永久の軌跡   作:お倉坊主

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モンハンやってたら投稿が遅れてしまいましたぜ……時間泥棒なゲームは自分で区切りをつけないといけないから自制心が試されますな。


第38話 力の意義

 トワとエステルが《光の剣匠》という埒外の達人と手合わせする羽目になる少し前。彼女たちは予定通り、今後の地下水路の魔獣対策について話し合うために領邦軍の駐屯地を訪れていた。

 応対するのは立哨の兵士。まずは依頼完了の胸を告げ、そして本題である遊撃士たちの要件について説明する。それに対する相手の反応は案の定渋い顔。遊撃士風情に時間を割いていられるか。言葉にせずとも十分に雰囲気は伝わってきた。

 

「生憎だが、隊長はお忙しくされている。貴様らが面通り願えるほど暇ではない」

 

 口から出てきた言葉にしても大差はなかった。王国軍と良好な関係を築いているというリベールでは、これほど邪険にされたことはなかったのだろう。エステルがムカッときたように顔を顰める。

 こんなこともあろうかと同行してきたのがトワたちである。その中でも口が達者な二人がずいと前に出た。

 

「あれま、それは残念。せっかく今後の街の安全に繋がると思ってきたんですけどねぇ」

「お忙しいとあれば仕方がない。実習の報告がてら、ルーファスさんにお伝えしておくとしよう。ああ、うちのノルティア領邦軍とそちらについての意見も交換しておきたいね」

 

 わざとらしさが透けて見える口調でそんなことを嘯くクロウとアンゼリカ。こんな時ばかり息が合う二人の掛け合いに、兵士は「ま、待て!」と狼狽の色を見せる。

 

「る、ルーファス様にお伝えするだと!? それにノルティア領邦軍とは……」

「これは申し遅れた。アンゼリカ・ログナー、侯爵家の不肖の一人娘さ。以後、見知りおきを」

 

 ただの風変わりな学生かと思っていたら、その正体が四大名門の一角の息女だと誰が思うだろうか。あまりにも想定外な人物の登場に哀れ平々凡々な一兵士は口をパクパクさせるばかり。そんな彼に情け容赦することなく、アンゼリカはさらに畳みかける。

 

「ルーレは市内にRFの設備が多数あるからね。魔獣の侵入にも特に気を遣っているんだ。勿論、アルバレア公爵家のお膝元であるバリアハートが杜撰な対策をしているとも思わないが……ねえ?」

 

 そこまで言われて意図が通じないほど兵士は愚鈍ではない。口を開け閉めしていた様子から一転、頬が引き攣るほどに歯を食いしばり忌々しげな目をクロウとアンゼリカに――彼女の方には控えめだったが――向ける。

 遊撃士を通さないべきか、通すべきか。その損得を勘定にかけ、揺れる天秤に葛藤しているのだろう。だが実のところ、重石は一方に偏っている。彼は選ばざるを得ない選択肢を取るほかになかった。

 

「~~っ! 隊長は練兵場にいらっしゃる。用があるのならば、さっさと済ませてくるがいい!」

 

 甚だ不本意といった感情が滲み出ているものの、脇に避けて道を開ける兵士。その横を「どーもどーも」とか「お勤めご苦労様」だとか声を掛けて敷地内に入っていく二人。わざわざ神経を逆撫ですることもないだろうに。頬をひくつかせる兵士に申し訳程度の一礼をし、トワたちもまたその後に続く。

 

「えげつなぁ……でも、アンゼリカって本当に偉い貴族様だったのね。名乗っただけで効果抜群だったじゃない」

「あまり好きな手段ではないがね。ああいう手合いに効くのは確かさ」

 

 門からしばらく歩いたところでエステルが苦笑い気味に感心する。その言葉には意外という気持ちが籠っていた。トワたちとアンゼリカのやり取りを見ていれば、そう思うのもさもありなん。対して本人は肩を竦めるに留めた。

 アンゼリカはアンゼリカなりに貴族としての誇りを持っている。家名を笠に着て権力を振りかざすのは彼女の嫌うところだ。だが、それが有効な相手がいることも事実。必要ならばログナーの名を使うことに否やはない。ルーレの実習を経て、自分の貴族としての在り方を見つめなおした彼女が得た柔軟性といえるだろう。

 

 その心中までも知る由はないエステルは「そっか」と相槌を打つ。どこか現実味がない面持ちだった。気持ちはヨシュアも同じだったのか、少し戸惑いが混じった様子で口を開く。

 

「知識で知ってはいたけど、これほど貴族の影響力が強いなんてね。正直、軽く見積もっていたところがあるのは否定できないな」

「リベールから来たお前さんたちにとっちゃ、身分制度なんてカビの生えたものに思えるのも無理はないだろうがな。実際は馬鹿にならねえものだぜ。貴族がその気になりゃ、一平民なんてどうとでもなる存在だ」

「地方行政も殆どが貴族の管轄だしね……リベールはだいぶ昔に貴族制は廃止されたんだっけ?」

 

 どうやら二人は改めてエレボニア帝国における貴族の力の大きさを実感している様子。馴染みがないのも仕方のないことだろう。リベールではとうの昔に身分制度は廃止されているのだから。それを思い出したようにトワが問えば、ヨシュアが頷きを返した。

 

「中世から近世にかけてそうなったみたいだね。各地方都市の市長も、市民による選挙で選ばれることになっているよ」

「元貴族の家系の名士なんてのもいるけど、特別な地位にいるわけでもないしね。本当に特権的な人たちといったら、それこそ王室の人くらいなものよ」

 

 なるほど、とその説明に理解を示す。近世になる頃には既に身分制度が撤廃されていたとなれば、やはりリベールの人々にとって貴族の権威は想像しにくいもののようだ。王政が敷かれているといっても、選挙制度が整っているため地方行政からして市民が参画していることも一つの要因なのかもしれない。

 それに比して帝国が旧態依然の制度であるのは否定できない事実だろう。近年では鉄血宰相を中心とした革新派が台頭しているといっても、それは帝都や一部の行政区画においてのみ。バリアハートをはじめとした各州では依然として貴族が歴然とした力を有している。

 その良し悪しはここで語るべきことではないが、他国の人からの感触を知ることでトワたちとしても自国の現状を再認識した心地だ。特にアンゼリカは自身の立場故か思うところがあるようだった。

 

「貴族も権力だけが与えられているわけじゃない。それに伴う責任も当然ながら果たさなければならないはずなんだが……昨今では横柄さばかりが目立つのも否定できないね」

「アン……」

 

 貴族の義務(ノブレス・オブリージュ)と謳われるように、貴族には貴族だからこそ為さなければならないことがあるものだった。しかし、それは今や形骸化して久しい。残された権力を当然のものと捉えて横暴を働く貴族がいることも事実。アンゼリカの憂慮にエステルたちも難しい現状を朧気ながら理解したのだろう。揃って難しい顔になってしまう。

 

「まあ、そう悲観的に考えることもないだろ。貴族の中にも領民に慕われる立派な方はいる。サザーラント州のハイアームズ候なんかは、非公式ながら遊撃士協会の活動継続を黙認してくださっているしな」

 

 陰鬱な空気を払拭するかのように明るい声を出すトヴァル。その口から語られた内容に、ジョルジュが「えっ」と若干の驚きを露わにする。

 

「そうなんですか? 協会支部は殆どが閉鎖されたんじゃ……」

「表向きは支部を閉鎖したことに変わりないが、仮の拠点としてアパルトメントの一室を使わせてもらっているんだ。ハイアームズ候は遊撃士の活動に理解があるし、ある程度の便宜も図ってくれて大分助かっているよ」

 

 帝都だけでなく地方も、特に四大名門が治める州都では遊撃士が悉く排除されてしまったと思っていたが、実のところそうとは限らなかったらしい。陰ながら遊撃士に対して理解を示してくれる貴族がいることも知り、トワたちとしても胸が温かくなる思いだ。

 なにも貴族に悪いところしかないわけではない。現状、問題が多いのは確かであるけれど、アンゼリカのように自分なりの誇りを持っているものもいればハイアームズ候のようなものもいる。それも間違いではないし、忘れていいことではないだろう。

 

「ハイアームズ候は四大名門の中でも穏健派だからね。そこのところは柔軟性があるのだろう。やれやれ、我が頑固親父にも少しは見習ってほしいものだ」

「あはは……確かにアンちゃんのお父さん、頭が固そうではあるけれど」

「でも、そうした人に僕たち遊撃士の意義を分かってもらえるようにしていくのも、これからの帝国における活動で大事になってくるのかもしれない。一朝一夕で実現できることではないだろうけど、まずは理解あるところで地道にやっていくのが第一かな」

 

 帝国における遊撃士の立場は苦しいものだ。だが、そのまま状況に甘んじるのを良しとするほど彼らも柔ではない。理解ある人もいるのならば、その輪を広げていける可能性も皆無ではないはず。そのためにも草の根的に動いていくのが肝要だとヨシュアは言う。

 トヴァルも同意見のようだった。うむ、と頷いて言葉を引き継ぐ。

 

「政府のせいでと腐らずに動き続けることが大事ってことだ。幸い、ここから少し南に行った方にも支部は残っている。当面はそこで……っと、話し込んでいるうちに着いたみたいだな」

 

 今後の彼らの具体的な方針について触れかけたところで、耳に届いてきた訓練の音に話を中断させる。どうやらお目当ての隊長がいるらしき練兵場が近付いてきたようだ。

 剣術か或いは銃剣術の訓練でもしているのだろうか。剣と剣が打ち合う残響が絶え間なく木霊する。領邦軍の性質が如何様なものであれ、その練度自体は決して正規軍に劣るものではない。響く激しい剣戟の音に常からの積み重ねが感じられた。

 駐屯地内でも特に広いスペース。装甲車の格納も兼ねているらしいそこに足を踏み入れれば、訓練に汗を流す兵士たちの姿が見えてくる。剣術――正確には軍刀術の指南を受けているようだ。指南役と思しき蒼い髪の男性が静かながらもよく響く声で指示を出す。

 

「型に沿って剣を振るうのではない。型の理合を常に意識するがよい」

 

 「はっ!」と打てば響くような声。装いを見る限り軍人ではないようだが、随分と敬意を集めているらしい。兵士たちの返答に淀みは全くといっていいほど無かった。

 そんな男性の姿を認めて、アンゼリカとトヴァルが「おや」と反応を見せる。

 

「知り合い?」

「ああ。以前に少しね」

「噂をすれば、という奴だな。用件ついでにご挨拶申し上げるか」

 

 トワが首を傾げながら問いかければ、そのように二人は笑みを浮かべる。どうやら悪い出会いではないようだ。目当ての隊長も男性のすぐそばに控えている。訓練の邪魔にならないよう配慮しつつ、彼らの方へと近付いていく。

 練兵場にさして視界を遮るものはない。すぐに部外者の姿に気付いた蒼髪の男性は、怪訝な表情を浮かべる隊長を他所に見知った顔を認めて頬を緩めた。

 

「これはトヴァル殿。斯様なところで顔を会わせるとは、奇遇なこともあるものだ」

「はは、仰る通りで。お久し振りです、子爵閣下」

「して、そちらの者たちは……」

 

 トヴァルと挨拶を交わし、子爵閣下と呼ばれた彼は後ろのトワたちへと目を向ける。まずは面識があるアンゼリカが一歩前に出た。

 

「ご無沙汰しております、アルゼイド子爵。覚えておいででしょうか?」

「無論だとも。久しいな、アンゼリカ嬢。風の噂では泰斗の業を修めたと聞き及んでいるが……」

「ええ。あなたに指南いただいた剣をはじめ色々と手を出してきましたが、結局はこの拳一つに落ち着きまして。せっかく教えを受けたのに申し訳ない」

「何。己に馴染む武術を見つけられたのなら、むしろ喜ばしく思うところ。そなたはそなたなりの武の道を歩んでいくとよかろう」

 

 アンゼリカが言葉を交わす様子を見ながら、トワたちは少しばかり驚きを覚えていた。彼女がこうも純粋な敬意を示すというのも珍しい。話を聞くに、過去に師事した間柄の様子。以前に話してくれた泰斗流の師匠と出会う前のことだろうか。

 

「ふむ……察するに、アンゼリカ嬢の学友にトヴァル殿の同僚といったところか」

 

 そうこう考えているうちに男性はトワたちへ声を掛けてくる。その威風堂々とした佇まいに、自然と畏まって居住まいを正す。

 

「初めまして。トールズ士官学院一年、トワ・ハーシェルと申します」

「リベール出身の遊撃士、エステル・ブライトです。どうぞよろしく」

 

 各々丁重に――クロウはやはり軽いものの――名乗り、簡単ながらも自己紹介とする。それを聞き届けた男性が、トワとエステルの名を耳にしたところで僅かに驚きの色を見せたのは気のせいだろうか。少し目を見開いたように窺えた。

 そんな感情の揺らぎが見えたのも一瞬のこと。見間違いかと思うほどに泰然とした様相に立ち戻った男性が、今度は彼の方から名乗りを上げる。

 

「クロイツェン州が南方レグラムの領主、ヴィクター・S・アルゼイドという。よろしく頼む、士官学院の諸君。そして若き遊撃士よ」

 

 その名には聞き覚えがあった。どこでだったか、と思い返す間にヨシュアがはっと息をのむ。

 

「あなたが……名高き《光の剣匠》にお会いできて光栄です」

「《光の剣匠》?」

 

 ピンとこない様子のエステル。トワも右に同じくだ。そんな彼女らにヨシュアは言葉を続けた。

 

「ヴァンダール流と双璧を成す二大流派の一つ、アルゼイド流の宗家現当主である方だよ。帝国の武の世界でも五指に入る達人中の達人だ」

「正規軍、領邦軍の双方で武術指南役も務めていらっしゃる。その縁で私も一度、剣の扱いをご教授いただいた」

 

 アンゼリカの捕捉もあってなるほどと頷く。そして、やはり彼女はお転婆であるとも。どうせ無断で領邦軍の訓練に紛れ込んでいたのだろう。そんな型破りな侯爵息女でも指南をするあたり、アルゼイド子爵も大物である。

 帝国中でも著名な武門の頂に立つ人物。おそらくは理に通じる領域の使い手だろう。その身が放つただならぬ雰囲気にも納得がいく。

 だが、そんな人がどうしてトヴァルとも知り合いなのか。その疑問はすぐに氷解した。

 

「さっき言いかけたが、子爵閣下が治めるレグラムにも遊撃士協会の支部が残っているんだ。しばらくお世話になる身なんでな。失礼のないように」

「ちょ、ちょっとトヴァルさん! そういうことは早く言ってちょうだいって……!」

「ふふ、そう畏まることもなかろう。私自身、遊撃士の理念に共感するところがあってのこと。領民の助けにもなってもらっている以上、過度の礼節は無用というものだ」

 

 焦るエステルを至って平静に落ち着かせるアルゼイド子爵。揶揄われたと気付いたのだろう。トヴァルに恨みがましい目を向けるが、返ってきたのは道化るようなウィンクであった。仕方のない人だ。

 それはそれとして、話せば話すほどに大きく感じられる方である。子爵位の領主貴族であること、《光の剣匠》の異名を有する剣の達人であることのみではない。人としての大きさ、懐の深さをトワはアルゼイド子爵から感じ取った。

 そして、時を同じくして聞き覚えの理由にも思い当たる。遊撃士に縁があるとなれば、そこから自身へと繋がる道筋は単純明快。そっか、とトワは手を打った。

 

「もしかしてシグナ伯父さんの言っていたヴィクターさんですか? 随分と昔からお友達だという」

「お前、それは気安すぎるだろ……」

 

 伯父が口にする友人の話、その中でも古い付き合いの人物に思い当って問いかける。躊躇いもなくファーストネームで呼ぶトワに、さしものクロウも表情を曇らせた。

 

「構うまい。そなたが言う通り、シグナ卿とは二十年来の仲。得難き剣友の縁者となれば、私としても近しく感じるもの。そなたとの出会いを嬉しく思うぞ、トワよ」

 

 ところが、返ってきたのは柔らかい笑み。推測は当たっていたようだ。顔の広い伯父の友人の一人、若かりし頃より剣の腕を比べ切磋琢磨してきた『ヴィクターさん』とはアルゼイド子爵その人であった。

 共に帝国有数の剣の使い手として称される身だが、その付き合いは大成する以前よりのものと聞く。片や天才的剣の腕前と評される遊撃士、片や二大流派の一つアルゼイド流の後継者。性格も立場も全く異なるが、一度剣を交わせば打ち解けるのはすぐだったという。今でも機会があれば手合わせをするのだとか。

 そんな思わぬ繋がりに既知のトヴァル以外は驚くばかり。また、この場における人物との縁はそれだけではなかった。

 

「エステル、ヨシュア。そなたらとの父君、カシウス卿とも以前に顔を会わせたことがある。王国軍に復帰したと聞き及んでいるが、変わらず壮健であられるか?」

「父さんとも? 元気といえば元気だけど、どうしてまた」

 

 まさか自分たちの身内も知り合いだったとは思わず、エステルとヨシュアは目を瞬かせる。驚く姉弟にアルゼイド子爵は訳を明かした。

 

「先の猟兵による帝国ギルドの襲撃。その折に指揮を執ったカシウス卿に、一支部を領に有するものとして私も力添えさせてもらった。尤も、彼の手腕を以てすれば不要であったかもしれないが」

「いやいや、そんなことはありません。子爵閣下のご協力があったからこそカシウスさんも早期に解決してリベールに戻ることが出来たんですから」

「なるほど……父さんがあそこで何とか間に合ったのもそういうことがあったからか。知らないところで助けてもらっていたみたいです。ありがとうございました」

 

 遊撃士協会が活動を制限される切っ掛けになった襲撃事件。レマン本部に出向き留守にしていたシグナに代わりカシウスが指揮を執ったとは聞いていたが、それだけでなく強力な協力者もいたようだ。

 トワたちには事情はよく分からないが、恩義を感じることがあってか頭を下げるヨシュア。それにアルゼイド子爵は「気にすることはない」と応じる。領民が脅かされる事態であった以上、協力するのは領主として当然のことだと。まったくもって出来た人である。

 

「《星伐》の姪御に《剣聖》の子ら――その双方に見えようとは。ふふ、この出会いを女神に感謝せねばな」

 

 アルゼイド子爵は知らない仲ではない人物たちの縁者と出会えて機嫌がいい様子。笑みを漏らす彼にトワもなんだか嬉しくなる。こういう時は顔の広い伯父に感謝したい。

 ところで、ここは領邦軍駐屯地の練兵場。用件があって出向いたところで思わぬ出会いに恵まれたが、本来の目当ての人物はほったらかしにされている。いい加減にしびれを切らしたのか、横で黙っていた隊長が大きく咳払いをした。

 

「うおっほん! どうやら子爵殿の知り合いであるようだが……この場に何用だ、遊撃士。訓練の邪魔をしに来たのならば即刻退去するがいい」

「おっと、こいつは失礼」

 

 ついつい話し込んでしまったが、肝心の地下水路の魔獣の件を忘れてしまってはいけない。遅ればせながらも自分たちの用件を伝えると、目に見えて厄介そうな表情を浮かべる隊長。

 これはまた公爵家の威光を借りるしかないか。そう思ったところで、今回は横合いから助けの手が入った。

 

「地下の魔獣か……街に出てくる可能性は低かろうとも、民には不安に思うものもいよう。隊長殿、ここは確と協議したうえで対応策を練るのがよいと思うが」

「は……し、しかし……いえ、承知しました」

 

 アルゼイド子爵はあくまで指南役、軍属ではない。だが、《光の剣匠》の名は決して無視できるほど安くないのも、また確かだ。彼の言葉に隊長は反駁を口に仕掛けたが、結局はそれを音に出すことなく承服する。指南役からの不興か煩わしいだけの手間、どちらを取るべきかなど分かり切ったことだったのだろう。

 

「そんじゃ、ちょっと話を詰めてくるよ。子爵閣下のお邪魔にならないよう待っていてくれ」

 

 兵士が鍛錬に励む練兵場では話し合いに適さない。トヴァルと隊長は別室で仔細を詰めることにして一先ずこの場を後にした。あまりぞろぞろと付いていっても仕方がないので、トワたちは勿論エステルとヨシュアもその背を見送った。

 

「うーん、なんだか子爵さんに助けてもらう形になっちゃったわね。色々とありがとう」

「なに、私の言葉一つで民の安寧に繋がるのならば安いものだ」

 

 言葉添えしてもらったことに感謝するも、つくづくアルゼイド子爵は驕りとは無縁のようである。実際、大したことをしたつもりもないのだろう。

 トヴァルが戻ってくるまで待機となったことで、なんとなしに兵士たちが訓練する様を見学することになる。ただの型稽古といえど大勢の兵士が一様に剣を振るう風景は壮観の一言。同時に、正規軍、領邦軍を問わず多くのものに指南を授ける《光の剣匠》の偉大さも肌で感じるというものだ。

 

「これだけ多くの軍人がアルゼイド流の教えを受けているのか……流石は帝国を代表する二大流派だな」

「この武技が数多に認められている所産となれば光栄なことだ。尤も、私が軍で指南をしているのはアルゼイド流そのものではなく、それを取り入れた百式軍刀術であるが」

「百式軍刀術?」

 

 感心するジョルジュに応じたアルゼイド子爵から出た言葉。覚えのないそれに首を傾げる面々に答えたのはアンゼリカであった。

 

「アルゼイド流とヴァンダール流、その双方より合わせて百の型を取り入れて作られた軍式剣術さ。私が以前に教えていただいたのもこれになる」

「なるほど。軍事色を強めたより実践的な剣術というわけか」

 

 多くの優秀な剣士を輩出してきた二大流派であるが、それを修めたからといって優秀な兵士になるかといえばそうとは限らない。剣術はあくまで個の力。それに修めるには膨大な研鑽が、極めるとなれば才覚も必要となる。多くが凡庸である兵士にそれをそのまま当て嵌めるのは適さない。

 その結果、生み出されたのが百式軍刀術。二大流派よりそれぞれ五十、合わせて百の型を組み合わせて作り上げられた軍の剣術。それは剣の道を究めるものではないのかもしれない。だが、多くの兵が戦う術を学ぶものとしては優れているのだろう。

 話が一段落したところでさて、と区切りを入れる。随分と話し込んでしまったが、アルゼイド子爵は見ての通り指南の最中。これ以上相手をしてもらっては悪い。

 

「あまりお邪魔になったら悪いし、私たちは脇の方に避けておこうか」

「そうね。百式軍刀術っていうのも見ていて勉強になりそうだし、ここは大人しく見学するとしますか」

「ふむ、それもよかろうが……そなたらに少し頼めるだろうか」

 

 アルゼイド子爵からの突然の申し出を不思議に思う。彼ほどの人物が、自分たちに何を頼むというのだろうかと。

 無論、断つもりはない。先ほどは口添えしてもらった身、並大抵のことであれば二つ返事で引き受ける腹積もりであった。

 

「何でもいいわよ。父さんがお世話になった分も含めて、どんと任せて!」

 

 だからエステルが安請け合いしても止める者はいなかった。相手が無茶なことを言ってくるような人物ではないだろうと高を括っていた部分もある。それが思いもよらぬ事態を招くとも知らずに。

 

「ありがたい。では――」

 

 止め、とアルゼイド子爵は静かに声を響かせた。指南役の言葉に従いつつも何事かと目を向けてくる兵士たち。数多の視線を前に、彼が口にしたのは予想だけにしないものだった。

 

「これより私とこちらのトワ・ハーシェル嬢、並びにエステル・ブライト嬢との手合わせを執り行う。双方ともに名高き武人の業を継ぐものである。確とその目で捉え、己の糧とするがよい」

 

 途端、ざわめきが練兵場のいたるところで起きる。当然だろう。兵士たちからしてみれば、奇妙な客人がきていると思ったら唐突に指南役が手合わせの相手をしてもらうと言い出したのだ。あの《光の剣匠》が、である。驚き戸惑うのも無理はない。

 それはトワたちにしても同じ。アルゼイド子爵の突拍子もない宣言に「ええっ!?」と泡を食ってしまう。

 

「ヴィ、ヴィクターさん! 何で急にそんなことを……!?」

「剣の道とは平坦なものではない。時には異なる武の形を学ぶのも兵にとって良き刺激となろう。東方の流れを汲む変幻自在の剣、螺旋の力を繰る堅き棒術。どちらも参考とするに申し分ない」

「言っていることは分からないでもないけど……」

 

 その理由には納得するところもある。だが、どうして自分たちなのか。トワもエステルもまだまだ未熟な身、兵士たちにならともかくアルゼイド子爵には到底及ぶべくもない。それは彼も当然のことながら分かっているはずなのに。

 実際、兵士たちへの刺激とは建前のようなものだったのだろう。本当の理由は別にあった。続いて彼の口から紡がれた言葉に、相手に見定められた二人は盛大に頬を引き攣らせることになる。

 

「何より、我が友からもし見えた際はよろしく頼むと言われている。そなたらの練達を願い、ここは一つ峻厳なる壁とならせてもらおうか」

 

 誰に影響されたか、若干の悪い笑みを浮かべるアルゼイド子爵。トワは先ほど湧いた感謝の念を取りやめた。余計なことを、という内心の恨み言と帳消しである。

 仲間たちに目をやっても彼らは首を横に振るばかり。諦めろ、と。味方からも見捨てられ、こうしてトワとエステルは《光の剣匠》と手合わせすることに相成ってしまったのである。

 

 

 

 

 

 形の上では二対一。だが、この場においては有利をもたらすどころか叩き潰されるまでの時間を引き延ばすものでしかない。一瞬でも気を抜けば終わりになる剛剣にトワとエステルは必死に食らいつく。

 アルゼイド子爵が剣を振るうたびに空が震え、地が揺れる。ただ、剣を振る。基本中の基本でも極めつくせばこうも、いや、剣術の根幹であるからこそ。速さも、重さも、鋭さも何もかもが桁違い。彼の振るう一太刀そのものが絶技であり、積み上げられた研鑽の証明であった。

 トワが縦横無尽に斬りかかるも悉くいなされる。エステルが襲い来る大剣を防ぐも大きく弾かれる。お互いに何とかカバーしあって保たれる危うい均衡。涼しい顔のアルゼイド子爵に対して、二人は珠のような汗を流し息を荒げる。

 

「……流石だね。あのアルゼイド子爵を相手にあれだけ粘るとは」

 

 それでもまだ、圧倒的な格上を相手に膝をついていないのは確かであった。

 大方の兵士はすぐに決着がつくものと思っていたのだろう。しかし、劣勢のままとはいえ既に五分以上は打ち合っている。当初は猜疑心が透けて見えたが、今ではギリギリのところで渡り合う二人に感嘆の声も聞こえてきていた。

 アルゼイド子爵はもちろん全力ではない。そうであれば文字通り一瞬で吹き飛ばされている。かといって武に関わることで手を抜く人でもないだろう。二人の力量を見極めつつも、辛うじて対応できると見越したレベルで手心を加えずにやっているはず。彼女らの前に立ちはだかる、巨大にして強大な壁として。

 そんな彼を前にして未だ屈せずにいるのは、ひとえに彼女らの実力があってのことだ。

 

「エステルの奴も大したもんだ。あんな馬鹿でかい剣を片手で振り回すのを相手によく耐えているぜ」

「これまでも格上ばかりとの戦いだったからね。実力は及ばなくても、自分と仲間を守る戦い方を彼女は心得ている。一気に畳みかけられると厳しいけど、そこはトワがいるから何とかなっている感じかな」

 

 概ね、ヨシュアの評する通りだろう。実力差が大きくともある程度は耐えられるエステルが守りに回り、素早く変則的な身のこなしのトワが牽制・撹乱することでこの均衡は保たれている。

 どちらか一方でも欠けば、瞬く間に崩れ去るだろう綱渡りの状況。トワがいなければ、エステルは間断なく振るわれる剛剣にいずれ叩き潰される。エステルがいなければ、トワはいずれ動きを読まれて吹き飛ばされる。二人ともそれを理解しているからこそ役割に徹し、大健闘といっていい打ち合いを繰り広げていた。

 しかし、遥か高みとの神経をすり減らす戦いに何時までも万全の力を発揮できるはずもない。肉体的にも精神的にも疲労は彼女らを蝕み、やがて致命的なズレをもたらす。

 

 その瞬間、トワは直感的に駄目だと悟った。

 回り込むように跳んだ自分に狙いを澄まして振りかぶられる剣。エステルが間に入る隙はない。彼女が立ち位置を誤ったか、自分が集中力を欠いて先を読まれたか。きっとその両方だったのだろう。

 刀を盾に受け止めはした。受け止めたそれごとアルゼイド子爵は大剣を振り抜く。ジョルジュが思わずといった様子で「うわっ」と漏らす。トワの小さい体は観衆の頭を超えて素っ飛ばされた。

 これに焦るのがエステル。攻撃が集中されては長くもたないことは明白であった。

 だからといって諦めるのか。否である。元より諦めの悪さと根性は一級品、最後の足掻きとばかりに猛攻を仕掛けてくるアルゼイド子爵に食らいつく。

 

「はぁっ、はぁっ……ああ、もう! レーヴェより強いとか理不尽もいいところじゃない!」

「賛辞として受け取っておこう」

 

 最後に愚痴めいたことを吐き捨てて、そこが彼女の限界だった。

 度重なる攻撃に態勢が崩れたところへ容赦なく振るわれる横一閃。吹っ飛ばされた勢いのままゴロゴロと転がり、ヨシュアたちの足元あたりでようやく止まったエステルは「きゅう……」と目を回して戦闘不能となった。

 

「見事。支える籠手の矜持、何よりもそなた自身の魂の在り方、確と見せてもらった……ヨシュア、次はそなたも共に相手をさせてもらいたいものだ」

「は、はは……それはまたの機会ということに」

 

 この義姉弟が組めばより大きな力を引き出せると見抜いたのか。アルゼイド子爵は称賛と共にそんなことを言ってくる。ヨシュアは冷や汗と苦笑いを浮かべるばかりであった。

 エステルは体力が底をついて起き上がる気配もない。脱落した彼女を前に、アルゼイド子爵は「さて」と大剣を背に回す。背後からの強襲を防ぎ、一息に薙ぎ払う。それに辛うじて巻き込まれないうちに飛び退ったトワは、荒い息を吐きながらも刀を構えなおした。

 素っ飛ばされた先で何とか受け身を取り、全速力で取って返したものの状況は手遅れであった。余力も既にほとんどない。一対一ではあと三合もできれば上等だろう。

 相手は依然として剣を納めていない。ならば、最後まで足掻き尽くすのみだ。

 故に間合いに踏み込もうとしたそのとき、思いもしないところでアルゼイド子爵は口を開いた。

 

「それがそなたの全てではなかろう。このまま終わらせてよいのか」

「はっ……はっ……な、なにを……?」

「遠慮は無用。その身に宿す《力》、全身全霊をもってぶつけてくるがいい」

 

 予期せぬ言葉に体が固まった。彼は知っている(・・・・・)。それを理解するには十分なもので、クロウたちの顔にも驚きが浮かぶ。

 どうして、という困惑は口にせずとも解消した。彼は伯父との旧友。どこまで知っているかは分からないが、ある程度までは承知していてもおかしくはない。

 情報の出処は理解しつつも、トワはアルゼイド子爵の言葉に応じることが出来ない。畏れ、迷い、湧き起こる複雑な感情が彼女を惑わせる。それを見て取った彼は静かに、しかし断固として告げた。

 

「己に枷を課する故があるというのならばそれもよし。だが、ただ畏れるがために躊躇うならば――その迷いを振り切るまで、我が剣をもって相手しよう」

 

 向けられる切っ先、鋭い眼光。冗談の気配は欠片もない。

 きっと彼はその言葉の通り、トワが《力》を使うまで剣を止めることはないだろう。例え彼女がどれだけ傷つこうとも、恐怖に足を囚われ続けている限り。

 

 トワは息を整えながら考える。《力》に対する恐怖は勿論ある。クロウたちのおかげで幾分か和らぎはしたが、心に刻まれた深い傷はそうそう癒えるものでもない。依然として躊躇いを覚える理由としてそれがあるのは確かだ。

 しかし、決して理由は恐怖だけではない。畏れ惑いながらも自分なりに考えて、その答えを求めてトワは残され島を旅立ち士官学院の門を叩いた。

 今まで漠然としたままにしてきたそれを肉付ける。畏れを乗り越えた先に求めるものを、トワは自身の胸の内にはっきりと見出した。

 

「……ヴィクターさんの言う通り、いつかこの恐怖は乗り越えなきゃいけないんだと思います。私自身が前に進むためにも、それは避けては通れない」

 

 アルゼイド子爵は黙して聞き届ける。でも、とトワは続けた。

 

「それ以上に、私はこの《力》の意義を見つけ出さないといけないと思うんです。これは、あまりにも簡単に命を奪ってしまうから」

 

 ヨシュアなどは何を話しているのか分からないだろうし、断片的に目にしたクロウたちにしても全てを理解することはできないだろう。トワがその身に宿す《力》が能うることを知らないのだから。

 トワの言葉に比喩はない。その気になれば只人の命などこの身は簡単に奪い去ってしまう。それは剣術という暴力の形とは異なり、あまりに不条理でおぞましいものだ。そんな過ちをこの《力》は起こし得る。

 

「自分に偽りなく貫ける芯を見つけて、はじめて私はこの《力》を振るうことが出来る。この身に流れる血を受け継ぐ者としてそう在りたいから……だから今、あなたの言葉に応じることはできません」

 

 トワはまだ確固としたものを持っていない。人の好さからくる純真さはあるが、エステルやヨシュアのように遊撃士として人々を支えようとする強い意志は持ち得ていなかった。

 それは正しさを保証するものではない。人である以上は時に過ちを犯し、後悔することもあるかもしれない。人は万能足り得ないのだから。

 それでもトワは自身の芯となるものを、《力》の意義が欲しかった。信じるものがあれば、たとえ間違いを犯したとしてもまた前に進むことが出来ると思うから。

 真正面から断ったトワの瞳を、アルゼイド子爵は切っ先を向けたままじっと見つめる。やがて、それが揺らがないことを知ったのだろう。彼は剣を下ろした。

 

「どうやら余計な世話だったようだ。シグナ卿が気を揉んでいたようなので口を出させてもらったが……ふふ、存外、我が友も身内には甘いらしい」

「あはは……どうでしょう。でも、ありがとうございます。おかげで胸の内が晴れた気分です」

 

 同じくして構えを解いたトワは頭を下げる。アルゼイド子爵は無用な真似をしたと思っているようだがとんでもない。彼女にとっては自分を見つめなおす良い機会になった。その切っ掛けが切っ掛けなので、原因に対しては素直に感謝しづらいのだが。

 

「己が信ずるものを見出すのは簡単なようで難しい。それは分かっていよう」

「はい。でも、きっと見つけられると思います。諦めずに前に進み続ければ、いつか」

「ならばよい。多くをその目で見るがいい。数多の声に耳を傾けよ。歩む中で考え続けるのだ。その果てに心から信じられるものこそが、そなたの魂の在り方となる」

 

 ――いつかそれを見つけたとき、また剣を交えるとしよう。

 

 アルゼイド子爵はそう楽しそうに笑みを浮かべる。最後の台詞にはちょっぴり苦笑いを浮かべてしまったが、彼の言霊はしっかりとトワの胸に刻まれた。

 予期せぬ《光の剣匠》との手合わせは、こうして確かな糧となって終わりを告げるのであった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「……遅いな、父上」

「ええ、そのようで」

 

 バリアハート駅の前に構える高級ストア・クリスティーズ。その前で蒼く長い髪をポニーテールにした少女と老執事が人を待っていた。

 待ち人の遅れに少女――ラウラ・S・アルゼイドはひっそりとため息をつく。ここ最近、各地を武術指南で回っていた父が戻ってくるというので、この公都で合流し観光でもしながらゆっくり領地レグラムに帰ろうという予定であった。領地を空けがちな父と久しぶりに過ごせる時間というのもあって、ラウラは楽しみにしていたのだ。

 それが予定の時間になっても父は一向に姿を見せない。約束を違えるような人ではないのだが。彼女の心境はどうしたのだろうかという疑問七割、遅れていることに対するちょっとした不満三割といったところである。

 

「指南に熱でも入っているのだろうか。クラウス、やはり店で待たずとも直接父上のもとに行った方がよかったのではないか?」

「お言葉ですがお嬢様、武術指南もお館様の大事な務め。お嬢様が邪魔になるようなことをなさらずとも、身内をその場に招き入れるのは兵への示しとして憚られましょう」

 

 お付きの執事にしてアルゼイド流師範代、クラウスのもっともな意見に「むう」と唸る。納得もできるし反論する気もない。それでも胸に蟠るものはあるのだ。

 一方、クラウスはといえばそんな彼女の様子に内心で冷や汗を一つ。今口にしたことは嘘ではない。だが、その場で考えた口八丁でもあった。理由は他にあり、それを頼んできた主が早々に来てくれることを彼は切に願う。

 その祈りが空の女神に通じたのだろうか。さして時間を置かずして見覚えのある姿が二人の視界に映る。ラウラはにわかに顔を明るくさせた。

 

「父上! 武術指南の務め、お疲れ様です」

「ああ。ラウラこそ、わざわざ公都まで出迎えてくれて感謝している……遅れてすまなかったな」

 

 娘の頭を一撫でし遅参したことを詫びるアルゼイド子爵。先ほどまで抱いていた不満など父の姿を見たら雲散霧消していたが、どうして遅れたか気にならないといえば嘘になる。それに、心なしか声色に高揚の気配をラウラは感じ取っていた。

 

「それは構いませんが、何か善きことでもあったのですか?」

「出会いに恵まれてな。シグナ卿の姪御、それにカシウス卿の娘御と手合わせしてきた」

 

 父の答えにラウラは「なんと」と驚きを露わにする。《星伐》に《剣聖》、その両人の名は武を志す者にとって大きな意味を持つ。特にシグナは時たまレグラムに顔を出すこともあって、彼女としても敬意の念を抱く人物だ。少しばかり困ったところのある方でもあるが。

 そんな二人の血縁と偶然にも巡り合うとは。まさに女神の導きというものだろう。その場に居合わせられなかったことを口惜しく思うほどである。

 

「共に先が楽しみな逸材であった。ふふ、そなたも負けてはいられぬな」

「むむ、叶うことならば私も手合わせしてみたかったものですが……」

「カシウス卿の娘御ならば、いずれレグラムの遊撃士協会支部を訪れよう。シグナ卿の姪御の方は……そなたが選ぶ進路によっては出会える機会もあるかもしれんな」

 

 含みのある言葉にどういうことかと首を傾げる。父は言葉を続けた。

 

「彼女は大帝所縁の士官学院、トールズの生徒。そなたも第一の進路として考えていただろう」

 

 ラウラの口から二度目の「なんと」がついて出た。なんたる巡り合わせか。まさか自分が志望している学院に、尊敬する剣士の縁者も在籍しているとは。しかも父から認められるほどの腕前だというではないか。

 

「なんという僥倖か。父上、決めました。私は絶対にトールズに参ります!」

 

 これはもう女神の思し召しと確信する他になかった。まだ見ぬ強者と剣を交えるためにも、必ずやトールズ士官学院に合格しなければ。知らず、ラウラは鼻息を荒くする。

 そうして心躍る先行きに思いを馳せる娘の姿に、アルゼイド子爵は少しばかり複雑な気持ち。父親としては帝都のアストライア女学院が第一候補であったのだ。いや、無論のこと本人の意思が大事ではあるのだが。

 それはそれとして、だ。アルゼイド子爵は傍に控える執事に「して」と声を潜めて問いかける。

 

「どうであった。ラウラは何か目に留めるものはあったか?」

「は、それが……服飾品や装飾品に目を向けていたのは僅かな間。それとなく興味を引こうにも気のない返事。果てには武具店や武術書の類ばかり見て回る始末……己の不甲斐なさが悔やまれます」

 

 口惜し気に語るクラウスにアルゼイド子爵は「そうか……」と一種の諦観を覚える。剣にかまける娘も年頃の少女。煌びやかな場に連れて行けばそうしたものにも興味を示すかと思ったのだが、どうやら見込みが甘かったらしい。

 家柄もそうだが、やはり男手で育ててきたがために女性らしい趣味や装いに目を向けさせるのは難しい。いつも泰然とある彼でも、こればかりはほとほと困り果てていた。

 

「いっそのこと想い人でもできれば……いや、ラウラにはまだ早い」

 

 娘に女性としての成長を願う気持ちはある。かといって目に入れても痛くない我が子が他の男に靡くというのも、自身の目が黒いうちは度し難い。二律背反に先ほどの娘と同じように「むう」唸り声が漏れる。

 《光の剣匠》ヴィクター・S・アルゼイド。割と悩み多きシングルファーザーであった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 日も沈んで星明りが空に瞬くバリアハートの夜。トワたちは中央広場のレストラン《ソルシエラ》に席を取っていた。高級店が立ち並ぶ公都でも良心的な値段設定と聞いてのセレクトである。

 夕食を共にしようと約束していたエステルたちも本日の業務を終えて合流していた。そんな一同の中でも、トワとエステルは疲労困憊という様子。体を引きずるようにして屋外のバルコニー席にたどり着くや、揃ってテーブルに崩れ落ちた。

 

「きょ、今日はえらい目にあったわ……もう限界……」

「流石に私もくたくただよ……」

 

 地下水路で偶発的な戦闘になってしまったのもそうだが、何よりもアルゼイド子爵に目をつけられたのが運の尽きであった。容赦ない剣戟に必死で食らいついた二人は、終わる頃には体力を絞りつくされていた。

 かといって実習活動や仕事がなくなるわけではない。疲れ果てた体に鞭を打って、なんとか全てをやりきった結果がこの魂が抜けたように突っ伏す彼女らの姿であった。

 

「ま、災難だったな。恨むなら中年親父どもの交友関係を恨むこった」

「得難い経験だったとは思うけどね。あれほどの達人と手合せ願えるなんて、そうそうあることじゃない」

「ヨシュアは実際にやってないからそんなこと言えるのよ……ためになったことは否定しないけど」

 

 他人事のように言う相方に対して半目を向けてしまうエステルであったが、口にしていることはあながち間違っていないので歯切れが悪かった。

 強者と打ち合うのは自身に足りないもの、そして強者が強者足る所以を肌で感じ取れる絶好の機でもある。そこで得たものを練磨し己のものできたならば、必ずや更なる成長に繋がっていく。実際、アルゼイド子爵と戦って得たものは千金に勝るだろう。

 しかしながらこちらにも心の準備というものがあるわけで、まるで予兆もなく手合せする羽目になったものだから素直に喜べないのが正直なところであった。

 

「ちなみにレグラムにはアルゼイド流の門下生も多くいるからな。今度はヨシュアも交えて試合を申し込まれるかもしれないぞ」

 

 笑いながらそんなことを言ってくれる先輩遊撃士に二人は苦い笑み。それを今、前向きに受け止めるのは無理があろう。ご愁傷様である。

 

「あはは……エステルちゃんたちの方も大変そうだねぇ」

「本当よ、もう。あーあ、ルーアンのときみたいにトワたちと学生生活ができたらいいのに」

「言っておくけどエステル、トールズは王立学園にも勝る帝国随一のエリート校だよ。そんなところの授業に君が付いていけるとはとても思えないけど」

「ええっ、クロウだって入学できたのに!?」

 

 愕然とするエステル。その反応に当の本人は頬を引きつらせた。

 

「おい、どういう意味だそりゃ」

「どうもこうも、そのままの意味だろうさ」

「まあ、君の生活態度とかを鑑みたら妥当な反応だと思うけど」

 

 残念ながらクロウに味方はいなかった。仲間たちからの無慈悲な意見に彼はがっくりと肩を落とす。地頭は悪くないのだから、少しくらい真面目になれば評価も改まるというのに。勿体ないな、とトワは思いつつも彼がその気になることはないのだろうと半ば確信していた。

 

「…………」

 

 そんな風に皆で取り留めのない話で談笑しながらも、トワは自身に向けられるヨシュアからの視線に気が付いていた。気配に敏感な彼女だから気付けたような、ほんの些細な疑念を帯びたそれ。理由は分かっている。アルゼイド子爵とのやり取りについてだろう。

 だが、彼は疑念を向けつつも踏み込んでくることはなかった。感覚的にであっても、トワが無暗に話したがらないことだと分かるところがあったのかもしれない。

 その気遣いに感謝したい。エステルとヨシュアと仲良くなれたのは本当に嬉しい。だからこそ、自分のことが知られてしまうのがまだ怖かった。そして、それこそ自分が乗り越えなければいけないものであることも、彼女はまた理解していた。

 初夏の涼しい夜風を感じながらも意識を内側に向ける。アルゼイド子爵のおかげで心の内は随分と整理できたと思う。それは小さな一歩かもしれない。だが、紛れもない前進だ。その一歩一歩を積み重ねていけば、きっと。今のトワはそう考えることが出来た。

 

「あれ……?」

 

 そうして会話から意識を外していたからだろうか。トワはガラス越しに見えた新たな来客が覚えのある姿であることに気が付いた。丸眼鏡に全体的にふっくらとしたシルエット。実習先で目にするのも、もはやお馴染みと化したあの人であった。

 

「ね、あの人」

「ん……ああ、誰かと思えばボリスさんじゃないか。また営業回りかな」

「どうせ教頭に俺たちの行き先を聞いてきたんだろうさ。勿体ぶらずに呼んでやるとしようぜ」

 

 紡績市パルムの領主、ボリス子爵。トワたちのことを気に入って毎度のごとく実習先に現れる彼に、彼女たちもすっかり慣れてしまっていた。クロウの場合、奢ってくれるからという実益も込みかもしれないが。

 手を振って見せると彼はすぐに気が付いた。案内しようとしていた店員に二言三言告げ、やあやあと相変わらず朗らかな笑みで近付いてくる。

 

「いやはや、先月ぶりだね。どうやら今回は他の方もご同席のようだが――」

 

 陽気な調子で声を掛けてきたボリス子爵であったが、そこで不意に言葉が途切れる。彼はトワたちの同席者――もっと言えば、エステルとヨシュアの姿を認めて固まった。

 いったいどうしたのか。らしからぬ変調にトワが疑問を抱いていると、その原因の一端と思しきエステルが「あっ」と声をあげた。

 

「誰かと思えば、パルムの工場長さんじゃない。こんなところでどうしたのよ」

「どうもお久し振りです……というほど、間は空いていませんね」

 

 どうやら彼女たちもボリス子爵の知り合いだったらしい。帝国に来て程ない二人が、仮にも領主子爵とどうやって面識を得ることになったのか不思議なところではあるが。遊撃士として依頼を受ける機会でもあったのだろうか。

 

「トワたち、工場長さんの知り合いだったのね。なんだか意外な取り合わせだけど」

「うん。実習先でたまたま知り合って、そこからお付き合いが続いている感じかな。そういうエステルちゃんたちは?」

「あー……まあ、ちょっとパルムの方に用事があってね。そのときにお世話になったというか」

 

 向こうも気持ちとしては同じだったようで、その質問に答えるついでに問い返す。ところが、それに対する返答はどこか不明瞭なものだった。明るくはきはきとしたエステルには似合わない様子に首を傾げてしまう。

 そこに至って、固まっていたボリス子爵はようやく平静を取り戻す。といっても、彼は彼で普段らしからぬ気まずそうな雰囲気を漂わせていた。

 

「うむ、まあ、そのようなものでな……お姉さんには挨拶できたかね?」

「……ええ、おかげさまで。侯爵に取り次いで下さり、ありがとうございました」

「礼など言わんでくれ。私は当然のことをしたまでだ。あの程度、罪滅ぼしにもならんよ」

 

 悔恨、悲哀、罪悪感。ボリス子爵からはそんな感情が透けて見えた。それがどのような理由からくるかは分からないものの、向けられる先だけは明らかだ。縮こまって見えるボリス子爵に対して、ヨシュアはしんみりとしたものを感じさせながらも柔らかい笑みを浮かべていた。

 

「その……お姉さんって?」

 

 聞いていいのかという迷いもあったのだろう。遠慮がちにジョルジュが尋ねると、ヨシュアは少し言葉を考える様子を見せてから口を開いた。

 

「僕が養子だっていうのは話したけど、実は、生まれはエレボニア帝国なんだ。パルム近くの村に姉さんと、その恋人の兄さんみたいな人と一緒に暮らしていて……でもある日、そんな日常は崩れ去ってしまった」

「…………」

「その後、色々あってね。結局は父さんに出会って、ブライト家に転がり込むことになって……この間になってようやく、ちゃんと姉さんの墓参りが出来たんだ」

 

 ヨシュアの口から語られる彼の出自。彼が帝国出身だというのも驚きではあるが、トワが何よりも感じ取ったのは言葉を濁す気配だった。

 きっと、それは自分たちに話すには憚られるものなのだろう。沈痛の面持ちを浮かべるボリス子爵がそれを物語っているようだった。

 

「色々、ね。お前も難儀な人生送っているみたいだな。立ち居振る舞いといい、妙に隙が無い感じがするし」

「それは……」

 

 自分も語れないこと、知られたくないことがあるからトワはよく分かった。きっと隠しているそれもヨシュアという人間を形作る一部なのだろう。だからといって、万人がそれを受け入れてくれるとは限らない。その怖さが足を踏み留ませることもあるだろう。他ならぬトワ自身がそうなのだから。

 ヨシュアも、もしかしたらトワからそうしたところを感じ取っていたのかもしれない。だから先ほどは踏み込まないでくれたのならば、自分もそうするべきだろう。トワはクロウの言葉を遮るように「でも」と声をあげた。

 

「ちゃんとお参りに来てくれて、お姉さん安心したんじゃないかな。エステルちゃんみたいな家族が出来て、立派な遊撃士になって……ヨシュア君が前を向いて進んでいることに、お姉さんも女神様のもとで喜んでいるって、私は思うよ」

「トワ……そうだね、そうだといいな」

「そうに決まっているじゃない。カリンさんに……レーヴェだって、きっと喜んでいるわよ。だからほら、シャキッと胸を張る!」

 

 エステルにバシッと背を叩かれて苦い笑みを浮かべるヨシュア。そこに影のようなものは見当たらなかった。

 隣でクロウが肩を竦める。甘ちゃんめ、と言われている気がした。それでもいいと思う。ほんの少しずつでもいい。一歩一歩前に進んでいって、いつしか自身の心の壁を乗り越えられたなら。

 

「ふむ、ところでエステル君。君もお姉さんにご挨拶してきたようだが……それはもう一人の姉としてかな? それとも恋人としてかい?」

「え゛」

 

 そうして丸く収まったところに放り込まれる爆弾。アンゼリカからの問いにエステルは笑みを固まらせた。麗人の視線から逃れるように右往左往する目。口ほどにものを言う、とはよく言ったものである。

 

「ああ、なるほど。アンがちっともエステルを口説かないから珍しいこともあるんだな、と思っていたんだけど」

「見縊らないでくれたまえ。女の子が既に幸せだというのなら、それを崩す理由はないからね。可愛い子は笑顔でいるのが一番さ……略奪愛というのも、燃えるものはあるが」

 

 ジョルジュが呆れた目を向ける。それっぽいことを言っていたのに最後で台無しだ。

 ともあれ、そういうことならトワとしても納得だ。エステルとヨシュアの間には家族以上の感情のようなものを感じてはいたのだ。恋人同士でもあるというならば、それにも頷けるというものである。

 

「うわぁ……ねえねえ、エステルちゃん。告白はどっちからしたの? やっぱりヨシュア君から? それともエステルちゃんの方から?」

「うえっ!? えーと、それはその、非常に複雑な経緯があって……」

 

 トワも年頃の女の子。恋バナにはもちろん興味津々である。ところが、聞かれた側のエステルは頬を染めてしどろもどろになるばかり。小声で「睡眠薬の味とか言いたくないし……」とかブツブツ呟いている。いったい何があったのだろうか。

 向こうは向こうで「隅に置けねえなぁ」とか「どこまでやったんだ、ん?」などとクロウがヨシュアに肩を組んで絡んでいる。やられている側は乾いた笑いを零すのみであった。黙秘を貫くつもりらしい。

 しんみりした雰囲気から一転、なんだか姦しくなったバルコニー席。置いてけぼりを食らってしまったボリス子爵は、同じようについていけていないトヴァルに話を振った。

 

「うーむ、これはオッサンの立ち入る隙はないようだね。遊撃士君、哀れな男同士で酒に溺れるとしようじゃないか」

「いや、俺はまだ二十六ですから! 年齢的にはまだあっちの方ですから!」

 

 自分までオッサン扱いされそうな流れにトヴァルは必死に抗議する。彼はまだ若いのだ。肉体的に精神的にも。お嫁さんだってほしい。まだ影も形もないけれど。

 そんな彼に冗談だとばかりに「はっはっは」と闊達に笑うボリス子爵。その瞳に映るのは、少し騒がしいくらい恋愛話なり何なりで盛り上がる若者たちの姿。どこにでもあるような青春の一幕を、彼は眩しそうに、どこか安堵のような気持ちを帯びた目で見つめていた。

 

「すみません、工場長。遅れてしまい……あっ!」

「おお、ドミニク君。実は、またトワ君たちと会うことが出来てな。これから注文を……おおっ!?」

「あんたルーレでのどんちゃん騒ぎを経費で落として絞られたのにまだ懲りてないのか! 今度ばかりは許さんぞコラァ!!」

「じ、自費! 今回は自費だからぁ!」

 

 が、遅れてきた荒ぶる秘書に首根っこ掴まれている姿を見るに、それも気のせいだったのだろうかと思ってしまう。ボリス子爵は相変わらずボリス子爵だった。

 壮麗な街に似つかぬ喧しさと笑い声。翡翠の公都における一日目の夜はそのように更けていくのであった。

 


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