永久の軌跡   作:お倉坊主

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軌跡シリーズの主人公は性格の方向性は違えど、基本的にはお人好しなことには変わりないので気が合いそうですよね。リィンとロイドも出会い方が悪かっただけで普通に話したら馬が合いそう。Ⅳではそんな二人の掛け合いにも期待したいところです。


第37話 邂逅

 壮麗な街並みが広がるバリアハートの地下。地上のそれとは異なり、美しさなどとは縁のない排水路が張り巡らされた公都の見えない影の部分。間隔を置いて壁面に掛かった僅かな明かりのみの薄暗いそこで、手配魔獣を打ち倒したトワは亡骸を前に静かな祈りを捧ぐ。

 

「……なあ。どうしてお前は魔獣にまでそんなに心を尽くすんだ?」

 

 祈りを終えたトワにクロウが問う。魔獣をただの害獣ではなく、一個の命として扱う理由。前々から疑問に思っていたそれは、彼女との距離が近づいたからこそ聞けることだった。

 その答えは難しいものではないけれど、自身の真実へと繋がるもの。以前までなら言葉を濁してしまっていただろう。だが、今のトワなら躊躇うことなく口にすることが出来た。

 

「テラには当然、魔獣も住み着いているんだ。小さい頃からお父さんについてその生きる姿を見てきたのもそうだけど……やっぱり一番の理由は、生命(いのち)を感じるからだと思う」

 

 魔獣にも魔獣の生態系があって、自然の一部として彼らも生きている。それを幼いころから深く理解しているからこそ、という理由はクロウたちにも理解できる。けれど、その後に続く言葉には首を傾げるしかなかった。

 思った通りの反応にトワは淡い笑みを浮かべる。水音だけが響く閑静な地下水路であることもあってか、普段見えない彼女の内面が僅かながら顔を出したように三人の目に映った。

 

「感じは違うけど同じなんだ。息づく鼓動も、蝋燭の火みたいに消えて死ぬのも。だからかな。魔獣だからって、その死を蔑ろにするのは違うと思うの」

 

 人や動物、魔獣で感じ取れるものは区別できる。そうした表面的な差異はあれど、生命としての本質は変わらない。温かく輝きをもって今を生き、そして冷たく翳りやがて消えていく。

 それをトワは直感的に受け止めることが出来る。受け止めることが出来てしまう。特殊な感受性は彼女の認識に多大な影響をもたらし、結果として独特の死生観を形成するに至った。人の生活の為に魔獣に手をかけることは厭わずとも、その死を悼む理由はそこにあった。

 抽象的な話ではあるが、三人とも朧気ながらその意味するところを理解することはできた。それに伴って、アンゼリカはトワの特殊性の一つの起因に気付く。

 

「生命を感じる、か。では、君が気配を探るのに長けているのも……」

「うん、その応用みたいなものかな。アンちゃんからすればインチキみたいかもしれないけど」

 

 武術の達人でも困難なほどの広域における気配を感じ取れるトワ。それは気配ではなく、生命そのものを感じるからこそできる芸当だ。アンゼリカのように修練を積んでのものではないだけに、トワは自嘲的に笑んで頬を掻く。

 

「そんなことはない。トワのその力には何度も助けられている。今更になってインチキだなんて言ったら、女神から罰が当たろうというものさ」

「帝都の地下水路しかり、ザクセン鉄鉱山しかりだね。鉱山ではトワがいたからこそ助かった命もあったはずだ。誇りこそすれ、恥じる理由なんて無いと思うよ」

「そっか……うん、ありがとう」

 

 自身の力を厭い畏れる部分があるトワにとって、その言葉は何よりの救いだった。仲間からの温かい声を噛み締めるようにしながら感謝を口にする。やっぱり、皆と再び向き合うことが出来て良かったと改めて思いながら。

 その内心を察するが故か、ノイもどこかホッと安堵したような表情。彼女は咳払い一つしてそんな表情を真面目なものに切り替えると、場を仕切るように口を開いた。

 

「さっ、用事が済んだのならこんなところとはさっさとおさらばするの。いつまでも話し込んでいたら臭いがついちゃうの」

「長居する理由がないってのは道理だわな。そろそろ戻ってやる気のない領邦軍のところに報告しに行くとするかね」

 

 帰還を促すノイにクロウも同意する。その言葉が嫌味交じりになってしまうのは仕方のないことだろう。領邦軍の怠慢は否定できない事実である。

 クロイツェン領邦軍の性質についての問題は置いておくとして、まずはノイの言う通りに地下水路から出るとしよう。鍵を開けてきた駅前通り近くの入り口へと来た道を戻り始める。帝都のそれと異なり、バリアハートの方はそれほど広大ではないので迷う心配はない。

 

 感覚的には貴族街から中央広場まで戻ってきたあたりだろうか。そこでトワが不意に足を止めた。突然のことに不思議そうな顔で振り返ってくる仲間に、彼女は浮かない様子を見せる。

 

「……はあ、また面倒ごとの気配でも感じ取ったか?」

「うん……人が三人かな。鍵が開いているのを見て入り込んじゃったのかも」

 

 もはや慣れた様子で溜息つきつつ異常の如何を問うクロウ。それに少し申し訳なさそうにしながらトワが告げた内容は、とても無視できることではなかった。

 こんなところに自分たち以外の人が入り込んでくるのもそうだが、それが戦う術を持たない一般人だった場合は最悪だ。子供たちが遊んでいる最中に偶然鍵の開いた入り口を見つけて、という可能性もあり得る。早急に発見し、保護するのが望まれる事態だった。

 

「横着せずに鍵を閉めてくるべきだったか。まさか、あんな人目につかないところにわざわざ近寄ってくる輩がいるとは」

「言っても仕方ないよ。トワ、その三人の居場所は分かりそうかい?」

 

 トワは目を閉じてより集中し感覚の網を張り巡らせていく。地下水路を進んでくる人の気配を放つ三つの生命。直感的に感じ取るそれと進んできた地下水路の経路を照らし合わせ、漠然ながらも位置関係を描き出す。

 

「バラバラに動いているみたい。一人は入り口までの道筋を真っ直ぐ辿ればぶつかるけど、残りの二人は左右の脇道にそれぞれ別れてる」

 

 面倒な、とクロウがあからさまに顔を顰める。一塊に動いてくれていればいいものを、三人ともが別々ともなれば手間が増えてしまう。その手間が増えた分の時間の間に魔獣に襲われなどしたら目も当てられない。クロウに限らず、全員が表情を険しくするのも無理はなかった。

 こうなれば順々ではなく同時並行で保護にあたるしかない。幸い、地下水路の魔獣自体はトワたちにとって大した脅威ではない。戦力的な不安はないならば、分散して保護にあたった方が効率的だ。保護することを最優先にすると、それが一番だった。

 三手に別れるなら人選も大切になってくる。数秒の思案を経て、トワは指示を下す。

 

「右の脇道にはクロウ君とアンちゃんで。中央の道筋より視界が悪いから、万が一に備えて二人組でお願い。ジョルジュ君はそのまま入口の方に向かって。念のためノイもそっちの方に」

「それはいいけど……左はトワ一人で大丈夫なの?」

 

 心配そうな目を向けてくるノイを安心させるように微笑む。トワ自身、伊達や酔狂で単独行動を取ろうというわけではない。そこには自分の特性を考慮した理由がある。

 

「私なら暗闇でも近づいてくる魔獣が分かるし、悪環境には慣れているから。人の位置も分かるから手間取らずに保護できると思う」

「ふむ、理屈で考えれば確かにそうなるか。暗がりで二人きりになるならトワの方がよかったのだが……」

「野郎で悪うございました。へっ」

 

 五人しかいない以上、一人はどうしても単独で動かなければいけない。安全性と確実性が最も高い組み合わせがこれだったのだ。

 アンゼリカとクロウが冗談めかしてくれたおかげで、予期せぬ事態に対する緊張も幾許かほぐれる。わざとらしく拗ねていたクロウが「ま、とにかくだ」と不敵な笑みを浮かべた。

 

「酔っ払いかガキンチョか知らねえが、手っ取り早く保護して戻るとしようぜ。そろそろ腹も減ってきたことだしな」

 

 地上では今頃太陽が中天にかかる頃だろう。しばらくすれば腹の虫も鳴り始める時間帯である。手早くことを片付けたいというのは同感だ。その言葉を皮切りに、トワたちは手分けして入り込んでしまった三人の捜索を開始するのだった。

 

 

 

 

 

 先ほど歩いてきた道よりも明かりの心もとない脇道を進むトワ。視界の悪さに反して、彼女の足取りに迷いはない。感じる人の気配が明確な標となり、順調にその距離を縮めていく。

 別の道を行く他の二組も問題なく保護対象に近づいていくのをトワは知覚していた。ほっと人知れず息を吐く。想定外の事態ではあるけれど、どうにか危なげなく解決することが出来そうだ。間接的にといっても、自分たちのせいで怪我人が出てしまってはあまりに後味が悪い。

 

 とはいえ、まだまだ安心するには早い。気持ちを引き締めるようにトワはその手の刀を握りなおす。得物は鞘から抜いたままだ。彼女は自分の能力を信用していたが、過信はしていなかった。油断は禁物。万が一への備えとして戦闘態勢は解かないでいた。

 もうじき保護するべき人物の姿も見えてくるだろうか。すぐ近くにまで迫ってきた気配の出処を探し、周囲に目を配らせる。そうして注意深く進んだ先で彼女はようやくたどり着く。

 明かりは随分と昔に壊れてしまったのか。薄暗い地下水路の中でも、ぽっかりと暗闇に呑まれてしまったようなその空間。トワが追いかけてきた気配の持ち主はそこにいた。影に包まれて姿を窺うことはできないが、薄っすらと見える背中の輪郭はちゃんと自分の足で立っている。

 今度こそ安心したトワは影のもとに足を向ける。自身も暗闇の領域に足を踏み入れたところで、意図せず何かを蹴った感覚が爪先から伝わる。小石でもあったのだろう。水音に混じって硬いものが転がる音。それに気づいた影がこちらに振り返り――

 

 

 

 次の瞬間、トワの眼前に石突のようなものが急速に突き出された。

 

 

 

「っ!?」

 

 辛うじて首を動かしたトワの頬先を轟と風がなでる。流れるような横薙ぎを身を反らして躱し、そのまま後ろに一回転。なんとか体勢を立て直したところで追撃を受け流す。

 なぜ、どうして。頭の中で疑問と混乱が吹き荒れるも、迫りくる連撃が口を開くことを許さない。長物を扱う影の攻め手は緩まず、視界の通らない中でトワは微かな残影と風切る音を頼りに耐え凌ぐ。が、それで相手が止まる様子もない。

 

 埒が明かない。無理にでも止めさせる。

 受けから攻めへ。唐竹に振るわれた一撃を弾き、トワは猛然と飛び掛かるように斬りつける。受け止められるもそれは予測の上。身を翻しては苛烈に攻め立て、止め処ない動きで襲い来る斬撃に相手が怯む気配を見せる。

 攻防が移り変わり優勢はトワの手にある。だが、なんとか動きを封じようにも彼女はなかなか攻めきれずにいた。

 

(この棒術使い……堅い!)

 

 長物だが刃の類が窺えないことから、棒術の使い手であることは既に把握している。攻め手はまだまだ猶予をもって対応できたが、守りに入った相手を崩すのは難儀だ。揺さぶりをかけようと壁蹴りで背後を取ろうと、その長い得物を自在に操って展開される堅固な護り。並の腕前でないのは明らかであった。

 棒術使いも守りに徹するばかりではない。トワの一閃を防いだ流れで足払いを振るってくる。回避の頭越えの跳躍と共に放った攻撃も察知、防御。着地際のトワを逆撃が襲う。

 素早い身のこなしと剣捌きで反撃を打ち払いながらも、トワは内心で感嘆した。何者かは分からないが、ここまで守りが巧い使い手はなかなか見ない。祖父の教えを受けた中でも守りに関しては随一の父を想起させた。

 

 陥る膠着状態。一転攻勢を狙ってか、身を捩り力を籠める気配。大上段からの戦技。予期したトワは技の出を潰すカウンターの構え。全てが瞬時の間に成され、トワと棒術使いの戦技が正面からぶつかり合った。

 トワは暗闇故に技の出に合わし切れなかった。棒術使いも正確な打点を把握しきれていなかったのだろう。不完全に衝突した戦技は両者を等しく押し飛ばし、図らずも暗闇の領域から抜け出すことになる。

 仕切り直しか。反対側に押し出された棒術使いと互いに油断なく見据え――はた、とようやく姿を認識した二人は動きを止めた。

 

「「……女の子?」」

 

 異口同音、鏡合わせのように首を傾げ合う。

 茶色の髪をまとめたツインテール。鳶色の瞳。動きやすさを重視しながら女の子らしさもある服装。棒術使いがそんな姿をしているなど欠片も思っていなかったトワは唖然とし、相手もまた制服姿の小さな少女が相手とは思っていなかったのか。口を半開きにしてこちらを見つめている。

 あまりに想像の埒外であったために思考を停止する二人。彼女らが固まっている間にも、バタバタと慌ただしい足音が近づいてきた。

 

「エステル! 今の戦闘音は……って、あれ?」

「あー、こいつはまた既視感のある状況というか……」

 

 棒術使いの仲間らしい黒髪の青年が緊迫した面持ちで駆けつけてくるも、目の前の状況に疑問が満ちる。続いて姿を現したクロウは頭痛がするかのように頭を押さえた。その後からジョルジュにアンゼリカ、見覚えのある金髪の男性も現れてトワは察することになる。

 どうやら、不幸な偶然というものは割と起こり得るものらしい。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「「ほんっとうにごめん!」なさい!」

 

 ところ変わって職人通り、宿酒場《アルエット》。その一席には向かい合って頭を下げあう二人の女子の姿が。意図せずして勃発してしまった地下水路での一戦。原因はまさに不幸な出来事と言う他にない偶然の積み重ねによるものだった。

 

「つまりトヴァルさんたちは僕たちとは別口で地下水路の魔獣を退治するよう依頼を受けていて、そこで誰かが中に入った痕跡を見て手分けして捜索していたわけですか」

「ああ。前からあそこの魔獣退治は遊撃士の仕事だったからな。撤退前にうっかり鍵をかけ忘れたのかと思って冷や冷やしたから、そうじゃなかったのは本当に良かったんだが……」

 

 ジョルジュの確認に頷くのは帝都実習以来の再会となる遊撃士トヴァル。彼らは彼らで魔獣退治に赴いたところ、鍵が開いていて複数人が入り込んだ形跡があるものだから一大事。トワたちと同じく、一般人が不用意に侵入してしまったことを念頭に捜索していたのだ。

 トヴァルはジョルジュと、黒髪の青年はクロウとアンゼリカと遭遇したのだが、そちらはすぐにお互いの誤解に気付きほどなく胸をなでおろす展開になっていた。トヴァルがトワたちと顔見知りであったことも状況の理解への助けとなった。

 では、トワと棒術使いの少女はどうして戦う羽目になってしまったのか。火蓋を切った側の少女は恥ずかし気に「たはは……」と頬を掻いて弁明を述べる。

 

「音がして振り返ったら、真っ暗闇に鋭い刃物みたいなのが光っていたもんだから。魔獣かと思って咄嗟に手が出ちゃったのよね。打ち合って人間とは分かったけど、動きについていくのが精一杯で全然余裕がなかったし……」

 

 トワが念のために出したままにしていた刀。その刀身が暗闇の中で放った僅かな反射光が、少女を自衛のための攻撃に駆り立てた切っ掛けであった。視界の利かない中で身の危険を感じればそうしてしまうのも無理はないだろう。

 

「うう……すみません。私がちゃんと鞘に納めておけば……」

 

 万が一の備えであったとはいえ、誤解の原因を作り出してしまったトワは自省するばかり。沈痛の面持ちとなる彼女に相手の少女が慌てたように口を挟む。

 

「そ、そんなことないって。あたしが落ち着いて対応していれば済んだ話でもあるわけだし」

「まあ、そうだね。どちらに非があるかと言えば、エステルのそそっかしさかな」

 

 隣の黒髪の青年からの一言に「うぐっ……」と痛手を受けた様子の少女。事実であるだけに反論も出来ない。そんな彼女を今度はトワが庇いたてる。

 

「いえ、遠くからでも声を掛けていれば問題なかったんですから、やっぱり私の方が悪いんです。本当にごめんなさい」

「い、いやいや! 先に手を出しちゃったあたしが悪いに決まっているじゃない! こっちこそ本当にごめん!」

 

 お互いに負い目があるものだから、どちらが悪いとも決めきれない。人の好い性格や責任感もこの場では悪い方向に影響する。終わりの見えない謝罪合戦が果てしなく続くかと思われた。

 

「えへへ……」

「あはは……」

 

 しかし、幸いにしてそうはならなかった。頭を下げあった先でチラリと相手を窺えば、ばったりぶつかり合う金色と鳶色の瞳たち。似た者同士のシンパシーと奇妙な可笑しさを感じて、二人の口元に笑みが浮かぶ。

 もうどちらが悪いとか話す気分でもなくなっていた。形ばかりの決着ではあるけれど、せめての妥協案を少女の方から口にする。

 

「じゃあ、お互いさまってことで……いいかな?」

「勿論。トールズ士官学院試験実習班、トワ・ハーシェルです。どうぞよろしくお願いします」

「リベール出身の正遊撃士、エステル・ブライトよ。こっちこそよろしく」

 

 差し伸ばした手で握手を交わす。喧嘩したり険悪な関係であったわけではないが、ややこしい出会い方をしてしまったせいでぎくしゃくしてしまっていたのが解消されたのはいいことだ。打ち解けた様子の二人に周りもホッと一息である。

 

「さて、と。まずは飯にするとしようぜ。腹が減ってはなんとやら、ってな」

 

 この場の年長者であるトヴァルの音頭にそういえばと気付く。勘違いが重なっての一悶着があったおかげで遅くなってしまい、トワに限らず全員がすっかり空腹になっていた。午後からも依頼をこなさなければならないのにこれはいけない。

 お互いに気になることはあるけれど、取りあえずは腹ごしらえである。リベールと帝国の料理の違いなどについてエステルと雑談しながらも、いつもより賑やかなランチタイムとするのだった。

 

 

 

 

 

「へえ~、士官学院の実習で……トワも滅茶苦茶強かったし、帝国の学生って凄いのね」

 

 腹も満たしてマスター自慢というエスプレッソをいただく食後の時間。改めての自己紹介だったり、お互いの事情について大まかながら話し合ったトワたち四人と二人組の遊撃士。一段落したところで、エステルの口から漏れたのは感心の声であった。

 

「うーん、あまり私たちを普通と考えられても困るけど……」

「確かに。各地への実習なんてやっているのは僕たちくらいだろうし、トワに至っては学生離れした実力もいいところだしね」

 

 一方、感心される側としてはちょっと困った笑み。褒められて嬉しい気持ちはあるが、これが一般的な帝国の学生と誤解されるのも忍びない。

 トワのことなどその最たるものだろう。質実剛健を旨とするだけに武術を修めた生徒が貴族を中心に多いのは確かであるものの、それを鎧袖一触ボコボコにするのが彼女である。ジョルジュが表情にやや呆れの色を見せるのも仕方なかった。

 それに自分たちなんてあまり大したことはないと思う。エステルたちに比べればまだまだ未熟ものだろうというのがトワたちの正直なところであった。

 

「つっても、俺たちはとどのつまり一介の学生だ。同じくらいの歳で正遊撃士として認められているあんたたちの方が大したもんだと思うがな。例の異変にも関わっていたんだろ?」

 

 エステル・ブライトにヨシュア・ブライト。両者ともに正遊撃士――駆け出しの準遊撃士を経て一人前と認められた立場にある。遊撃士になれるのは十六歳から。トワと同じ十七歳である彼女たちは、最年少でその資格を得た後に一年足らずで一人前と認められるに至ったのだ。トヴァル曰く、ギルド期待のホープというのも頷ける話である。

 加えて、リベールと言えば数か月前に発生した導力停止現象の件もまだ耳に新しい。帝国でも少なからず混乱が起きた大規模な異変、その解決の中心的な存在となったのは遊撃士たちであったと聞く。

 この若き支える籠手の担い手たちも、その一角として混乱の終息に寄与したのだろう。不思議とそんな確信がトワたちにはあった。

 

 片や未だ学生の身、片や就労して既に一端に認められた身。どちらが立派かなど論ずるまでもないだろうが、当の本人たちはあくまで謙虚であった。

 

「そんなことはないよ。あの異変にしたって、僕たちだけじゃ到底解決することなんてできなかった。王国軍にラッセル博士やZCFの人たち、それに帝国や共和国の人たちも……本当に色々な人の助けがあったからこそなんとかすることができたんだ」

「そうそう。それに遊撃士としても修行中もいいところだし。父さんやシグナさんに比べたら、まだまだひよっこみたいなもんよ」

 

 実感の籠った言葉であった。きっと話に聞くだけではわからない相当な苦難があったのだろう。第三者であるトワたちにその詳細は知る由もないけれど、これだけは理解できる。彼女たちは未曽有の国難に対し、多くの仲間と共に屈することなく立ち向かったのだと。

 それだけで十分敬意を表するに値するのだが、エステルなどは遊撃士として未だ道半ばと考えている様子。驕ることなく向上心旺盛なのは見習いたいところだが、例として挙げる人物が人物だけに先輩の立場であるトヴァルは引きつった笑み。

 

「はは……そう簡単にカシウスさんや先生の領域にまで行かれたら、俺の立つ瀬がないんだけどな」

「目指すはかの《剣聖》か。身近に傑物がいると、やはり目標も高くなるのかな」

「え? あっ、も、勿論トヴァルさんにもまだまだ及んでいないわよ! 経験もそうだし、アーツの腕前に至っては別格だし! 父さんの方はあくまで理想っていうか……」

 

 慌てて言い繕うエステルであるが、どうしても取って付けた感が否めないのは避けられないところ。なけなしのフォローが仇となってか、乾いた笑い声が哀愁を誘うトヴァルであった。

 もっとも、彼自身が後輩に対して先立ちとしての気概を示せればいいだけの話でもあるのだが。この場に破茶滅茶なシスターか銀髪の中年親父がいたら彼の尻を蹴りあげていたことだろう。小さく纏まろうとしているんじゃねえ、とか何とか言いながら。

 幸か不幸かこの場にはそのどちらもおらず、それとなく空気を読んだトワが話題を変えた。

 

「それはそうとエステルちゃんたち、伯父さんに会ってたんだね……何か変なこと言われなかった?」

「ああ、うん。セントアークで出迎えてくれたんだ。別に変なことは……うちの不良親父のことで恨み言を漏らされたくらいね。遊撃士辞めたせいでしわ寄せがきているとか」

 

 軽い気持ちで聞いた途端に湧いて出た不安だったが、どうやら案の定であったらしい。いくら先立ちといえど伯父の不躾な発言にトワは頭を抱える。

 

「……ごめんなさい。今度会ったらよく言っておくから」

「べ、別にそんな気にしなくていいわよ。父さんが不良中年なのは確かだし」

「父さんが王国軍に復帰したのは情勢的に仕方ない面もあったけど、ギルド本部にとってはかなり痛手だったようだしね。S級相当のシグナさんに負担がかかるのも避けられないんだろう。愚痴くらいは大目に見てあげていいんじゃないかな」

 

 当の本人たちは寛容にも気にしていないようだが、身内としてはそうもいかないのが辛いところ。この件に限るならまだいいとしても、それ以前から伯父が好き勝手なことを口にしてきたのをトワは耳にしているのだ。

 

「事あるごとに文句を零すだけならまだしも、お子さんにまでそんなことを言ってしまうと流石に申し訳なさすぎるというか……」

 

 エステルたちの父親、カシウス・ブライトとシグナの付き合いは十年来のものになる。当時、諸事情で王国軍を退役した後に遊撃士に転向したカシウスと、その時既に高位遊撃士の一角であったシグナが偶然仕事を共にする機会があったのが切っ掛けだと聞く。

 ほぼ同年代であり、王国軍でも智将と名高かった《剣聖》カシウスが瞬く間に高位遊撃士の仲間入りを果たしたことも、二人が距離を縮めることに繋がった。時折、仕事で遠出する機会を見繕っては顔を会わせ、揃って酒好きなものだから随分と意気投合したようだ。小さい頃に伯父が「面白い奴が入ってきた」と上機嫌で話していた姿をトワはよく覚えている。

 

 それだけならよかったものを、彼らは所謂悪友というものだった。実力を見込んだ本部からの依頼を押し付け合う。弟子を賭け事の対象にする。不良中年と真っ先に自分に返ってくるような言葉で愚痴を吐く。父と揃って苦い笑みを浮かべたのは数知れない。

 身内の恥をさらすようだが、そんな経緯があるがために姪としては頭を下げずにはいられないのだ。そんなトワにエステルは物凄く親近感のある目を向ける。

 

「でも、父さんも似たようなものよ。シグナさんに仕事を押し付けてやったから家にいられるぞー、とか得意げに言っていたし。面倒くさい立場(S級)を擦り付けられたとか文句も言っていたし。自分の父親ながら大人気ないわよね」

「あ、それ凄い分かるかも。尊敬できる人なのは確かなんだけど、どこかだらしないというかいい加減なところがあるから素直な目で見れないというか」

「あるある。色々な人から父さんの凄い話を聞くこともあるけど、いまだにピンとこないのよねぇ」

 

 どうやら実情はブライト家も似たようなものだったらしい。お互いに父と伯父の印象を語ればそれがピタリと一致するものだから、親近感もますます強まるというものである。

 一方、先ほどまで目標として語られていた人物たちがこっ酷く扱き下ろされる様に周囲としては乾いた笑みを浮かべるばかりである。いったい高位遊撃士とはなんだったのか。娘と姪からの散々な言われように同情の念さえ湧いてくる。トヴァルに至っては頬を引き攣らせていた。

 そんな周りを気にした素振りもなく話し込むトワとエステルは、傍目から見ても馬が合う様子。出会ってから数時間。同い年だから、と敬語を取り払ったのもほんの少し前だというのに、もう何年も前からの旧友のように窺えた。

 

「随分と仲がいいこった。お宅の姉貴はいつもこんな感じなのか?」

「エステルは大概誰とでも仲良くなるけど、これだけ気が合うのは珍しいかな。身内のことに限らず、どこかしら共感する部分があったのかもしれないね」

 

 盛り上がる二人を他所に、声を落としたクロウがヨシュアに聞けばそのような答えが返ってくる。なるほどねぇ、と呟きながら視線を二人の方へ。話は移り変わり、お互いに生徒会や遊撃士の仕事について話し合っているようで、なんとも性格の透けて見える会話であった。

 

「明朗快活、朗らかで」

「基本的に人を疑うことを知らず」

「呆れるほど底抜けのお人好し」

「はは……なるほど、気が合うのも当然ということか」

 

 トワとエステルの性格を言い合わせてみれば、これまたピタリと意見が一致する。クロウとアンゼリカはニヤリと口角を上げ、ジョルジュとヨシュアもつられて笑みを浮かべた。

 きっと根っこの部分で似た者同士なのだろう。表面的なところや与える印象に多少の違いこそあれ、その心持ちや感性といった深いところでは通じ合うところがあるのは想像に難くない。頭抜けたお人好し具合などその最たるものだろう。

 

 悪いことではない。しかしながら、ほんの少し前まで愚痴を言い合っていた伯父と父のように、自分たちもまた意気投合していることには気付いているのだろうか。それがどうにも可笑しくて温かい目を向けてしまう。

 当然、それに気付かない二人ではない。ぬるま湯のような視線に対して戸惑いの声をあげる。

 

「ちょ、ちょっと。何よ、その生温かーい目は」

「とんでもない。うちのトワと仲良くしてくれて嬉しい限りと話していただけだよ」

「そうそう。気が合うようで何よりってな」

 

 怫然とした表情で問うてくるエステルを煙に巻くアンゼリカとクロウ。あながち嘘を言っているわけでもないので性質が悪い。口が達者なこの二人に対してエステルでは相手が悪かった。

 

「うーん、それにしては何か含みがあるような……あ、ヨシュア君はごめんね。ついエステルちゃんとばかり話しこんじゃって」

「いや、全然。僕もクロウたちと話せて楽しかったからね」

「はは、そう言ってくれると光栄かな」

 

 トワはトワでそこはかとなく察するところはあったようだが、深く気にするほどのことではなかったらしい。むしろ放っておく形になってしまったヨシュアに対して気遣いの念を見せる。彼は彼で、今までにないタイプの人たちと関わることが出来たので全く構わなかったのだが。

 お互いのことに始まり、身内のだらしなさ加減や取り留めのないお喋りなど。食後のちょっとした歓談のつもりが随分と盛り上がってしまった。ほぼ同年代と言うこともあるが、これも偏にトワとエステルの気が合ってのことだろう。

 

 そんな意図せぬ盛り上がりも、残念ながらいつまでも続けているわけにはいかない。学生にしても遊撃士にしても、それぞれにやるべきことがある以上は楽しい時間を切り上げなければならないのだ。

 

「あー、コホン。お楽しみのところ悪いが、そろそろいい時間なんでな。仕事の話に切り替えていくとしようぜ」

 

 そこのところの区切りを入れる役目が年長者であるトヴァルに回ってくるのは仕方のないことだろう。若者同士の話に割って入れる隙間が無くて寂しかったわけではない。大人としての立場を全うしただけである。そういうことにしておいてほしい。

 彼の言葉に盛り上がっていた面々も「それもそうか」と居住まいを正す。ここのところの切り替えはトワたちにしてもエステルたちにしてもしっかりしている。

 普段ならば午後の段取りを話すところだが、今回に関してはお互いに詰めておかなければいけないことがある。先刻、バッティングしてしまった地下水路の魔獣退治についてだ。

 

「こっちとしちゃ結局、仕事が先取られる形になっちまったからな。かといって今後も領邦軍が定期的な駆除をしてくれるとも思えんし……」

「そこのところの対応を話し合う必要がある、ということですね」

 

 今回に関しては、領邦軍から依頼を受けたトワたちが先立って魔獣を退治していたためトヴァルたち遊撃士は無駄足になってしまった。それはいい。問題は、これ以降の地下水路に湧く魔獣への対応をどうするかということである。

 試験実習で訪れた四人は当然ながら常にバリアハートにいるわけではない。継続的な視点からして、領邦軍は今後の魔獣対策についてどのように考えているのか。それが分からなければまた同じ轍を踏みかねない。遊撃士も人手が足りない以上、それは避けたい事態だった。

 

「領邦軍の駐屯地があるのは貴族街の方だったか。遊撃士の僕たちだけじゃ相手をしてもらえるか怪しいところだけど」

「その辺は俺たちも報告がてらについていけば大丈夫だろ。いざとなりゃ、現地責任者の貴公子様の名前を出せば向こうも嫌とは言えないだろうさ」

「確かに、公爵家の名前はこの街では絶対的だからね。大船に乗ったつもりでいけばいいさ」

 

 遊撃士協会の支部が帝都以外でも軒並み撤退を強いられていることから、貴族も大勢としては遊撃士を邪険に扱っているのは間違いない。彼らだけで領邦軍を訪ねたとしても、いいところ話半分に聞かれるか、悪くて門前払いにされることだろう。

 だが、今回は幸いにして強力なバックを持ったトワたちがいる。領邦軍自ら依頼を出したからには話を聞かないわけにもいかず、相手の背後に自分たちの仕える主君の跡取りがいるとなれば蔑ろにするなど以ての外。嫌でも話し合いの場には持っていけるはずだ。

 

「助かる。面倒をかけて悪いな」

「いえ、これくらいは。トヴァルさんには僕たちも帝都でお世話になりましたし」

 

 どの道、領邦軍のところには依頼完了の報告をしに行かなければいけないのだ。そのついでに口利きをするくらいどうってことではない。以前の実習ではお世話にもなった身。困ったときには助け合いをするのが道理というものだろう。

 

「じゃあトワ、もう少し一緒によろしくね」

「うん、こっちこそよろしく。そうだ、よかったらエステルちゃんたちも晩御飯一緒に食べる?」

「あっ、いいわねそれ。今日の仕事終わったら連絡取りましょ」

 

 ということで、もうしばし同行することになったトワたちと遊撃士たち。意気投合した二人は気の早いことに夕食の段取りをしている。仲がよろしいようで大変結構である。

 何はともあれ、そうと決まれば行動あるのみだ。勘定を済ませて宿酒場を後にした彼女たちは、職人通りから一路貴族街へ。目指す先は領邦軍の駐屯地である。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 その数十分後、友誼を結んだトワとエステルは何の因果か再び武具を構えていた。その面持ちは緊張に染まり、ほんの少し前の和やかな雰囲気の名残など欠片もない。

 地下水路の時と異なり、二人は向き合うのではなく並び立っていた。そして切っ先を向ける先には大剣を携えて悠然と佇む一人の剣士が。剣を下ろした棒立ちのように見えて、その実まったく隙のない姿にトワとエステルは冷や汗を流す。

 

「……ふむ、力量を見抜く眼力は備わっているか。惑わずに己の戦い方を崩さぬのもよい。カシウス卿とシグナ卿の教えは確かなようだ」

 

 その剣士はまさに超越的だった。

 立ち姿だけでも分かる。自分たちではまるで比肩することが出来ない武威、幾年もの研鑽と鍛錬が生み出す圧倒的な闘気。一挙手一投足に空気が震え、剣気が向けられる先の二人に押しつぶされるような気当たりが襲い来る。

 彼は感心したように一つ頷くとその手の大剣を持ち上げた。

 

「ならば、こちらから仕掛けさせてもらうとしよう……アルゼイド流筆頭伝承者、ヴィクター・S・アルゼイド、参る!」

 

 領邦軍の駐屯地、その練兵場に名を響かせ彼は地を蹴り剣を振り上げる。帝国の武の世界にその名を響かせる《光の剣匠》、理の領域の使い手がトワたちに牙を剥いた。

 

 ――どうしてこうなった!?

 

 声にならない悲鳴を今は飲み込む。それを叫んだところで意味はない。

 立ちはだかる強大すぎる壁に対してせめて食らいつくべく、トワとエステルは最高峰の武人に全身全霊をもってぶつかっていった。

 


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