永久の軌跡   作:お倉坊主

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これにてバリアハート編もクライマックス。次回にエピローグを挟み、一年生編の山場となる次の章へと向かう予定です。
と、その前に閑話を入れようと思っています。そろそろ本編では入りきらない他の先輩たちとの話を書かせてもらおうかと。形としては短編集みたいなものになりますね。
Ⅳ組のクラスメイトをはじめ、個性的な将来の先輩たちとの触れ合いを楽しんでいただけたら幸いです。


第41話 恐れを超えて

 駆ける、駆ける、駆ける。足を止めることなく、一心不乱に峡谷の入り組んだ地形を駆け抜ける。得難き友人の助太刀となるべく。

 風になびく髪は栗色。既にトワはいつも通りの姿に戻っていた。高地から降りるのに少しばかり飛んだ(・・・)が、それだけだ。道標を感じ取るだけならば、普段のままでも不足はない。

 

「おい、後どれくらいだ!?」

「もう少し! でも、これは……」

 

 エステルたちの気配は間近に迫ってきていた。もう幾許もしないうちに彼女たちが戦う場に足を踏み入れることになるだろう。

 だが、感じるのはそれだけではない。この近辺に立ち入ってから自身の感覚が訴えかけてくる。地脈の乱れによる空間一帯の変容。そして何より、三人の気配とぶつかり合う禍々しい脈動を。

 

「上位三属性が働いているなんて、いったい何が起こっているの……!?」

 

 並走するように空を飛ぶノイが表情を険しくする。どう考えても尋常な事態ではなかった。

 通常、この地上において作用する七耀の力は四つに限られる。地、水、火、風。自然の中に当たり前に存在するそれら四属性以外は、アーツなどの意図的な手段を用いることなく発生することはないはずだ。

 しかし、現実としてこの空間にはそれ以外のものを感じる。時、空、幻。上位三属性と呼ばれる本来なら現れるはずのないもの。

 古代文明に関わる遺跡や、地脈の影響を受ける霊地なら分かる。そうした土地は上位三属性が表出しやすい特徴を有しているからだ。

 だが、ここは何の変哲もない峡谷道。古代の遺跡もなければ特別な霊地でもない。だというのに、感覚は間違いなくあるはずのない存在を知覚している。

 それを感じ取っているのはトワとノイばかりではない。他の三人もまた、先ほどから言い知れない空気を肌で感じていた。トワほど明確でないにせよ、それが何か嫌な気配を漂わせていることが分かるくらいには。

 

「面倒事には慣れたつもりだったが、今回は毛色が違いそうだね」

「毛色で済む話なのかな、これは……!」

 

 ひしひしと伝わる嫌な予感。それでも彼女たちは足を止めはしない。むしろ一刻も早く駆けつけんと地を強く踏みしめる。

 何が待ち受けていようと知ったことか。友人が危機に見舞われているというのなら、その元凶を断ち切るのみ。

 今までもそうやって、自分たちが為すべきと思ったことを為してきたのだ。尻込みする理由などどこにあるだろう。

 

「……いた!」

 

 崖肌の間を駆け抜けた先、そこに辿ってきた気配の持ち主を認めてトワは声をあげる。険しい表情で棒を構えるエステル。その得物が向けられる先で、異形の巨大な影が腕のようなものを振り上げる。

 

「ノイ!」

「任せるの!」

 

 仔細を確認する前に指示を飛ばす。二の句を言葉にせずとも意を汲んだ小さな妖精が、さながら弾丸のように加速する。

 突っ込んでいった勢いのまま巨大化した歯車による剛撃を叩き込む。まさにエステルに振り下ろされんとしていた鋭利な爪を備えた異形の腕は、横合いからの衝撃に大きく弾かれた。

 これにギョッとするのがエステル。唐突に現れた小さな妖精が巨大な歯車をぶん回してくれば泡を食いもするだろう。

 

「え、ちょ、何この小さい子!? 妖精!?」

「エステルちゃん、大丈夫!?」

「あっ、トワ! なんか妖精っぽいのがすっ飛んできたんだけど、帝国にはこういうペットでもいるの!?」

「誰がペットなの!!」

 

 混乱のあまり頓珍漢なことを言い出すエステルに憤慨する他称ペット(ノイ)。緊迫した状況にもかかわらず、ついつい苦笑いが浮かんでしまう。

 無論、そんな気を抜いている暇はない。いまだ健在の異形を油断なく見据えるヨシュアが鋭い声で注意を促した。

 

「エステル、その子のことは後回しだ! 今はこっちをどうにかしないと!」

「トワたちも手を貸してくれ! どうにも手を焼いているんでな!」

 

 もとよりそのつもりで駆けつけたのだ。トヴァルの言葉に応じて武具を構えるトワたち。そこに至り、彼女たちはようやく異形の全貌を目に映す。

 青黒い表皮、凶悪な爪を備えた手足、頭部より伸びる双角。二足歩行の態を取るそれは、とても自然界に存在する生物とは思えなかった。低い唸りを漏らし、淀んだ黄色の眼で獲物を見定める異形に思い浮かぶ呼び名は一つしかない。

 

「おいおい、まさかモノホンの悪魔だっていうのか……!?」

 

 ブルーノの証言が頭に過る。悪魔に出くわし、命からがら逃げだしたと。

 彼のことを信じてはいたが、言葉そのままに受け取ったわけではない。悪魔らしき何かに遭遇したのだろうと誰もが思っていた。

 だが、実際はどうだ。今まさに自分たちの眼前の存在に対して、他につけるべき呼称があるだろうか。真実、ブルーノが遭遇した存在は悪魔と呼ぶしかない異形であった。

 

「変な空気を感じると思ったら、荷物を回収した途端にいきなり現れたのよ! とんでもなくタフだから気を付けて!」

「持久戦に持ち込まれたら埒が明かない。ここは一気に……」

 

 幸い、ブルーノが落としたという目的の荷物は回収済みのようだが、こんな化け物を放っておくわけにはいかない。どうしてこんなところに出現したのかは分からないものの、このままにしておけば何時か被害が出るのは目に見えている。

 トワたちが駆けつける間にも戦っている中で、悪魔の尋常ではない耐久力を感じたのだろう。増えた戦力も考慮し、ヨシュアは速攻で片を付けたいようだった。

 それを最後まで口にすることはできなかった。ノイのギアバスターに弾き飛ばされてから、こちらを警戒していた悪魔がついに動きを見せる。

 

――オオオオォォ!!

 

 ヨシュアの言葉を塗りつぶすほどの咆哮。おどろおどろしい響きを孕んだそれは耳をつんざき、空気を震わせる。

 途端、空間が歪む。何もないところから滲み出るように現れたそれは、悪魔とはまた異なる造形の異形。雄叫びに応じて現出した新手はトワたちと隔てるようにエステルたちを囲む。

 

「こいつの眷属ってところか。また面倒な……!」

 

 新手は悪魔より小さく、力もそれほど強くはないように見える。だが、如何せん数が多い。片手に収まらない数の眷属に囲まれた遊撃士たちとは完全に分断されてしまった。

 呼び寄せた悪魔自身が標的に定めるのはトワたち。先ほどの一撃が警戒を強めさせたのか、まずはこちらを優先するべきと思わせたのかもしれない。

 これまでの魔獣とは根本的に異なる存在。言い知れない圧力にトワたちにも緊張が走り、得物を握る手が強まる。

 

「こっちはすぐに片づけてやるわ! それまで何とか持ちこたえて!」

「うん、エステルちゃんたちも気を付けて!」

 

 それでもやることは変わらない。目の前の強大な敵を打倒し、掛け替えのない日常を取り戻す。

 互いに声を掛け、それぞれの戦いへ。エステルたちが眷属の群れに突っ込むのと同じくして、トワたちもまた悪魔へと仕掛ける。

 一番手として切り込むのはトワ。跳躍して一気に間合いに入り込んでの斬撃。邪魔な羽虫を払うように剛腕が振るわれれば、周囲の崖を足場に回り込む。

 与えるダメージは小さい。それで構わない。縦横に駆け巡り、敵の目を引き付けるのが彼女の役目。

 陽動に目がくらんだ悪魔の懐にアンゼリカが潜り込む。その横っ腹に叩き込まれる零勁。対人に用いれば必殺の威力を誇るそれに、悪魔も巨躯をよろめかせる。

 

「何……!?」

 

 だが、それだけだった。すぐさま体勢を立て直した悪魔が怒りの雄叫びと共に凶爪を振り上げる。

 喰らえば人間など簡単に千切れ飛びそうな一撃は、地面を抉るに留まった。あわやというところでアンゼリカを救ったのはノイのギアホールド。光る緑の帯で絡め捕ったアンゼリカを後ろに引き戻し、それをクロウのアーツが援護する。

 放たれた水のアーツは確かに直撃した。しかし、悪魔には大したダメージにはなっていないようだった。それどころか、時間と共に傷が塞がっていくではないか。トワの斬撃も、アンゼリカの零勁も、まるで無かったかのように傷が消えていく。

 

「ちっ、また面倒な手合いだな!」

「文句を言っている場合か! 来るぞ!」

 

 今度は悪魔の方がアーツを放ってくる。強力な冷気がクロウとアンゼリカに襲い掛かるが、それは間一髪のところで障壁に阻まれた。機械槌を地面に突き立て、二人を守ったジョルジュを悪魔が睨み据える。

 

「そう好き勝手には、させないの!」

 

 今にも彼の方へ突進していきそうな悪魔をノイが制する。放つは夏の四季魔法。金色の光条が青黒い表皮を貫き、悪魔は苦悶の声を漏らしてよろめく。

 それ目にしたトワの頭に一つの仮説が浮かぶ。尋常ではない耐久を誇る悪魔を打ち倒すための、一つの光明が。

 実証している暇はない。一発勝負だ。彼女は勝利のために声を張り上げる。

 

「ノイ! 大きいの何秒でいける!?」

「……三十秒で仕上げるの! それ以上は無理だからね!」

「十分!」

 

 トワの考えを察したノイから頼もしい答え。精神を集中させる態勢に入った彼女に、他の三人もその意図を察する。

 

「一発大きいのを入れるってことか。乗った!」

「うっかり俺たちまで巻き込んでくれるなよ!」

 

 先の一撃で痛手を受けた悪魔はノイを一段上の警戒対象としていたのだろう。加えて大技の気配を見せれば、否が応でも意識はそちらへと向けられる。禍々しい雄叫びをあげて悪魔は彼女へと飛び掛かった。

 間に入って阻むのはジョルジュ。振り下ろされる凶爪を正面に展開した障壁で防ぎ、返し手の爆撃を乗せた一撃で押し返す。

 悪魔は尚も止まらない。破壊衝動に突き動かされるかの如く攻勢を続ける。度重なる連撃にジョルジュも表情に苦悶が浮かんだ。

 それを座して見るトワではない。悪魔がジョルジュに、その奥のノイに気を取られている隙に背後へと回り込む。一息で急加速した彼女が剣を振るう。狙うは足の腱。異形とはいえ人型、悪魔の身体はその両足によって支えられている。その一方の支えを断たれ、悪魔は体勢を崩した。

 悪魔の異常な再生力にかかれば、この程度の傷はすぐに修復されてしまうだろう。だが、隙を作るならこれで十分。拳を振り絞ったアンゼリカが再び懐に飛び込んだ。

 

「倒し切れないなら、こうさせてもらうまでさ!」

 

 相手の内側に力を浸透させて粉砕するのが零勁。それに耐えられるというのなら、使い方を変えさせてもらおう。

 アンゼリカの放った拳は悪魔に当たるや否や、その巨体を大きく吹き飛ばす。困惑するように唸り声を漏らす悪魔。ダメージはさして入っていないようだが、彼我の距離は大きく引き離された。

 突き放すことを狙うならば、力を浸透させる必要はない。全ての力を相手の外側にぶつければ済む話。零勁の力の伝え方を逆転させた拳は、単純に強力な衝撃となって悪魔の巨体を吹き飛ばしたのだ。

 突き放し、距離を取った先でも抜かりはない。クロウが駆動したアーツが発動し、悪魔に重苦しく圧し掛かる。弱体化を食らった悪魔はその動きを鈍らせた。

 お膳立ては整った。それと同じくして、ノイの準備も整う。

 

「――いけるの! 皆どいて!」

 

 その小さな両の手の間に輝くのは春の色。美しく咲き誇る花々が示す生命の力。開かれた射線の先、この世在らざる異形に向けて解き放つ。

 

「咲き誇れ、春の大輪――《ゴスペルフラワー》!!」

 

 具現するは巨大な桃花。純粋なエネルギーで構成された大魔法が悪魔にめがけて迫る。

 動きを鈍らせた悪魔に避けることは敵わない。ならばと相手も冷気をぶつけるが、そんなもので防げるほど生易しいものであるものか。冷気は春の輝きに飲み込まれ、抵抗をものともせずノイの渾身の一撃は悪魔を直撃した。

 巻き起こる爆発。余波である桃色の燐光が散る中で、トワたちは立ち上る煙の中を油断なく見据える。

 やがて煙が晴れ、そこに倒れ伏す悪魔を見て彼女たちは肩の力を抜く。どうやら一発勝負の賭けには勝てたようだった。

 

「やっぱり四属性以外……上位三属性や四季魔法には弱かったみたいだね。当たっていてよかった」

「まったくだ。正面から相手していたら埒が明かねえ」

 

 優れた耐久力と再生力を併せ持つ悪魔にも弱点はあった。それが特定の魔法に対する極端な耐性の低さ。上手く突くことが出来て一先ず胸をなでおろす。

 

「お待たせ! 加勢するわ……って、あれ?」

 

 エステルたちの方も眷属を片付け終わったのかこちらへ駆けつけてくる。ところが、倒れ伏す悪魔の姿を見て首を傾げるエステル。集まる視線を前に、彼女は気まずそうに苦笑いを浮かべた。

 

「えっと……もしかして、もう終わっちゃっていたり?」

「生憎ながら、ね。気持ちだけ受け取っておくよ」

 

 肩を竦めるアンゼリカに、気が抜けたように息を吐く。心なしかツインテールも垂れ下がっているように見えた。

 雑魚を蹴散らし、気合を入れて加勢に入ろうとしたらこれだ。空回った気分になっても仕方がないだろう。その気持ちがありがたいことには変わりないのだが。

 何にせよ、片付いたのならそれに越したことはない。不用意に近づかず、遠目に崩れ落ちた悪魔の様子を窺うヨシュア。念には念を、と警戒を解かないでいる彼は視線をそらさずに問いかける。

 

「仕留めたのかい?」

「……ううん。辛うじてだけど、まだ生きている」

 

禍々しい生命の気配が僅かながら残っていた。ノイの最大火力の四季魔法を受けても仕留め切れていないとは、もはや呆れるほどの耐久力である。

 しかし、これだけ弱っていると指一つ動かすのさえままならないはずだ。普通なら、放っておけばそのまま息絶えるような状態。既に無力化したと言っても間違いではなかった。

 

「お前さんら、悪いが気を引き締め直しな」

「トヴァルさん……?」

 

 それでもトヴァルは険しい表情のまま構えを崩さない。彼は知っていたのだ。悪魔という存在が、どれだけ厄介であるのかを。

 

――…………ォ

 

 悪魔の中で生命が揺らめく。消えかけの種火のようなそれが熾火に変わり、加速度的に強まり燃え上がっていく。

 有り得ないことだ。あれだけ弱っていた生物が即座に息を吹き返すなどできるはずがない。だが、現実として悪魔はその腕を地面に突き立てた。

 

「この手の奴は、嫌になるほどしつこいのが相場なんだよ……!」

 

――オオオオォォ!!

 

 トヴァルが忌々しく見つめるその先で、悪魔は巨躯を持ち上げて咆哮する。瘴気を放つ魔性の存在は文字通りに復活したのだ。

 

「くっ、出鱈目な……」

「あんなのどうするっていうのよ……トヴァルさん、何か手はないの!?」

 

 もはや生物としての枠組みに入らない事象を前に浮足立つ。尋常ではない耐久力だとか、そういう問題ではない。存在そのものが不死性を帯びているとしか思えなかった。

 流石にこんな常識外の相手に対する対処は心得ていない。何かしら知っていそうなトヴァルに指示を仰ぐが、彼も難しい顔を浮かべるばかりだ。

 

「知り合いの話じゃ、教会の法術使いなら滅することもできるそうだが……ないものねだりにしかならないな」

 

 七耀教会の使い手が操るという聖なる術。それが悪魔に有効と分かっていても、肝心の扱える人間がいないのであれば話にならない。

 手立てが見つからない以上は迂闊に手を出せず、そうこうする内に完全に体勢を立て直した悪魔は今にも襲い掛からんばかり。

 また打ち倒したとしても、その度に復活されてはこちらが消耗する一方だ。このまま戦い続けるのは得策とは言えなかった。

 

「撤退しますか?」

「そうしたいところだが、奴さんが許してくれそうにないな」

 

 勝ち目がないからには一時退却するべきだろうが、そう易々と見逃してくれるとも思えない。少なくとも、もう一度は倒さなければ無事には戻れないだろう。

 それに退いたところで状況がよくなるとも限らない。教会の使い手など、そう都合よく見つかるはずもないのだから。

 押すにも引くにも苦しい状況。手を詰まらせた遊撃士たちの表情は険しい。

 そんな彼女たちを前に、トワは迷っていた。

 いや、答え自体は出ていた。自分の行動で状況が打破できるのならば、それが最も望ましい結末を迎える手段なのは明らか。出し惜しむべきではないだろう。

 それでも彼女は躊躇ってしまう。そうすることが一番だと分かっていても、心にこびりついた記憶が足を竦ませる。

 惑う小さな肩に手が置かれる。振り向いたその先で、クロウが真剣な顔でこちらを見つめていた。

 

「……やれるんだな?」

 

 何が、とは聞かなくても分かり切っていた。

 少し迷い、頷く。すると彼はふっと表情を緩め、いつもの笑みを浮かべる。

 

「だったら思いっきりぶちかましてやりな。他の誰が何と言おうと、お前はちっこくて、強くて、そんで少し臆病な、俺たちの最高の仲間のトワ・ハーシェルだって証明してやるからよ」

「まあ、トワのことを悪く言う輩がいたら叩きのめすのみだがね。撤回するまでタコ殴りにしてやるとも」

「そこはもうちょっと穏便にした方がいいと思うけど……気持ちは僕も同じさ。大丈夫、君はもう一人じゃないんだから」

 

 三者三様であれど、それはいずれもトワを励まし、迷うその背中を押す言葉。「皆……」と零しつつ思わず目尻に涙が浮かぶ。

 世の誰もが自分のことを受け入れてくれるわけではないと思う。超常の力を宿すこの身は、人にとって時に脅威に映るだろうから。

 それでも良かったのだ。全ての人に受け入れてもらおうなど烏滸がましい。けれど、例え数えるほどの人々であったとしても、こうして自分を掛け替えのない仲間だと胸を張ってくれる友がいる。

 十分だ。たった少しでも、ほんの僅かでも、ありのままの自分でいていいと言ってくれる人がいるのなら――その想いを胸に、彼女は前に足を踏み出すことが出来る。

 涙をぬぐう。窺うようにノイに目を向ければ、姉貴分は穏やかに頷いた。

 

「トワの好きにするの。盟約も何も考えなくていい。トワの思うようにすることを……ナユタも、クレハ様も、シグナも、きっとそう願っているの」

 

 もちろん、私も。

 そう言ってくれるだけで、どれほど心強いことか。

 

「ノイ、皆……ありがとう」

 

 迷いは晴れた。恐れはあれど、それよりも強い想いと友の支えを受けてトワは前へと足を踏み出す。

 唸る悪魔に対し、矢面に立った彼女の背中に遊撃士たちは疑問の目を向ける。いったい何をするつもりなのかと。

 

「トワ……?」

「エステルちゃん。ヨシュア君にトヴァルさんも下がっていて」

 

 あの悪魔は一人でどうにかなる相手ではない。異様な耐久力に再生力、加えて打ち倒しても蘇ってくる不死性。普通の人間がどうやっても倒すことはできないだろう。

 そう、普通の人間ならば。

 

「すぐに終わらせるから」

 

 トワの短い言葉。瞬間、彼女を中心として轟と金色の奔流が渦巻いた。

 突然の事態にヨシュアなどが「これは……!?」と驚愕する中、クロウたちは揺れる白銀の髪を黙って見つめる。余計な言葉は要らない。口にしなくても、彼らの信じる気持ちは伝わっているのだから。

 ミトスの民の力を解き放ち、真紅に染まった瞳で悪魔を見据えるトワ。あまねく自然より集った星の力がその手の剣に宿り、光を成していく。

 悪魔には分かったのだろう。それが己に害なすものだと。目の前に立つ存在が、己とは相反するものであると。星の光を宿す白銀の少女を真っ先に排除するべき存在と認め、異形は雄叫びを上げて突貫する。

 

――オオオオォォ!!

 

「……あなたがどうして現れたのかは知らないし、望んだわけじゃないのかもしれない」

 

 悪魔が何故顕現し、破壊を振りまくのか。全能ならぬトワにそれを知る術はない。

 だが、人に、この星に仇なすというのなら。大切な友を傷つけようというのなら、この力をもって止めてみせよう。

 

「還してあげる。あなたが元あるべき場所に――!」

 

 構えるは神風。遠当ての剣閃を放つ戦技は今、星の力のもとに昇華されその形を変える。剣に宿った光が刃を成し、金色に輝く光剣と化した得物をトワは横一閃に振り抜いた。

 

――《神風ノ太刀》

 

 一陣の風が吹き抜ける。瞬間、今まさに飛び掛からんとしていた悪魔は勢いを失った。

 悪魔自身が不思議そうに視線を落とす。その胸元には、胴を両断する剣閃の痕。頑健なる異形の肉体が切り裂かれたその奥で、同じく斬痕を刻まれた崖肌が音を立てて崩れ落ちた。

 斬撃が飛んだわけではない。トワが剣を振るったその時、解き放たれた星の力が長大な光刃となり悪魔を切り裂き、その先の崖さえも切り崩したのだ。

 刻まれた傷は癒えない。不死の如き生命力を誇ったはずの悪魔は、力なく呻くとそのまま光となって消えていった。

 ふと、アンゼリカが気付く。周囲の空気は既に平常に戻っていた。

 

「上位三属性が……なるほど。拠って立つ異空間が失われれば、この次元から消滅するのは道理というわけか」

 

 トワが振るった力は悪魔を切り裂き、そして同時に歪んだ地脈の流れを正した。異次元の存在である悪魔は上位三属性が色濃いからこそ顕在化している。それが失われた以上、その不死性も効力を発揮するわけがなかった。

 ふう、と息を吐いたトワは剣を鞘に納める。可視化するほどに集中していた星の力も、それと共に雲散霧消していった。

 やや正面の見通しが良くなった峡谷道。彼女はそちらから背後へと真紅の瞳を向ける。

 

「…………」

 

 そこにあったのはやはり、自分を唖然と見つめる遊撃士たちの目。特にエステルなどは言葉もないようで、ポカンと口を開けたままだった。

 目の前の出来事を処理しきれていないのだろう。呆然としたままの彼女たちの瞳から感情の色を窺い知るのは難しい。

 幼き頃のトラウマが脳裏に蘇る。その瞳が恐怖と拒絶に染まることが、トワには何よりも恐ろしかった。友の支えを受けて足を前に踏み出しても、それは変わりない。

 

「えっと……その」

「…………す」

 

 彼女たちに何と声を掛けたらいいか分からなくて、ただそこで立ち竦んでいるうちにエステルの口が動く。「す?」と意味をなさない音に首を傾げようとして、途端、がばっと抱き着いてきた彼女に虚を突かれた。

 

「すっごいじゃないトワ!! あんな奴を一発でやっつけちゃうなんて!」

「え、エステルちゃん……?」

「というか、どうしたのよこの髪。とんでもなく綺麗な銀色だし、目の色も変わって雰囲気が違くなっているし。神々しい? って感じじゃない」

 

 べたべた触ってくるエステルに為されるがままのトワ。思ってもいなかった反応に、彼女はどうしたらいいのかさっぱりだった。

 トワがもみくちゃにされている姿に、今度はクロウたちが目をパチクリとさせ、遊撃士たちの方はといえばヨシュアが仕方なさげに肩を竦めていた。トヴァルはトヴァルで、何やら頭痛がするかのように眉間を揉んでいる。

 恐れていたような事態ではなかったが、これはこれで想定の範囲外。恐怖と拒絶どころか、興奮と好奇の一色であるエステルに困惑するばかりだ。

 

「その……エステルちゃんは、怖くないの?」

「うん?」

 

 だから問いかけてしまう。聞く必要などなかったとしても、トワは聞かずにはいられなかった。

 

「得体の知れない力を持った、人間離れしたこんな……」

 

 こんな、化け物みたいな。

 そこまでは口にすることはできなくても、言いたいことは伝わったのだろう。怯えて俯くトワに、エステルは困ったように頬を掻く。

 

「……あたしはさ、トワみたいに頭がよくないし、トワがどうしてそんな苦しそうな顔をしているのかちゃんとは分かっていないかもしれない」

 

 でも、と彼女は言葉を続ける。事情は分からずとも、彼女がどういう存在なのか知らなくても、それでも伝えられることはある。

 

「あたしたちを守ってくれたでしょ。本当は使いたくなかったのかもしれない。見せたくなかったのかもしれない。それでも勇気を出して、皆を守ってくれたんだよね」

 

 トワが怯える様子は、彼女が力に対して忌避感のようなものを抱いているのを察するのは十分だった。こうして露にすることに、どれだけの勇気が必要だったのかも。

 確かに彼女の力は途轍もないものかもしれない。周囲の地形ごと悪魔を切り裂いたのもさることながら、地脈に干渉しその歪みを解いたのも、もはや人の枠から外れた所業だろう。

 だが、その力を彼女は守るために使った。畏れを飲み込んで、恐れを乗り越えて。彼女がそうすることが出来た理由を、エステルは短い交流の仲であっても確かに知っていた。

 エステルの両手が、トワの小さな手を包み込む。温かなそれに俯いていた顔を上げたトワの目に入ったのは、太陽のような少女の笑顔だった。

 

「あたしは、トワがそんな強くて優しい子だって知っているから……だから、怖くないよ」

「…………っ」

 

 拭い去ったはずの涙がまた込み上げてくる。それは安堵からくるものだった。せっかく出会えた気の合う友人を失うことになってしまうかもしれない。そう思っていたからこそ、エステルの言葉は何よりも深くトワの胸に響いた。

 

「君はその力に溺れずに、自分を律そうとしているんだろう? なら僕からは尊敬はすれど、恐れる理由なんてものは無いよ」

「俺は先生が訳の分からん力を使っているのを見たことがあるから、納得の気持ちが強いんだが……そうだな。先生のことを抜きにしても、むしろ心強いってもんさ」

 

 ヨシュアもトヴァルも偽らざる心を伝える。トワを拒絶するものなど、誰もいなかった。それは例外かもしれない。今回は運が良かっただけかもしれない。けれど、紛れもない事実だ。

 潤んだ瞳から涙が零れ落ちる。最近の自分は本当に泣き虫だ。そうは思っても、止めようと思って止められるものではない。

 

「エステルちゃん、皆も……ありがとう」

「何言ってるのよ。お礼を言うのはこっちだっての――助けてくれてありがとうね、トワ」

「えへへ……うん!」

 

 微笑むエステルにつられるようにして、トワもまた笑みを浮かべる。その様子に、クロウたちもまた肩の荷が下りたような心地だ。

 自分の道はまだ見つけられていない。けれど、トワは抱える恐怖を乗り越えて前へと進む一歩を踏み出した。

 そんな確かな成長と共に、峡谷道の戦いは終わり告げるのであった。

 




《悪魔》
青黒い表皮とかでお気付きの方もいるかも。皆さんご存知、アークデーモンのこと。個人的には軌跡シリーズで悪魔といったらコイツというイメージ。

《コロナレーザー》
夏の四季魔法。横一直線に金色の光線を放つ。

《ゴスペルフラワー》
管理者から教えてもらえる強力な四季魔法の一つ。ゆっくりと進む桃色の花を発生させ、当たった相手に大ダメージを与える。一度に一発しか撃てず、再度使用できるようになるまで時間がかかる。

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