永久の軌跡   作:お倉坊主

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今年も繁忙期になりまして出張の日々。宿泊先のビジネスホテルからの更新です。閃Ⅳが発売される頃には家にいられるといいな……


第42話 またいつか

「はい、これで間違いないですよね」

 

 悪魔との熾烈な戦いを乗り越え、バリアハートに戻ってきたトワたち。遊撃士たちと手分けして事の後始末にあたることにした試験実習班は、騒動の起点となった貴族街へと足を向けていた。

 少しばかり傷のついたトランクケースを胸の前に持ち上げる。それを何とも形容しがたい表情で見つめるのはゴルティ伯爵。安心したような、苦々しいような、相反する感情がない交ぜになっているようだ。

 ユピナ草を発見し、件の失せ物を回収したことで目的は達した。後はカーテを治療しブルーノの無実を証明するのみ。前者にはエステルたちが向かい、後者にはトワたちが対応することになった。

 事情を伝えて同行を願ったブルーノは緊迫の面持ちで隣に佇んでいる。ユピナ草を見つけたことを知るや彼は涙ぐんだものだが、諸手を挙げて喜ぶにはまだ早い。子供たちは先に教会へ行かせたものの、彼はこの気難しい主人の疑念を晴らさなければ万事解決とはいかないのだ。

 

「ぐ、ぬぅ……た、確かに間違いはないが……」

 

 といっても、こうして失せ物の現物がここにある以上は嫌疑のかけようもない。ブルーノの横領は濡れ衣と考えるほかにないだろう。

 あの悪魔の実在に関しては、実際に戦ったトワたちの証言しかないので信じてもらえるかは疑わしい。異界の存在故に消え失せてしまったので物的証拠はないのだ。そこは仕方がない。

 だが、もとよりゴルティ伯爵がブルーノにかけていた疑いは横領が主だったもの。悪魔云々に関しては副次的なものであり、信じようと信じまいと大きな問題はないはずだ。

 

「なんだ、煮え切らねえな。まだ気に入らねえことでもあるのかよ」

「少々、傷がついていることくらいは見逃してほしいものだがね」

 

 その考えは間違いではないはず。はずなのだが、ゴルティ伯爵は気難しい表情を改めない。どういうことだろうとトワは内心で首を傾げる。

 正直なところ、謝罪は期待していない。典型的と言っていい傲慢な貴族らしい態度をとっていた彼のことだ。ブルーノの冤罪が確かになったところで、自身の非を悔い改めるような殊勝さを持ち合わせていないのは想像がつく。

 求めるべきは、彼がブルーノの潔白を認めることのみ。それについて首を縦に振ってくれれば、怪しいところはあっても深く立ち入るつもりはなかった。

 ゴルティ伯爵からしても、それで済ますに越したことはないはずだ。だというのに、この渋りよう。何か自分たちの与り知らない理由があることが察せられた。

 

「……えっと、中身の方も確認しましょうか?」

 

 何かあるとすれば、このトランクの中身か。

 一応は聞く態を取りながらも、トワの手は既にトランクを開けにかかっている。割れ物だったら大変ですし、とかなんとかのたまいながら。ごり押しである。

 途端に「ま、待て!」と焦りを見せるゴルティ伯爵。これは当たりかと思いつつも手は止めない。クロウとジョルジュがさりげなく間に入って「まあまあ」と足止めしている間に、トランクの中は露わになった。

 赤いクッションに包まれて入っていたのは、一本の掛軸。東方の様式であるそれをハンカチ越しに取り出して少し開いてみると、黒の濃淡のみで描かれた東方画が姿を覗かせた。

 見事なものだ。確か、水墨画と呼ばれるものだったと思う。共和国ならまだしも、帝国では滅多にお目にかかれない代物である。この場では叶わないものの、一室に飾れば存分にその趣を感じ取れることだろう。それこそ、社交界の自慢話の種になるくらいには。

 

「いい品ですね。ブルーノさん、これは?」

「いえ。私も受け取りに出向いただけで、詳しいことまでは……」

 

 トランクの中に丁寧に仕舞いつつ確認するも、ブルーノは首を横に振った。使いに出されただけであって、この水墨画の由来どころか何が入っているかまで知らなかったらしい。

 確かにこれは素晴らしい芸術品だ。出すところに出せば相応の価値がつくことだろう。東方画に対してそこまで造詣が深くないトワでもそれは分かる。

 問題は、そんなものがどうしてここにあるのかということ。水墨画であることから東方と縁が深い共和国由来であることは間違いない。それがクロスベルを経由して、というのならまだ分かる。だが、実際に受け渡されたのはオーロックス砦。そんなところから、どうしてこのような品が現れのだろうか。

 

「やれやれ、困ったものだね。正規の交易ルートだったら、こんなところに湧いて出るはずがないんだが」

「正規のって……ああ、そういう」

 

 意味深に肩を竦め、大仰に溜息をついてみせたアンゼリカ。その言わんとするところを理解し、ジョルジュも納得した。トワとクロウも右に同じくである。

 揃って白い目をゴルティ伯爵に向ける。彼は「うっ」と息を詰まらせると足を一歩引いた。もはや自分から黒といっているようなものだ。

 

「くっ……ええい、何をごちゃごちゃといっている! 下らん憶測を口にしている暇があったら、さっさと渡さんか!」

 

 しかしながら、ここにきてまで面の皮の厚さは流石と言ったところか。ゴルティ伯爵は白を切る腹積もりのようだった。

 実際のところ、トワたちは彼の疑惑を証明する術を持たない。状況は限りなく疑わしいが、明確な証拠は何も持っていないのだ。この掛軸一つで渡り合おうとしても、もみ消されるのがオチだろう。

 自分たちだけでは仕様のないことだ。ここは苦渋を飲み込み、ブルーノの無罪だけでも取るのが妥当な線である。

 

「ふん……憶測と決めつけるには些か早計だと思うが?」

 

 そうやって気持ちに折り合いをつけ、トランクを引き渡そうとした時だった。割って入ってくる別の声。覚えのあるそれに振り向いた先で、ゴルティ伯爵が顔を真っ青に染めた。

 

「ゆ、ユーシス様……」

「まったく……ログナー嬢、そちらの方はつつがなく成し遂げられたのか?」

「勿論だとも。奥方のこともバッチリさ」

 

 アルバレア家の次男、ユーシスは顔面蒼白なゴルティ伯爵を一瞥する。そこには苛立ちを通り越して呆れの色がうかがえた。

 が、それよりもまずは事の成否が気にかかったのだろう。彼の問いに対する返答としてアンゼリカは自信満々に親指を立てる。荷物の件に関しては見ての通り。奈落病についても、エステルたちがユピナ草を届けた後はアモン大司教に任せれば安心だ。

 何よりの結果にユーシスも「そうか」と安堵の息をつく。言葉数は多くなくとも、彼の体から緊張が抜けたことは見ていて明らかだった。どれだけ気を煩わせていたか分かろうというものである。

 

「何を、何を仰っているのですか、ユーシス様! 証拠もなしに、私が罪を犯したとでも……!」

 

 そこに空気の読めない喚き声。動揺を露わにしつつ尚もしらを切ろうとするゴルティ伯爵は、心のどこかで自分が決定的な失敗をしているはずがないとでも思っていたのだろう。そうでなければ、こうも強気ではいられまい。

 ユーシスが彼の真正面に向き直る。トワたちから見てその背中は、これは自分の役目だと言わんばかりだった。

鋭い視線にゴルティ伯爵は言葉を詰まらせる。爵位の差ではない。貴族としての差で歳の離れた大人を黙らせたユーシスは、その口から決定的な言葉を放った。

 

「あなたがミラを握らせた砦の兵は既に把握している。少し絞ったらすぐに吐いたそうだ」

「は……」

 

 頭が理解を拒んだようだった。言葉にもならない息を零したゴルティ伯爵にお構いなく、ユーシスは掴み取った事実を明らかにする。

 

「砦を介した共和国の密輸業者との売買……趣味が高じるにも限度を知るべきだったな」

 

 陸に上がった魚の如く口をパクパクさせる様子から、ユーシスが語るものが真実であることは明らか。そして、それはトワたちの推測を裏付けるものでもあった。

 この水墨画がクロスベルを介さずに来たのならば、共和国から直接持ち込まれたことに他ならない。つまり、人の往来が絶えたはずの砦の向こう側から。

 確かにクロスベルを介せば共和国の美術品の類も手に入るが、それは高価で、数も限られている。帝国に至り自身の手元に入るまで関税はもとより、幾つもの仲介業者を経て値が吊り上っていることは想像に難くない。そもそも共和国内でも貴重な品であれば、帝国に流れ着くのはそれこそ稀なことだろう。

 それでも東方の美術品を手に入れたいならどうするのか。単純な話である。非合法な手段に手を染めてしまえばいい。

 おそらくは、共和国内にもそうした手合いを狙い目にした商売を行っている者たちがいるのだろう。美術品の類はミラが付きやすい。法律や倫理を度外視すればいい飯の種だ。

 

「師匠から、向こうの東方人街には巨大な犯罪シンジケートが存在すると聞いたことがある。そうした手合いの資金稼ぎの一環かもしれないね」

「なるほどねぇ……こうして実際に食いついている奴がいるんだから、稼ぎの手段としては悪くないのかもな」

 

 クロスベルを介するより安価で、しかも貴重な品が手に入る。好事家にとってこれほど魅力的な誘い文句もないだろう。

 砦の兵士を買収し、国境付近で密輸品の取引を代行。その後、人の目に触れないよう夜半に使いを送り回収する手筈だったのかもしれない。

 ところが、実際には使いとして送ったブルーノがユピナ草を探して道を外れた結果、悪魔に遭遇して密輸品の水墨画を紛失。怒り心頭となっていたところ、アルバレア家が出張ってくる大ごとになってしまい、ブルーノに冤罪を擦り付けることで密輸品の存在を隠蔽しようとしたといったところか。

 

「なんというか、その……場当たり的というか、その場凌ぎというか」

「はっきり言ってやれよ。やり口がお粗末で杜撰だってな」

 

 言葉を選んでいたトワに構わず、ずばりと言い切ってしまうクロウ。悪しざまに言われても、自らの所業が白日の下に晒されてしまったゴルティ伯爵はぐうの音も出せない。

 密輸を企てたまでは良かったものの、その後のアクシデントへの対応は明らかなミスだった。怒りに任せて往来の中で怒鳴り散らしていたのが、こうして事態を詳らかにしてしまう契機となったのだから。

 

「公爵家より追って沙汰は伝える。しばらくは大人しく謹慎しているがいい」

「か、かしこまりました……」

 

 ユーシスからの通告にゴルティ伯爵は力なく項垂れるしかなかった。とぼとぼと屋敷に引き返していく後ろ姿は、自業自得とはいえ哀れなものである。

 一仕事を終えたユーシスは深く息を吐く。それは嘆息であったのか、安堵のものであったのか。彼のことをよく知らないトワには、その心中を推し量ることはできない。

 

「お疲れ様。それと、ありがとうね。おかげで助かったよ」

 

 だが、彼の働きが事態を良い方向に動かしたのは確かだ。労いと感謝の声をかけると、少し驚いたような目を向けられた。照れ隠しのようにすぐ逸らされてしまったけど。

 

「別に……俺はただ、アルバレアの人間として為すべきことを為したまでだ。それに、ただ一人で調べ上げられたわけでもない。あなたたちの働きに比べれば微々たるものだろう」

「まったく、感謝の言葉は素直に受け取るべきだと思うがね。事の大小よりも、自分の為せることを為したことが肝要じゃないかい?」

「そうだね。僕たちには砦のことなんて調べようもなかったわけだし」

 

 アンゼリカとジョルジュの言う通りだ。ユーシス自身、自分は大したことをしていないと思っているのかもしれないが、それは謙遜でしかない。

 ブルーノにかけられた冤罪に、カーテが患った奈落病。それらの難事に対してそれぞれができることを成し遂げたからこそ、こうして万事解決することができたのだ。そのことを誇りこそすれ、卑下する理由などないだろう。

 

「ま、坊ちゃんもよくやったってことでいいじゃねえか。胸を張っていいと思うぜ」

「……ふん。なら、その坊ちゃんというのは改めてほしいものだがな」

 

 まあ、彼の性格的にクロウとは違う意味で素直に喜ぶタイプではないのかもしれない。半目を向けられた我らの軽薄でいい加減な男といえば、やれやれと肩を竦めながら「そのうちな」と返すのだった。

 

「おーい、みんなー!」

 

 と、そんなところに元気な声が聞こえてくる。エステルたちが大きく手を振りながら近づいてくるところだった。一緒に大聖堂に向かったアネットとラビィも一緒だ。

 エステルたちは勿論、子供たちの表情も明るい。彼女たちの方がどうなったかなど聞くまでもないことだったが、いの一番に父親の胸に飛び込んできたラビィの声によりそれは伝えられた。

 

「おとーさん! 大司教様がね、おかーさんもう少ししたら元気になるって! おねえさんたちが持ってきてくれたお花で作ったお薬、すっごいよくきいたんだ!」

 

 アモン大司教は期待の通りに特効薬の調薬をしてくれたようだ。エステルの方に目を向ければ、自信たっぷりにサムズアップ。こちらも同じく返すことで上手くいったことを伝えると、互いに自然と笑みを浮かんだ。

 

「そうか……よかった、本当に……ぐ、うぅ……」

「お父さん……そうだね。本当に、よかった……ぐすっ」

「おとーさん? おねーちゃんもどこか痛いの?」

 

 妻が危篤を脱し、快癒の目途が立ったことでついに耐えられなくなったのだろう。ブルーノは男泣きし、アネットもつられて涙を浮かべる。無邪気に喜んでいたラビィだけは、どうして二人が泣いているのかまだ分からないようだったが。

 重なる理不尽に押しつぶされ、散り散りに吹き飛ばされかけていたごく普通の家族。世界を見ればよくある悲劇の一つかもしれないし、多くの人にとっては目にも留まらない些事でしかないだろう。

 それでも、こうして彼らを助けることができて良かったと思う。自分たちには手の届く範囲のことしかできないけれど、確かに悲しみの芽を摘み取ることができたのだから。

 

「……皆さん、本当に、本当にありがとうございます。私だけでなく妻も救っていただいて、なんとお礼を申し上げたらいいのか……」

 

 涙を拭ったブルーノが深く頭を下げる。その声には、もはや言葉にならないほどの感謝の念がこもっていた。

 トワたちへの恩を考えれば、この畏まった態度も理解できるものだ。とはいっても、それを向けられる側としてはこそばゆい気持ちが先立つわけで。どうにも照れくさく感じてしまうものがあった。

 

「そ、そんな改まらなくてもいいってば。ハッピーエンド万歳でいいじゃない」

「はは……まあ、水を差すようで悪いけれど、今後のことを考えればあまり手放しで喜んでもいられないしね」

 

 その気持ちはエステルも同じだったようだが、横から差し挟まれたヨシュアの言葉に疑問の目を向ける。

 

「今回の件の後も引き続いて伯爵に仕えるのは無理があるだろう? ブルーノさんたちの心情的にも、伯爵の側からしても」

「そういえば、それがあったか……失礼ですが、お仕事はどうするおつもりで?」

 

 すっかり頭から抜けてしまっていたが、もとをただせばゴルティ伯爵の使用人として務めていたからこそ今回の件が起こったといっても過言ではない。ヨシュアの言う通り、夫婦ともども今後も今まで通りというわけにはいかないだろう。

 トヴァルが当の本人に確認すると、ブルーノは薄く笑みを浮かべた。それはこれからの苦労を予期するかのようだったが、決して暗いものではない。

 

「ほとぼりが冷めたら、伯爵閣下へ正式に辞職を申し出ようと思います。職を探す間、子供たちに苦労を掛けるかもしれませんが……」

 

 妥当な結論だろう。誰だって自分を陥れようとしたような人の下で働きたいとは思わない。職を失うことは手痛いが、これからのことを考えるとブルーノには頑張ってもらうほかになかった。

 できれば何か力になりたいところだが、トワたちにそんな伝手はない。せめて応援するのが精いっぱいだった。

 

「そのことだが、少しいいだろうか」

「ユーシス様?」

 

 そこにユーシスが声をかける。不思議そうな目を向けられる中、彼は静かに切り出した。

 

「公爵家のものに聞いたのだが、ここのところ使用人の手が足りないようでな。経験のある人材を募集しているとのことだ。あなたと奥方がよければ、俺の方から紹介したいと思っている」

 

 え、とブルーノが固まる。無理もない。トワたちでさえも驚いているのだから。

 四大名門の一角に仕える使用人ともなれば、そう簡単になれるものではないだろう。高い能力が求められるのは間違いないし、信頼できる人物か審査も行われるかもしれない。

 だが、当主の子息の紹介ともなれば話は別だ。余程のことが無い限り採用されるのは決定事項である。無論、紹介してくれたユーシスの面子を守るために職務に励む必要はあるが、ゴルティ伯爵のもとにいるのとモチベーションは段違いだろう。

 

「ユーシス様のお屋敷で、お父さんとお母さんを働かせてもらえるんですか!?」

「ああ。忙しいのには変わりないが、今の待遇からの改善は約束する……どうだろうか?」

「そんな……そんな、身に余る光栄です。どうかよろしくお願いします……!」

 

 ブルーノが再び目に涙を浮かべ、子供たちはわぁっと喜びの声を上げる。最後の懸念が消えたそこには、もう何の憂いもなかった。

 これにて本当にハッピーエンド万歳、といったところか。最後にいい仕事をしてくれたユーシスは喜び合う家族の姿に穏やかな笑みを浮かべている。そんな彼を見つめる周囲の温かい視線に気付くや、咳払いをして誤魔化した。素直じゃない。

 

「んんっ……まあ、こうして解決に手を貸してくれたあなた方には感謝している。労いにと言ってはなんだが、食事でも馳走するとしよう」

「お、いいねぇ。昼飯も食い損ねて腹が減ってたんだ」

 

 時刻は既に昼時を過ぎ去り、もうじき日も傾こうかという時間帯。崖肌をよじ登りユピナ草を手に入れ、悪魔を討ち果たしてきた中で休憩する余裕など欠片もなかった。クロウが空腹を訴えるのも無理なからぬことだ。

 

「何言っているの、クロウ君。これからまた街道に出るのに」

「は?」

 

 ところが残念。ユーシスの誘いはありがたいが、試験実習班としてはお受けできない話なのだ。まだまだやることは残っているがために。

 

「ほら、今朝にもらった依頼。手配魔獣のやつが一つ残っていたでしょ。帰りの列車までに急いで片付けないと」

「え、いや……それは領邦軍に押し付けるって……」

「無理そうなら、ね。今から急いでいけば間に合う。何も問題はないだろう?」

 

 確かに悪魔の件を引き受けたときはそう言っていた。時間的に間に合うか分からなかったからだ。そして現在の時刻は夕刻前。走って行って片付け、走って帰ってくれば列車の時間にも間に合うだろう。

 領邦軍に任せてもいいが、せっかく自分たちの手でできるのならその方が収まりがいいというものだ。依頼を一つだけやり損うというのも後味が悪い。

 そんな女子二人の正気を疑うかのような目で見るクロウ。その言葉が撤回されないと知るや、味方を求めて視線はジョルジュへ。向けられた先の彼は、力のない笑みを浮かべて首を横に振った。諦めろ、と。

 

「あ、あはは……まあ、ここまできたらあたしたちも付き合うわよ」

「万が一、列車を逃したら大変だからね。人手があれば早く終わるだろう」

 

 エステルとヨシュアもこの通り。せっかくの労いの場に自分たちだけ招かれるのも後ろ髪が引かれるのだろう。後ろで「お兄さん結構疲れているんだがな……」とぼやいているのは聞き入れてもらえなかった。

 

「……だぁっ!! 分かったよ、やればいいんだろ! おら、さっさと行くぞ!」

「えへへ……うん!」

 

 八方を塞がれて逃げ道はなし。やけくそ気味に承諾したクロウが街道向けて駆け出し、その後をトワが追う。

 

「そういうわけだ。ユーシス君、またの機会に頼むよ。アディオス!」

「いつになるか分からないけどね。はぁ……」

 

 アンゼリカが挨拶もそこそこに、そしてジョルジュがご馳走への未練をにじませながら続く。遊撃士たちも遅れないように走り出した。

 ユーシスはというと、そんな彼女たちに呆気にとられるばかり。「あ、ああ……」と返事にならない返事をする合間に背中はどんどん遠ざかっていく。

 

「あの、お姉さんたち!」

 

 そんな背中に声が投げかけられる。振り向いたトワの目に映ったのは、大きく手を振るアネットにラビィ。その顔に浮かぶ笑顔には一点の曇りもなかった。

 

「本当に、本当にありがとうございました! 皆さんのこと、きっと忘れませんから!」

「ありがとー! さようならー!」

 

 子供たちの元気な声、ブルーノがもう一度深く頭を下げ、ユーシスも軽く会釈する。それぞれの感謝の意に対し、トワたちも返事として大きく手を振った。

 さあ、もうひと頑張りだ。

 晴れやかな気持ちを胸に抱き、トワたちは街道に向けて走り出すのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「なるほど、得難い経験をしてきたようだな」

 

 バリアハート、貴族街。その中でも最大の規模を誇るアルバレア公爵家の城館の一室において、ルーファスはそう頷いた。

 執務机にかける彼の前には、同じ金髪を有する少年が背筋を伸ばして立つ。今回、バリアハートにおいて起きた小さな、しかし見逃されざる事件。その顛末を弟であるユーシスから聞き届けたところであった。

 

「はい……と言いましても、大半は遊撃士、そしてログナー嬢をはじめとした士官学院の方々のおかげです。伯爵の行いを明らかにできたのも兄上の力添えがあったからこそ……自分の力不足を痛感するばかりです」

 

 そんな弟はというと、無事に事件が解決されたというのに浮かない顔だ。どうやら自身の力で為せたことの少なさを気にしているらしい。

 実際、その通りだろう。悪魔とやらにしても、ユピナ草という希少な薬草にしても、協力者たちの力が無ければ無理だったのは明らか。ゴルティ伯爵の嫌疑が明らかになったのも、ユーシスから助力を求められたルーファスが砦の司令部に捜査の指示を出したからだ。当主子息とはいえ次男……そして妾腹の子の声では、ここまで上手く事が運ぶことはなかっただろう。

 ふっ、とルーファスの口端に笑みがこぼれる。それは好ましさからくるものだった。

 

「青いな、弟よ。自らの力で事を為すのが全てではあるまい。私しかり、トールズや遊撃士の協力者たちしかり、多くの助力を得てことを為せたのをまずは喜ぶべきではないか?」

「それは……その通りですが」

「それに、そなたが無力だったということもあるまい。アルノーを説得したのは間違いなくそなたの功績だろう」

 

 ブルーノに紹介した公爵家の使用人の話。あれは確かに元からあったものだが、そう簡単に通ったものでもない。城館の管理を取り纏めているアルノーに頼み込んでもぎ取ってきたのだ。

 見方によっては、我儘とも取られるかもしれない。ルーファスに頭を下げて助力を求めてきたのもそうだ。仮に父である公爵に話を持って行っていたとしたら、まず間違いなく下らないことで手を煩わせるなと一蹴されていただろう。

 だが、自らの力不足を認めながら尚も奔走する弟の姿がルーファスは嫌いではなかった。理不尽に飲み込まれつつある民を見捨てず、自身の信じるものに正しくあろうとする姿が。そんな彼に兄として手を貸してやらないほど狭量ではない。

 

「生真面目すぎるのも考え物だな。各々が為すべきことを為し、それが結実したことを誇るべきだろう――もっとも、私などが言わなくともログナー嬢あたりが既に口にしていようが」

「……ご、ご明察の通りです」

 

 恥ずかしげに肩を小さくするユーシスに笑みを漏らす。普段は涼しげにいるが、こういうところは可愛げのある弟であった。

 さて、と話を切り替える。あまり弄り過ぎても臍を曲げられてしまう。

 

「それにしても伯爵には困ったものだな。趣味は常識の範疇で楽しんでもらいたいものだったが」

 

 美術品の密輸、それも帝国の敵として真っ先に挙げられる共和国との、である。本人は甘い誘惑に魔が差した程度の気持ちだったのだろうが、あまり軽く見られる事態ではない。

 今回は向こうの犯罪組織の小遣い稼ぎのようだったが、或いはこれが諜報組織による間諜の一環だったら。甘い誘惑に乗せられて外敵を招き入れたとなれば洒落では済まないだろう。

 買収された砦の兵士についてもしかり。ここのところ、クロイツェン領邦軍におけるモラルの低下は目に見えるものとなってきている。貴族派と革新派の対立の影響か。平民に対して攻撃的な態度をとるものが多い。加えて、今回のように規律の緩みも見受けられた。

 ――無論、領邦軍についてはルーファスも手を回してはいるが。

 

「その伯爵についてですが……兄上、本当にあれで終わりなのですか?」

 

 ユーシスからの質問に薄く笑みを浮かべる。何が、とは聞かなくても分かっていた。先ほど伝えたゴルティ伯爵の処遇についてだろう。

 

「ああ、父上の裁可だ。不満か?」

「…………」

「……ふっ、意地の悪いことを聞いたな」

 

 一連の事情を報告されたアルバレア公爵より彼に下された処罰は、一か月の謹慎と形ばかりの罰金。ただそれだけだった。

 密輸にそれを隠蔽するための罪の捏造。ゴルティ伯爵がやったことに比すれば、それは軽すぎる罰という他にないだろう。あくまで形式的なものであって、アルバレア公に本気で罰する気がないのは明らかだった。

 危うく一家の未来が閉ざされるところだったと知るユーシスは勿論納得していない。だが、父である公爵の決定に対して声高に異を唱えるのは賢くない選択だ。

 それゆえの無言の返答。分かり切っていたことをわざわざ聞いたルーファスは肩を竦めた。

 

「この頃は難しい時期だ。下手に事を大きくすれば、革新派に付け入られる隙をさらすことになる。そういった判断があってのことだろう」

 

 貴族派と革新派の睨み合いはいたるところで行われている。そんな時に一伯爵が厳罰を受けたと明らかになればどうなるだろうか。革新派はこれ幸いとばかりにこぞって叩きにかかってくるに違いない。

 大局に影響は及ばさなくとも、煩わしい面倒を避けるに越したことはない。アルバレア公の判断は昨今の情勢を考慮してのものだろうとルーファスは告げる。

 だが、納得できるかと言われたら難しいところだ。年若いユーシスには尚更である。彼は依然として難しい顔のままだった。

 

「納得しろとは言わない。ただ、今はそれを受け止め飲み干すといい。そなたの今後の成長の糧とするためにな」

「……はい、兄上」

 

 時には受け入れがたい出来事も起き得るのが人生である。重要なのは、そこから何を得るかということ。思うようにはならなくても、これからを見越して学び取れるものはあるはずだ。

 敬愛する兄の言葉で、ユーシスはようやくその表情を緩めた。

 

「ログナー嬢をはじめ、今回は多くの方に世話になりました。彼女たちに恥じぬよう――あ」

 

 これからも精進を、と続けようとしたところで、ユーシスは彼らしからぬ間の抜けた声を漏らす。どうしたことかと不思議そうな目を向ける兄に、彼は気まずそうに目を伏せた。

 

「いえ、その……慌ただしかったので、名を聞いていなかったことに気づきまして」

「ふむ」

 

 奈落病の件が一刻を争う事態だったのに加え、別れ際も相手が急いでいたので気付けばろくに挨拶もしないままだった。唯一分かるのは、以前から面識のあるアンゼリカのみ。世話になった相手の名前も分からないというのは些か格好がつかないものである。

 それを聞いたルーファスは少し考える。言っていないが、彼はそのトールズの生徒たちの実習の責任者である。名前だって当然知っているし、個人的な興味から大まかな素性も把握している。ユーシスにそれを教えるのは簡単なことだった。

 

「まあ、聞き損ねたものは仕方あるまい。それはまたの機会を待つとすればいいだろう」

 

 だが、ルーファスはあえて教えなかった。

 それは悪意あってのものではなかったが、同時に利己的なものであった。といっても、そう大した理由でもない。

 

「そなたも来年はトールズの生徒となることを志す身……先輩にかつての礼を伝えに行くという趣向も悪いものではあるまい?」

「……そうですね。悪くありません」

 

 単純な話だ――その方が面白そうだからである。

 あの小さな少女が率いる四人についても、自身がトールズに少なからず関わる身であることも、今は秘しておいた方が後々面白くなる。そんな悪戯心に似た理由でルーファスは惚けたのであった。

 対するユーシスはといえば、兄からの言葉にそれなりの意義を見出していた。彼にとってトールズへの進学とは、公爵家の子息としての義務のようなものだった。そこに自ら志す理由ができるというのなら……言葉の通り、悪くはない。

 ユーシスの面持ちが心持ち和らぐ。兄も意図しないうちに気持ちを新たにした彼は、改めて頭を下げた。

 

「重ね重ね、今回はありがとうございました。何もお返しできないのが歯痒いところですが……」

「気にすることはない。ただ、そうだな。返礼といっては何だが、我が弟が有角の獅子の学び舎で大きく成長することを、今から期待させてもらうとしよう」

「……ええ、承知しました」

 

 では失礼します、とユーシスは執務室を後にした。その背を見送り、足音が遠ざかっていくのを耳にしながらルーファスは歪んだ笑みを浮かべた。

 

「昨今の情勢――貴族派のため、か。ふふ、我ながら下らないことを口にしたものだ」

 

 思い返すのは、先ほど話したゴルティ伯爵の処遇について。ユーシスには情勢を考えてのことと言ったものの、実際のアルバレア公の心中はそんな大したものではないだろう。差し詰め、罪を罪とも思っていないに違いない。あの男(・・・)はそういう人間だ。

 これが平民相手なら容赦なく糾弾するだろうに、貴族だからという理由で正当な罰さえも与えられない。それがルーファスには下らなく思えて仕方がなかった。

 一息ついて思考を改める。下劣なことにばかり考えを割いていても仕方がないだろう。彼は執務机の引き出しから一通の手紙を取り出した。

 

「それに引き換え……こちらは、実に面白い」

 

 その手紙の差出人は、オリヴァルト・ライゼ・アルノール。今回の実習責任者を引き受けてくれたことに対する礼であり、そしてトールズ士官学院の理事就任を願うものだった。

 鉄血宰相の手を拒み、彼とは違う道を進むことを選んだ放蕩皇子。そんな彼の一手たる特科クラス、その雛型。どれほどのものかと思っていたが、なかなかどうして楽しませてくれる活躍ぶりだった。弟からの話からもそれは明らかである。

 この先、帝国が迎える激動の時代。荒れ狂う時代の奔流の中で、あの皇子とその思いを託された若人たちがどのような物語を紡ぐのか――期待していないといえば嘘になってしまう。

 無論、その先立ちたる四人の行く末にも。

 

「ダムマイアー……帝国貴族にとっての触れざるべき者(アンタッチャブル)か。ふふ、開演前の余興としては十二分といえよう」

 

 手紙の返信を書き上げるべく筆を手に取る。承諾の旨を書き綴りつつも、ルーファスの顔には自然と笑みが浮かんでいた。

 彼女たちを取り巻く帝国の闇に端を発する因縁――果たしてどのような結末を迎えるか、精々楽しみにさせてもらおう。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 壮麗な街並みが夕日に照らされるバリアハート。一日の終わりが近付く中で、人々は家路につくか或いは夜の街に繰り出そうとしている。

 トワたちは差し込む斜陽が眩い駅前にいた。そこには試験実習班の面々だけでなく、エステルたち遊撃士の姿も。最後の手配魔獣の依頼を手伝ってくれた彼女たちは、学院へと戻る四人を見送りにきてくれていた。

 

「色々ありがとうね、エステルちゃん。ヨシュア君にトヴァルさんも。おかげで助かったよ」

「いいってば、そんなの。水臭いわね。あたしたちだって、トワがいなくちゃあの悪魔を倒せたか分からないんだからお互い様よ」

 

 地下水路で偶然にも出会った彼女たち。どうしてか《光の剣匠》と剣を交えることになったり、ブルーノの一件で力を貸してもらったり、短い間にも随分と濃い時間を過ごしたように思える。

 それゆえの感謝の言葉だったのだが、気持ちはエステルも同じだったようだ。笑う彼女につられて微笑む。改めて、この気の合う友人と出会えてよかったと思う。

 

「それにしてもまあ、色々とあったが……本当に貰ってよかったのか、それ? 俺にはよく分からないが、かなり高価なものなんだろう」

 

 そういってトヴァルが目を向けるのはトワの手元にあるトランク。ゴルティ伯爵が共和国より手に入れた密輸品の水墨画であった。

 ユーシスたちと別れたときには急いでいたこともあって、うっかりそのまま持ってきてしまったこの品。先ほど、実習完了の報告の際に顔を合わせたルーファスに処分を頼もうと思ったのだが、事情を聞いた彼の口から話されたのは意外なものだった。

 

 ――それなら君たちに差し上げよう。今回の報酬というわけではないが、公爵家で預かっても腐らせてしまうだけだろうしね。遠慮なく貰っていってくれたまえ。

 

 差し上げようなどといわれても、こんな高価なものを渡されても困ってしまう。当然、断ろうとしたのだが、列車の時間が差し迫っていたこともあって報告自体も手短にならざるを得なかった。結局、断り切れずに持ち帰ることになってしまったのだった。

 

「まあ、こうなってしまっては捨てるわけにもいきませんし……引き取り手にも困る代物ですけど」

「うーん……皆いらないなら、残され島の博物館にでも寄贈しようかな。今度帰るときにでも持って帰ればいいし」

 

 といっても、こんな美術品を一学生が所有しているままにしているのも落ち着かないものだ。そもそも、四人ともこういった類の品に特別な興味を持っているわけではない。寮部屋に飾っても浮いてしまうだけだろう。

 いっそのこと、故郷の博物館に寄贈してしまおう。そんなトワの提案に否やはなかった。例え密輸品であったとしても、人目に触れる場に置かれるならば美術品としての価値を少しでも活かすことが出来るに違いないだろうから。

 一応の処分のつけ方を決めたところで、エステルがため息をつく。トランクを見つめるその目はどこか呆れを含んでいた。

 

「ご褒美をくれるのは嬉しいけど、こういう変にお高いのをもらっても困っちゃうわよね。私たちみたいに転々としている身だと使いようも無いし」

 

 確かに、リベールからやってきて帝国各地で活動している彼女たちのような身だと、こういうのを贈られても扱いに悩むだけだろう。どうせなら美味しい食べ物を奢ってくれた方が嬉しいとでも言いたげなエステルであった。

 

「はは……これについては厄介払いみたいな面もあるだろうけどね。あの悪魔を倒した証拠でもあったら、そういう役得にも預かれたかもしれないけど」

「べ、別に文句があるわけじゃないのよ? ただ、そういったお礼の方がいいなっていう話なだけで……あっ、そうだ」

 

 苦笑い気味なヨシュアに慌てて言い繕うエステル。ふと、彼女は何かを思い出したかのように声をあげるとトワの方に向き直った。

 

「悪魔といえば、あの時のことは黙っておいた方がいいのよね?」

 

 あの時のこととは、ノイの、そして他ならぬトワの事情についてだろう。

 エステルたちに星の力やミトスの民について詳しいことは話していない。ただ、トワが常人にはない不思議な力を持っているということを理解しているだけだ。

 本当は話しておいた方がいいのかもしれない。けれど、教会の盟約もあってこのことは早々簡単に触れ回れることではない。それを朧気ながら察してくれたのだろう。彼女たちは深くは聞いてこなかったし、こうして気を遣ってくれている。

 

「うん……本当にありがとうね。ちゃんと話せたらよかったんだけど……」

「気にしないでってば。誰にでも秘密の一つや二つくらいあるもんでしょ」

「ま、そうだな。どうしても気になったら先生にそれとなく聞くから、トワが気負う必要なんてないと思うぜ」

 

 ありがたいことだ。トワは彼女たちに感謝の気持ちしかなかった。

 本人たちにとっては大したことではないのかもしれないが、トワにとっては自分を受け入れてくれたのが本当に嬉しかったのだ。だから彼女は思う。今度は自分が力になりたいと。

 

「エステルちゃんたちが何か困ったら遠慮なく頼ってね。私が出来ることなら、なんだって力になるから」

 

 トワの申し出にエステルとヨシュアが目を見合わせる。何か心当たることがあったのか、彼女は早速「じゃあ、いいかな?」と切り出した。

 

「トワたちは、これからも実習で色々なところに行くのよね?」

「ああ。テストをどの程度で切り上げるかは分からないが、まだしばらくは続くだろうね」

 

 ケルディックにはじまりヘイムダル、ルーレ、そして今回のバリアハート。特科クラスの予行テストとしてトワたちは帝国各地に赴いてきた。今後もしばらくは変わりないだろう。

 それがどうしたのだろうか。不思議に思うトワたちにエステルは事情を明かす。

 

「実はさ、あたしたち遊撃士として活動しながら帝国で人を探しているの。レンっていう菫色の髪をした十二、三歳くらいの子なんだけど」

「なかなか足取りがつかめなくてね。君たちが実習に行った先でもし見かけるようなことがあったら、僕たちに伝えてもらえないかと思って」

 

 この広い帝国で、どこにいるかも分からない一人の女の子を探す。それは確かに大変なことだろう。そして、各地を訪れるトワたちに助力を求めるのも理解できる事情だった。

 

「そりゃ構わねえが……家出娘か何かなのか?」

「うーん……家出娘というより、迷子の子猫って感じかしらね」

 

 しかし、そんな女の子が話を聞く限り一人で帝国を彷徨っているというのも変な話だ。当然の疑問を口にしたクロウに対する返答は、なんだか要領を得ないもの。答えたエステルの口元には哀愁と慈しみが混じり合ったような笑みが浮かんでいた。

 きっと並々ならない事情があるのだろう。事の仔細は分からなくとも、それだけは察することが出来た。

 それに、なんだって力になると言ったのだ。ここで断るなんて選択肢があるはずがない。トワは胸に手を当てて承諾する。

 

「任せてよ。なんだったらエステルちゃんたちのところまで送り届けてあげるから」

「あはは、あの子のことだからさらっと逃げていっちゃいそうだけど」

「どんな子なんだい、そのレンって子は……」

 

 一筋縄ではいかない頼みごとのようだが、エステルたちの力に少しでもなれるのなら是非もない。出来得る限りのことはやって見せよう。

 連絡はシグナを介してすることにして、探し人の特徴を聞いているうちに元より少なかった時間はあっという間に過ぎる。気が付けば予定の列車が発車するまであと僅かとなっていた。残念ながらそろそろお別れである。

 

「それじゃあな。彼女と何しようが勝手だが、しっかりとひに――うごっ!?」

「このロクデナシ男が最後まですまないね。二人とも元気に頑張ってくれたまえ」

「はは……分かった。そちらもどうか元気で」

『トヴァルもまたね。シグナによろしくなの』

「あ、ああ。それにしてもまあ、姿が見えないのに声だけするのも変な感じだな」

「僕たちはもう慣れちゃいましたけどね。ごく自然に」

 

 それぞれ別れの挨拶を交わし、試験実習班は駅の方へ。遊撃士たちはこれから徒歩でレグラムへと向かうという。

 トワも仲間たちに続いて踵を返しかけたところで、肩越しに「トワ!」と自分を呼ぶ声。振り向くと、エステルが片手を肩のあたりに掲げて笑っていた。

 

「お互いこれから大変なこともあるかもだけど……頑張って乗り越えて、また会おうね!」

「――うん! またね!」

 

 さようなら、ではない。険しい道を行くさなかで、再び軌跡が重なり合うこともあるだろう。その時を想い、二人は再会を約束する。

 応じるようにトワも手を掲げる。小気味の好いハイタッチの快音がバリアハートの駅前に響き、実習の終わりと確かに紡がれた縁を知らせるのであった。

 


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