永久の軌跡   作:お倉坊主

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部長「お倉坊主君、九月から年末まで出張お願いな!」

自分「分かりました(やめろ……やめてくれええええ!!)」


 そんな感じで長期の出張業務となりましたお倉坊主です。まさか閃Ⅳの発売を目前としてこんな仕打ちを受けようとは思わなんだ。おのれ部長!
 まあ、土日は帰ってこれる距離なので閃Ⅳが全くプレイできないというわけではないのですが、平日は生殺しにされること間違いなしです。先が気になりすぎて暴走する妄想力は拙作の執筆で発散させたいと思います。


第45話 拝啓、美の探究者より

「さあさあ、適当に寛いでくれたまえ。散らかっていて悪いがね」

 

 まずは腰を落ち着けようということで、荷物を宿に預けたトワたちはボリス子爵の案内でとある一室を訪れていた。やや散らかったデスクや応接間のようなスペース。一見するに、彼の執務室だろう。

 それだけなら特筆するべきこともないのだが、トワたちとしてはどうしても気になることがあった。室内にではなく、案内された建物自体に。

 

「それは大丈夫ですけれど……あの、どうして工場(こちら)の方で?」

「てっきりオッサンの屋敷に連れていかれるもんだとな。道を間違えているのかと思ったぜ」

 

 ボリス子爵はパルムの領主。これまでの経験則からして、最初に案内されるのは彼の領主邸だと思っていた。

 ところが、その先入観は否定されることになった。トワたちが連れてこられたのは、駅からも遠目に見えた工場のような大きな建物――ボリス子爵が工場長を務める導力式紡績工場だったのだ。

 不満、というわけではない。しかしながら、意表を突かれたこともあって、どうしてこの場所でという疑問が湧いて出てきていた。それに対して、ボリス子爵はどこか気まずそうに頬を掻いた。

 

「あー……実を言うとだね、私は屋敷を持ち合わせておらんのだよ。この工場長としての執務室が、同時に領主としての部屋でもあるわけだ」

 

 これまた意外な答えだった。領主であるのに自分の邸宅を持っていないとは、全くの慮外で想像していなかったのである。

 屋敷がないのならこの工場こそが彼の本拠であるということ。トワたちがここに案内されたのも理解はできる。とはいえ、どうして屋敷がないのかという疑問が新しく湧いてしまうが。

 

「……貴族にありがちなごたごたの結果だよ。今となっては過ぎた話だけどね。どうぞ」

「これはどうも。しかし、それならそれで新しく建てようとは考えなかったので?」

「はっはっは、私にはこの工場で十分だとも。貧乏性ともいうが」

 

 お茶を淹れてくれたドミニクが口にした言葉は、どこか誤魔化すような色合いがあった。ティーカップを受け取った際に、彼の目に陰りのようなものが見えたのはトワの気のせいだろうか。

 彼らも昔に色々とあったのかもしれない。気になるところはあったものの、ドミニクの言葉を額面通りに受け取っておくことにした。不用意に立ち入ることでもないだろうと。アンゼリカの茶化しに快活に笑うボリス子爵からして、それは間違いではなかったと思う。

 

「でも、この工場はかなり手が掛かっていますよね。建物自体に年季は入っているけれど、中の設備は最新鋭に近いものばかりだ」

「ほう、よく見ているね」

 

 意図してかしないでか、ジョルジュの声で話題が変わる。執務室に案内されるまでの間、工場の様子を一際熱心に見つめていた彼の感想。それにボリス子爵は感心した。

 

「この工場はそれなりに歴史があってだね……せっかくだ、簡単に講義するとしよう」

 

 ボリス子爵は興が乗ったのか、いつもの講釈の構えに入った。これは話が長くなる流れだろう。仕方がないのでトワたちも聞きの姿勢になる。実習を本格的に始める前に知識を仕入れておくのも悪くはない。

 

「トワ君、導力革命によって技術は飛躍的な進歩を遂げたわけだが、その恩恵を初期から受けたのはどのような産業だと思うかね?」

「そうですね……最初に開発された導力式時計や駆動車、そこから発達した導力式の機械関係を用いる産業だと思いますけど」

 

 C・エプスタイン博士による導力器の発明に端を発する導力革命が勃興したのが七耀歴1150年。その後、エプスタイン博士の高弟であるA・ラッセル博士やG・シュミット博士らが故国で導力器の普及に努めていくことになった。

 ラッセル博士がツァイスの時計師組合と技術提携を結び工房を立ち上げたのが1157年。次いで1158年にはシュミット博士がラインフォルト工房と共に導力駆動車を開発している。そうした段階を経て導力技術は徐々に発展していったのだ。

 そんな初期の導力機器は既存のものを導力駆動にしたものが殆どである。導力式の時計や導力灯。まずは導力器の利便性を広めていくことが先決であっただけに、分かりやすい形で便利になることを示す必要があったのだろう。

 導力あってのものである飛行船の登場は1168年となっており、そうした画期的な発明は少しばかり後の時代に譲ることになる。尤も、本当の最初期は世間の反応も冷たかっただけに十分な資金が用意できなかったというのも一つの要因かもしれない。現在のリベールが技術立国でいられるのは先代国王エドガーⅢ世による早くからの援助があってこそと思われる。

 ともあれ、そんな時代背景から恩恵を受けられた産業は導力式の機械を用いるものだろうとトワは考えた。大まかではあるが、ボリス子爵はそれに満足したように頷く。

 

「左様。今まで人力や水車に頼っていたものが導力に置き換わることで、生産性は格段に向上する。その分かりやすい例が、この町の主産業である紡績関係だ」

「恒常的な安定したエネルギー、それに伴う自動化。考え付くだけでも恩恵は計り知れませんね」

 

 旧来の紡績方法とは、駅近くで見た水車を用いたものが主流だったのだろう。それが導力化することによってパルムという町が大きな転機を迎えたのは想像に難くなかった。

 

「早くからその傾向にあったリベールが近いだけに、先代が耳聡く聞きつけたようでね。シュミット博士らラインフォルトの技師を招聘して……まあ、色々と難儀したらしいが、導力式の紡績機を開発することに成功したのだよ」

「あの偏屈な博士のことです。開発そのものより、招聘するのに難儀したのでは?」

「はは……向こうも懐具合に困っていた時期みたいでね。最終的には資金援助を条件に受諾してもらったと聞いているよ」

 

 アンゼリカの揶揄にドミニクはそう苦笑いで応じた。あのシュミット博士のことだ。資金援助の条件と技師仲間の説得で渋々応じたのが目に浮かぶ。そうでもしなければ自分の研究から一時でも手を離すまい。

 一筋縄ではいかなかったものの、そうして一早くから導力技術を取り入れたパルムの紡績業。その苦労と対価に見合うだけの効果を導力式紡績機は発揮した。

 

「その甲斐あってパルムの生産力は飛躍的に向上した。次第に製織や染色の工程も導力化してゆき紡績町の名に恥じぬ町として発展することができたのだよ」

 

 その発展の起点が、この紡績工場ということか。動力器が世に出ておよそ五十年。歴史の中で見れば短い期間ではあるが、その中で社会には多くの変化が起きた。急激な変遷の初期に建設され、また技術の進化に伴い姿を変えてきたことを考えれば、確かに歴史ある工場といって過言ではないだろう。

 

「ほー……その割には、駅の周りには古い建物が多かったな。あの辺りも工場にした方が合理的なんじゃねえのか?」

「まあ、そのあたりは住み分けというものだよ。導力化による生産力は確かに魅力だが、昔ながらの職人の手による商品にはまた別の価値がある。過去には意見の衝突もあったのだが……その話は別の機会にするとしよう」

 

 そういって言葉を区切るボリス子爵。気付けば、それなりの時間が経ってしまっていた。ティーカップも底を見せたことだし、そろそろ実習を始めた方がいいだろう。

 

「今日はもう昼も過ぎているからね。依頼は簡単なものだけ用意させてもらったよ」

 

 ドミニクの手から渡された封筒の中身を確かめる。入っていたのは一件の依頼のみ。彼の言葉通り、あまり難しい内容のものではなかった。

 

「郊外の養蚕家への届け物……これだけでいいんですか?」

「この時間から根を詰めてもらうのも酷な話だ。今日のところはその依頼をこなしながら、この町の様子を一通り見て回ってみたまえ」

 

 そういってボリス子爵は「勿論、明日からは頑張ってもらうがね」と茶目っ気のある笑みを浮かべた。

 なるほど、そういうことならお言葉に甘えることにしよう。ひとまずは頼まれた依頼を遂行し、その後は何か問題が起きていないかを見回りながらパルムの町を散策。これまでの苦労を考えれば気楽なものだ。

 

「それでは改めて、実習を開始させていただきます」

「うむ、どうか頑張ってくれたまえ」

 

 鷹揚に頷くボリス子爵に見送られ、トワたちは紡績工場を後にする。第一の目的地は、件の届け物が保管されているという駅の窓口。日が暮れる前には片付けてしまおうと、四人は手早く行動を開始するのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「ぐおお……こ、腰が……」

「確かに難しくはなかったけど、単純な労力が……」

「あはは……二人ともお疲れ様」

 

 実習を開始して幾許か。もうしばらくしたら西の空に赤みが差してくる頃、トワたちは依頼を終えてパルムの町へと戻る道を歩いていた。

 郊外の養蚕家への届け物。その品は、列車の遅れで配送業者の集荷から漏れてしまった蚕の飼料であった。それなりに纏まった量なので重さも相応だ。運搬役の男子二人は腰に手を当てて苦悶の表情である。

 

「大袈裟だな。届け先で十分に休んだだろうに」

「うっせ。蚕がうにょうにょしているのを眺めていて気が休まるかよ」

 

 休憩がてらに養蚕場の見学などもさせてもらったのだが、どうやらクロウはお気に召さなかったらしい。蚕を眺めて癒されるというのも変わった趣味なので、彼の反応が普通ではあるのかもしれないけれど。

 気が休まったかは置いておくとして、見学自体はいい勉強になった。養蚕は人類史から見ても古くから行われてきたものだ。その様子を間近で見ることが出来たのは得難い経験に違いない。

 

「養蚕家の他にも色々とあるみたいだけど……普通の農家とかは少なそうなの」

 

 浮かび上がって周辺をきょろきょろと見まわしていたノイがそんなことを呟く。その言葉にトワは確かに、と頷いた。道中で郊外に広がる光景を眺めてきたが、それは他の町とは異なるものであったように思う。

 

「綿をはじめとした農園や、羊を飼育している牧場。どれも布類の原料になるものだね。工場だけじゃなくて、町全体が紡績業に関わっているみたい」

「うーん、食料品の供給とかはどうなっているんだろう?」

「輸送手段が発達したこの時世だからこそかもしれないね。鉄道を使えば他の町から仕入れるのも手間がかからない。いざとなれば温暖なリベールからの輸入に頼ることも出来そうだ」

 

 郊外に散らばる農作や畜産に関しても、紡績に用いる繊維の元となるものを中心に行われているようだ。紡績町の名の通り、町そのものが紡績業を中核に据えて成り立っていると思われる。

 では、食料品をはじめとした生活必需品はどのように賄っているのか。鉄道を介しての仕入れに頼っている――むしろ鉄道という安定した輸送手段が発達したからこそ、紡績業への特化が出来たのではないかというのがアンゼリカの意見だった。

 以前は食料品などに関しても自給自足していたのかもしれない。だが、その必要性が薄れたことで繊維類の生産に注力していったというのは十分に考えられるだろう。

 

「よっぽどオッサンの家がテコ入れしたんだろうな。そうでもなけりゃ、ここまで一つの産業に町が纏まっているなんてあり得ないぜ」

「そうだね。きっと色々な過程があってのことなんだろうけど」

 

 このような町が形成されるに至った経緯は気になるところだ。切っ掛けが導力革命の勃興、そして導力式紡績工場の建設にあるのは間違いないが、それ以降にも紆余曲折を経てのことだと考えられる。

 今日の実習が終了したら、ボリス子爵に改めて聞いてみるとしよう。ランチを共にできなかったのも相俟って、ディナーには何やら気合を入れているようだったし。

 

 気になったことをあれこれ話しているうちに、トワたちはパルムへと戻ってきていた。町に入る前にノイがいつも通りに姿を隠し、ひとまず依頼を完了した彼女たちは道端で足を止めて小休止とする。

 さて、これからどうしようか。

 クロウなどは腰の痛みを訴えていたが、これまで様々な難事を切り抜けてきたのだ。当然ながらこれくらいで音を上げるほど柔ではない。ボリス子爵のもとに報告に行くにはまだ早いだろう。

 予定していた通り、パルムの様子を見て回ってみるのが一番か。駅で荷物を受け取ってからすぐに郊外に出向いたので、まだまだ町の全容は掴み切れていない。早いところ土地勘を得るのに越したことはなかった。

 

「駅の方まで戻ってみようか。あの辺りが一番人の多そうな感じだったし」

「了解だ。ぐるりと回ってみるとしよう」

 

 昔ながらの職人が多く、露店も立ち並んでいる駅周辺。観光客や仕入れの商人なども行き交うそこが手始めとして最適だろう。人が多ければ多いほど、それだけ問題も起きやすいものだから。

 小休止を切り上げ、ぶらりと近くを見て回りながらも駅の方面へと向かう。ボリス子爵の気遣いのおかげで必須の依頼も手早く片付いたので、実質的には観光とさほど変わらない気楽なものであった。

 ところが、そんな気分は駅に近付いた辺りで薄れることになる。遠目に行く先の様子を認めたクロウが首を傾げた。

 

「……何だ? あの人だかり」

 

 何やら人が集まっていて、少々騒がしくなっている。露店で限定特価のセールが開始された――そういう明るい騒がしさではない。不安や動揺、そんな感情が見え隠れするものだった。

 眺めていても仕方がない。異常を発見してしまったからには状況を確認しなければ。

 観光気分とは早々に別れを告げ、気を引き締めて騒ぎの中心地へと進む。人だかりの間を縫って前に出ると、馴染みのある顔が目に入った。

 

「ボリスさん、何かあったんですか?」

「おお、トワ君たち! ちょうどいいところに戻ってきた」

 

 周りの人たちと話しながら難しい表情を浮かべていたボリス子爵。彼はトワたちの姿を見るなり、一筋の光明でも見出したかのように顔を明るくする。

 

「ちょうどいい、というと?」

「君たちに……おそらく、君たちにしか頼めないことがあってね。何はともあれ、まずはここを見てくれたまえ」

 

 そう言って指差すのは、駅の正面近くにある建物の二階。ベランダがある、一見して普通の家屋にしか見えないが、これが一体どうしたというのか。

 ふと、トワはそこで違和感を覚える。何かが足りないような、そんな感覚の出処を探って記憶をさかのぼる。パルムに着いた時、そして以来の荷物を受け取った時。その際に目にした光景と照らし合わせていく。

 

「……そういえばここ、染織物が飾ってあったような」

「ああ、確かに」

 

 トワの呟きにアンゼリカが手を打つ。思い返せば確かにそうだった。

 駅から出てきた人を迎え入れるかのように飾られていた大きな染織物。同じ類は露店でも目にすることが出来るが、それは町を代表するように一際美しく目に映るものだった。

 その染織物が、まるで抜け落ちてしまったかのように忽然と姿を消している。この騒ぎも、きっとそれが原因なのだろう。

 

「風にでも飛ばされちまったのか?」

「それならまだよかったのだがね……染織物があったところに、こんなものが残されていたのだよ」

「……カード、ですか?」

 

 ボリス子爵が差し出したのは、表面に『B』と刻印された一枚のカード。訝しみながら受け取ったそれを裏返すと、そこには短いメッセージが記されていた。

 

『若き有角の獅子たちよ、春を寿ぐ色彩は既に我が手中にあり。

解放せんとするならば、闇に葬られし真実の痕跡を辿るがいい。

第一の鍵は市内に。機械仕掛けの象徴、その心臓を暴け。

                        ――怪盗B』

 

「「「「…………」」」」

 

 なんだ、これ。

 メッセージを読んだ彼女たちの心中は概ね似たようなものであった。これまで色々と騒ぎには巻き込まれたり首を突っ込んだりしてきたが、こんな手合いは初めてだ。

 頭が痛い思いをしながらも、取りあえず書かれている内容を咀嚼する。回りくどい言い回しではあるが、これが意味するところは明確だ。

 

「えっと……犯行声明、ということでいいんですよね」

「うむ、まあ、そういうことなのだろう。まさかこんなことが起きるとは思いもしていなかったが……」

「怪盗B、か。近頃は耳にしなかったが、こうして目にすることになるとはね」

 

 何か知っている口ぶりのアンゼリカ。トワの視線から疑問を感じてか、彼女は言葉を続ける。

 

「美の解放と称して、帝国を中心に窃盗行為を働いている賊のことだよ。これがまた鮮やかな手際らしくてね……以前には戦車を丸ごと盗んでいったそうだ」

「せ、戦車を……?」

 

 盗みというにはあまりにスケールの大きい話に唖然としてしまう。どうやったらそんなものを盗み出せるのか……いや、そもそもどうして戦車などを盗んだのか。

 どうも色々と理解の及ばない手合いのようだ。ひとまず考えるのは後にして、再び手元のカードに目を落とす。

 

「で、これがその怪盗Bからの挑戦状ってところか。話に聞く通りのけったいな野郎だぜ」

「『若き有角の獅子たち』……これは僕たちのことを指していると思っていいのかな」

「おそらく、そうだろう。それに『春を寿ぐ色彩』、これは盗まれた染織物のことで間違いなかろう。あれは春の染め物で優勝したものだったからね」

 

 理由は分からないが、相手は自分たちをご指名のようだ。傍迷惑極まりないとはいえ、無視するわけにもいかないだろう。盗まれた染織物もパルムにとっては価値ある一品だったようで、それは周囲の不安げな群衆からも察せられた。

 トワは仲間たちの目を見まわす。言葉にせずとも、答えは返ってきた。迷うことなく頷いた三人とも、気持ちはトワと同じだった。放っておくことはできない。それに、こんなふざけたことをやらかす怪盗とやらを座視するつもりもなかった。

 

「状況は分かりました。怪盗Bが何を企んでいるかは分かりませんけれど、盗まれたものを取り返すためにも、この挑戦を受けてみます」

「うむ、ありがとう……何が待っているか分からん。くれぐれも気を付けて事に当たってくれたまえよ」

 

 挑戦状に記された『闇に葬られた真実の痕跡を辿るがいい』という文句。意味するところは判然としないが、まず一筋縄ではいかないと思われる。ボリス子爵の懸念も尤もと言えた。

 だが、トワたちも無駄に荒事に身を投じてきたわけではない。よほどの事態でもない限り切り抜ける自信を持ち、そう思えるだけの実力は身に着けてきた。

 だから笑顔で頷いてみせる。それを見て緊張気味だったボリス子爵の気も和らいだようだ。彼もまた、いつもよりぎこちないながらも頬を緩めるのだった。

 

「さて、と。今のところはこの謎かけだけが手がかりなわけだが……目撃者などはいないのですか?」

 

 早速、事に当たろうということで、まずは犯行時の状況を確かめることにする。広場の目の前で野出来事だ。当然、人通りもあったはず。誰かの目についていてもおかしくない。

 そう思ったのだが、聞かれたボリス子爵は難しい顔だ。

 

「私も同じことを考えていたのだが……ああ、ちょうど戻って来たね」

「――工場長!」

 

 言葉を区切ってボリス子爵が目を向けた先を追うと、秘書のドミニクが小走りに駆け寄ってくるところだった。彼は少し乱れた息を整えると、不本意そうな表情を浮かべながら首を横に振った。

 

「やはり駄目です。一通り聞いて回ってみましたが、盗まれたところを目撃した人はいないようです」

 

 聞き込みをしてきた様子のドミニクからの報告に驚きを覚える。まさか、本当にこんな真昼間の人通りの中で目を盗み切ったというのか。

 いったいどうやって、と思ったところでドミニクの言葉が続く。彼も気になったのか、それなりに詳しく話を聞いてきたようだ。

 

「旅芸人に気を取られていたとか、大きな音が鳴ったのが聞こえたとか……どれが怪盗Bの仕込みかは分かりませんが、どうやってか意識を逸らしている間に盗んでいったようです」

「ミスディレクションってやつか。随分とまあ、大胆な真似をするもんだ」

 

 呆れ半分、感心半分な様子でクロウがため息をつく。戦車すらも盗んだというその腕前に偽りはないらしい。

 この様子では現場をいくら探し回ったところで手掛かりになるようなものは出てこないだろう。そこいらの盗人とはわけが違う。

 となると、残されたのはメッセージに記された謎かけのみ。仕方がない。こうなったからには相手の思惑に乗ってやるのみだ。

 

「『機械仕掛けの象徴、その心臓を暴け』か……町中のどこかではあるようだけど」

「無暗に動いても時間を浪費するだけだね。しっかり考えて、当たりをつけていくことにしよう」

 

 幸い、頭を使うのは得意な方だ。古典的な謎かけを前に、その言葉が意味するところに考えを巡らせていく。

 初日から奇妙なことになってきたパルムの実習。何はともあれ、これも依頼の領分には違いない。まずは一つ目の答えと思しき場所を目指して、トワたちは足を進めるのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「パルムといえば紡績業。その機械仕掛けの象徴といえば――これだよね」

「導力式の紡績機、か。確かに筋は通っているね」

 

 一応の聞き込みは続けてみるというボリス子爵とドミニクと別れ、トワたちがたどり着いたのは町の中で最も大きな建物。導力革命の黎明期から操業を続ける紡績工場だった。

 怪盗Bからの挑戦に書かれていた一つ目の鍵。機械仕掛けの象徴と称されるそれは、この唸り声をあげて稼働する紡績機のことで間違いないだろう。パルムの特徴から鑑みて、トワ以外も異論はない答えだ。

 

「うーむ……しかし、本当にこんなところに手掛かりがあるのか?」

「おそらくは。導力器の心臓といったら、その駆動部分に他なりませんから」

 

 半信半疑といった様子で首を傾げているのは、工場を案内してくれた現場監督のおじさんである。工場長であるボリス子爵とは長い付き合いらしく、事情を話したら快く協力してくれた。

 そんな彼に案内してもらったのは、この紡績機の心臓部――導力を供給する駆動部分だ。本体ケーシングの一部を取り外し、導力の光で薄ぼんやりと明るい空間に頭を突っ込んでいるジョルジュがくぐもった声で応じる。『その心臓を暴け』、導力器の心臓といったらここしかないだろうと。

 下手をして壊してしまったら一大事になる代物だ。導力器に強いジョルジュに任せ、他の三人は手を出さないでいた。それゆえ暇を持て余した様子で工場をうろうろしていたクロウは、ふとした拍子に口を開く。

 

「最初にチラッと見たときも思ったが、建物が古いわりに設備は新しいのな。工程も殆ど自動化されているしよ」

 

 それはトワたちも思っていたことだ。案内される道中で工場の様子も見させてもらったが、この最新鋭の紡績機は相応の性能を有しているらしい。

 原料である繊維が伸ばされ、糸として寄られていく。その過程の大半がライン上で自動化されており、人の手が入る機会はそれほど多くないようだ。田舎の出であるトワにとっては新鮮極まる光景である。

 

「今でこそこんな感じだが、最初の頃は大変だったよ。導力で動くようになったといっても、作業には人手が必要だ。皆で横並びになって、せっせと糸を寄って……今は今で導力器の知識が必要で大変だけどな」

 

 あっはっは、と闊達に笑う現場監督。そこには昔を懐かしむ色があった。

 操業当初の紡績機はまだまだ人力に頼る部分も多く、それだけに多くの作業員が従事していたようだ。この人もそのうちの一人ということか。それが今や生産現場の責任者とは、まさに叩き上げである。

 

「随分とお若い頃から働いていたんですね。そんなに人手が必要とされていたんですか?」

「うん? ボリスからそういう話は聞いていないのか?」

 

 見た感じ、年齢は六十に差し掛かるかどうかといったところ。この工場が導力革命の初期に操業を始めたことを考えれば、少なくとも十代のはじめから就労していたことになる。

 年少から働いていることは必ずしもあり得ないことではない。地域の特性や、それこそ個々の家庭環境によっては子供の時分からミラを稼ぐ必要もある。そういった意味では珍しい話ではないと思う。

 だからそれは純粋な興味本位からくる質問だったのだが、対する相手の反応は妙なものだった。どうしてそこでボリス子爵の名前が出てくるのか。トワたちは揃って首を傾げる。

 

「あー……まあ、いいか。隠す話でもない」

 

 彼女たちの様子から察した現場責任者の彼は、そう前置いて口を開いた。

 

「この工場はな、操業を始めてからしばらくして労働問題が起きたんだ」

「労働問題……ですか?」

「導力化して上がった生産力に子爵家が欲をかいたのさ。大人だけじゃなく俺みたいな子供だった奴も駆り出されて、朝から晩まで働き通しだったよ」

 

 思わず表情が曇る。今は見えないが、きっとジョルジュも同じだったろう。それは技術の進歩がもたらした業であった。

 導力化によって大量生産という武器を得たダムマイアー子爵家は躍進の時を迎えたのだろう。その好機を逃すまいと更なる生産量の向上を目指そうとしたのは分かる。

 だが、そのための手段が平民の酷使という形になってしまったのは悪手であり、悪い意味で貴族的なものであった。アンゼリカも苦虫を噛み潰したような顔になろうというものだ。

 

「工場だけじゃない。郊外の綿農園とかも酷い状況でな……こりゃもう女神様に召されちまうかも、と思っていたところで立ち上がってくれたのがボリスだった」

「は? どうしてそこでボリスのオッサンが出てくるんだよ」

 

 クロウの疑問は当然だった。確かにボリス子爵は変わり者ではあるが、それでもダムマイアー子爵家の人間であることに違いはない。立場からして労働者側に味方するのはおかしく思えた。

 そんな疑問に彼はくつくつと喉を鳴らす。当然のことだとは分かっていても、実情を知っている身としてはどうにも可笑しく感じてしまったからだ。

 

「あいつは妾腹の子なんだ。貴族としての教育は受けちゃいたが、専ら俺たちみたいな平民の子供と泥だらけになって遊ぶのが常でな。実家の横暴を見かねたあいつは、十の半ばくらいの身で反旗を翻した」

 

 それは初耳だった。本人から元は傍流だと聞き及んではいたものの、母親が妾とまでは思わずにいたトワたちは驚きを覚えずにはいられない。

 一般的に妾腹の子というのは扱いが悪くなりがちだ。正妻に子がいるなら次の当主の座は余程のことがない限りそちらに与えられる上、血統主義的な貴族からは半分は平民の血と見下されることもあるという。

 そうした身の上に生まれたボリス子爵は平民に近しい生活を送っていたようだ。思えば、目の前の彼も先ほどから親し気に呼び捨てている。あの平民気質な性格は生まれと生活環境が培ったものだったということか。

 

「工場労働者は勿論、農園の奴らや燻っていた職人連中まで纏め上げて、子爵家に労働環境の改善を訴えた。最終的には七耀教会を味方につけて、工場の運営権をもぎ取る形で決着がついたってわけだ」

「なるほど、工場長の名はその頃からのものということですか」

 

 秘書であるドミニクがそうであるように、パルムの人々は領主であるボリス子爵を『工場長』と呼ぶことが多い。それも納得のいく話だ。劣悪な労働環境を打破せんと、人々の先頭に立って実家と戦った末に得た肩書。ボリス子爵に助けられた人からすれば『英雄』の代名詞に等しい。

 それにしても、と思わず頬を緩めてしまう。若かりし頃のボリス子爵の話は間違いなく立派なものであったが、それだけに可笑しく感じるものがあった。

 

「ふふ……失礼ですけど、ちょっと今からは想像できませんね」

「違いねえ。あの釣りバカなオッサンにそんな熱いところがあったなんて知らなかったぜ」

 

 どこか惚けたところがあるボリス子爵。彼が義憤を胸に平民の為に戦ったと聞いても、今の丸々とした狸っぽい姿からは繋げ辛い。失礼ながら、ついつい笑ってしまうくらいには。

 もしかしたら、本人も自覚しているだけに恥ずかしくて言い出さなかったのかもしれない。そんな推測を口にしてみると、彼の旧友からは「後で精々からかってやってくれ」といい笑顔で言われた。付き合いが長いだけに遠慮がない。

 

「話の切りがいいところで、こっちもようやく見つかったよ。稼働中の導力器のカバーの裏になんて、どうやって仕込んだのやら……」

 

 こちらに耳は傾けつつも、怪盗Bが残した手掛かりを探していたジョルジュがのっそりと顔を上げる。少しばかり油汚れのついた彼の手には一枚のカードが。最初に見つけたものと同じメッセージが記されたものである。

 

『若き有角の獅子たちよ、汝らが捜し求むるは未だ遠し。

第二の鍵は郊外に。過ぎ去りし栄華の焼け跡を探れ』

 

「――以上が次のヒントみたいだね」

「次は郊外か。市内だけで終わらせてくれないとは、噂の怪盗殿は思っていた以上にアグレッシブなようだ」

 

 呆れた様子で肩を竦めるアンゼリカの言うことも尤もだ。しかしながら、盗まれたものを取り返すためにはメッセージの謎を解き明かすほかにないのも確か。今しばらくはこの挑戦に付き合うしかない。

 さて、と頭を切り替える。次のヒントは『過ぎ去りし栄華の焼け跡』。過ぎ去りし栄華、というのが何を指すかは分からないが、焼け跡というのは比較的単純だ。余程ひねくれた表現ではない限り、言葉通りに何かが燃えた痕跡のことを意味していると思われる。

 

「焼け跡ねえ……このあたりで昔にデカい火事とかなかったか?」

「郊外で火事か。そりゃ、たまに火の不始末で農家が火事を起こしたりとかは聞くが……いや、もしかしたら……」

 

 地元の人間なら何か心当たりはないかと問い掛けられた彼は、不意に言葉を濁らせると難しい顔つきになった。不思議そうに目を向けるトワたちに、彼はどこか言葉を選ぶように続きを口にする。

 

「……その『過ぎ去りし栄華』っていうのに思い当たるものはある。パルムの人間はあんまり近付きたがらない場所なんだが」

「何か危険でもあるんですか?」

「そういうわけじゃない。ただ、気持ちの問題でな……場所を教えよう。行ってみるといい」

 

 どこか煮え切らない様子の彼に疑問を覚えつつも、トワは手帳を開いてその心当たりの場所を聞いた通りに書き記す。そして、かつてそこに在ったというものの名も。

 パルムの人たちにとって、この行く先はどういう意味を持っているのだろうか。その真意を測りかねながらも、四人は郊外へと足を向けた。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「……ここか」

「なんて言うか……寂しい場所だね」

 

 パルムから歩いて十数分ほど。さして離れていない位置にそれはあった。

 元は大きな建物があったのだろう。敷地を区切る石垣は広い範囲にわたって築かれている。四大名門の屋敷と比べれば流石に見劣りするが、それでもかなり立派なものであったことは想像に難くない。

 だが、今やその石垣は大半が崩れ、黒く焼け焦げていた。敷地内も所々に雑草が生えた地面を晒しており、炭化しながらもわずかに残った土台や骨組みだけが、かつてそこにあった栄華を示している。

 ダムマイアー子爵家の屋敷、その焼け跡はそんな無残な有り様を晒していた。

 

「随分と酷い火事だったようだね。ものの見事に全焼だ」

「普通ならこうなる前に消し止めるはずだけどね。まして領主の屋敷だったっていうのに……」

 

 領主の屋敷には単に財産だけが収められていたわけではあるまい。領民や税の管理のための行政文書などもあったはず。私的にも公的にも重大であるだけに、大火事になるほど杜撰な管理状況だったとは思えない。

 けれど、目の前に広がるのは黒焦げた焼け跡のみ。何があったのかは分からない。ただ事実として、かつてのダムマイアー子爵家の屋敷は炎の中に消え去っていた。

 

「考えていても仕方がないね。取りあえず、怪盗Bの手掛かりを探してみよう」

 

 いったい、この地で過去に何があったのか。

 気にならないといえば嘘になる。とはいえ、今は気にしてもどうしようもないことでもあった。まずは本来の目的を果たそうと促せば、三人も頷いて周囲の捜索を始めようとする。

 

「――君たち、こんなところでどうしたんだい?」

 

 不意に、そんな彼女たちの背中に声がかけられた。振り返ると、そこには見知った青年の姿が。ボリス子爵の秘書、ドミニクが若干驚いた様子で佇んでいた。

 

「ここはあまり人が寄り付かないから、君たちが来るなんて思いもしなかったよ」

「まあ、こんな時でもなければ来なかったでしょうね。実は――」

 

 意外であったと口にする彼に、いったん別れてからの経緯を説明する。二枚目のカードを発見したこと、そこに記されていた『過ぎ去りし栄華の燃え跡』というヒント、そして現場責任者のおじさんの心当たりに従ってここに来たこと。

 一通りの説明を聞いたドミニクは顔を顰めた。振り回してくれる怪盗Bに対する不快感は当然あっただろう。しかし、その苦々しさは傍迷惑な真似からくるものばかりではなさそうだった。

 

「少し目を離している間にそんなことが起きていたなんてね……それにしても、怪盗Bというのは随分と趣味が悪いらしい」

「……?」

 

 トワはその言葉に何か引っかかりを覚えた。具体的には言えないが、何か違和感があるような――そんな感覚を掴み切れないうちに、ドミニクは言葉を続ける。趣味が悪いと評した、その意味を。

 

「見て分かると思うが、この屋敷を燃やし尽くした火事は普通ではなかったんだ」

「その……普通ではない、というと?」

「当時、この屋敷に住んでいたダムマイアー子爵家の人間はその火事で亡くなった――これだけ規模の屋敷にもかかわらず、使用人の一人さえも残らずにね」

 

 険しい面持ちのままドミニクの口から語られた事実に、トワたちは顔が強張る。その意味するところに察しがついてしまったのだ。

 屋敷に出入り口が一つしかなかったというわけでもあるまい。いざとなれば窓からでも逃げられる。それなのに誰一人として燃える屋敷から逃げることが出来なかったというのは異常に過ぎた。

 考えられる可能性があるとすれば――火事が起きる前に、屋敷の中で既に何か(・・)があったということになるだろう。

 

「十年ほど前の、人が寝静まった夜半のことさ。火事の知らせは来ず、真っ黒な空を照らす炎でようやく気付いた頃には手遅れだった。時の領主諸共、屋敷は火の中に消えたんだ」

 

 十年前。《百日戦役》の直後といったところだろうか。突発的な開戦、予想さえしていなかったリベールの反撃、そして開戦と同じく息つく間もなく結ばれた停戦協定。帝国内も混乱していた時期だ。平時ならば取り沙汰されただろう凄惨な火事も、世間の荒波に揉み消されてしまったのかもしれない。

 

「そうしてダムマイアー子爵家は工場長が継ぐことになった。君たちも聞いた労働問題の件以来、あの人は屋敷の敷居を跨ぐことがなかったからね……勘当同然の妾腹の子が運に恵まれただけとか、好き勝手に言われる所以だよ」

「……事情を知らないとしても、気持ちのいい話ではないですね」

 

 アンゼリカが露骨に嫌悪感を示す。表に出さずとも、気持ちはトワも同じだ。

 以前に傍流ながら当主を継いだ理由を、ボリス子爵は「色々あって」と言っていた。確かに簡単には説明できない、複雑怪奇な出来事の末の帰結だ。

 降ってわいた当主の座に、彼はきっと並々ならぬ苦労をしたに違いない。領地運営にはまるで関わっていなかったので勝手は分からず、ノウハウを持った人間は既に女神のもとに旅立っている。加えて工場長の職務も両立しなければならない。今の状態にまでよく立て直せたものだと感心するくらいだ。

 それに同情するならともかく、訳も知らずに嘲笑うのは不快としか言いようがない。そんな心無い人がいるという事実が残念でならなかった。

 

「知ってかどうかは分からないが、こんな曰く付きの場所を指定してくるんだ。趣味が悪いとしか言えないだろう?」

「そりゃ同感だ。手っ取り早く次の手掛かりを探しておさらばするとしようぜ」

 

 パルムの人があまり寄り付かないという理由も分かる気がする。単に不幸な出来事で亡くなってしまったのならまだしも、明確な根拠はなくとも謀殺の気配を感じる火事だ。足が遠のいてしまうのも仕方がないだろう。

 ボリス子爵が屋敷を立て直さないのも、こんな出来事があったからなのかもしれない。怪盗Bの痕跡を探しながらもトワは漠然とそう思った。

 ふと、そこで疑問がよぎる。気になった彼女は一緒に探してくれているドミニクの方に顔を向けた。

 

「そういえば、ドミニクさんの方はどうしてここに?」

「ああ……そうだね、少し感傷に浸りに来たといったところかな」

 

 要領を得ない返事だ。彼自身が言っていた通り、用事もなければ立ち寄らない場所であるだけに、何か理由でもあるのかと思ったのだが。

 

「この屋敷には僕も縁があってね。墓は別にあるのだけど……たまにふらりと足が向いてしまうんだ」

 

 そう口にするドミニクは淡い笑みを浮かべていた。まるで、戻ることのない過去に思いを馳せるように。

 失言を自覚したトワは申し訳なさから眉尻が下がる。具体的に何があったと聞いたわけではないが、何となく察しはついてしまう。火事で諸共に亡くなった使用人の内に、ドミニクの家族もいたのかもしれない。

 

「その、すみません。立ち入ったことを聞いてしまって……」

「気にしないでくれ、昔の話さ。工場長にもよくしてもらって、今は仕事も任せてもらえているし……あまり好き勝手するのは自重してほしいところだけど」

 

 肩を竦めたドミニクに乾いた笑みが漏れる。同時に納得もしていた。ボリス子爵と秘書ドミニク、二人の関係は主従としては近しいものに感じていたが、それも彼らの過去に起因するようだ。

 基本的に自由人なボリス子爵に振り回されている感はあるものの、感謝の念と憎めなさがあるのも確かなのだろう。苦言しながら、そこには薄っすらと笑みが浮かんでいた。

 

「今更になって変わるものでもないでしょうし、諦めた方が建設的だと思いますけどね。それよりほら、見つけたよ」

 

 負けず劣らずに自由人なアンゼリカが、無責任なことを口にしながらも片手を掲げる。そこには先ほどと同じ怪盗Bのカードが。どうやら崩れ残った石垣に張り付いていたらしい。

 どれどれ、と内容を検める。あまり難解なものは勘弁願いたいが。

 

『既に扉は開かれた。春を寿ぐ色彩は南の街道に。

封じられし真実、その入り口を見上げよ』

 

「……どうやら次で最後のようだけど」

「これまた意味が分からんというか、解かせる気があるのか?」

 

 南の街道というのはそのままの意味だろう。段々と市内から遠くなっているが、それは別に構わない。

 問題は『封じられし真実』というもの。これに関してはさっぱりだった。この近辺については土地勘がないだけに推察するのが難しい。実際に赴けば分かるものならいいのだが、あまり楽観的に考えない方がいいだろう。

 何か取っ掛かりになる情報がなければ虱潰しになる。日が暮れる前に片付けるためにも、それは避けたいところだ。

 急がば回れ。自分たちで目途が立てられない以上は、町の人に聞き込んで当たりをつけてからの方が手っ取り早いはず。少なくとも、何かしら鍵になる情報は手に入れられると思われた。

 

「ドミニクさん、何か心当たりとかは――」

「いや」

 

 だから手始めにドミニクに話を聞こうとして――切り捨てるような否定に、言葉を詰まらせた。

 小さいながら柔らかい笑みがあった表情が、すとんと抜け落ちてしまったように冷え固まっている。突如とした彼の豹変に動揺し、トワたちは動きを鈍らせてしまう。

 

「悪いけど、私には思い当たるところはないな……まだ仕事があるから、そろそろ失礼するよ。難しいかもしれないが、頑張ってくれ」

「あ……いえ、お疲れ様です」

 

 言うなり背を向けるドミニクを引き留めることはできなかった。気圧されたのもそうだが、有無を言わせない雰囲気を纏う彼に何を聞いたところで無駄に終わったことだろう。

 このカードの内容が何を思わせたかは分からない。声は平坦で、凍り付いたような無表情から内心を推し量ることは難しかった。

 

「――まったく、本当に趣味が悪い」

 

 だが、最後に漏れ聞こえた呟きには色濃い感情があった。忌々し気に、憎しみすら感じさせる、そんな黒く淀んだ感情が。

 足早に去っていくドミニク。彼がどんな顔をしているのか、トワたちからは分からなかった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「……おい、いくら何でも変じゃねえか」

 

 端が赤く染まり始めた空の下でクロウが訝しさを露に口にした。それを否定する言葉をトワは持たない。彼女自身、言い知れない違和感を抱いていたのだから。

 一旦、情報収集に戻ってきたパルムの市内。怪盗Bの残した手掛かりに何か心当たりがないかと聞いて回っているのだが、今のところ目ぼしい成果は上がっていない。

 いや、成果は上がっていなくとも、分かったことはあった。この『隠された真実』とやらが余程の厄ネタであることくらいは。

 

「本当に知らなそうな子供ともかく、大人たちは聞いても苦い顔をして素知らぬふり。あれでは何か知っていると喧伝しているようなものだと思うがね」

「それでも口を噤む理由があるんだと思う。ドミニクさんも様子がおかしかったし……」

 

 話を聞いたパルムの人々の反応は一様であった。顔を重苦しく曇らせ、申し訳なさそうに首を横に振るのみ。とある老婆は酷く哀しそうな様子で礼拝堂へと歩いて行った。何を祈るのか、トワたちにそれを窺い知る術はない。

 

「しかし参ったな。これじゃ手詰まりだ。どうにか情報が欲しいけど、無理矢理聞き出すわけにもいかないからなぁ」

『もう街道に出て探した方が早いんじゃないの? 聞いた人が皆あんな様子だと、あんまり期待できないの』

 

 この様子だとパルムの人から情報が得られる見込みは薄い。揃いも揃って口を閉ざしているのだ。のっぴきならない事情があるのは間違いないだろう。

 こんなものを最後の謎かけにしてくれた怪盗Bには恨み言を口にしたい気分だ。全くもって面倒くさい真似をしてくれる。何が狙いかは知らないが、明らかに不穏だと分かるものを指定してくれなくてもいいだろうに。

 ノイの意見にも一理あって、仕方なく街道方面に足を向けようとする。夜が更けないうちに見つかればいいな。諦め調子でそんなことを考えていた彼女たちに声が掛かった。

 

「ねえ、ちょっといいかしら?」

 

 可愛らしい声だった。難しい顔をしていたトワたちの雰囲気にそぐわぬそれに、何だろうと振り返る。

 目に入ったのは菫色の髪。白を基調とし、フリルがあしらわれた服に身を包んだその少女は、見た目からは十二、三歳程度のように思える。しかし、その金色の瞳には幼さに見合わない深い知性が宿っているようにも感じられた。

 

「えっと、私たちのことかな」

「そうよ、小さいお姉さん。なんだか困っているようだから気になったの」

 

 なんだか得体の知れない少女から返ってきた言葉に苦笑いが浮かぶ。小さい子に小さいお姉さんと呼ばれるのは妙な気分だった。

 

「お気遣いありがとう、菫色のお嬢さん。でも、すまないね。手伝ってもらいたいのは山々だが、付き合わせるには面倒が過ぎる案件でね――」

 

 屈んで目線を合わせたアンゼリカが少女に語り掛ける。もう遅い時間だ。やんわりと帰らせようとしたのだろう。年少の子に対する当然の判断。口説き口調なのはアンゼリカだから仕方がない。

 しかし、彼女の思惑は当の少女の手で覆される。

 

「知っているわ。意地悪な怪盗さんからの最後の謎かけが解けなくて困っているんでしょう?」

「……!」

 

 生憎と少女は普通の子供ではないようだった。トワたちの頭を悩ます難題をピタリと言い当てられては理解せざるを得ない。

 聞き込んだ人にトワたちの用件を尋ねてきたのだろうかと思いもした。だが、それは違うとすぐに分かってしまう。確かに聞き込みする際に多少の事情は説明したが、わざわざこれが「最後の謎かけ」とまでは口にしていない。

 知り得るはずのないことを、いとも当然のように知っている少女。見る目が少し険しいものに変わってしまうのは避けられなかった。

 

「……なるほど、どうやらただの嬢ちゃんじゃないみてえだな。それで? 断ったら悪戯でも仕掛けてくるのかよ」

「うふふ、別に取って食うようなことはしないわ。ただ、物のついでと思っての気紛れ。信じるかどうかはお兄さんたちの自由よ」

 

 そんな視線をものともせずに少女はクスクスと笑う。幼い女の子というには蠱惑的すぎるそれは、もうませているとか可愛らしい次元に収まるものではないように思える。

 

「『隠された真実』――レンもそこに用事があるの。その気があるのなら、一緒についてきてもいいわ」

 

 菫色の髪を揺らし、少女――レンと名乗った彼女は、トワたちの脇を通り抜けて街道へと足を進めていってしまう。四人は目を見合わせるが、答えなど最初から一つしか用意されていないようなものだ。揃って溜息を吐くと、先導する小さい背中を追っていく。

 この行く先に何が待っているのやら。後をついてくるトワたちの姿に、仔猫は頬に怪しく弧を描いていた。

 


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