊んだりしておいて、惚けるには少し無理があるだろうに。

 それを口にするでもなく笑みを漏らすだけに留め、目を夜空の向こうへと戻す。自然とクロウも追いかけるその先には、夜闇の中に夏の星々が輝いている。

 何か考えごとをするとき、トワはこうして星空を見上げることが多い。天体観測が趣味の父親に影響されたこともあってか、小さい頃から夜空を仰ぐことが習慣づいていた。だからだろうか。星の輝きを眺めていると、落ち着いて自分の考えに浸ることができるのだ。

 

「それで? 今度は何を抱え込んでやがるんだよ」

 

 しかし、一人で考え込んでも堂々巡りになっては仕方がない。長年にわたって答えの見いだせていない問題なら尚更だ。

 どうせまた小難しいことを考えているんだろうが。そう言わんばかりのクロウの口ぶりに苦笑いが浮かぶ。ぶっきらぼうなようで人のことをよく見ていて、抱え込みがちな自分に踏み込んできてくれることが嬉しかった。

 そうだねぇ、と言葉を整理する。既に色々と明かした相手だ。相談するにも躊躇いはもうありはしない。

 

「レンちゃん、今頃どうしているかなっていうのと……私もちゃんと自分の答えを見つけないとなって」

 

 短い出会いではあったが、感じ入るものもあってトワはあの菫色の少女のことを気に掛けていた。パテル・マテルという巨大な人形といい、自分が心配する必要がないくらいの力を彼女は有しているのだろう。だが、それとは別に危なっかしさのようなものを感じるのも確かであった。

 

「あのマセガキなら、どこに行っても上手くやっていきそうだがな。ま、お前と負けず劣らずのお人好しが追っかけてんだ。そのうち首輪でも付けられるだろうよ」

「あはは……うん、そうだね。エステルちゃんたちなら大丈夫そうかな」

「人のことばかりに気を回すなよ。どうせ《力》のことで悩んでいたんだろうが」

 

 端的な答えでよくよく察してくれるものだと思う。ピタリと言い当てられてトワは「正解」と返す。

 レンのことは既に自分たちの手を離れたようなものだ。後は彼女と深い繋がりを持つ人たち、そしてこれから出会う人たちに委ねるべきことだろう。

 だから今向き合うべきは自分のこと。この身に宿る《力》の意義、未だに答えを見いだせていない難題だ。

 

「バリアハートの実習から色々と考えているんだけど、どうするのが正しいのか分からないんだ。レンちゃんに偉そうなこと言っておいて、格好がつかないけどね」

 

 先月のバリアハート実習において、トワは過去のトラウマを振り切ってミトスの民の力を用いることで皆を守ってみせた。恐れを払拭できたわけではないが、過去に向き合って折り合いをつけることはできたと思う。

 しかし、それは必要に駆られてのことだった。あの場ではそれ以外に選択肢がなかったからこそ踏み切ったのであって、何か明確な意思を持てたわけではない。

 星の力を自在に操るミトスの民。使命を果たした先に残されたその大きな力を何のために使うのか。恐れに向き合っても、まだ迷いからは抜け出せていなかった。

 

「……参考までに聞くけどよ、ミトスの民ってのは何をどこまで出来るんだ? どうも漠然としていてイメージしづらい」

 

 身体を蝕む奈落病を緩和したり、枯れかけのユピナ草を復活させたり、悪魔を祓ってみせたりと、確かに奇蹟のような光景をクロウも隣で目にしてきた。それは間違いなく女神の遣いに相応しい途轍もない力なのだろう。

 ただ、大きすぎるがために漠然としか掴み取れていないのも確かであった。だから「力を正しく使わなければ」というトワの考えを理解しきれない。そこまで深刻なことだろうか、と思ってしまうのだ。

 興味半分もあっての質問にトワは「うーん」と辺りを見回す。やがて彼女は空の一点に目を止めた。

 

「言葉で説明するより、見てもらった方が早いかな」

「は?」

 

 音もなく栗色から白銀に変わる髪。クロウが言葉を差し挟む間もなく、トワは空にかざした手を何かをどかすように横に流した。

 何をするのかと訝しんでいたクロウだったが、その変化にはすぐに気が付いた。星空に薄くかかっていた雲。それが彼女の手の動きに合わせてすっと消えていったのだ。

 一瞬の間に雲一つなくなった星空を見上げて乾いた笑みが漏れる。なるほど、これはとんでもない。

 

「こんな風に自然現象を操るくらいはお手の物だよ。時空間への干渉もある程度できるし、単純な身体能力も上がっているね」

 

 規模に限界はあるけど、と結ぶトワ。それでも規格外なことに違いはない。

 この世界の生きるあまねくものに存在する星の力。大地や風、流れる水や燃える炎にもそれは宿る。こうして空にかかった雲をどかすくらいはお安い御用だ。

 《七の至宝》に準じる存在は伊達ではない。根源的なエネルギーを操る権能は想像さえできない超常的現象を起こし得る。

 だからこそ、トワは考えてしまうのだ。自分はどうあるのが正しいのかと。

 

「皆で色々なところに実習に行って、帝国を取り巻く現状や問題を知って……だから余計に迷っちゃうんだ。どうするのが正しいんだろうって」

「……さあな。そりゃ俺にも分からねえよ」

 

 だよね、と笑みをこぼす。それは淡い色を帯びていた。

 革新派と貴族派の確執をはじめ、エレボニア帝国には多くの問題が取り巻いている。実習という形でそれを目にしてきたトワたちは、その実際を少なからず理解することが出来たと思う。

 別に世界を平和にしたいとか、そんな大それた願いを持っているわけではない。目の前の困っている人を放っておけないお人好しであるが、自分は国家というものを担えるような器ではないだろう。

 それでも、この激動の時代という大きなうねりは自分という存在を見逃してくれないという予感があった。何かの拍子に、ミトスの民の力が知られることになったとしたら。きっとトワを利用しようとする手が伸びてくると想像するのは簡単だ。

 

「流れに囚われて人を傷つけてしまうことになるのは嫌だけど……自分が正しいと思えることを選ぶのも難しいね」

 

 なまじ頭が回るだけに思い至ってしまう。選ぶことで何を得て、何を失うのか。自分が力を振るうことで何をもたらすのか。

 自意識過剰の考えすぎなのかもしれない。だが、トワが背負うミトスの民という宿命は嫌でも想像させてくる。自分の過ちが取り返しのつかないことを引き起こしてしまうのではないかと。

 真紅の瞳を伏せるトワ。そんな彼女の姿にクロウは困ったように頭を掻く。生憎と彼に名案と言えるような考えはない。

 

「まあ、なんだ。無責任なのは承知の上で言うんだが」

 

 ただ言えることがあるとすれば、今のトワを見て思ったことを素直に口にすることだけだろう。

 

「何が正しい正しくないより、お前が何をしたいか考えた方がいいんじゃねえか」

「私が、何をしたいか……?」

「別に聖人君子でもねえんだ。やりたいことの一つや二つくらいあるだろ」

 

 そう聞かれてトワは「うーん」と考え込む。そこでパッと思いつかないあたり、我欲が薄いというかなんというか。向けられる呆れ眼に気付かずに彼女は首をひねる。

 

「ええっと……来週発売の小説が早く読みたいとか……?」

「いや、そういう即物的なものじゃなくてだな……なんかこう、ねえのかよ」

「そ、そうは言われても……」

 

 的の外れた答えに気が抜けた感じになってしまう。普段は利発なのに、こういう時に限って天然ボケになってしまうのは何故なのか。

 流石に自分でも違うと分かっていたトワは、生温い視線を前に頑張って考えを巡らせる。クロウにとっては簡単なのかもしれないが、改まって何がしたいかと聞かれても難しい。

 あれでもない、これでもない、たっぷり十数秒は考えて――

 ようやく見つけたそれは、どうということはない素朴な願いだった。

 

「その、この前の夏至祭みたいに皆で遊びに行ったりとか……これからも楽しい思い出を沢山作っていきたいなぁ」

「――――」

 

 塞ぎ込んでいた自分の手を引っ張って、見えないものに怖がり続けることなんてないと教えてくれた。帝都の夏至祭で仲間と笑い合った時間は、トワにとって決して消えることのない思い出だ。

 まだまだ長い学生生活でも、トールズを卒業してからであっても、色褪せることのない大切な日々を心に綴っていきたい。それが思いつく限りの、トワのやりたいことだった。

 それを聞いたクロウは、虚を突かれたようにポカンとしていた。素朴で、青臭い願いだったせいだろうか。なんだか気恥ずかしくなったトワは少し染まった頬を掻く。

 

「あ、あはは……なんてね。流石に臭すぎたかな」

「……いや、お前はそれでいいんだろうさ」

 

 けれど、彼は皮肉の一つも言うことなく笑みを浮かべる。

 気のせいだろうか。そんな彼が自分を見る目が、どこか眩しそうに感じたのは。

 おもむろに伸びてきた掌が頭を乱暴に撫でる。急なことに「わぷっ」と目線が下がったトワの頭上でクロウは言葉を続けた。

 

「お前みたいな真面目ちゃんは、もう少し自分勝手でもいいんだよ。自分の(もの)を自分の為に使って悪いことなんてないだろ」

「……ふふ、それを言ったらクロウ君はもう少し真面目になった方がいいと思うけど」

「はっ、言うようになったじゃねえか」

 

 捻くれた誰かさんと一緒に過ごしてきたのだ。返しの言葉の一つくらい思いつくようになるというものである。

 けど、クロウの言う通り、自分は難しく考えすぎているのかもしれない。目に映る色々なものに囚われているだけで、本当はもっと単純で簡単なことなのではないか――今は、そんな風に思えた。

 

「ね、クロウ君」

「あん?」

「ありがとう。私、頑張るから」

「どういたしまして。ま、程々にな」

 

 どんな答えになるかは分からない。いつ見つけられるかもわからない。でも、自分が心から信じられるその道を探し続けよう。

 そして答えを得ることが出来たら、たくさんの感謝を伝えよう。お世話になった人、見守ってくれた家族に相棒、アンゼリカにジョルジュ、この意外と面倒見のいい大切な友達に。

 雲の晴れた星空を仰ぐ。心なしか、その星明りは先ほどよりも澄んで見えた。

 




誰かさんのメンタルに的確にダメージを与えていくスタイル。
尚、書いている当人もダメージを受ける模様。

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