永久の軌跡   作:お倉坊主

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ちょうど切りのいい話数にこの話を持ってこれて少しばかり満足感。いえ、全く計算とかしていなかったんですけどね。

余談ですが、去るエイプリルフールに何となく拙作のトワが《鉄血の子供たち》になったらどうなるのか考えてみたのです。
もうね、子供たちになる切っ掛けからして鬱ストーリー全開ですよ。こんなの実際に書いていたら自分の精神がやられるってくらい。
そういうことでこのネタは没。


第40話 星の力

「奈落病は病気というよりも、一種の霊障に近いんだ」

 

 峡谷道を外れ、道なき道を進んでユピナ草を探すトワたち。先頭に立つ栗色の少女がひょいっと崖を登りながら言った。

 

「生命力、気功、霊力(マナ)……捉え方は様々だけど、命あるものにはその根幹をなす力があって、死に近づくにつれてそれは弱まっていく」

 

 軽々と崖を登り切って「殆どの人は無意識だけど」とトワ。

 無論、それを扱う術を身に着けた人々もいる。卓越した武人が内なる力を発露し、身体能力を格段に高めるように。霊力に通じた者たちが、それを用いて様々な術を為すように。

 一見すると、どれも違うものに見えるかもしれない。

 だが、いずれも根幹は共通している。その力は生命に根差すものだ。

 

「そんな誰しもに宿る力が、身体に霊的な傷を負うことで漏れ出してしまうことがあるの」

 

 乱れた地脈に中てられたか、極度の肉体的疲労が霊的側面にも影響を及ぼしたか。要因はいくつか考えられるが、カーテの場合は後者だろう。

 罅割れた器は、自然には直らない。

 霊的な傷も同じだ。放っておいても良くなることはなく、力が漏れ出ていくことは止まらない。生命の根幹が失われていくことで肉体的にも衰弱していく。

 

「やがて生命活動を維持できなくなって死んでしまう……それが奈落病の正体だよ」

「なる、ほど、なっ! そりゃ、医学的には分からねえわけだ」

 

 続いて崖を登り切ったクロウが納得を示す。オカルトじみた話だが、先ほどの出来事を見た後では信じるほかになかった。

 大聖堂を出てから聞きたいことは山ほどあった。あそこで何をしたのか、カーテの容態が改善したのは何故なのか、アモン大司教はどうして敬う姿勢を見せたのか……トワは、いったい何者なのか。

 それでもルーレでの一件が脳裏に過り、彼らは躊躇っていた。仲間の心を傷つけてまで聞きたいとは思わなかったから。

 だが、口火を切ったのはトワの方であった。自発的に《力》を使ったこともあって、彼女の中で一つの踏ん切りがついたのだ。もう、隠すこともないだろうと。

 奈落病の話は、その前置き。

 トワのことを真に理解するためには、まず知る必要があった。この世界のあまねくものに存在する力、生命の根幹たる概念を。

 

「よっと! 泰斗の教えにも似たような観念はあるね。やはり、龍脈や地脈といったものにも通じる話なのかな?」

 

 泰斗の業として内気功(ドラゴンブースト)を修めているアンゼリカはその概念に対する理解が早かった。当然ながら、それに連なるものにも考えが及ぶ。

 地脈、霊脈、龍脈。ところにより様々に呼ばれる、大地に流れる力の流れ。あるいは七耀脈とも称されるそれは、七耀石の鉱脈とも密接にかかわることから一般にも漠然ながら認識されている。

 乱れた地脈が肉体に悪影響を及ぼすならば、もとよりそれらには相互に関係があるものなのだろう。

 そう思ってのアンゼリカの問いだったが、それは正しくもあり、間違いでもあった。

 

「関係があるというか、本質的には同じものだね。どちらも一つの生命から生じて、その根幹をなすことには変わりないから」

 

 クロウとアンゼリカは首を傾げた。同じとはどういうことかと。

 片や、あくまで一つの生命体に宿る力。片や、大地に流れる途方もないほどに巨大な力。その二つが同種のものにはとても思えなかった。

 だが、トワは何てことはない様子で言葉を続ける。ごく当たり前のことを口にするように。彼女はその足元を――自分たちが立つ大地を指して言った。

 

「この地上で最も巨大な生命――星そのもの(・・・・・)に宿る力と考えたら、そんなに変なことではないでしょ?」

「……なるほど、そういう解釈か」

 

 納得しつつもアンゼリカは気が遠くなる心地であった。あまりにも巨視的というか、一人の人間には考えもつかないスケールだ。

 この星を一個の生命に見立て、地脈に流れる力をその根幹をなすものと捉える。確かに本質的には変わらない。宿るのが肉体か星か、そしてその総量に圧倒的な差があることを除けば。

 

「ぜえ……ぜえ……な、なんだか及びもつかない話だけど……本質的に同じってことは、どんな生命に宿る力も元をただせば同じということかい?」

「まあ、そうなの。色々と違うように見えるけど、どれも同じものから変質したものと考えていいの」

 

 息を切らせながら崖を登り切ったジョルジュ。そんな彼に、もしもの救命役として最後尾につけていたノイが応じる。

 流れる力が七耀の属性に染まれば、七耀脈となり七耀石を生み出す。それから人が引き出して利用するものが導力だ。

 あるいは人が肉体に宿る力を引き出そうとすれば、丹田に集うそれを気功と称する。はたまた魔性の術理を用いるものは、己の内から、または地脈から引き出した術の対価を霊力と呼ぶ。

 形は違っても、どれも同じなのだ。

 生命に流れる霊的な血潮とでも言うべきもの。幾重にも枝分かれするその源流、最も純粋な力の呼び名をトワは口にする。

 

「生命の魂から、星の核から生まれるもの――それが、《星の力》」

 

 クロウたちは大聖堂で見た光景を思い返す。

 トワのもとに集った、あの黄金色の輝き。あれが純然たる生命力そのもの、星の力だというならば腑に落ちる。

 命の輝きというのは、あれほどまでに美しいものだったのかと。

 

「はぁ……こりゃまた、とんでもない話というか……現実感がついてこねえな」

「あはは……だよねぇ」

「仕方ないの。普通に生きていて生命の理なんて気にすることもないだろうし」

 

 星の力の概念を把握はしたが、それをかみ砕いて理解できたかというと頭が追い付いてきていないのが正直なところであった。

 もとより一から十まで理解するのは土台無理な話だ。星の力の深奥まで立ち入ろうとするならば、この世界の森羅万象にまで知識を深めなければならない。普通の人間の、ほんの十数年の人生では入り口に立つのがやっとだろう。

 真に理解するためには、膨大な年月をその探求に費やすか……それこそ、生まれついて星の力そのものを知覚する存在でなければ不可能だ。

 

「今は、そういうものがあると分かってもらえれば十分だよ。口では説明できないことも多いし」

 

 人の体には星の力が宿っており、それが失われかけていることでカーテは死に瀕している。必要最低限、そのことが理解できればいい。

 この場で講釈を垂れ始めたら、太陽と月がいくら廻り季節が過ぎ去っても終わることはないだろう。全員が崖を登り切ったのを確認し、トワは話を区切るように足を再び進め始めた。

 

 

 

 

 

 オーロックス峡谷は、エレボニア帝国とカルバード共和国の境界を為す山岳地帯の一部にあたる。一応は共和国方面に繋がる道もあるが、互いを不倶戴天の敵と見做す今となっては足が途絶えて久しい。

 当然ながら、その道は侵攻ルートとしても考えられる。オーロックス砦は元々、古来よりそちらからの防衛あるいは侵攻の拠点として建設されたのだろう。

 しかし、それは中世以前の話。戦争の大規模化、昨今の機甲化を経た現代戦において、峡谷の狭く険しい道は進軍に甚だ不適切だ。

 わざわざ戦いにくい場所で戦う指揮官はいない。必然的にオーロックス峡谷の戦略的価値は低くなり、砦も防衛拠点というよりクロイツェン領邦軍の軍事的本拠地としての性格が強い。今では共和国方面への門扉が残っているかも怪しいところである。

 

 閑話休題。

 峡谷道は、そんな砦とバリアハートを結ぶ道だ。砦の奥、本格的な山岳地に比べれば控えめであるが、一度道を外れれば峻厳たる赤茶けた崖肌が出迎える。場所によっては標高もそれなりに望めるだろう。

 ユピナ草を探し求めるトワたちは、既にかなり高い地点にまで登り詰めていた。切り立った崖から見渡せば、壮麗なバリアハートの街並みが遠くに見える。

 尤も、そんな風景を眺める余裕があるのはトワだけだ。一歩間違えば谷底に真っ逆さまな悪路を平然と突き進む彼女に、他の三人はついていくので精一杯だった。

 

「っとぉ!? あっぶね……命が幾つあっても足りねえぞ、こりゃ」

 

 風化して脆くなっていたのか、地面の一部が崩れて足を取られかけたクロウが冷や汗を流す。初夏の暑さもどこへ行ったのやら。容赦なく吹く強い風が寒気を感じさせた。

 獣道ならまだマシなもの。急勾配の崖をよじ登り、今にも崩れそうな細道を渡り、身の危険を感じる道程にクロウたちは神経を磨り減らす。

 それらをアスレチックの如く軽々と乗り越えていくトワは、控えめに言って心臓に毛が生えているように思えた。意外と野生児なトワからしてみれば、例え天を衝く高さだろうと強風吹き荒ぶ不安定な道だろうとへっちゃらなのだが。

 

「そんなに心配する必要ないの。落ちたら私が引っ張りあげるから……ジョルジュもたぶん大丈夫なの、うん」

「そこはかとなく不安を煽られるんだけど……」

 

 万が一滑落しても、ノイがギアホールドで引っ掛けて助け上げてくれる。その点、安全性に問題はない。

 とはいえ、人間怖いものは怖い。微妙に言葉を濁されたジョルジュは尚更であった。他に対策もないので、このまま進んでもらう他にないのだが。

 

「それにしてもまあ、随分と登って来たね。こんなところまで来ないとユピナ草は見つからないのかい?」

 

 安定した場所で一息ついたところで、アンゼリカが周囲に視線を巡らせる。

 近辺に、もうこれ以上標高が得られそうな場所はなかった。その眺望は壮観ではあるが、薬草一つを探すのにここまで労力を要することはあるのだろうかと疑問に思うのも仕方ないだろう。

 だが、何も考え無しに足を進めてきたわけではない。トワは静かに頷いた。

 

「もともと、生育条件としてはかなりギリギリだからね。途中にも見つからなかったし……このあたりでも見つからなかったら、国境付近まで足を延ばすしかないかも」

 

 高地の気候や潤沢な地脈、ユピナ草が根付くには様々な条件が整っていなければならない。特効薬の材料であるのに安定した供給ができない要因だ。

 オーロックス峡谷道は、その条件に照らし合わせるに辛うじてと言ったところ。見つけられる可能性は楽観的に考えても五分五分であった。

 砦の奥、本格的な山岳地なら期待もできるが、そこは共和国との国境地帯。そう易々と立ち入れる場所ではないはずだ。なるべくこの場でユピナ草を発見したい。

 僅かな希望を求め、目を皿のようにしながら近辺を探索する。真面目に探しつつも、クロウが「っていうかよ」と口を開く。

 

「お前の力で根本的にはどうにかならねえのか? 大司教には対処療法とか何とか言っていたが……」

「根治は難しいね。私がやったのはその場しのぎ――延命処置って言った方が伝わりやすいかな」

 

 首を傾げる三人。トワがその星の力とやらで何かをしたのは分かったが、具体的にどういった事象が起きているのかはさっぱりだった。

 

「カーテさんは今、奈落病で傷ついた身体の器から星の力が漏れ出ている状態。私にできるのは、そこに力を注ぎ足すことだけだから」

 

 水が漏れ出るグラスに注ぎ足しても、底をつくまでの時間が延びるだけ。延命処置とは、つまるところそういう意味だ。

 正常な状態に戻すためには、やはりユピナ草による特効薬を使う他にない。器が自然な形に修復されれば星の力も直に元に戻る。兎にも角にも、カーテの命を救うためにユピナ草は必要不可欠なのだ。

 そこまで理解したところでクロウたちは、はたと気付く。

 トワが出来ることは、器に対して新たに星の力を注ぐことだという。奈落病に対しては先延ばししかできないと本人は言うが……それが意味するところは、途轍もない事実ではないのか。

 

「いや、まさか……トワ、君は――」

「あったのっ!!」

 

 理屈では分かっても、俄かには信じがたいそれ。その真偽を問おうとした瞬間、上空から周辺を見渡していたノイの大声が遮った。

 

「あそこの岩陰! きっとユピナ草なの!」

 

 疑念も何もかもが、一先ずは後回しになった。

 ノイが指差す方向に急ぎ足で向かう。僅かに緑で色付いた岩場の陰を覗き込むと、確かにそこには少ないながら草花が揺れていた。

 薄っすらと蒼い花弁。どこか儚げな雰囲気を醸し出すそれをじっくりと検分するトワ。間違いのないよう慎重を重ねたうえで、彼女は確信をもって頷いた。

 

「うん、確かにユピナ草だよ。多くはないけど、カーテさんの薬を作るには十分だと思う」

 

 その言葉に、本来は喜ぶべきところなのだろう。

 いや、見つかったのは間違いなく良いことだ。それはクロウたちにとっても違いない。しかしながら、ユピナ草の発見を正直に喜べない理由が、見つけたそれそのものにあった。

 

「その……大丈夫なのかい? 見た感じ、状態は良くないみたいだけど」

「ぶっちゃけ枯れかけだな、こりゃ。薬の材料になるかは怪しいところだが……」

 

 蒼い花弁は端から黒ずみ、全体的にしなびかけていた。咲きはしたものの、環境的な要因からすぐに枯れてしまったのだろう。

 これでは薬効は期待できそうになかった。せっかく見つけたというのに、それが肝心の薬には使えない状態だとは。落胆の色が広がるのも無理なからぬことだ。

 だが、トワはそうではなかった。大した問題ではないとでも言うかのように、その声には揺らぎなどまるで存在しなかった。

 

「大丈夫だよ。これだけあれば、あとはどうにかなるから」

「どうにかって、お前……」

 

 こんな枯れかけの代物をどうするというのか。

 答えは、それを口にする前に示された。

 トワが再び白銀に染まり神威を発する。言葉を失う三人を余所に、彼女は枯れかけのユピナ草を前に祈るように目を閉じ手を組んだ。

 

「お願い……」

 

 大地が脈動する。少女の祈りに呼応して地脈が鼓動を打ち、流れる生命の源が――星の力が彼女のすぐ傍に、ユピナ草に集まっていく。

 大地が光り輝いていた。集中した星の力は黄金色の輝きとなって可視化し、その燐光がユピナ草を包み込んだ。

 トワは瞼を上げ、言霊を紡ぐ。朽ちかけた生命に再び光を灯すために。

 

「もう一度、咲いて――!」

 

 途端、一際強く輝いた光にクロウたちは反射的に目を閉じる。

 いったい何がどうなったのか。すぐに収まった光の下に視線を戻し――その先で目にしたものに、彼らは今度こそ茫然自失となった。

 

「……マジかよ」

 

 非現実的な光景に、そう口にするのがやっとだった。

 瑞々しい蒼い花弁が、峡谷の風に揺れていた。つい先ほどの黒ずみ、しなびかけていた姿などどこにもない。そこにあるのは、儚くも美しく咲き誇るユピナ草であった。

 奇蹟。他に表しようのない超常の事象を前に、クロウたちは呆然と立ち尽くすことしかできない。

 そんな彼らの方に、安堵の息をついたトワが振り返る。

 思えば、力を解き放った彼女と面と向かうのは初めてだった。なびく白銀の髪は一本一本が輝いているようで、金色から紅耀石(カーネリア)を思わせる真紅に変色した虹彩はどんな宝石にも勝る美しさを覚える。

 普段の幼げな可憐さは鳴りを潜め、代わって幻想的な雰囲気をトワは纏っていた。三人の様子を見て少し困った笑みを浮かべる様子は、あまり普段と変わりのないものだけれども。

 

「これで大丈夫だけど……まあ、そうなるよね」

「は、はは……正直、魂消たとしか言えないよ」

「もしやと思ってはいたが、こうも見せつけられると理解せざるを得ないね、まったく」

 

 もはや、トワの力がどういったものなのか疑う余地はなかった。

 カーテの命を長らえさせたこと。枯れかけだったユピナ草を蘇らせたこと。そのどちらにも星の力が大きく関わっている。

 ならば、それを為したトワが持つ力も自明の理となる。

 

「勿体ぶるような形になっちゃったけど、そろそろちゃんと言っておこうか」

「トワ……」

 

 姉代わりの気遣いの目にトワは頷いて応じる。大丈夫、そう言うように。

 一呼吸おいて、彼女ははっきりと、自分の口からそれを明かした。

 

「星の力を感じ、操る力。それが私たちの――女神よりレクセンドリアの地に遣わされた古代人、《ミトスの民》の権能だよ」

 

 

 

 

 

 近くの岩場に腰を下ろしたトワが「少し長くなるけど」と前置く。ここに至って最後まで聞かない選択肢などない。クロウたちも適当な場所に腰を落ち着けて聞く姿勢に入った。

 

「皆もう分かっているだろうけど、私は純粋な人間じゃないんだ」

「……それは異能持ちとか、そういうのとは違う意味なんだな?」

 

 語り始めから反応に困る出だしだったが、クロウはなんとかそれを受け止めて聞き返した。確認の態を取りながらも、半ば確信の上で。

 人間の中には、時に異能と呼ばれる特異な能力を有した者が現れる。その効力、起因は様々であるが、いずれにしても変わらないのは彼らも人間であるのには変わらないということだ。

 だが、トワは違う。彼女の力はあまりに強大すぎた。異能という範疇に収まらない埒外のそれは、とても人の身には御せないものだ。

 人間が有するはずのない力であるなら、答えは一つ。彼女は人間の枠から外れた存在であるということになる。

 

「うん、私は人間とミトスの民の混血だから。それにお母さんの方の血が強く出たみたいで、殆ど純血と変わりないし」

 

 ミトスの民、それこそが彼女の身に流れる血の名であり起源。

 いったい如何なるものなのか。トワは言葉を続ける。

 

「さっきも言ったけど、ミトスの民は空の女神がレクセンドリア大陸に遣わしたとされる古代人なんだ。ゼムリア大陸における《七の至宝(セプト・テリオン)》と《聖獣》に類似する存在だね」

「《七の至宝》……古代ゼムリア文明繁栄の礎とされる代物か」

 

 女神が古代ゼムリアの人々に与えたとされる、超常の力を有した七つの古代遺物。そして、その行く末を見守る七の聖獣がこの大陸には存在する――と、伝説では言われている。

 世間では眉唾な話であるが、こうして伝説の中から飛び出してきたような存在を前にしてはそれも信憑性を帯びるというもの。同じ女神から遣わされたものとなれば尚更であった。

 

「ミトスの民は星の力を操り知恵を与えることで、レクセンドリアの人々を豊かにするのが役目だったの。実際、大昔のレクセンドリアには古代ゼムリアにも負けないくらいの文明が栄えていたんだ」

「あの大陸にそんな文明が……でも、栄えていたってことは……」

「……レクセンドリアの文明も、ゼムリアのように滅びてしまったの。大崩壊と同じ……ううん、見方によれば、もっと救いのない形で」

 

 かつてレクセンドリアの地に栄えた古代文明。ミトスの民が力と知恵を与え、人々は女神からの遣いを崇め、そして共に生きていた。

 だが、今のレクセンドリア大陸にその面影は見られない。あるのはどこまでも広がる雄大な自然と、時折見つかる朽ち果てた文明の残滓のみ。ゼムリアでは稀に発見される古代遺物から、古代の文明の凄まじさを感じ取れる部分もあるが、レクセンドリアにはただ未開の地が広がるのみだと聞く。

 古代レクセンドリア文明がゼムリアの大崩壊と同じように滅びてしまったのは確かなのだろう。だが、それを語るノイの哀しそうな表情が、単純に比較できない只ならぬことがあったのを示していた。

 レクセンドリア大陸は三十年前まで立ち入ることのできない不可侵の地と化していた。そのことに滅びの原因が関係しているのかもしれないが、今はそこまで語ることではないのだろう。トワが話を進める。

 

「滅びの中でミトスの民も殆どが死んでしまったけど、二人だけ生き残りの兄妹がいた。その兄妹は滅びを予期して作られた箱舟で宇宙(そら)に逃れ、そして千年にわたる長い眠りについたの。人々が過ちから立ち直ることを願って」

「……その箱舟ってのが《テラ》で、兄妹がお前の母ちゃんと伯父貴なんだな」

 

 返されるのは首肯。クロウは深く息を吐いた。

 気の遠くなる話だ。遥か西方の大陸、その神話の主たる女神の遣い。そんな存在が市井に混じって生活しているなど、どこの誰が想像できようか。

 思い返してみれば、シグナも不可思議な力を使っていた。帝都の地下水路、そこで魔鰐に片足を食いちぎられて失血死しかけていた騒動の主犯を生き延びさせた業。あの時は気功術の類かと思ったが、あれも星の力を用いたものだったのだろう。

 女神の力の一端を有する古代の民。その血を受け継いだ末裔が目の前の少女ということか。途轍もない話である。

 

「三十年前の《流星の異変》を経て、お母さんと伯父さんは地上で生きていくことを選んだの。あ、二人を養子として引き取っただけで、お祖父ちゃんは普通の人間だよ」

「女神の遣いを養子にすること自体、大したものだと思うけどね。流石は《剣豪》というか……それを考えたらナユタさんの方が凄まじくなるが」

「女神の遣いを嫁にした男、か。はは……器が大きいどころの話じゃないね」

 

 思わず乾いた笑みが漏れる。あの温和な男性が並の人物ではないことは薄々分かっていたが、軽く想像の斜め上をいかれて参ってしまう。

 だが、これで色々と合点が付いた。トワが有する不可思議な力の正体、彼女たちが《流星の異変》について詳しい理由、大司教が示した敬服の姿勢。そのどれもが、ミトスの民と繋がっている。

 

「七耀教会あたりは、お前らのことを把握しているみたいだな」

「うん。でも、そこのところ結構複雑なんだよね」

 

 複雑とは、どういうことか。首を傾げる面々に答えたのは、肩を竦めたノイであった。

 

「さっきの大司教さんみたいに、典礼省の人は女神の遣い――要するに《天使》として崇め奉ってくるの。ただ、問題は封聖省とか教会上層部の枢機卿とか」

「自分で言うのもなんだけど、信仰対象になり得るのが実在していると教派の分裂とかに繋がりかねないらしくて……それが無くても、私たちの存在は教会にとって劇薬だから。世間には厳重に秘匿されていて、教会内部でも知っているのは大司教クラス以上だと思う」

 

 言われて納得した。それは秘匿も必死になるだろう。

 教典に綴られる空の女神を信仰する七耀教会。そこに神の如き力を持った存在が現れればどうなるか。より明確な信仰対象に魅かれ、教会内で分派する可能性は否定できない。

 空の女神の教えはゼムリア大陸に広く浸透している。それこそ、切っても切り離せないほどに。そんな一大宗教が分派など起こせば間違いなく大騒動。最悪、宗教戦争なんて碌でもないことになりかねないだろう。

 《流星の異変》の仔細が一般に伏せられているのはそうした理由があってのこと。なるほど、劇薬とは言い得て妙だった。

 

「つまりマイフェアリーエンジェルはリアルエンジェルだったということか……! ああ女神よ、この出会いに感謝します!」

「今の話を聞いてその感想が出てくるあたり、アンは本当にぶれないね」

「あはは……私としては、変に畏まられても困るだけなんだけど」

 

 とはいっても、それはあくまで教会にとっての話。試験実習班にとっては《天使》だとか宗教上の問題など知ったことではない。

 仲間の一人が、たまたま普通の人間じゃなかっただけ(・・)。常識外れな一面など散々目にしてきたのだ。今更になってとやかく言うつもりもなければ、そんな浅い付き合いをしてきた覚えもない。

 トワは、それが何よりもありがたかった。彼らなら受け入れてくれる。そう信じられたからこそ、こうして自分のことを明かせたのだから。

 

「それに……事情を知らない人からしたら、天使でも悪魔でも変わりないよ」

 

 だが、彼女は知っていた。誰もが自分を受け入れてくれるわけではないことを。

 トワらしからぬ影を帯びた声。何か並々ならない事情があるのを察するには十分な兆しだった。

 

「……どういう意味だい?」

「普通の人からしたら、どっちも大きな力を持った存在には違いないっていうこと。自分たちの理解が及ばない、恐怖の対象としてね」

 

 淡い笑みを浮かべる彼女に、何と言えばいいのか分からなかった。その語り口には、あまりにも実感が籠っていたから。

 

「十年くらい前まではね、私は自分の持つ力が当たり前のものだと思っていたんだ。力の扱い方はお母さんと伯父さんが教えてくれた。島の皆もそれが自然なように受け入れてくれていた。だから、これが当然なことなんだって」

 

 教え導いてくれる先立ちがいた。ありのままの自分を受け入れてくれる故郷があった。ミトスの民として生まれたトワにとって、それが幸運だったのは間違いない。

 しかし、幼い少女にその幸運を理解しろというのは酷な話だった。生まれた時からあるものを、どうして特別と思えよう。

 彼女の周りの人々は、それを把握しつつも改めようとはしなかった。偏にまだ小さい子供だったからだ。歳を重ねれば、いずれ分かるようになるだろうと。

 そうして先延ばしにしたのが仇になった。

 悔恨の表情を浮かべるノイ。トワは「でも、違った」と話を続ける。

 

「秘匿はされているけど、少ないながら交易があったり、隠しようもない巨大な遺跡があったりで色々と噂は流れるみたいでね。残され島にも稀に観光客とかが来るんだ」

 

 あと、と言葉を区切った彼女はどこか哀しそうな顔になる。

 

「《テラ》からの盗掘を狙った人とか、ね。実際のところ、分かり易い金銀財宝なんてものは無いんだけど」

「それはまた不届きな連中というか……そんな輩がどうしたというんだい?」

 

 情報が完全に遮断できないのは仕方がない。残され島の人々にも生活というものがあるし、何より小国並みの大きさを誇る遺跡が落着した現場である。とても存在そのものを隠し通せるものではなかった。

 だから《テラ》という巨大な隠れ蓑に真実は紛れ込ませる。外部の人間の前では神秘の片鱗を見せず、島の人々も口を噤む。そうすれば巨大遺跡を遠目に見るだけで観光客は帰っていく。それが教会との盟約に定められたこと。

 だが、決して万全とは言えなかった。強欲な人間は、時に想像を超えた蛮行を容易く選ぶのだから。

 

「夜闇に紛れて飛行船で侵入したみたいなんだけど、よりにもよって凶暴な魔獣が生息するところに入り込んじゃってね。あっという間に墜落して逃げられなくなっていた」

 

 《テラ》は様々な原生生物が生きる土地。当然ながら魔獣も含まれており、中には現代では考えられない強靭な種もある。

 そんな場所に不用意に立ち入った盗掘人を待ち構えていたのは、情け容赦のない原始の洗礼。弱肉強食の理の前に命を潰えかけた。

 

「たまたまお父さんも伯父さんもいなくて、お母さんも出かけていたから最初に気付いたのは私。助けなきゃって、深く考えもせずに飛び出したの」

「…………」

 

 お人好しなトワらしい行動だ。小さい頃からそれは変わらなかったのだろう。

 しかし、話が進むにつれて重苦しくなるノイの表情が物語っていた。これは決して、善き結末を迎えた出来事ではないのだと。

 

「何とか間に合って、当たり前のように力で魔獣を追い払って……へたり込んだ人に手を差し伸べたら、何て言われたと思う?」

 

 クロウたちは、何も答えられなかった。

 分からなかったからではない。想像がついてしまったからこそ、その答えを口にはしたくなかった。彼女の淡い笑みの理由を察してしまった。

 トワはそんな三人の胸中を知るからこそ、自ら答えを口にする。

 

「その人は私の手を振り払って、怯えた目で言ったんだ」

 

 

――近寄るな、この化け物っ!!

 

 

 助け出した相手から投げかけられたのは、同じ人間に向ける言葉ではなかった。それを思い返して頬を緩める様は唯々痛々しい。

 

「馬鹿だよね。少し考えれば、そうなることくらい分かりそうなのに」

「お前……」

 

 自嘲の笑みを浮かべる彼女に、何と声を掛けるのが正しかったのだろうか。

 心無い盗掘人に対して憤る?

 化け物なんかじゃないと否定する?

 きっと、どれも違う。何が正しくて、何が間違っているという単純な話ではないのだ。

 たった七、八歳の頃。剣を振るうには身体が出来上がっていなかっただろうし、魔獣を追い払うにはミトスの民の力に頼る他になかった。

 対して、そんな小さな女の子が飛行船を打ち落とすような魔獣を不可思議な力で追い散らすのを見れば何と思うか。

 理解を超えた力、人に非ざる威圧を放つ存在を前にして、脆弱な人間は拒絶することしかできない。天使でも悪魔でもなく、理解の及ばない人外――化け物、或いは怪物と。

 その矛先を向けた相手を、どれだけ傷つけるか知る由もなく。

 

「その時になってようやく分かったんだ。自分が人間じゃないって」

 

 自身がどんな存在なのかは知っていた。知っていただけで理解していなかった。恵まれた環境に溺れ、当たり前のことと錯覚していた。

 ある意味で正しい反応に晒されて、トワは幼いながらに悟ったのだ。自分は万人に受け入れられる存在ではないのだと。その胸に刻まれた心的外傷(トラウマ)と共に。

 

「……そうか。だから鉄鉱山の時にあんなに……」

「そんなろくでなしと一緒にされたのは心外だが……仕方ないことか」

 

 特別な力を持っているとはいえ、ほんの小さな子供にとってどれだけの痛みを伴うことだっただろうか。血は出ないけれど、どんな傷よりも鋭い痛みが彼女を襲ったに違いない。また拒絶されるのではないか。そんな恐れを抱いてしまうほどに。

 

「ちっ……結局、盗掘人ってのはどうなったんだ?」

「後から駆け付けた私とクレハ様で保護した後、教会の人たちに連れていかれたの。命までは取られていないと思うけど、暗示で記憶を封じられたうえで投獄されたんじゃないかな」

 

 無法者には相応の罰が下ったようだが、ノイの口ぶりにはまるで興味が感じられない。彼女たちにはどうでもいいことだったのだ。

 いつか分からせなければいけないことだった。人非ざる存在であること。生まれ持った力の強大さ。そんな自分たちを人は時に畏れ、拒むこと。ゆっくりと、時間をかけて受け入れてもらおうと思っていた。

 だが、現実は非情だ。考え得る限り最悪の形でトワは思い知ってしまった。幼い無垢な心を引き裂くことで。

 悠長に構えていたせいで大切な子を傷つけてしまった。ノイは、彼女やナユタをはじめとした人々は、そう悔いているのだろう。

 

「当たり前だと思っていたことが違うと分かったら、急に怖くなってきちゃってね。それまで自然とこの姿だったのも、意識して抑え込むようになった」

 

 普段の栗色の少女と、今の白銀に真紅の姿。どちらが自然かと問えば、それは後者であった。

 普段の姿は元ある力を身体の奥底に押し込んでいる状態。ミトスの民としての本質を抑え込んだ仮初めのものだ。

 自分自身に封を施し、可能な限り常人に近付ける。無駄で無為な真似と誹られても仕方がない行為だが、そうでもしなければ心の平静を保てなかった。

 

「上辺だけ取り繕っていつも通りの生活に戻っても……力を使うのは怖かったし、考えれば考えるほどどん底に嵌っていった。ミトスの民として正しい在り方ってなんだろうって。もう、使命も役目もなくなってしまったのに」

 

 生まれ持ったものの大きさに気付いてしまったトワは、それを規範の中に落とし込もうとした。そうすれば力を律することが出来ると思ったから。

 だが、かつてあった規範や標は無意味なものに成り果てていた。人々を豊かにするという役目はレクセンドリアの滅亡と共に立ち消え、もう一つの使命も他ならぬ生みの親たちの尽力により為し遂げられている。ミトスの民は、その務めを既に全うしていたのだ。

 役目を終えた天使の一族。その末裔に生まれた自分は、いったいこの力で何をなすべきなのだろう?

 トワには分からなかった。分からなくて怖かった。宙に浮いてしまった大きな力に、いつか押し潰されてしまうのではないかという漠然とした恐怖が付き纏う。

 もし自分が、この力で取り返しのつかない過ちを犯してしまったら。根拠はない。けれど、否定も出来ない未来の可能性に怯える日々。標も何もなく霧の中に放り込まれた幼子は、進むも退くも出来ずに立ち往生に陥った。

 他者からの拒絶の恐怖、自らの力に対する畏れ。見えない鎖で雁字搦めになった彼女は、そのままだったらきっと故郷に閉じこもる一生を過ごしていただろう。

 

「でもそんなある日、お母さんが言ったんだ」

 

 そうならずに済んだのは、思い悩む娘に送られた母の言葉があったからこそ。僅かであっても鎖の縛りを緩めたのは、子の幸福を願う親の真摯な想いだった。

 

 

――ミトスの民としてどうあるべきかなんて、どうでもいい。

 

――あなた自身がどうありたいか。何を願い、何を成したいのか。

 

――考えて、考えて……見つけた答えの為に、《力》を使いなさい。

 

――その答えがきっと、トワ、あなたを何よりも強くしてくれるから。

 

 

「やっぱり難しいなぁ。ずっとずっと考えているのに、まだ答えが見つからないんだ」

「……へっ、確かにな。とんでもねえ難問だ」

「ああ……だが、それも母君の優しさ故だろう」

 

 与えられたのは安易な逃げ道ではなく、遠く険しい自身の真理を問う道。

 娘の懊悩を解きほどくだけなら他にやりようもあっただろう。それでも敢えて苦難を伴う道を示したのは、トワの本当の幸せを願ってのこと。クロウたちは顔を合わせたことはなくても、言葉と娘の表情だけでそのことに疑いようはなかった。

 母の言葉を受けて、トワは足を踏み出した。

 叡智の殿堂を構える博士より多くの知識を授かった。祖父より教え継がれた剣の研鑽を積み重ねた。島の人々の助けになり、その声に耳を傾け――やがて彼女は、故郷から旅立つことを決意する。

 

「残され島だけじゃない。外の世界の良いところも悪いところも学んで、その上で答えを出したい。そう思ったから、私はトールズにやって来たんだ」

 

 知識だけでは理解したことにならない。経験から弁えていたトワが外の世界に飛び出すことを選んだのは必然であった。

 この世界は自分が知らないことで溢れている。エレボニアの中に限っても、その軍事力という暴力の本質や、革新派と貴族派の確執は肌で触れなければ分からないことだ。

 だからこそ選び取った士官学院への道。不安はあった。だが、それ以上に自らの答えを見出したいという強い思いがあったからこそ、彼女は今ここにいる。

 

「まあ、知っての通りなかなか上手くいってないんだけどね」

 

 言って、恥ずかし気に頬を掻くトワ。

 確かに、お世辞にも順風満帆とは言えないだろう。この前はトラウマを刺激された影響で皆を避けてしまい、色々と迷惑や心配をかけた。それは事実だ。

 

「そうかもしれないけど、それだけじゃないだろう? こうして僕たちに話してくれただけでも、トワが確かに前に進んでいる証だと思うよ」

「そうなの! トワはもっと自信を持った方がいいの!」

 

 でも、ただ足踏みをしているだけではない。ゆっくりと、少しずつではあるけれど、彼女も一歩一歩進んでいる。それも間違いのない事実なのだ。

 

「そうかな……自分だと、臆病で尻込みしてばかりに思っちゃうのだけど」

「さてな。そこらへんは自分の感じ方次第だろうが……ま、そのままでもいいんじゃねえか」

 

 そうは言われても素直に胸を張れないトワに、クロウが思ったままの言葉を投げかける。

 どういうことだろう。不思議そうに見上げる真紅の瞳に、彼は白銀の頭をぐりぐりと撫でまわす。色彩や雰囲気は変わっても、その感触はいつもと変わりない。

 ミトスの民だろうが天使だろうが、クロウにとってここにいるのはトワ・ハーシェルという一人の女の子だった。

 

「ただでさえ強くて頭がいいって枕詞がついてんだ。小さくて臆病な天使様って方が可愛げがあるってもんだろ」

 

 更に完璧超人にでもなられたら敵わない。言外に告げられたそれを良く受け取るべきか、悪く受け取るべきか。もう少し素直に言ってくれればいいものを。

 ただ、それとは関係なしにトワは少し引っ掛かるところがあって表情をムッとさせる。

 

「クロウ君、私のことをなんだか子供扱いしているような……」

「仕方ないんじゃないの? 実際、人間と比べて成長速度は遅いわけだし」

 

 横合いからの姉貴分の言葉に「そうだけど」と言葉を濁す。事実としてそうではあっても、この釈然としない気持ちは消えないのである。

 片や、周りはノイの発言に気をひかれていた。単純に小さいだけだと思っていたトワの身体に、他の要因があったとなれば気にならないはずがない。

 

「そうなのかい? 見た感じ、人間と変わりないように思えるが」

「ミトスの民は、肉体はあっても本質としては霊的生命体に近いからね。怪我の治りだって早いし、寿命も人間より長くなっているの。その分、成長するのは遅いってわけ」

「そ、そうだよ。まだ成長期じゃないってだけで、私だってまだ大きくなるんだからねっ」

 

 一応は低身長を気にしているのか、そこはかとなく語気を強めて主張するトワ。微笑ましいものだが、そこは素直じゃない目の前の男。ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべて問いかける。

 

「へえ。じゃあ俺たちと同じくらいになるのは何歳くらいなんだ?」

 

 揶揄い半分でもあるが、単純に興味もある。そんな意図のもとに口から出た質問に、トワは「むぐっ」と言葉を詰まらせた。

 何とも言い難い複雑な表情を形作った彼女は唸り声を出すばかりでなかなか答えを口にしない。そんなに答えにくいことだったのだろうか。そう思い始めたあたりで、律儀な彼女は躊躇いがちながらもちゃんと口にした。

 

「…………ひゃ、百歳くらい」

 

 目を逸らし、小声で呟かれたのは想定外の数字であった。思わずクロウの口からも「ええ……」と漏れる。

 

「お話にならないじゃねえか。俺たちが死ぬまでずっとチビッ子のままかよ」

「クロウ、何を言っている! 愛らしいトワが徐々に美しくなっていく過程を一生楽しむことが出来るということではないか! これほど素晴らしいことはないだろう!」

「それはちょっと変態の誹りを免れないよ、アン」

「ああもう! この話はおしまい! 終了!」

 

 好き勝手言う仲間たちに、さしものトワもちょっと怒った様子で話を無理矢理ぶった切る。ノイはやれやれと肩を竦めるばかりであった。

 

「もう、真面目な話のはずだったのに……」

「いいじゃねえか。湿っぽいまま終わるより俺たちらしいだろ」

 

 なんだか締まらない形になってしまったが、これがトワの胸の内に秘めてきた全てだった。それが最終的に笑い話になっているあたり、複雑な気分になったりはするものの、クロウの言い分に頷けるところもある。

 色々と事情があったり、話せないこともあるかもしれない。それでも仲間として認め合ってやってきたのが試験実習班だ。

 たとえ、どんなに重く苦しい過去だろうが、身に余る大きすぎる力だろうが、全てを受け入れたうえで笑い飛ばす。確かに、その方が自分たちらしいだろう。

 

「――よっし! じゃあ、このユピナ草をカーテさんのところに持って帰ろう。アモン大司教に早速調薬してもらわないと」

 

 立ち上がったトワが行動の再開を告げる。ずっと言えないできたことをようやく明かせたおかげか、その声はいつもより軽やかに聞こえた。

 手早く、必要な分だけユピナ草を採集した彼女たちはバリアハートに戻る支度を整える。苦労して登ってきた崖肌を今度は降らなければならないのかと思ってげんなりしているジョルジュを尻目に、アンゼリカが「そういえば」と口にする。

 

「エステル君たちの方は首尾よくいっているだろうか。あちらもあちらで、大変なことには違いないが」

「そうだね……まだ戻ってきていなかったら、ユピナ草を預けてから探しに行ってみようか。何か手伝えるかもしれないし」

 

 三人とも腕の立つ遊撃士だ。滅多なことにはなっていないと思うが、手古摺ってはいるかもしれない。

 人手はいくらあっても困らないだろう。自分たちの為すべきことを為したら、そちらの方の助力に回るべきだ。

 そう算段を立てたときだった。トワたちの耳に、その音が響いたのは。

 

――…………ォォオオ……!

 

 峡谷に木霊して響いてきたそれは、不吉さを孕んだ咆哮の残響。

 思わず動きを止めてしまう。そんな薄気味の悪さを感じるものだった。そう、普通の魔獣が出すようなものではない、この世在らざるものによるような。

 

「……ったく、今回は荒事なく終われると思っていたんだがな」

 

 クロウが遠くに目をやりながらぼやく。その視線の先、咆哮が響いてきた方向では、峡谷の一角で崖が崩れたような土煙が上がっていた。

 まず自然に起こったことではない。間違いなく何らかの戦闘痕。

 そして今、このオーロックス峡谷でそんなことが起きるとしたら……ほんの昨日に知り合った、けれど大切な友達のことが思い浮かぶのは当然のことだった。

 

「行こう、皆!」

 

 何か尋常ではないことが起こっている。そう判断した以上、彼女たちに余計な言葉は必要ない。トワの号令に応の一声。彼女たちは全速力で崖を駆け下りていくのだった。

 




《星の力》
あらゆる命に宿る生命エネルギー。ギアクラフトや四季魔法、テラにおける環境調節なども全てこの力が源となっている。

《ミトスの民》
かつて神と呼ばれた星の力を操る力を有した人々。人間に力と知恵を与え、古代文明の繁栄に大きく寄与した。古代文明の崩壊と時を同じくして大半が死に絶えたが、二人の兄妹だけがテラで宇宙に逃れて生き残った。
本質としては霊的生命体に近いため、人間では考えられない性質がある。長寿、死亡時には肉体は残らずに星の力に還る、霊的に大きなダメージを受けた際は石化して仮死状態になる、何らかの原因で人格が分裂して二人の存在に別れる等々。
テラやそれを管理するノイを作り上げたりと、割と何でもありな感じの正に神の如き人々である。

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