永久の軌跡   作:お倉坊主

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ここのところお気に入りや評価が増えて嬉しい……嬉しい……感想も貰えたらもっと嬉しい(欲張り)

冗談はともかく、お気に入り登録に評価ありがとうございます。最近は出張と残業と休日出勤のトリプルコンボで更新が滞っていましたが、ようやく一段落したのでいつものペースに戻ると思います。それでも早くはありませんがね。

今回は以前に予定していた通り、他の先輩たちに焦点を当てた幕間になります。一人あるいは一組あたり4000字程度のつもりが、何故か全て5000字オーバーに。お楽しみいただけたら幸いです。


幕間 青春の肖像Ⅰ

【熱血! 激突! ガチンコ勝負!!】

 

「「あ」」

「?」

 

 士官学院の図書館でそんな声が響いたのは、勉強が苦手なエミリーにトワが分からないところを教えてあげているときのことだった。思わず、といった様子で声をあげたクラスメイトの視線の行く先をトワも追いかける。

 そこにいたのは、肩先くらいの金髪をポニーテールにした貴族生徒の女子。トワ自身、彼女とあまり関りはないが、知っている人ではあった。テレジア・カロライン。男爵家の出身で、アンゼリカの知り合い。

 そしてエミリーと同じラクロス部の所属であり、彼女とそりが合わないと聞く人物であった。

 テレジアがたまたま図書館に訪れたところに、先客としていたトワとエミリーに遭遇してしまった形か。話に聞いていた通り、良好な関係ではないらしい。お互いに眉をひそめ、視線は睨みつけるかのような険しさを纏っていた。

 

「……稀有なこともあるものね。あなたみたいな人が図書館にいるなんて」

 

 別に、わざわざ絡む必要もないだろうに。そこのところ無視をすることが出来ないくらいには意識しあっているのかもしれない。テレジアが投げかけてきた挑発混じりの言葉に、エミリーは明らかに気分を害した様子を見せた。

 

「なによ。あたしがここにいちゃいけないっていうの?」

「別に。ただ――」

 

 ちら、とテレジアの目がトワたちの机の上に向けられる。広げられた教科書や参考書の類から何をしていたのかを察したのだろう。エミリーに向き直された視線には呆れが含まれていた。

 

「お友達に頼らなくちゃままならないのはどうかと思うわね。その暑苦しさを他のところに割り振ってみたらどうなの」

 

 神経を逆撫でする物言いにエミリーもカチンとくる。喧嘩を売ってくるなら受けて立ってやろうとばかりに、椅子から立ち上がった彼女はテレジアの正面に立った。

 ラクロス部に入部して顔を合わせてからというものの、二人の関係性はこのような感じであった。熱血タイプのエミリーに対し、クールで理屈家なテレジアは色々な面でそりが合わない。水と油の如き彼女たちは根本的に相性が悪かった。

 しかし、ラクロスは団体競技。チーム内で不和を抱えたままでは他の仲間にも迷惑をかけてしまう……それが分からない二人でもなかった。

 

「言ってくれるじゃない……いい機会ね。そろそろ決着をつけるとしない?」

「へえ、どうやって?」

 

 ここらで白黒はっきりするとしよう。エミリーの提案にテレジアも乗る気配を見せる。周囲は険悪から一触即発な雰囲気へと変わっていた。

 これに焦るのがトワ。流石に目の前で喧嘩が始まっては堪らない。慌てて二人の間に入ると宥めすかすように声を掛ける。

 

「け、喧嘩は駄目だよエミリーちゃん! テレジアちゃんも落ち着いて!」

「そんな心配する必要ないわよ。暴力沙汰にはしないから」

 

 あわや殴り合いでも始めるのではと思っていたトワに対し、エミリーは意外と冷静な声で応じた。さりとて、どのようにして決着をつけるというのか。その答えは、因縁の相手に挑むように突き付けられた指と共に告げられた。

 

「これはラクロス部の問題……なら、ラクロスで事を決するのが筋。どちらが優れたプレイヤーかを競って勝負よ!」

 

 気迫十分に告げられた勝負内容。いまいちピンときていないトワが首を傾げている間にも、テレジアが「なるほど」と呟いた。

 

「パワー、コントロール、スピード……ラクロスにかかる能力を競って勝負を決するということね。いいわ。けど、審判はどうするのかしら?」

 

 ラクロスには様々な身体能力が絡む。相手を妨害し、そして妨害を跳ね除けるパワー。正確なパスを実現するコントロール。そしてゴールへ向けて駆け抜けるスピード。それらを総合的に競って白黒つけようというのだ。

 内容自体に異論はない。だが、その正当性を保証する第三者が必要だ。不正する気など双方ともにさらさらないが、勝負を勝負として成立させるためには公正な審判が欲しかった。

 

「いるじゃない。ここにちょうどいい子が」

「ふえっ?」

 

 簡潔に、あっさりと言ってのけて友人の肩に手を置くエミリー。唐突に巻き込まれる形になったトワは状況を飲み込めないまま流されていく。

 

「この子の評判は知っているでしょ? これ以上ない適役だと思うけど」

「……アンゼリカさんと仲がいいし、生徒会長の信任も厚いそうね。分かったわ。お友達だからと贔屓する性格でもなさそうだし」

 

 貴族生徒と平民生徒で競う以上、そのどちらかに属する他生徒を審判に据えると公平性に疑問が出てくるのは致し方ない。その点、トワは理想的であった。貴族生徒側とも親交と信用があり、お人好しで純朴な性格で知れ渡っていることから不正にも縁遠いと思えたからだ。

 今から他の審判を見つけてくるのも骨が折れる。そんな事情もあってとんとん拍子に――本人の意思が介在する間もなく――ことは進む。

 

「十分後、グラウンド集合よ。その澄ました面をむしり取ってやるわ」

「そちらこそ、尻尾を巻いて逃げないことね」

 

 そうして火花を散らした二人は図書館を後にする。道具なり着替えなりの準備をしに行ったのだろう。残されたのは、ぽかんとしている間に審判にされてしまったトワ一人。

 

「……え? 行かないといけないのかな、これ」

『まあ、潔く諦めた方がいいの』

 

 唖然と呟いた独り言に、姉貴分からの無慈悲な返答。トワはひっそり溜息をつくと、いそいそ勉強道具の後片付けをしてグラウンドへ向かうのだった。

 

 

 

 

 

「だああああぁぁりゃああああぁぁ!!」

 

 トワの眼前を雄叫びと共にエミリーが駆け抜けていく。それにコンマ数秒遅れる形でテレジアも。言わなくても本人たちは分かっているだろうが、審判の本分としてトワは結果を口にする。

 

「百アージュ競争はエミリーちゃんの勝ち。これで二対二だね」

 

 因縁に決着をつけるために始めた勝負も既に四種目を数えていた。速さを競っての百アージュ競争はエミリーが制したことで戦績は互角に。勝負は振出しに戻ることになる。

 勝敗のつけ方としては、どちらかが先に二勝先制したら勝利ということになっている。一戦目でテレジアが白星をつけ早くも決着かと思われたが、そこからエミリーが逆襲して同点に。それをまた繰り返しての現状だった。

 一進一退の激闘を繰り広げる二人。全力疾走の後で息を荒げながらも、互いの闘志に陰りは見られない。勝利を逃したテレジアは忌々し気な目でエミリーを見た。

 

「くっ、往生際の悪い……」

「はあ……はあ……詰めが甘いのよ。あんまり舐めてくれちゃ困るわね!」

 

 正直、見ている限り地力や才能はテレジアに軍配が上がるとトワは思う。持って生まれたものもあるだろうが、それに胡坐をかかずに努力も積み重ねてきたのだろう。そんな背景に裏付けされた実力と自信が彼女の姿からは窺えた。

 しかし、だからといってエミリーも負けてはいない。総合力では劣っていても、ここぞというところでの爆発力が彼女の持ち味。何より勝利を諦めない根性がこの結果をもたらしていた。

 

「さあ、次に行くわよ。百セルジュ持久走、途中で倒れないよう気をつけることね!」

「好き勝手に……! いいわ、結果で黙らせてあげる!」

 

 ヒートアップする勝負につられて舌戦も激しくなる。当初は平静さを保っていたテレジアも、次第に言葉が荒くなり始めていた。

 どうにも物々しい雰囲気に眉尻を下げながらも、トワは粛々と審判としての職務を遂行する。二人がスタート位置に着いたことを確認し、倉庫から借りてきたホイッスルを吹く。短い音の合図で次なる勝負の幕が開ける。

 

「いい加減にっ、負けをっ、認めなさい!」

「そっちこそっ、何時までもっ、孤高気取ってんじゃないわよ!」

 

 それにしても、と思う。

 エミリーは、どうして勝負という形で決着をつけようとしたのだろうか。こうして声高にぶつかり合って、勝敗がついても禍根が残りそうだと分からない彼女ではないはずだ。

 

「私は! 負けるわけにはいかないのよ! 男爵家の誇りにかけて!」

「それが気取っているって言ってんでしょうがぁ!!」

 

 息を切らせながらも言葉で殴り合う二人をトワは黙って見つめる。

 エミリーの意図するところは分からない。だが、いずれにせよ自分が口出しすることではないと思う。これは彼女とテレジアの問題だ。本当にどうしようもなくならない限り、余計な真似は無用だろう。

 だから、せめて見届けよう。それが一人の友人としてトワにできることだから。

 二人の怒声が響くグラウンドに影が伸びていく。陽は既に地平線に向けて傾き始めていた。

 

 

 

 

 

「ゲホッ、ゴホッ……や、やるじゃない……」

「ぜえ……ぜえ……そちらこそ……ゲホッ!」

「えーと……二人とも、もう限界ってことでいいのかな」

 

 結局、彼女たちの一進一退のまま決着がつくことはなかった。先に体力が底をついた二人は揃って地面に転がっている。あんなに怒鳴り声を出しながら走っていたらさもありなん。当然の帰結であった。

 こうなっては仕方がない。審判としては引き分けと判断する他になかった。また後日に決着を、というのなら話は別だが、それでも同じ展開になりそうなのは気のせいか。

 

「はあ……はあ……でも、これで……勝負は、あたしの勝ちね」

 

 しかし、エミリーは確信をもって勝利を宣言した。いったいどういうことか。突然のことに胡乱気な目を向けるテレジアは勿論のこと、トワも不思議に思う。

 

「言ったでしょ。その澄ました面をむしり取ってやるって」

 

 対してエミリーの答えは単純明快であった。まるで分かり切ったことを語るように。

 確かに彼女は図書館でそのように言っていた。火花を散らし合っていたさなかの、ただの煽り文句かと捉えていたそれ。

 

「ゲホッ……こうして、ぶっ倒れるまで戦って、感情をむき出しにさせたんだから……あたしの勝ちで、何の問題もないのよ」

 

 だが、当のエミリーにとっては違った。言葉通り、テレジアのむき出しの感情を暴き出すことが彼女の目的だったのだ。

 ならば、勝負の結末は二の次。その過程で為されたことこそが彼女の勝利条件になり得る。息を荒げ、怒声を上げながら走っていた彼女たちの姿を見れば――なるほど、エミリーの勝利というのも納得はできる。

 そのようなことを宣う隣に転がる赤毛の少女に、テレジアは呆然とする。まるで考えもしていなかったことに理解が追い付いていなかった。

 

「……あなた、そんなことの為にこれを?」

「はは……もうちょっと賢い手が思いつけばよかったんだけど……知っての通り、生憎とそんなに頭がよくないからさ」

 

 別に敵視していたわけでないのなら、こうして体力の限界に挑むような勝負に持ち込まなくてもよかっただろうに。テレジアの本音を引き出したいのなら言葉を尽くすという手段もあったはずだ。

 それはエミリーも自覚するところだったのだろう。自嘲気味な苦笑いを浮かべる。頭の足りない自分には、こうして真っ向からぶつかるくらいしかできないのだと。

 

「でも、ちゃんとあんたの腹の内は聞けたんだから……あながち間違ったやり方じゃなかったと思うわね」

 

 少なからず不器用なやり口ではあったが、エミリーは勝負の中で確かにテレジアの思いの丈を聞いていた。

 男爵家の誇りにかけて――彼女はきっと、カロラインの名に恥じないよう努力を積み重ねてきたのだろう。それは確かに実り彼女の力となったが、それゆえの自負が周囲との壁を作ってしまっていたのかもしれない。

 そんな壁を無理矢理ぶち壊したエミリーは言う。あまり口達者ではないからたどたどしくはあるけれど、ようやく想いを知ることのできた部活仲間に言葉を送る。

 

「あたしは貴族の誇りとかよく分かんないけどさ……そんな肩肘張らなくてもいいんじゃない? こんな風に思いっきりぶつかり合った方が、きっと楽しいわよ」

 

 テレジアにとって大切なものがあるのは分かる。けれど、それを理由に周囲との距離が出来てしまうのは勿体ないことだ。学生として、様々な立場の人たちと共に過ごすこのひと時を、そんな風に過ごしてしまうのは良くないだろう。

 

「ラクロスはチームプレーが命! あんま難しいことごちゃごちゃ考えなくても、皆で一緒に頑張ってりゃ何とかなるっての」

「……まったく、誰も彼もがあなたの暑苦しさについていけると思わないでほしいのだけど」

 

 呆れたようなテレジアの口ぶり。言葉とは裏腹に、彼女の顔には確かに笑みが浮かんでいた。

 

「けど、そうね……私も少しくらいは、あなたのお気楽さを見習った方がいいのかもしれないわね」

 

 テレジアは認めた。今回ばかりは自分の負けだと。けれど、不思議と清々しい気分のようだった。それは貴族でも何でもなく、一人の人間として全てをぶつけ合った結果だったからかもしれない。

 倒れていたところから身を起こす。トワの目から見ても、彼女の表情からは随分と険が取れたように窺えた。

 

「そこまで言うのなら、当然のこと先頭で引っ張ってくれるんでしょうね、エミリー?」

「ふっふーん、任せなさい、テレジア。来年にはきっとスーパーチームを作り上げてみせるわ」

「……不安ね。あなたに任せきりにしたら脳筋チームになりそう」

 

 ポツリと漏らした言葉に「な、なんですってー!」とエミリー。そんな騒がしさを背にして、トワはこっそりグラウンドを後にすることにした。

 

『放っておいていいの?』

「いいのいいの。もう大丈夫そうだし……楽しそうなところに邪魔しちゃ悪いしね」

 

 騒がしいのは先ほどまでと変わらない。だが、そこには先までにはない明るさがあった。トワがわざわざ口を挟むような必要性はもうありはしない。

 すっかり茜色に染まった学院を歩いていくトワの足取りは軽やかだ。夕日に照らされるグラウンドから笑い声が響いてきた気がした。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

【想いを乗せて】

 

「頼む、力を貸してくれ!」

 

 突然に下げられた頭にトワは目をパチクリさせる。急なことに彼女はどう反応するべきか分からなかった。

 放課後の士官学院。いつも通りに生徒会の業務に励んでいたトワのもとに訪れたのは、クラスメイトで吹奏楽部に所属しているハイベルだった。何の用だろうと思った途端にこの有り様である。理解が追い付かないのも仕方があるまい。

 

「えっと……ハイベル君、取りあえず落ち着いて。何のことか分からないと力の貸しようも無いし」

「あ、ああ……すまない。我ながら平静じゃなかった」

 

 兎にも角にも、用件が分からなければ話が進まない。一息つくように促すと、ハイベルも我に返ったようだ。気持ちを落ち着かせるように深く息を吐く。

 それにしても、普段は穏やかな彼がここまで慌てているのも珍しい。部活に精を出しているはずの時間に訪ねてきたことも気になる。何かしら予期せぬ事態が起きてしまったことが推測された。

 事実、トワの推測は的外れではなかったようだ。平常心に立ち戻ったハイベルから語られた用件は、彼が焦るのも分かるものだった。

 

「実は今度、トリスタの礼拝堂で子供たち向けに吹奏楽部で演奏会を開くんだが……部員の一人が今朝になって風邪で出られなくなってしまったんだ」

「それは残念だね。演奏に支障はないの?」

「抜けた分は何とかやりくりするから問題はないよ……演奏の方はね」

 

 何やら意味深な言い方だ。首を傾げるトワに、ハイベルは焦っていた原因を口にする。

 

「今回の演奏会は併せて歌も披露する予定だったんだ。その肝心の歌とピアノ伴奏の担当が風邪になってしまってね。伴奏はどうにかなっても、歌の方は残りの部員では補いきれない」

 

 なるほど、と納得する。それは彼らにとって由々しき事態だった。

 演奏自体は最悪ピアノが抜けてしまってもどうにかできる。楽器ごとのパートの構成を変えることで、同じようにはいかなくても曲目を成立させることは可能だ。

 ところが、歌もあるとなればそうはいかない。元よりハイベルたちは吹奏楽部。声楽の方は本分ではないが、部員の中にその手の技術を持ち合わせていた人がいたからこそ、今回の演奏会に盛り込むことにしたのだと思われる。肝心のその人が風邪でダウンしてしまったとなれば手をこまねいてしまうのも無理はなかった。

 歌を無しにして演奏だけに絞るのは簡単だ。だが、楽しみにしてくれている子供たちの期待を裏切ってしまうのは避けたい。そんな難題に頭を抱えることになったハイベルの脳裏に浮かんだのは、以前にクラスメイトが口にしていた言葉だった。

 

「前に歌をやっていたと言っていただろう? 僕たちが付け焼刃でやるより、技術を持っている人にやってもらう方が良い演奏会になるはずだ。どうか頼めないか?」

「手伝うことについては構わないけれど……」

 

 事情は分かった。そういうことなら、トワも手伝うのは吝かではない。

 しかしながら、躊躇う気持ちもある。少しばかり齧っているとはいえ、自分の歌の腕前がそんな大したものとは思っていないからだ。

 

「本当に私でいいの? プロの人みたいに上手いわけでもないし、ピアノの伴奏だってちゃんとできるか分からないし」

 

 歌い方については一通り習っているとはいえ、特別に上手いかといえばそういうわけではない。精々がアマチュア程度だろう。ピアノ伴奏も兼任するとなれば、そちらは多少触ったことしかないトワには自信がなかった。

 そんな彼女にハイベルは「勿論だ」と頷く。そこに迷いは見られなかった。

 

「そもそも、僕たちだってプロのような演奏ができるわけじゃないしね。それでも良い演奏会にしようと頑張っている……伴奏はトワの負担が軽くなるよう工夫もしてみよう。どうだい?」

「……分かった。皆で頑張って、子供たちに喜んでもらえる演奏会にしよう!」

 

 そこまで言ってくれる相手に首を横に振るトワではない。快諾した彼女にハイベルは感極まったように「ありがとう!」と小さな手を握る。普段は落ち着いている彼でも、好きなことにはとことん打ち込むのだなとトワは新鮮な気持ちだった。

 

「そうとなれば早速練習だ! 徹夜で仕上げるから覚悟しれくれ!」

「えっ」

 

 が、握られた手がそのまま引かれて呆気にとられる。有無を言わせずに吹奏楽部の方へと向かうハイベルに、若干つんのめりそうになりながら連れていかれる。

 いったいどういうことなのか。急転直下な事態にトワは慌てて確認する。

 

「て、徹夜って……そんな無理しなくても」

「悠長なことを言っている暇はない。演奏会は明日なんだ!」

「ええっ!?」

 

 明かされる衝撃の事実。聞かなかったトワも悪いが、言わなかったハイベルもハイベルである。それだけ焦っていたのかもしれないけれど。

 安請け合いしたかもと後悔しても時すでに遅し。為されるがままにトワは吹奏楽部に連れ込まれ、ピアノ伴奏を中心に叩き込まれることになる。

 その日、吹奏楽部の明かりと音色が夜遅くまで絶えることがなかったのは言うまでもあるまい。

 

 

 

 

 

 翌日、演奏会の会場であるトリスタ礼拝堂の演壇にトワたちは立っていた。準備は既に整い、観客も入り始めている。

 開演も間近。彼女たちの表情にもやる気が漲り、しかし同時に隠し切れない眠気の色もあった。夜を徹しての練習だっただけに仕方があるまい。

 そんな無理を押しての練習をしても、完璧に詰めることができたわけではない。ピアノの椅子の高さを調整していたトワに、ハイベルが申し訳なさそうに眉尻を下げた。

 

「すまないね。ピアノの方にばかり力を入れて、肝心の歌はぶっつけ本番みたいになっちゃって」

「あはは……気にしないで。おかげで伴奏も自信がついたし、曲自体はよく知っているものだから」

 

 経験の浅かったピアノについては何とか形にすることが出来た。ただ、その代わりに歌の方についてはほぼ手付かず。本番のみの一発勝負となっていた。

 幸いにして、演奏する曲はトワもよく知っている。往年の名曲『星の在り処』。本土から離れた残され島でも流行ったことがあるようで、何度か歌ったこともあり歌詞も覚えている。これなら何とかすることもできるだろう。

 

「やれることはやったんだもの。後は全力を尽くすだけだよ」

「……ああ、その通りだ。最高の演奏会にしてみせようじゃないか」

 

 トワの言葉にハイベルも気合を入れ直したのか、本番を前に威勢のいい啖呵を切って見せる。その意気だ。他の部員たちにもその空気は伝播し、自然と全員がいい表情となる。

 やがて準備も完全に整い、観客もそれなりの数に。定刻を迎え、司会を引き受けてくれたシスター・オルネラが開演を告げる。

 

「それではお聴きください。吹奏楽部の皆さんによる『星の在り処』です」

 

 パラパラとした拍手がやみ、礼拝堂に静かな空気が満ちる。ふう、と息を一つ。トワはゆっくりと鍵盤に指を走らせた。

 どこか物悲しいメロディの前奏。曲の世界に染められていく中で、トワは歌声を紡ぐ。

 それは、愛する人との別離の歌。どこかへと消えてしまった人を想い、再び出会うその日を願うもの。

 後追うようにハイベルのヴァイオリンが奏でられ、他の部員のフルートなどの管楽も続く。静謐な空間に響く音色に、いつしか観客たちはただ聴き入っていた。それだけ吹奏楽部の演奏が素晴らしいものだったのもある。けれど、同じくらいトワの歌声にも彼らは感じ入っていた。

 トワ自身が言った通り、彼女の歌の技術自体はそれなりだ。人並よりは上手いだろうが、帝都の歌劇場で活躍するようなプロには及ばない。

 だが、その歌声には技術だけでは語れない想いが乗せられていた。別離の悲しみ、ありし日々の喜び、再び出会う日を願って足を踏み出す希望。ありありと伝わる感情に心動かされ、言葉もなく聴き惚れる。

 愛する人を探して、星空へと舞い上がる。

 澄んだ歌声と豊かな音色が最後の旋律を奏で、迎える曲の終わり。一礼したトワたちに大きな拍手が降り注いだ。

 

 

 

 

 

「本当にありがとう、トワ。おかげで期待していた以上の演奏ができたよ」

 

 演奏が終わった礼拝堂。今は子供たち向けに音楽教室をやっている傍らで、ハイベルが改めてトワにお礼を告げていた。

 実際、トワは彼の想像以上に演奏会を良いものにしてくれた。期待していなかったわけではない。ただ、彼女はそれ以上のもので観客を魅せてくれた。共に演奏していたハイベルも、許されるのなら聞き惚れていたことだろう。

 そんな絶賛の言葉を浴びる彼女自身はといえば、照れ臭そうにはにかむばかり。褒められるのは嬉しいが、どうにもこそばゆかった。

 

「役に立てたのならよかった。ハイベル君のヴァイオリンも綺麗だったよ」

「はは、それはどうも……それにしても真に迫る歌い口というか、心揺り動かされるものがあった。どういう風に教わったんだい?」

 

 そう問われて、トワは「んー」と少し言葉を濁らせる。

 教えてくれた彼女(・・)のことを言わなければ大丈夫だろう。教会との盟約から線引きを行い、自身が受けた教えを口にした。

 

「私に歌を教えてくれた人はね、声の出し方とかそういう技術も鍛えてはくれたけど、それより心を籠めて歌えることを大事にしていたんだ」

 

 思い返すのは最初に歌の教えを請うた時のこと。深淵の大陸の管理者、《歌巫女》と呼ばれる彼女はまだ幼い頃のトワに念を押すように言ったものだ。

 

「『歌は想いを表すためのもの。上手いだけじゃなく、心を伝えられるようになりなさい』……エリスは、エリスレットはそんな風に教えてくれたよ」

「想いを表す……それなりに音楽に身を置いてきたつもりだけど、あまり考えたことはなかったな」

 

 エリスレットの言葉を噛み締めるハイベル。技だけでなく、そこに心があるか。それは彼にとっても考えさせられるものがある教えだった。

 歌に限らず、音楽とは芸術であると同時に表現方法でもある。如何に美しく旋律を奏でるか追及する側面の他に、如何にして自身の中にある想いを音に乗せて伝えるかも真理の一つであることには間違いないだろう。

 自分はどうだろう? 胸の内に問うたハイベルは答えが見つからなかった。ヴァイオリンの腕前を磨くことに腐心してきたが、それで何を伝えるか彼は明確なものを持たなかった。

 

「それでもいいんじゃないかな? 今は分からなくても、いつかハイベル君にとっての音楽が見つかれば」

 

 だが、それは恥じることではない。トワもハイベルもまだまだ未熟者だ。有する力は粗削りで、確固たる意志を持たず、だからこそ成長していくことが出来る。

 自分たちは学生だ。完全ではなく、完成しているはずもない。それは、これからの学びを通して辿り着くものなのだから。

 

「僕の音楽、か。見つけられると思うかい?」

「勿論。ハイベル君ならきっと大丈夫だよ」

「はは、じゃあ期待を裏切らないよう頑張らないとね……おや」

 

 何の疑いもなく言い切るトワに、ハイベルは苦笑しつつも嬉しく思う。

 そんな二人のもとに近づいてくる人影。演奏会に来ていた観客の子供たちだ。音楽教室の輪から外れたところにいたトワとハイベルに、彼らは目を輝かせて話しかけてくる。

 

「ねえねえ、お兄さんのヴァイオリンも教えてくれませんかっ?」

「わ、私もお姉さんみたいに歌ってみたい!」

 

 口々にせがんでくる子供たち。二人は目を見合わせると笑みを浮かべた。

 自分たちの音楽がどういうものかはまだ分からない。けれど、音楽の楽しさを伝えることには不足ないはずだ。

 子供たちに手を引かれ、トワとハイベルもまた音楽教室の賑わいに混ざっていくのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

【折れない剣】

 

「はい、皆さんおはようございます。それでは今日も程々に頑張って……おや~?」

 

 朝の1年Ⅳ組。SHRで教壇に立つ担任のトマス教官はいつも通りに間の抜けた声で挨拶をして、ふと視界からの違和感に首を傾げる。

 

「ロギンス君がいませんねぇ。誰かご存じないですか?」

 

 着席する生徒たちの中で一つだけポツンと空いた席。そこに座るはずの強面で少々荒っぽい性格のロギンスは、始業の時間になったにも関わらず姿を現していなかった。

 体調不良なら誰かしらにその旨を告げているはずだ。ところが、トマス教官の質問に答えるものは誰もいない。つまるところ、ロギンスは無断欠席であった。

 困りましたねぇ、と肩を竦めるトマス教官。どうにも気の抜けた風体であるためか、あまり困っているようには見えないが。

 

「昨日の今日で問題行動とは参りましたね。下手したら僕が教頭に怒られちゃうじゃないですか」

「……何かあったんですか?」

 

 無断欠席以外にも問題があるかのような口ぶりだ。トワが疑問を率直に口にすると、トマス教官は少し失敗したとでも言うように眉尻を落とした。

 

「あー……あまり吹聴することじゃないんですけどね。ロギンス君、昨日にちょっと暴力沙汰を起こしかけちゃったようで」

 

 ざわり、と俄かに教室が波立つ。トマス教官がすぐに「未遂ですから、そんな騒ぎ立てることじゃないですよ~」とフォローするが、気にするなという方が無理な話だ。当の本人が姿を見せていないのだから尚更である。

 しかしながら、それ以上は話すつもりはない様子。ロギンスを見かけたら職員室に来るよう伝えてほしいと告げて、それでSHRは終わりとなる。トマス教官はすたこらさっさと立ち去ってしまった。

 学院側としては色々と苦慮する部分があるのだろう。今回は未遂だったとはいえ、本当に生徒が傷害事件でも起こしたら厳しい対応を取らざるを得ない。トワたち生徒側としても穏便に済ませようとする意向は理解できる。だからこそ気になるものはあっても、必要以上に騒ぎ立てることはしなかった。

 

(どうしちゃったんだろう、ロギンス君)

 

 改めて空席に目をやったトワはクラスメイトのことが心配になる。模擬戦で一蹴した経緯があったせいか、自分にはつっけんどんな態度だった彼。普通なら必要以上に関わり合いになりたくないと思うようなところだろうが、底抜けのお人好しとしては逆に気に掛けてしまう手合いだった。

 といっても、現状として彼がどうしているかもわからない以上は手の出しようがない。放課後になったらそれとなく聞き込んでみようかと考えるのが精々である。

 

「トワ、ちょっといい?」

 

 不意に声がかかった。目を向けると、そこには何やら微妙な表情をしたエミリーが。

 

「どうかしたの?」

「いや……なんかよく分からないけど、あんたにお客さんみたいよ」

 

 エミリーが指差す方向に視線を移す。その先で彼女の表情の理由を知ると共に、頭の上に疑問符が浮かぶ。

 白の制服に背中まで伸びる金糸の髪。貴族生徒きっての女傑が教室の前でにこやかに小さく手を振っていた。

 

 

 

 

 

「珍しいね。フリーデルちゃんがわざわざ訪ねてくるなんて」

「まあ、そうね。というより初めてかしら」

 

 場所を廊下に移した二人。トワの言葉は抱いて当然ともいえる感想であった。

 彼女――フリーデルとは知らない仲ではない。アンゼリカという共通の友人がいることもさることながら、お互いに剣の腕が立つことも似通っている。そうした縁もあって何度か手合わせをしたこともあった。

 しかし、よく顔を合わせる仲かというと首を傾げるところだ。たまたま会った時に言葉なり剣なりを交わす関係。二人の交友はそんな付かず離れずのものである。

 だからこうしてⅣ組にまでわざわざ足を運んだことを不思議に思う。それはフリーデル自身も認めるところらしく、可笑しそうに含み笑いを漏らした。

 

「ちょっとトワに手伝ってほしいの。ロギンス君、知っているでしょう?」

 

 思わぬ名前が出てきたことで目を瞬かせる。先ほどまで考えていた彼のことが何か、と疑問に感じると同時に思い当る。フリーデルとロギンスには少なからず関りがあったことに。

 

「もしかして、フリーデルちゃんも昨日のことを聞いたの?」

「ええ。貴族生徒と何か揉めたそうよ。その当人は、どうやら姿を見せていないようね」

「うん……ロギンス君、何かあったのかな」

 

 二人は同じフェンシング部。その繋がりで気に掛けて、こうしてⅣ組にまでやって来たのだろうか。ロギンスの方からはあまり良い感情を向けられていないようだが、フリーデルの方としてはその限りではないのかもしれない。

 内容が内容だけに言葉をぼかして昨日の出来事について話す。教室内に目をやったフリーデルにトワは俯きがちに頷いた。

 

「何かあったというより、遠因は私たちでしょうね」

 

 いきなりそんなことを言われて、トワは「えっ」と慌てる。知らず知らずのうちに傷つけるようなことでもしてしまっていたのだろうか。

 

「私たち、揃って彼を負かしたでしょう。私見だけど、どうもそのことが原因で色々と拗らせているようね」

「確かにそんなこともあったけど……それくらいで?」

 

 ところが、フリーデルの口から出てきたのは思いのほか単純な事実であった。それはそれとして認めながらも、トワはピンと来なくて首を傾げる。

 剣に限らず、武術を学んでいれば敗北を喫することなど何度でもあるだろう。それを糧にするならともかく、いつまでも引き摺っているのは建設的ではない。少なくとも、トワはそこのところの切り替えは早い方だと自覚している。

 それが、どうもロギンスは違うらしい。実際の彼の心中を窺い知ることはできないが、フリーデルの見立てだとそのようなものとされていた。今一つ共感は持てないが、他に心当たりもないので的外れではないのかもしれない。

 

「まあ、ロギンス君が思ったより糞雑魚ヘタレメンタルだったのはこの際仕方がないわ」

「く、糞雑魚って……」

 

唐突な罵倒に思わず苦笑い。否定はしなかったが。

それはともかく、とフリーデルは言葉を続ける。

 

「せっかく手応えのある相手がこのまま腐ってしまうのは勿体ないわ。どうにか立ち直らせようと思うのだけど、あなたもいてくれたら都合がいいのよね。どうかしら?」

 

 二人に負けたとはいえ、ロギンスも学院生の中では腕が立つ方だ。その剣をこのままにしておくには惜しい。フリーデルが彼のことを立ち直らせようとする理由はそんな我欲混じりなものであった。

 理由はともあれ、トワもロギンスがこのままでいることは望んでいない。自分が役に立つことがあるのなら、手伝うことに否はなかった。

 

「うん。私にできることだったら任せて」

「ふふ、ありがとう――少々、荒療治になるから」

「……?」

 

 迷うことなく引き受けてくれたトワにフリーデルは笑みを浮かべる。彼女がポツリと呟いた言葉の意味を理解するのは、肝心の立ち直らせる方策を聞いた時。既に引き返すことも出来ず、諦めて進むしかない頃であった。

 

 

 

 

 

「ちっ……いったい何だってんだ」

 

 夕刻、ロギンスは傍目から明らかなくらい苛立ちながらも歩を進めていた。目指す先はギムナジウムの練武場。無断欠席はすれども部活には顔を出しに、というわけではない。そもそもフェンシング部にはかれこれ二ヶ月ばかりは出ていなかった。

 では何故かというと、それはいつの間にか寮の自室に滑り込まされていた一通の書置きにあった。

 

――放課後、練武場で待っているわ。来るか来ないかはご自由に。

 

 末尾に忘れたくても忘れられない女の名が記されたそれは、もはや書置きというより果たし状の一種であった。目にしたロギンスが盛大に顔を顰めたのは言うまでもあるまい。

 無視することも選択肢の一つだっただろう。だが、彼は結局こうして指定された場所へと向かっている。わざわざこちらの自由に任せているところが煽られているようで気に食わなかったのもあるが、何よりの理由は差出人にあった。

 ロギンスはフリーデルに負けた。言い訳のしようもなく、完膚なきまでに。

 それを思い返すたびに、胸中に如何ともしがたい靄のようなものが広がる。何をするでもなく苛立ち、元から大して長くもない気はさらに短くなった。昨日の暴力沙汰になりかけた諍いも、常ならば無視できる貴族生徒の下らない囀りに血が上ったせいであった。

 つまるところ、彼はプライドを粉微塵にされたことによる感情を持て余しているのだ。地元では年上相手にも負け知らずだっただけに、同年代相手に敗北を喫するという挫折に折り合いがつけられずにいる。

 そんなところに苛立ちの原因からの誘い。粉々にされたとはいえ、なけなしのプライドがそれを無視することを許さなかった。

 部活に励む生徒たちが行き交うギムナジウム。眉間に皺の寄った強面に自然と道が開けられていく中、練武場に辿り着くのはすぐだった。人払いでもされているのか、フェンシング部が活動している様子はない。

 あの女が何を企んでいるのか。懸念はあれども、今更になって引き返すという手はない。ロギンスは乱暴に練武場の扉を開けた。

 

「あ、来た」

「言ったでしょう。素っ気ない方が釣られてくるって」

 

 そこにいたのはフリーデルだけではなかった。栗色の髪に小柄な身体のクラスメイトが、姿を見せたロギンスに間の抜けた表情を晒していた。

 思わず眉間に刻まれた皺の数が増える。彼女――トワもまた、ロギンスのプライドを滅多打ちにしてくれた一人であった。俊敏かつ変幻自在な剣技の前に、手も足も出ずに敗れ去った記憶は拭い難い屈辱だ。

 

「言われた通りに来てやったが……ハーシェル、何でお前までいやがる」

「私がお誘いしたからよ。その方が面白いでしょうから」

 

 低く問い詰めるような声への返答は、向けられた先とは違う方から返ってきた。フリーデルはいつも通りの穏やかながら胡散臭さを孕んだ笑みを浮かべている。

 

「ご足労ありがとう。それじゃあ始めましょうか」

「おい、急に呼びつけておいて何を――」

 

 瞬間、ロギンスに向けられたのは言葉ではなく剣の切っ先だった。

 虚を突かれて声を失う。手にしているのはフェンシング部で扱っている模擬剣だが、身体に突き刺さる戦意は本物だ。

 フリーデルは相変わらず穏やかに笑んでいる。笑みのままに向けられる剣にどこか薄ら寒さを感じた。

 

「最近、部活だと刺激がなくてね。試しにこの三人で乱取りをしてみようと思うの」

 

 ついにこの女も気が狂ったのだろうか。乱取り――すなわち、三人入り乱れての打ち合いである。鍛錬を目的とするならまず取らない形式。ロギンスには彼女が何を考えているのかさっぱり分からなかった。

 どういうことだと隣のトワに視線で問いかける。その先の相手は、まるで仕方ないとばかりに諦め調子に苦笑していた。

 

「本当ならどうかと思うのだけど……手伝うって言っちゃったからね。私も付き合うよ」

 

 そう言って彼女までも模擬剣を構えるものだから堪ったものではない。個性派揃いの学院でも随一の良識持ちであるはずの才媛がどうしたことか。あまりの暴挙にロギンスは眩暈を覚えそうだった。

 

「お、お前ら何だってんだ。こんなことしたって何も……」

「つべこべ言わずに剣を取りなさい」

 

 言い募ろうとした途端にピシャリと弾き返される。有無を言わせぬ口ぶりにロギンスは今度こそ閉口した。

 

「語ることがあるのなら剣で語りなさい。それに、あなたにとってはリベンジのチャンスでもあるのよ? 一対一よりは目があるでしょうしね」

 

 ぶちり、と頭の中で何かが切れた音がした。

 暗にロギンス一人では足元にも及ばないという言いよう。そこまで挑発されて理性的でいられるほど彼は我慢強くない。

 この際、フリーデルが何を考えていようが知ったものか。堪忍袋の緒が切れたロギンスは壁に掛けられた模擬剣を荒々しく掴み取る。お望み通り、その澄ました面に一発くれてやると睨み据えた。

 

「ああ、そうかよ……痛い目見ても知らねえぞ」

「それは楽しみね。出来るのなら、だけど」

「うう……何でこんな喧嘩腰に……」

 

 剣を向け合う三人。泰然に、苛烈に、憂鬱に。面持ちは異なれど構える姿に油断や遠慮はない。それは胃が痛そうな声を漏らすトワも同じであった。

 合図は要さない。睨み合いの状態からしびれを切らしたロギンスが一歩踏み込めば、それを狼煙にフリーデルとトワも剣を振るう。ルール無用の乱闘の始まりだ。

 

 

 

 

 

 フリーデルは一対一でなければロギンスにも勝ちの目があると言いはしたが、彼が二人に一歩劣る以上はそう都合よくはいかない。この模擬戦の形式が必ずしも有利に働くとは限らないのだから。

 要するに、これなら自分にも付け入る隙があるという考えは浅はかということだ。

 

「がっ!?」

 

 剣戟の坩堝より吹き飛ばされた身体が練武場を転がる。立ち上がろうとして、訴えかけてくる鈍い痛みに呻き声が漏れた。這いつくばったままにロギンスは顔を歪める。

 何が付け入る隙だ。裏を返せばそれは相手も同じ。及ばない自分が真っ先に叩き潰されるのは目に見えていたことではないか。

 ものの数分の間にロギンスは如何に甘い考えをしていたか思い知っていた。二人が争っている隙をハイエナのように狙っても、それを見逃してくれる道理などあるはずがない。下手に機を窺っていたせいで、彼は抵抗も空しくこうして以前と同じように倒れている。

 模擬剣の打ち合う音。トワとフリーデルの剣閃の応酬が続く。縦横無尽に駆ける裂空の刃を洗練された妙技が迎え撃つ。

 二人の間には笑みがあった。伯仲する勝負、剣の腕を競い合う高揚、ただ互いを高め合うことに傾注する彼女らはそれぞれだけしか見ていない。

 ――まるで、ロギンスのことなどいないかのように。

 

(ふざけんな!!)

 

 拳を突き立てる。痛みを噛み殺して身体を起こす。

 認めよう。自分は彼女たちより弱い。そんな弱さを受け入れられなくて周りに当たり散らすような軟弱野郎だ。

 だが、それでも彼女たちの眼中にも映らないのは認められなかった。及ばないのは分かっている。一朝一夕で縮まる差でもあるまい。だからといって取るに足らない、歯牙にもかけられない存在でいることは何よりもロギンス自身が許せなかった。

 取り落としていた剣を再び手に取る。痛む身体に鞭を入れて立ち上がる。

 どうすればいい? 彼女たちの目を奪うにはどうすればいい?

 

「うおああああぁぁっ!!」

 

 決まっている。剣を相手には、剣でしか語れない。

 何度打ち倒されようと構うものか。どれだけ敗北に身をやつそうとも知ったことか。愚直な自分はこれしか手段を知らないのだから。

 毀れようと、曲がろうとも、決して折れない剣を示し続けるまでだ。

 雄叫びを上げて剣舞の中へと突っ込んでいく。荒々しくも確かな意思を持った剣で、己を示さんと咆哮する。

 

「――そうよ、そうこないとねっ!!」

 

 金糸の麗剣が猛々しい笑みを浮かべる。ちょっと困ったような色を浮かべながらも、頬を緩めるのは小さな少女も同じ。

二人の目が向けられる。手荒い歓迎がロギンスを迎え入れた。

 

 

 

 

 

「まったく……稽古をするのは結構ですが、もう少し考えてやりなさい。こうも擦り傷だらけになられてきては私の方が堪ったものではありません」

 

 ベアトリクス教官からそんな苦言を呈された三人は、反省を述べつつも保健室から退室する。一人は苦笑い気味に、一人は仏頂面で、一人は本当に反省しているのか怪しい艶めいた笑みを湛えながら。トワとしては教官の諦めたようなため息が申し訳なかった。

 乱取りを終え、暴挙に等しい模擬戦で多少なりとも傷をこさえた彼女たちは保険医のベアトリクス教官の世話になっていた。最も消毒液でその身を沁みさせたのがロギンスであることは言うまでもあるまい。

 さて、と廊下に出たところで一区切り。フリーデルが実に満足げな笑顔で口を開く。

 

「久々に楽しめたわ。機会があればまたやりたいところね」

「あ、あはは……私はしばらくいいかなぁ」

 

 吐いた言葉は飲み込めなかったのでフリーデルの注文通りに手伝ったわけだが、まさかこんなことになるとは想像していなかった。結果的に良かったにしても、正直なところ今後はご遠慮願いたいところである。

 

「同感だ。突拍子もないことに付き合わせやがって」

「あら? その割にはロギンス君、良い表情をするようになったと思うのだけど」

「…………ちっ」

 

 忌々し気に舌打ちするロギンス。そんな彼に、トワは頬を緩めるだけで何も言わなかった。彼女の目から見ても、つい先ほどまでの彼から随分と険が取れたように窺えたから。

 それは本人としても認めざるを得ないところだったのだろう。大きくため息を吐いたロギンスは諸手を上げて降参する。

 

「……分かったっての。どうもお手数かけました! けっ!」

 

 観念した彼にトワとフリーデルはますます笑みを深める。温かいものを含むそれを向けられる相手は悔し気に肩を震わせた。

 

「くっそ、いい気になりやがって。そのうち吠え面かかせてやるから覚えとけよ……」

「ふふ、それは楽しみね。私はいつでも歓迎よ」

「うーん、また荒れそうなことを……二人とも程々にね」

 

 フリーデルは自然と煽るようなことを口にするものだから、トワとしては冷や冷やものである。加減は弁えていると思うのだが、どうにも心臓に悪い。

 そんな風に部外者面していたのがいけなかったのだろうか。ロギンスの目が不機嫌そうな色でトワを睨みつける。

 

「何言ってやがんだ、ハーシェル。お前にだって借りは返してやるからな」

「ええ? 借りって、そんな大げさな……」

「うるせえ。手始めに今度のバレスタインの授業で覚悟しておくこった」

「面白そうね。そうだ、教官に頼んだらこちらのクラスと合同授業になったりしないかしら?」

 

 それは勘弁、とトワもロギンスも真顔になる。何が楽しいのか、フリーデルはころころと笑っていた。

 それぞれが歩む剣の道。技も違えば、そこに籠める意思も異なる。だが、こうして道を交える学院での日々は間違いなく三人の糧となるものであった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

【ヴィンセント・フロラルドの遥かなる挑戦】

 

「フハハハハ! よくぞ来た、ハーシェル嬢! まずは臆せずにこの場に来たことを褒めてつかわそう」

「はあ、どうも」

 

 とある日の放課後、グラウンドを訪れたトワを迎えたのは芝居がかった調子でそんなことを宣うヴィンセントであった。何とも言えない気持ちに返事が気の抜けたものになる。

 わざわざグラウンドの中央に陣取っている彼。部活動の予定がない日を選ぶあたり、一応は周囲への配慮の念はあるのかもしれない。或いは演出の都合を考えてだけのことか。本人の様子からはいまいち判別がつかず、隣で黙して佇むメイドのサリファからは尚更である。

 まあ、それはどうでもいいことだろう。理解の及ばないことをまずは脇に置いて、トワはいつも通りに気障な同級生に向き合った。

 

「フフ……長き渡った我らの戦いもこれで終幕かと思うと名残惜しいな」

「長きって、ここ二ヶ月くらいの話だと思うのだけど」

「だが、容赦はせんぞハーシェル嬢! 今日この日をもって、そなたはこのヴィンセント・フロラルドに敗北を喫するのだ!」

 

 駄目だ、まるで話を聞いていやしない。ヴィンセントは舞台俳優のごとく大仰な身振りでトワの突っ込みを華麗にスルーした。

 こうなった彼が止まらないのはよく知っている。ちょっぴり嘆息しつつも、まずは彼が望む勝負の決着をつけようと脇に抱えた鞄の中身を探る。

 

「空の女神も照覧あれ――いざ、オープン!!」

 

 同時にヴィンセントも懐より何某かを取り出す。どう考えても大袈裟すぎる前口上を経て、二人は互いに取り出したものを示し合った。

 

 

 

政治経済・小テスト

Ⅳ組 トワ・ハーシェル     100点

Ⅰ組 ヴィンセント・フロラルド 95点

 

 

 

「ぐはぁっ!?」

 

 不可視の衝撃を受けたヴィンセントがたたらを踏み膝を折る。あまりにオーバーなアクションに当初は慌てたものだが、今では慣れたものである。トワはいまいち反応に困りながらも落ち着いたものであった。

 

「馬鹿な……! あのハインリッヒ教頭が今回は難しいと公言していたにも関わらず……満点だと!? 必勝を期したはずが、これは想定外すぎる……!」

「うん、まあ確かにいつもよりは難しかったけど、ちゃんと授業聞いていれば分かる内容だったし」

 

 事も無げに言ってはいるが、他の生徒は大半が渋面を浮かべていたのが事実である。この場合、ヴィンセントは相手が悪かったという他にないだろう。

 さて、どうしてこんな寸劇が行われることになったかというと、その始まりは五月にまで遡る。ファンクラブを作りたいと無茶苦茶言っていたヴィンセントを絆して、まずは定期テストを制することで華麗なる姿を見せつけようとその場は丸く収まった。

 ところが、知っての通り定期テストで首位に名を飾ったのはトワ。ヴィンセントは、それはもう滅茶苦茶悔しがった。ちなみに彼は三位。二位はフリーデルである。

 それ以来、彼はこうして事あるごとにトワへ勝負を仕掛けてきていた。こうした小テストだったり、水練での記録だったりと至って健全な内容なのでトワとしても無下にはしたくないのだが、あまりに頻繁にやってこられると少し困ってしまう。

 どうやら今回はかなり自信があった様子。それだけにショックも大きかったらしい。いつもなら、ものの数秒で立ち直るところを未だに地に手をついていた。

 

「流石でございますね、ハーシェル様。そしてヴィンセント様、此度も清々しい負けっぷりでございます」

「サリファっ! そなたはどちらの味方なのだ!」

「勿論、この身はヴィンセント様の味方。今のは単なる事実確認でございます」

 

 サリファの飄々とした返答にヴィンセントはぐぬぬと臍を噛む。どうも、このメイドは主人をおちょくる悪癖があった。忠誠心があるのは確かなのだが。

 ともあれ、今回のところはこれで仕舞いだろうか。それなりに忙しい身であるトワはそろそろお暇しようと鞄を抱え直した。

 

「じゃあヴィンセント君、今日はこれで――」

「待たれよ!」

 

 と思ったのだが、そうは問屋が卸さない様子。振り返った先でヴィンセントは決然とトワを見据えていた。

 

「淑女相手にこの手は取りたくなかったが……大見得を切った以上、このまま終わってはフロラルドの名が廃る!」

 

 いつもより演出過多とは思っていたが、どうやら彼なりに気合を入れていたらしい。普段からも演技がかっているせいで分かりにくい。

 そんな事情もあって引っ込みがつかなくなった様子のヴィンセント。くわっ、と目を見開くや準備のいいサリファがケースから取り出していたものをその手に取った。

 

「ハーシェル嬢、そなたに決闘を申し込む!!」

 

 向けられるは一振りの槍。その穂先を見て、トワは目をパチクリとさせた。

 

「えっと……悪いけど、そういうのは」

「ハーシェル様」

 

 トワがヴィンセントを無下に扱わなかったのは、彼が挑んでくる内容が学業の範疇だったから。それが決闘などという格式ばった方向に逸れるというのなら、彼女としてはあまり気乗りしなかった。

 だから断りを入れようとしたところで、サリファが声を挟んでくる。すっと滑るように隣まで来た彼女が小声で囁き掛けた。

 

「気が進まないのは承知でお願い申し上げます。どうかヴィンセント様にお付き合い下さいませんか?」

「うーん……でも、なんだか後に尾を引きそうといいますか……」

「良くも悪くも単純な方なので後腐れはしないかと。万が一の場合はわたくしめの方でフォロー致しますので……何卒、お願い致します」

 

 依然として乗り気になれないのは変わらない。しかし、こうも頼まれては断れないのがお人好しと称される所以であった。トワは肩を竦めると、抱えていた鞄を置いて腰の得物へと手を伸ばす。

 

「これっきりだからね? 結果はどうあれ、文句はつけないでよ」

「無論だ。ヴィンセント・フロラルドの名に懸けて、この場で決着をつけると誓おう」

 

 ナルシストで芝居がかった彼の言葉はどこまで本気か分からない。或いは、その全てが本気なのか。心を読めでもしない限り、それを判別するのは難しい。

 ならば、ここで見極めるつもりでやろう。仕方なくという態であれども、受けて立った以上は本気でやるまで。彼の槍から何か感じ取れるものもあるはずだ。

 

「じゃあ――私も、遠慮は無しでいくよ」

 

 刀を抜き放つ。トワはその温厚な瞳を戦意に染めた。

 

 

 

 

 

「くっ……さ、流石だ……」

 

 数分後、ヴィンセントはグラウンドに大の字で倒れていた。息を荒げながらも称賛を口にする姿から、勝敗は語るまでもないだろう。

 ふう、とトワが少し乱れた息を整えて納刀する。二枚目半を通り越して三枚目な普段の言動からは想像しづらいが、ヴィンセントの槍の腕前は中々のものである。簡単に勝ちを拾わせてはくれなかった。

 

「口惜しい……っ! 未熟なこの身では学年の頂点には手が届かぬか……」

 

 倒れたまま拳を打ち付けて悔しがるヴィンセント。自身を打ち倒した相手に恨み言を漏らすでもなく、ただその身の力不足を嘆く。そこに嘘はなかった。

 彼の槍は真っ直ぐだ。歪むことなく、ただひたすらに頂にあろうと突き進む。刃を交わす中でそう感じ取ったからこそ、トワは不思議に思った。どうしてそこまで、と。

 気付けば、その疑問は自然と口に出ていた。

 

「ねえ、ヴィンセント君は何でそんなに頑張るの?」

「む? 私がヴィンセント・フロラルドであるからに決まっていよう」

 

 返答は要領を得なかった。首を傾げるトワの様子からそれが伝わったのだろう。ヴィンセントは「ふむ」と少し考えてから言葉を続けた。

 

「私はフロラルド伯爵家の嫡男、将来は領主となる身だ。であるからには、民にも臣下にも恥じぬ貴族であらねばならん。強く、賢く、優雅たらんとするのは当然だろう」

 

 その答えに、ついポカンと口を開けてしまった。

 意外だった。ナルシストで気障な彼が、そんな真面目なこと考えていたなんて。失礼な話ではあるが、もっと自分本位な理由だと思っていたから。

 しかし、なるほど。そう考えれば納得もいく。勉学にしても武術にしても優れたものであらんとする向上心。優雅さに関しては……少々、空回っているのは否定できないが、気持ち自体は立派なものだろう。

 そっか、とトワが呟く。続く言葉は意識せずに出てきた。

 

「凄いんだね、ヴィンセント君は」

「なに?」

 

 それは嫌味でもなんでもなく、トワの偽らざる本心だった。

 自分には人の上に立とうという気概なんてなかったから、人の為に優れるべく在ろうなんて考えたこともなかったから、本気でそうであろうとするヴィンセントを凄いと思う。自分のことで手一杯なトワとは大違いだ。

 助け起こすように手を差し伸ばす。突然の称賛に意図を計りかねている様子の彼に、誠意と敬意を込めて声掛ける。

 

「そんな悔しがる必要なんてないよ。だって、ヴィンセント君には私にない良いところが沢山あるんだから」

「……フッ、そなたにそう言ってもらえるのなら、私も捨てたものではないらしい」

 

 どこか清々しい笑みを浮かべてヴィンセントはその手を取った。そこに隔意はない。トワの手を借りて立ち上がった彼は、いつも通りの気障っぽさを取り戻していた。

 

「此度は敗北を認めよう。だが、諦めはしないぞ。次なる勝負の時を心して待っているがいい、ハーシェル嬢――我が友にして至高のライバルよ!」

「あはは……うん、お手柔らかにね」

 

 どうやら今後も勝負は挑んでくるつもりらしい。この調子では、学院にいる間ずっと続くことになるのではないだろうか。

 だがまあ、そんな関係も悪くはないだろう。この一風変わった、けれど自分にはない気高い理想を抱く友人と競い合うのを楽しみに思う気持ちが胸の内に湧いていた。

 

「来年入学予定の妹君のフェリス様に、首席など容易いと見え張ってしまったものですから。ヴィンセント様も兄の面目を潰さないよう必死なのです。どうかお付き合いくださいませ」

「サリファぁっ!? それは言わない約束だろう!!」

 

 どうも締まらないのも彼の魅力の一つだろうか。目の前の主従漫才にトワは思わず吹き出してしまうのだった。

 


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